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2006年8月

2006年8月31日 (木)

煙たいけれど

夏が暑苦しいのは、先の戦争や靖国や原爆などなどの思い出、反省に、同時並行して耐えねばならんからじゃないか。

昨日の夜はことに暑苦しかったが、これはタイガースのせいだと思う。

あぁ~いうのは、出掛かったクシャミがへッこんだというか、アクビがひっくり返ってゾッとしたというか…、昨晩は片付かなくて寝つきも悪かった。

今日はまだ8月。こんなに短く感じ、また不可解だった8月は記憶に無い。

1日に日本一周航海から帰宅し、あぁ~シンドと、しばらく休もうと思ったのだったが、そのままズルズル日が過ぎてしまった。まだ写真の整理すら済んでない。艇に積み込んだ荷物を取り出して持ち帰ったのが、そのままダンゴになって書斎隅にある。

つい3日ほど前から、気を奮い立たせて周航記執筆に取り掛かったが、最初の書き出しすら、左右に触れて定まらない。頭の中の混濁が原因だ。コンセプトがふわついている。

周航はたったの100日間だった。だのに土台が揺れている。先の戦争で、遠くに遠征し、戦った兵士らの苦しみが、すこし分かるような気がする。

わたしは望んで旅へ出た。彼等はどうだったか。使命感か、義務感か、はたまた嫌々ながらであったか。出立の際のその気持ちの持ち様で以後対処でき得たか。わたしはチョット出かけるといった軽々しい気持ちで旅に出かけたみたいだ。だから土台が揺れるのだ。

常に、潮汐流や黒潮・親潮など海流と、気圧変化状況を睨みながらの旅だった。岬々では先端付近の海底水深のありようを、予想する潮の流れと重ね合わせ、その海域の航法を考えた。新聞TVのゴシップ記事なんか関係ない世界だった。大自然そのものに真向かいに向き合ったのであった。知らず知らずにではあったが。

大自然がある。そして港々に人がある(居る)。

多くの方々と出会い語らい世話になった。たびたび輪に迎えられ酒を呑んだ。

イルカの群れに度々出合った。あれはオットセイか、アザラシか、トドか、子牛のように見えた。丸い顔に髭があった。クジラが悠々と潮を噴いていた。海一面に海鳥が浮かんでいた。艇を進めると順に飛び立ち、また海に浮かんだ。魚探に魚影反応がすごかった。海が、山が、空が、生きて見えた。

走馬灯のように想いがぐるぐる廻って視点が定まらない。

このまま回し続けてほったらかしにしたい気持ちが強い。

が、しかし、玉手箱を開けようと思う。

書くべきは書いてみよう。

ケムリをかぶる。これ、世間様に世話になったズズイの役目と思うから。

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2006年8月30日 (水)

ボランの様子

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先日24日(木)の「りんどうの里」慰問演奏・“メダカ釣り”の様子です。こんな感じでやってます。

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季節の変わり目

季節の変わり目は体調を壊しやすい。犬だって同じこと。飼い犬ダイスケの医者通いが続いている。犬の場合は健康保険が利かないからスッゴク治療費が高い。難儀だ。

ダイは、ストレス性皮膚炎かもしれない。食いたい食いたいストレスみたい。腹いっぱい食べて、見た目、腹が風船に膨れているのに、まだ食べたがる。シーズー犬だ。毛が深く暑苦しい上に皮膚炎とあって可哀想でならん。スッポンポンに毛を刈り込んだ。中から、見たこともない犬が出てきた。

一昨日、昔の職場の仲間等と一杯飲んだ。

老いた顔を見合わせて目をシバシバさせ、近況を語り合った。

互いに、きっと気がついているのだと思うが、

見た目以前と変わらぬ談笑ながら、だんだん会話がかみ合わなくなっている。

話しのやり取りを楽しむというより、話題を独占し、取り合うような感じが出てきた。

「このごろ、あんた何しとるの?」と、これが挨拶だった。

その後が大変だった。

某氏はこのところ入退院を繰り返している。

某某氏は最近痴呆がひどくなったと聞く。

某某々氏は、奥さんの体調がよろしくないらしい。

わたしの左ヒザは痛くなったり治ったりの繰り返しだ。

ビールケースを倉庫に運んだらギックリが目覚めた。

かみさんが脚を引きずる。ドコソコが痛い整形科かしらという。

体調変化に健康に気をつけねばならん。

ゆりたろうが健康食品を見つけてきたが聞くと値が高かった。年金で食う物じゃない。

わたしも、ダイスケ同様、腹が減る性質である。食いすぎに気をつけねばならん。

あぁ~、腹が減った!

また、即席ラーメン食おうかな。これって、意外と健康食品のような気がする。

湯と酒半々で湯がいて⇒生卵をぶち込む⇒真ッ赤ッカに一味唐辛子をふりかけ⇒ガバガバ食う⇒汗がダッ!と出て⇒シャワーして⇒扇風機最強にして風にあたれば⇒気分が変わってサッパリと生き返る。

季節の変わり目だ、健康に気をつけねばならん。

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2006年8月28日 (月)

潮風がいい

新聞・テレビなしの生活は安穏でよかった。「子猫殺し」も読まなくて済んだし、タイガース不調も関係なかったし、殺人ニュース・倒産・買収・乗っ取りなども知らなくて済んだ。

この世に帰って来て、エゲツナイことばっかり見聞きせざるを得ないのがシンドイ。

あぁ、

マリーナへ又出かけて、昨日つくろったゴムボートの膨張実験をした。完璧です。空気は漏れなくなった。早速試運転。2時間ばかり、高砂の浜辺を行ったり来たりして遊んだ。

帰港以来あまり潮風にあたっていなかったので、すっごく気持ちがよかった。

釣り竿も積んで出た。小さなカマスの子が釣れた。

これからバスで三宮へ出て、一杯会。

また、シャバの空気に触れねばならん。難儀だ。

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2006年8月27日 (日)

ヤブ蚊

「…列島周航記」をまとめ始めている。

想いが錯綜し、持ち帰った資料共々こんがらがって立往生している。

しばらくこの作業で四苦八苦することになる。

これをやり始めると、外見上はボヤ~としているように見えるらしい。

そんなわたしを見て、かみさんがヤイノヤイノ言う。

わたしは、それなりにいろいろ思いを巡らせているわけで、かみさんの言うことは、スベテ宙で聴いている。返事を求められるたびに「ハイ」と応え、念を押されると「分かった」と応じる。だが、意識はそこにはなく、すべて宙で聴いており、返事もまた宙に浮いている。

かみさんが、カンシャクを起こし、犬らがワンワン吼えまくり、わたしの作業の邪魔をする。

「そんなにボヤ~としてばかりいないで畑の水遣りくらいしたらどう!」

と、厳命が下った。

そういうことならボヤ~としながらでもできる。追い立てられて畑へ行き、水道ホースを振り回した。ヤブ蚊がウワ~と出てきてどうにもならん。痒くて、痒くてかなわん。

執筆は遅々として進まない。

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2006年8月26日 (土)

忙しい 2

貧乏ヒマなしという。

お金持ちはヒマありという。

このこと、ぜんぜん変じゃないのに、「変だネ」って言うお方もある。

ときどき、貧乏でもヒマなときがある。

お金持ちでも忙しいときがある。

こういう時こそ、変だと思う。

だが、わたしは常に忙しくヒマが無い。

落ち着いているようで落ち着いてない。

ゴムボートは膨らみそうで膨らまない。

ちなみに、

ジャン友らは、このところ誘っても忙しい忙しいと言って、遊んでくれない。

きっと、また波平にやっつけられるのが怖くて、逃げているのだと思う。

これだけ煽っておいたら、あるいは近々遊んでくれるかもしれない。

だけど、

わたしは、明日も明後日もヒマが無い。

でも、明々後日なら、どうしてもって頼まれれば、ジャンの誘いに乗っても構わない。

そうなれば、せっかくデケタかもわからんヒマをジャン友に使うから、ヒマが無くなる。

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忙しい

モウロウとしていて、周航記執筆が宙に浮いていた。

帰港後、はやひと月が経とうとしている。このままでは旅のことを忘れてしまうだろう。

でも、どうしても、書き出す気力が沸かなかった。

…と、

“これって書き付けておきたい”と、思うことがあった。思い当たった。

脚色も何もない旅の記録だが、ブログでは書きつくせなかったことがある。これも、あれも、と、思い出すと、ガマン出来なくなった。

ムチャクチャ流で、吐き出してみようと思う。

今朝から、朝飯も抜きで一気に書き始めた。

腹が減って、時計を見ると11時が過ぎている。かみさんは、先ほどまで、ナニヤカヤ言っていたように思うが、どこへでかけたのか家に居ない。

テーブルに朝ごはんが用意してある。

これからそやつを食おうと思う。

そうだ!

ゴムボートの膨張実験をやりにマリーナへ行くつもりだったのだった。忘れとった。

これは明日に延期だ。

昼前には、ポーアイの港島会館へ尺八吹きに行く約束もあったぞ。

あぁ~忙しい。

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2006年8月25日 (金)

安全な環境

ゴムボートの修理ですが、今日は、今まで貼り重ねきた接ぎあてゴムを全部ひっぺがし、いまいちど初めからやり直しました。

…ひっぺがすのに苦労しただろうって?

⇒なんの、なんの、はしっこ摘んで引っぱったらなんの抵抗もなくツルリと剥がせました。

なんじゃこれ! 今までなにをやっとったのや??

で、接ぎ当ての仕方の説明書を読んだら、あぁ~デンデン間違っておった、ゴム糊の塗り方がダメだった!! 

わたし、激しく反省し、

説明書のとおりに接ぎ当て部分と、貼り付けるゴム布とに、接着用のゴム糊を正しく、指定回数塗りました。

塗る前に、

その部分を、サンドペーパーでこすれとあったので、コスリました。

が、しかし、

コスルのは以前の作業でも再々やっとったことです。きっとコスリ過ぎたのだね…。とうとう修理し難くコスリ破ってしまった。穴が大きくなった。

でも、ここでクジケてはいけないと気を引き締め、そこにも指定回数ゴムのりを塗って、マニュアルのとおりに貼り付けました。

楽しみですねぇ~、明日、又出かけて、空気を入れ→膨らせようと思っている。

大丈夫修理完成だと思うけれど、

★ 万一空気が漏れたらbどんの忠告に従います。捨てます。

☆ 漏れなかったら、エンジン付けて沖へ出て、播磨の海を走り回るつもり。

帰港してはや25日目。母船「はまちどり」はドックのなか。せめてゴムボートでなりと沖を走らないと、身体がなまる。

アキどん、伴走頼めんやろか?

生命保険?

自慢じゃないが、なぁ~んも入っておらん。

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次はどこへ

昨日の、老人ホーム・「りんどうの里」へのボランティア慰問演奏は楽しかった。メダカ釣りもやったが、これも皆さんとても喜ばれた。老人ホームにピッタシの遊びだとの思いを強くした。

カメラを持参していたが自分では撮る間がなかった。様子をアップできなくて残念だ。

園側でたくさん撮っておられたようだから、メール転送をお願いしているが「そんな難しいことできるかな?」っておっしゃる。よわったな!

一緒に出かけた神戸のキヨちゃんが…彼女は全盲ながらパソコンが堪能です…、メールをくれた。やはり“楽しかった”と、あって、歌が添えられてあった。

  あつきひも こころふれあう りんどうの
   さとにこだまし みなでうたえば    紀代

童謡・唱歌を約1時間、皆で歌ったのだった。約50人。最初はみなさん遠慮がちな小声だったが、やがて大きな声が出るようになった。

あとで園長さんがおっしゃった。「だぁ~れも、終わるまで輪から離れる人がなかった」と。

老人たちにとって、1時間も、オシッコのことも忘れて歌ったなんて、めずらしかったみたい。途中に感極まってオイオイ泣き出す人もあった。

わたし、「職員の方々も一緒に歌ってくださいね」とお願いしたのだったが、介護職員の方々にはまだ若い人が多く、童謡唱歌をあまり知らない人があった。「叱られて」とか「りんごの唄」などは、若い人には無理だったかな?でも、お年よりは歌ったですよ。

“メダカ釣り”には、ひとつ発見がありました。

やはりサクラが必要だってこと。だれかがやってみせることが必要。

メダカ鉢をテーブルに置くと。みなさんが“なんじゃこれ?”って覗き込み、オッ!メダカが居る!って、目が輝きます。

が、これを釣ってみようとまでは思いつかないみたい。

で、わたしが、釣っておみせすると、俄然みなさんハッスルなさる。

釣るには、上手・下手がある。メダカの1匹1匹に個性がある。メダカらが上目つかいに老人を見上げ、老人がメダカを観る。

誰かがうまく釣り上げると、全員がオォ~と、声を上げ、拍手がパラパラ起こる。

このような生きた遊びって、他にあまりないのでは。

あぁ、おもしろかった。

次は、どこへ出かけましょうか?

候補先がありましたら、わたしに連絡メール(右欄・メール配信)をください。遠慮は不要です。だけど、あまり遠くへは無理ですよ。

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2006年8月24日 (木)

サイドバー一部修正

右欄を改良しました。

特に、

アクセスカウンター(最下段に移動)を正しいものに修正しました。

以前のカウンターは、同じパソコンからのアクセスは、日に1回だけカウントする仕組みのものだった。以後は単純にアクセス回数を数えます。ブログ管理者側に開示されている数をそのままブログへ移したってことです。

以前の数と比べると4万ほども違います。同じ日に、何回もご覧いただいたお方がおられたってことみたい。アッハッハ、ヒマなお方がおられたってことかな。でも、これって、まことにありがたいことです。書き手冥利に尽きますです。

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ボランティア

Nipponnissyuu2_004_1 早朝5時、新聞配達のバイクがバタバタやってきて目覚めました。

ひんやりした朝の空気。飼い犬2人(?)を連れて朝の散歩。写真は我が家の芙蓉です。もうすっかり秋のムードだね。

今日は、老人ホーム「りんどうの里」(三木市)へ、神戸のキヨちゃんと二人で慰問演奏に行きます。

わたしが尺八、彼女は箏。ホームのご老人らが、箏・尺八の伴奏にあわせて一緒に歌うっていう趣向です。

赤とんぼ・夕焼け小焼け・もみじ・里の秋・旅愁・月の砂漠・荒城の月、などなどをやるつもり。

「千鳥の曲」も、少し抜粋して演奏しようかと思う。サワリ部分だけ。

彼女は箏の名手だから、ほんとうは彼女の独奏が一番聞き応えあるのだけれど、これはまたの機会にしよう。今日は皆さんとの初顔合わせ。皆で一緒に歌って遊ぶのが中心です。

彼女は以前にもブログで紹介したことがあるけれど全盲です。

上述の「赤とんぼ」などなど、今日の演奏曲だけど、みな目に見る秋の風情。

わたし、彼女と合奏する都度、しっかり見なくちゃバチが当たるって気がする。

わたしの尺八なんぞに価値があるとは思わない。だけど、キヨちゃんの箏はご老人らに聴いてもらいたい。彼女の気合は半端じゃないからなぁ~。命を延ばす力があるよ。

あぁ、メダカも連れて行きます。演奏会の後“メダカ釣り”の実演をやってみるつもりです。きっと魚釣りの好きなお方もあるだろうから。

♪♪ メダカの学校は~川の中 ♪♪

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2006年8月23日 (水)

あぁ、オソロシイ

「さるさる日記」には目を通している。日経8月18日(金)夕刊に、プロムナードってのがあって、「子猫殺し」が載っている。

見出しを見ただけでわたしは目をそらし読まなかった。

が、「さるさる…」が採り上げたので、その紙面を探し出して読んでみた。

オッソロシイことが書かれていた。

あぁ~イヤだ。

その内容を紹介することさえわたしには無理。

それにしても、なぜ、日経はこの記事をボツにできなかったのだろう??

魚を釣る→〆る→三枚に卸す→醤油つけて食う

一緒といえば一緒、違うといえば違う、

わけがわからんが、あぁ~オッソロシイ!

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ゴムボートのこころ

bどんコメント

<整理とはまず捨てることからはじめましょう。

お前が言うな!ってか、

すんません!>

ついさっき、「コメントに言い訳しません」と言ったばかりだけれど、

<…すんません>と、あるのは、言い訳を誘導しようとの意から出たサインだろうと読んで、以下言い訳します。

1.わたしは隠居です。

隠居ってのは、シャバ社会から整理し捨てられた年寄のことでっせ。

更に言うと、

空気漏れするゴムボートより、艇本体「はまちどり」の方こそが、まず整理されるべき対象かもネ。

って、ことは、

波平は、影も形も無くなってしまうわけで、そりゃあんまりだ!

2.アップツーデイトな観方をしましょうか、

この世には、赤紙を出す者と、出される者とが在る。これを一緒くたにすると混乱が起きる。現に起きている。…と、世間が騒いでいる。

出す人は、ひたすら整理し捨てるタイミングを探します。

出される人は、そう軽々に捨てられてはかなわんから逃げまくる。

これが頑張って働くってことかな。いわば、ゴムボートは今頑張っているってことじゃないか。

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2006年8月22日 (火)

今年の味

<継ぎ目からのエアー漏れはゴム引布の劣化が要因ということもございます。
この場合は、修理不能となってしまいますが、一度修理依頼としてお出し頂いた方が
宜しいかと思います>

と、アキレス(株)からお返事をいただいた。

経年劣化があるのは判っているが、いまだ空気漏れは3箇所だけだ。もうしばらく使えそうに思われる。で、とりあえず修理依頼をしてみたい。経費その他依頼先所在地を重ねて問い合わせ中だ。

宮古港にサンマが初水揚げされたようだ。サンマはきっと根室沖で捕ったものだ。あの納沙布岬をオホーツク海側へ回りこんだ海域である。サンマを満載し、濃霧の中、また納沙布岬を回り、岩手・宮古港へ帰り着き、陸揚げしたってこと。サンマの群れはやがて太平洋岸側へも周り出るが、今は、まだオホーツク側が主な漁場だと思う。

宮古港は奥深い港だった。

わたしは、先の周航では「リアスハーバー宮古」というマリーナに入ったが、ここは宮古港から更に奥へ入り込んだ箇所にある。あまりにも奥なので、アレレどこまで入り込んだら行き着けるのだろうと不安になった。マリーナの緯度経度を再度確認し、そろそろキョロキョロしながら入り江を奥へ進んだのだった。そしたら、ちっちゃなマリーナがあった。感じのよいマリーナだった。

決して悪口を言うつもりはない。

が、…どこのマリーナも実はそうなのだが…、ここも、プレジャーボートやヨットのことをあまりご存じないお方が、基本設計をされたのではないか?小手先の設計変更では追いつかない使いにくさがあった。なお、管理されていた担当のお方はシッカリしたお方だった。感謝、感謝。

サンマを食うごとに、このようなことを思うのだろうか。

国後島が覆いかぶさるオホーツクの海。貝殻島を横目に見ながら遠慮しつつ漁をし、航行する日本船。

今年のサンマの味はことに苦いに違いない。

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2006年8月21日 (月)

言い訳の言い訳

いただいたコメントへの“言い訳”を数度続けたわけだけれど、やりすぎたかな?

コメント打ち込んだら、なんぞかんぞ、言い訳されるかもと思われたらさっぱりわやです。

で、わたし、しばらく言い訳しませんから、遠慮なくコメント打ち込んでくださいな。

もっとも、言い訳してごらん!ってことなら、言い訳しますよ。だから、そのあたりのことサインが欲しいです。

<余談です>

今日は、空気漏れのゴムボートに取り付いて一生懸命穴ふさぎの修理したのだけれど、直らなかった。ふさいでも、ふさいでも、空気が漏れる。手伝ってくれたアキどんが

「波平さん、おきのどくです、ご臨終です」

と、言った。

もう耐用年数も過ぎて、どうにも修理が出来ませんってことなわけだが、そう簡単にはワッシャあきらめんのだ。メーカーのアキレスに、修理方法を教えてくれろ、と、問い合わせのメールを打った。

なんぞ良い返事があれば嬉しいが、アキどんみたいなことを返事するのじゃないかと、ビビッとります。

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ロン・ロン

また日経の記事からですけど、…これしか読んでない…、今朝の特集「ネットと文明」に、ミクシィ(mixi)のことが出ている。これソーシャル・ネットワーキング・サービスというそうですね。

なんのこっちゃ?会員制ブログってことらしい。

…らしい、ってことは、よくわからないってこと。やたら会員数が多いみたい。

なにごとも、少し、内緒の部分がある方が、秘密めいて面白いってところに目をつけたのではないかな。誰でも自由に参加ってことにはなってなくて、会員からの紹介がなければ参加できない仕組みになっている。高級バーや、高級ゴルフ場方式だね。

隠されると覗いてみたいじゃないですか。でも、わたしは会員じゃないから、見せてくれません。どんなことをやっているのでしょうね。

2チャンネルってのもありますね。これは覗いてみようと思えば覗けますが、なんだかさっぱりわけが分からんことが書いてあって、ズズイには面白くありません。世代の違いでしょう。

昨日、ABCTVで、小沢氏らが出て5党討論をやってた。面白かったが、こんなのが面白く思えるってのは、ある種脳味噌が硬直化してきた証拠じゃないかな。そういえば、出演していたおっさん等はみなさん、ガンコのかたまりみたいな顔をしておった。

今日も暑い日になりそうですね。

朝ごはん済ませたら、マリーナへ出勤(?)し、2馬力エンジンの再調整と、破れゴムボートの修理をしようと思います。

ひょっとしたら、モーさんや、金の字や、アヤヤッスから、“出て来い携帯”が入るかも分からん。そしたら出て行って、“ロン・ロン”って叫んでやろうと思っとる。

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2006年8月20日 (日)

物忘れ

旅から帰って今日で20日。いまだに艇の後始末ができていない。なんぼなんでもみっともないので、今日から少しずつ後始末に取り掛かりたい。

後始末のことは、艇のことだけじゃなく、あらゆる面でいまだ手付かずである。お世話になった方々への挨拶さえ成し得ていない。写真の整理もまったくしていない。いただいた名刺の整理すら出来得ていない。

なんぞかんぞブログにはもっともらしいことを書き続けているが、その実は、呆然と過ごす日々が続いていたってコト。

積荷もいまだ一部がそのままになっている。今日はこれを降ろした。タマネギが腐っていた。日干し網のニオイがきつかった。洗った。

帰港後、初めて船をつぶさに眺めた。既に上架してあって、船体各所の傷跡が痛々しい。少し洗剤でこすってみたがガンコなヨゴレはそう簡単には落ちない。

エンジン他主要な内臓は既に取り外してあり、いつまた海に浮かべ得るか定かでない。

救命艇のつもりで積み込んだ2馬力船外機付きゴムボートは、気層のひとつが穴あきで使い物にならなくなっている。穴は3か所。ゴムとゴムとの継ぎ目が弱くなっていて、この継ぎ目から空気が漏れる。段差のある個所からの空気漏れは修理がむつかしい。治るかどうかわからないがやってみようと思う。明日、この修理に取り掛かるつもりだ。

2馬力船外機には、イザの時を考えて、燃料タンクいっぱいに混合ガソリンを入れていた。入れてから丸3か月が経つ。まだ動くだろうか?

持ち帰って試運転した。異常なく動いた。

明日ゴムボートの修理がうまく出来たら、早速これにこのエンジンを付けて、走ってみたい。「はまちどり」艇は、当分の間、ドック入りだ。ここは救命艇の出番である。

左ヒザが痛い。

「年寄がよくヒザが痛い痛いと言うが、なんでやろ、パッパもヒザが痛いでよ」と、わたし。

「なに言うてるの、パッパは年寄りでしょうが」と、かみさん。

それって、うッかり忘れとった。

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ダラ~の生活

奇妙な言葉を聴くように思う。なにを勘違いしてか、わたしの顔を見て、

「あぁ~俺も早くよう歳を取りたい…」と、

A.「…歳を取りたい…」のところは、人によって様々な変化があり、

B.“おれも隠居したい”だの、

C.“真似たい”だの、

D.“定年まで、あと○年”だの、

E“.隠居はエエなぁ~”だの、

…と、人それぞれの言い方になる。

某氏の場合は、

「おれ、早よう後継者に社長やらせて、5億ほどもらって隠居の真似したい」

と、言った。

アッハッハ! そう、あの人ですよ。

某氏は、“早く歳を取って”じゃなく、“まだ若い今の間に”の意だから、これは好感が持てます。

なぜって、わたし、周航を終えての反省は、

“なんで、この旅を、若いころにしておかなかったか”ですからね。

過ぎ去った時間は戻らない。くやしいですなぁ~。

A~E…の考えはヤバイよ。

実にたびたびこの種の言葉を聴くのだけれど、

       この言葉が“もう仕事を投げ出して勝手なことをしたい”の含意から出たものなら、お金の多寡は別にして、ある種、某氏の世界でもあるわけだけれど、

       もしそれが“早く歳を取って”の意なら、ヤバイのじゃないか。

「あのね、定年や隠居は、好んでなるものじゃないよ。しかたなしに追い込まれてしまう世界だよ」

と、わたし、幾度言ったことか。

でも、このわたしの“追い込まれ”論は、インパクトが小さいようですな。

「いいや、そんなこたぁ~ねぇ~、おれ、ヤッパ早よう隠居になりてぇ~」と、すぐに反論される。

それや、これや、があって、わたし、新手を繰り出した。

もう何度も言っていることですが、今度の列島周航途上のある時以降…これがはっきりしないのだが…、“この列島周航はわたしの仕事です”と言うことにした。

で、いい続けている間に、ホンにそうだった。と、思うようになった。

「わたし、この旅は仕事だと思っています。仕事ってのはね、シンドイものですよ。けっこう辛いものがあるよ」とね。

仕事ってことですけど、

もし、わたしのこの旅が面白そうだと思うお方があったら。わたしはその分仕事がデケタと思いたいってことですわ。

“ヨッシャ、定年後ヒマができたら、おれも、何かやってみよう”

と、自分の可能性を見直し、準備に入り、そして実行する。定年後のダラ~の生活からはおさらばだ。

…と、なって欲しい。その種(タネ)を撒く仕事を、おれはこの列島周航でやっとるのだ。と、まぁこんなふうに手前勝手なことを思っているってことですわ。

でもねぇ~、この屁理屈は、かみさんには通じません。

パッパはいつも自分だけ勝手なことをする。わたしのことなんかチットも考えてくれない。と、彼女はかたくなに思い込んでいる。「きっとアタシの方が先に死ぬのやからね」と言って脅かす。難儀ですなぁ~。

で、わたし、これ以後は、縮こまったダラ~の生活に入ろうかと思っとります。

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2006年8月19日 (土)

夏と線香

もうだいぶ昔(?)のような気がする。

夏は、寒くて、寒くて、かなわなかった。すぐに風邪をひいた。

自宅から勤務先までは約1時間半。

私鉄を二つ乗り継ぎ→地下街を通り→庁舎の地下から→ビルに入った。

部屋では一日中冷房が効いており汗を出すことがない。

わたしは、とりわけ冷房に弱く、自分の机の近くの空調噴出し口にダンボールを貼り付けたりして冷えすぎを避けていたが、それでもなお寒く、重ね着をして我慢した。

この生活が約40年間続いたのだった。いったん定年後は多少趣が変わったが、総じてこのような環境下にあった。

昨年の1月末に全てから卒業し、晴れて隠居になった。

昨年の夏は、半分、西日本海域の周航に費やした。

今年も同様である。東日本海域の周航の後、8月1日に自宅へ戻った。

以後、神戸の後背地三木の里の自宅で、冷房機を作動させない生活をしている。

聞くところによると、今年は例年になく蒸し暑いということである。

なにせ40年ぶりの生の夏だ。夏ってのはこんな蒸し風呂だったのかとあきれている。

蚊が次から次へと襲ってくる。フ~ンとなにげなしに飛んでくる。

もうどうにもならなくて、常に蚊取り線香を炊いている。ドコと言ってボウフラの湧いているところは無いのだが、蚊は飛んでくる。

昨日は、老人ホームの園長さんがわが家へお見えになって、メダカ釣りの実演をごらんになった。餌には赤虫を使う。これボウフラである。正しくはボウフラの冷凍だ。熱帯魚の店で買ってくる。

買うまでもない、蚊が居るのだから、どこかにボウフラの湧いている箇所があるはずだと、周辺を探し回ったが、きゃつらの生息地は発見できなかった。

園長さんはまだ若い(?)女性。メダカを釣って「キャッキャ」喜んだ。この間、蚊取り線香を炊いていたが、彼女はわが家の蚊の餌食になった。痒い痒いと言っていた。わたしより、彼女の方が美味しかったに違いない。わたしには蚊らは近寄らなかった。

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わたしも教え子

コト(壽丸)さんから「アレッ」にコメントいただきました。

軽いタッチのコメントながら実に奥の深いお話だ。

わたしなりに、以下、コメントの解釈をしようと思いますが、コトさん許してね。

<今日(8月18日)の日経朝刊特集コラム、僕も考えさせられました>

氏は実は先生です。きっと教え子のことが脳裏に浮かんだのでしょうね。

そして教えるってことは、子供等にある種追体験を迫るってことだと、思い当たらずにはいられなかったのじゃないかな?すばらしい先生だ。氏のお顔が目に浮かびます。

<自分のBBSにも朝一で感想を書いたのですが、それは「自分の足」でしか行けない山登りについてです>

山登りのことを⇒“自分の足でしか行けない”っておっしゃる。

一歩一歩登り、そして下るのですよね。以下の文面では、氏は近くの小山に登るのを日課にされているのかも。この結果、得がたい快楽が、出会いがあると言われる。このスタンスで、子供等を指導されているのですよね。

<やった者じゃなきゃ分からない、そんなみも蓋も無いことは言いたくありませんが「実体験」に勝るものはないですよね>

この部分は、わたしへの慰めといいますか、ヨイショと申しますか、そういったものでしょうね。氏はわたしの気持ちを読んでおられる。

わたし、あのとき、氏に助けられました。

あれは金華山沖で奇怪なウネリ波に翻弄されていた時だった。

わたしは、やっと通じた携帯電話で、氏に、

「今、金華山沖を仙台湾へ向け航行中。奇怪な大きなウネリがある。この海域の特性と、最も近い避難港を教えてくれ」

と、言ったのだった。

この時の氏の対応がすばらしかった。途切れがちな電波状況の中、言葉少なく、要点をはっきりと、そして聞くだけで、わたしが安心できる落ち着いた声で、対応を指示してくれた。正直言って、わたしあの時すこし油断していた。急に大きなウネリ波が襲ってきて慌てた。が、氏の声を聴いて落ち着いた。

《やった者じゃなきゃ分からない、そんなみも蓋も無いことは言いたくありませんが「実体験」に勝るものはないですよね》

氏の、この言葉を読んで、わたしあの時の氏の落ち着いたリードを思い出さずにはいられない。ありがとうコトどん。わたしも貴兄の教え子の1人だ。どうぞよろしく。仙台湾のカレイ釣りも楽しかったなぁ~。

貴兄のBBSを探すがわからんのです。教えてくださいな。

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2006年8月18日 (金)

アレッ!

原爆・靖国神社・昭和天皇…、夏が半ばを過ぎた。

ロシアの漁船銃撃はゆるせないなぁ。

石油の高騰・台風・政権交代…、新聞やテレビのせいで気の休まる間が無い。

列島周航の100日間は、ホントなぁ~んも関係なかった、知らなかった。平気だった。

ブログにあれこれライブって書き込み、腹減らして、何か食うものはないかいな、と、ウロウロしておった。

食って、寝て、トイレした。

今朝の日経特集記事「ネットと文明」に、“知ってるつもり”って記事があって、ネットを通して得る “追体験・感動”のことがでている。

鋭い切り込みだ。ドキッ!

「現代の感動」は、ナマより、ネットで得た知識の追体験だ、と言う。

わたしの周航ブログを閲覧したお方が、自分もそこへ行ってみようと出かけ、アッ、ホントだった!って、感動(?)するってこと?

記事に副題があって「薄れる感動、演出過激に」。

感動し慣れて、だんだん演出過激になるとある。“やらせ”ってことですよね。

日経の分析は核心を突いていると思います。

わたし、ライブってブログ書きましたが、常にこれらのことが頭をよぎっていました。

この落とし穴には、はまりたくない、と、念じていた。

で、どうするか?どうしたか?

1.できるだけ客観的に、端的に、書く。

2.絶対に自分を偽らず、ありのままをそのまま書く。

3.間髪を入れず書く。

これしかないでしょう。これに徹するってシンドイですよ。

自分が裸になるのは勝手だけれど、自分以外のお方にまで強要はできん。ここが一番むつかしい。エエ人ばっかり出会ったわけじゃないですからね。困った状況が多々あった中にホンワカすることがあったわけよ。ホンワカは書いたよ。でも、書かなかったことの方が多かったですよ。自分の汚い心も同然ですよ。アレッ!わたし、自分を偽っているじゃん!

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2006年8月17日 (木)

クリカニ

根室・花咲港の漁船第31吉進丸がこの8月16日納沙布岬沖で銃撃拿捕され、国後島へ連行された。乗組員1名が頭部を撃たれ死亡。ロシア側はゴムボートで近づき発泡したとか。

納沙布岬とロシアが実行支配する貝殻島との間は、新聞によると約3.7キロメートルとあるが、水ぎわの際どいところを考慮に入れると実際は3.5キロほどじゃないか。

ここは珸瑤瑁水道(ごようまいすいどう)と呼ばれ、険礁が多く、常に霧がかかり海流が複雑できわめて危険な海である。

わたしはここを今年6月20日に航行した。幸い霧がほとんどなく凪いでいた。だが、大きな、奇怪なウネリがあって、オドロオドロした感じだった。

海上は右側通行がルール。わたしは岬の沖約500メートルを航行した。岸から500メートルでは暗岩に船底をこする危険があり、途中でさらに沖へ出た。ロシアの警備艇は見かけなかったが気味が悪かった。あるいは日ロの中間ラインをロシア側へ入っていたかもしれない。

中間ラインは、小型船舶・港湾案内では、岬沖約1.2キロの位置に引かれている。本当の中間からすると幾分日本寄りに引かれている。なんでやろ?拿捕を恐れる日本政府の弱腰が垣間見える。

納沙布岬先端は海側へ危険な岩礁が張り出している。その沖合いも水面直下に暗岩が牙を剥いている。航行に安全を期すなら、岸から700メートルは離れて航行せねばならん。と、言うことは、1200m-700m=500m、航行可能な水道幅は500mってこと。

この500mの間を対向船がすれ違うってこと。北から南へわたしは航行したわけだが、右側通行ルールだから、岸寄りを走ったってことだ。でも、ギリギリの500沖を行きかけて、危険を感じ、艇を沖出ししたってこと。この日は視界が良く、対向船が無く、そしてロシア軍艦が居なかったから、出来た技であった。

艇が岬のまん前に差しかかった時、ビビリつつ航行するのが情けなくなって、最も水道が狭くなっているあたりで艇を故意に停めたのだった。

釣り竿を取り出し、メタルジグを垂らし込んだ。

ベタ凪であった。ベタナギだと思っていた。が、魚探で水深20数mの位置だのに、タナが取れなかった。糸がズルズルいつまでも出る。アレっと水面を見ると渦を巻いている。艇は凄い勢いで渦に乗って沖合いへ運ばれつつあった。

大急ぎで具を巻き取ったが。このときほんの少々ロシア側へ入ったような気がする。

珸瑤瑁水道では干潮流・満潮流ともにロシア側へ流れる。特に干潮流のとき、宗谷暖流の残勢力があり、加えて北よりの風があったりすると、アッという間に船は中間ラインを越え、ロシア側へ押し流される。

わたし、納沙布岬を越えた後、花咲港へ入ったのだった。

ロシアのウニ漁船が2隻入港し荷揚げを行っていた。ロシア船員が街を歩いていた。

日暮れ近くになって、変な雰囲気に気がついた。ロシア漁船員らは大手を振って歩いている。が、不思議と日本人の姿が無い。閑散としていた。

港の高い建物の屋上あちこちに監視カメラが据えられていた。防犯用だとのことだった。はまちどり艇は港の端にもやっていたが、地元の漁師がそこは危ないから、どこそこへ艇を移動させろと言った。で、そこへ移動させた。対岸が海上保安庁の建物だった。その屋上にカメラがあり、常に艇が映っているはずだとその漁師は言った。日本人は、日暮れ以後は、滅多に外出しないとのことであった。

この港の漁船が銃撃され拿捕されたのだ。おそろしいことである。

花咲カニは食わなかった。が、地元の漁師が花咲カニに似たクリカニをドッサリもって来てくれた。美味しかった。6枚(匹)も食べた。やはり保安庁の監視カメラのなかでのことであった。

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2006年8月16日 (水)

深く、深く

<だいたい「生きがい」だの「自分探し」だのというのは、現代病の一種である>

<近代人の哀しい性である「意味の病」に冒されてしまっているのだ>

この二行、今のわたしの、苦衷を言い当てている。これ仲間OMのブロブからの抜粋だ。

OMはその日読んだ「本」から“一行を抜き出し”、自分のブログに掲げるって遊びを延々とやっている稀代の読書家。彼は、一日一冊読破する。わたし、出典元の「本」は未だ読み得ていない。で、以下は、ただ単にこの二行だけから受けた感傷である。

愛艇「はまちどり」を駆って、先ごろ「日本列島一周」を終えたわけだが、このことをやろうと思い立ったには、今、思えば、この二行のことが根っこにあったようだ。

二十歳過ぎから定年退職まで市役所に勤務し、そして以後昨年の1月末までこの縁で某所に嘱託勤務をさせてもらって、結果、ぼんやり隠居の今がある。

月給分の仕事をしたか?ヤバイのじゃないか?月給ドロボーだったよ。

自分をしっかり生き得たか? ヤバイ、ヤバイ、自分を殺しに殺して耐えてきた。すっかり自分が無くなってしまい、もう抜け殻になっとるよ。

で、“俺をスポイルし去った日本を、まだ身体が動く間にグルリと周ってみよう”と、思った。

自分探し云々などは関係ない。だって、自分はもう無くなっている。

万事に懐疑的になっていて、俺なんて無いのだとあきらめ諸事ばんたんに耐えてきた。

すっかり自分を放下したつもりであった。

が、列島周航を終えた今、なにやら自分らしきものの残影が見える。

放下したはずの残りカスが、身体の中でくすぶっている。

わたしは、わけがわからなくなった。

列島周航を終えたら、「日本列島魚釣り周航記」の執筆を始めたいと願っていた。が、さっぱりこれが手につかない。なにをどうしていいのかまるで見当がつかぬ。

わたしは、実は、深く深く「現代病」に、「意味の病」に、侵されているように思われる。

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2006年8月15日 (火)

8月15日

さきの日本列島一周航海では、「はまちどり」艇は、船尾に日章旗をなびかせて母港・播磨マリーナを出港した。

8月1日に100日ぶりに帰港したときも、艇尾に日章旗を掲げていた。

紀伊水道から大阪湾へ入った際、威儀を正し、日本の平和を参賀する意味で、日章旗を再度取り出し掲げた。

軍艦マーチは大好きだ。気合が入る。操船に疲れるとガンガン鳴らし、眠気を払った。

5歳のとき、神戸の空で、ゼロ戦がB29の機銃で打ち落とされるのを観た。

手を叩いて喜びはしゃぎ、父のゲンコツをくらった。

叔父らが軍服姿で次々に帰還した。いくつもの葬儀に慣れっこになった。

疎開先柴山は女子衆らが良く働く村であった。男手が少なくなっていたためであったろう。が、そのことには長い間、気付かなかった。

未だ、靖国神社へは参拝したことがない。

近ければきっと参拝するだろう。

あのような戦争が正しかったとは思えない。

国を間違った方向へ引っ張った者らが居たに違いない。それは、或いはA級戦犯の方々であったのかどうか。わたしにはよくわからない。

ただ思う。

生きるってことは、いろいろな意味で闘いである。平和、それは闘い取るもの。

動物行動学の権威コンラート・ローレンツは、兄弟姉妹こそが、互いに一番の敵であるという。生存を掛けた闘いは。どの種でも、この間が一番激しい。同じ親を持ち、同じ餌を食う者(物)らは、互いに親の愛を、餌を、奪い合う。わが家の玄関の庇に巣くったツバメは、今年も4羽のひなを孵した。内1羽が巣から落ちて死んだ。残る3羽が育ち巣立った。1羽は、突き落とされたのであろう。

平和、それは戦争と戦争との間の、怠惰な時期のこと、と、小林秀雄は言った。

平和ってなんだ?

強者が弱者をジクジクいじめ、弱者がイジメに耐え辛抱している期間、これこそが平和の正体じゃないか?

…と、まで、読むと、まるでヤクザ映画だね。

弱者から、闘いの根性を、反抗心を、完全に骨抜きにすることがもし可能なら、平和は永久に続くのかも。靖国神社へ参拝する。それって、もしかしたら“衣の袖からチラリ見える鎧”だと思われているのではないか。

わたし、軍艦旗持っています。

これを艇尾になびかせて、走ったら、海上自衛隊からお叱り受けますかね?

オホーツクを走っていて時、たびたびロシア船を見かけました。カニやウニを積んで日本の港へ向かっている漁船です。たびたび直近を追い越しました。

納沙布岬を越える際は、国境線を強く意識し、身をかがめて通り抜けました。国後島がやけに大きく見えました。

軍艦旗はどうしたのかって?

艇から取り出し、自宅に持ち帰っていました。だって、わたしは、戦争より、平和が好きだもの。

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播磨のネプ 2

前々アップのネプ艇のことを、“仙台の舟”としたら、なんのこっちゃ?と、問い合わせが相次いだので、言い訳します。

播磨のネプチューンのお郷は、実は御前先です。駿河湾で産湯を使い、御前岩・金洲・銭洲で鍛えあげた艇。縁あって、播磨の海へ修行に来た。bどんの所で目下書生奉公中。

奉公に精出す間、だんだん垢抜けし、かつての政宗仕込みのダテなキラビヤカサが⇒スキッとした粋な姿に変身した。仙台の舟から⇒播磨の舟、とは、この意なり。

なお、ご参考までに申しますと、我が「はまちどり」艇は、正宗公の気風を好むがゆえに、播磨にあって独り仙台風を吹かせています。なんのことかまだわからんってですか?よわったな…。bどん、タチュケテェ~。

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2006年8月14日 (月)

淡輪の海

Nipponnissyuu2_001 船頭倶楽部のお世話になって淡輪ヨットハーバーへ2泊3日で出かけていました。

今日(8月14日)帰って来て、船頭倶楽部BBSへ、お礼の打ち込みをするのだけれど、なぜかうまく打ち込めません。

まことに失礼な事ながら、まずは、このブログに、お礼の気持ちを書き込む次第。

大坂船頭倶楽部の面々との面通しが叶いました。連れて行ってくれたbどんありがとう。ユリも、アルバどんもありがとう。またまた、大きな財産をもらったような気持ちです。

淡輪は想いの中では遠いところだった。だけど、今はもうずいぶん近いところのように思えます。b艇が、かっ飛ばしたせいもあるかな?

20数名のレンチャン宴会でした。タフだねぇ~、誰が?会長以下面々のことですよ。

楽しい海だねぇ、淡輪の海は。ここの仲間に加えてもらってホンに嬉しい。

友が島の上島の島陰でいただいたあのソーメンはうまかったなぁ。

ユーコーどん(写真・ソーメン艇)、ごっつぁん!

会長、そして海の仲間に、敬礼! (^o^)

夏の陽にソウメン涼し友の海   波平

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播磨のネプ

播磨のネプ

淡輪から1時間半、播磨マリーナに帰港。今磨き倒しているところ。昔は仙台の舟だった。

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2006年8月13日 (日)

カンカン照り

カンカン照り

大阪船頭倶楽部会長のオバケ釣り。なんやこれ?

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中の瀬戸

淡輪の友艇「もんり−ぶる」に乗って友が島の“中の瀬戸”に、今着いたところ。
会長・ユリ・波平の三勇士。
凪。絶好の釣り日和。

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2006年8月12日 (土)

巨大鯛、およびデカイ・ブリなどへの旅

今日は、

bどんのネプ艇に乗せてもらって ⇒ 泉南郡岬町の淡輪ヨットハーバーへ出かけます。

ユリも同船する気らしい。

二人の、超元気印と一緒で、隠居、大丈夫かな?

ヤバいように思うがなぁ~。

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2006年8月11日 (金)

思い出のうた

Nipponnissyuu2

今日は、八尾煎餅どんのコメントに言い訳します。

写真は、神戸市邦楽倶楽部が公的支援を得て創った歌集です。童謡・唱歌、そして誰でも知っている懐かしい歌が百曲ほど載っている。

わたしには尺八の趣味があって、尺八でこれらの曲を演奏します。

仲間も居る。神戸市邦楽倶楽部だ。ときどきこのブログにもコメントを寄せてくれる“神戸のキヨちゃん”はお琴の名手。彼女はプロ。彼女が参加してくれると、より楽しい演奏ができる。

老人ホームへ、ボランテイァ演奏の出前をしております。

ボランテイァの要請があると、その規模に応じ、仲間が駆けつけます。

我々が演奏するというより、その場に居合わせた方々と一緒に歌っています。その伴奏を我々倶楽部員がやっているって言った方が正しいかな。

神戸市内で活躍しています。が、強いて地域にこだわる気持ちは無い。手弁当で出掛け得る範囲なら、要請をお請けする事が可能です。

余談です。

わたし、先の日本一周に、この歌集と尺八を持参していました。機会があれば施設訪問の構えだった。だが、演奏したのは酒の席バッカ。でも結構おもしろかった。

実は、明日から淡輪マリーナへ出かけます。そこで船頭倶楽部の方々と一杯やるつもり。bどんが「ご隠居、尺八持って来い」という。「了解」と、応えてある。

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2006年8月10日 (木)

空蝉

Nipponnissyuu2_002

三角波平じゃによって、「波3」に寄せられたbどんのコメントに以下言い訳する。

bドンは、「あのボロ船云々」などと言うが、わたしはそうは思っておらん。ピッカピカ(これは言いすぎ)のハイテク艇だと思っておる。

彼に(船は彼女と言うべきなのかな?)、充分おのれの命を託すに足ると思えばこそ、列島周航の供をさせた。危険な波も「はまちどり」の性能を信じてこそ乗り越え得た快挙(?)。

わが愛艇「はまちどり」を信じ、愛するがゆえに、まん丸bドンへ、かくは言い訳する次第。

その愛艇「はまちどり」は、今、母港・播磨マリーナ構内の工場に入院中だ。

治療を要する箇所は多々あるが(だからと言ってボロ船じゃないぞ)、主なものは循環器系の不具合である。心臓は動くが血流制御の弁(マリンギヤー)に多少の欠陥がある。近々これを摘出し、イタリアのメーカーへ送り、原因を徹底究明する構えだ。

臓器移植(新機に取替え)すれば良いようなものだが、三角は貧乏じゃによってそうもならず、かといって対症療法のみでは後に不安が残る。

方向性はそうなのだが、この歯車がなかなか動かんぞ。

イタリアって国は夏休みが長ァ~いらしい。秋深くなるまで、そう彼等が遊び疲れて働きたくなるまで待っていなけりゃならん。隠居は待ち時間に不自由はないさ。だが、長すぎるのは困る。絶対的持ち時間はむしろ少ないのだから。あぁ、他の合併症は自然治癒のもあろうし、なんとかなるのではないか。ラダ~が時々勝手な方向へ向くけれど…、ダカラト言って、ボロ船ってわけではないぞ!隠居似合いの船ってことだろうて。

<余談>

昨日は、夕方、母がお世話になっている老人ホームで夏祭りがあった。

母は、もう車椅子に乗るのも大儀になっていて、市長さん他のイベント開始前のご挨拶を聞いただけで疲れてしまい。部屋へ戻り横になった。横になったとたんに寝入ってしまった。

母はわたしを見て一度「まぁ~」と声にならぬ口を開けただけで、あとはなぁ~んも話しておらん。でも、口を開けたとき目に喜色が読み取れた。

夏、真っ盛り…、これから野山は秋色を帯びて行くだろう。見に滲みることではある。

今日は墓参の日にするつもり。庭にセミの抜け殻。

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2006年8月 9日 (水)

波平プロフィール

Nipponnissyuu2_004 当ブログの管理人・隠居の自画像です。

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旅3

「旅2」に、釣られ氏からコメントがあった。氏のお考えにはそぐわなかったみたい。

で、以下、すこし言い訳する。

まず、このブログのコンセプトのこと。

すでにお気付きのお方が多いと思うが、

“愚痴・ぼやき・そして少しのホラ”がそれだ。

ホームページを始めた当初からこのスタンスは変わっていない。

だが、正直言って、

このコンセプトは修正が必要かもしれない。

列島周航途中からはアクセス数が急増し2千件の日があった。

自分ひとり、これは俺の愚痴だ、ボヤキだ、では済まされないのではないか。

この気楽なスタンスのもとで書き続け得たサイトだ。

以後、自分を縛って、窮屈にして、書く事ができるだろうか?

無理じゃないか?

どうしましょうかねぇ~、

釣られどんヨォ~、

ワイだって、ゲェ~国観光旅行したいわさ。でもなぁ~、あれもこれもはでけんぜよ。ゼニが続かん!艇の修復費用がかかるしなぁ~。

げぇ国パック旅行?

あんなのは「旅」じゃぁねぇや! ← ホンキで、怒るなよ!

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2006年8月 8日 (火)

旅2

台風7号が来よりますなぁ。8号9号も出てきた…。

列島周航は100日間だった。

常に気象状況には目を光らせていた。で、ヨッシャ、今が、出港の時だと思ったら躊躇せず出港した。出港できるのにグズグズした日は一日もなかった。

余裕の無いことではあったが、もし、1日でもさらに滞留していたら、きっと今頃はどこかで難儀していることであろう。

機を外すことのないよう、常に気を張っていた。“機を外した”と、後で後悔する危険だけは避けたかった。最善を尽くしているとの思いがあってはじめて難関に立ち向かえる。これこそが力の元。後悔は即刻遭難につながる。そう思い込んでいた。

旅、それは異界への進入である。常ならぬ場所へ“おっかなビックリで恐る恐る入って行く”のである。

旅から帰る、それ、異界からの逃げ出しである。“おっかなビックリでほうほうの体で逃げ出す”のである。

旅と人生とを似たようなものだという者が多い。人生を旅にたとえ、旅を人生にたとえる。が、しかし、旅と人生は、似て否なるもの。方や日常、方や非日常。方やこの世、方や彼岸。

旅と人生を同列にしか見ない者は不幸だ。旅を人生的にしか味わえない、…味わおうとしない…のは、間違っておる。

財を投じ、添乗員に付き添われて世界旅行へ行くお方、貴兄は、お金で旅をスポイルしておるぞ!

脳溢血でヨイヨイになって後、ヤッタル!と復帰を胸に自宅玄関を杖1ッ本頼りに1ッ歩あゆみ出るお方、貴兄は、旅をしっかり捉えておる。異界で鍛える。鍛えるってぇのは異界本来の役割ではなかろうか。

たった100日間の異界への旅であった。

おっかなビックリで恐る恐る出かけた。おっかなビックリでほうほうの体で逃げ戻った。

日本列島周航は夢であった。夢(異界)に入り、夢から出てきた。夢を達成したか?覚めたか?なんの、なんの、達成などするものか。覚めたりするものか。あの夢は未だに夢のままである。わたしはすばらしい異界体験をしたと思っている。あのようなことがあったなんて、未だに夢としか思えないのである。

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先週の今日(火曜日)列島周航の旅から帰った。1週間経って、はや旅は過去のものになりつつある。混濁していた想いはしだいに層を作って沈殿しつつある。いつのことになるかわからぬが、いずれ、ここから何かが昇華し、結果、「本」になり得るかも…、と、自分で勝手に信じている。

ナマのルポはブログだ。迷いや、混濁をそのまま打ち込んだ。これ、わたしは未だ一度も読み返していない。静かに想いの沈殿を、熟成を、待っているところだ。もし、期待通り熟成すれば、美味い酒が、「本」が生まれるかもしれない。

旅には2種あると思う。目的地へ行って帰る旅、と、旅すること自体が目的の旅。

このたびの列島周航は後者に偏した折衷旅であった。隠岐へ行こう、佐渡へ、利尻へ行こうなどと、多数の目的地を順につなぎ、結果「日本列島一周」したのだった。だが、予定した寄港地にはこだわらなかった。ただ、ひたすら安全に走ることに徹した。

せっかくそこまで行きながら、なぜその地でゆっくりしないの?と、度々問われた。

今にして思うと確かにもったいないことであった。が、そのときは、航程を急いでいるという自覚は無かった。一番適切な気象条件を探り、時期を捉えた出港でありたい、日和待ちでありたいとばかり思っていた。

もう少し気持ちに余裕があり、視野が広かったら、さらに多数のお方にお出会いできたかもしれない。見聞も広げられたかもわからん。残念なことであった。しかし、済んだことだ。あの時は残念だがそうせざるを得なかった。

遭難寸前の危険な旅だった。能力一杯だった。

一番警戒したのは、ペラにゴミをからませぬよう操船することだった。

からませば一巻の終わり。それまでの命。北海道海域の水温は5~10度。この水温では水中に潜リ入ってからんだゴミをペラから除去することは絶対に不可能。SOS(救難信号)を発するしかないが、携帯電話も、マリンVHFも、無線も圏外の箇所が多かった。たとえ通信が出来ても、救援を待つ間艇の安全が保てるかどうか。まずダメじゃないか。

ヨットなら待機が可能だ。ヨットはほったらかしていても、艇は勝手に波に立つ(安全な体位を取る)。

だが、パワーボートの場合は、推力があってこそ、ペラが回っていてこそ、艇の安定が保てる構造である。ペラが止まると、艇は波に立つことが出来なくなる。安定が保て無くなり、簡単に波の背に背負われ背負い投げを食らう、脚払いを食らう。ごく簡単に横転する。

絶対に、ゴミをペラにからませない!これが最大の課題だった。

どうするか?

前方海面の徹底ワッチ(監視)しかない。

海面が波立っていてはゴミが見えない。海面は鏡(カガミ)のごとく凪いでいて欲しい。そういう日があった。その日に走った。宗谷岬を越え、一気に湧別まで走ったのがまさにその日。以後もその態勢であった。

オホーツクの海は怖い。さまざまなゴミが漂う危険極まりない海だった。巨大な廃網が漂っていた。千切れロープが流れていた。巨大な大木が浮かんでいた。加えて、紋別の沖あたりはクジラが多かった。突然浮かびあがり潮を噴く。艇直前に浮かび出られると仰天する。衝突した!っと、肝を冷やしたことがしばしばあった。

同型艇(アルビン28艇)・イーグリットⅡがこの海域をかつて単独周航している。イーグリット艇は前方ソナー装置を装着している。それでも某所で定置網に乗り上げた。

北海道の海は浅い海だ。随所に網が仕掛けてある。沖合い遥か遠くまで物理的には定置網設置が可能である。さらに沖合いの、実に沿岸がら20数キロ沖辺りまでも蟹カゴがいたるところに仕掛けてあって油断すると突き当たる。

ゴミ・クジラ・漁具仕掛けなど等、これらの間を縫って走るが、正直言って、単身単独操船はキツかった。

鏡のごとく凪いだ日しか走り得なかった。少しでも波のある日に走っていたら、ゴミをペラに引っ掛けたのではなかったろうか。急ぎ走りに見えたのかもしれない。しかし、急ぐも急がないもない、ただ、ペラへのゴミからみを避けたい、このことだけが頭にあった。

思えばもったいない航海ではあった。ゴミは某国・某某国の物が多いということだった。それぞれの国の文字が散見出来るということであった。

旅ってことを、角度を変え内面的に話したいと思って書き始めたら、半分ボヤキともグチともとれるダラダラ話になった。

列島周航の、特に、北海道海域の思い出は、「ゴミ」のことに尽きる。なかでもオホーツクのゴミは危険だ。この海域は1軸船内機仕様のパワーボートでは走るべきじゃない。ことに単独操船は危険すぎる。わたしは偶然の間を縫って生還した。

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2006年8月 7日 (月)

修繕中

艇はエンジンを抜き取り総メンテ中だ。特にマリンギヤーは完全にオーバーホールするが、徹底を期すためイタリアのメーカーに不具合原因について照会中である。

あちこちの修復・取替えをすべて終えるのは、場合によれば秋を超え来春になるかも。

でも、大自然と友達になるには、人間の力は小さすぎる。最大限の手当てが必要。あぁ~破産!

正直言って、もう年内の航行に必要な燃料購入の金がない。だが時間だけはたっぷりある。だから、ゆっくり修繕ってことだわさ。

生身の方も少しは手当てが必要。今日は、歯医者へ行った。下の前歯が1本抜け落ちてしまって口中の締りがつかなくなっていた。右上奥歯の詰め物が外れ落ち、大きな穴ができて、食事の都度、ごちそうが穴に落ち込み具合が悪かった。外れた詰め物は大切に保管していた。持参したらアッと言う間に元の穴に納まった。抜け落ちた下前歯は、これは擬似を作って次回受診時にはめる算段だ。

あちこちでいろいろな差し入れをいただいた。酒が多かった。頂戴したら、呑みたくてしかたなく、片端から栓を切った。飲みかけの酒瓶ばかりできた。かみさんが、少しは考えて開ければいいのに、と、文句を言っている。でも、その時に、それが呑みたかった。酒呑みの気持ちってのはそんなもんだ。

周航中は風呂に入る機会が少なかった。洗濯物が増えるのが苦痛で…、なら、着替えなければエエわけだと、着替えも滅多にしなかった。そのクセが身に付いてしまって、いくら汗臭くなったのを着ていても平気である。だが、着替えろ!着替えろ!と、いわれ、着替え、風呂へも入る。髭も剃る。身体から潮気が失せてパサパサになった。不健康なことである。

大変不便なことがひとつある。いつでも、昼前からでも、ノドが欲せば随時呑んでいたが、さすがかみさんの目が光っていて、そういうわけには行かなくなった。でも、これは、健康的というべきかと思う。

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帰港6日目の朝

時間はいろいろな働きをする。帰港時にはある種こんがらがっていた気分も、少しずつ層を分け沈殿しつつある。この気分の変化を楽しんでいる。これ、浦島太郎もその昔そうであったのかも。

彼・浦島太郎と、わたし・波平とでは、決定的な立場の違いがある。

①、彼は竜宮で乙姫様とねんごろになったが、波平にはそれはなかった。

②、彼は玉手箱をもらったが、波平にはくれる女がなかった。

③、彼は玉手箱の煙をかぶって鶴になったが、波平はダラ~の生活に入っただけ。

①~③…には目をつむり、似ているであろうその後の気分について話そう。

“その後の気分”は、旅前後の、視野・視点の変化ってことじゃないかと思う。

視野・視点が以前と異なってしまったので、同じものを見ても他のものに見えてしまうって不思議さ。時間が経った分、諸物が経年変化するのはしかたがないが、問題は、自分の視点の変化。

たとえば、周航時に経験した危険な波が網膜に焼き付いてしまって、波を見る目が以前のようではなくなっている。少々の荒波にはビビルことがなくなった。これって、ヤバイ・マイナス的視点変化だと思う。

離島・僻地漁港を渡り歩き、そこに住む方々の端っこに加えてもらったのだった。皆さん温かかった。互いにあだ名や屋号で呼び合っていた。なにせ狭い社会。同じ苗字がやたら多いから自然にそうなるのだね。でも、あだ名や屋号は、それ自体個性的で相手を認めた呼びかけです。そういう環境から街の自宅へ帰ると、道々ですれ違う方々が頑なに見えた。没個性丸出しで歩いているように見えた。ダンマリで目を逸らせてすれ違う。ものすごくこれが不自然に見える、思える。

視点を元へ戻す努力が必要だ。が、戻し切るのも残念だ。どうしましょうかねぇ。

溜まり場が欲しいです。調整の場がほしい。独りでジクジク考え込むのはよくない。漁村の浜の“溜まり場”のようなのがいい。

“溜まり場”。街にはないなぁ。

車は常に走っていなければならず、人は常に歩みを止めてはならん。

車は、街で止まると駐車違反になる。

人、どこかタダで座り込むところがあったら教えて欲しい。かろうじてたたずむことが出来る箇所は、交差点の赤信号下と、駅改札口付近。でも、信号待ちの顔、待ち合わせの顔を繕わねばならん。側の人に話しかけると怪しいヤツだと思われる。子供に話しかけると誘拐犯だ。街には自然な“溜まり場”は無い。そして住宅街にも無い。

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2006年8月 6日 (日)

な、皆の衆!

急速に実生活に戻りつつあります。

ってことは、ダラ~としたテレビ前寝転び生活になりつつあるってこと。

メダカの相手でもしようかなぁ~って気持ちになれれば、まだ良い方で、テレビ前のソファ~にいつの間にか寝転んで、朝寝とも昼寝ともわからぬまま時間だけが過ぎてゆくってこと。

「波平亭」のことがあるじゃないか!ってですか。

でもねぇ~、第一戦は惨敗です。

はじめて口切ったときは、フンフン言うていたかみさんだったが、わたしが本気だって気付いたとたんに態度一変です。惨敗です。大あらし。台風直撃って感じ。でもね、これって想定内です。内緒でっせ!かみさんはわたしが帰宅して以後は、ブログを見ませんからね。

ダラ~の生活ですけど、

これだって想定内ですよ。実を言うと、ダラ~の生活に慣れようと目下努力中ってことですわ。寝たきり生活に耐えるよう試行錯誤を始めたってことかな。テレビって面白くないねぇ~。新聞?3分も眺めてられないや、文字追うのがめんどくせぇ~。デカイ字を眺めるだけで充分ですっちゃ。

と、なると、ダラ~の時間は、どのように満たしたらよろしいか?

満たすという考えがダラ~的にはそもそも堕落だと思うけど、そう、満たさなくても時間は必ず次々通過しますからね。時間ってのは、ほったらかしておけばよろしいわけだが、そこがその釣り師としては、何かイライラするものがないと、看過し辛いのだなぁ。

昨日出来たばかりの水溜りに釣り糸を垂れる。そのウキを眺めつつ過ごしたい。そう思いませんか皆の衆?

わしゃ、まだまだ、ダラ~生活初心者ってことかな。

風呂オケに釣り糸垂れようかしら。

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2006年8月 5日 (土)

磨くぞ、待っておれ!

いただいていたメールやコメントを拝見しつつあります。

トラックバックは、残念ながら全く開いていません。ほとんど全てがイタズラHだと思えるので…。

で、もし、そうじゃない本気のトラバがあったりしたら、どうしましょう?

どうかお許し願いたい。トラバはそういうわけで、受付拒否設定にいたしました。残念です。

また、コメントいただいたお方に、愛(??)のメッセージ出したいが、メールアドレスの打ち込みが無い場合が多い。ご挨拶のしようがない。このブログ記事にて感謝の意を表します。

就(周)航中の閲覧はほとんど出来得ていませんでした。今更ながら、このような励ましをいただくなかで走っていたのだな、と、感慨無類です。心から感謝申し上げます。

眠くて、眠くて、昼寝昼寝を重ねています。旅を終えて気が抜けたみたい。とたんに身体中がガタガタし始めました。

こんななか、イーグリットⅡの艇長南藤氏の言葉が耳に響きます。

「…波平さんの命を、力のかぎり懸命に守ってくれた『はまちどり』さんを、充分労わってあげてください」

艇は、未だ汚れたままの状態です。疲れ傷めた身体を船台にのせ、喘いでいる。今日から修理に掛かると連絡がありました。

終盤は、1時間走るとビルジがバケツ2杯弱の状態でした。潮岬に差し掛かった時、艇は高波にたびたび棒立ちになりました。と、溜まったビルジはドッと船尾側に打ち寄せる。あの時はビルジを抜く余裕がありませんでした。バケツ5杯分以上は溜まっていたはずだ。既にビルジポンプは壊れており、手動のそれも壊れていました。あとはエンジンルームを開けてバケツでかい出すしかない。が、そのようなことが出来る海況じゃなかった。なにせ独り操船です。高波に棒立ちになった艇がブルブルッと振るえて態勢を立て直し、次の波へ立ち向かいます。そういう操船に耐えた『はまちどり』です。

修理を終えたら、ピッカピカに磨き上げようと思っています。

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芽はタネから

自分が如何に非力であるかってことが判ってしまったのだった。

66年も生きてきたけど、これといったことは、なぁ~んもしてこなかったよ。

このままじゃぁ、残念だ。こんな生き方しかできなかった日本の国だが、イタチにも最後屁ってものがある。

波平どんは、ボートでグルッと日本を周ってみるのだ。

と、これが、列島周航を試みるにいたったキッカケだった。

で、周航を終えて、非常に心に強く残ったのが、爺さんらの溜まり場だったってこと。

真似て、わたしに、溜まり場の種(タネ)が植えられるか?

……溜まり場の種は、自宅前に顔をさらして、まず座ること……

これって、列島周航以上に難しいよ。言うは易く、行うは難しだね。

わたし、用ありげな顔をとりつくろはなければ、一歩も外を歩けない爺さんだよ。99.9%は頓挫しますな。自信をもってそう断言できる。

でも、一度は、やってみる価値はある。

“種を植えねば芽は出ない”そうだよな、皆の衆。

あぁ、わたし自宅は、新興住宅街の一角です。

最近、わたしを含め、やたらヨイヨイ爺ちゃんが多くなったみたい。

ばぁちゃん?

そんなことは、わしゃ知らん!

余談だけど、

漁港はエエなぁ。夕方、三々五々、年寄等は浜に出てダベッテおる。

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2006年8月 4日 (金)

波平亭

まとまりのない話をする。単なる思い付き段階の話。

旅でいろいろ見聞を広めたなかに、“仲間の溜まり場”のことがある。

早い話が行きつけの呑み屋の話。

サイフに合った行きつけの店があるってことは、男にとって宝を持っているようなもの。この度の旅では、友人に連れられて、そのような店にたびたび入った。

酒は、羞恥心を麻痺させ、ホラを膨張させ、男を涙もろく感動的にさせ、結果ますます酔って、わたしの場合はしゃべりまくることになる。今年は興が乗ったら童謡唱歌を演奏し、歌ってやろうと尺八を持参したのだった。で、大いに呑んで、しゃべって、尺八を吹きまくった。このリフレッシュが艇を走らせた。

尺八演奏だけど、なんと、スナックのママさんが感動して泣いたぞ!

感動のあまり勘定を忘れてボトルをポンポン抜き、帰りに新しいのを土産にくれたりしたぞ!

なぁ~に、本当は、初手からわたし感極まっており、悦に入って独り騒いだのだった。一緒だった友人が代金払ったに違いないよ。こんなオッサン連れて行ってシマッタ!と、思ったろうな。でも、もう遅いよな。

他の客や皆々には迷惑だったかもわからんが、まぁこのあたりのことは深くは考えません。

と、そのような場のなかで、ひときわ感動的だったのは、

キンノリ氏の仲間等と呑んだあの“ログハウスの一夜”と、

御前崎の“潮溜まりでヤブ蚊に刺されながら呑んだ数夜”である。

この2か所は、本当の意味の“溜まり場”だった。店じゃない。単なる空き地、空き家。

呑む物、食う物は、参加者の持ち寄りだ。

ログハウスはキンノリ氏、潮溜まりは曾根氏が、亭主役だった。亭主の人柄が客を呼び寄せるのだね。毎夜毎夜(?)の酒盛りだわさ。

曾根氏が「ヤイ、コウノ、あれ出せこれ出せ!」と口やかましくワイワイ言うのが実に暖かくてよかったなぁ~。ヤイ、コウノ氏は、なかなかの人物と見たぞ。目玉が温和な面立ちのなかでキラキラしておった。悠々自適の経営者OB。会社は娘婿がやっとると聞いた。

わたし、“溜まり場”を創りたい!

これが、これからの夢。

「日本列島魚釣り周航記」執筆の夢は、じんわり、ゆっくりやろうと思う。書いたり消したりしながら…。

その一方で、ジイチャンらの“溜まり場”創りを模索したい。ご近所にはやたらジイチャンが多い。お互い、元気にやろうじゃないかって言いたいわけよ!

わが家の玄関を出た道ひとつ隔てた位置に、猫の額ほどの土地がある。常は軽四の駐車場にしているが、その横に数人なら座れる余裕がある。なぜかはしらんがわたしの土地だ。

わたし、ログハウス創るゼニが無い。

でも、しゃがみヘタルには、空き箱二つ三つあればいい。杯を置くにブロック塀のカケラがあればいい。ぜいたくなんぞ言わんのだ。屋根もない全くの野外。パラソルくらいなら立てても良いかな。

そうだ、赤提灯がひとつ欲しい。これを吊り下げる棒を立てよう。

この赤提灯が下がっていたら、「波平亭」は開店中ってことにする。

参加資格は60歳以上。全てタダ。ただし、各自なんぞかんぞ持ち寄ること。喧嘩ご法度。定めはこれだけ。

だれぞ来てくれるだろうか?

だぁれも来なくたって構わない、夕方になったら、わたしは、ひとりここで焼酎湯割り呑んで、誰か来るのを蚊に食われながら待つことにする。

これ、出来れば、盆過ぎには始めたい。

これから、かみさん説得に入る。

ここが一番難関である。

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自動調理器

帰宅後3日目の朝を迎えた。身体のどこがどうというわけじゃないが、各所にナマリがぶら下がっているような感じがあってシンドウてかなわん。医者へ行く気はないが、確かに異常だと思えるフシがある。

寝床がじっとして動かないのが気に入らない。起きていて、正気のときはそれなりに心得もあるから、陸ってもんはこういうものだと納得するが、夜、寝床で休む際は、身体が未だ艇の揺れを覚えていて、この揺れに身体が勝手に同調しようとする。同調したいのに、なぜか寝床は期待の揺れを起こさないじゃないか。ありゃ、へんだ、この揺れは異常だぞ!と、なる。全く揺れない揺れは、異常な揺れだってことになるわけだ。常時地震でもあれば良く眠れるかも。

昨夜、夜中にフッと目覚めて、側にかみさんが居たから飛び上がるほどビックリした。

「ふわぁ~、海で寝とるとばっかり思っとったぁ~」

と、大きな声を出したら、今度は、かみさんがビックリしたみたい。

地球極楽トンボ氏が、

あわてずにゆっくり余韻を楽しみなはれと、コメントしてくれた。今浦島の戸惑いを、やさしく見てくださっている。ありがたいことである。

この戸惑いの気持ちは、それなりに楽しむべきかもしれない。

時分時(じぶんどき・食事時刻の意)になると、自動料理機(じどうちょうりき・かみさんのこと)が勝手に作動して、

「パッパ、ごはんですよ!」と言う。

腹が減ってきたが、どうしたものかなぁ~と、身体が勝手に思案し始める。旅途上は、食事は、腹減りの苦痛をやわらげる労働以外の何者でもなかった。

自動料理機は便利だ。ありがたい。

アッハッハ、今、その声が聞こえた。

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2006年8月 3日 (木)

どないしょ!

オーバーな表現で恐縮だが、未だ夢と現実とが折り合わず、狭間に漂っている。

いろいろなお方の援助があってなし得た列島周航である。ご挨拶せねばならんところが多い。オオサカベイ(林氏ヨット)もそのひとつ。なかなか連絡がつかなくて弱っている。

港湾案内(本)や、海図は、このお方からお借りしている。適切な書き込みがあって、これがとても役に立った。感謝しても感謝してもなお足りない心地がする。お元気だろうか?

周航先でお出会いした方々から次々メッセージが届く。ブログを閲覧してくださっていたようである。なんと嬉しいことか。感謝、感謝。

柴山の旧友からもメッセージが届いた。実に60年ぶりの同窓会だった。夢、これに過ぎるはない。

友人OMからの一句が、ことに身に滲みた。

涼風や神舞(かみまひ)のごと帰港せり

いただいているメッセージはまだほとんど拝見し得ていない。ひとつひとつに想いが広がって、そう簡単には次へ移れない。

ほとんどのお方にお返事が出来ていない。失礼なことである。申しわけないが暫時お時間を戴きたい。今、やっと、迷惑メールの削除を終えたところである。正直な話、これから閲覧させていただくのである。未読メセージは約700通。こんな状態はまったく未経験。どうしてよいかさっぱり見当がつかん。なにとぞご無礼の段、お許し願いたい。

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艇修復箇所

◎ バウスラスター

 御前崎の修理屋・釜ちゃんの腕は凄い。何とか修復し終えたのであった。が、経年劣化があって、いまいち完全じゃない。現機は早晩ダウンする恐れがある。その際、ただちにパーツ取替えが可能なように、新品を1機積み込んでおきたい。新機を発注する。

◎ オートパイロット

 操作途中に「自動追従装置のエラーメッセージ」が出る。当装置のソフト面の異常発生か、ハードの機械的故障か、が、わからない。調べて必要な対応を行う。

 この度の周航では、御前崎以後は、自動操縦をカットし、全て手動操作によって航海した。手動操作の油圧その他に異常は無い。

◎ マリンギヤー・同フイルター

 ギヤーオイル注入口を開けると、ギヤー内の異常圧がプシューと抜けて、以後正常に作動するという状況があって、これは、常時異常内圧が抜けるよう圧抜き弁を修正した。で、直っていた。が、御前崎を出る際に、今までとは違った異常が感じられるようになった。

経年劣化の時期じゃないが、パットが滑るようである。オーバーホールし、点検後、必要パーツの取替えが必要だと思われる。

◎ エンジンオイル・同フイルター取替え

 換え時かと思われる。

◎ ビルジポンプ取替え

 きっと焼き付いたのだと思う。取り替える。手動ポンプも壊れた。修復が必要。

○ スタンチュウーブ点検・必要パーツ・アッセン取替え

 ジャジャ漏りとは言わんが、だいぶ多くなった。たびたびバケツでかい出しながら走ったのである。エンジンシャフトをいったん抜かねばならんが…。

◎ スピーカー

 配線がどこかで断絶したようだ。点検し修復しよう。

△ ラダー油圧関連パーツを、より規格アップする

 本当は、規格アップのこと実行した方が無難であろうと思う。が、予算が許さない。

△ レーダー

 更に高性能が求められるところだ。が、予算が許さない。

       プロパン式携帯コンロが壊れた。

 新たに買うしかない。

       ゴムボート

 気層のひとつに空気漏れの箇所が二箇所ある。とりあえずふさいでみよう。でも、古いゴムボートだからまた別の空気もれが生じそうだ。

その他

 周航に備え様々な物を積み込み、取り付けている。これを常の仕様に戻すのがたいへんだ。タッピングも随所に緩みが生じ、中には抜け落ちたものもある。

 あぁそうだ、自分の身体のことだって、修復が必要だった。

右下の前歯横の歯が抜け落ちた。リンゴをかぶった時だったと思う。食べてしまったようだ。歯医者で詰めてもらった虫歯の穴が、また開いている。詰め物が抜け落ちたのである。2箇所。出港時より多少耳が遠くなったような気がする。目もかすんだように思う。少し痩せて、腹回りのだぶつきが締まった様に思う。四六時中波に揺れていたのだ。そのくらいの余得があって当然だ。

カビたのや、腐りかけたのや、一見毒々しいのを、無神経に食ってきた。なぜだか知らぬが、特に腹を壊すということも無く過ごした。が、帰宅して後すぐに腹がピーピーになった。なんでやろ?

サイフ

 修復できない難題はサイフの重みである。事前の準備経費を別にして、おおよそ150万円も使っちゃった。ほんと、もう後が無い。これから後は、霞を食い、雨水すすって、暮らすことになりそうだ。上述の艇修復費用だって、見積もり書の前にうなだれ、しおれるしかないのではないか。そうなりゃ、どこかで木を拾ってきて艪に削り、エッサエッサ漕いで沖へ出るわさ。ワシャ八丁艪メンバーの一人。いなせなジジイじゃによって。

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この歳になって人生観が変ったなんて恥ずかしいが、自分の中で何かが変化した。確かに、少し、何かが変化して、これからの人生の基盤になった気がする。

その“何かのこと”に気付いたのは、粟島に居た頃だったような気がする。この旅は、天が、わたしに課した仕事かもなと思い始めた。

道楽な遊びだがやってみたい、と、始めた列島周航である。「日本列島魚釣り周航記」を書いて、人生を終えようと思ったのであった。執筆資料収集の旅である。パソコンを艇に持込んで、これに後日執筆の際の参考資料を打ち込むつもりであった。が、初年度(昨年)にパソコンはダウン。艇の振動に耐え切れずつぶしてしまった。

で、二年次の今年は、もっぱら携帯電話のメール機能を使い、これで日々の思いをブログ打ちの形で記録掲載したのであった。ブログ記事は、事後の周航記執筆の際の基礎資料のつもりであったわけだ。パソコンも積み込んだが、常は幾重もの毛布に包み込み、艇内では使わない。陸上で電源がある限られた場合にだけ使った。長文掲載はそのような時にパソコンから打ち出したものである。

閲覧者数が日々多くなりビックリした。負けるものかと頑張った。どう頑張ったか?“ありのままの自分を、何もかも捨てて、見直す”これ徹した。そして、次第に、この作業は、ひょっとしたら、わたしに課せられた天与の仕事ではなかろうかと思い始めた。

漁港へ入港する。と、“オッ、おもろい船が入ったぞ!”っと、付近の人たちが見物にやってくる。「気楽でエエなぁ~、ほ~、俺等もこんな旅をしてみたいわ…」

「けっこうシンドイよ、ガンバラなでけんよ、仕事しとるつもりなんだよな…」と、わたし。

今までに幾度言ってきたのだろう、わたしは、常々、仕事には二種類あると言っている。ひとつは生活費稼ぎの稼ぎ仕事。もうひとつは稼ぎとは関係ない天与の仕事。老人は早起きだ。早く起きて公園を掃除したり、街の角々に立って子供等の登下校を見守ったりする。静かに盆栽をいじる姿は、ひょっとしたら若い衆らの目には、老後生活の理想に見えているのかも。そして、列島周航の夢にかけるわたしの姿は、それなりに高齢社会にあって、ある種の希望につながり得るかも。

“夢”というもの、“遊び”というもの、の、人生における位置アップに、ひょっとしたら貢献するかも、と、思う。これって、仕事とするに足るのではないか?なんせ面白おかしく遊んで居さえすればできる仕事である。稼ぎにはならんが、オモロイじゃないか。

昨日の、地元紙・神戸新聞朝刊に、わたしの列島周航達成の紹介記事が写真付きで出た。取材記者氏は、まだ30代と思える若い知的な女性であった。おちついたまなざしは既に熟練記者のもの。彼女からいろいろ質問があった。ありていにお答えした。掲載記事を見ると概ね見事に書きつくされている。が、なかに、わたしが、「…きちんと生きることの大切さを伝えられたら」と笑顔で航海を振り返った。と、あるのは、上述の“仕事云々”のことを、彼女なりに理解し翻訳した彼女の言葉である。

わたしの、“仕事二分論”は若い人には、あるいは捕らえにくいのであろう。それはそれで構わない。が、しかし、仕事は“善”で、遊びは“怠けと同意”という、狭い考えに囚われないよう願いたいものだ。「…きちんと生きること…」の意だが、読者氏らにどう伝わるのだろう?わたしは、遊びの重要さに気付くことこそ、それだと言っているのだが。

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2006年8月 2日 (水)

潮風を求めて

百日の旅期間中、2日間だけ陸に寝た。仙台のセブン氏宅と、御前崎のネプチューン氏宅。いつも波に揺れながら寝ていて、突然陸で床に就くと、動かぬはずの寝床が擬似波に揺れてフッカンフッカン揺れる。陸酔いする。だが、この二日間は大丈夫だった。酒に酔ってそのまま熟睡だった。自宅へ戻った初日の昨日も酔っ払ってグーだった。問題は今夜から。陸は辛い。はや潮風が恋しい。

今日は体中がかったるくて動きともないが、これからマリーナへ出かけねばならん。艇内から取り出さねばならんものがいろいろある。携帯電話の充電コードを置き忘れているし、艇内各所のスイッチも電源ONのままになっているような気がするし、被服類や食いかけのものなどもほとんど放置の状態だ。昨日は、シャンペンシャワーで騒いだので、細かな後始末はなぁ~んも出来ていない。

このブログへのアクセス状況は、本日(8月2日)から機能アップがあって、非常に細かく分析できるようになった。少しい機能をじってみると次のようなことがわかった。500名弱のお方が、日に3~4度ページを開き閲覧くださっているようだ。昨日は1800回近いアクセス回数だった。波平は沈没したか?と、幾度も開かれたみたい。こうして陸に上がったからは、沈没の危険も無くなったわけで、記事は必然的にダラ~となる。暑苦しい時だ、アクセスも急速に少なくなるのではないか。

わが家は、1級河川・加古川上流の支流志染川の、その又枝葉の辺鄙な位置にあって、ムンムンした草いきれが巾こいている。セミが暑い暑いと鳴いている。潮風のあのサラッとした気合はここでは別世界のもの。体調が狂いそうだ。身体じゅうに塩を塗りたくって日陰で昼寝すれば多少は違うかもしれんが、まさかそういうわけにもいかんじゃないか。

さぁ~って、グジグジいわずにマリーナヘ出かけますか。本日無風。波50cm。愛犬のイビキが聴こえる。

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帰着初日の朝

自宅書斎に座っている。目の前に吊るしたカレンダーが4月のままだった。4枚めくってやっと8月。

猫の額ほどの庭、玄関前に道を隔てて小さな菜園。4月に自宅を出た時はまだ新芽も出揃っていなかったが、あれこれ育って青々している。雑草もボウボウだ。

シーズー犬が二人(?)居て、大(ダイ)と小(ショウ)。ダイがスッゴク爺さん顔になっていた。トロ~ンとした目でわたしを見た。

母港・播磨マリーナに着いたとき、仲間等がシャンペンシャワ~を浴びせてくれた。かみさんがわたしを見るなり「アッツ!おじいさんになっとる!」と言った。玉手箱のフタは開けないつもりだったが、この一言でパー。

自宅のデスクトップパソコンは光通信だ。スイッチオンでパッと画面が出る。メールが約3千通。ブログを開くと沢山のコメントをいただいていて、これも数百通。閲覧が遅れた。たいへん失礼なことである。これから大急ぎで拝見しようと思う。少しの間、お時間を頂戴したい。

正直言って、艇も身体もヨレヨレである。自宅へ戻って急速に気合が抜けつつあり、実はこうしてハソコン前に座るのも大儀だ。

母港・播磨マリーナに帰着して、シャンペン浴びて、用意してくれていた簡単なパーティの席についたが、bどんが「ご隠居、百日間に10回でも風呂に入ったか?(偶然だが百日の旅になった)」と言った。「さいな、そんなところかな」と応えたが、冗談じゃないそんなに度々は入っておらんよ。ホコリ高く、情(アカ)熱いジジイなのだわさ!

粗食に耐え、潮にもまれて鍛えた(?)身体である。帰着して風呂には入って、かみさんの手料理食ったら、調子が狂って腹の具合が悪くなった。はや今朝からトイレ駆け込み3度目である。行ってきま~す!

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2006年8月 1日 (火)

母港到着

17時、播磨マリーナに無事到着しました。仲間らが待ち構えていた。シャンペンシャワー浴びてワッシャしあわせ!

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お〜、懐かしの大阪湾

友が島水道通過。15ノット。日章旗掲揚ス。音楽?
野暮なこと聞きなはんな、例のヤツ。
なっ!アキどん!

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おとこの命

道楽な遊びではあるが…と、思っていた。が、どこを走っていた時だったか、これはわたしの仕事ではかなろうか、と、電気が走った。66歳にして、天代の仕事にたどり着いた。
海に浮かび、波と戯れ、魚と語らい、酒を含んで気ままに生きてみよう。
♪♪おとこ命の純情わ〜燃えて輝く金の星♪♪

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御坊沖紀伊水道北上中

友が島水道を目指す。

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印南沖通過

16ノット。
浦島太郎、意識を現世に戻しつつあり。

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母港・播磨マリーナへ

周参見で180㍑補充。自分でギヤーオイルフイルターを洗浄。再出港した。17ノット、これより90マイル。

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周参見へ

潮岬をかわすのに1時間半。

艇たびたび棒立ちす、艇内諸物右往左往、引き出しヘドを吐く。

周参見まであと10マイル。

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大島見ゆ

紀伊勝浦沖5マイル。大島見ゆ。凪、時に白波。南紀の山々灰にまぶれ峯々雲に没す。「はまちどり」、なお浮かびて生還を期す。水平線いよいよ丸く、果て知らぬげに思ゆ。

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走っている

へっぴり腰で走っている。潮岬まで40マイル。凪。17ノット。曇天。不穏な空、海にかぶさる。

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帰れるか

ギヤーはなんとか復旧した。本格的修理は旅先のここでは無理。帰路耐え得るか否か。もしダウンしたらとっさの応急修理ができるよう備品など用意した。
予報では凪ぐようである。夜が明けたら出港しようと思う。肌に少し風を感じる。

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