« 2005年6月 | トップページ | 2005年8月 »

2005年7月

2005年7月31日 (日)

ネジ合わせ

初年度「日本一周」の度を終えたのを機会に、母体の「波平釣り日誌」(通常ホームページ形式)を更新しよと試みたら、どこでどう間違ったのか、つぶれてしまった。なんとか初期ページは立ち上げたが、リンク貼り付けが出来ない。で、当分の間は、このブログのみのページ更新としたい。

どこかでネジが合わなくなっていて、諸事うまくいかない。バラバラの中に居るような心地がして面白くない。

スイカと、メロンと、パパイヤとを、合わせ食ったら腹がビックリして、トイレがいとおしくなった。トマトとキュウリにしておくべきだった。

最近イタチが跋扈していて、気味が悪い。母イタチが子イタチを引き連れて、悠々と庭先を行くなんぞはかつてはなかったことだ。花子(ボルゾイ犬・既に亡くなった)が居たころは、断じてこういう勝手はさせなかった。大スケと小スケ(いずれもシーズー犬)の時代になって、変なことになった。wanntati

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005年7月30日 (土)

双葉マーク

バカだよ、おいらは。調子に乗って、汚れた艇をコスリまくって、掃除したですよ。汗がドット出て、タオルで汗拭くのがめんどくさくて、水道ホースを空へ放って準天然シャワーをかぶって、悦にいったりしておったよ。

バカだよ、おいらは。その後が大変だった。もうヘトヘトになってもて、ふらふらになってこりゃあかんと思ったから、冷房の効いたクラブハウスに逃げ込んで、休んで、そして車を運転して自宅へやっとこさで帰りましたがね。なんと、掃除中の艇のことをすっかり忘れておった。水道のホースは水が出っ放しだ。もちろん、きちんとホース巻いて仕舞っておくなどはできておらんよ。艇もビックリしただろうね、なにせ、掃除途中でほったらかされたのだから。

バカだよ、おいらは。思えば、何もかも、途中でほったらかしておるよ。いまだ、旅でお世話になった方々へ、お礼の便りひとつ出せておらんし、荷物の整理も中途半端だし、身体だって、未だに艇に乗っているような心地がするわけだし…。

「介護保険被保険者証」をこのたび頂きましたがね、なるほど、そういうことか…と、納得するところがありますなぁ~。自動車の場合は、双葉マークってのがありますよね。ボートの場合にも、似たようなのが欲しいですな。

「日本一周」の看板は、次回(来年)出港まで、日本海~北海道~三陸~東南海~紀伊半島~母港播磨マリーナ、へ周航するまで、いったん外します。代って“双葉マーク”を掲げようか、と、思っておる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005年7月29日 (金)

ガキ65

一人船旅で、ハダシの習慣が身に付いた。

裸足にスリッパ。短パンにTシャツ。無帽。腰に手ぬぐい。これが今の我がファッション。

これって、ガキの頃のスタイルだよ。いいねぇ~、自由だ!、快適だ!

 昨日マリーナへ出向き、ほったらかしていた艇の掃除に取り掛ったが、カンカン照りのなかだ、汗だくになってしまった。水道蛇口をひねってホースを頭の真上に向けた。頭からシャワーをかぶった。あぁ~快適だ!艇の掃除をしているのか、シャワーで遊んどるのか、どっちなんや?裸足にスリッパ、短パンにTシャツだからできるのだねぇ~。真夏だわさ!真夏には真夏の遊びがあるってこと。オイラ65。どうじゃ、参ったか!

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005年7月28日 (木)

申し訳ない <(_ _)>

“あなたは「65歳の誕生日を迎えられた」ことにより、介護保険の第1号被保険者として資格を取得されましたので、『介護保険被保険者証』を送付します” だって!

介護サービスを利用する際に必要になるのだって!

後日介護保険料を知らせるから、納めろ、だって!

今日は65歳の誕生日。めでたいのか、めでたくないのか…、

長生きしてしまって申し訳ないなぁ~。なにしろ、まだバァサン(母)が居ますですよ。いや、まったく、申し訳ない<(_ _)>、

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

右欄にコメント書き込みがあって、これに返事を書いていて、ハッ!と気付いたのだが、今日はわたしの65歳の誕生日であった。

かみさんはきっと忘れているに違いない。昨夜、彼女は「明日、あたしのお友達が来るから、パッパはお昼過ぎからはどこかに出といてね」と言った。

こういう日は、わたしは、外で夕食をすませ、できるだけ遅く帰る慣わしだ。まぁ~気兼ねなく遊べてうれしいような、ほうきで履き出され粗大ゴミを自覚せざるを得ず、なんともなさけない気分でもある。

あぁ~そうだ、久しぶりに、ホーム入居中の母を見舞おう。先日見舞った際、母は、「まぁ~、シゲアキー!」と久しぶりに会うような声音でわたしの名を呼んだ。夏休みで毎朝ラジオ体操にでかける小学生に声かけする母親のあの声音である。もう寝たきりになっていて、四六時中ウツラウツラしているから、訪ねたときは、少し身体をさわって起こす。耳が遠くなっていて、声掛けだけでは気付かないようだ。で、目覚めて毎回「まぁ~、シゲアキー!」と言う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005年7月27日 (水)

ホントとウソ

もう酒を呑むのは止めようと思う。この覚悟、何時間保てるだろう?

艇内ではなく、自宅ベットで目覚めるようになったが、これって、体調が戻ったこととは関係がないようだ。旅の興奮が薄れるとともにダラケが始まったということであって、身体中がシンドウてたまらん。横になって、ねっ転がってばかりいたら、腰がかったるくなって、もう横になって居るのも辛い。

歳を取ると疲れは数日後から出てくるというのは実証的に本当である。

“遊び”…「人間は遊戯する場合においてのみ、完全に人間らしくなれる」…文芸春秋8月号・P79に、シラーがそう言った、と、紹介されている……これも、実証的に本当である。

同上文芸春秋8月号P82~83に、マージャンの効用に触れた秀逸な論述がある。最近の世相を、すなわち責任逃れの無思考様子見を、危険パイを切って運を開く勇気と対比したものだが、…これは実証的にウソである。つい先日、マンズの9を切って、役万取られた。クヤシーイ!

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

2005年7月25日 (月)

OMのこと

ここ三日ばかり、「日本列島魚釣り周航記」に取り組んでいた。先の旅を、「本」にまとめ、一応の総括をしたい。

大方は書き上げていたつもりだったが、読み直すと酸欠状態で書いたのが見え見えで、少し手を加えざるを得なかった。

今日それを脱稿した。明日、OMへ手渡し、論評を請うつもりだ。

OMは、random.bmpの主催者。わたしの姉妹サイト。右欄に掲げているので、是非ご覧願いたい。

彼は、やたら「本」に詳しい男で、わたし、彼ほどの読書家は他に知らない。編集者としても、専門家がクツシタ脱いでハダシになろうかという、凄腕の持ち主だ。こういう男は、使わねば勿体ない。彼に、原稿を押し付け読ませて、なんとかならんか見てもらうつもりである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005年7月24日 (日)

オイどんは、なんばやっちょるとね

今日、周航記の全体に目を通しました。誤字脱字が凄かった。何を書いているのか、自分でも判読できない箇所があったりした。

とにもかくにも、一応はまとめたくて、一日これにかかりきりだった。

3.5インチフロッピーに入りきらなくて、CDでもダメで、DVDに写すしかない。

自分でも、読むのがシンドイこんなものを誰が読んでくれたりするものか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005年7月23日 (土)

3:7、だ。

今朝も又艇の中で目が覚めた。この錯覚いつまで続くのだろう。

旅行記は概ね対馬で書き上げていて、帰宅後、対馬~帰宅の間を、少し付け足した。

仲間のOMが、三町半左(まぼろしのまん画家)の追跡調査にかかる過程を、「本」にするというので、わたしも、まねて、この度の旅行記を「本」してみようと思う。

疲れたという実感はそれほどあるわけじゃない。が、しかし、多少酸欠状態のようであって、艇の後始末をする元気が出ない。旅行記を読み直して、必要な手を加えたいと思うが、結構大判であって全体に目を通すことができない。ある種興奮状態のなかだったから、書き得たものだ。今なら、とてもじゃないが書くことは不可能だ。

2002年6月に、「トカラ列島1000マイル周航記」を、2004年に、「隠岐海戦記」を、そして今年、「日本列島魚釣り周航記」を起筆したってことになる。今年の旅は、3か年計画で日本列島を周りきるその初年度の旅だった。サブタイトルを「対馬の雨」とするつもりだ。対馬で雨に閉じ込められて書いたからだ。「本」は、この三つの周航記を一冊にまとめたものにしたい。経費が心配だ。もし、金が足りなかったら、ごわさんになる。3:7、で、ごわさんの可能性。3、が、出版、7、が、ごわさん。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005年7月21日 (木)

ヨカバイ!

現実が正しいのか、夢が正しいのか、どちらだろう?

わたしは、今、自宅の書斎に座っているつもりだが、はたしてそれは本当のことだろうか?

「はまちどり」に乗って、海を駆けているのではあるまいか?

就寝中、わたしは、間違いなく未だ艇の中の人である。

目覚めて数分後、徐々に自宅ベットに居るような心地がし始めるが、これって本当かどうか、いつもひとしきり考えなければラチがあかない。

わたしは、自由自在に、どこへでも出かけようと思う。

これで良い。

ヨカバイ!ヨカバイ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005年7月20日 (水)

旅、継続中

旅からは、7月17日の夕刻、自宅に帰った。

艇は上架したが、そのまま放置の状態である。汚れたままでみっともないが、整理・掃除する元気がない。もうしばらくはこの状態が続くだろう。

持ち帰った荷物も、書斎周りに積み上げたままだ。食い物や、洗濯物は、かみさんが引きずり出したようだ。だいぶ処分したのではないか。全部捨ててくればよいのに、とか言っておった。

所要経費は、旅途中の修理費や、右腕修理費や、あれやこれや全て含めて大台に乗ったようである。わたしは、すぐに腹をこわす体質だ。なれぬ土地の生水を飲んで腹を壊すなどを避けるため、口に含む水一滴からして全て購入した。購入した食い物の約3~4割は腐らせるなどで実際の役には立たなかった。腐ったかどうかは、酸っぱくなったかどうか、ニュルニュルしてきたかどうか、カビが観えるかどうかで判断した。カビの場合は、特にパンの場合は、携帯コンロで黒焦げにして食ったが、特に腹に異常は起きなかった。即席麺は湯を沸かすのが面倒で、そのままバリバリ食ったりした。焼酎は、本気で、腹の消毒を考えつつ呑んだ。消毒しすぎると酔っ払うようである。

洗濯物は、コインランドリーを探して幾度か試みたが、洗剤のことがよく分からず、仕上がった後、まだ汗臭いことがたびたびあった。もう乾いただろうと思って着たら、半乾きだったりしたが、ここは我慢すべきだと達観して着ていた。

食事は、おいしい物は腹が減っているから、美味しいと思うのである。と、思うから、腹が減らなければ食わなかった。概ね日に二食で充分であった。アキどんがやってきて、彼は、朝から晩まで四六時中片手にビールを持ち、時には焼酎を持ち、いつもニコニコしておった。加えて彼はすこぶる大食である。彼がやって来てわたしは体重が一気に3キロ近く増えた。ズボンのバンド穴は、4つ目まで絞り込まねば締まらなくなっていたが、彼と食事するようになって、バンド穴が2つ戻った。

また今朝も艇内で目が覚めた。正気に戻ると、自宅ベットであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005年7月19日 (火)

あっち、こち、

今朝も艇の中で目覚めた。

身体が艇の揺れに同調しゆったりふわふわ揺れている。

…と、スーと、正気が戻り、自宅に帰って自分のベットに寝ていたことに気が付いた…。

昨日、旅行記を少し書き、そのまま床へ入ったので、脳味噌は未だ海から離れ得ていない。身体は自宅に、思いは海に。わたしは、今、バラバラになって過去現在を遊泳し、正気と夢が、もつれこんがらがった世界に居る。

デジカメ写真機を2台持参していた。ひとつ失って、しかたなしに安物を買いなおしたら、失ったのが出てきて2台になった。前のは上等、後のは安物。値段的にはそうなのだが、性能的にはどうやら後のデジの方が良さそうである。で、この2台を使いまくって、内1台を艇に置き忘れて来た。今日はその置忘れを取り出して来ようと思う。

写真の整理は苦手だ。写真に想いを重ねるのはシンドイ作業。イヤ、想いに合致した写真が撮れてなくて思いが空回りするのを、なだめ、なだめしながら、写真を選ぶ。これがシンドイ。こんなことを、ジクジクやっていると、またぞろ、艇内泊の錯覚眠りになるのではないか。

現実から、もの(旅)を見るのが正しいのか、“夢の旅”は夢の中から見るのが正しいのか、どちらだろう?

午前中は素面(しらふ)だ。が、しかし、午後、何らかのきっかけを得て以降は概ね酒の世界。正気が片隅へ片隅へと居場所を移し、ウツツが段々はばこいて、大きな顔をする。

なにせ、アッチへ行ったり、コッチへ舞い戻ったり、こんがらがって落ち着かない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005年7月18日 (月)

今、浦島

昨日(7月17日)午後2時半、ホームポート播磨マリーナに帰港した。

一夜明けて、未だ、夢心地の中にある。

以下、簡単に、旅を振り返ってみたい。

全行程約2000マイル強(約4000キロ)。

日数70日間。

消費燃料=軽油5500㍑(一部重油も使用)。

経費○○。

播磨灘・高砂→鳴門海峡→四国南岸→九州→九州南西諸島(屋久島・トカラ)→九州西方諸島(甑島・五島列島・壱岐・対馬・沖の島)→関門海峡→江田島(沖野島)→母港播磨マリーナ

途中幾度も危険な目に遭った。が、終始落ち着いて対処し得た。

沢山の方々にお出会いした。

多くの善意に包まれての旅であった。

旅を終えた今は、ただ呆然としていて、まとまった思考が出来ないでいる。

未だ夢の中って感じ。

70日間の間に、痩せたり太ったりした。常に血尿混じりの疲れの中にあった。

二日間だけ陸上で寝た。後は全て艇内泊。

右腕の筋膜が一部切れて力が入らなくなり、一時は旅継続が危うかったが、なんとか動かせるようになった。

血圧が異常に高まり危うかったので、激しい動きをひかえ、そろそろ・ゆっくり身体を動かしていた。

艇も、ヨレヨレになった。

1.四国南岸で、エンジン本体から排煙が噴出し、ガスケットを全て取り替えた。

2.豊後水道から日向灘北端へ差し掛かる海域で突如舵が利かなくなった。空回りした。高波の中、激しい転舵を繰り返したため舵の油圧が抜けたのであった。土佐清水へ、命からがらたどり着き、応急修理を施した。完全には修理し得ていない。以後は度々油圧オイルを補充しながら旅をした。

3.五島列島でマリンギヤーがスッポ抜け、前進も後進も出来なくなった。イタチの最後屁、カンシャクを起こし、作動部位をガチャガチャ激しく動かした後、そっとギヤーをつなぐと軌跡的に動き出した。ギヤーオイルを交換し、フィルターを洗浄したらなんとか動くようにはなったが、これも中途半端な一時しのぎでしかない。

4.その後も、度々ギヤーがスッホ抜け、立ち往生した。ギヤー部位に圧が掛るとダメになるように思われた。スッポ抜ける都度、油圧ゲージを開け、圧を抜いて対処した。

5.スターンチュウブが緩みダラダラとビルジが溜まり、往生した。再々締め直すのだが、水滴じゃなく糸になって海水が入る。なんとか締め直したが、締めすぎのきらいがある。ここも、徹底修理が必要である。

6.艇の前方船底にバウスラスターが設置してあるが、これが動かなくなった。この部位のことをよく知る人に偶然であって、応急修理し得たが、すぐにまた作動しなくなる。その都度今度は自分で修理したが、徹底した分解修理が必要なのは言うまでも無い。

7.レーダーが、対馬滞在中に気分を損ねて作動しなくなった。帰路、度々濃霧に脅かされ、すんでのところで大型船に突き当たることころであった。その本船(大型船)から緊急無線を受け、危機を脱した。

8.母港に着き、艇を上架すると、防食亜鉛がいつの間にか外れていた。

9.なお、エンジンオイルは途中で一度全部抜き取り新たに入れ換えた。が、フィルターはそのままだ。今一度、オイルを抜き換え、新たなフィルターをつけねばならない。

10.バウ・ウインチを取り替えねばならん。現状の自動巻き上げ方式では、緊急時に間に合わない。

あたりまえのことだが、

艇はスッゴクよごれ、船底には貝が付き、小さな擦り傷があちこちにできている。

今年は、これで、いったん日本列島魚釣り周航の旅を終えるつもりだ。来年、また艇を再整備して、残りの旅を続けたい

70日の間、新聞もTVも、なぁ~んも見聞きしなかった。

郵政法案が衆議院を通過し、阪神タイガースがブッ千切りの首位を走っている。

留守を託したかみさんとは、常にメール連絡が出来ていたが、それでも帰宅してみると、あれこれの様子が変わっていた。

すっ飛んで来るだろうと思っていた愛犬2人(?)が、そしらん顔をして、かみさんの後ろにばかりついてまわる。

浦島太郎もかくあらんか。なんか変な気持ちだなぁ~。

5月当初に旅立った。

帰った今は、梅雨も明けた真夏の日差しのなか。

数日かけて、旅行記をまとめようと思っている。

対馬で、雨に閉じこもる中、すこし書き溜めたものがある。誤字脱字を整理しさえすればそれで済ますつもりだ。現地の味わいを大切に思うがゆえに。

| | コメント (5) | トラックバック (0)
|

2005年7月16日 (土)

おおがき海の家・沖野島マリーナ

広島県佐伯郡・沖野島へ向け航行中。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

関門海峡2

只今海峡無事通過周防灘へ入った。凪。速度16ノット。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

関門海峡

山口県・観音埼・室津フィッシャリーナを6時に出港。響灘・水島水道を南下中。関門海峡西端まで2マイル半。速度14ノット。視界1マイル弱。海峡内での霧を嫌い、時間調整のつもり。水温25*8。海峡の水温はどうなのたろう。霧はどうなのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005年7月15日 (金)

間一髪

室津フィッシャリーナに着いて昼メシの用意を始めた頃から風が強まり、15〜20メートル。海はまたたく間に泡立ち、一面の白波。ヤバかった。今、風が唸りをあげて吹き狂っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

旅深く対馬七月雨の海

対馬で日和待ちすること2 2日間、昨日ようやく晴れて久しぶりに陽射しを浴びた。待ちかねた凪の海。沖へ出て釣り糸を垂れた。凪過ぎた小潮の釣り。ぜんぜん潮が動かなかった。竿先も動かない。レンコダイ・イトヨリ・沖メバル。
今朝、対馬を発つつもり。さんざめく雨の音に目が覚めた。今朝発つと決めた心にしみじみと聞く雨音。艇外はまだ暗く雨のなか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005年7月14日 (木)

アキどん再登場

一昨日兵庫県加西市へ帰ったアキどんが、今日朝4時20分着のフェリーで、また対馬へやってきた。家に帰ったら、途端に、また対馬へ行きたくなったと言うのだか、どんな神経しとるやろ?あぁ、来た来たと言って、フェリーから降りたら、もう手にビール持っていた。
すっかり調子があがっていて、夜が明けはじめた頃は、サザエのバター焼を肴に、わたしも飲んでいた。
今は、二人とも昼メシ食って、グダァ〜としておる。昼寝しようかと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005年7月13日 (水)

アキどん走る

対馬の大雨にあきれ、昨日逃げ帰ったアキどんが、また新幹線に飛び乗ったらしい。今夜博多発対馬行きフェリーに乗り継ぎ、こちら対馬へ来るらしい。
あきれたもんだ。気短と言うか、ハッピーなおっさんと言うか、典型的な釣りバカですな。また、雨引き連れて来るのじゃあるまいね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

アキどんの忘れ雨

アキどんは、昨日午後2時発の博多行きフェリーで、雨を連れて帰国(?)した。彼が乗ったフェリーが港を出ると雨が止んだ。
だが、今朝、目覚めると、またドシャドシャ降っている。
ゆりたろう天気図によると、明日から等圧線が緩み始めるようだ。明日、比田勝港を発とうと思う。22日間日和待ちした計算になる。艇は動くだろうか?わたし、もうすっかり比田勝の人。故郷を得た心地がする。昨夜も中原さん宅で夕食をいただいたが、奥さんが「また対馬に来ますか?」と問うので、「来ます来ます」とお応えした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005年7月10日 (日)

依然としてシケ続き

梅雨か明けそうな気配があったのだか、アキどんが雨を背負って来たようだ。土砂降りだ。
今、沖は3メートルの波。
サザエ姐御がシケでサザエ網が破れるのを嫌い、仕掛た網を揚げてきたが、たったの5ケ。全部もらってアキどんと二人で食っちゃった。
明日も、明後日もシケ。どうにもならん。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005年7月 9日 (土)

アキどん登場

昨日夕方から降り始めた雨はその後ますます雨勢を強め、土砂降りになった。比田勝川上流の道路拡張工事から流れ出る茶色い水で港内が汚れている。だが、雨が止めば1〜2時間後にはまた元の澄んだ水に戻る。
今日は昼前に、艇友アキどんが飛行機でやってくる。飛行場まで迎えに行こうと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005年7月 7日 (木)

マグロが…

“一重出し(ひとえだし)”ボイントで昨日マグロが跳ねたとの情報があり、右腕の痛みを忘れて、今朝5時半、沖へ出た。ボイントは岸から2マイル沖。盛んにホッパーを投げている漁船が居た。
ダメだった。ボーズ。昨夜ここで巻き網漁がおこなわれたらしかった。20キロ前後のものが入ったと聞いた。
2時間ほどシャクッて止めた。昨夜の深酒がこたえ、気分が悪かった。昼前になってようやく食う気が起こり、握りメシを2ケ食べた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005年7月 6日 (水)

ヨシ○サザエ

今日もまたサザエ食っております。
母港へ万一無事帰還がかなった際は、サザエ積んで帰って、キャビントップから、出迎えのギャラリー大衆(アホか、誰が待つものか)へ、サザエ撒きをするつもり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005年7月 5日 (火)

夕焼け

シケで対馬に滞留2週間。ようやく天候改善の兆しが見えてきた。右腕の調子さえ良ければ4〜5日以内には出港出来そうだ。夕焼けを見た。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005年7月 4日 (月)

次第にシケが強まるようだ

激しい雷雨が艇を叩き目が覚めた。夜中3時。糸瀬姐御の小船で明かりが動いていた。バケツをひっくり返すような雨。稲妻が絶えず光り突風が襲う。アリャ〜と、驚き、わたし、またキャビンに入り、寝てしまった。
5時に起きた。姐御はまだ小船のなか。せわしげに動いている。声を掛けた。
「おはよう。あきれた。あの豪雨のなか、沖へ出てたの?」
「雨より風がきつかった。おはやいですね」
「早くはない。あなたは3時にはもうここへ来ていたろう?」
「わたしは1時半に沖へ出ました。シケはじめる前にと思って」
「……」

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005年7月 3日 (日)

専門家

極小柄なおっさんが艇を見せてくれとやってきた。佐須奈港(比田勝港の山越西岸)木寺造船所の人。専門家の目付きであちこちを見る。「バウスラスターが壊れて困っとる。修理お願い出来ませんか」と、わたし。「ウーン、仕事がなぁ〜、明日、ここへ来なかったら来れんです」と、判じ文句みたいな返事。実はカクカク…と状況を話すと、「コツコツ叩いてみませんか」と、言う。で、直しましょうと、側の木切れを手にし、バウスラスターをコツコツ叩いた。バウスラスターが動いた。ブラシにひっかかったサビゴミを落としたのだそうな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2005年7月 2日 (土)

4畳半

4畳半くらいな部屋にTVと洗濯機と風呂だけがある小屋が漁連会館裏にあって、旅船の者らに解放されている。わたし、誘われるまま中に上がり込みだべっている。方言がきつく分かりにくいところもあるが、旅に出て2か月、九州のバッテン節にも慣れてきた。各地の海況、船のこと、漁のこと、燃料油の値が上がった話など等。わたしは、更に個人的なことまで、失礼になぬよう気をつけつつ、いろいろ聞かせてもらった。旅船といっても、ひと昔前のわびしさはない。悠悠自適、趣味の一態様といった感じ。イカ漁の船は、出漁準備を始めた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

三角布

糸瀬姐御のサザエ網漁を少し手伝ったり、先の大戦当時朝鮮海峡に睨みをきかせた砲台跡を見学したりしておったが、出航以来痛みが取れない右腕がいよいよ痛くなって使えなくなった。離島医療団の上対馬病院を受診して今は三角布姿。もう2週間ほどここに居ようかな。箸が持てないから、サジで食う丼物生活になる。まったく、ヒマで困るよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2005年6月 | トップページ | 2005年8月 »