「埴生の宿」
1 埴生(はにふ/はにゅう)の宿も 我が宿 玉の装い 羨(うらや)まじ
のどかなりや 春の空 花はあるじ 鳥は友
おゝ 我が宿よ たのしとも たのもしや
2 書(ふみ)読む窓も 我が窓 瑠璃(るり)の床も 羨まじ
清らなりや 秋の夜半(よは/よわ) 月はあるじ 虫は友
おゝ 我が窓よ たのしとも たのもしや
今日は朝から、図書館から借り出してきた「世界の歌名曲集」を繰って楽しんでいる、
掲載の曲のほとんどは既に以前に尺八譜へ収録整理済だ、が、今一度復習の意味での見直しだ、
全61曲を順次繰っては譜読みし、気持ちの中で歌って楽しんでいるわけだが・・
「埴生の宿」を譜読みしていて、気持ちが高ぶり涙が湧き出て感極まった、
“コレって正に今の自分のことだ!!” と、気が付いた、
春・桜の時期過ぎた梅雨最中のこの頃である、
早朝から野鳥の歌声が聴こえている、毎日、毎日、庭木の世話や雑草取りをしている、
名は知らぬが、亡き妻が育て大切にしていた花々が次々咲くのを眺めている、
埴生の宿かぁ~~
あぁ~、埴生の宿とは、“粗末な”って意味で使われている、原曲はイングランドの民謡で、「ホーム・スウィート・ホーム」、
わが家は久しく「ホーム・スウィート・ホーム」だった、
が、今は、妻は亡く、残ったわたしだけのヤモメの宿、
まさしく埴生の家、
歌詞を上に書き出したが、実に見事に、今のわたしの暮らしの様そのものだ!!!
歌詞・1番2番の最後の言葉「・・・たものしや」の意味だが・・・
コレは少し以下に注釈してみよう・・・
歌詞最後の「・・・たものしや」は、ここでは
“たよりになる”とか、“将来が期待できる・・”の、意ではなく、
自分の心は豊かに過ごし得ている、の、意で歌われているのだと思う、
実は、亡き妻の名が“富子”だった、ココへきて、わたし突然コレに気が付き、思わず涙がこみ上げこらえ切れなくなったのだった・・・
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