杜甫の「貧交行」(ひんこうこう)その2
彼女(わが家裏2軒目のヤモメ・ネェチャン)が吟じる「貧交行」を、そのまま丸ごと尺八譜へ採取を試みた、の、だった・・・
が、コレで詩吟の伴奏をしたら、間違いなく、詩吟の心を逆撫ぜすると思う、
メロデイが二つブツカッテ喧嘩する、これ避けようがない、
なんぼ正確に詩吟の声を楽譜へ取り込もうとしてもコレは無理、
音程の外側に声は散らばりまくって、一定の記載に耐え得る採譜の域からは出てしまう、声の緩急・音律の自由自在な変化のなかにこそ詩吟の命が宿っている、
で、いったん、耳コピーに挑戦した後は、曲の流れの雰囲気の描写に挑戦です、吟詠の声はそのまま最大限に生かし、それ聴いている者の側に立って吟詠を味わってみる、
そして、その味わいを、尺八音に託して、吟詠の中へ味つけ的に送り込んでみてやろうか、と、わしゃ考えた、
ビックリです、この無茶苦茶な“吟詠味気奏法”は、ヒョットしたら、わたし波平の無茶苦茶吹きの系列であるような気がする、
オモロイですなぁ~~、
彼女が吟ずる“杜甫の「貧交行」”を聴きながら、己の気の向くままに、勝手気ままに添い吹きを試みてみたのです、
自分勝手な偏見と誤解の中での滅茶苦茶伴奏です、
が、少なくと、わたし自身は、なんとなく“コレでエエ”と、思うのですよね、
コレって、まじめに吟ずるお方からすれば、ブッ潰しそのものって評価になるでしょうよ、
怖いですなぁ~~、
あぁ~、わたしは、詩吟の伴奏なんぞ、しない方がエエ、吟ずる人に失礼すぎる、
ぶっ壊しのズズイ、それが波平⤵⤵⤵
詩吟の世界って、オモロイ世界ですなぁ~~~、そして思う、ひょっとしたら、こんなところに波平の居場所があるのかも、と・・・
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