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2005年6月

2005年6月30日 (木)

こけの〜♪2

今、潮が止まっております。でも、アミエビをカゴに詰めて下ろすと盛んに当たりがある。竿を煽るがスカばかり。
なんでやろ?
よぉ〜く観察して原因がわかった。メジナが寄ってたかって、アミカゴを上からコツイておる。コツクつど詰めたアミエビがふわふわ篭から出ておる。対馬の魚は偉い!
まぁそういう釣りをしているってこだわさ。

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こけの〜♪

日和待ちして今日で1週間。艇尾から相変わらず釣り糸を垂れていて、ふと気がついたのだが、こりゃなんじゃ?コケですわ!
艇に海草が生えとるやないか!感動(?)ですなぁ。
で、真下を覗き込んだ視線が、垂らしたサビキに行きましてね。水深が8メートルあるのだけど、ごちゃごちゃ魚が泳いでいるのが見えるわけですよ。大きな30センチ程のがいろいろ居る。ありゃメジナです。イシダイ間際のサンバソウ。マアジ、40センチを越えるのはカンパチだね。釣れましてね。なんとアイゴ。おっそろしやぁ〜。

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2005年6月29日 (水)

触角論4

対馬は倭人伝にその名が顕れる以前から、そして今も、常に本土防衛上の通信基地である。邪馬台国も、大和朝廷も、鎌倉幕府も、秀吉も徳川も、近代日本になってからも、その役目・位置は変わらない。捨て石か?否、触角である。
先の大戦当時、大陸と日本を結ぶ対馬海峡はまさに日本の生命線であった。砲台が築かれ海峡をそれなりに守ったが、対馬を守ろうとしたわけじゃない。今も、自衛隊の通信基地がある。まる裸の島に通信基地だけがある。対馬が侵されてはじめて国は動くのだ。住民はそれを承知しているかに思われる。あぁ!

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触覚論3

比田勝総合会館図書室の蔵書を漁っている。
東洋文庫「海遊録」(朝鮮通信使の日本紀行・1719年)から一部抜粋。
「…行くこと30里にして鰐浦を過ぎる。巨石が洋中に列をなして立ち、或は起き、或は伏し、さながら鯨の牙、虎の歯のようである。風波と闘い、怒波と博ちあい、噴き出すものあたかも雪山の如く、そのなかに舟が入ってたちまち勢を失して破砕し、転覆することしきりである云々」
鰐浦湾沖の三ツ島・南風・波瀬など等の洗岩暗礁を語ったくだりだ。対馬の触覚最先端の姿。これが対馬である。

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船ムシ

上空には澄んだ青空が見えるけど、低空を怪しげな雲が際限なく現れては走り去る。漁船も動く気配がない。
艇尾からサビキ仕掛を垂らすと20センチ程のマアジを筆頭にほぼ同寸のグレやサンバソウやその他ごちゃごちゃ、例えばトウゴロウイワシなどが釣れるが、もう釣り飽きてしまった。アミエビ無しで垂らしても食いつくやつがいて、興ざめだ。
船虫(海のゴキブリ)が数匹護岸から艇へ乗り移っている。ぼやぁ〜としているわたしを艇の一部と間違えてか、身体を這う。ワッシャびっくりした。

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ルアー漁師

西泊湾(比田勝港はこの湾奥)、湾口の尉殿埼灯台から125゜で2マイルに“一重(ひとえ)出し”と呼ばれる釣りポイントがある。わたし、手元に、その付近の詳細な海底地形図を持っている。漁師Sさんからルアー扱いを教わった際、まずここで実践してみるようにと手渡されたものだ。
Sさんは40歳。故郷帰還組。地元でただ一人のシャクリ専門ルアー漁師。その研究がすごい。関連技術が卓越している。たちまちにして、わたし、彼に惚れ臣下の礼をとった次第。
だが、
実践したいがシケ続き。師匠も、シケには勝てはせぬ。

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2005年6月28日 (火)

触角論2

神代の時代が過ぎた663年、天智天皇は百済支援に軍船1000隻を朝鮮へ送った。白村江の戦いだ。400隻が焼かれて大敗。海が血で朱に染まった。
この軍船1000隻は鰐浦から発した。
“にぎたつに船のりせむと月待てば潮もかないぬいざこぎいでな”
軍船は各地で徴用されたのであろうが、この額田王の歌は、軍団か瀬戸内海にあった時のもの。
(資料を持たぬ旅途上だ。記憶頼りの錯覚記述。間違いが多いと思うが許されたい)

鰐浦。わたし、万感の想いを胸に、湾内を一周した(付近の湾・港には、ほぼ全部に入ってみた)。

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触角論1

太古の昔から対馬は日本の触角であった。特に最北先端部は触角そのもの。最北端の港は鰐浦。神功皇后の三韓征伐軍船はこから発した。当時は和ニ津といった。
鰐浦湾は北へ向かって開いている。湾口を出ると、北東沖に海栗島(ウニジマ)がある。全島が航空自衛隊の基地。大きなレーダードームが北を睨んでいる。民間人は入れない。
湾浦湾のずっと沖(北側)から南を望見すると、山頂にも基地らしきものがある。海上自衛隊のレーダー基地だ。
太古も今も、対馬は、日本の触角である。

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触角論はアナゴから

今夜はアナゴのテンブラが届きました。おいしそう。
さっそく、即席ご飯をあたためます。
これ食ったら気合いが入るかも。そしたら、焼酎をナメナメ“対馬触角論”シリーズを始めようと思う。

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夢は果てしなく

大シケが続いている。あと後数日間は動けそうにない。。
シケがおさまったら、1日はゆっくり対馬の釣りを楽しみたい。その後は帰港パターン。艇もわたしも、ヨレヨレになっている。
比田勝港→沖の島→大島→山口県室津→関門海峡を経て広島沖野島マリーナor四国仁尾→翌日は播磨マリーナへ帰港できる。
できれば、沖の島で数日過ごしたいと思っている。が、体力気力がもつかどうか。無人島だ。神様だけが住む島。神様と二人だけで向かい合って数日過ごす。ロマンだ。ワッシャ神様に言いたいことがある。彼にもきっとあるだろう。

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2005年6月27日 (月)

難題出現

20時40分、外で食事すませ艇に戻ってみると、艇内に袋が置いてあった。キューリとナスビが2本づつ入っていた。
だれかがわたしのブログを閲覧されたのだろうか?キューリはそれとしても、ナスビの意味がわからない。どなただろう?サッパリわからん。
キューリの食い方はわかる。たが、ナスビはどうしたものか。そのままかぶって食えるだろうか?よわった、難題出現だ。

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キューリ 2

先の大戦の際、兵庫県の日本海側の漁村へ父を神戸に残し、母・わたし・妹の3人は、疎開していた。あれは小学1年生の頃じゃなたったろうか、食い物が不自由で芋の茎など食ったりしておったが、あるとき母子3人、昼メシ代わりにキューリを分け合って食ったことがある。大きなキューリだった。なかのズも種もみな食った。キューリは大きくならぬ間に収穫するものだと知ったのは、ずっと後年になってからのことである。あのキューリはうまかった。が、切なかった。子供ながら切なくてしかたなかった。その味を今鮮明に思い出した。

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キューリ 1

昼食は昨日隣船から頂いたイカのゲソ部分を自分で煮たのとフランスパン。手のひら大のサンバソウも一緒に煮ていたのでこれも食う。ペットボトルの茶を飲みながら。
フランスパンは、切らずに端から食いたいだけ食い進む。3分2まで食って満足した。
野菜不足である。キューリが3本買ってある。ヘタ部分を2センチほど切り取り、切り口に押し当ててクルクル回し擦る。キューリはそうやって後、食うものだと思っている。あとはそのままかぶり食う。バリバリ食っていて、ふと、幼い頃の記憶が蘇った。

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雲が走っている

6月27日、灰色の雲が空を鋭く走っている。港内の水面には風紋が走る。昨夜大型漁船が避難入港した。ときおり突風が吹き護岸の縁にたつのは危険だ。繋索ロープをさらに1本追加補強しようと思う。

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2005年6月26日 (日)

明日はサザエめし

突如土砂降りになったり、それがピタッと止んだり、不安定な天気である。もやった艇の船尾からサビキを垂らすと、たちまち20センチばかりのマアジが5匹釣れた。それを刺身に造っていると、隣りの漁船からイカが届いた。糸造りにした。
明日の朝はザザエメシである。彼女(?)が、あったかいのを持って来てあげる、と、言った。
酔っ払って眠たいから、もう寝ることにする。

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海戦3

戦端を切った位置からほぼ真東60キロに、普段は神様と神主しか住まぬ「沖の島」がある。海の正倉院と呼ばれる島で、古代日本の成り立ちに深くかかわる島。ここの神主が戦いの一部始終を見ていた。わたしは、昨日も今朝も、この海戦の慰霊碑が立つ岬へ行き、海を見た。

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海戦2

11時40分、対馬最南端神崎(こうさき)の南25キロを北23度に12ノットで航行。東水路に入ったのである。
わが連合艦隊は、鎮海湾から加徳水道を経て対馬上島の北を東南に迎撃の構え。
バルチック艦隊が壱岐と対馬の中間やや対馬寄り(七里ケ曾根・クロマグロ漁場の北東約4〜5マイルか)に来た時、例の号令が出た“皇国の興廃この一戦にあり…”と。
午後2時、大回頭、戦いの火蓋が切られた。以後は乱戦模様になり、バルチック艦隊は撃沈された。
以後、次稿、

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日本海海戦(1)

比田勝海上保安署へ出向き天気図を入手。中国大陸北京辺りに992hpの低気圧。鹿児島湾南端から真東に梅雨前線が停滞。このなかで対馬海峡東水路は波高2メートル半〜3メートル。わたし、動くに動けず、かつての日本海海戦に想いを馳せる。
帝政ロシアのバルチック艦隊が攻めてきたとき、対馬海峡の東西水路のどちらを通るかが大問題だった。日本帝国連合艦隊主力は朝鮮鎮海湾(釜山港の西)に居た。
5月27日早朝6時45分、バルチック艦隊発見。北緯33*30東経128*30、まだこの位置では東西水路のいずれを通るか判然としない。…以下次稿、

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対馬最北

朝7時前、理髪店のSさんが「おはよう」とやってきた。開店までの時間を利用して、車で付近を案内してやると言う。対馬最北端を約1時間強見て回った。北端中の北端は海栗島。島全体が航空自衛隊の基地。民間人は立ち入れない。この沖一帯約2マイルが洗岩暗岩の海で航行不能。海図にはさらにその3マイル沖まで荒波記号が付けられている。鰐浦の岬高台に韓国展望台がある。危険海域を一望し、改めて肝を冷やした。わたしは一昨日ここを西から東に乗り切った。
佐須奈・大浦・鰐・泉・三宇田・西泊・比田勝を、陸海から見たことになる。

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2005年6月25日 (土)

サザエが届きました。焼いて食ってます。酒は対馬の「やまねこ」。こんなにうまい酒呑んだことがない。

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対馬の女性

約百年前の日本海海戦はこの対馬沖で戦われた。ロシアは平成5年、戦場が一望できる岬に記念碑を建てた。今、わたしは、そこに立っている。海が時化はじめている。波間に白いものが見える。
磯際に小船が1隻。何気なく見ていたが、
アッ!あのお方の船じやないか?船に見覚えがあった。今朝方わたしのウエットスーツのファスナーを引いてくれた女性。旦那が亡くなり、彼女一人でサザエの網漁をしている方。波で小船が大揺れしている。彼女は、こんどサザエを持ってきてあげるんと言っていた。今、あの小船で網を曳いている。

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対馬の浜

予報では波1メートルだが沖は時化ているらしい。漁船が昼だいぶ前に帰ってきた。
艇の バウスラスターは直らない。入出港時に不安があるがこのまま旅を続ける。潜ったので体を洗いたい。湾口の岬の高台に渚の湯という温泉があった。今、その温泉真下の砂浜に居る。宝石のように美しい浜だ。靴を脱いで膝頭まで歩み入った。
スバラシイ!

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浮かび上がったら

バウスラスターの点検に、ウエットスーツを着込んで、ナマリを腰に巻き、潜りました。対馬の海は港内でも澄んで綺麗だ。
バウスラスターには何もからんでおらんかった。ペラは支障なく動く。で、浮かび上がったら、またこの世。
ウエットスーツは、つなぎ式のを使っている。チャックが背中側にあり、長い紐がファスナー金具に付けてあって、手を背中に回し、そのヒモをつかんで上げ下けまする。
引っ掛かかって力まかせに引っ張ったらちぎれてしまった。ウエットスーツが脱げなくなった。どうしましょう?

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潜る

引田勝港は大きな港だ。干満差が九州西南岸に比べ約半分。昨日は満月の大潮だったが干満差は2メートル強か。この程度だと浮き桟橋にこがれなくて大丈夫。
艇内で朝メシに即席カレーを食っていると、昨日ルアー釣りをいろいろ教えてくれたSさんが出勤途中、艇をのぞいてくれた。

実は、バウスラスターが作動しなくなっている。ペラに何か巻き付いているのかも。朝ご飯も済ませたし、そろそろウエットスーツに着替え、潜ってみようと思う。アッ!そうだ!血圧の常備薬呑むのを忘れておった。
また浮かび上がれるかしら?

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2005年6月24日 (金)

明日話す

対馬上島最北は恐ろしい海域だ。ここを航行する際は、必ずここ専用の詳細な海図が必要である。広大な海域に暗礁が牙を剥いている。わたし、危うく船底を割るところだった。
比田勝港へ入った。またここでも素晴らしい人に出会った。
わたしくたびれている。もう休もうと思う。その人のこと、明日、話すことにしたい。

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北緯34*28*330 東経129*15*850

対馬西岸2マイルを14度方向に18ノット。水温24*2度。快晴なれど低いもやあり。ために対馬が霞んで見える。カツオ鳥多し。レーダー2マイルレンジに船陰ひとつ。絶好調。

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絵のなかにあり

あそう湾は真珠の海。狭い枝水路は一面真珠養殖イカダ。5ノットで走行。水深は意外と深い。7ノット。真珠作業船が居ないのを確かめ増速10ノット。
入江入江の美しさは、あそう湾にとどめをさす。墨絵・大和絵・日本画の世界。緑の山々・激しい巌肌・青く澄んだ湖面の海。ただいま、あそう湾を東へ航行中。眼前が大きく開けてきた。これから対馬海峡西水路を北上のつもり。

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仁位の桟橋

芭蕉は陸をテクテク歩いて旅をした。波平はボートに乗って海を旅する。
彼は、旅に病んで夢は枯れ野を駆けめぐる、と言って旅を終えた。波平もだいぶ疲れてきた。
海の旅、圧倒的大自然に身をさらす。そして、毎日どこかの港へ入り土地と交わる。
多くの人々と出会った。人との出会いは、未知の自分との出会いでもある。わたしは、旅を通して多くのわたしに会った。
“夢”、夢こそは時空を越えて生き得るものか。
対馬・あそう湾奥の小さな浮き桟橋。村から離れ人影も無かったのに、艇は、いつの間にか人々に取り巻かれている。

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2005年6月23日 (木)

夜が明ける

学生時代、サラリーマン時代、いずれも曜日曜日の区別があり時間割があり、与えられたルーチンワークがあった。今は完全にフリータな独り船旅。出航以来すでに1か月半が過ぎつつある。水を得、食い物を得に上陸する他は、概ね艇に居る。
海、海、海、決して同じ顔を見せることがない。
夜休むのが早いから目覚めが早い。朝の空気がうまい。漁船が気合いを入れて港を出る。そのひき波で艇が大揺れする。漁船群が出切ると、また朝の静けさが戻る。夜が明ける。

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2005年6月22日 (水)

寸時ギャル船

印通寺港の浮き桟橋に艇をもやっていたら、可愛いいギャルが二人やってきた。大阪の子と名古屋の子。高校1年生。離島留学生だとか。
艇に乗せて欲しいというので沖をひと走りした。キャッキャ・キャッキャ黄色い声で騒いでおった。
少し風が出てきた。

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七里ケ曾根

黒マグロ釣りの緊迫した漁場を見学した。水深50〜70に盆地状の瀬があり、アンカーを打ち、生き餌を付けて釣る。今はトビウオ。見ていると時々何かを撒いていた。後で知ったがイワシだったらしい。
わたしも一応竿を出した。ジギング釣りを試みた。ボーズ。帰路、ケンケンを曳く。シイラが掛かりそのつどリリース。 4時半、郷の浦入港。ヨシ○下船。また、わたし独りになって、印通寺(いんどうじ)港の浮き桟橋へ戻った。

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対馬海峡ど真ん中

ヨシ○、8時半起床、10時ゲロ。二日酔いらしい。
艇は腹下し。ビルジがダボダボ。鉄工所前に艇を移しスタンチュウブを締めなおした。
氷を積み込み、アウトリガーの準備を終え、10時40分出港。
対馬海峡東水路の七里ケ曾根へ向け針路をとった。
七里ケ曾根、ここは世に知られた黒マグロの漁場。最近よく釣れているらしい。波高1メートル半、あと15マイルで着く。釣れるような気がする。

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2005年6月21日 (火)

バァチャンの腕に

昨日ヨシ○来艇。一緒に高島の野崎宅を訪問。高島港に槍付けの漁船に横付け繋留したが、漁船から岸への渡り板が40センチほど。長さ4メートル。その板が薄く、折れそうな程大仰にたわむんだなぁ。
渡り終えた岸のたもとに、小柄な野崎さんのおかぁさんが手を差し延べて待ち構えていて、必死の思いで板を渡り、彼女の腕のなかに飛び込んだ。80過ぎのバァチャンに抱き迎えられ、ワッシャ感激したですなぁ。ナスのテンブラはジィチャンが、芋のテンブラはバァチャンが、好みみたい。それぞれが、どうぞどうぞと勧めてくれた。うまかったぁ〜

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釈迦探し

唐津城天守閣前の売店で、独りの老人と出合った。この老人と一緒に昼食を摂った。78歳だとか。奥さんも子供も亡くなり、身近な者らは皆亡くなって、2か月に一度仙台の家に帰る以外、いつもどこかを旅していると言う。
静かな話しぶり。
話題が途切れた時、彼が小声で言った。
「…私、人を探しています…」
荷物を背負った言い方だった。わたし、思わず言葉を呑んで、しばらく後、
「どなたを…、またどうして?」
「いや…」と、彼。
また彼が言った。
「お迎えを待ちながら…」
お釈迦さん探しの旅だったみたい。

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2005年6月20日 (月)

言い辛いが…

佐賀県ヨットハーバーは民営化の方向にあるらしい。が、受け皿はあるのだろうか?
1.施設規模がいまいち小さい。30ft以下の艇が対象か?北風に弱くウネリも入る。
2.施設が老朽化。
3.残念ながら、
①シャワーが使わせてもらえない。
②繋留艇のモヤイ綱が乱雑に空区画まで延びるに任せられている。
③利用料が高い。
4.利点がある。
①市街地に近い。
②充分に水深もあり、外からアタックしやすい絶好位置。
5.再度入港したいか?…言い辛いが、…どうしょかなぁ〜??

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2005年6月19日 (日)

佐賀県ヨットハーバー

朝、ヨットマン二人の訪問を受けた。誘われて唐津港外の、高島の野崎さん宅を、一緒に訪れた。氏は、ヨットで日本一周をした経歴の持ち主。皆さんから貴重な資料・情報をたくさんいただいた。
午後、新聞2社の取材を受けた。記者氏のお一人がヨットマンだった。
コインランドリーに慣れてきた。汚れすぎたのや、生地が弱って破れたのは捨てる作戦でやっている。スボン1本、靴下片方を捨てた。残った片方は、今後同様の運命下にあるのが生じた際、めあわせる。左右の色違いなんぞ、ワッシャぜんぜん平気だ。

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点滴注射

40数日が過ぎた。無寄港旅じゃない。日々どこかの港へ入る旅。でも、スーパーやローソン・セブンイレブンがどこにもあるわけじやない。積み込んだ即席食材に飽きてしまった。もう見るのも嫌。食パンを買ったが食い残りにカビが生えた。携帯コンロでカビごと火あぶりし、食ってやった。リンゴ・バナナ・トマトは、しばらく置くとグニャグニャに変身する…、食えなくなる。あぁ、食う物がない。昨日は、朝食も昼食も摂らなかった。ヨットハーバーに入り、街へ出て、三食のまとめ食い。焼酎を牛乳で割って飲む。点滴注射のつもり。

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2005年6月18日 (土)

後ろ髪

今朝出港前、M氏にいまいちど会いたかった。が、遠慮した。土曜の早朝。彼の休日。
ミチヤ君が漁の作業衣姿でやってきて見送ってくれた。彼へ私の思いを託した。
彼の元へ、昨日、京都から彼女が来ていた。愛くるしい活発な人。大学の先生だとか。昨年、仕事(学術調査?)で島に来た際、彼と知り合った由。皆でワイワイ歓談し実に楽しかった。彼は体格がずば抜けている。漁師の気概と細やかな優しさがこれに同居。この島にはこういう若者が居るのだなぁ、…と、思うことしきりである。

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ホッとしたらどうするの?

五島若松港を6時半出港。佐賀県唐津のヨットハーバーへ14時半入港。途中1時間ほど釣り竿を出しアラカブ1尾。呼子港へ入り停泊適所を探したか無かった。約30分ロス。航行距離約80マイル。終始ベタ凪。
当初は、平戸へ入るつもりだったが、平戸の街のビルを望見したら入る気がしなくなり、そのまま橋の下を突っ切ってしまった。
呼子へは一夜停泊したかった。もやう適所が見つからなかった。天然の良港である。が、ここには余裕が感じられない。哀しいことだ。
佐賀県ヨットハーバーに、もやっている。ホッとして、また、焼酎。

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五島若松島から平戸島へ

平戸島南端帆上ノ瀬まで2マイル。右前方3時の方向約500メートルにクジラ浮上。デカイ!

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2005年6月17日 (金)

腕が鳴る

昨日は時化模様のなか、五島列島西岸を30マイルほど走ったが、無理することなかったなぁ。気象庁のきまぐれには負けますわ!昨日朝方の予報に反し、今日は一転凪じぁないか〓
若松島の朝。
昨晩は、島の養殖漁師らと痛飲し海の珍味に舌鼓。Mさんが島内を陸・海両方連れ回ってくれた。大感激。今日は、漁師の若者が、仕事が終わりしだい、魚釣りに連れて出てくれるそうだ。腕が鳴るなぁ〜。〓

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2005年6月16日 (木)

逃げ切った

若松港へ無事入港。
あぁしんど!
今、朝メシ中。
あぁヤバかった。ここ若松港は四方を山に囲まれる避難港。湖面を想わせる穏やかさ。このなか、風、強くなる兆しを感ず。水面にさざ波。

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危機を脱っす

天の波、頭を垂れ艇下へ臥す。波高2に戻る。一気に宇久を目指すも我が腰はへたり気味。身体中の各所関節油切れ近し。まずは若松へ入港する。待つ人あり、心強し。艇速度10ノット。

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緊迫下にあり

波高し、転覆のおそれあり。生死6*4か。1分多いは男の意地。既に自力操船をやめ、艇を自動操縦装置に託す。
五島列島3マイル西方海域をドンブラコ。

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波、さらに高まる

波、天にあり。
もし、今、ペラに廃網などからめば、我、波を越えて天へ昇らん!

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波高まる

転覆時に備えキャビントビラを閉ず。

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多少ヤバイかも

波高2メートルのなかを航行中。五島列島東回り。ドンブラコ・ドンブラコ。

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今朝の航海

荒川港を5時半出港→若松港9時前入港。波2メートルの予報の中だった。
以下別稿に掲出するのは、今朝航海途上友人らに発したメールに一部手を加えたもの。
今は、余裕の中、若松港の浮き桟橋に艇をもやい、朝昼兼用の食事をとりつつある。焼酎を牛乳で割る。これ、活力再生の源なり。

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2005年6月15日 (水)

エビス島

野崎島で見た荒れた社のエビス像が、眼底から消えず、よわっている。
無残な!
50センチ程の小さな石像。福々しい笑顔。
このお像に、かつての村人らは、どんな気持ちでまみえるのだろう。
エベッサン、がんばれ!貴兄あっての島ぞ!

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森下さん、そして五島の方々へ

宇久・野崎・若松・荒川に入りました。野崎のシカたちを含め、どこへ行っても、とてもあたたかく迎えていただき感激しています。五島へ来る前、天草下島の崎津へ時化避難で入りましたが、その時感じたのと同種の温もりをここ五島でも感じます。キリスト教の影響でしょうか?それとも海・山の、狭間の、島社会のしきたりでしょうか?ほんの数日、限られた港の、それもごく一部しか見ておりません。が、印象深いものがございます。
ただひとつ残念なのが野崎住居跡の荒んだゴミ。あぁ、人の世の裏表!

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店があった。人が居た。

食い物屋見つけた。昼時が過ぎたら店は閉まるらしい。滑り込みセーフ。
ちゃんぽん+ギョウザ

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怪しげな風

五島・福江島の荒川港から島中央部を横断し、福江市へ行った。約18キロ。緑豊かな島だ。広々した高原もあった。
荒川港にはリッパな浮き桟橋がある。温泉もある。が、わたし、今日は朝5時半に福江から荒川へ戻ったが、まだ村人には二人しか出会わない。アッ!対岸に車が一台走っとる!
漁港だが荷揚げ場がない。19㌧型の他県から来たらしい漁船が数隻見える。だが人気がない。
温泉へ行こうと思う。開いているだろうか?昼メシが食いたいか店はあるだろうか?外海はだいぶ波がありそう。怪しげな風だ。

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ゴミ

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2005年6月14日 (火)

甘えた

なにやかや忙しすぎる。若松島・若松港に入港し、一旦は護岸前のイケスにもやったが、通船の発着桟橋へどうぞと勧められてそちらへ移った。艇を見に来る方々がひきもきらずゆっくりするま間もなかった。
今朝は、役場・広報の方が取材に来られた。
10時出港。荒川港午後3時着。
なんと今は沖で出会った釣り船オーナのご自宅である。今夜は我が家へ来いと引っ張られあつかましくも、言葉に甘えた。

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2005年6月13日 (月)

無人島の朝

朝の生気横溢するなか、観上げる山々は神々の姿。五島列島野崎島。やがて陽が山裾に下り、打ち捨てられた廃屋のたたずまいが浮かび出た。
古びた浮き桟橋が残っている。はまちどりはここにもやっている。カラスの声、トビの声。野性鹿が700頭ほど棲息しているそうだ。
私はこれから向こうに見える鳥居の神社まで散歩しようと思う。鹿らが、ケーンと、甲高く鳴いて迎えるのじゃないか。

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2005年6月11日 (土)

百薬の長

艇は宇久マリーナ、正しくは「平漁港フィッシャリーナのポンツーン(浮き桟橋)にもやっている。昨日宇久島北東2マイルの古志岐島(こしき)の瀬へ釣りにでて、巨大イサギなどなど沢山釣った。が、アンカー揚げに前後進を繰り返す間、ギヤーが滑り、前進も後進も出来なくなった。今は漁港内の鉄工所に修理をお願いし、不安な心地で煮付けた魚のキモ・タマゴ・白子を肴にナンノナニを呑んでいるところ。
今日1 1 時の船便で釣果を宅急便に託したが、煮つけたのはその魚々のもの。艇の度重なる故障。酔っ払ってしのぐつもりである。

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艇だって

宇久へ着いて出会った第一村人は自艇で沖釣りら戻ったばかりの60半ばのお方だった。およそ20年前からこの島を愛し通い続けたあげく居着いた。
第二村人は、釣り具屋のマッさん。わたしの艇までやって来て、ご当地仕掛を作ってくれた。「俺も一緒に出て教えてやる」と言い、自分の船から具を取り出して、はまちどりに乗り込んだ。
第三村人は飲食店「ひこうき雲」のサッしゃん。店は昼からしか開けないが、朝メシくらいは食わすから出て来いと言う。
艇はクラッチ故障でへたったが、ホコホコした豊かな心地。艇も骨休めのつもりじゃないか。

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宇久マリンピア

宇久マリンピア・ポンツーンに艇をもやっている。宇久港に隣接し、独立した施設。陸電・水・トイレがある。簡素だかしっかりした造りで台風避難もできそうだ。外海2メートル半か、うねりがかすかに入る。隣りに居たヨット「幻象」がたった今出港した。昨夜の激しい雨は勢いを弱めているが、霧が濃い。「すぐ引き返さないかんかな」と言いながらの出港だ。
ガランと空いたバース。色々な種類の小鳥たちの鳴き声が聞こえる。

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2005年6月10日 (金)

トラブル

五島列島最北端の宇久島に来た。昼前に着いて、さっそく島北端のコシキへ釣りに出た。コシキは、ヘタ島・本島・沖の島の三つ島からなっている。たくさん釣った。
竿を納め係留ポンツーンへ戻ろうとしたらクラッチが入らない。前進も後進も出来なくなっていた。
海上保安庁の世話になる覚悟を決めた。結果的にはなんとか微速前進が可能になり、自力で戻ったが、今はもうそれすら不可能である。時化かけた海であった。当然ながら修理できるまで動けない。艇外は、今、激しい雨。

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あかん、またダウン

パソコンをイジクリまわしていたら、偶然かどうか、ブログ画面閲覧に成功。さっそく新規に一文を投稿したつもりだが、画面への反映を確認をする間もなくパソコン・ダウン。「青年の目」とタイトル打ったけれど、さて、投稿し得たかどうかサッパリわからん。

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青年の目

青年の目

出発以来丸一ヶ月。積もり積もった60有余年の垢は、未だ汚し落としきれない。

港々で同年代のクルーズ・ヨットマンに出会う。

わたしは“積もり積もった垢”と言った。が、しかし、彼等がどうであるかは知る由も無い。事業に成功し、功成り名遂げて後の余裕のクルーズか、あるいは挫折の疲れを癒さんとする類か。

ヨットマン等の目は一様に綺麗だ。悪くいえば鋭さが無い。よく言えば人懐こい感じ。しゃべりまくるお方がないことはない、が、総じて皆さんゆっくりとスローペース。輪の中、話し手の話題が途切れると、ひと呼吸後、思い出したように話し出す。どの話も、とてもおもしろい。潮の話、島や港の話。どこの港にはどんな温泉があっただとか、ドデカイ魚が鈎に掛かったが糸を切って放しただとか、淡々とした話が続く。

一番身を入れて話し合うのは港々の繋留ポイントのこと。

ここ長崎ハウステンボスでも潮の干満差は4メートル。どこかの港へ入って、コンクリートの直立護岸に直に繋留せざるを得ないとき、この干満差3~4メートルは、リタイヤ組老人らにとって想像以上の障害だ。わたしの場合、鍛え得ていない両腕が、使いすぎのせか力が入らずバカになっていて、艇から投げるモヤイロープが護岸の上に届かなくなっている。好ましいのは浮き桟橋(ポンツーン)。これなら干満差は関係ない。

別段孤独が好きなわけじゃない。互いに様子を窺いあい、寄り集まってコップを手に手に上のような話題に興じる。

60チョイ過ぎの新米(?)老人らは、率先して自分の経歴を言うきらいがある。

ベテラン老人は昔のことを話さない。昔は昔、今は今。年取るにつれ、今こそが大切に思われる。

昔を話さないようになるにつれ、男たちは人懐こくなり、目が澄んで来る。

老人か?

ひょっとしたら違うのじゃないか。

潮焼けした男の顔。青年の目。

パソコン機能回復。あるいは偶然の閲覧成功かも。この記に機に少し長文を一気打ち込み。

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2005年6月 9日 (木)

気合い充填中

台風はそれたが、別の低気圧が接近中だ。波の予想が難しい。ゆりたろうは波高1メートル半と言うがホンマかいな?
五島は北側から始め、順次南へ下り、数日後には荒川港へ入りたい。雨の中の五島になりそうだ。意外とキツイ航海になるかも。
今、晩メシを食っている。栄養をつけるつもり。豆腐2丁と、納豆と、焼酎水割りと…、なんと今夜はデザートもあってミカンが1ケ。少し食い足りない感じ。
こんなんで、明日、固いウンチ出るかしら?

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針尾瀬戸

佐世保湾と大村湾とを結ぶ針尾瀬戸は、干満差がもろに集中する水路。極端に狭い水路の真ん中に岩が牙を剥いて突っ立っている。その両脇を激潮流が渦を巻く。
わたしは、たかをくくって大潮の潮流きついなか、押し渡ったが、艇が激安に翻弄されヤバかった。潮止まりを選び渡るべきである。反省。
特にヨットの場合は、潮止まり以外はやめたがよい。絶対に不可能だ。大潮時は最大10ノットを超す激潮流である。

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大村湾

台風4号を嫌い長崎の大村湾ハウステンボスへ逃げ込んで今日で4日。台風が東へそれたので明朝五島列島北端の宇久島へ向け出航しようと思う。で、大村湾をしっかり見ておきたくて、湾内を一日走り回った。
大村湾へは、まず佐世保湾へ入り、その最奥の狭水路・針尾瀬戸をくぐり抜けて入る。抜け出ると湖面とみまがう静かな別世界。ほぼ完全な閉鎖海域だが水が澄んでいる。きれいだ。タマゴ型の大きな湾。空港もある。有明海の西隣りだ。
湾西岸に、ひときわ美しく湾入した形上湾。夢うつつで艇を進めアンカーを打ち昼食を摂った。

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2005年6月 8日 (水)

携帯メール

ときおり家のかみさんを想う他は、空を仰ぎ、海の機嫌を按じるのみで、なぁんも考えない。昨日たそがれ時、怪しげな風。“きゃつめ、波平を見つけおったか”と、台風の目玉を思ったが、今朝の彼はアッチを見ている感じ。
持参のパソコンが作動せず、ブログ打ち込みに携帯メールをつかっている。で、閲覧が全く出来ていない。もし、コメントいだだいても拝見し得てない。どうかご容赦賜りたい。
昨日、かみさんから「今日は何の日?」と、携帯メールで謎掛けがあった。おお昔し、彼女と結婚した記念日である。また忘れていた。

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2005年6月 7日 (火)

リタイア組

ハウステンボスは全体が中世オランダを模した造りの観光施設。赤茶色のレンガ造りふうの6〜7階建ての建物群。100メートルは超すだろう巨大な尖塔。この間を水路が走りアンチックなボートが客を乗せて行き交う。
一角に現代のヨットハーバー。約100艇がもやう。昨夜9時前、花火があった。その後はシンと静まりかえった空気と水面。ここには早朝出漁の漁船の曳き波はない。熟睡。
朝、ハーバー内で、二人の老人が立ち話をしていた。のんびりした話、穏やかな目。クルージング生活2か月目、1年半の人。いずれもリタイア組。

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2005年6月 6日 (月)

「そう」

6月5日、甑島里港から長崎県野母漁港50マイルは真北の強風のなか波3メートルの荒れ。中間の天草・崎津湾へ避難。知らなかった、崎津湾がこれほど素晴らしい所だったとは。崎津天主堂を見学した。キリシタンの発祥と迫害の地。美しい天草、精神文化が色濃く匂う漁港。
湾は深く湾入し外湾と内湾に分かれる。湾を囲む山々の嶺は丸く優しげ。人々の面立ちもまた落ち着いてみえる。道端に話し込む老人二人。
「今でもクリスチャンの方が多いのでしょうか?」
「そう」
現代の踏み絵は、涼やかな目と共に返された。

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2005年6月 5日 (日)

隠れキリシタンの里・崎津

甑島里港から出てみると、外はチラホラ白波の波2メートル。いったん下甑島の手打港までバックし、釣りバカ日誌の撮影現場を訪れたいと思っていたが、片道19マイルはこの波のなかきつすぎる。針路を野母崎へ。
甑島北東角の中瀬周辺は荒波の難所。それは覚悟の突っ切りだが、以後も波はおさまる気配をみせなかった。
野母崎までは無理かもしれない。針路を天草・牛窓へ修正。頑張って牛窓沖通過。と、このあたりから波一段と高まり、ひと波ごとの勝負になった。たまらず、崎津湾・崎津漁港に逃げ込んだ。

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甑島(こしきじま) の4時

艇が揺れ過ぎる。水中観光船との間に垂らしたフェンダーの軋み音。眠れない。キャビンを出てみると、外波が入り込んでいた。外は2メートル半か。
どの港に入ってもクルーズヨットが居る。ここには博多の来夏号33ft。やはり定年組か?日本列島は、今、定年ヨットの帯のなか。
パワーボートは極めて珍しいと誰もが言う。ヨットと付き合って、20ノットが不自然な速度に思えてきた。昨日は30マイルを13〜15ノットで走ったが身体に馴染む心地がした。
この速度、先輩南藤氏愛艇「イーグリット」の速度ではなかったか!

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2005年6月 4日 (土)

紅白餅

上甑島・里港の観光桟橋の、水中観光船に横付け係留。今日は観光船は運航しないようで、ひと声かけてくくりつけた。
小型船用「港湾案内」に記載はないが、ここ里港は漁協で軽油・氷の補給が可能。観光桟橋は、開いておれば最適係留場所。仮にここが詰まっていても、他に適所は多い。だたし、台風避難には向かないたろう。風呂・コインランドリー、いずれも300円。買い出しも可能。
新造漁船の祝いの餅マキがあった。わたし、我を忘れて餅拾いに夢中になり、写真撮るチャンスを逸した。紅白餅を5つ拾った。

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甑島へ

薩摩半島野間岬根っ子に居着いて十日目。朝から霧が濃かった。
昨日は、野間岬真下へ艇を出し、セトダイ・タマガシラ・ホウボウ・ クエ・ホシザメなどを釣った。仕立て船戎丸での大鯛と合わせて釣り心快く潤い、昨夜、台風4号情報しのぎのことなどあわせ考え、急遽本日早朝の出港を決めていたのだった。
濃霧が晴れるまで待ち、野間池港を出港したのは1 1時半。今、甑(こしき)海峡を、甑島・里港へ向け、のんびりスローで航行中。

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2005年6月 2日 (木)

その術、学びたい。

今朝、6時〜7時、寒冷前線通過時の突風は、風向きを変えて次第に納まりつつある。
この間を利用し、ヨット・キャビン内で、航海術の机上特訓を受けた。先生はヨットOSAKABAY船長林さん。氏は夫婦で、既に日本一周をなし終えている。今回は、沖縄宜野湾から九州西岸を経て、大阪へ帰るところ。
航海術もさることながら、ご夫婦のゆったりしたヨット時間は、術の域を越えている。
私は、もう1週間も野間池港に滞留してしまったと思う。
氏は、泰然として野間池港を楽しむ。実に悠々としている。
私、その術(?)も、学びたい。

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突風

6月2日朝6時半、雨が強くなり、突風が来た。瞬間風速推定20メートル。もやった艇後方からの風。港内が白波立ち、艇尾に打ちかかる。その波が甲板に打ち入る。
私、もやいロープが急に細く見えはじめた。さらに1本ロープを追加。
あるいはと思い、キャビントッブの“夢日本一周”看板は昨夜中に撤去していた。スターンを覆うテント屋根を、今、急ぎ折り畳んだ。ヨット船長林さんが助っ人してくれた。
空はナマリ色。風が唸っている。

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2005年6月 1日 (水)

もう、しばらく

エビ漁「みちしお丸」船長の車をお借りして、知覧武家屋敷と焼酎のトジの里の観光。
昨夜は、船長の家族全員と、隣りのヨットご夫婦と、夜釣り釣果の刺身パーティーを楽しんだ。
船長のお子さんたちが、ボートやヨットに乗ってみたいと思っていたなんて、ビックリだった。そうと知って子供たちの体験クルージングに貢献したいと思った。夫婦ヨットも同じ気持ち。
私、もうしばらく、ここに居ようと思う。
台風4号の気配がする。

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