“アキラメ”とは、ナンゾや!!!
平成18年(2006年)6月24日だった、
わたし・波平が、日本列島を大外回りで時計回りに1周航海の途上、北海道を回遊しオホーツク海から太平洋へ出て、漁港での停泊を重ねながら航行し、襟裳岬の先端を回ったのは・・・
以下、この時の航海記録を少し読み直してみよう、
(えりも岬6月24日07時44分)
岬波と奮闘中、襟裳の春はまだ寒い、流れもヤバイ、結構波は高い、ここ襟裳岬先端で、南進して来た津軽暖流と南進中の親潮が真正面からぶつかる、襟裳の沖は四六時中波立っている、
(ぬけた!08;32)
襟裳岬先端無時通過、潮波区間を抜け出た、依然濃霧、視界30メートル、1013hp、水温10,7, 艇速7ノット、勇払マリーナ(苫小牧)へ向かう・・・
思い出す・・・
視界30mは、大海を走る際は、自艇の先端が見えているだけだ、360度、濃霧にっつまれナァ~ンも観えない世界、この中を、レーダーと、緯度経度を計る航海機器だけを頼りに波を切って走っている、
・すでに頭には、津軽海峡のことが浮かんでいて、津軽海峡を西進し、陸奥湾へ入ることを考えていたのだった・・・
・が、が、濃霧の中まったく視界が効かない状態が続いていて、頭の中も夢・夢のなかだった・・・
わずか28フートしかない小艇には、津軽海峡の海流は危険すぎた・・・津軽海峡への突入は断念せざるを得なかったのだった・・・
あぁ~、昨日わたしは自分の頭の認知症のことで大病院の専門医の診断を請うて受診し、更なる精密検査が必要との診断の中、瞬時呆然とせざるを得なかったのだった、
これ、まさに、津軽海峡への突入をするか否かのあの旅の気持ちでもある、まさに同じだった!!!
で、上述のこと、記録を取り出してみた次第・・・
あの時は、津軽海峡へ突入し⇒陸奥湾へ入るのは断念した、
が、あきらめきったのではなかった、
が、が、しかし・・・
“今”、あきらめることにしようと思う、
“アキラメ”とは、ナンゾや!!!
前向きな生き方なり!!!
”真”の生き方とは、アキラメから発するような気がするがどうなのだろう????
ヘリクツとは言うなかれ!!!
あぁ~
バカも休み休みにしなしゃんせ!!!
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