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2005年11月27日 (日)

責任

最近、変な事件がいろいろ報じられていますね。責任者出て来い!って感じかな。このあたりのことを、内田樹先生は「『責任を取る』という生き方」にまとめられた。

で、以下は、

わたしの、コメント。

責任を他人に押し付けるたりせず、ひたすら深く自己反省し、自分の身にふりかかった災いを甘んじて受けるってこと。これって好ましいことなのかどうか。

身に起こった災いの発生因子の相当部分は、自分の不注意・不心得から生じてはいても、比率的には他者の側にも責められるべきものがある場合。否、他者の方にこそ、その発生因子(原因)が多く存在する場合はどうするか。

自分の側にあって、自分の心得ひとつで左右できたはずのことがセーブし切れていたら、その災害は結果的には発生しなかったであろうとして、ひたすら反省を深めることが良いのか悪いのか?

自己成長のためには、自己反省する方が、他者を責めるより、より優れているでしょうね。

が、しかし、そうすることで、社会がより住みやすい方へ発展するかどうかは疑問だ。

自分が反省することは良しとしても、他者もまた自分と同じように反省してもらいたいと考えること、これって、やはり他者を責めていますでしょう。

他者のなした過ちを責めずに済ますことは、社会生活を続ける上からは不可能ではないのかな。世はいわゆる契約社会でしょう。互いに約束しあって成り立っていますでしょう。

互いに約束を守らなきゃ成り立たない。“責める”ってことじゃなく、“他者が自分ら各々の責任を認めることを容認する”ってことが大切と、考えてもよい。で、容認しようとしない者は排除する。この排除するって選択は許されますか?

わたし、自分自身を振り返りるに、

自分の誤りに気付かず、油断油断の日々をおくってきたし、今もなそうですよ。自分の側にある責任をきちんと自覚すること、これが実は一番むつかしい。わたしだって、はっきりと自分の誤りを自覚し得ていたら、そうたびたびは間違えなかったと思う。でも、いつまでたっても、ダメみたい。どうやら、わたしは、自己反省する前の段階で既に貧弱にすぎるようだ。わたし、どうすりゃよいのだろう?

視点をすこし変えてみます。

神様・仏様たちは、ご自身が「責任を取る」ってことを、どうお考えになっておられるのかってことを。

わたしは、長い人生の中で、幾度も幾度も「あぁ~神も仏も無いものか…」って思いました。あぁ~、神や仏は、私を見捨ててしまった。神や仏には、善良なる市民を護り保護するって責務があるのではなかったか。もしそうなら、その責務を果して欲しい…と。

いわゆる、苦しい時の神頼みってことですな。

旧約聖書「ヨナ書」に、

「神よ!あなたは私と交わした約束を破られた。あなたは40日後に、悪の街ニネベを滅ぼすと約束したではないか。もうその時期が来たのに、なぜ滅ぼさないのか。そういうことなら、わたしが、あなたの約束違反の罪を背負いましょう、即刻わたしを殺しなさい!」

と、神に抗議した男が居る。

抜粋してみよう、

「…あなたは、恵と憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いを下そうとしても思い直される方です、主よ、どうか今わたしの命を取ってください。生きているより死ぬ方がましです」といった。

応える神の弁明がおもしろいですなぁ~。要するに、神は、なにをしてもエエってことかな。神や仏に責任を言いなじるってこと、これほど不埒なことは無いってことかな。

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