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2020年4月27日 (月)

「釜山港へ帰れ」

2018年12月1日(土)まで、わたし・波平は「釣り師波平ナニを書く」と題するブログを書き綴っていた、が、この日(2918:12:01)をもって筆を置き、新たに「波平残生録」を起草し、今に至っている、

 

愛妻は、当時、既に癌末期で主治医から緩和病棟への入院を勧められていたが、彼女は「頑張ってみる、まだ大丈夫!!!」というて気力に満ちた目をしてわたしを励まし、自宅療養を選んだ、

 

退院直後の数日は自宅2階の寝室で休んだが、間なしにベッドを1階に移した、横たわる体形を自分で変えるはもう無理だった、が、気力だけは最後の最後まで衰えなかった、わたしは、愛妻から弱音を聴いたことは一度も無い、励まされるのは常にわたしの方だった、 

が、しかし、彼女の頑張りも限界を過ぎていた、わたしは奮い立たねばと思った、で、気持ちの大転換をした、上記・2018年12月1日(土)のことだった、既存のブログを排し、新たに「波平残生録」を立ち上げ気持ちの整理をした…

愛妻を緩和病棟へ入院させたのはこの4日後の12月5日だ、亡くなったのは12月11日、 

ガン末期を自宅で悠々と過ごすなんぞは無理である、ナンボ気力が満ち満ちていても、力があっても…

天から頂戴した命は天へお返しする定めだ、

静かな寝顔であった、

 

今朝は、ワシャ、ナニをしゃべっとるのかな???

 

先のブログ「釣り師波平ナニを書く」を久しぶりに開いてみたのだ、開いて、対馬へ航行した際の記録を読み返そうと思ったのだった、

対馬の最北端の展望台から釜山港付近の山並みを遠望した時のことを思い出している、港の歌を探っていて、釜山港の唄があったのを思い出していた、ワシャ釜山港を対馬から遠望した(?)ことがある、そのことを記録に記したような気がする、 

開いた以前のブログの右サイドバーに視線を移した、が、対馬周航時の「波の凪ぐ日」がアップ成し得ていない、(「本」自費出版、未だ極小数部保管)、「本」を開き少し読み返した、往時のことがウワ~とよみがえった、

今日は「釜山港へ帰れ」を吹いてみよう、

(注・ブログ「釣り師波平ナニを書く」の右サイドバー最下欄・バックナンバーから2005年5月8日をお選びいただくと、この日以降の往時の西日本列島周航記録がご覧いただけます、が、が、こんなのを読んでいたら頭がボケるかもよ、わたし責任持てませんぜ…)

 

「釜山港へ帰れ」

 

 

 

 

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