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2023年1月 4日 (水)

大きな宝と春のそら

 “目的をもって日々を過ごす” 
コレってとても大切なコトだってこと、この事が身に沁みて判った気がする、
もし、若い頃からコレが理解できていたら、と、悔しい、
わしゃ、あまりにもダラダラと日々を過ごしすきた・・・

 新年を迎え、人は皆“今年は良き年になりますように”と念じる、   
この時、人は皆、欲の塊になって、あろうことか神に仏にその欲の心をぶっつける、神様・仏様の前へ初詣と称して出掛けて、賽銭箱へ小銭を投げ入れる、
馬鹿者が!!! 本気で願うなら万札を束にして投げ入れろ!!! 

 わたし波平が、伽耶院和尚から初詣の3日間、寺境内て尺八を吹奏するように、と、仰せ承ったのは11月下旬のことだった、 
以来、初詣で来山する人たちのことばかり考えてきた、
が、判然としないまま、年が明け・・・
年明けの三日間、境内で年賀祝いの尺八を吹いて過ごしたのだった、

 ダレでもご存じの曲を選んで吹奏したのだった、  
哀しい落ち込み気分の曲は避けた、純な奇麗な心を唄う曲を選ぶなど、それなりに”曲の趣”を徹底的に調べ上げ、総計20曲を選び出し、これ以外は吹かないことに決めていた、 
この曲選び、汚れまくった心のわたしには極めて難しかった、
あの曲・この曲、数百曲を先ず選び出し、徹底的に歌詞を読み返し、幾度も吹いてみて・・20曲に絞り込んだのであった、

 昨日は、三日間の中では気温が最も低く、正直言うて境内に棒立して尺八吹奏するには極めて難儀な日であった、  
素手で尺八を握り持ち、音穴を指先で開け閉めするに、指先が凍ててしまって・・・
指先もだが・・、尺八本体が、先ず、低温に負けて凍ててしまう、コレが最大の難儀、凍ててしまった尺八を吹奏するに、コレへ息を吹き込むと、息が瞬時に尺八の筒中で凍るのではなかろうか・・・、こんな経験は初めてのことだった・・・、音が出せなくなる・・・

 コリャ駄目だとアキラメ、場を閉じて撤収したわけだが・・・
法衣を纏った行者(当寺応援の仏者)から、想いもしなかったお言葉を頂戴し、わしゃ肝を潰した、
法衣の仏者は出会い頭に首を下げて申された、
「ご苦労さまでした、すばらしい音をお聞かせいただきました、ありがとうございました・・・」と、
わしゃ、邪魔するな!!!と、叱られるかもと思っていたのだ、
が、真逆だった、法衣姿の僧侶(行者??)様、数名から、労わりのお言葉を頂戴した、
わしゃタダ頭を下げ得ただけであった、どうお返事したらエエのか戸惑ったのである、
読経の邪魔にならぬよう、読経さなかには吹奏しなかったし、合間に吹くのだが・・充分気を付けて音量を下げて吹奏していたつもりである、
が、が、なんと・・・
法衣で読経の皆様方から、尺八吹奏のお礼を聴くなどとは・・・、わしゃ肝が潰れ、タダ首を下げ得ただけ・・・

 伽耶院は大木林立するなかにたたずむ山寺である、
ものすごい大木が林立するなかに息づく山寺、
ダレが、この大木の世話をするのだろう・・・と、わしゃ、ずっと以前から気になっていた・・・
この度、この山林管理の現地責任者(中心者)と、出会うことが出来た、なんと。なんと、親しくなった、
大きな宝を得た!!!
コレも神仏のお力によるところかと思う、感謝、感謝・・・


  笛吹けば  山のうたこえ  春のそら     波平
  なんぼなんでも、大仰な・・・
  アッハッハ、気分がエエのだ、まぁ~エエことにしまひょうや・・・


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