動物園の平和
内田樹先生の見識高い超有名ブログに、わたしごときがトラックバック貼ったりしては失礼かなと思いつつ思い切ってトラッばったら、途端に、わたしのこのブログのアクセスカウンターが沸騰しウナガッ(ウナギ上がりになった)てもた。
初期の「波平釣り日誌」(現在のこのブログはこれからの発展系)は、日々の閲覧数が5~7件だった。それが最近は100件ほどになっていて、こらえらいコッチャと、わたしこのところいささかキンチョウ気味の毎日を過ごしているってわけだが、トラバッテ以来、これがいきなり1日500件ものアクセスになった。
ただし、次の日から、だんだん下がって、元の状態になりつつあるが、それにしても内田先生のブログの力は凄い!
あれっ!
この「スゴイ(凄い)!っていう言い方は、“問題な日本語”らしいですな。
今月号の文芸春秋の特集記事にそういったことが出ていたっけ。「問題な日本語」の氾濫を嘆き、さる国語学者がいろいろ書いておられた。わたしが冒頭に書いた「超~」っていう言い方も、その仲間ですよね。わたし、次回行きつけのホームセンターに行ったとき、レジで、買う品物と、メンバーズカードと、千円札を出して、
「これって超スゴイ。買うのは以上でおよろしかったです。千円からお支払いさせていただきますが、カードはこれでおよろしかったですか?」って言ってやろうかな。
あのう~ですね、わたし、
内田樹先生のお袖にすがって生きておりましてね。今一度、先生の最新論説(ブログ記事「動物園の平和を嘉す」)を読ませていただきました。これ、楽しみです。
わたし、先生のご意見に全面的に賛同しています。さぁ~すが先生!ッて感じ。
で、その上で、いくつか述べてみたい。お許しくださるかな?
あぁ~、このたびの「動物園の平和を嘉す」は憲法9条2項改正の昨今の風潮について語られたもので、先生は危惧の念を抱いておられるわけですが、
ひとつは、
先生は、合気道をなさるってことですが、合気道の技・心と、9条2項とは、どう関わりあっているのか知りたいですねぇ~。
さらには、
かつて小林秀雄は、“平和とは戦争と戦争との間の怠惰な時期のことだ“といったような意味のことを言ったと記憶しているけれど…、で、彼がここで言わんとした本意はさらに先にあって、“戦争があって、その戦争の収束時期ないし次の戦争への助走時期があるってことで、この時期を平和と呼ぼうかというわけで、もともと平和なんて固定観念は無いのじゃないか”ってことだったようにわたし記憶するのだけれど、間違っていたかな?書かれていた原文を再度当たりたいが、どこだったかもうわからなくなってしまっていて、だいぶ思い違いがあるかもしれないけれど…。わたし、このあたりの内田先生のとらえ方が知りたいです。昔、ピースってタバコがあったよなぁ~。今もあるのかな?わたし禁煙して25年になる。いまにウォアーってのが売り出されますよ。
価値観の違いのことだけど、A国⇔B国が、A国×B国に、なってドンパチ始めたとする。
AはBを認めない、BはAを認めない。土俵が違うから話がすれ違ってわけがわからない。
戦争ってこういうことですよね。
で、価値観だけど、早く言えば宗教観ってことでもある。
キリスト教にしてもイスラムにしても、ヒンズーにしても、中心に居る神様は恐ろしい神様で、俺以外をあがめるやつは殺してやるぞ!滅ぼしてしまうぞ!って脅したりする神様だ。像だって怖い感じ。
が、仏教はそうじゃなくて、どの仏像もやさしげで慈愛にみちたお顔だ。観音様などは、いつなんどきでも、「南無観世音菩薩お助け給え」と口に出せば、即刻お助けくださるお方ってことになっている。昨今はイスラムが価値観の違いを鮮明にしていわゆる問題になっているけれど、イスラムとキリスト教は元を正せば同じ宗教でしょう。これはユダヤ教も同じだ。一人違うのが仏教です。わが国を仏教国と決め付けつけるのはいかがとは思うが、仏教的素養・情緒が中心の国柄であるには違いない。そのわが国が「平和」に寄せる思い入れが、はたしてどれほど怖い神様が君臨する他国に理解し得るのでしょうね。きっとヤバイところもあるでしょうね。あぁ~おそろしい。
先生!9条2項の存在適否は、まさにこの一点にあると思えるのだけれど、いかがでしょうね。解いてお教えいただきたいのだけれど、お願いできないかなぁ~。
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