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2006年1月

2006年1月31日 (火)

南日本新聞

medaka_003 鹿児島錦江湾入り口・薩摩半島側に山川港がある。廃止になった古いフェリー付き場がある。昨年、わたしは愛艇「はまちどり」をそこへもやい、約1週間ほど滞在した。フエリー乗り場を降りたすぐ前に食堂や宿屋があった。どうやらその辺りが記者氏のお住まいだったらしい。

突然、南日本新聞社編集部から電話があって、メダカ釣りについて質問を受けた。で、いろいろお話しする間に、以上の事などが分かり、わたし、記者氏に親しみが湧いて、あれこれ取りとめのない話をしたのだった。

それが、去る1月21日(土)に新聞掲載され、掲載紙が送られてきた。記者氏はまだお若いお方である。真剣にわたしの話をお聴きになった。わたし、お話しすることが、スルスルと吸い込まれるように記者氏へ伝わって行くような心地がした。非常に失礼な言い方であるけれど、なんだかメダカ釣りの弟子を得たようでうれしい。

下手なデジカメ撮影だ。読みにくくて申し訳ない。

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侵食夢

わたしの頭は非常に単純に出来ていて日中に何かあると必ず夜中に夢を見る。頭が単純ってことは、バカだってこととほぼ一直線につながるわけで、目覚めた後の後味の悪さは自己嫌悪そのもの。わたし、自分がバカだってことをもう充分すぎるほど承知している、そう再々念押しは不要だ、…と、このこと、いったい誰に文句を言えばよかろうか。

昨夜は、しつこく中学生当時の夢を見た。それは52年前のある日のことであるらしかった。校舎は禿山の上を削り取った跡にあった。丘の中腹である。法面は自然のままに放置されていた。大雨がある都度少しずつ侵食され崩れてゆくようであった。

一昨年、久しぶりにこの近くへ行く機会があり、立ち寄ってみたが当節のことだ校内へは入れない。門外から様子を見た限りでは、校庭は当時の半分ほどに小さくなっていた。法面はコンクリートで固められている。

…何か身体的・精神的に不安な状況があると、夢に中学校生当時のことが出てくるのである。それも決まって校庭にならんでいる夢だ…

校庭の法面は3年間中学校へ通う間にも、絶えず少しずつ崩れており、その分確実に狭くなりつつあった。校門は作られていなかったが、なんとなくここが学校の入り口だと思われる個所はあった。雨が降るつど真土(まさつち)だけの斜路に自然に出来た水路は深みを増し、やがて学校の入り口をも通り越して校内へと続いていた。

その溝は、いつのまにか、わたしの深層心理のなかにまで入り込んでいる。

校庭にならんでいた。朝礼の場であるらしかった。前後左右に懐かしい顔があった。あぁ中学生になってここへ戻ってきたのだと思った。意識は今65歳のままで中学生になっていた。意識が混濁し、コンガラガッテ目が覚め、又、寝入ってはこの夢の続きを見た。

愛艇のギヤーの不具合のことがあって、このところ気が滅入っている。

実に、他愛のない、単純な頭ではある。

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2006年1月30日 (月)

眺めています

プレジャーボート・小型船用「港湾案内」ですけど、H-803と、807の二つは、全ページが、インターネットで閲覧できるってご存知ですか?わたし、まだ807を持っていなかったので、このたび807は全ページをプリンターで印刷しました。

807以外にも持っていないのがあって、プリントアウトしたいのだが、他の海域のはまだ発行元が出し惜しみしているようなので、すぐ欲しければ本を買うしかないのです。が、これがまた品切れときているからホント困ります。数週間もあれば品揃え出来そうなものを、なぜかいつまで待っても追加発刊してくれません。いつ発刊するのでしょうね。

海図だって、すでに完成しているものは、みなインターネットで閲覧できるように、なぜしないのでしょう。海図を高値で販売しようとの魂胆かな。1枚平均、約3千円くらいします。なぜこれほどまで値が高いのか不思議です。調査費を別にすれば、紙代・印刷経費だけなら数百円でできると思う。日本水路協会とか、日本財団とかが、実際の業務をやっているわけだけど、海洋調査自体は海上保安庁がするのでしょう。海上保安庁との関係はどうなっているのでしょうね。

協会にせよ財団にせよ、はたまた保安庁にせよ、お上のご威光をこんなところで示すなんてヤクザっぽいやり方だ。みなさんはそう思われませんか?

それぞれの関係外郭団体の定款を読んでみれば、なるほどそうかとわかるようなものだけど、なるほどと思って妙に合点して、なんか変だなぁ~って気持ちが吹っ飛ぶに決まっているから、わたし強いて読むことはいたしません。

なお、今日のわたしの行動予定ですが、

午後1~「Drクマひげ新宿駅ウラ診療所・隣室の美女」⇒朝日TVへチャンネルを切り替えて15時~「はぐれ刑事純情派・悲しい酒・女艶歌歌手の野望」。

その後、しばらく尺八の稽古して⇒19時~「八丁堀の7人」と、だいたいこんなところかな。

今ですか?

今、は、来るべき列島周航に備え、H-802・803・804を今一度眺め直しているところです。

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2006年1月29日 (日)

ダンゴ

渡り鳥がカギ型や扇型になって飛ぶ時、先頭に立つ1羽はリーダーかというと、必ずしもそうじゃないようですね。多くは、たまたま先頭を飛ぶことになっただけということらしい。わたしは、彼こそが、なんらかの意味でリーダーじゃないかと思うのだが。

海へ出ると海面上をシギの集団がウワ~と飛んでいる。ダンゴになって飛んでいて、どれが先頭かはわからんが、全員が一斉にアッチへ飛んだりコッチへ飛んだりしている。

アジを釣るときには魚探で魚群を探します。アジに限らず、鯛だって、カツオだって、魚はたいがい集団で泳いでいる。それぞれに先頭に立つやつが居る。あとにダンゴになって同属の者らが続く。

日本社会が云々などと言うときは、きっと日本人集団のダンゴのことを言うのでしょうね。まわりの様子を観ながら、皆の真似をして、安穏に暮らしたい。ダンゴの中に住まう者らはたいがいこのように思い暮らしている。時に少し皆の意向に迎合しない者があらわれると、よってタカって追い出してしまう。

ダンゴの先頭はどこなのだろう。ダンゴの中のどのあたりに俺は居るのだろう?

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2006年1月28日 (土)

邦楽演奏会

来る2月25日(土)正午から~午後4時の間、神戸市北区の区民センター(すずらんホール)にて、神戸市邦楽倶楽部第12回定期演奏会を開催します。

神戸市邦楽倶楽部は、神戸市役所職員を核にした尺八好きの趣味の集まりでしたが、今や、神戸市内各界の方々が参加する大所帯になりました。

先の大震災の翌年に長田区で第一回の演奏会を開きました。大勢の方々が聴きに押しかけて来られました。以来、毎年、神戸市内の各区を順次巡り歩きつつ演奏会を開いています。そして、毎回、演奏会場は立ち見の出る大盛況であります。

下手なんです。出演者は皆下手な素人たちだ。ただ尺八が好きなだけの下手ぞろい。

だが、会員は皆一生懸命に尺八を吹く。会場にお越しになった方々へ何かメッセージを送りたいと思って。そう、下手なりに一生懸命です。

自分らの楽しみだけで開く演奏会じゃない。会場にお越しなった方々と一緒になって楽しみたいと思っている。これはわれわれ神戸市邦楽倶楽部員皆の共通の思いであります。

番組半ばで、童謡・唱歌を舞台の上下一緒になって歌う場を設けることにしています。尺八が伴奏です。炭坑節などを演奏しますと、感に堪えかねた方々が思わず席を立って通路に出て踊りだしたりすることがある。と、いつの間のか通路は踊りの人たちでいっぱいになったりする。わたしたち尺八奏者は、客席からの熱気に圧倒されながら懸命に炭坑節を吹き続けます。このようなことが再々あったなぁ~。

今年は、番組に、琉球民謡や、演歌や、喜太郎や、平原綾香のジュピターや井上陽水や、平井堅の大きな古時計なども入れることになっとる。来場者の皆さんと一緒になって手拍子のなかで尺八を吹きたいって思っている。

趣向は他にもある。来場者500名には童謡・唱歌の特製歌集を差し上げるつもりだ。北区社会福祉協議会が後援してくれている。で、こういうことが出来る。ちなみに、この歌集に載っている歌なら、いつなんどきでも尺八伴奏できるってのが、われわれ倶楽部員の自慢だ。要請があれば、どこへだって、手弁当で出向き、尺八で即席カラオケ演奏会のお相手が可能だ。

2月25日(土)の演奏会には、もちろん、わたしも出演する。その他大勢の中、変な音を出すオッサンがいたら、それがきっとわたしだ。

入場料…無料 開演は正午から。

会場は神戸市・北区民センター…神戸電鉄「鈴蘭台駅」下車、北へ300m 

℡ 078-594-2711

本会の世話役は内田。 ℡ 080-3102-4404

彼・内田は、わたしのポン友であります。何なりとお問い合わせください。

これ、わたし波平の、陸上での姿であります。…マージャンばっかりしているわけじゃないってことですわ。あぁ~忙しい!

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わたしもその1人

また「きっこの日記」に触発されて言わずもがなのことを言います。

昨日大坂地裁で、公園内のホームレスに住民登録を許す判決が出たこと。と、

大坂の公園内に居付くホームレスの強制撤去(行政代執行)がはじまったことについて。

わたしは、かつて生活保護法に定める某救護施設に職員として勤務した経験がある。

で、救護施設について、多少のことは知っている。

救護施設とは、身体上又は精神上著しい障害があるために日常生活を営むことが困難な要保護者を入所させて、生活扶助を行うことを目的とする施設。

“行き倒れ”の方たちや、ホームレスなどがこの基準にあてはまることが多い。年齢制限がある。18歳以上。で、身体的、あるいは知的(精神障害含む)障害があって、18歳まではそれぞれの養護施設にあった方らが、その施設を卒業して後入所できるところと言えばこの救護施設。救護施設は各種障害の複合施設。アルコール依存症の者も該当する。

全国に200弱の施設。定員2万弱。

毎年微々たることだが強化され続けている。

問題は、あまりにも施設の、定員の、絶対数が不足していること。「きっ子の日記」に、その数、大坂に7千5百、東京に7千とある。最近の数は全国で2万5千人。と、いうことは、救護施設の数が今の倍新たに必要であるってこと。微々たる増強では全然間に合わないってこと。大阪城公園や大阪市西区の靱(うつぼ)公園から追い立てても、収容すべき施設が基本的には無いってこと。…実際には無理してどこかに入所のあてを用意したとは思うけど…。

問題の根底は、老人が急激に増え続けているってことです。福祉制度は老人ホームの方へ急激に傾き、複合施設たる救護施設が割りを食っている。

わたし思います。老人を出来るだけ在宅のまま世話しようって考え方を、本来は救護施設入所が適当な方たちへも向けたらどうかと。シャニムニ公園から追い立てるのは止めたらどうかと。公園内にホームレス区画と用意すればエエじゃないか。ボランティアが時々おもむき清潔な環境が保てるように協力できないか。公園は、そういう場所でないと言うなら、他に適当な場所を用意したらどうか。広大な海面を埋め立てて、なぁ~んも使わず、ほったらかしている場所だってあるじゃないか。

わたし、救護施設の職員として約4年間勤務しました。みなさん障害のある方たちばかりだった。みなさん動けました。施設の門はいつも開いていて、みなさんは自由に出入りされていました。出掛けたきり夕方になっても帰ってこない方があると、おおよその見当をつけて我々職員が探しに行きました。たいがい見当をつけたところに居られた。その多くは施設に収容される前に居た辺り。そうですホームレス当時の公園などでした。そこへ我々が出向いてそのお方を説得し施設へお連れします。が、しかし、その公園では他にも大勢のホームレスが住んでいました。その中へ戻り座り込んでいる施設のその方だけを、わたしたち職員は選び出し連れ戻りました。施設の定員は、いつも満杯でした。

某市の市立救護施設でした。今はもう廃止されてしまった。老人が増えすぎた。わたしもその1人。

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2006年1月27日 (金)

心臓がドッキン!

今日の「きっこの日記」はMAXの音楽のことだった。

「きっこの日記」は、はじめて読んだ時、リトル違和感があったのだが、もう読みなれてスラスラ読める。ひねくれたことが書かれているようでも、わたしの食えないヘンコツ文と比べると、ビックわかり易い。

MAXは、たしか、だいぶ以前には、安室奈美恵のバックで踊っていた少女たちじゃなかったか?「きっこの日記」文末にMAX紹介のHPアドレスがあったのでクリックし、彼女等(4人組)の曲を試聴してみた。27曲聴いた。

曲は若者等特有の例のズンドコ節ばかりである。ドラムスが興奮気味の心臓の鼓動に似てズンドコ・ズンドコ鳴っている。他愛も無い歌詞だが27曲も聴いていると、歌わんとする気持ちがなんだか多少は伝わってくるような気がした。4人のハーモニーがいい。真面目に一生懸命歌っているのが気持ちよい。だんだん好きになってきた。

わたしは、尺八を40年ばかりやっている。虚無僧の明暗流も少し吹くし、地歌(古い日本の三弦音楽)が中心だが、童謡・唱歌や、井上陽水や喜多郎だって時には吹いたりする。もちろんカラオケは大好きだ。

MAX試聴のついでに、浜崎あゆみ、安室奈美恵、安藤裕子、森繁久弥なども聴いてみた。森繁氏は93にもおなりなのですねぇ~。この森繁節いつまでも残しておきたい。

いろいろ聴いてみて、相沢巧弥子と言う人が特に気に入った。もちろんMAXのことはもうファンになったつもり。

MAXのオフィシャルウェブサイトを開いてみる。

メンバー4人の「書き込みメーセージ」がある。

達者な文章ですねぇ。顔文字や各種の記号がやたら多用されているけど、わたしには、こういう文章の書き方にも慣れなければいかんと思う気持ちがあるから、もう違和感は感じません。メッセージ読み込んで、ますますファンになってもた。

今度、だれかが、わたしをカラオケに誘ったら、どういうことになるか、コリャ・ビックリもんでっせ!

心臓がドッキン・ドッキンしまっせ!

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2006年1月26日 (木)

こぼれ酒

神戸新開地は私鉄・神戸電鉄の始発駅である。この地下駅から有馬温泉へ向けてコトコトと山岳電車が出発する。六甲山脈をトンメルで抜け出ると鈴蘭台。線路は二股に分かれ、一つは有馬を経て三田方面へ、他は三木・小野へと伸びる。

阪急・阪神など大手の私鉄の線路はみな広軌だが神戸電鉄は狭軌。一部に複線区間があるが三木・小野方面は単線。高低差のひどい、カーブのきつい狭軌路線を、速度の遅いガラ空き電車がコトコト走る。以前は、各駅には駅務員が居た。車両は運転手と車掌の二人で動かした。最近は、ほとんどの駅が無人化され、車掌はもう乗っていない。

線路に沿って県道が走っている。沿線は開発され人口は以前に比べ随分増加した。しかし、住民等は神戸電鉄の使い勝手の悪さやその乗り心地を嫌い、その多くはマイカーや神姫バスを使う。また、ゾーンバスに乗れば、簡単に、ひとつ山向こうの丘陵に開けた広大な西神中央団地に出る。ここで神戸市営地下鉄に乗り換えると速やかに神戸の都心三宮へ出勤することが可能だ。神戸電鉄はますますガラ空きになり斜陽化が進む。

昔、神戸電鉄の始発駅・神戸新開地は随分賑やかな街だった。映画館が林立し、スケート場などもあった。神戸の中心地であった。神戸電鉄は当時神有電車と言ったが、けっこう客が多かったように記憶する。新開地駅は地下の始発駅。改札口を出たすぐ近くに間口の狭い呑み屋がいくつもあった。わたしは、マイカーで通うようになるまで、通勤にこの電車を使い、三木からここ新開地駅まで乗っていた。帰宅の際は、決まって駅前の呑み屋で一息ついた。

以下のことを話したいと思い書き継いでいる。地下駅前の“立ち呑み屋”のことである。

地下駅の風情はわたし好みのものであった。なだらかに斜陽化しつつある風情にはある種の粋があった。意地っ張りだ。武士のツマヨウジって感じかな。

朝の出勤時はまだ立ち呑み屋はやっていない。やっていても、まさか出勤途上にイッパイやるわけにもいかん。改札口を出るまでの駅舎内に立ち食い蕎麦屋があった。朝は、ときおりここで掛け蕎麦を食った。ちょっとひと口蕎麦を食う、これが好きだった。半分足らず食って「ごちそうさん」と言い、鉢をトンと置き、暖簾を頭で払い店を出た。

改札口前の立ち呑み屋は、帰宅途上の止まり木である。ほぼ毎日ここでいっぱい引っ掛けて電車に乗った。かみさんはぜんぜんこのことを知らなかったのではないか。家に帰り着く頃にはまったくのシラフであった。

あの立ち呑み屋はまだあるのだろうか?もう久しく訪れていない。

最近、ジャン友の呼び出しに応じ神戸都心の三宮へ出る都度、約束時間の少し目に着いて、繁華街裏側の立ち呑み屋へ行く。なにせ隠居のことであるから時間は有り余るほどあって、昼過ぎからジャン卓を囲むことが再々である。昨今世間には隠居がやたら多いようで、以前は夕方からしか開かなかった立ち呑み屋が昼過ぎにはもう開いている。

昨日も悪友の誘いに応じバスで三宮へ出かけた。

早めに着いて立ち呑み屋へ。

昨日は夕刻6時から始めようとの約束だった。4人のうち約1名が未だ現役で、その者をそうたびたびは昼から引っ張り出すことはできん。で、6時スタート。わたしは、5時過ぎにはもう三宮へ着いていて、暖簾の内側に在った。店はまだ空いている。どうみても60台後半としか見えぬジジイら数人が、ドヨ~ンとした目で呑んでいた。

カウンター内で、バイト店員A・Bが話をしていた。

A「あのオジン今日は来んかったなぁ~、昨日は3時に来てクジラ(串カツ・150円)と酒だけで3時間粘ったでぇ~」

B「ほんまかいや」

A「しずかぁ~にしとるからかまへんのやけど、かなわんなぁ~、連れがおった。そいつは次々食いよった。2千円から食いよった…」

わたしは、どちらかというとA派である。注文は毎回決まっていて、熱燗とチュウーリップ(鶏串カツ150円)だけ。ただし、わたしの場合は、グズグズは呑まない。サッと食ってサッと呑み、サッと払ってサッと出る。暖簾を払って出て…物足らなければ…別の店の暖簾を払って入る。

立ち呑み屋では、熱燗は小さな枡(マス)にグラスを置き、これになみなみと酒を注ぐ。酒はグラスから盛り上がり耐えかねてこぼれ出す。こぼれた酒は枡に溜まる。この様子を観るのがわたしの密かな喜びである。こぼれ出た酒が多ければ多いほど、しあわせ~な気分になる。

昨夕のこぼれは多かった。

クジラと酒1杯で3時間ねばったオジンのことを思う。

そのオジンと横に立ちならんで、何話すでもなく酒を酌み交わしたいと思う。

わたし、思わず量を過ごした。熱燗3つ。

…で、ジャンに負けた。

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2006年1月25日 (水)

パソコンテレビ

わが家は未だに20年ほども前の古い小さなテレビを観ている。大きくてまだ新しいのもあったのだが、場所を取るし邪魔だったから処分してしまった。姪が「ありがとう」って持って行った。

実は、もう一台持っている。パソコンだ。かみさんとわたしで観たい番組がダブルと、わたしはパソコン前へ移り自分の机で好きな番組を観る。

長年のサラリーマン生活のクセが未だに抜けきらない。机に向かって座っているとなんとなく落ち着く。わたしは最近パソコンテレビ党になったようである。隠居がサマになってきたかな。

パソコンでテレビを観る術はだいぶ前から知っていた。我が家はすでに光ファイバーとケーブルTVが入っており、まさにIT老後を楽しんでいるわけだ。毎朝、パソコンを立ち上げると、まずテレビ番組画面を開き、面白そうなのをチェックする。面白いのがないとがっかりする。…と、こんなとき、つい先日のことだが、仲間のOMが書いたエッセイを読んでいて、ヤフーに、世界名作映画ライブラリーというのがあるのを知った。なんと、ここで、タダで映画を観ることができるようである。無料と有料とがあるが。当分は無料のものだけで充分楽しめそうだ。無料分だけでも随分たくさんある。映画だけじゃない、ほとんど何だって観・聴くことができる。わたし、今までこのことを知らなかった。もし、わたし同様ご存じないお方がおられたら、ここをクリックしてみてほしい。

シーズ犬を2人(匹)飼っている。室内犬だ。たいへん寝坊な犬たちで朝は8時過ぎころまで大イビキをかいて寝ている。そのすぐ近くにわたしの机。わたしは朝が早い。パソコンテレビを観たいが音量を上げると犬が起きる。できるだけ音を絞って観る。

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2006年1月24日 (火)

ライブショック

凋落ですね。連鎖反応が起きそうですね。社会不安が拡大し政変が起きるかもしれない。インターネットのおかげで、隠居でも、時々刻々居ながらにしてなんでもわかる。新聞各社全てホームページを掲げているし、政府インターネットってのもあるし、小泉内閣メールマガジンもある。もちろん社長日記も。いろいろあるけど、ざっと目を通した感じでは、まるで大人が子供を叱っている構図だね。

ところで、

コンピューターは0か1かの世界でしょう。いわば合法か否かの世界でもあるわけだ。ここには倫理とか条理・道徳などは無いですよ。

パソコンを使い始めた初期の頃、キーを押し間違えて「あなたは不正を行った」とデスプレイ上に表示が出てビックリしたことを思い出しました。

「○△をクリックすると□◇になります…」とマニュアル書いてあれば、そうする以外他に手立ては無いという意でしょう。だのに「ナニナニするとカクカクなる」などとマニュアルは書いたりする。

こういうマニュアル世界に浸って育つと、倫理とか道徳とかは、身に付かないのではないかな。わたしように古い育ち方をした者だって、時に、「アレッ!いつのまに俺はパソコン的な考え方するようになったのやろ?」と思う時がありますよ。堅く凝り固まった広がりの無い思考をよしとする変なこだわりのなかに自分を見つけて戸惑ってしまいます。ゾッとすることがある。

パソコンの操作を知っているってのは本当の意味の知識じゃないでしょう。決められた操作手順をいくら頭に叩き込んだって、そんなのはロボットの頭と同じでしょう。ひょっとしたら、ホリエモンの頭はその手の頭じゃないか?そう、法の隙間を“0”じゃなく“1”方へ置き換えて理解したわけだ。東○出の頭だもの簡単だったのじゃないか。

わたしの同年代の友人や知人等を見渡しますと、少なく見積もっても7割方はまだパソコンの外側です。…って、ことは、7割方は、まだパソコン汚染から逃れ得ているってこと。だけど、これも困るのですよね。ライブショックを証券取引法違反レベルでしか理解し得ていないってことでもあるわけだ。パソコン汚染についてはなんら知見が無いってこと。これからは、この汚染と、良かれ悪しかれ向き合わなあかんと思う。で、ないと、今なにが起きているのか、なぁ~んもわからんようになる。小泉さんはパソコンを自分で触れるのかなぁ~?前原さんはどうかな?

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2006年1月23日 (月)

鐘の声

「大学入試センター試験」の設問と答えが新聞に全部出ていますね。ダメですなぁ~さっぱりわからん。「現代社会」って科目、これなら少し解るかも。やってみたけどやはりダメでした。設問の意味がわからん。解答なんかとてもとても。日頃からクイズに慣れてないとダメでしょう。

パソコンの解説書がスラスラ読める力が必要です。問いかけを直感的にとらえ、クイズ感覚で5割方は見当をつけ、その後に知識を使って補正し⇒正解に至るって流れかな。“以下のうちから適当なのを選びなさい”式の選択方式が多い。5つのうちからひとつ選ぶと、正解確立20%。クイズに慣れていたら60%にはなりそう。一番必要なのはゲーム感覚。そんな気がしたなぁ~。勘です。勘が大切!

その“勘”で思うのだけど、今おごり(驕り)の絶頂にある最もホリエモン的なカリスマは、スレンダーウッドばぁさんでしょうね。例のキンキラキンのエセ占い師ですよ。本屋へ行きますとね、彼女の占い本が山積みになっとる。検察特捜班はこういう詐欺師まがいのバァサンをなぜ放置しておくのでしょう。放映するTV局も同罪ですよ。善者ぶっている分、麻原オームよりもっと悪質だと思います。

商品販売の広告なら誇大広告ってことで取締りがある。占い本だって一緒じゃないか。エエかげんな出まかせをしゃべりまくるのだって本質的には一緒でしょう。ほっといたら、次回の参議院選挙に出てきまっせ。当選しますよ。国民を惑わすことスモールスプリングの比じゃないよ。なにが言論の自由なんぞであるものか。

アップ・スワンプのしゃべくりも、わたし好きじゃない。が、かみさんがやたら面白がっていて、いつもTVに彼女の顔が映っている。彼女のしゃべりは軽い早口冗談って位置づけらしいけど、うんにゃそうじゃない。見続けている間に、彼女の感性こそが正常なもののように思えてきて、皆が真似するようになるぞ。わたし、最近、上沼、アッ言うてもた、と、わが家のかみさんがダブって見えるもんなぁ~。困ったもんだ。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ…

“おごれる人も久しからず…” 

“おごらない人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし…”

おなじことなら、踊らなソンソン、

踊ると驕るは、違いまっせ!

イイヤ、同じこっちゃ!

スモールスプリング、タケ番頭、村上ファ~さん、アップスワンプ、スレンダーウッド…、まだまだあるけど、当たり障りがあると困るから、もう口をつぐみます。

もの言えばくちびる寒し秋の風  芭蕉

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2006年1月22日 (日)

印南野

価値ってなんだろう。すばらしいと思っていたことが嘘やダマシであったなんて、錬金マジックだったなんて…、何を見てもホンマなんかどうか疑がわなあかんなんて、かなわんなぁ~、

この頃は毎日が日曜日で、油断ダラケの生活なわけだけど、以前まだお勤めしていた頃は、優れたお人だなと思っていたお方に、お近づきになってみると、クダラン男だったってことが、たびたびあったなぁ~。わたしがそう判じたお人の側でも、わたしのことをそう思っていたみたいだったけど…、

こういう関係って、マイナスばっかりで、それこそクダランことですよね。シンドかったなぁ~。

今日は、稲美町の「印南野半ドンの会」の新年祝賀会に出席しました。

会の代表は中嶋信太郎氏。今年102歳。瑞宝双光賞の受賞をお祝いする会でもあった。稀代の碩学でいらっしゃる。未だに現役の先達。ホンマもんです。こういうお方に接し得ることは幸せです。ご挨拶して、お声をかけてもらった。

会では、文芸と郷土研究の雑誌「印南野文華」を年2回発行している。わたし、このところ毎回エッセイを寄稿しているが、みなさんの硬めの研究報告に比し、わたしのは遊び中心のやわい話。少しい異質かなぁ~と思っているが、受け入れてもらっていてうれしいことだ。本日発刊の最新号には昨年の西日本列島周航を「周航記始末」と題し載せている。もしよろしければ以下をクリックしてみてほしい。

「burogu_syuukoukisimatu.doc」をダウンロード

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2006年1月21日 (土)

旗印

ホリエモンの錬金術」というサイトを、さるキッカケで知って、さっそく閲覧しました。これを読む限り、ホリエモンはすっごく悪知恵が働く人らしい。もう取調べが始ったようだから、まぁそれなりの結果が出るのだろうが、もう1人ホリエモンの親分のようなのが居ると書いてある。「ホリエモンと小泉純一郎1~3」に小泉氏のことが書かれている。

ホリエモンと小泉純一郎はとてもよく似ていて、小泉こそは稀代の悪知恵師だって書いてある。ヤクザだって書いてある。小泉氏は首相ですよね。未だに健在で捕まっていない。みかけとっても張り切っておる。サイト管理者はそれがシャクらしい。

もし、小泉首相が、ほんとうに、ここに書かれているようなヤクザだったとしたら…、実は、これを読んでいるとだんだんそのような気がしてくるわけだけど…、たいへんですよ。なにがどう大変なのか、とっさには思いつかないけれど、きっと大変なことになる。

が、まぁそれはそれとして、ズーと読んでゆくと文末に川柳が一句添えてある。サイト管理者は、どうやら川柳がお好きらしい。どの記事にも、それ相応の川柳が掲げてある。

先の衆議院総選挙で、小泉自民党が圧勝したことを受けて、

 “勝ち組といっても長い目で見なきゃ”―神戸、金川千代 毎日新聞17.08.19

レレッ! なんと、わたしの親友のかみさんじゃないか!

仲間のOMも、以前から小泉首相のことをあまり良くいわない。と、いうより大嫌いみたい。わたしの友人・知人等を見渡すと、程度の差こそあれ、だいたいが反小泉的な感覚の持ち主が多い。わたしは、どちらだって構わんのだけれど、まわりがそういうことだから、だんだんそういう気持ちになってきた。ひょっとしたら首相はホリエモンと同じようなおっさんなのだろうか?打ち解けて話ができそうなおっさんではないなとは思う。わたしの苦手なタイプではある。わたし、旗印を明らかにせよと迫られているわけじゃないが、そろそろ反の方へ並ぼうかなと思ったりする。そう思って判じてみると、なんぼなんでも、彼も近々落ち目かなと思う。わたし、つい先日の地元市長選挙も投票しなかった。次の国政選挙も投票日がナギなら、きっと沖へ出てしまう。って、ことは、やはり、どっちだってエエってことか。

みなさんはどう?なんだかお尻がむず痒いですよねぇ~。スカッ!としませんなぁ~。

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2006年1月20日 (金)

魚釣り文化講座

先日某新聞の社会部記者から“メダカ釣り”について問い合わせがあり、これがキッカケで、「魚釣り文化講座」の閲覧が出来なくなっているのを発見した。

わたしは、三つのホームページを持っていて、この「隠居波平釣り日誌ブログ版」と、本体の「波平釣り日誌」と、「メダカ釣り」の三つ。「魚釣り文化講座」は本体の「波平釣り日誌」にアップしてあって、初期画面のなかに別稿・魚釣り文化講座としてリンクさせていた。が、どうしたことか、知らぬ間にリンクが外れ閲覧不可能になっていた。とりあえずリンクを戻したので、お暇があれば開いてみてほしい。

「魚釣り文化講座」を書いたのはいつのことだったろう。6~7年前だったようにも思うし、10年も昔のことのようにも思う。少しだけ読み直してみたが、修正・加筆したい箇所が随所にあった。いずれ本格的に取り組むつもりだが来年以降のことになる。今年は東日本列島周航のことで頭がいっぱいだ。

「メダカ釣り」は、実は、この「魚釣り文化講座」の発展形である。こちらの方は、できれば少しずつ普及活動を起こしていきたいと思っている。

メダカは熱帯魚の一種だ。メダカ鉢を庭先庇下にいくつか置いている。ジットしていて動かない。寒すぎる。だれかと似ている。

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2006年1月19日 (木)

航程検討

「日本列島魚釣り周航記」起筆の旅・東日本の部の、航程検討をほぼ終えた。まだ粗っぽくていろいろ詰めなければならんことが多くあるが、気持ちの上で、こうありたいと、思うことは一応図面上にプロットできたってこと。

小型艇「海空」で一世を風靡したT氏、「はまちどり」と同じアルビンゲッタウエイで日本一周を完遂されたイーグリットⅡのN氏、その他ヨットで一周された先輩諸艇のHPからたくさん情報をいただいた。

わたしの計画航程に一番近いのは、同型艇でもあるイーグリットⅡの場合です。

が、しかし、N氏の力はわたしを完全に越えている。心も技量も、そして艇の装備の数々も。残念だが、氏の真似をしたらヤバイぞ!と、思わざるを得ない。

日本列島を完全に一周し得たのは、わたしが知る限りほとんどがヨットに限られている。小型プレジャーボートで一気にこれをなし遂げたのは、イーグリットⅡのN氏のみ。真似たいが怖い。わたし、氏の真似ができようとはどうしても思えない。

で、探すと、「海空」が浮かんでいた。

「海空」は18.5フイートの90馬力船外機仕様。なんとこれで列島を半周した。北海道を周っている。真似ようと思う。わたしの「はまちどり」艇は28フイート。それなりにしっかりした沿海仕様の1級艇だ。T氏に指導を請いたいとお願いのメッセージを送った。快諾を得た。ありがたい!

航程検討をほぼ終えたと言っても、恥ずかしながら、未だ全航程の海図すら手元に揃えていないありさまである。あと11枚、海図が不足している。昨年西日本列島周航の際に知り合ったヨットのオオサカ・ベイ艇長H氏から、「よけいな書き込みがあるが、わたしの海図でよければお貸ししましょうか」と話があった。その書き込みにこそ千金の重みがあるじゃないか。わたし、是非借用させてくださいとお願いした。間もなく届くだろう。

艇の装備で新たに追加したのは、東日本海域のGPSプロッターソフトだけ。予備燃料タンクは、昨年は奄美・沖縄までを目指したから必需品であったが、この度は必ずしも必要じゃない。だが、百リットルだけは万一の用意に持参したい。昨年は20リットルのポリ容器に120㍑を分散し積み込んだのだったが、シケで艇が激しく波に翻弄された際、ポリ容器が艇内で暴れまわり、いつなんどき容器が破損するかと心配だった。事前にシッカリ固定してはいたのだ。だが、シケのなか、あるいは取り出さねばならんかもわからん予備燃料である。使い勝手も考えての固定だった。その分、シケには弱かった。今年はこれに凝り、ポリ容器の使用はやめる。代りにトラックの中古燃料タンクを買った。キャビン内に据えつけた。これについても、本当はいろいろ問題があるのだが、サイフとの相談結果である。

航程概要は以下のとおりだ。

瀬戸内海・播磨灘・高砂の母港・播磨マリーナを4月下旬に発し、関門海峡を抜け出て、日本海を北上する。時計回りのコースを取る。

全航程3.093マイル。巡航速度16ノット。使用燃料推計9.023リットル。58港に寄港する。

なお、航程距離計算・巡航速度・推定必要燃料など等は、昨年の実績を踏まえてのものである。瀬戸内海で遊ぶ際は20ノットで1時間当たり40リットルである。が、外洋を走り回った昨年の経験では20ノットで走れる海況は滅多になかった。せいぜい18ノットである。6~13で走った時間帯が最も長かった。16ノットで1時間当たり46.7リットルと計算するのがよさそうである。シケれば港に止まり沖へは出ない作戦だ。それでも、否応無しにシケに出会うだろうと思う。46.7と計算しておけば、間違いなかろう。

全航程の3.093マイルは、これも昨年の経験から多めに計算したのである。昨年は推定1.572マイル走っている。海図の上を直線でなぞれば1.260マイルほどだ。実際は直線を2割5分上回ったことになる。オタオタした走りだったってことか。今年は、できるだけ無駄走りはせぬつもりだ。今後、重複する走りを避ける意味で、立ち寄り先の再検討に入りたい。湾内に深く入り込むなどは避けることになるだろう。これは興味本位の航行を厳に戒めようとの自己抑制でもある。

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2006年1月18日 (水)

3曲

雪が降ったり、道が凍ったりで、延び延びになっていた老人ホームの新年会が今日行われる。母がお世話になっているホーム。昨今の老人ホームは概ね老老介護の色彩下にある。見舞いにやって来た家族の方々をうっかり入所者と見間違えるってこともある。わたし、身間違えられないようにしようと思う。

なにか芸の出来る人はおられませんか?と、家族の方へ、事前にホームからの呼びかけがあって、わたし手を挙げた。「下手な尺八でしたら、わたし吹けますが…」って。で、「花」「青い山脈」「われら人生60から」を吹くことになった。「われら人生60から」は、鉄道唱歌の替え歌。歳を60からずっと数え上げて百まで。百になったら、「百で迎えに来たならば頃みて行くよと言いなさい」となって終着駅。だけど、ホームには百を越えたお方がおられるのではないか?ここが気になりますなぁ~。

「おもいで」と名付けた歌集を用意している。大きな字で70数曲の歌詞が書いてある。今日はわたしの尺八だけで、みなさんの歌うお相手をするが、本格的にやるときは、箏と尺八の合奏でお相手をする。歌集に掲げた歌なら、なんでもOK。

実は、これ“神戸市邦楽倶楽部”の、ボランティア活動の一環だ。お招きがあれば、クラブ員の内で、手の空いた者が都合をつけあって出かける。時々お招きがある。恒例化したホームもある。演奏する歌は、その場の注文に応ずるが、次から次へと絶えなくて、延々数時間も歌い続けることがある。今日は、ホームが用意した催しの中のひとコマだ。3曲だけだ。10時前に出かけるが、その前に、わたし、これらの曲を少し稽古しておこうと思う。

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2006年1月17日 (火)

沖へ出たい

「偏屈ジジイ」と「芋」の二文を削除させていただきました。誤解が思いのほか広がるようでありましたから。

ブログは打ち込んで掲載したら、本と同じです。勝手に動き回る。そうなるともう打ち込んだわたしの手を離れたも同然になる。削除の2文はきつすぎる内容でした。わたし、これが勝手に歩き回るのを制御できそうに思えなくなった。削除も、遅きに失したきらいらあるようだ。申し訳ないですが急遽取り下げます。お許しください。

わたし、本当の意味で偏屈ジジイであるらしい。今後、わたし自身を、わたしがどう制御するかが問題だ。迎合するのは性質じゃない。かといって、必要以上にへんこつ張るのはやはり許されることじゃない。このたびは、bどんから一喝を食らいました。ありがたいことだ。我に返りました。

わたし、このところ機嫌が悪すぎるみたい。艇の故障で、ここしばらく沖へ出られていない。あぁ~、沖へ出たい。

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2006年1月15日 (日)

歩けるか?

サラリーマンを退職したとき、友人OMはまず能率手帳を捨てたそうだ。これからは手帳に縛られずに済むと思ったのであろう。二郎ちゃんはたしか腕時計を持たぬことにしたと言ったように記憶する。もう10年ほども昔のことになるから、他の誰かと間違っているかもしれない。わたしの場合は革靴を捨てた。みかけくたびれていて、長年履いていたにかかわらず、足に馴染まぬ靴だった。かみさんは、毎朝の弁当作りから解放されてほっとした顔をしていた。アレコレの変化・ケジメを経て、今がある。

昨晩、今日参加するお祝い会に着るスーツの試着をした。ここ6年間着ることの無かった昔のスーツである。試着してみると、胴回りが合わなくなっていた。ズボンが縮むわけはない。わたしの腹回りが太ったのだ。ホックが合わない。が、スーツはこれしか無い。他は皆捨ててしまってなぁ~んも残っていない。長年こんなのを着て、ネクタイして、革靴履いていたのかと呆れている。それは、所詮わたしではなかったような気がする。

昨年の西日本列島周航の旅では、作業着を多数持参した。艇のキャビンで寝起きするが、寝巻も用意していた。が、いつなんどき飛び起きねばならんかわからんから、とうとう寝巻は着ずじまいである。いつも、そのままゴロリと寝転んで休んだ。たいがい酔っ払ってひっくり返るように寝るのであるから、着替えが面倒だったってこともある。

と、いうような生活を2か月半続けたわけだ。すっかり、着替えが不精になった。家に戻ってからも、夜毎に寝巻きに着替えるのが面倒で、たびたびそのままやはり酔っ払ってゴロリと横になる。自然だ。自由だ。したい放題だ。ワイルドな気分だ。

ついでのことながら、艇内で酒を呑む際は、グラスは使わない。客がある際は紙コップを使う。が、1人で呑む際は、瓶の栓を開けて、そのまま瓶の口をくわえて呑む。グラスや紙コップでは、艇が揺れていると呑み辛い。瓶の口を直接くわえるとこぼさなくてすむし、妙なことだが、この方がよりよく酒の香が楽しめる。誤解があるといけないから補足しておくが、お客さんには、まだ口をくわえたことがない酒瓶の方を使っている。

酒瓶をわし掴みし、開け口を直接くわえて呑んでごろうじろ、まっこと自由で、自然で、ワイルドだ。ヤッタルゼ!って気持ちになる。美味い!

…もうすっかり、自分を取り戻した気であったのに、今日夕方からは、スーツ姿にならねばならん。また自分を失いそうな気がする。黒い革靴を履くが、昨年春の某氏葬儀以来久しく履いていない。あの時は足が痛かった。大丈夫だろうか。歩けるだろうか?

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2006年1月14日 (土)

また思った

書斎のパソコンの上側の壁面にカレンダーを貼り付けている。ひと月毎に、1枚めくる式のカレンダー。日の欄が大きくて、ここに予定のアレコレを書き込む。ヒマなんですよねぇ~、なぁ~んも書き込まれていない日がほんどだ。今日は、めずらしく書き込みがある日でした。昼から尺八演奏会の稽古があった。参加して、もう帰ってきた。

明日も、書き込みがあります。おめでたいお祝いの会があって、それに参加するつもり。略礼服にしようかスーツにしようか迷って、かみさんに相談したら、「スーツなんかもう捨てました」と言う。スーツもネクタイもあらかた捨ててしまって、替え上着のようなものしかもう残ってないって平気な顔だ。

全部捨てたのか?と、問いなおすと、一着だけ残してあった。定年退職間際に仕立てたのが、着ることもなくそのまま箱に入っていた。変なネクタイが出てきたが、なんじゃこれ?

明日一緒に出席する友人に連絡すると、彼も、スーツなんぞはもう処分してしまったという。明日はどうする気だろう。ひょっとしたら紋付はかまにする気かな。明日は尺八がらみのお祝い会。わたしも彼も、舞台衣装ならけばけばしいのを持っている。いやいや、おしゃれな彼のことだ、スキッとした出で立ちでやってくるに違いない。

常はクツシタ履くのもおっくうで素足のままである。ネクタイなどはここ6年間締めたことが無い。「オイ!アイロンかかった白いワイシャツはあるか?」とわたし。「あったかな?」とかみさん。

あぁ~歳取ったのだなぁ~、と、また思った。

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種と仕掛け

またまた内田樹先生のうわさ話になりますが、今回の「現代中国論打ち上げ」はいわゆる牽強付会(けんきょうふかい・こじつけの意)の類でしょうね。でも、たのしいですなぁ。先生にかかったら、白が黒になり、黒が白になる。なにごとでも自由自在に論断なさる。先生の著述を、もし、表面的にしか、読み取ることができなかったら、なんじゃこれってなるかもしれない。なんじゃこれって、思えたら、まだしも救いがあるけれど、ほんにそのとおりだと真っ正直に読み取ると、これが難儀なことになる。もう救いようがありません。

先生の話術というか、論述とかのものには、種と仕掛けがたっぷり用意してあって、これに挑戦しつつ読み解くってことがおもしろい。大きく分けて2つの意図から書かれている。

ひとつは、この話術の論理展開をご自分で楽しもうとの意図でかかれている。先生には“白を黒といい、黒を白という”、この話術のなかへ読者を誘い込み、ご自身が面白がろうってところがある。

二つ目は、この話術・筆法をもって、なかなか語り尽し難いある想念を反射的に映じ出そうとの意からなされることがある。

このたびの「現代中国論打ち上げ」は、後者の意から試みられた秀逸な一文だ。オモロイ、よく出来ている。

先生は、レヴィナスの研究家でいらっしゃる。難解なこの手の思想家を自由自在に読み解くお方である。で、時に、この難解な思想家たちの真似をなさる。このたびは、彼らの論述法をちょっと借用し、骨格をかるくいなした形で援用し「現代中国論打ち上げ」を試みられたってこと。

このあたりのことは、レヴィナスのことをご存知なければわかりにくいかもわからん。早い話が、レヴィナスの論文は、禅問答のような語り口で書かれており、読者に、丁寧にわかりやすく書こうって気がぜんぜん無い文章だってこと。

だが、解る人には解る。解らん人には解らん、と、そういう気持ちで書かれた文章は、わかる人の側からすれば、余分なことが書かれていない分、すっごく端的で、わかりやすい親切な著述である。この手法を、このたび、あえて先生は取り入れられた

“中国のことをよく知っている人より、むしろなぁ~んも知らない人の方が、真の中国をより良く見据えることが出来るのだ”って述べてあるわけだ。読み進んでゆくと、なるほどそういうことになりそうだとなる。

で、読者はもう一度原点に戻る必要がある。なぁ~んも知らなくてもある程度は理解できるのだ。それなら、わたしが、すでに中国の現状をいささかでも現に知っていたとしたら、ひょっとして更によく理解し得るのではないか、と、ここへ戻りたい。だって、先生の講義を受けて、なぁ~んも知らなかった現代中国を見る目を、眼力を得たのだ。その目を使いたくなるわけだ。で、中国の現状を見に行ってみようという気になる。機会を得て中国へ行く、いろいろ見聞を広めて帰国する。

…と、帰国して後、先生の「現代中国論打ち上げ」に出会って、自分が中国の現状をよく知っている人の側に分類されていることを発見する…。

…ねっ! いま、時系列を少しイジッテ、ことの次第を書きましたけれど、言わんとする焦点はここにありますでしょう。おもしろいじゃないですか。

でもねぇ~、先生の仕込んだ種と仕掛けは、ほんとうはまだ別にある。“知る”・“理解する”ってことの意味のことだ。ここにどうやら焦点があるらしい。思想ってのはしょせん方法でありクセである。視線の向く方向と言った方がよいかな。先生は、中国の現状を説明し尽くそうなんて、はなから考えているわけじゃない。そんなことはどっちでもエエわけだ。先生は、「あなた、ちょっとアッチの方も見てご覧」と、変な方向を指差して笑っている。その方向に何があるか?なぁ~んも無いのじゃないか。でも、先生にリードされてアッチの方を向いてみる、ここが大切。これが出来る者と、出来ぬものとでは、物を観る目に天地の差がある。わたし、このたびの先生の論述にはひどく感激した。

わたし、先生の講義が聴きたいけれど、100分で千円。1分が10円。もったいないとは思わない。だけど、交通費やなんやかや足し込んだら年金の外側の話しみたい。

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2006年1月13日 (金)

朝の日課

朝寝床で目覚めて、さて今日は何をしようかな、と、思う。凪いでいたら沖へ魚釣りに出るのがわたしにとっては一番正常な日課だが、こう寒くてはどうにもならん。元旦に鯛釣りに出て以来体調を考え自重している。

なにも決まった仕事がない。昨年暮までは細々と、神戸新聞夕刊に隔週コラム記事を書いていたが、この仕事(?)も無くなった。

昨日は、例の悪友らを引きずり出して今年3回目のジャン打ちをやったが、また勝ってしまった。少し手心を加えねば、もう遊んでくれないかもしれない。まだ充分時間があったのに、モーサンが「ワシャもう帰る!」と尻尾を巻いて淡路の山奥へ帰ってしまった。金の字が、わたしがリーチをかける都度、「またかいや、手がつけらんのう~」とサジを投げ、墓穴を掘った。半チャンを7回やって、アヤヤッス!のゴトーッペが4回、わたし波平が3回、トップを取った。こういう勝敗際立った状況は好ましいものではない、次回からはおのれを殺し、周囲の者らの安寧のために、福祉向上のため、やさしい気持ちでもって卓に向かおうと思う。

いつの頃からか、朝寝床で目覚めて後、起き出すまでの間、ぐずぐずするクセがついた。なにせ早朝は寒いのであるし、起き出してもなあ~んも用事がないのであるから、右に左に寝返りうって雨戸の隙間がだんだん白けてくるのを眺めくらす。

…と、フト、何か思いつくことがあって、それって、ひょっとしたらブログに打ち込んで遊べるかもな、と、思う。こういうテーマが見つかったらがぜん嬉しくなって⇒あれこれ思いを巡らすうち⇒パソコン前に行く元気が出て⇒起き出す。最近、これがわたしの朝の日課になっている。今朝は、昨日のマージャンのことを思い出し“勝ちすぎた”と反省したってことである。金の字やモーさんは、今朝はどんな目覚めを迎えたのだろう。もし、氏等に、返り討ちがあり得るかも知れんという覚悟があれば、なんなら今日も一戦交えてもよろしいが、わたし、上述のように、深く諸兄らをイジメたこと、反省したところであるから、ご両所は一応安心していてよろしい。

それにしても、昨日はおもしろかった。チョンボして、皆にさんざ笑われ、罰点を取られてシャクだったこともあったが、これを取り戻すにさしたる苦労は感じなかった。

ゲーム中、アルバどんから携帯電話があった。すでにわたしはリーチをかけ、パッソードラの単騎待ちになっとった。アルバドンは電話口の向こうに、こういう幸せがあったなんて知っておっただろうか?

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2006年1月12日 (木)

プライド

昔、わたしは、しばらく養護施設と救護施設の併合施設に勤務したことがある。

養護施設は、自分の身の回りのことは自分で出来るが生活(自活)能力に欠けた60歳以上の者を、救護施設は、行路病人(行き倒れ)になった方々やいわゆる浮浪者などを、収容する(当時は収容という言葉を使った)施設であった。わたしは、ここに副施設長として勤務し、施設の運営管理や収容者の生活指導にあたっていた。

見た目、尾羽打ち枯らした方々ばかりであった。が、一見そう見えるだけであって、実態は違っていた。みなさん、一様にしっかりした自分というものがあり、それぞれにプライド(自尊心)が、誇りがあった。この面では、むしろ通常の一般市民よりシッカリしていた。誇り高い方々であった。

わたしは、着任直後、すぐにこのことに気が付いた。みなさんには、プライド(自尊心)の他はもう守るべき何物もないようだ。この世になにも恐ろしいものはないのであろう。それは開き直った境遇がなせる技のように思われた。

が、しばらく後、こりゃ変だ、決して切羽詰った末のプライドなんかじゃない、と、気が付いた。ある種、障害を抱えた方たちばかりであった。知的にも、身体的にもということだ。が、毎日身近に接していると、この障害のことがいつの間にか、わたし自身の中から消えていて、まっとうに向き合っていた。わたしがみなさんに近づいたのか、みなさんが元々わたしと同じレベルの方々であったのか、どちらであったのかわからなかった。やがて、わたしは、わたしこそが、偏見の中にあったのだと深く反省せざるを得なかった。実に優れた方々が多かったのである。なんと、プライドを掲げるにたる方たちばかりじゃなかったか。以来、わたしは、収容された方々に比し、わたし自身を含め、施設職員等こそが人間的に劣っているように思われだした。わたしのこの思いは未だに変わらない。

みなさん、きつい障害をお持ちの方々であった。純粋に自分を見つめる方々であった。侵し難いプライドに身をゆだねる方々であった。

熱い思いがこみ上げるのである。わたしは、あの頃は、できるだけみなさんと同じ食事をし、一緒に遊び暮らしたのだった。みなさん方は、別段なんの仕事をするでもなく、ときおり催される施設の行事に参加したり、施設内を散策したり、談話したりして日々すごしておられた。わたしも、似たような日々を楽しんだ。

後年、後輩がこの施設の施設長になった。その彼もすでに定年退職して久しい。時に出会って酒を酌み交わす仲だ。昨夜、また一杯呑もうやと連絡があった。日を約束した。

文芸春秋に、塩野七生氏の「自尊心と職業の関係」と題したコラムがある。「失業とは生活の手段を奪われるだけでなく自尊心を育む手段さえ奪われることだ…」と、ある。

文意全体の流れでは、まさにそのとおりだ。が、しかし、ほんとうの自尊心は、職業云々とは別次元のものだ。

わたしの母は某老人ホームの世話になっている。ほぼ寝たきりだが、やはりプライドがある。わたしのことを他人と思ったりするようになっている。だが、プライド(自尊心)だけはいささかもボケないようである。

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2006年1月11日 (水)

団塊ニート

もったいないなぁ~と思いながら文芸春秋を読んでいる。

「…団塊ニートの誕生」というのがあった。

わたしは1940年生まれだから、いわゆる団塊世代より何段か古い生まれで…、だけど、もう立派なニートである。

もうしばらくしたら、わたしのようなニートジジイがウワ~と湧いてくるということであるから、まことにもって気持ちが悪い。この意味で、団塊ニート対策が研究されるのは結構なことだ。なんなら、言葉も、ニートに代るより適切な言葉が使われた方がよろしい。若い衆と、ジジイとでは、おのずと内包する問題が異なる。ニートでひとくくりはいかがなものか。

が、しかし、今は、団塊世代が“ニートになるゾッ”との言葉で、より強烈に、何かは知らんが、えらいコッチャという気になる。

分類が試みられている。

わたしは、プレ団塊ニートを自認しているのであるから、示された幾段階かの分類に自分をはめてみようと考えた。

問題になるのは、団塊が下流社会意識の中でニート化するってことらしいが、これは、まさにわたしのサイフにピッタリである。なにせ、わたしは、毎月発刊される文芸春秋を買うに汲々している身だ。どう考えても中流社会には届かないのである。

お前は、ボートを持っておるじゃないかと、言うお方がなかにあるかもわからんが、すでにご存知のお方にはくどいだろうが、新品であったのが中古に出され、それを買ったお方が、中々古で売りに出し、それをわたしが身請けしたのである。わたしは3代目のオーナだ。中流社会ってのは、2代目中古を買い受けるあたりのお方のすまう社会を言うのではないか?わたしは3代目だからもう立派な下流である。

で、分類は8つに分けられている。クラスタ分類というらしい。これ、サンプルから得た回答内容をグルーピングする技法のようだ。

わたしにピッタリなのはなかった。わたしは二つの分類に半部ずつ引っ掛かりが見い出された。マージャンが好きだが、これをギャンブル好きと見るならばの話である。競馬・競輪・競艇・パチンコは、わたしは苦手である。囲碁と何等変わらぬマージャンゲームはひょっとしたらギャンブルじゃないような気がする。と、それなら、わたしは、「貧乏文化人クラスタ」だけに所属することになる。

だが、どうもシックリ来ないことだ。サンプル(調査対象者)に示した調査項目に、魚釣りが好きかどうかの質問項目はあったのだろうか?文面からすると、無かったのではないかと思われる。魚釣りの字が記事中どこにも見当たらない。

自分が所属するであろう「貧乏文化人クラスタ」の特性詳細説明を読んで、わたしは落ち込まざるを得なかった。いやぁ~な気持ちである。ここに分類された家庭は食器洗い乾燥機を持っていないそうだ。わが家は、一昨年、震災でゆがんだ家をリホームしたが、この時に、ソヤツを据えつけた。また、この分類人はマッサージチェアを欲しいと思っているそうだ。よほど家事に疲れたクラスタであるらしい。わたしは、そんなものは願い下げだ。飼い犬2匹の頭を撫ぜておれば気がすむし、肩凝りも治るのである。この際、「とっつぁん元気で魚釣りクラスタ」ってのが、広く認知されるのが好ましいと思うがどうか。

…今後、この手の、話が多くなるのであろう…

住宅街の路地や、バス停や、駅のプラットホームなど等に、白髪のきたない髭面が座り込んで終日動かないって場面が目に浮かぶ。

すでにこの傾向は出始めている。地区の、自治体の、図書館には、白髪の髭面が、眠たげな目でぼんやり座ったり寝転んだりしておる。おう!波平の顔もある!

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あぁ思い、こう思う

OMは大の小泉嫌いである。「風格も品位もない男を首相に持った…云々」などと言う。わたし、昔から、あれこれ彼に教わることが多く、同年ながら彼のことを先輩のような気持で接しておる。その彼が、小泉首相のことを、かくは言うからには、あるいはそうかもなと思う。

と、そんな心地であったとき、文芸春秋2月特別号を読んだわけだ。余談ながら、新年号はすでに昨年暮に発刊されておる。新年1月には2月号が出る。せからしいこっちゃが、文句を言うても始らん。とにかく、発刊されたばかりの文芸春秋を読んだ。

小泉政権の悪口(?)が、どっさり載っていた。バランスをとるつもりか、前向きにとらえる記事もある。が、比重は、悪口の方に重い。

新聞にしても、かような雑誌にしても、時の政権批判抜きでは成り立たない種のものである。批判的精神がなければ国策論議などできないし、これがあって始めて中道をゆくことが出来ようってもんだ。多少の小泉批判があったとて驚くにはあたらない。想定の範囲内。だが、冒頭のOMの話があったから、わたしには、なるほど小泉ってのは、実にけしからんことをやっとる、と、思われた。わたしは何かを読む都度、すぐに感化される性質である。

文芸春秋は、まだ少し読んだだけである。だいぶ読む所が残っておる。最近は、本はなるべく買わない。お小遣いはジャン友にあらかた召し上げられて、本が買えないわけだ。この窮迫のなかで、無理して文芸春秋だけは買い続けておる。残りのページは少しずつ読まねばもったいなく思われる。

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変人

わたし、昨年末まで、読売新聞と日本経済新聞の2紙を購読していたが、思うところあって、今年から日本経済新聞の1紙だけに絞った。読売新聞販売店へは、新年からの購読契約は破棄したい旨申し入れ、了解を得られたと考えていた。

が、新年になってからも配達が続いている。当初は何かの手違いであろうと思い、間違いの配達がありましたよ、と、販売店へ連絡した。この時もしっかり購読中止の意も伝え直していた。が、未だに、今朝も、配達が続いている。実は、昨日も、6度目にもなる断り連絡を伝え直した。かみさんが連絡したが、販売店は「あぁ~、ご主人が、NHK会長の顧問就任が気に食わんって、お家ですね」と応対したようだ。それだけしっかり承知していながら、販売店はあえて今朝も読売朝刊をわが家のポストに投函した。

ここまで来ると、読売新聞販売店の悪意を思わざるを得ない。強引な販売だと思う。脅迫まがいの投函である。刑事告発しようかしらん。

投函された読売新聞は、そのまま読みもせず、まっさらのまま保管している。なにせ読みたくないのである。だから購読中止を申し入れたのだ。すでに販売店への自動振込みは中止の手続きを終えている。わたしは、購読中止申し入れを無視されて、だんだん腹が立ってきた。

変人呼ばわりは、なにも小泉総理だけの、限定句じゃない。わたしだって変人である。ハッキリ言って、わたしのことを、友人らのだれもが、穏やかな常識人だなんて思っておらんだろうくらいなことは、この歳だ、自覚しておる、判る。あらためて自分で変人の名乗りをあげるのもシャクだが、わたしは純粋無垢のまっとうな変人である。まったくバカとしか言いようのないやつである。

天下の読売新聞が相手ならワシャ満足。どうせわたしはヒマを持て余しておる。堂々の一戦を構えるつもりである。

明朝、もし、読売新聞が投函されていなかったら、わたしは、きっと寂しく思うであろうと思う。変人も、相手がないと、タダのヒマ人である。

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2006年1月10日 (火)

新潟日報

新潟日報から以下の連絡がありました。ご披露します。未曾有の災害に苦しむ方々がおられます。力を寄せて差し上げたいですね。

〉「地震、大雪をしっかり特集して全国にインターネット発信を」とい うご指摘につきましては、関係部局に伝えさせていただきます。日報ホームページの「トピックス」のところに「県内大雪 以上寒波」という目次を設定いたしました。ここをクリックしていただくと、過去の関連記事の一覧(1月6日から)がでてまいります。

〉魚釣りに対するご意 見も承りました。今後の紙面、ホームページつくりの参考にさせていただきます。ご 意見・ご指摘ありがとうございました。

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籠絡と口説き

私の結論は、「男を騙すのはまことに簡単」ということである。
男が「弱い」ポイントは「才能」のひとことである。
「あなたには才能があるわ。他の人には見えなくても、私にはわかるの」
と上目遣い斜め45度の視線プラス「かなぴょんのポーズ」でまず80%の男は落ちると断言してよろしいであろう。

上述は「いかにして男は籠絡されるか」と題する内田樹先生のブログ抜粋である。「かなぴょんのポーズ」というところが、わからんが、まぁ、可愛いしぐさってことだろう。

上述は、自分の経験的な自説だ、とのことだが、経験的はマユツバでしょうね。先生は並みの女性に「あなたには才能があるわ」と言われて舞い上がるお方ではなさそうだ。現代思想の権威でいらっしゃる。きっと深い学説を踏まえての説に違いない。

で、先生のお説は全く異論なく拝聴するわけだが、哀しいかな、わたしは、若い女性から籠絡された経験が無い。そこで世の男性諸氏にお聞きしたいが、貴方は可愛い女性に籠絡された経験ってございますか? エッ!おありになる! へぇ~、そういうもんかなぁ~、なんだか変だなぁ~、なんでわたしにはその経験が無いの?

このまま引き下がるはシャクだから、以下及ばずながら一矢を放ちたい。

思うに、若い女性が、男を籠絡しようとするのは、自分を口説こうとする男性がまわりに居ない時でしょうね。自分を口説く好ましい男性が居たら、それに上手に乗っかればエエわけだ。このときは単にハイと言えばそれでOK。籠絡は必要ない。

と、なると、女性に必要なのは、まず、男性から自主的に口説かせるって技術じゃないでしょうか。武術でいうと後先の先って呼吸でしょう。自分の方から最初に某男性に向かって「あなたには才能があるわ。他の人には見えなくても、私にはわかるの」と語りかけるのは先々の先。合気道的でないのではありませんか?

昔は良かったですなぁ~。デシャバリおよねが居て、お見合いの世話をしてくれた。が、昨今は、自分で相手を探さにゃならん。お見合いして後、じんわり相手男性に惚れさせて、ゴールインって技法が使えなくなった。後先の先が使えなくなった。

気にせずに、先々の先でまいりましょう。うまく行けばどちらだってかまわん。が、ちょっと待ってほしい。簡単に籠絡できた男性は、ひょっとしたら、今後他の女性からも同じように簡単に籠絡される危険がある。逆に、籠絡するに手間隙かかった場合は、今後よほど注意深く接しないと男は逃げ出しまっせ。要するに、簡単だったのも難しかったのも、後の維持管理が大変だってこと。適当なのをどう見つけますか。自分の目玉には色眼鏡が掛っているってことを忘れたらあかん。あのお方が好きって思い込みがある。難しいでっせ先々の先は。

余分のことになりますが、内田樹先生は、本当は、女性籠絡(口説き)の権威では?

もし、そうでなくても、日々妙齢の女性に接しておられるわけだから、キット口説きのコツについて優れた知見をお持ちなのではないでしょうか。教わりたい男性は多いと思いますよ。わたし?わたしは、もう、どちらでもエエですがね。

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丈と尋

また「北越雪譜」の話になるが、文中に“上越では18丈もの大雪があったことがある”と、書いてある。で、18丈は何メートルかだが、これがなかなか判然としない。1尺は約30センチ。10尺=1丈だから、18丈=30cm×10×18=54m じゃないか、と、なるが、なんぼなんでも54mも雪が積もったなんてホンマかいな?

別説があって、丈とは背丈の丈が目安だとする。と、なると、1丈=1.5m。昔の人は背が低かったろうから平均背丈を1.5mとするわけだ。で、18丈をメートル換算すると、18×1.5m=27m ひょっとしたら、あるいはこれくらいの積雪はあったかもわからん。

滝廉太郎の歌に、箱根七里ってのがあって、歌詞は「箱根の山は 天下の険 函谷関も物ならず 万丈の山 千仞の谷 前に聳え後に支う…」とある。

なんと往時の箱根の山は万丈もあったわけだ。まぁそんな感じがするほど高かったってこと。要は、丈は、感覚的に測られることが多く、対象が山などになると、人によりさまざまな丈を言ったわけだ。今現在の山の標高は海抜高で言うが、昔は山裾から見上げて山の高さを言った。山裾は広い。高いところや低いところがある。無茶苦茶に雑多な丈になるわけだ。

千仞(じん)の谷の、“仞”だけど、ヒロのことで、深さを言う単位です。7尺(210cm)~4尺(120cm)をもって1仞というと古い字源にある。ヒロは通常“尋”の字を使う。正しくはジンと読むがヒロとも読む。上述字源を尋でひくと8尺の意だとしてあった。尋は、怪しいのを捕らえて尋問すると言ったりするのに使う。たずねる、さがす、の意らしい。そういえば、昔、尋常小学校というのがあった。今の小学校のことだ。知識をたずねる、さがすの意味が込められたか。

と、“仞”も“尋”もむつかしいが、“仞”のことはほっといて、“尋”のことなら釣り師はわりと詳しい。釣り糸の長さを測る単位にいつも使っている。両腕を左右にパッと開いたときの長さだ。わたしの場合は164cm。腕を左右に力いっぱいパッと開いて指先から指先までを測るともう少し長く背丈ほどになるが、なにせ釣り糸を左右の手に握って測ろうとするわけだからこの長さになる。通常は軽く糸をつまんで腕をごく自然に左右に開くだけだから、150cmと心得るのがよかろう。1ヒロ=150cmってこと。

なぁ~んだ、丈も、ヒロも、一緒じゃないか。だけど、丈は上を向いて測り、ヒロは下にうつむいて測るってことのようですな。釣り糸は、タコ揚げするとき以外は、下側へ垂らすからなぁ~。

いちど“丈”と“尋”のことを、しっかりまとめておきたいと思っておった。

大雪情報のなか、なんとか整理できて、スキッとした。

ゴメンね (^_-)-

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2006年1月 9日 (月)

北越雪譜

江戸時代末期に「北越雪譜」という書物があって、著者はこの本で雪害に苦しむ越後のことを江戸の方々に知ってもらおうとしたようだ。江戸末期のベストセラーになった。

新聞やテレビで、中上越地方の雪害の様子が突発事故にからめてときおり報じられるが、いまいち実態がよくわからない。もどかしいことだ。江戸期でも「北越雪譜」があったのだ。情報過多の今の社会でなぜ越後地方の雪害の様子がわかりにくいのか?

地元の苦しみを知ったとて、わたしは腰痛もちの年金ジジイ。何の役に立つものか。

だが、地元の様子をしっかり伝えるメディアがもしあって、どのような支援が、どこで求められているかが判然とすれば、ひょっとしてボランティア活動が活発化するかもわからんじゃないか。

と、自分の役立たずを嘆きつつ新潟地方の地元新聞のサイトを閲覧するが、地震のその後も、今現在の雪害の様子も、なんら特段の扱いがなされていない。

自社紙の頒布(購読)地域へ向けてのニュースだけにこだわり、それをそのままサイトに載せているようだ。

他地区へ向けての地元紹介も、地元紙の大切な使命じゃないか?

今、某・地元紙の購買地元は、地震の後遺症や雪害で困っているのだろう。そのことを別途記事化し、全国へ向け、インターネット配信したらどうか。

地元では、雪害や地震のことを繰り返し繰り返し話し合い、嘆きあうのはもう辟易しているのではないか。新聞社としては、こんな様子ばかりを紙上に載せたら新聞が売れなくなると考えたのか。だが、地元へ配布する紙面には掲載しなくても、地元の困窮の実態だけはしっかりインターネットに掲載し、広く善意の支援を求める情報を発信したらどうか?

わたし、日経新聞だけしか取ってない。今日の日経朝刊には、新潟地方の困窮の様子は何も報じられていない。

上述某地元紙サイトには、魚釣り関連記事はシッカリ掲げてあった。

水温が下がり条件は整っているが、釣りができたのは元旦だけ。強い風と波が収まるまで、しばらく静観」と、ある。わたしは魚釣りが好きだけれど、地震の後、雪害に悩むこの地方に、釣り竿担いで行こうとは思わない。

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2006年1月 8日 (日)

日本列島周航の大まかな紙上シュミレートを終えた。

細かなことはこれから徐々に詰めてゆくが、荒っぽく言うと、

全行程約3500マイル

寄港先約60港

燃料約1万リットル

要する日程約3月半

大丈夫だろうか?

正直言って、途中頓挫の確率が相当パーセントありそうだ。

持参する常備薬だけでも、手提げカバンひとつ分はある。

艇はもつだろうか?

台風避難、廃網や浮遊ロープをペラに巻くなどの事故、艇の不具合、など等にどう対処するか。

ただひとつ、日程だけは充分に余裕がある。

ひたすらここへ逃げ込むことになる。

小型のプレジャーボートは時化(シケ)に弱い。ヨットでなら航行できてもプレジャーボートでは航行できないことが多々ある。

ナギ(凪)ばかりなら、ひと月足らずで列島を周りきることができるが、天候悪化の日数によっては最低3か月半を予定しなければならないだろう。ぜったいにナギの日しか航行しないつもりだから。充分な日程こそが安全弁ってこと。

長期間自炊の用意が必要。北海道はまだ寒いことがある。被服にも万全の備えが必要だ。など等の必要不可欠な準備があれこれある。が、結局のところはケセラセラ。なるようにしかならん。

旅。

人生は旅だという。

過ぎ去った過去の日のあれこれを思うにつけ、旅だったなぁ~と思う。

が、しかし、

わたしは、30数年間、毎日毎日通勤電車に乗って勤務地へ通っていたけれど、この間、1泊2日の旅行を幾度かした程度で数泊したのは新婚旅行だけだった。ほんとうの意味の旅はしたことがないってこと。

…昨年、愛艇「はまちどり」を駆って…、

2か月半の西日本列島周航の単独船旅をしたのだった。

これは、確かに旅だった。

寄港先に、はたして停泊できる適所が見つかるだろうか?

航行途中に事故が起きたらどうしようか?

など等の思いのなか、一宿一飯の恩義を受けたときのうれしさは、まさに旅の宝石であった。キラキラ光っていまだに心から消えることは無い。航行途上の時々に得た興奮は、確かに、今のわたしの血になり、肉になっているように思われる。

この旅から帰って思ったのは、なぜ、もっと早い機会に、このような旅を試みなかったのか、ということだった。

旅は危険だ。しんどいことだ。が、試みるべきだ。と、そう思う。

血が乾き、肉が落ちるのが老後か?

そりゃそうかも知れんが、いま少し間がありそうに思うわけだ。

やってみよう。“旅”を続けてみよう。

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2006年1月 7日 (土)

歳相応に心得るべきこと

毎日新聞・2006年1月5日東京夕刊に、養老孟司氏と橋本治氏の新春対談が掲載されている。題して「団塊を知らない子供たちへ」。

毎日新聞の企画担当者は、当初このお二人へ「団塊の世代について話していただけますか」と、注文をつけたようだ。

で、お二人は、ヨッシャ!と、延々2時間、息つく間も無く話し込んだということである。

掲載文は5分もあれば読める量。わたし、自分で読む時間を計ったら3分だった。

と、なると、丸々2時間-3分=117分 …117分は原稿にされなかったってことになる。ちなみに、対談の題も、

「団塊の世代について話していただけますか」⇒「団塊を知らない子供たちへ」

と、方向転換。

丸々2時間も熱気を込めて話された内容を、たった5分足らずの原稿にまとめる作業があったわけだ。

圧縮がきつすぎる。そのせいか掲載記事は決して読みやすいものではない。

いくら行間を読めと言ったって限度がある。行間の読み方に読者ごとの差があったらどうする?結果、対談されたお二人の意に添わぬ理解につながる恐れもあろうものを。

でも、企画子は、一般読者が読み違えないように、より正しくお二人の対談内容を理解し、要点をドラマチックに原稿化したのだ…、と、われわれ読者は理解して記事を読むことになる。

対談内容はおそらく原稿をはるかに超えた幅広いものだったろう。この幅広い対談から、企画に添った部分が抜き出されたのである。多少の色合いを添えて。で、対談の題が「…子供たちへ」となったわけだ。

内田樹先生は、毎日新聞夕刊でこの記事をお読みになって、

「『人のいい』内田さんたちの世代」と、題するエッセイをご自分のブログに掲載された。

新聞の記事中に内田先生にふれた部分があったのを受けてのブログ掲載である。

内田先生は、先生なりの深読みをされている。おそらくこれが正しい読み方であろう。

わたしは、新聞夕刊記事と内田ブログを並べ読んで、自分の理解の方向を矯正し“おう、そういうことか!”と、おもしろがって読む。

いくつかある要点の中から、キーワードをひとつふたつ取り出してみよう。

内田ブログから、「原始的経験」を取り出す。

新聞・新春対談から、「自分の手、自分の体で何かをやる」「バカになれたら、いろんなことがやれる…」を取り出す。

「原始的経験」を語るなかで、内田先生は、

何をやっても、何を考えても、すでに誰かの後塵を追うだけのことにしかならん…と…、思ってしまう、いわゆる原始の興奮を知らないままズルズル大人になってゆくことの恐ろしさ、あやうさにふれている。

新聞対談での「自分の手で…云々」からは、

とにかく自分の手で、何かを触ってやってみることの意義についてふれている。

これらのキーワードを合算すると、

⇒最近の若い人は、かっこうよく生きすぎる。下手に甘んじて、最初の思いつきを大切に育て、稽古し続けるってことが必要だ、と、読める。若い人には愛嬌って武器もあるじゃないか、なぜそれを捨てるのかって読める。

これって、実は、わたしの勝手読みである。

自分がまだ随分歳若くて、自分のことを叱られているような気がする。

新聞対談や、内田先生が、光って見える。

手取り足取り教わっているような感覚がある。

ふと思う。

わたし、もう若い人じゃなかった。今年誕生日が来たら66歳。団塊の世代は、わたしより、およそ10歳も年下の方々のことである。

諸先生方よ!そうきつく物申されるな、

ワッシャ、いまだに列島周航の思いつきを実行しようと、資金不足の中、悶々としておる。

ガラにもなく尺八の稽古に精を出し、十六分音符の早い指使いがどうしても出来ないのを、なんとかならんか練習中なのよ。ぜったいに上手にならんような気がするが…。

じゃが…、

これもまた考えようによっては年甲斐のないことだ。

歳相応に心得るべきことが他にありそうなものを…、

わたし、さっぱりそのことを知らない。

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2006年1月 6日 (金)

是非お教えを <(_ _)>

寒いですねぇ~、部屋内にばかり閉じこもっていては身体に悪いと思うから、飼い犬連れて時々外へ出るのだけれど、あまりの寒さにすぐに引返します。長年の経験上、2月はさらに寒かったような気がするがどうなのでしょうね。

昨日は尺八の稽古はじめでした。お師匠さんのところで「春の海」をやった。

あまりの寒さに手がかじかんでうまく動かなかった。尺八には裏側にひとつ表側に4つの穴がある。その穴を指先で塞いだり開けたりして音程を造るわけだが、指先が寒さでかじかんで素早く穴の開け閉めができなかった。

自然の竹を1尺8寸に切り、節を抜いて造った楽器でしょう。息が入って多少温まらないと良い音が出ません。…と、自分が下手なのを棚にあげ、寒さのせいで尺八がうまく鳴らないってぼやいておる。

尺八稽古の後は、金の字・ゴトーッペ・モーサン・わたし波平、の例の4人、三宮のジャン荘に集まり、一昨日に続き今年2回目の初打ち(?)をした。わたし、昨年は負け続けでシャクな1年だったが、今年に入ってふと感ずるところがあって以来負け知らず。大物に見えていた鉄壁の三悪人が、たよりない軟弱なヘナヘナに見える。

「船長!もうオレのことマージャンに誘わんでくれる」って、金の字が泣きを入れた。

モーサンが、…彼は淡路島の五色町からやってくるのだけど…、

「せっかく遠いとこから来てやったのに、あんまりイジメンでくれる!わしゃもう来てやらん!もう帰りたい」と、グダグダ言う。

と、いうわけで、わたし、まんざらしょげてばかりいるわけではないのだが、

艇の不調ってのがあって、スカッとしません。

“マリンギヤーの不調”の原因が知りたいわけです。

ギヤーのどこがどう壊れているのか、それがよくわからない。なにせ動こうとしたら、ギヤーが入らないことがある。

いったんエンジンを止め、エンジンルームに入り、ギヤーオイルの栓を緩めるとブシューと音がして圧が抜け、圧が抜けるとギヤーがつながる。

ギヤーボックスに圧がかかるとギヤーがつながらないってどういうこと?

マリーナのメカも頭をひねっていて、なぜこういう症状が出るのかわからんという。

ここまで、お読みいただいたお方で、

このあたりのことを、なにかご存知のお方があればお教えいただけないだろうか。

是非よろしくお願いしたい。 <(_ _)> 

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2006年1月 5日 (木)

注連縄(しめなわ)

わたし未だに靖国神社へお参りしたことありません。

でも、後学のため機会があれば一度お参りしたいと思っている。

梅原猛氏によれば、日本の神社は、シャバ社会に何らかの強い恨みを抱いたまま不遇の死を遂げたお方の霊を、注連縄(しめなわ)で封印した結界に閉じ込める場所だそうですよ。

恨みあるシャバ社会に“たたってやろう”とする悪霊を閉じ込めた場所、それが神社ってこと。

天神さんは、大宰府に流されて不遇の死を遂げた菅原道真の霊が、京の都にたびたび天変地変を起こすので、たまりかねて神社を造り祭った神社。

戦争犯罪者として処刑されたいわゆる戦犯の方々は、恨んでおられますよ。たたってやろうと思っているかもしれない。こういう怖い霊はシメナワで封印した結界におとなしくしていてもらったほうがよろしい。で、ときどき、ご機嫌伺いに参詣して、拍手を打ちます。お神酒を捧げて、エエ気分で居てもらおうじゃないですか。

首相が靖国神社へ参拝することの意味を、以上のような意味合いのものですよって、なんで韓国や中国に言わないのだろう。

わたし、65歳のこの年になるまで、毎年年初の初詣を欠かしたことはありません。

だけど、今年はもう5日になるのに、未だどこへも参詣していません。

今日、行こうかなと思ったら、かみさんが、今日はお寺さんがお参りに来られる日だって言う。お参りに来られるたって、仏壇前でお経をあげるわけじゃない。陰暦を記した八卦がらみの福寿歴(コヨミ)をお配りにこられるだけ。わたし、それを玄関でお待ちしていてお布施と交換にいただき、お寺さんに深くおじぎをするならわしです。

福寿暦(コヨミ)は、例の高島易断所本部編集・神宮館蔵判ってやつですよ。

毎年思うのだけれど、なんで真言宗のお寺が、年初に神社系の八卦暦を配るの?

わたし、サッパリわかりません。

わかりませんが、仏さんと神様が仲良しなのはメデタイです。

わずかばかりのお布施でもって、お二人の関心をわが家の方へお招きできるなら万事好都合。

同様のことは何宗のお寺でもあるようですね。お寺さんは正月もお忙しいようだ。

お正月は小坊主さんもお連れになるので、お年玉も用意するのだって話を某所で聞きました。きっと、寺の跡継ぎの顔見世の意味があるのだと思うけど、まさか子供全員を引き連れてってことじゃないよね。そこは聞かなかったけれど、気になりますなぁ~。

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2006年1月 4日 (水)

霧中航行中

ブログは、どうしても日記的な記述が中心になる。

日記は、日々の出来事を記録するということだから、使う言葉は過去形が中心だ。

と、言うことは、過去形中心の生き方を、知らず知らずの間に続けることになりはせぬか?

わたしは、ブログを始めるまでは、日記など付けたことがなかった。

まだ若かった頃、年の初めに日記帳を買って、今年こそは日記を付けてみようと幾度も幾度も決心したけれど、1週間として続いたことがない。

今にして思うと、続かなかったのは、わたしが不精であったためばかりじゃなさそうだ。よ~く考えると、わたしはどうやら現在形的生活態度の人みたい。きっと、日々使う言葉も、すなわち使う動詞は現在形が多いのではあるまいか。わたしは、過去形で物事をとらえるのが下手なような気がする。これでは日記が続くはずがない。

で、未来に対してはどうか?これはもう落第ってとこだろう。わたし、計画性がないことは、嫌と言うほど自覚している。未来・将来のことは、ほとんど全て“今”に収れんしてしまっていて、未来に対してなんらかの行動をするってことは大の苦手である。お小遣いの計画的使用などは出来たためしがないし、預金や、保険などは、生理的に苦痛を感じる。未来を買うということがシンドク思われて、現役時代も、勤務地へ通うJRや山陽電鉄の通勤定期を買うことが嫌で毎日キップを買っていた。計算すると、これで案外損得は無いようであった。しかし、マイホームを買った際はローンを背負った。こんなシンドイ荷物はなかった。

またまた魚釣りの話になるが、

“魚釣り”ってのは、極めて現在形の遊びだと思う。垂らした釣り針に、“今、魚が掛かるか、今、魚が掛かるか”、と、気持をいつもまっさらにして現在形を維持し続ける遊びである。魚信があろうが無かろうが、あるかも知れぬ魚信を常に妄想し続け“今”をからめとろうとする遊びである。こんなことがすきな男に日記は不似合いだ。

正常な人の、過去・現在・未来の、配分比はどうなっているのだろう?

わたしの場合は、

過去<現在>未来 で、過去>未来 だ。

この三つの関係を数字にすると、

過去:現在:未来=4:10:1  って、感じかな、

この分析を精神病理学者が見たら、もうりっぱな患者さんだと言うのではないか?

実はね!

今年5月初旬・新緑の頃出発予定の列島周航の旅の下調べをやっとるわけですよ。

上述の配分比では“未来”は最低の1でっせ。どうしましょう。

柄にもなく周航航程表を作ろうとしているわけです。

なかなか艇が進まない。バクバクとして予想がつかないことが多すぎる。考えはじめるとすぐに飽きて嫌になる。こんなもの作ったってどうせ現実にはなんの約にも立たないや、と思う。

計画では、

播磨灘・播磨マリーナ⇒瀬戸内海を西進し関門海峡を抜け⇒日本海を北上⇒北海道を時計回りに周ります。

たった今、

想像上の我が艇は、濃霧のなか、納沙布岬を無事回り切り、花咲港へ入港しようか、沖を通過しようか、思案中であります。

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2006年1月 3日 (火)

気合と片足

新年を迎えるとやはり気持ちが改まるようだ。

大晦日に途中まで紅白を観て、なんだかバカバカしくなって、早々に床へ入った。

5時に起きた。

と、新年じゃないか。

めでたい気分がそこらじゅうに漂っているような心地じゃないか。

で、日章旗を玄関門柱にくくり付け、空を仰ぎ、天を観望するに、凪じゃないか。

マリーナを7時出航。

小豆島マナイタ8時10分着。

すでにプレジャーボート軍団が盛んに鯛釣りに興じていた。80隻ほどか。

少し離れた位置に艇を漂わせ、釣り仕掛けの用意をし終えて、再度船団を見ると又々艇の数が増えていた。120隻ほどか。

わが「はまちどり」も船団へ分け入って具を垂らした。

午後2時半過ぎまでがんばって、約10回のアタリがあり、内2枚取り込み成功。8回のバラシ。

2回マリンギヤーがすっぽ抜け、エンジンカバーを開け、緊急修理をせなならんかった。

ビルジは正常。舵利きも正常。

だが、いつなんどきギヤーが外れるかわからんから、船団の真ん中・好ポイント辺りへは入り込み辛かった。出来るだけ閑散としたあたりへ艇を保持し、具を垂れた。果たして帰路は大丈夫だろうか?帰路途中ギヤー不調でエンコし遭難するのではあるまいか?

午後2時半すぎに、黒船(b艇)の船影が見えた。

で、この機会に帰路についた。

万一、帰路途中ギヤーが外れ、航行不能になった際は、b艇に援助を求めるつもりであった。マナイタに近づきつつあるb艇の側を、ホーンを1発鳴らしてかすめ走ったが、b艇はわたしの思惑など知るヨシもない。わたしは、b艇が、マナイタ周辺に遊よくしている間に、播磨マリーナまで帰り着く算段であった。

午後4時、無事マリーナ帰着。

bどん、ありがとう。感謝、感謝!!

「はまちどり」は、本年早々、抜本修理に入るつもり。

マリンギヤー完全点検補修・スタンチューブ取替え・ラダー油圧装置を上級規格へ更新、など等。

春、新緑の頃、列島周航の旅立ちに備え、最後の化粧直しである。

戦艦大和沖縄出撃の悲壮感は只今「はまちどり」のもの。

身が引き締まること、実にはなはだしいものがある。これ、わたしの、新年なり。

よく言えば気合、悪しくは棺おけに片足。

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2006年1月 2日 (月)

どうぞよろしく

inu01_01 以前、まだ現役で、市役所職員だった頃の付き合いが未だに続いていて、同僚等から賀状が届く。

尺八を通しての付き合いや、魚釣りの関係や、その他あれこれ変な付き合いもあって、届く賀状の色合いも様々だ。

年賀の寿ぎに加え、それぞれの消息が記されているのが多い。

総じて右肩下がりの印象が濃い。

旅先で撮った写真が貼り付けてある。爺さん顔になっている。なかには痩せこけた姿が痛々しいのもある。透析を始めましたってのもある。

とうとう男兄弟で生き残っているのはわたしだけになりました、と、付記してあったりする。そんなこと言われたって、賀してよいやら悔やんでよいやら…、

家族揃って撮ったのをいつも貼り付けてあるのが数通ある。娘さんが年々きれいになってゆく。人数が増えたのもある。孫が増えたのだ。

わたしは、今年は、かみさんに絵を描かせて、パソコンに取り込み貼り付けた。

わたし、昔から、字はカナクギ流である。

写真も下手で、撮った写真で気に入るものがあったためしがない。

文の方は釣り師流である。逃げた魚は大きいというが、その流儀だ。なんでもかでも知らず知らずに大げさに思う性質で、書く際も同然である。あまり褒めたものではない。

で、絵中心の賀状にした。

以前から、時々思うのだが、

“このお方はわたしのことを、今までどう思ってお付き合いいただいていたのだろう?”

と、そのお方の心に映じているわたしに、ビックリすることがある。

ビックリは、どのお方からいただいた賀状を拝見しても、大なり小なり感じるが、わたしがわたしを自己評定するところとの乖離を知ることは、今のわたしにとって実に貴重な得難い情報である。この乖離を把握する感性を失ったら、わたしはもうわたしでなくなるだろう。即刻墓石に変身する方がよろしい。

賀状を拝見しつつ、そのお方との心の交信を楽しんでいる。

わたしの心に住まうそのお方の姿も年々映じ方が変化している。

映画は続いている。

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