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2019年10月28日 (月)

変なヅヅイ

洗濯機に使う洗剤が無くなって次のを買ってきた、3度目だ、台所の有様もいつの間にか、カミサン仕様から⇒波平仕様になっている、が、家の中、未だ至る所にカミサンが居る、嬉しいようでもあり、正気に返ると悲しく、胸が痛く、苦しい、もう十月もあと3日、来月、カミサンの一周忌法要を計画している、

数日前から冬の気配、気温が朝方はもう冬になってきた、未だに薄い布団1枚で寝ているので、深夜2時・3時に寒くて目覚めてしまう、身体が冷えていて、で、風呂を沸かせて身体を温める、それから着替えて朝を迎える、

風呂につかり身体を温めながら想った…

“これからも、しばらく生きることになるなら、ら、自分独りの自活生活に慣れなければ…”と、カミサン頼りのヒモ的生活から脱却しなければと…

カミサン他界以後、もう自活生活になっとるのに、その自覚が浅かった、カミサンの面影が家の中そこらじゅうにあるのを当然のこととして、むしろコレをある種の活力源だとも思ったりしとった、大反省だ、こんなことではダメだ自活生活とは程遠い、なっとらん!!!

家の中から、強いて彼女の面影を消し去ろうなんて思わない、彼女の遺骨は納骨するのも嫌で未だに仏壇前に置いている、コレを墓に収めてしまう気にはヤッパなり切れない、が、気持のなかで踏ん切りをつけることなら出来る、風呂の湯につかりながら、フンギッタ、もうその気になった、が、が、だからと言うて、ナニをどうしたらエエのだろう……

カミサンの面影は、わたしを元気つける、向後の活力源、コレは間違いないことだ、

の、なかで、やっぱ、カミサン頼りではない自活力を養わねばならん、ヤットレン、

笑われるかもだが…

今デケルことは、シッカリご飯を食べて、シッカリ尺八を吹くこと、と、思う以外、他のことは思いつかない、

“シッカリ尺八を吹く”だが、マンネリにはならず、都度都度に研究心を燃やし続けて絶えず研鑽する、コレなら、デケルような気がするってこと、

“変な尺八ヅヅイ”、で、居続けてみようと思う今日この頃ってことかな・・・

 

 

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