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2022年2月 2日 (水)

格安チーズを買ってくることだけ

石川県・小松基地沖5キロ、4機態勢で発進した最後尾のF15戦闘機が突然の墜落、
ナンテこった!!!

発進後約1分ほどで墜落、
事故発生の原因も経過もわっからん、
墜落機体のカケラを少し見つけただけ・・・、
搭乗員はどこに・・
ナンテざまだ!!!

日本海を隔てた北朝鮮は、ミサイル発射を繰り返し、都度都度、精度向上、成功、成功、大成功、
わが国は、自衛隊機の爆発墜落、ワカッランでヘショゲタ状態・・・
まさに無条件降伏、

わしゃ、昨日、先の太平洋戦争当時末期の戦闘機・紫電改の飛行訓練基地跡を訪ねたのだった、
わが家から軽四で走って約50分の位置だ、
現地・鶉橋野飛行場・資料館展示会館内に、この秀逸な戦闘機が展示されていた、兵庫県・河西市鶉橋野飛行場跡だ、

以下、長話になるが・・・
周囲は播州平野の山、山が囲む盆地に急ぎ造られた戦闘機専用の飛行場、
終戦直前に戦闘機の組み立て製造・実機飛行訓練用に急ぎ造られた飛行場、

わしゃ、昨日、軽四で、狭い曲がりくねった山道を喘ぎあえぎココへ向かったのだった、
道は狭いとはいえ、今はトラックも走れる舗装道路、速度40キロ前後で十分に全線走行可能、
が、ココに飛行場を作った当時はどうだったのだろう???
山道は無舗装、自然のままの曲がりくねった道だぞ!!!
が、この基地で、ここで、戦闘機の組み立てをして、飛行訓練していたのだった・・・

部品の数々の多くは、明石の川崎重工業せ製造したものだったのではないか、
瀬戸内海に面した海辺の工場だぞ、
浜辺から→鶉橋野飛行場まで、難儀なことだったろうナァ~~~
帰り道(曲がりくねった勾配急な山道)を軽四でスルスル(?)走りながら・・・
当時は牛にひかせた荷車に戦闘機部品を積んで喘ぎあえぎ運ぶ様が思い浮かび、
でも、やり終えていたのだ!!やればデケル!! と、思わざるを得なかった、

わしゃ、未だ幼い頃、荷運びの車に乗せてもらうのが大好きだった、
当時の車輪は木で出来ていて、車輪に薄い鉄の輪を付けていた、タイヤなどは無かった、
小さい荷車はリヤカーと言うた、
コレ等に戦闘機の部品を積んで、山道を越え、鶉橋野飛行場内の組み立て工場へ運び込んだのだと思う、

生前、父が時折話した・・(父は当時、兵庫県立航空工業学校の教員で、生徒を引率し、川崎重工業(株) 明石工場へ出掛け、生徒を戦闘機製造に就かせるのが仕事だった)、「造っても、組み立てても、飛ばせない機がホトンドだった」と・・・、

あぁ、もう少し昔の話をしますね・・・
昔は、自動車に荷を積むなんてことはしなかった、
牛に荷車を付け、二人が付き添って、引かせたのだった、
牛は1頭、人は最低でも二人、とてもじゃないが細かくは説明しきれんが、子供の頃は、コレが結構勇ましく思えた、乗せてもらえたら天にも昇る心地がしたもんだ、

あぁ~、ついでながら・・・
母は、畑(はたけ」仕事に出る際、天秤棒を担ぎ、前の籠に未だ幼い妹を乗せ、後ろの籠には具などを、で、スタスタ歩いた、
息子のわたしは、母の前を歩く、棒を握り持ち、草道をコツキながら歩く、母が怖がる蛇を追っ払いつつ歩くのが仕事だった、
わしゃ、平気で蛇を掴み投げ捨てていたのを覚えている、蛇はシッポ踏むとビックリ顔で藪へ逃げ込むよ、面白かった・・・蛇の顔を見ると瞬時に毒マムシかどうかを見分けたもんだ、今は観るだけで怖いのだが・・

昔話はキリがない・・・
わしゃ、認知症でしょうか???
だって、つい先ほどのことは、覚えていない・・・記憶力が低下、低下・・・
だのに、昔のことは、ヅルヅル際限なく思い出す、

昔はどうだってエエ、
今が判らんでどうする!!!

今日の仕事はただひとつ、愛犬・春子専用の格安チーズを買ってくることだけ、
先日来、コレばっか気にしているが、すぐに忘れてしまって・・・・

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