わたしが地歌の尺八を習ったのは、盲目のお方からではなく、ごく普通のバァサンからだった、
が、このお方は全曲を諳(ソラ)んじていらした、楽譜はまったくお使いではなく、その用意もなさっていなかった・・・
二人で稽古会場へ出掛けたことが再々あった、(わたしはバァサンと本番演奏会に出たことが一度も無い・・)
わたしがバァサンの三絃などをお持ちし、バァサン(以後師匠という)は手ぶら、この二人で招かれた稽古場まで出かけたことが再々あったのだった、
師匠は省線電車の横長の席に座ると、「さぁ~稽古を・・」とおしゃって、そらんじた譜を小声でツブヤキ始められる、で、わたしは師匠が座る前のつり革を握って立ち、尺八譜をツブヤキ師匠のツブヤキに合わせていた、・・・
なんと、未だにこの時の緊張感を不意に思い出すことがある・・・
尺八譜をツブヤクに、戸惑った記憶に全く無い、
が・・自分独りで暗譜で長い曲を奏譜し得たことも無い、無理だ、暗譜はワシャ苦手だ、
師匠のツブヤキには引っ張る力があったのだと思う・・・、
アァ~、当時は、“こんなことを本意でしていたら”気が狂う“と想った、
で、この”独り遊び(?)“・完全暗譜は等は禁じ、故意に逃げていた・・・、
わたしは単なる某自治体の事務職員でしか無かったからなぁ~~~
勤務を終えると急ぎ師匠宅へ駆けつけるのだが、途中で道筋にある安酒屋へ入り、少し腹ごしらえをする、
この際、コップに3分の2,安酒を舐め飲むのが常だった、
で、ある時、師匠宅を訪れたら・・・
師匠が「少し”キコシ召され”すぎましたね・・・」と、おしゃった、
さぁ~「竹を吹いてみてください・・・」と、師匠、
「そこに立てかけてあるお琴が(あなたの竹を聴いて)一緒に唄ったら、稽古を始めましょう・・」
と、おしゃった、
シマッタ!!!、酒、油断して呑み過ぎた、
と、反省したがもうどうにもならん・・・、
師は、「さぁ吹いてごらん、お琴はシッカリ調弦してあります・・・」と、おっしゃる・・・
師はそういう実にスゴイお方だった・・・
もうアレから既に60年ほども経っている・・・
わたしの昨今は地歌の世界から、ほど遠く離れてしまった・・・、
師の老化が進み、施設へ入られ、お亡くなりになって・・、
もう、地歌を吹く気がまったく消えてしまって、今に至っている・・・
最近は、五線譜の世界に浸り込んで、軽ァ~るい曲を片端から尺八で遊び吹きするだけの毎日だ、
途中で虚無僧世界にほんの少し首を突っ込んだ時期もあったが、最近は、もう独りヨガリに五線譜曲をナゾリ吹くだけ、
五線譜曲は⇒全て尺八譜へ書き直して吹きますがね・・・その数はすでに数千曲を越えている、もうメッチャクチャな数になってしまって・・・、その数は数え得ていない、
五線譜から書き起こした尺八譜を公開したいが、著作権侵害になるので公開不可能だ、
尺八用に少し編曲したりしてるので、我流になってしまっていることもある、こんなのは公開するに値しないってこともある、
加えて、ドサクサの中で、ケッタイナ自作譜の曲群がある、すでに5百曲ほどにもなっとりような気がする、数えていないのでワッカラン、
最近はホボ毎日、地元寺院・伽耶院の境内で、ひとりで約1時間半ほど、アレコレ五線譜曲を吹きまくって遊んでいる、
広い広い境内だ、の、山中の普段はホボ無人の、古い寺院の中で吹く独りよがりの吹奏だ、
(とは言え、もちろん寺院のお許しを得てのことですぜ・・・)
無人の境内の中で、と、は、言え、ほぼ常時、境内のドコカには参拝客がいらして、そのお方らが聴き込んでくださっていたりする、
神様は常駐で常にお聴きに下さっとるってことだし・・、
いやまったく、この緊張感がわたしにはたまらない・・・・
参拝団体客があって、みなさんらに取り囲まれた中で吹くこともある、
今日も、また午後3時頃から出掛けて、この遊びを楽しむつもりですがね、どんな吹奏になるかは今はワッカン・・・
このお寺・伽耶院は、わが家から軽四駆って数分の位置、
吹く曲群は童謡唱歌など、軽い曲が中心で、どなたでもご存じの曲ばかり、
コレから徐々に紅葉の季節になる、
と、紅葉見物の参拝客が急増する、
わたしは、ますます力を入れて境内で吹奏することになる、
あぁ~ナニかの式典が催される際は、わたしは遠慮しています、
思い出すなぁ~~、昨年のことだった・・・
お愛想のつもりで前に据え置いた賽銭受け箱に、ナント、いきなり万札を投じたお方があった、
ビックリして、思わず尺八吹くのを止めて・・
“万札はダメ、小銭してください!!!”と、わしゃ吹くのを止めて、声を掛けた、
このお方は万札を拾い上げてそのまま立ち去られた・・・
が、又、現れ、千円札を投ぜられた、わたしは、尺八吹きながら頭を下げてお受けしたのだった・・・
あぁ~、頂戴したお賽銭は、全てお寺へ納めますよ、
が、時には、ほんの少しだけ頂戴することもある・・・、
だって、この遊びは結構アレコレ経費が掛かるのです、微々たる年金暮らしズズイには贅沢すぎる遊びなのだよね、
頂戴した少しの賽銭で食う飯だ、シッカリ食って、また、出掛けて賽銭食うのも生きているからってこと・・・
神様も、生きていらっしゃるし、
わたし・波平も、未だ生きているってことだよな・・・
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