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2019年10月11日 (金)

クソ食らえ!!!

隣町・稲美町(三木市の南西に隣接)に、“印南野半ドンの会”というのがある、毎年1月・6月にA5版の「印南野文化」を発刊する、親友のSがこの会長になっとって、呼びかけられて、いつ頃からか、わたしもココヘ毎号エッセイを投ずるようになった、昨日は早朝から次号・来春発刊・第76号用の原稿を一気に書き上げSに託した、

原稿を書く都度思うのだが、年に2回(1月・6月)の発刊は、否応なく己の人生の歩みを振り返らせる、原稿書きながら心が喜怒哀楽に大きく震え揺らぐのを覚える、 

実は、今春発刊の第75号誌には、わたしは原稿を投じ得ていない、かみさんの様態が癌・終末期だった、わたしの心は揺らぎまくりグンラグラ、でも、こういう時にこそ平静にならんとあかん、が、平静を保とう、平静を保とう、の、なかでどうして平静になんぞなって居れたりするものか、藁をもつかみたい気持ちは強まるばかりだった、が、が、こんな中、わたしは投稿用の原稿を書いた、そして、投じようとして読み返し、読み返しし、自分を失いかけた動転の中にある自分がスケスケに見えてきて超情けなかった…、原稿を破棄し破り捨てた、延々と投じ続けてきた波平エッセイだったが…パス、 

原稿を破り捨ててから1年が経ち、来春発刊用の原稿を投じる時期になった、書いた、書いた、書き始めるともう止まらない、投じる際の原稿制限枚数を超えて、なんぼでも書く、一気に書いて読み返し、書き過ぎた原稿の半分をカットしたが未だ制限枚数を超えている、さらにカット、カット、

カットの手法ですが、削除するのではなく、話題の芯を取り出し⇒短い話しことばに書き直すのです、書いた文章ってのは、実は、なかに不要な言葉が仰山使われている、“目は口ほどにモノを云う”って言いますよね、が、文章では、この部分もダラダラ書いてしまわないと読む人にはワッカラン、ってことは、会話している気になって文章を読み直せば、なんぼでも文章は短く縮め得るってこと、要点を話し言葉にしてしまうだけ、その気になれば超簡単、コツは可能なかぎり平易な話ことばにすること、だれでも、雑談の時、この手法を使っとるじゃないですか…数言交わせば、時には、目と表情だけでも、気持ちを交わし合うことが出来る、この手法です、昨日は限られた原稿枚数のなか、ここ1年間の気持ちの動きを書き込んでみたってこと、原稿は既に投じました、

ココにも自分なりの手法がありましてね、長く保持し、書き直しを重ね試みることを自分に禁じているのです、書きなおす都度、ほぼ間違いなく原稿は汚れます、新鮮な味わいがすっ飛んでしまう、無茶苦茶の、ダラダラでエエ、達文なんてクソ食らえ!!!

 

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