原則不可侵の城
56年前の話になる、22歳の時だった、玄関に「竹の音が聴こえたので…」と訪れた人があった、田中竹泉氏だ、
これ以後、氏が突然消息を絶つまでの約6年間親しく付き合った、氏は1歳上、親分肌でわたしは彼の後ろを歩くのが常だった、東京へ転勤され、やがて郷里へ帰ったとかのウワサを最後にまったくわからなくなった、車事故があったようだの話もあったが、「すっかり人が変わってしまって…」の話もあり、わたしにはこの後者の方がホントに思われてならん、
氏は、ある種の天才だった、22・3歳にしてすでに尺八古典曲は暗譜の域にあり素晴らしい音色で気宇壮大に吹奏する豪傑だった、
(氏の師匠・山崎竹隠(やまざきちくいん)師は全曲暗譜で弟子を指導されていたのではないかと思う、わたしは、後年、竹隠師がお亡くなりになった後、竹泉氏の手引きで、奥様の山崎美也師の元へ通うことになり、美也師の三弦と箏で尺八を学ばせていただいた者だ、ちなみにわたしの尺八は竹隠銘の地なし管、美也師から「今お使いの竹はやめて、コレをお使いなさい」と、頂戴したもの、使うほどに古今の名管であることが分かってきて、「美仙」と名付け大切にしている、できればコレを参考にご覧いただきたい)
かみさんの遺品整理をしていて…、あぁ~、かみさんのアトリエは我が家2階・11畳、原則不可侵の“城”、が、このたび立ち入って、整理・後始末中、
制作途上の絵があり、絵皿が生々しく置いてあり、それぞれが未だ生きて動き回っていて、息をしている、異様な切迫感ある戦場まがいの部屋、の、なかで、不意に目に止まったものがあった、色紙が2枚、落款(製作者の自筆署名)がある、“竹泉”とあった、上述の竹泉氏だ、氏は絵も意の向くままに描いた、瞬時に描く1筆画、オーバーな表現になるが宮本武蔵の1筆画の趣がある、かみさんは、わたしが彼・竹泉氏からもらい受けていた色紙の絵を、製作画の勉強のなかに取り込んでいたようだ、
竹泉氏には弟子がひとりある、Y氏、氏とは今もなお相互に消息を確かめあう関係だ、さっそくY氏へ色紙のことを伝えた、と、今日、氏は我が家へお越しになるという、この際だ、2枚のうち1枚をお弟子さんの元へ納めさせていただこうと思う、
Y氏は尺八もなさるが、昨今は面うち(能面制作)に生きがいを見出された、師の色紙をご覧になったら、“面打ち”のノミ先に…、ひょっとしたら、打った面の面構えに竹泉氏の面影が…
かみさんに高校時代の同窓会案内状が届いた、昨年12月亡くなった旨を返信ハガキに書き込み、加えて、来年4月に遺作展を開催する予定だと書き添えた、
« 崖から飛び降りる覚悟はある | トップページ | 2千円近いご馳走らしい »
初めまして!
ヤフーブログで(河童爺さん)と、親しくさせて頂いてます。
河童爺さんより、貴殿のブログを訪問とのお言葉を頂き訪問させていただきました。
ご先輩とのこと、宜しくお願いいたします。
投稿: 浅海翠映山 | 2019年4月16日 (火) 20時30分
都山のお方でしたか、ひょっとしたら琴古のお方かな、と、思っていました、
わたしも魚釣り好きで、もう狂人(?)の域ですが、さすがに単身で沖へ出て釣るには金力・体力がシンドクなった、で、最近では若い衆に艇を任せ時々連れ出てもらうだけになりました、
横着者でしてね、チヌ釣りの繊細な釣りには対応できなくて、未だにチヌ釣りだけはやったことがありません、時々、釣れたりしますが、そのままリリースです、
カッパさんにはイロイロ教わることが多い、氏の耳コピーには逆立ちしても追いつきません、
どうぞよろしく、
投稿: 隠居波平 | 2019年4月17日 (水) 05時49分