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2005年12月25日 (日)

漠々たる世界

内田樹先生のブログ「集中講座終わる」を読んで>

総合失調の者らは“時間”を持ってなくて、せこく生きている者ら(正気の者ら)は“時間”を持っているってことかな。

“知性”は“能力を制御”することで“機能”するとなると、

知性:制御力、って向き合った関係があるみたいなことになるけれど、

知性、=制御力、と、仲良しの、両者は同じこっちゃという関係じゃないのかな。

同じって理解がだめでも同調ってことならどう?

知性と、制御力は、表裏一体、分かち難い関係ではないのかな。

また、

制御力を如何にパワーアップしても、どうにも秩序だって理解できないとき、その分野をあきらめるってのが、知性の生命線だっておっしゃるようだけど、これってホント?

否…、あきらめるのはまだ早い、

その分野は、たとえば映画の世界では、ゴチャゴチャした映像を集め組み立てることで、どうにも理解し難い分野に同調するって手法がありまっせ!

と、先生は、こう言っているのかな?

今回の「集中講義終わる」は、難しいなぁ~。

もし、わたしの「集中講義終わる」の読み方が間違っていなければ、

“同調”ってのは、いわゆる“悟り”に近い境地ってことになるように思うけれど、このあたりはどうなのだろう。

で、悟りってなんだ?

いやぁ~、言葉で説明なんかできない言外の境地ですよ、って、悟りを開いた人たちはみなさんおっしゃるようですな。

そう言われたって、わたしら凡人には、なおのこと理解できん。さっぱりわからん。

でも、内田先生の今回のお言葉からすると、

映画を鑑賞して、ある種の感興が得られたら、そしてそれがどういう感興であったかをうまく説明し切れなかったら、それがある種悟りに近いものですよってことになりそうだ。

わたし、先生の論を批判しているのじゃない。逆ですよ。先生の論に大賛成です。

得られた感動・感傷・気持ち・雰囲気…、これらが閾の内側かにあるか外側かにあるかは定かでなくても、身体状況が現にそういう状況下にあるとき、わしゃ、まさに、ここにこそ現に生きているような心地がするもんなぁ~。まぁ~言ってみれば、映画観てオモロかったら幸せってことだよな。

それにしても「アナグラム」的な論理展開ですなぁ~、

京大でのご講義だったそうだけど、近頃の若者等は、京大クラスにもなると、こんな話をアクビもせずに聴けるってことかな。隠居でも理解に苦しむシンドイ話でっせ。

先生の話は拡幅がデカイからオモロイけどシンドイや。いや間違った、シンドイけどオモロイや!

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