昨日アップしたブログへ、コメントをいくつか頂戴したのだった、
どのコメントも、わたしの“独りヨガリ”を突く鋭いコメントだった、
音楽は、楽器を奏する者と、歌を唄う者と、に、大きく分けることが出来る、
両者は、気持ちをひとつにして、曲に向き合い稽古を重ねる、
が、残念ながら、人間はそれぞれ個性をもっており、決して“ひとつ”にはなり得ない、
どこかで互いを認め合い、共に認め合って生きることを考え、現にそのように努力してこそ生き得る、
音楽の最大の“価値”は、互いを理解し合う上で、欠かせない手段だということにある・・・
動物は、それぞれが独特の音楽世界を持っており、コレを唄い合って、聴き合って、命の世界を全うしている、人間も又しかり・・・
が、恐ろしいことに・・・
“命”の世界には、殺し合いがある、
ロシアとウクライナは、今、殺し合っている、
A者は・・あいつらは俺らを下位の者たちだと決め付けている、
B者は・・あいつらも、俺らも、同じやろ、と、思っとる、
余談ながら・・・
大昔、日露戦争の際、乃木希典が戦った旅順攻防戦では、ロシア側の主力はコサック兵達だった、コサック兵はウクライナから派兵された兵たちである、
危険な戦場にはウクライナのコサック兵が派兵されるの常だった、の、歴史の中でロシアは存在してきた、これあながち間違いではないような気がする、
人間のもろもろの歴史は、そのまま、音楽の世界に反映している!!!
わしゃ、自分の音楽世界を振り返って考えた、
要請された、伽耶院境内での正月三が日の尺八吹奏でナニを吹くか、これを懸命に考えた、
コレしかあるまいと想ったのが⇒古今の我が国の心の芯、大昔からの“子守唄”の世界だった、
上手に吹く稽古をしようとは想わない、
タダ淡々と吹きたい、唄は無しで、尺八1本だけで・・・
昔からの子守歌の歌詞は、地区の方便で唄われる、
方便は奇異な感じが先走りし、曲想に影響が及んでしまう、
で、ただ尺八1本だけで、子守歌の芯をなぞり吹きたい、
使う尺八は、寸違い(約1尺6寸6分)の手製の延べ尺八だ、この竹の由来を以下少しだけ話す、
この竹は、かつての師匠(虚無僧)から、下げ渡された師匠手作りの竹だ、師匠は加古川の土手から竹を採取し、コレを造った、
調律が難儀で、師匠はヒョットしたら・・と、わたしに「使えるようなら・・」と、この竹を下げ渡された、以来、わたしは少しづつ調理を試み、今に至った竹である、
来年、わしゃ83歳、
が、寒中の古寺院境内に立ち、今なら、小時間、立奏するに堪え得る、と、思っとる、
が、やはり、年相応に万全の対策の元でなければ不可能、
以下少し下品な話になるが、トイレの話をしよう・・・
寺院境内には、それなりにシッカリした野外トイレの設備がある、
が、トイレからだいぶ離れた位置で、ただひとりで立奏するからは、この既設トイレを、必要時に素早く使える保証はない、
で、すでにわたしは、コレへの対応を試行中だ、
老人用の失禁対応パンツの性能確認をしているってこと、
5回失禁対応の失禁パンツを購入し、すでに着用し、試行中だ、
尿意を感じたら、これ幸いと平気な顔で故意にコレへ放尿することにしている、5回の放尿に平然と対応デケタラ、大丈夫、場は保てる、
この他、アレコレ、事前の想定デケル場の対応に向け、準備を始めたら、ら、ヅルヅルと経費が重なり、既にひと月分生活費オーバーだ、
今、身に着けている下着など等は、全て、厳寒期の山中で使う類のものだ、寺院での野外吹奏の場は、何ら覆いの無い、凍る土の上に長時間動立ち続けるに堪えるに足る身ごなしが必要、コレがあって初めて、平然と尺八を吹き得るかもと思うから・・・
妻が亡くなって以来の正月三が日は、ひとり家に閉じこもり過ごしてきたのだった・・・
が、来年は、わしゃ、寺院境内で、大好きな尺八吹きながら過ごし得るかも、
神様、仏様、ありがとう!!!
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