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2022年6月29日 (水)

「はまちどり」

ここ近畿地方は昨日梅雨が明けたそうな・・・
わしゃ“寒さ”や“雨#”には弱く、カンカン照りには強い体質だと思っていて、早い梅雨明けは大歓迎だ・・・

亡くなった妻は2月の生まれで寒さには強かった、
わたしは7月の生まれで寒さに弱く暑さに強い、
二人は気性も体質も、今、思えば、すれ違いが多かった、

コレは食べ物の好き嫌いや“思考”の方向など等にもあって、わたしは海が大好きだが、カミさんは海が大嫌いで静かな山奥が好きだった、
畑仕事や草花が大好きでこの分野には驚嘆に値する知識があったなぁ~~、

あぁ~、わしゃ、このところ我が家の庭や、畑を、大改修中なのだ、
カミさんが未だ元気だったころは、彼女は、わたしには庭や畑を触らせなかった、
わたしの草花など等に対する感性を良しとせず、わたしが畑に入るのを極端に嫌っていたのだった、

カミさんが亡くなって早や4年、
この間に、庭や畑は、無茶苦茶に荒れてしまい、もうどうにもならなくなった、で、このところ、一気に、わたしの感性の元で、大改修中だったってこと・・・
大改修と言うても、すべてぶっ潰し、さら地のようにしてしまうだけのこと・・・
カミサンガ健在ならビックリ仰天のことだわさ・・・

わが家から海は見えない、
軽四でホボ直線的に走っても、海までは40分ほども掛かる、
わたしはカミさんと所帯を持つまで、いつも海を見て生きていたのだった、
幼い幼児期に住んでいた家は、浜の波打ち際から20メートル足らずの場所だった、夜寝ていて浜辺の波の音が聴こえていた、
長じてからは少し海辺から離れはしたが、庭から淡路島がシッカリ観えていて、望遠鏡で淡路島の浜辺の様子を遠望するのが大好きだった、自分で作った望遠鏡で極めて高性能だったのだぜ、

<余分な話になるが・・・>
わたしが自分の舟を持つようになったのは25歳の時からだ、手漕ぎのゴムボートで、浜辺で膨らせて乗り込んだ、コレで須磨の浜辺のチョイ西・塩屋の浜辺から乗り出し⇒潮の間に間に淡路島まで渡ったことがある、ナント、そのまま、又、この手漕ぎゴムボートで塩屋の浜へ戻ったのだった、
以来、高性能な艇に次々乗り換えて、77歳まで愛艇を保持し乗り回してきた、
愛艇で日本列島1周航海も成し遂げたのだぜ、あぁ~徹底的に、海の男で暮らして来たってことになるかもな、

話を戻そう・・・
昨日で、わが家の庭や、畑の大改修は終わった、
自動車の運転免許の更新も終えた、
3年後までもし生きていたら、もう自動車免許の更新はしないつもりだ、
が、未だ、果てる際には、海の見える場に居たいなぁ~~と、この想いがあり夢見ている、
人生最末期を過ごす“海の見える場探し”、コレが、これからの課題、最後の“旅”カモと想う・・・
夢、夢、夢・・・夢、は、夢、
今の苫屋がわたしの果てる場、コレ、ほぼ間違いない気がする今日この頃である・・・

 やよ唄え 大海原ぞ はまちどり   波平

愛艇の名は歴代「はまちどり」を名乗ってきた、
この際だ、「はまちどり」艇の歌を作っておこう、

「はまちどり」


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