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2005年5月

2005年5月31日 (火)

夜釣りの日

昨夜5時45分、艇横に仕立て船が迎えに来た。以後、今朝6時過ぎまで鯛釣り。二人で60〜70センチが20数枚。超大物がいて、6号を切る。わたし、とりこめなかった。釣ったのは40前後ばかり。
野間池港で知人が増え、色々世話をかけている。わたしと同じようなクルージングヨットがあって、艇を並べているが、その方も巻き込んで、ここの子供たちの、ヨット・ボート体験クルージングをやることになりそう。
台風が発生したようだ。ここか、ハウステンボスでやり過ごすことになりそうだ。
夜釣りのことは、別に書き出したい。

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2005年5月30日 (月)

干満と共に

昨夜は午後6時から夜釣りに出るはずが、同4時、仕立てた戎丸船頭から「大雨・雷注意報がでているが…」と連絡があり、夜釣りは一日順延することになった。
昼間の釣りは四六時中やっている。が、全夜釣りはなかなか機会がない。漁師らが艇を覗きに来た際、「戎丸に夜釣りに連れて出てもらう」と、言うと、
「あの爺さんは上手だ」と言う。
鯛は、夜明け前の3〜4時に喰うそうだ。今日もまた時間の流れを味わいつつ夜を待つ。
この港の干満はおもしろい。干たら、潟があらわれて貝掘りなどする人を見かける。

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2005年5月29日 (日)

ぜいたく

私、64歳1 1か月。振り返ってみるに、今ほどゆっくりした時間を持ったことがない。時間の経過をゆっくり味わうってことは素晴らしい。
港に艇をもやっていると、潮の干満がごく自然に時間の経過を知らせてくれる。
太陽か動き、月が動き、潮が動く。我が腹は減り、飯を食い、昼寝をする。こんな贅沢があったのだなぁと思う。
澄んだ空気の中、夜の星座を楽しもうと星座早見表を用意してきた。が、あいにくの天気が続く。
わたしは、もう、充分すぎるほど、自然を満喫している。

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かあさん

お隣りの夫婦ヨットを見るともなしに見ていると、夫婦がいかに完成型社会であるかが解る。ヨットが桟橋に着いた時は、互いに歩み寄り挨拶を交わしたか、その後は会釈を交わすだけで私からの話し掛けは遠慮している。彼は奥さんを「かあさん」 と呼ぶ。度々その甘え声が聞こえる。いつも一緒、3メートルと離れない。
私は、気持のなかに、いつもかみさんが居るか、船旅はシングル。
シングルは、不完全のなかに自分を見る。
ダブルは、完全のなか、互いに相棒をみる。

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2005年5月28日 (土)

昼寝

出港以来の航程を見直すと、時化と凪が半々なら17ノット・50㍑。時化区間割合が増すに従い13ノット・60㍑になることがわかってきた。キャビン底部に最低200㍑予備タンクが必要だ。
安房では免税軽油の入手は難しいと聞いた。一湊や野間池は可能だが高い。野間池は75円。一湊は85円。
午後1時、31ftヨット・OSKABAYが桟橋着岸。同年代・夫婦船。
昼、2時から5時まで昼寝。
リンゴ・ミカン二つ。夕食のつもり。

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すんくじら

“すんくじら”は薩摩ことばで“すみっこ”の意。
薩摩半島野間岬を東側へ回り込んだ根っこに、野間池港。三セク施設KASASAEBISU。食事したり呑んだりの“すんくじら庵”よい店だ。昨夜はここで漁師らと呑んだ。定置網漁師・海老地曳網漁師たち。痛快な面々。酒が薩摩弁に輪をかける。
今朝は、7時半に起こされた。キャビンから出ると、昨夜の漁師の一人が海老をドカッと持って遊びに来ていた。

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2005年5月27日 (金)

タラチネに添い寝

片浦港のすぐ西隣りは野間池港。ここにヨット・ボートの施設KASASAEBISUがある。今日・明日は、ここで休もうと思う。一日千円で安全な係留と、風呂・トイレなど等が自由に使える。
むかし、タサチネ号が世界一周した。そのオーナー迫正人氏が片浦に立ち寄られ、偶然に氏と面識を得た。氏から野間池の施設を教わった。明けて今朝、早速野間池へ向かった。港口から施設へ携帯電話。
「私、プレジャーボートの、はまちどりです。タラチネと一晩過ごし疲れを癒したいが、お許し願えませんか?」
彼女は、今、我が艇に寄り添い浮かんでいる。

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枕崎へ向かう

昨日、午前中はレンタカーを借りて屋久島観光。午後、一湊港を出ていったん宮之浦へ向かい港内の様子を確かめ、後、薩摩半島枕崎を目指した。一湊は天然の良港だが港内が狭く泊地としては適地が少くない。宮之浦は、ゆったりしている。フェリー桟橋の反対片側が最適だと見た。
宮之浦を1時45分出港。針路を硫黄島と竹島の中間にとる。
疲れがあった。早く休みたい。一気に串木野フィッシャリーナに入りニ三日休養をとりたかった。

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2005年5月26日 (木)

何に負けたか

マグロは20〜30キロのキハダマグロが狙いだった。まず生き餌用に40センチ近いムロアジを釣り、マグロポイントのラクダ岩前へ走る。70号ほどのハリスをミヒロ、重り100〜150号。ムロアジは鼻掛け、できるだけ素早く漁体を傷めないように付ける。130〜150メートルの深さにおろす。
たったこれだけだが、どっこい、全て漁探とのにらみ合いがなせるわざ。最低でも水深300まて゛探れる高性能漁探が必要だった。残念、はまちどり艇のは播磨灘に特化した水深60までの物。私、知らなかった。これで映ると思っておった。クヤシイ!

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2005年5月25日 (水)

一湊港の夕べ

実は、出立以来、昨晩まで赤茶色の尿だった。環境に身体が順応せず、血尿になっていたように思う。
早く就寝するのだが、揺れる艇内での睡眠はやはり浅いようだ。加えて、食事が無茶苦茶である。ときに、岩登りのような真似をしたり、サーカスもどきのかっこうをしたりする。身体の使い過ぎ。65歳、やる気はないことないが、身体にその気はないらしい。漁師らの話が聞き取りにくい。私、耳がだいぶ遠くの方へ行ったみたい。
昼間の身体を斜にする風がピタッと止み、潮が満ちてきた。

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想定内

トカラ海峡の荒波は潮波である。これ天気予報とは関係ない。黒潮が複雑な海底と散らばる島々に突き当たり、ねじれ怒る怒涛の荒波。
これに、潮汐が加わる。今日は旧暦18日。わたし今屋久島一湊湊にいるが、干満差3メートル。引き潮は西から東。黒潮と同じ。合算して感じでは5ノットほどか。
今日は北東の風。トカラ海峡波高し。
死ぬかと思ったかって?
うんにゃ、想定内ですわ。

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腹が減った

マグロ釣りの生餌・ムロアジがやっと釣れた。四五匹釣ってマグロポイントへ向かうつもりが、気がつくとイケスでムロアジが昇天していた。ムロアジは釣っても、手で掴んだりするとダメらしい。1匹釣ったら、そっとイケスに放ち、全速力でラクダ岩前のポイントへ走らねばならん。で、そのつもりで頑張ったがダメだった。 燃料残が気掛かりだ。屋久島まで走れるほどは残さねばならん。
艇に、食い物が無くなった。酒の肴になりそうなのはしっかりある。主食が無い。あぁ、もちろん焼酎はある。

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2005年5月24日 (火)

平たいか?

昨日は、終日もやいを解かなかった。早朝2メートル半、昼2メートル、夕方1メートル半。温泉2回。海遊倶楽部で夕食、今朝用に握り飯を作ってもらって艇内泊。21時前にマキマル帰港。トビウオのサシ網漁。大漁。
思うに出立以来15日間、新聞もテレビも見ない。なんの不足・不便も感じない。ゆりたろうが送信してくれる天気予報メールがあれば充分である。
情報、それは疑心暗鬼の産物。そんな気がする。
それ、平たい心には不要なものか。

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2005年5月23日 (月)

休憩中

トカラ中之島は、島の中が高原になっていて、広々した盆地である、広大な牧地にトカラ馬が放牧されている。天文台がある。空気が澄んでいて星の観察に適している。
海遊倶楽部のペンションはここにあって、わたし、サンドイッチを肴にビールのんでいる。快適だ。お勧めして間違いなさそうだ。
09912-2-2119

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2005年5月22日 (日)

海の男たち

時化てきて港内が漁船でいっぱいになり、追い立てられて、港内入った途端の箇所へ艇を移動させられた。
マキマルに漁師らが集まり歓談していた。明日からの波の予想が知りたくて声をかけた。なんと、サシミの馳走、操船ノウハウ、釣り技術伝授、あげくはマキマル横に艇を受け入れてくれた。
「ムロアジは優しくしないとダメ。釣っても触らないでイケスに移す。仕掛の準備が調ったら、素早くハリを付け、放つ。これが完全にできたら。マクロは一発で来る」
彼等漁師の手はゴツゴツした怖い手。優しくやさしく。海の男だなぁと思う。

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メシに開眼す

旅へ出て初めてわかったが、三食をきちんと摂るのは極めてむつかしい。もう2週間、一度も摂れてない。メシを食う、これ、腹が空き動けなくなりそうだから食うのである。わたし、長年サラリーマンやってた。ジーと座っていて、腹も空かないのにメシ食っておった。

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ムロアジが難しい

トカラ中之島の釣りはムロアジ釣りからはじまる。なんだそれくらい、ワッシャ、アジ釣りは名人だ、と、たかをくくったが、なんと難しい釣りだこと。餌のムロアジが釣れなかった。今朝漁師に聞きまくった。ハゲ皮のハリス3号。水深40〜150を漁探でさぐり、水面下25以下の魚影を釣る。食いが悪ければオキアミを付ける。マグロを釣るのは難しくない。ムロアジ釣りが1番難しい。
場所はラクダ岩の前。水深100前後。
わたし、明日、マグロ釣る。絶対、釣ったる!

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2005年5月20日 (金)

屋久、そしてトカラへ

20日5時40分山川港を出港。6時15分、鹿児島湾を出切った。佐多岬が左舷後方にもやって見える。
凪いでいる。が、ウネリがあって走り辛い。17ノットが精一杯。
途中兄弟船の契りを交わしたヨット・トトロは、昨日屋久島へ11時間かけて強行渡海した。わたしは、この間、錦江湾の釣りを楽しみ、トトロは今日屋久の山を楽しむ。しばらくは出会わない。だが、またどこかで再会するであろう。
竹島が近づいた。面舵少々。竹島東岸は海図に荒波記号があるところ。5マイル離れてやり過ごす。

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2005年5月19日 (木)

山川の4時

山川港は今漁船であふれかえっている。港口で太刀魚が荒食いしているからだ。スーパーでキビナゴのパックを買い、今朝私もやってみた。巨大なのが二つ。二つしか釣れなかったのじゃない、二つ釣って止めたのだ。物足りないことだ。
錦江湾の入口開聞岳寄りに神瀬。2マイルほど湾に入った大隅半島寄りに大曾根。この二つはノッコミ鯛のポイント。桜が散ると終わりだそうな。今でも釣れなくはない。が、小さいとのこと。フカセ釣りらしい。とにもかくにも、艇を大曾根の真上に据えてみた。気は済んだが、ボーズ

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2005年5月18日 (水)

ハイ、さいなら・2

東京からの釣り客たちだった。いろいろ話す間、彼等の目付きが仲間を見るような目付きに変わってきた。
わたしはかっこよくありたかった。彼等の目付きがわたしのズッコケを許さなかった。
「あっそう、じゃあな」と、わけのわからぬことを言って、サイナラした。
クーラーボックスのなかなんぞ、ほんなもん、見飽きとる。と、いった感じを装いながら。
実は、いまだに、あのクーラーの中が気になってしかたがない。 明日、錦江湾の鯛1枚釣るまで、この思い消えないと思う。

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ハイ、さいなら

山川港で艇をもやったのは、フェリー廃止後の浮き桟橋。陸からは鍵の掛かった策を越えねば入れない。わたしこんなのは平気で越える。
200メートルほど離れた所に漁協の荷揚げ場。その一角にトカラ口之島の某釣り船専用事務所がある。その前に某遊漁船が着く。この暴風雨のなか、遊漁船は入った。屈強な男たちがデッカイクーラーボックス担いで降りて来た。
「なに釣った?」と、わたし。 「マグロ」と、あんちゃん。
「デッカイホッパーやな」と、わたし。
「70メートルは投げる」と、あんちゃん。
(以下次号)

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不審船闊歩

山川海上保安署を訪れトカラ・奄美・沖縄への渡航アドバイスを求めた。任意臨検を、そう、飛んで火に入る夏の虫。が、保安官らの質問に応じ切った後はわたしのペース。質問の雨を降らせた。署内某室に居た4名がやっきになって調べてくれた。
黒潮本流の現在位置、20日のトカラ海峡の潮汐、屋久島の東を下るべきか西を下るべきか、そして、山川港南西の錦江湾内随一の鯛釣り場「大曾根」の緯度経度。保安官らはこういう質問には弱いみたい。あきれた顔をしておった。
第10管区海上保安本部揚げての支援体制。不審船以来の戦時体制完了す。

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2005年5月17日 (火)

こりゃたまらん

旅へ出てからのhp更改は全て携帯電話のメール機能を利してのものである。文章推敲か出来ていない。天気予報はノートパソコン検索で得るつもりが機能せず、これもダメ。だか、ゆりたろや仲間らが万全のサポートをしてくれる。一人旅とはおがましい。仲間らにおんぶ・だっこの旅である。
朝4時漁船の引き波で艇が揺れはじめた。山川港は広い。港内徐行運転の感覚が無いようだ。漁に出るゾの意気込みわからなくもないが、こりゃたまらん、大揺れである。

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2005年5月16日 (月)

ドボン

今朝給油。計算上で280㍑消費のつもりが実際は260㍑。ほほ゛正確に艇の状況を掴み得ている。
氷を補給1160円100㎏。これでもか、参ったかと言う程積み込んだ。
はまちどりは、ヨットマン2名乗せて昼前出船。錦江湾内はベタ凪。湾口さざ波。1マイル沖チラホラ白波。2マイル沖2メートルから3メートル。ソーダカツオ1本だけですぐ引き返した。
トイどんが酔っ払って、桟橋からヨットへ乗り移りそこねた。ドボン。携帯電話は大丈夫かいな。
わたしは、上手に艇へ戻った。

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無謀か?

昨日は、九州宮崎から鹿児島湾口山川港まで103マイルを9時間あまりかけて走った。燃料280㍑。天気予報は波1メートル。実際は、終始大きなウネリかあり、ときに白波が立ち走り辛かった。佐多岬の5マイルは3メートルの波。対地速度2ノット。
山川港のヨットマン村さんは、この時期の奄美直行は無謀だと言う。行くなら、開聞岳前を西南西に黒島へ、東シナ海に深く入って西側から奄美へ渡るがよろしかろう、と、言う。わたし、そんな計算しておらん。直行140マイルの、凪の航行のつもり。燃料が積み切れない。弱った。

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2005年5月15日 (日)

鹿児島錦江湾へ

宮崎から日南海岸沿いに南下。佐多岬まで15マイル辺りから波の様相が変わった。2メートル、3メートル、そして更に高くなる。艇速度5ノット。カツオ仕掛をだした。掛かる、が、取り込めない。大揺れの艇。燃料がうまくエンジンに届くだろうか。残料250リットルはあるはず。だが、艇の揺れがハンパじゃない。エアーを噛んだらそれでおしまい。予備に積んだ20リットル携行缶2つを抱えあげ給油口へ注ぎ込をだ。これって大変なさぎょう。
釣果、ヨコワ1、ヒラマサ2。一人旅、これ以上は要らない。具を納めた。

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2005年5月14日 (土)

酔っ払った時

波平には、酔っ払った時、世間かブラスに見えるのか、マイナスに見えるのか。
概ねブラスでしょうね。なにせ愉快になる。宮崎に着いて、サンマリーナ宮崎という県営マリーナに係留したのだけど、お役所の匂いがします。指定管理者制度に移行すべきだ。これ専門用語。わたしお役所ob。
マリーナで久しぶりにシャワーを浴びした。200円。コインランドリー、洗うのが200円、乾かすのが300円。どちらも生まれて初めての経験。
折り畳み自転車をのばして市街へ。最初に見つけたメシ屋へ。「焼酎おくれ」と言った。わたし、酔っ払ったみたい。

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土佐清水の朝

人生山あり谷あり、ドッコイ海がある。
凪・時化、山から見る海、海から見る山。
船、それは浮かぶ箱。だが、生きている。やんちゃ娘、道楽息子。今は、エンジン快調、梶も治った。が、ビルジがハンパじゃない。スタンチュウブを締めたいが、はまちどりはそう 簡単にはいかぬ構造だ。今日、宮崎のマリーナで手当てしようと思う。
魚釣りしながら気楽旅、転じて、艇の修理旅。船長は昨日の波で腰が伸びなくなっている。

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2005年5月13日 (金)

波2メートルは承知の出航だった。波が襲い来る方向から思案して、いきなり宮崎を目指すのは止め、九州蒲江港へ針路をとった。40マイル。
7マイル走って引き返した。波が3メートルを越えつつあった。艇が棒立ちしそうになる。梶が効きにくかった。少し空回りする。咄嗟の操船に間に合わない。土佐清水へ引き返した。本物の土佐清水。造船所前の桟橋に艇をもやった。今は、技術者の手が開くのを待っているところ。

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低気圧

足摺岬の奇怪波を乗り切り豊後水道へ入ると瞬時凪いだ。思わぬ料燃料を消費し、土佐清水で補給しようかと思案中、トトロとっつぁんから、油津沖に低気圧発生の第1報。次いでbどんから詳細報。久礼でへたっていた際、このあたりの波の特性を聴いている。日向灘に低気圧ができるとヤバイと言っていた。まさに今がその状態。今日は土佐清水止まりにしようと入った港が越漁港。アホちゃうか、とは現地を知らぬ者が言う言葉。海から見ると越漁港の方がよほど立派。90リットル補給。直ちに再出航。

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越漁港

「133°02′
31°07あたりに半径60キロくらい極弱い低気圧が東に向かって移動中」との情報入る。足摺岬先端沖。針路を土佐清水港へとる。
岬を西へすぎると途端に凪いだ。岬にまとわり付く異形波であったようだ。
このまま土佐清水へ。燃料補給後、宮崎を目指そう。土佐清水港口は岩礁が泡を飛ばしていた。海図を広げる。スローで港の奥へ入った。何となく奇妙なネジレがある。波止に艇をもやい、具の片付け作業中のジイサンに「ここどこ?」
「越や」
海図と照らすとなるほど越である。90リットル補給。

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あくび

足摺岬沖の波、トカラのあくび波と診たり。されどキャビン扉を閉ず。12ノット。

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奇怪な波

6:55足摺岬南々東15マイルを航行中。
一転して奇怪な波の中。艇速度20→15ノット15マイル沖を185度。まだ漁具が仕掛けてある。
ヨシ○の容態やいかに?メール送り続けること遠慮するべきや否や?氏は病院中にあってなお我が艇を補佐す。連絡メール途絶え気味按ず。
このまま土佐清水へは寄らず、宮崎を目指したいが是か非か?波、奇怪さを増しつつあり。

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2005年5月12日 (木)

かきま久礼

修理を待つ間4日目が過ぎつつある。折り畳み自転車大活躍。久礼の街を走り回った。
久礼八幡宮の鳥居横に石碑。
「かきま久礼いらみて帰る浜千鳥真砂の数や涙なるらん」
我が艇の名は「はまちどり」、艇長波平はもうすっかり久礼の人。メシ屋のねえちゃんとも顔馴染みになった。修理なって久礼を発つとき歌のような気分になるのかしらん。
「涙にかきくれて、分かれを惜しんで帰る浜千鳥の浜の砂のように多いのは皆わたしの涙なのかなぁ」
艇をもやっている波止は山かげ、ウグイスの声、トンビの声。いや、あれは磯ヒヨドリの声である。

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2005年5月11日 (水)

コサバの干物

修理用パーツは手違いで3気筒分だけ届いた。はまちどり艇は6気筒。明日残り半分届く。「明日は夕方からは出られるぞ」と修理のおっさん。
艇は、田所造船所前の波止場に係留している。工場主は80近いと思えるジイサン。1人でやっている。ガラーンとした作業場。3気筒の古いエンジンが1機ボツンと置いてある。半分組立中。ジイサンは、はまちどり艇を見下ろす位置に座り話し込む。木造船建造の思い出話が興味深かった。
コサバを20ほど釣った。開いて干した。うまそうだ。今夜、焼いて食うつもり。

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2005年5月10日 (火)

エンジントラブル

ガスケットの一部が破断。補修部品が揃わず明日以降になりそう。たまたま今日は沖は時化ていたようだ。不景気な顔で帰港した漁師らがそういっている。昨日、沖でソーダがよく釣れた話を、艇見物に来た漁師らにしたが、その話の詳細を確かめに来たらしい漁師がいた。「鳥の一羽もおらん」とぼやいていた。
修理待ちの間、街を見学。久礼川がうれしい。清流だ。水量が豊かだ。
明日も、修理待ち時間がどっさりある。フローター浮かべて遊ぼうかしら。
マンボー突きの道具でもこしらえようかしら。

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トラブル

久礼港を遅くはなったが出てみようと始業点検ん中、エンジンが異常に汚れているのに気付いた。たまたま艇見物に来ていたお方のなかに技術のお方かあり、土地の鉄工所へ連絡、ガスケットが悪い。至急部品の手配。
わたしは、この間、折り畳み自転車をのばし久礼見学。焼酎・昼メシ・トコロテン。

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あぁ〜よう寝た

準備疲れをここへきて思い出し、プラス酒だもんで、つい先ほど起きました。静かな朝、カラスやトンビの鳴き声が聞こえる。漁師らはもう誰ぁれも残っておらん。即席天ぷら蕎麦にしようかなぁ〜。

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2005年5月 9日 (月)

牟岐(むぎ)

牟岐大島には浮き桟橋は無かった。インターネットではあったのに。島を一周。磯釣りの竿々。島の南側にまわると水温があがった。カツオけんけん仕掛を曳きながら出羽島へ向かう。港があるがとても小さい。向かいの牟岐港へ入る。漁師が艇見物にやってきて一緒に呑む。彼の釣り小屋へ招かれ具をいろいろいただいた。

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2005年5月 8日 (日)

海の上

5月8日(日曜日)、念願の「日本列島魚釣り周航記」の旅へ出発します。

晴天。

昨夜、仲間らが壮行会を開いてくれた。

今朝出発のことがあるから、ずいぶん自制して呑んだつもりだったが、

“…つもりだった”とは、気持ちだけのこと、だいぶ呑んだみたい。

でも、スカッと気持ちよい朝だ。

今日は、

播磨マリーナを、07:00、出港

→途中、播磨灘「鹿ノ瀬」5番ブイで、サバを狙っているb艇らを望見し、

→鳴門海峡→伊島→日和佐→牟岐大島(泊)の、つもり。

“…の、つもり”

これからは、臨機応変。

“…の、つもり”を、綴りあわせて、海の上。

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2005年5月 6日 (金)

居眠り

準備疲れが出たようだ。やれやれ、と、思ったとたんに鼻水が出て、身体がかったるくなった。そうこうする間になんだか熱っぽいじゃないか。ひょっとしたら風邪かなぁ~。

5月8日に出発しようと思う。風邪を引っ下げて。

でも、風邪薬って飲むと眠たくなって困ります。今日もマリーナへ出かけたけれど、車を運転していて眠くてたまらず、車を道脇へ止め、少し仮眠。海だったらどうしますか。どうにもこうにもならなくなったら、艇速度を2~3ノットに落とし、自動操船に切り替え、アッチの方へ艇を走らせながら居眠りするしかない。エンジンを止めてしまとかえって危険。障害物の無い大海原へ向けて居眠りするしかない。そんなことして大丈夫か?大丈夫なわけないですよ。でも、どうしても、目があけておれなくなったら、そのまま20数ノットで走るわけにはいかんでしょう。せめて正気が保てる間に、艇速度を限界まで落とすってことですよ。キャビン・トップに黒球を掲げておこうと思います。巡視船にとッ捕まったらおおごとだなぁ。

もう随分昔の話になるが、播磨灘9番ブイに艇をくくりつけて昼寝をしていたことがある。「モシモシ、船長さん!船長さん!」と、身体を揺すられて目が覚めてみると、大きな巡視船が側に止まっていて、わたしの艇に保安官が二人乗り込んでいた。「公共の営造物を勝手に使ってはいかんじゃないか!」ってことで、逮捕(?)され、本船へ連行され、書類を検察庁へ送られ、わたし、某日神戸地方検察庁へ出頭した。

あそこは恐い所です。出頭した旨を伝え、部屋外の廊下で待っていると、部屋の中から、「何の誰べぇ(わたしの名)、入りなさい!」と、威張った声がした。「へぇ、畏れ入りやす」と返事して…、いや、そんなふざけた返事したりしませんわ。「ハイ!入ります!」と、囚人気分で返事し、部屋へ入った。「公共の営造物を無断使用してよいと思っているのか?」と、詰問ですわ。「小さな艇です。カモメがとまったのとさして変わらんと思いました」と、わたし。「では、これからも、同じことをするのか?」「いや、もうしません」「今日以後2週間以内に、再度出頭命令がなかったら、それで終わったと思ってよろしい」と、なって、再度の呼び出しがないまま、今日にいたっておりますがね。

あぁ~、昼寝って、恐いですよ。わたし、海では、風邪薬は呑みません。デッタイに!

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2005年5月 5日 (木)

カツオ変身

2005-0503-1615 南紀カツオ釣行は、2泊3日の予定を、1日繰り上げて帰港。

初日からノドがイガイガイしていたが風邪を引いていたようだ。調子が悪かった。

同行の二郎ちゃんは、この一年ばかり机にかじりついて専門書の翻訳出版に取り組み先月末にやっと仕上げたばかり。日陰のモヤシみたいな白っぽい顔。急に海へ出て、疲れがきつかったみたい。彼は、わたしより4歳年長だ。

一人、ゆりたろうが頑張ったが、ジジイ二人背負っていてはどうにもならん。いまいちエンジンを全開し辛かった。

3日朝、播磨灘・高砂を7時過ぎに出航。予定より小1時間遅れての出航だった。

高砂→明石海峡→友が島水道→紀伊水道→日の御崎→御坊→印南、のコース。

友艇が5艇、二日前から南紀周参見へ釣行していて、彼らへ向け「はまちどり」艇出港のメッセージを無線送信した。

が、ぜんぜん返事が無い。

と、しばらく後、ヨシ○から携帯電話で、

「波平さんの無線はよく入ってます。どうもこちらからの返信が届いていないようですね」とのこと。

わたし、はじめから彼らへ向け、携帯電話すればよいようなものだけど、

携帯電話は、その都度お金がかかるし、

沖へ出れば、圏外になって、使えないことが多いし、

仲間等全員が、同時に、情報を交換しあうには、だんぜん無線の方が優れている。

で、沖では、仲間等は、同じ周波数にチャンネルを合わせ、ワイワイやる。

播磨灘・高砂→明石海峡→友が島水道 … この間約30マイル(約57km)

友が島水道→紀伊水道        …  〃 約30 〃

日の御崎→御坊→印南        …  〃 約7 マイル

明石海峡を西から東へ走り抜け、淡路島東岸仮屋沖でサワラのトローリングを暫時試みた。

約1時間やってボーズ。すでに朝の地合いは過ぎていた。

サワラ漁の具を片付け、約60マイル先の、南紀・印南港を目指す。ベタ凪ぎ。22ノット。

日の御崎を東へ回り出たところで再度無線発信。

「カツオ諸君はどの辺りに居られますか?」

ヨシ○(某艇に同乗)から返信があって

「今日はどこにもカツオさんは居ません。漁師らもあきらめて港へ戻ってもた」とのこと。

気がそがれ、やる気が萎え、印南港の沖にアンカーを入れ、釣り糸を垂らした。

ゴチャゴチャ釣れたなかに冒頭の箱フグが居た。

銭型文様の鎧を着込んだコチンコチンの石ころみたいな魚。

「でも、この魚は、見かけは悪いが美味しいのだよ」と、同行の二郎ちゃん。

長崎あたりではミソ焼きで食うらしい。われわれには手にあまって即リリース。

「カツオ」→変じて「石ころ」、否、「箱フブ」。

そやつを海へドボン!

あぁ~、4日は、早朝から、カツオをしゃにむに追いかけました。周参見沖18マイル。カツオ1本・シイラ3本・ソーダカツオ3本。たったのこれだけ。体調も悪くこれだけで切り上げました。かみさんが、「バッカみたい」と言ってまたまた呆れ顔。

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2005年5月 4日 (水)

南紀カツオ

5月4日、昨日3日から南紀へ釣行中。御坊と田辺の中間印南漁港に停泊・艇内泊。漁港の朝は早い。漁船は既に数隻出港した。艇をもやっている堤防は夜釣りのポイントらしい。ゴールデンウイークをここで過ごす数家族。星空がきれいだ。我々は、夜が明けたらカツオの潮を求め、黒潮に突っ込むつもり。

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2005年5月 2日 (月)

でもねぇ~

 

姉妹サイトRANDOMに、人間の命は、本来25年だけだって話が載っている。

25歳から後は、馬車馬のように働き、猿のようになって、人間から離れて行くってことらしい。

恍惚になって、幸せぇ~な心地で、天国へ。

わたし、最近ますます物忘れがひどくなって、自分で自分が怖くなっている。

新聞読んで概ね最近の事故や事件などは知っている。そのほか諸々のことも、ウスラボンヤリではあるが知っている。が、それを知り、読んだのはいつだったかと問われれば、これがさっぱりわからん。時間観念が失われつつあることを意識せざるを得ない。

「列島周航」に必要な資料を漁っているわけだが、延々とやっているので、回りまわってすでに漁り終えた資料にまたぞろ取り付いて、だいぶ調べた後、アレレこのことはもう調べたのではなかったかな、と、思い当たる。

そうだった、そうだった、と、ズルズルおもいだして、あぁ~ファイルにも綴じ込んだはずだが、と、なぁ~んだ、きちんとファイルに入っているではなかったか。

でも、問題は、とっさの時に、これが思い出せなければなぁ~んの役に立つものか。で、二度目、あるいは三度目になってはいるが、そのまま資料に見入る。

「日本列島一周」は、定年退職者の専売特許であるらしい。

定年直前にハッと我に返り、そうだった昔からオレは海が好きだったと思い出し、以後、中古ヨットを買い、家族を説き伏せ、出航する。

調べると、すでに数十人がこういうことをやっている。皆さん一様に航海記を書かれている。多くのお方がホームページを開き、ごくごく真面目に、真摯に、自分の思いを綴られている。

わたしも、これから、その一員になろうとしている。

が、なれるだろうか?

彼らと、わたしでは、どこかが違うような気がする。

気力か?否・わたし、やる気だけは満々のつもり。

知力か?あるいはそこが足らないかもわからん。

体力か?わたしよりだいぶ年長のお方がシングルハンドで列島一周を達成し得ている。わたしだって体力的にはまだまだ使えるのではないか?

いろいろお教えを請うている某ベテラン達成者が、

「もう、ここまで来ましたら、いろいろ不安はおありでしょうが、一度落ち着きましょう」と言ってくれた。

ハッ!とした。

海の男は、機を見るのが鋭い!

氏とは、ときおりメール交換するだけで、一方的にわたしが惚れた片想いのお方だけれど、

ウ~ン、参った!よォ~く、見えておいでだなぁ~。

でもねぇ~、

落ち着くってぇのは、どういうこと?

それ、

なぁ~んもしないで、いったん囚われた思いから逃げ出すこと?

覚えようとしないで、忘れに、自分の頭の悪さに、慣れ親しむこと?

わたし、落ち着こうと思います。

本来のわたしは、“まぁどうにかなるやろ”というオッサンだった。

明日から南紀へ、ゆりたろうと、二郎ちゃんと、カツオ釣りに出てみます。

印南~周参見

のズーと沖合いを、海と空の真ん中を、なぁ~んも考えずに走ります。

…こんなんでエエのやろか?

…列島周航止めて、家で“メダカ釣り”の方が、エカッタってことにならんやろか?

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2005年5月 1日 (日)

姉妹サイト  

右欄サイドバー最上部写真下の“プロフィール”下に“姉妹サイト”があるでしょう。

なかに“Kobe@Random”

わたしの、親友のサイトです。

彼を、親友と言うには、いささかおこがましい感じがあって、彼はわたしの先生格。

文化人です。こんなオッサンは他には居ない。「本」と「人生」と「仕事」の達人です。

ずっと若い頃から、彼の小脇には本が必ず1冊挟まっておる。本なしに手ぶらで歩いたことがない男。本の虫とは彼のこと。一日1cm巾分は開けても暮れても読んでいる。

溜まったようですねぇ~、本が溢れかえって家がつぶれそうになったみたい。で、たまりに溜まった本を処分にかかりました。楽天に古本店を開いた。わたし、「本を売るのは止めとけ」って、言ったのだけれど、どんどん売っています。お小遣いになるらしい。なにせ、なんでもかでも、全巻揃っているてぇのだから売れますよ。

彼はネ、デザイナーです。レイアウトの達人。わたしと同じ隠居だけれど、未だ、この方面のやる気は現役。本の編集が大得意。わたしの自費出版も彼が編集し、レイアウトした。

“Kobe@Random”は、彼が主幹した雑誌の名です。わたし、ここの常連執筆者。この雑誌は、RA氏と、ND氏(わたし)と、OM氏(彼)との三人が協力しあって始めたってうたい文句だけれど、その実は、彼の力でやってました。雑誌のスタンスは“高齢予備軍の遊び探しマガジン”おもしろかったなぁ~、今は、暫時休刊中。

休刊中を利用して、彼は、“高齢予備軍の紙ヒコーキ往来”というブログを始めた。

1日1冊のペースで「本」を読んで、その「本」に向かう前の心構え、すなわち“読前”と、読み終えたあとの心の揺らぎ、すなわち“読後”を、毎日、ブログに打ち込みます。最近ではすこし形を変えて「気になるフレーズ」となっている。

このブログに毎日ついて行けるお方がそうたくさんあるとは思えないけど、だけど、世の中は広いネェ~、その道の通らには、これってたまらない魅力があるみたい。

延々と続けているこの“行”だけれど、常人には“行”でも、彼にはこれが普通の生活なんだよね。あきれたもんだ。

アッ、そうだ!

わたしが、こうして、なんやかや毎日エッセイを書き付けるのを、彼が「波平氏の“行”」って言ったことがある。冗談じゃない、わたし、これがストレス解消になっておる。それに、わたしのエッセイは、彼に比すべくも無い粗雑なものだ。

艇の写真は、彼が、デザインしたものです。どうです、かっこいいでしょう。

アップし過ぎると、ヨゴレが見えてしまうから、このくらいが最上です。

ついでに、

“姉妹サイト”の下にぶらさがっている、“波平釣り日誌”と“メダカ釣り”は、わたしのサイトです。

前者には、わたしの過去のエッセイが、もみくちゃになって詰まっておる。

後者は、向後、「列島周航」の後に、ゆっくり取り組むつもりの課題です。

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