« 2006年10月 | トップページ | 2006年12月 »

2006年11月

2006年11月30日 (木)

サヨリ漁?

2006_003 前ブログの漁船ですけど、底曳きじゃなくて、KenYanどんのコメントの「サヨリ船曳き網漁」だった可能性が強いですね。2艘曳きでした。わたしの艇を丸ごとからめとるようなコースで直前まで接近し、キワをかすめて去った。参考までにもう一葉写真をアップしました。

漁船からすると、不届きな遊漁船(プレジャーボート)が漁の邪魔をしてけしからんってことだったのかな。

でもね、もって行きようのない怒りがある。あぁ腹立たしい!!

行ったり来たりで、表層といえ中層といえ、あれじゃ魚の逃げ場が無い。わたし、釣り糸がからめ取られそうで具を巻き取って暗然として眺めていたもんね。

写真機を向けたら、漁船のおっさんがこちらを睨んでおった。

怖いですなぁ~。

| | コメント (4)
|

ほんね

明日から師走だ、年賀状を書く月だ。以前下っ端サラリーマンをやっていたときには、日々簡単なルーチンワークに明け暮れるだけの生活だったから、付き合い範囲も限られていて出す賀状の数もほぼ一定し、たいしたこと無かった。

退職後、賀状出すのは、もうご遠慮した方が良いかもと思って意識的に減らしたのだった。で、ますます賀状の数が減って、楽チンだった。

が、最近は、また数が増えて往生している。仕事上の付き合いは、仕事していないから増えようが無い。遊び上の付き合いばかりである。

親戚関係の賀状は、親戚が既に世代代わりしていたりして、こちらも減る一方だ。昨年のこと、やはりお出しせねばと下手に“復活出し”して、実は先年亡くなりましたという知らせが幾通もあって驚いた。今年は、恐ろしくなって出し渋る。もう亡くなったかどうかの確認賀状なんぞは本来の趣旨に反する。

今年新たに増えた遊び上の付き合いは、真に失礼だとは思うが、できるだけ賀状対象にしないようにするつもりだ。通常の感覚で対応していたら、年金が賀状代に食われてしまう。結果、日々の生活に影響し、ぜんぜん家計上メデタクないことになる。

わたし、今年の列島周航で、たくさんの方々の世話になった。その数を数えるに、約千人は下るまいと思われる。大多数の方々とは名刺交換すらしなかった。が、言葉を交わした方々は千人を確実に上回っている。名刺も束になるほどいただいてある。が、わたし、賀状対象にはしないつもりだ。お許しを請う。

周航先で世話になった方々には、用意していた拙著「波平波枕」を名刺代わりに差し出していたが、すぐに足らなくなって、その後はなぁ~んもご挨拶ができていない。遊びの名刺も少し用意はしていたが、これもぜんぜん足らなかった。拙著200冊、名刺100枚、なんでこんなに早く無くなったのかわけがわからない。誰にでも無作為に配ったわけじゃない、せこいが、しみったれ根性で惜しみ惜しみごく限られた方へのみに差し出したのだがアッという間に無くなった。これから推定してもお話した方は、総計千名を優に超えている。

残念である。わたし物凄く物覚えが悪い。最近ますますこの傾向は強くなつている。もうほとんどの方の顔を忘れている。名刺を見ても思い出せない方がほとんどである。覚えているつもりでも薄ボンヤリできっと勘違いがある。

この間違いや記憶喪失が恐ろしくて、賀状を出し得ないってのが本音である。

お許しを請う。

| | コメント (0)
|

あいまい

海の自然保護のことだけれど、その手法を考えるとき、二つの方法があって、

1.まったく初手から、純科学的に考える方法、

2.いままでの様々なしがらみを踏まえて妥協可能性を探る方法、

ここに漁業法というのがあって、上述2の範疇に属(?)するが、

…この法律が漁業を律していて、これが結果的にみて海を荒らす元凶だとわたしは思っているのだが…、

その第1条は、

第一条  この法律は、漁業生産に関する基本的制度を定め、漁業者及び漁業従事者を主体とする漁業調整機構の運用によつて水面を総合的に利用し、もつて漁業生産力を発展させ、あわせて漁業の民主化を図ることを目的とする。

これって、はじめから海の自然保護の視点なんぞは関係ないって法律ですよね。

だがしかし、

漁業関係者間の利益調整(縄張り調整)目的でしかないこの法律の遵守こそが、冒頭に言う海の自然保護に利するであろうとのうがった考え方があって、と言うより都合よく自然保護目的でもあるかのようにすりかえられてしまって、結果、なし崩し的に海が生気を失いつつあるのが現状じゃないだろうか。…と、わしゃ思う。特に昨日は強くそう思った。

漁業法は各都道府県に「漁業調整規則」を設けさせ、必要な事柄の調整をゆだねていて、兵庫県のそれによれば、小型機船底引き網漁業の許可を得た船は、

13 小型機船底びき網漁業の許可を受けた者は、船舶の船橋又は船首の両側の外部その他最も見易い場所に、様式第6号により許可番号を表示しなければ、当該船舶を当該漁の他最も見易い場所に、様式第6号により許可番号を表示しなければ、当該船舶を当該漁業に使用してはならない。

とある。

で、様式第6号だが、「ヒヨ 123」の要領で文字を、8センチ角以上、太さ2センチ以上で表示せよとある。

昨日の底引き網漁船だが、拡大写真を見直しても、そのような表示は見当たらない。これってどういうことですかね?文字部分が汚れていて見えなかったってことかな?

なら、そこだけでも、しっかり洗って見えやすくしたらどうだ!!

| | コメント (0)
|

2006年11月29日 (水)

殴り込み

2006_004 昨日は、そういうわけで、いつものメンバーらとジャンを楽しんだ。

四アンコ・西の単騎待ちで、わたしダブル役満で上がった。

金の字が振り込んだ。

幸せだなぁ~僕かぁ~、

でもね、負け点がこれで少しすくなったってことであって、ヤッパ金の字は勝っているのだよな。

で、今日は気持ちよく沖へ出た。

が、写真の漁船ですわ。カレイ釣りをしているすぐ横を底引き網引っ張って漁船が漁をする。これって許されていいのか?少なくとも人道的に考えてよろしくないのではないか。わたしが向こう意気の強いおっさんなら、怒鳴って殴りこみ掛けるよ!!!

おかげでぜんぜん釣れなかった。イイダコごと全部漁船が持っていった。

海の保護のことだけどね、釣り人が云々のことがよく言われますがね、漁民のむちゃくちゃな漁をわたし知っていますからね。なんと言ったって漁師のむちゃくちゃな漁が海を荒らすのです。デッタイニ間違いない!!!

| | コメント (2)
|

2006年11月28日 (火)

チー・ポン

以前はインターネット・サーフィンにうつつを抜かしたこともあったが、最近はそうでもなくなっていた。が、艇の修理が終わり、播磨灘の魚釣りに復帰するにつけ、最新情報を得るべく久しぶりに“魚釣りブログ”をサーフインしてみた。ヤフーブログに魚釣り関係の良いブログがたくさんあった。プロフールを隠すのが流行のようで、作者(管理者)の年代層がわからない。互いに隠れることで案外年代を超えた者らが交流できる場にもなっているみたい。

…と、あちこちサーフして、斬新な、新鮮なページ構成と内容に堪能し、フトわれに返る。

わたしは、どうやら彼らよりいま少し年代が上かもなと気がついた。

いつの間にか、世代断絶の溝をわたしは渡りきってしまったようだ。

心戒という名の坊主が徒然草の昔にいたそうだ。この坊主、いつなんどき死期を迎えるとも限らんとの思いから切羽詰った生活をし続けたらしい。いつもうずくまった姿であったという。静かに座ることすら避けたといわれる。

人は年老いて世代の溝を越えたからは、静かに過ごすかというとこれが正反対である。わたし、徐々に心戒坊主になりそうな気がする。

同年代の仲間を見渡すと、あいつもこいつも、ひょっとして、わたしと同じような心地ではなかろうかと思われる節がある。

比較するのはおこがましいが、つい先だってお亡くなりになった白川静博士だって、晩年は心戒坊主じゃなかったと思ったりする。

わたし、心戒坊主的心地からは、今日という残り少ない貴重な時間を沖で過ごしたいわけである。そのつもりで朝4時半に起床。まだ暗い空を窓越しに仰いで嘆息中。

で、たった今、今日の釣り行きを断念したところ。沖へ出て出られないことはないと思う。が、しかし、魚釣りするには波がありすぎるかも。不安定な天候だ。キット風向きが一定せず、艇がクルクル回りして釣りにはならんだろう。あぁ~残念!

9時過ぎになったら、モーさんへジャンの誘い電話をしようと思う。

なにせ超貴重な時間ではある。できれば漫然とは過ごしたくない。釣り行きできないからは、チー・ポンで過ごしたい。

| | コメント (0)
|

2006年11月27日 (月)

久しぶりの釣り

8時半~13時半までのカレイ釣り。

カレイ25~30センチを10枚。その他イイダコ・キス・アナゴ。

播磨マリーナ河口を出たすぐ西側的形海岸水門前。

2006_001 大きなボラが跳ねくりまくっていた。艇のすぐ横でも跳ねるのでタモを伸ばしてトンボ取りの要領で跳ね出たやつを捕らえてやろうとしたが、さすがにそれは出来なかった。でも以前トビウオをこのやり方で空中で捕らえたことがある。

明日も沖へ出てみるつもり。

明日は上島の黄金の瀬の外れに久しぶりに出てみようと思う。

気持ちが久しく列島周航にかまけていたので、なんだかやたら久しぶりの釣り行きのような気がする。帰るべきところへ帰りたい、と、そんな気持ちで沖へ出る。なんたって上島はわたしの古巣だからな。

| | コメント (0)
|

2006年11月26日 (日)

良い天気

天気が良いかどうかは一般には晴天か否かっていうことだが、釣り人にとっての、特に船釣りの者たちにとっての“良い天気”ってのは、波があるかどうかってことにつきる。

思い込みがあって、高気圧に覆われたら穏やかな凪の日だって印象があるが、…概ねそうなのだが…、時に思わぬ風があって船を立てるに往生し降参降参ってことも珍しくない。

先の列島周航で、凪いだと見て出港したのは、ヨ~ック反省すれば案外低気圧下の海であったようだ。なんでや? 

低気圧の下でも凪いだ日はあって、なんでやろ?なんでやろ?と、思いつつ走ったのだった。

低気圧下の凪、これって案外魚釣りには適した日であることが多いのじゃないか?

なんでかわからんがそう思う。

明日(11月27日)ですけど、低気圧下の海ですよね。だけど凪ぐようだ。長潮だけど地合を上手に狙えば釣れるかも。

高砂の的形海岸沖は10時~11時、と、13時半~14時半が地合じゃないでしょうか。

カレイが約15枚ってとこかな。付録があるよ、イイダコ20杯程度。

出てみるつもりです。

| | コメント (0)
|

2006年11月25日 (土)

復旧ス

2006_005 青虫餌を1500円用意して。カレイ釣りに出た。霜月カレイ。この時期カレイはごく短期間浅場へ寄ってくる。こいつを釣る。

マリーナを出て、天川をくだり河口を出るとすぐ右へ転舵。的形海岸沖2~3百メートルへ。水深は5~8メートル。アンカーを下ろし、投げ釣りの要領で竿を出す。4本出した。

もう一本用意して、これにはイイダコテンヤを付ける。

釣果。25センチ前後のカレイ9枚。同寸のチヌ1、イイダコ10。

大きな当たりがあり竿が持っていかれそうになって竿尻を掴んだ。グイッと竿がしなってブチン!

スズキか何かだったと思うがわからない。

凪いでいたが、風向きが一定せず釣り辛かった。

今晩は久しぶりにカレイの煮付けを食う。

エンジン快調。装備すべて復旧ス。

列島周航の際、海図や港湾案内を拝借したヨット・オオサカベイの林氏が太刀魚釣りをしてみたいとの事。お招きするつもりだったが、残念、修理に手間取る間、太刀魚のシーズンは終わってしまったようだ。何釣りにお誘いしようか。カレイはマイナー過ぎるように思うしなぁ。だって、朝8時~午後1時でたったの9枚。

| | コメント (0)
|

2006年11月24日 (金)

迷う 2

今日はシケ模様。見上げる雲は黒っぽく足早である。北北西の風。

明日は凪。…だと天気予報は言っている。

で、釣りに出てみようと思うが、

1.何を釣りに

2.どのポイントへ

3.どのような仕掛けを用意して

出かけたら良いのか、これが今回の迷い。

常識的には

カレイ→上島→アンカー掛けての餌釣り

だと思う。

試験的には

鯛→小豆島→鯛サビキ

であろう。

夢追い的には、

ブリ→二見人口島→コノシロの引っ掛け

ではないかな。

・それはそうとして、太刀魚はもう居ないだのだろうか?

・カンタマ・横瀬あたりでのハマチ・ジギングはもう無理かな?

・先日、10番ブイ沖にジギング乗り合い船が居たが釣れたのだろうか?

迷うってのは苦しい。しかし、この“苦しみ”は“楽しみ”の言い換えでもある。

だが、“楽しみ”と同意足り得るのは、迷った末の選択に自由がある場合に限られる。

たとえば、

あぁ~△□釣りに適した釣竿が欲しいが値が高すぎてどうにもならん、

とか、

スパンカーを装着できる29Ftフィッシング仕様の艇が欲しい、

とかとか、

は、すでに実現可能の域を出ているから、願ったが最後それは“苦”以外の何者でもなくなる。

できれば、自由選択可能な範囲内での迷いの中に遊びたいなぁと思う。が、実に再々、宝くじ的不合理の中へ迷い込む。

| | コメント (0)
|

2006年11月23日 (木)

迷う

時間があってゆっくりした日々を楽しんでいる。先の列島周航の原稿をいじくり回しページに写真を貼り付けて遊んでいる。写真はデジカメと携帯電話の写真機能を使った。いずれもパソコン画面に現像(?)して見るのだが、約4割はピンボケである。手ぶれのせいだと思う。霧の中の撮影が多かったこともある。

デジカメで撮ったのより、携帯電話機で撮った方のに良い写真が多い。構えて撮るより、気軽に撮った方に良い写真が多い。

     原稿に写真を貼り付けつつ思うのだが、この作業は思いを過去に遊ばせるわけで、いわば過去に生きるということでもあろう。

     だが、原稿は未だ「本」には成っていない。あるいはこのままお蔵入りになるだろう。いずれにしてもこの原稿が日の目を見るのはいつとはわからぬ将来のことである。この意味では、原稿イジクリには将来に生きているって意味もあることになる。

     と、思いを散らかしつつ、原稿をイジクッテいる“現在”がある。

こと原稿イジクリにとどまらず、なにごとにおいてもこの時間的つながりはあって、絶つことなどできようはずも無いように思われる…と、悟(???)った。

年の暮れが迫っている。賀状の季節が来つつある。これに先立って喪に伏している旨の通知が舞い込む。去年西日本列島周航の旅途中、対馬比田勝で出会ったオシドリ夫婦の奥さんが急逝されたとの知らせに胸が痛む。ダンナの方はわたしと同年。愛妻家だった。すばらしい夫婦だった。わたしの軽ァ~るい悟りはここへきて右往左往する。

原稿にピンボケ写真をあれこれ貼り付けながら、想いを時空に迷わせている。

| | コメント (0)
|

2006年11月22日 (水)

何の話?

わたしにとって世間とは、①ボートでの魚釣り、②尺八、②わいわいマージャン、なのだけれど、それでも新聞読んでいるし、テレビも観る。

で、関係ないようなものだが、あれこれのこともけっこう気になる。

イジメが気になる。

イジメは子供たちが問題の中心だが、北朝鮮を世界中でイジメているような気がする。

世界史をヒモ解いてみれば、

かつては日本国が枢軸国からイジメられていたのだった。ABCDラインってのあって締め付けられた。日本への石油の禁輸に、とうとう辛抱たまらず日本は勝てる見込みの無い太平洋戦争へ突入したのだ。

このあたりの事情はジイチャン・バァチャンらしか知らないだろう。最近の若者らは世界史を履修していないそうだから…、

拉致も気になる、

だが、歴史のヒモをほどいてみれば、

アメリカの黒人らはかつてアフリカから拉致された黒人奴隷の子孫だし、かつて世界の海を席巻した英国海軍の軍人らの多くは自国内から軍艦へ拉致した市民であった。ヨォ~ク考えれば徴兵制度は合法的な戦場への市民拉致そのもの。市民を軍艦に拉致し兵隊に仕立てて、英国女王はフランス商船襲撃(海賊行為)を督励したのだ。むちゃくちゃだね。

あぁ、秀吉の“朝鮮征伐”って言葉は、きっと使ってはならん言葉になっているのだろうな。言うなら朝鮮出兵かな。だけど当時はやはり征伐って感じだったのだろう。

この征伐戦で多くの捕虜(?)が日本へ引っ張られてきた。中に優れた儒教学者がいて、彼らが新井白石らを通じてその後の日本の常識の核を作ったってことになるらしい。

と、いうことは、

日本人の頭の中は韓国の頭だってことですよ。その儒教は中国の南宋で生まれた思想だそうです。南宋ってのは上海~香港あたりのことでしょう。その南宋の儒教の基は…もうどうでもいいか、

冒頭のわたしの世間ですけど、③マージャンは元々中国の遊びらしい。これっていつも東西南北を頭に意識し、世間を・全体を俯瞰(全体の成り行きをみる意)する遊びじゃないですか。わたし負けてばかりだけれど…、

仲間が約3名+α居て誰かが声掛けしたら、大概即座に人数が集まる。お金を掛けるけれど、都度つどはやり取りしない。年に数度一杯会やったり、時々負けているものがゲーム中に特上握り寿司を振舞ったりで清算する。…と、今日の日経朝刊に、総務庁の調査結果が出ていた。65歳以上の男性の41㌫が「親しい友人が居ない」と答えたそうだ。わたしは残る59㌫側に入るのだろうと思う。負けてばかりだけれど…、

アレッ!、今日は何の話をしたのだろう?

アッそうか、“わたしの世間”の話だった。

| | コメント (0)
|

2006年11月21日 (火)

ボーズ

二見人口島沖のブリ祭りに参加しました。

ボーズ。

餌のコノシロが獲れなくて往生し、早々に撤退しようとしていたら、ユリタロウが沖へ出ていて「はまちどり」艇を見つけ、餌(コノシロ)を2匹くれた。

で、さっそくブリ釣りに参加。

およそ50~60隻はブリ祭りに出ていたように思うが、ぜんぜん釣れた様子がかなっか。

でもキット誰かは釣っているのだよな。

わたしは12時にブリをあきらめ、太刀魚釣りに切り替えたが、その太刀魚が居なかった。

乗合船が豆アジでハマチを釣らせていたが、釣ったのを見なかった。

乗り合いジギング船が3隻出ていたが、釣れたのを見なかった。

母港・播磨マリーナに帰ったら、ラスカル艇が居たから「釣れましたか?」と問うてみた。

キス・カレイを釣っていた。アンカーを入れて、弁当を食いながらゆっくり釣ったとのこと。

霜月カレイの季節になる。もうブリや太刀魚は止めて、これからは、越冬キスと霜月カレイが狙い目かも。

あぁ、

エンジンは快調です。スタンチューブを新品に取り替えたので、この調整が未だ完全ではない。艇は上架ぜす浸けたままだ。明日もまた艇の様子を見に行かねばならん。

餌のコノシロだけど、5匹ばかりユリからもらって持って帰った。なんとか工夫して食ってみるつもりだったが、こんな魚の料理はいやだとかみさんが云う。料理してくれない。困った!

どうしようか?

| | コメント (0)
|

2006年11月20日 (月)

潮の味

「はまちどり」艇が蘇った。列島周航時の荷はすべて降ろし、すっきりした姿で、

艇は、ザクッとした目安で200キロ積むと水深が1センチ下がる。周航時にはきっと200キロ以上積んでいた。降ろして、エンジン排気口が水面に出た。

今日は試運転だ。しばらく母港沖周辺を走った。エンジン音が少し違ってきたような気がする。艇の振動が以前とはなにか違う気がする。

今日はシケ模様の海だったから確かなことはわからんが、左転の際のラダーの効きが悪い。が、風の中での操船だから早計には判断できない。

二見人口島のブリポイントまで行ってみた。コノシロの魚影を探してみたが、高性能ハミングバード魚探でも魚影は薄かった。これではボラ掛けでは獲れないだろう。試みてみたがダメだった。

波、50cm~1㍍との天気予報だったが、加古川尻を走るので、けっこうシケ波があった。久しぶりの波の揺れだ。懐かしいなぁ。突っ走る必要もないし、6~7ノットでトロトロ走りを楽しんだ。

丸3か月半ぶりの「はまちどり」である。帰港する頃にはもう違和感は無くなっていたが、乗った途端は、妙に落ち着かなかった。

乗船後の体の動きがぎこちなくて、アレレッ!アレレ!

自然に、考えるまでもなく、こなせていた出港前のいつもの動き(マニュアル)が、バラバラになっていて、

あれ!なんで魚探が映らないの?アッそうか、スイッチ入れてなかった…、

スイッチ入れて、画面の選択しようとして、アレッ!これどうしたら、あの画面になるのだったかな??

手引き書のどこを開き読めばよかったのか忘れてしまっている。ゆりたろう氏にまた教わらねばどうしようもない。

明日はどうやら凪ぐようだ。

明日は、魚釣り目的で出てみよう。

太刀魚を狙おう。もし、ハマチでも居そうなら、ジグってみよう。

上くちびる、下くちびる、を、舐めてみて、少しシオッカライくらいがちょうど体調に良いのだが、今日は、短時間でもあったしぜんぜん海へ出た後の潮の味がしない。なんだか物足らなくていけない。

| | コメント (5)
|

2006年11月19日 (日)

ビシッ!

このブログは一応「…釣り日誌」ってことになっとる。

が、去る8月1日に列島周航の旅から帰って以来、艇の修理に手間取り、未だ修理が終わらず、“釣り日誌”本来の姿から離れて久しいことだ。

昨夜ナニゲにカンカン(体重計)に乗ったら、針がビーンと跳ね上がって5キロも肥えていた。ギクッ!

ストレス太りだ。艇の修理ができたらまた健康体に戻るだろうが、今はダメ!

ダメージは、全身各所に広がっていて難儀なことだ。

…と、

実は、今日午後、艇の修理が終わる予定である。

修復までに丸3カ月半掛かった。

昨日、マリーナのメカらが艇を沖へ出し、最終点検をしてくれたはずだ。

もう大丈夫だろう。

わたし、今日中に釣具一式を再積み込みし、明日以降の釣り行きに備えようと思っているが、あぁ豪雨豪雨。どうしょっかなぁ~!

ブリに挑もうか、太刀魚にしようか、イイダコで我慢か…、それともおとなしくカレイ釣り、

積み込む荷が、またまたドカッとあって、あっという間に荷物で荷物で、また艇の吃水がドボーンを深くなりそうな気がする。

魚釣り現役復帰に備え、今朝から、ダイエットに挑戦した。ストレス大食いを止めた。酒の量も少なくする。

気持ちがビシッ!と締まりつつある。

あぁ~腹が減った、腹が減っていた方が、気持ちビシッ!とするようだ。

| | コメント (0)
|

2006年11月18日 (土)

わたしダレ?

今日は父の命日である。

父は、阪神淡路大震災の年、平成7年に亡くなった。

母はいまだこの世の人。

だいぶボケてきたがマダラボケ。

わたし、今年66になるが、

「よめさんは居るの?」と問う。「あぁ居るよ」とわたし。

ウツラウツラしながら、

「お家賃を払うお金が無い、どうしよう?」という。

「工面して昨日払っておいた」とわたし。

「…どこかに勤めているの?」

「勤めとったけど、もうやめた」

…………

「おなかが空いた」

「今、ご飯食べ終わったとこやないか」

わたしが誰か分かっているのだろうか?

母に一番思い出深いのは何か考えて、父母の結婚式の記念写真を取り出して、「これ誰とダレや?」と問うてみた。

見えているのかいないのか返事が無い。再々問いかける…、

と、恥ずかしげに、「一男さんや」とつぶやいた。

父の名は一男である。

合掌、

| | コメント (0)
|

時代に密着

新聞・テレビなどの報道機関側からは、それを見聞きする市民ら個々に、いかに自分らのことだとの印象を持たせるかが重要であろう。

誰でも、自分自身に密接に関係した事柄であると思うからこそ見聞きしようとするわけで、関係なければ、見たいとも知りたいとも思わんからなぁ~。

で、新聞・テレビは、こじつけでもヤラセでもかまわんから、なんぞかんぞ物語を作って、“これってあなたのことじゃないか?”…と、迫ってくる。

結果、

真剣にニュースに接すれば接するほど、身の回りにヤバイことがウワァ~とあるような心地がしてきて、このままじゃ落ち着いた生活なんぞできゃしない。

なにせ、いつなんどき、北朝鮮が原子爆弾打ち込んでくるかわからんじゃないか。

いつ、ひょんなことから、イジメの対象にされるかわかったものじゃないし、

すでに、俺は、胃ガンか肝臓癌ガンに蝕まれつつあるのかもな、と、思ったりする。

煽らな損みたいな風潮があって、今すぐ電話して注文しないと損をしますよ!って、テレビがわいわい言いますよね。ときには、ついその気になったりして…、

♪ミッ、ナオソウ♪ ♪♪見直そう~♪♪

♪♪自動車保険を見直そう♪♪

三人のかわいい縫いぐるみが画面に出て、お尻を振って踊るコマ~シャルがありますね。

あれが出ると、わたし、自然に自分も真似て踊りますよ。完全にわたしスポイルされてしまっている。あれって、バカバカシイけど、おもろいですなぁ!!

| | コメント (0)
|

2006年11月17日 (金)

お日様西々

(財)地方公務員等ライフプラン協会ってのがあって、退職後の職員のケアを仕事のひとつにしているらしい。2007年に団塊の世代の第一陣が退職することに鑑み、来年発行の機関誌「ALPS」に、特集を組むとかいうことだ。

で、退職後に面白そうなことをやっている者をネットで探して、わたしに行き着いたってことだった。話を聞かせてくださいと連絡があった。

電話取材だった、ダラダラと応答した。

ボツ記事になるような気がするが、そんなことはどうでもかまわない。政府の外郭団体のひとつかと思うが、おせっかいなことだなぁ~と思う。

定年まで月給与えて遊ばせて…、オット言い過ぎた、こき使って、アレッ!これも言い過ぎだよなぁ~、おおむね“お日様西々”で過ごさせて…、正解!!

あのネ、出勤後事務室の机に座って、新聞読んで、お茶飲んで、昼飯食って、…と、そのうち太陽が東から西へ傾いて退勤時間が来る。このような勤めを“お日様西々”という。

…で、定年が来て退職だ。

(財)地方公務員等ライフプラン協会がデバッテきて、定年後の退屈をお慰めしましょうってことになる。

アッハッハ(笑い)、

これ、きっと言い過ぎですよね。きっと、わたしだけの怠けだったのでしょうね。

取材担当氏から質問がありました。

「…これから退職する団塊の世代へ向けて、なにかメッセージをいただけませんか?」

「ありません。定年後は自分で好きなように過ごせばいい」と、わたし。

再々問われて、

「そうですねぇ~、わたしは稼ぎ仕事は終わったと思っている。が、稼ぎにはならんが、別の仕事があるだろうと思っとる。魚釣りしたり、列島周航したりして、ブログに書き散らしているが、これってヨ~ク考えれば、わたしの仕事じゃないかな。今回の貴方からの問いかけに応ずるのもわたしの仕事だと思う。空き地に、ご近所のジイチャンらと一杯呑む場を作りたいが、これも大切な仕事。これが一番難しい」

さらに問われて、

「子供らの教育現場の荒廃が問題になっているようですが、実際に子供らに接する機会がないからさっぱりわからん。団塊の世代がドカッと退職し、その多くは無沙汰を囲うことになるが、ジイチャン・バァちゃんらと、子供たちとの接触の機会が欲しいなぁ。小学校や中学校に入ってみたいですよ。不審者を締め出そうってんで、小・中学校は門扉を閉じていて入れないでしょう、残念ですねぇ~」とわたし。

取材のお礼に何かが送られて来るそうだ。ボールペンかノートじゃないか。

でも、今日は、この電話があったせいで、久々に仕事をしたような心地がしますなぁ~。

| | コメント (0)
|

2006年11月16日 (木)

余得が欲しい

公共工事請負入札に伴う談合は、関係者らから見れば、“必要悪”だと認識されているのではないか?

工事にまつわる関係者らは、その工事に関与する程度が強ければ強いほど、その工事発注にはこだわりがあるだろう、強かろう。

A社・B社・C社を比較すれば、なかでもB社の方が、他社より技術が優れているし、実績があるし、地元業者でもあったりしたら、なんとかB社に落札させたいと思うのではないか。

と、ここが、(官製)談合の原点。

この原点に悪乗りするやつが居て…、

…そういう中ではあるけれど、B社の評価を故意に下げ、代わりにC社を持ち上げ、C社に落札させたいと計るやつが出る。“袖の下”がそうさせる。

と、これが、真性(官製)談合の原点。

“袖の下”だが、

多くの場合、“袖の下”は、関係者(権力者=功労者?)に分配され、

その一部は“公のために”も使用され、

…この配分の仕組みのなかで、免罪符を得たような気持ちが醸成され、

⇒“赤信号、皆で渡れば怖くない”となる。

わたし、まことに残念ながら、いまだ一度もこの仕組みのなかに組み込まれたことがない。

デンデン余得に預かったことがない。

もし、少しだけでも、エエ目をしていたら、配分を得ていたら、こんなことを嫌味たらしく書いたりはしない。

談合したヤカラ等は皆クビにして、牢屋へぶち込んだらエエのや!

わしゃそういうヤカラは好かん!

| | コメント (0)
|

2006年11月14日 (火)

お詫びなどなど

親ページの「波平釣り日誌」にくっつけていた掲示板を、閉じようと思います。

理由は、管理がシンドイから。

ついつい開くのを忘れ、怠ってしまうから。

これじゃぁ~せっかく打ち込んでいただいた方に失礼です。

ホントごめんなさい。 <(_ _)>

ブログも、どうしょっかなぁ~、と、思うのですが、これは今しばらく続けます。

実は、ブログをはじめたのは、

「日本一周」するにあたって、周航中の記事打ち込みが、親ページの「波平釣り日誌」では重過ぎて不可能だったからでした。

ブログへなら、携帯電話機からダイレクトに記事打ち込みができる。これが一番の理由でした。

ブログにはご存知のようにトラックバックってのがあって、おもしろい相互リンクがデケル。

が、わたし、この機能は迷惑トラバがあまりにも多いので削除をしています。その機能を故意に止めている。かろうじてコメント機能のみ使っている。

で、今後は、このコメント機能を掲示板の代用にして、今しばらくブログを続けることにいたします。

どうぞよろしくお願いします。

あぁ、「はまちどり」艇ですが、順調に行けば、今週末には水に浮かべることができると思います。

また、海上でお目にかかります。

月刊雑誌「ボート倶楽部」ですが、新年号から、「日本一周」の抜粋版を一年間連載させてもらえるようになりました。12月には発売だそうです。ご覧いただくこと、叶えば嬉しいです。

「日本列島魚釣り周航記・東日本編」は既に脱稿しているのですが、目下出版の計画はありません。B5版2段組10210ページ。そうです、自費出版経費の重みに耐えられないから…。

で、とりあえず、抜粋縮小版を雑誌に掲載してストレス発散しようってわけです。興味のある方はご覧になってほしい。どうぞよろしく。<(_ _)>

| | コメント (0)
|

2006年11月13日 (月)

ベロ~ンの魚

タウンミーティングの“やらせ”問題だけど、目くじら立てて騒ぐことないと思うな。

だって、そこに、やらせがあるだろう事は誰にだって予想できたのじゃないか。

“やらせ”が問題になるのは、事実そのままの報道だとされているときに、事実ではない別の作為がなされたごく限定された時だけでしょう。

わたし、“やらせ”の定義を承知しているわけじゃないけれど、

少なくとも、“やらせ”がすべて悪だとは思わないですよ。必要悪じゃないかな。“やらせ”があってはじめて真実が浮かび上がることの方がむしろ多いのじゃないか。

Aという事実を正しく報道しようとするとき、どのような言葉を選び、どの場面を写真に撮るかは純粋に報道技術上の問題でしょう。

技術上のテクニックが大仰過ぎて、稀な出来事であったにすぎないのに、常時発生しているかのような印象を与えてしまったり、その逆があったりするだろうし、またその事実をどう評価するかについでは、これはもう様々な評価が在り得るでしょう。

問題とすべきは、

Aという事実を故意に隠そうとした報道であったり、捻じ曲げた報道であったりするときでしょうね。そして、それは公的報道機関に限定して問われるべきでしょうね。

とにもかくにも、

一番必要なのは、ごまかされない眼力を養うことに尽きますなぁ。

僕かぁ~そう思う。

タウンミーティングに“やらせ”があるだろうことは、ホンナモンあったりまえのコンコンチキじゃないですか。あの種の会合はね、ほぼ100パーセント“やらせ”でっせ!

審議会だの、諮問会議だの、国会質問だの、予算委員会での質問だって、やらせ、やらせじゃないか!

このごろ流行の“海の釣堀”にしても、河川に養殖アユを放流しての釣りも似たようなものでしょう。

あのね、クレオパトラは魚釣りが好きだったそうですよ。で、潜りの達人が水中に入って彼女の釣りバリに魚を引っ掛けたりしたそうだよ。

魚釣り番組でもこの手はよく使われていて、既に釣り上げてある魚に、またハリを掛けて海へ投げ戻し、あたかもたった今釣れたがごとき画面に撮りなおすってことがあるよ。釣れた魚がベロ~ンとぶらさっがっているなんてのは、それじゃないか。

| | コメント (1)
|

2006年11月12日 (日)

心臓が外

数日間徹夜もどきの編集作業をして夜昼がひっくり返り、朝ごはんを食べたのか晩御飯をたべたのかわからなくなって、頭もおかしくなって、常時服薬している循環器系の薬も飲んだり飲まなかったりで体調も狂わせてしまった。

で、必要以上に風呂に入って、もっぱら昼寝昼寝に努めたら、今度は昼寝しているのか、夜寝(?)しているのかわからなくなって、もうそろそろ朝ではなかろうかと起きだしたら未だ夜中の3時前。

以前から、目覚めたらすぐに起きだす習慣である。せっかく正気に目覚めたのにダラダラ寝そべるのはもったいないと思う。

が、起きだして、時間を有意義に使うかどうかはまた別問題。

思いを周辺に広げ、なんぞすることないかいな…、と、探すが、今日のところはまだ探し当たらないし、いくら考えても探し当たりそうでもない。で、かくはダラダラ駄文を打って遊ぶ。

あぁ、夜が明けたら、飼い犬を連れて散歩に出ようと思う。そして、新聞を読む、朝飯を食う、…と、ここまではわかるがこの後が分からない。

もうすっかり徹夜体調から戻っており、ぜんぜんねむたくなくて昼寝もしたくない。

また「はまちどり」艇の修理の夢を観た。

めでたく修理完成した画面じゃない。ネジクレタ画面ばかりである。精神衛生上極めて悪いように思う。

心臓(エンジン)が艇の外に転がっている。ペラも舵も取り外され、艇は見るに耐えない姿をさらしている。こういう姿を8月以来今日まで衆目にさらしており、わたし、苦しくてしかたがない。悪夢にうなされ続ける毎日である。あぁ哀しい!

そうだ!、今日は、マリーナへ出かけてみよう。ひょっとしたら、少しは修理が進んでいるかもしれない。

…でも、

まだ、心臓が外に転がされ、ぺらも舵も捨てられていたらどうしようか、

まや今夜も悪夢・悪夢だろうか、

| | コメント (0)
|

2006年11月11日 (土)

4番目の生活

1.先の列島周航中は新聞もテレビも観(見)なかった。自宅に戻ってまた観るようになった。観なくても知らなくても良いことが多いと思う。

2.この一方で、自宅周辺の付き合いや、縁戚関係にある方たちの動向などは、さっぱり掴み得ていない。友人知人らの動向も最近はわかりにくくなった。出会う機会が少なくなっている。

3.昨夜遅く、真夜中頃じゃなかったかと思うが、激しい雷雨があった。夢うつつに家をゆるがせるようなカミナリを聴いた。「あぁカミナリが鳴っている」と思いつつ、起きもせず、そのまま眠り込んだ。

1も、2も、3も、私自身の生活である。

実に中途半端だなぁ~と、思う。

イジメのことを思っている。

イジメられている本人も、周りの関係者も、それぞれに1、2、3、があるのだろうと思う。そして、この中途半端のなかで、時間を過ごしているのではあるまいか。

反省しよう。

わたしに、何ができるのだろう?

わたしが現に誰かをイジメているのなら、わたしは、即刻イジメを止めよう。

逆にイジメられているのなら、奮起して、脱出を図りたい。

また、だれかが、その環境下にあることをわたしが知っていたら、あるいはその疑問があるのをわたしが知り得れば、わたしなりの働きかけをしてみたい。

が、わたし、知らない。

“知らない”あるいは“知ろうとしない”これも、4番目の、私自身の生活である。

役立たずだなぁ~、俺は!

| | コメント (0)
|

2006年11月10日 (金)

触れ合いの錯覚

「海の凪ぐ日」…日本列島魚釣り周航記・東日本編…を、書き終えて、わたし、何かが吹っ切れたような気がする。

で、

このブログ、今まで勝手気ままに書き飛ばしてきたけれど…、

これ以後は、さらに“勝手気ままの度合いを強める”つもりだ。

なんだかんだ言ったって、しょせん“自己中”でしかあり得ないってことなのだから…、

<さて、その第一回「触れ合いの錯覚」>

某局TVで旅の楽しさについてあれこれ解説していた中に、おいしいものに出会える楽しさが挙げられていた。が、これは前段で、主題は、“旅先での温かい人情に触れ合う楽しさこそが旅する楽しさの中心であろう”とのことだった。

わたし、先の列島周航で、多くの方々の情けに触れた、この解説者の話にはある種納得納得である。

が、しかし、ここには大きな落とし穴がある。

“人と人との触れ合いの大切さ”云々について、そりゃ間違いだと言うつもりはない。

が、よ~く考えてみれば、それ、

“触れ合い”とか、“旅先で出会った温かい人情”だとかは、すべて己にとって都合の良い事象をとらえてのことではなかったか?

他がへりくだり、その結果、己が持ち上げられたがために、己の自尊心が潤されたってことでしかないのではないか。

これって、言いすぎだろうか?

多くの場合、

たとえば、嫁・姑の関係に例をとれば、

うちの嫁は良い嫁だと、姑が思っている場合は、おおむね嫁の心内では我慢に我慢を重ねており、嫁からみる姑は、決して良い姑ではあり得ない。

友達の間でも同じことだ、

互いに親友だと思っているってことは本当はあり得ない。趣味も気性もまったく違う者A・Bが、それぞれの活躍分野での互いの生き方を評価し合うってのはあり得ても、同じ分野で評価を譲り合うってことはあり得ない。我慢する者があり、その結果満たされる者があるってことではないか。

話を、旅先での温かい人情へ戻すと、

旅人が“暖かい人情”に触れ得たと感ずるとき、その人情を与えた側から旅人を見れば、あるいは傲慢な旅人に見えたのかもしれない。で、なかったら、バカなおっさんに見えたのかも。このあたりことは、先の某社のTV番組では、「地元を挙げて観光客を温かくもてなすことで、さらなる観光客を呼び込みたい」云々の解説でもあきらかだ。要するに、ダマクラかして、もっぱらヨイショをしてみせて、観光客を呼び込もう算段から生じた“見掛け倒し”の人情であったわけだ。“暖かい人情”ってのは、底上げした土産物でしかなかったわけだ。

事は真に重大である。

“互いに触れ合って理解しあうことが大切だ”と、日本の社会や、学校では教える。

が、その中で、イジメが横行し、談合が行われ、偽装工事がなされている。

“互いに触れ合って理解しあうことなんか本来は在り得ない”ってことが、すっかり忘れられているのではないか。

人ってのは、それぞれが自己中心に生きるって事が、忘れられてよろしいのか?

わたし、『これ以後は、さらに勝手気ままの度合いを強めるつもりだ』ってのは、まさにこのことである。

それにしても、先の列島周航では、多くの方々のお世話になった。わたしにとっては、どこもかしこも“温かい人情”に溢れていた。温かくもてなしてくださった方々に感謝の言葉もない。そのお気持ちを疑うことなんかしようとは思わない。が、その分、ご負担をおかけしたこともまた疑わない。わたしは、こびへつらうことなく、赤裸々の姿をさらしつつ旅をしたのだった。あるところで、ある人が、独り言のようにつぶやかれた。

「波平さんは、たよりなく見えるのでね、俺、ほっとけないような気持ちになるよ、さぁ~これをお食べなさいよ…」

ウニも、ホタテも、回転焼きも、そしてあれこれが、こうして来艇したのだった。

わたしにとって、まことに勝手な都合の良い思い込みであろうとは思うが、与えてくださった方々の自尊心の受け皿に、わたし、あるいはなっていたのかも…、

ツッパリはシンドイ。赤裸々が楽だ。

そして、思うがままに、勝手気ままに生きのるが正しいような気がしてならない。

| | コメント (0)
|

2006年11月 8日 (水)

じっと手を見る

あまり元気じゃないがわたし生きています。

ブログをここ数日更新しなかったら、あちこちから「どうなったのや?」とか、「毒フグ食って当たってもたんとちゃうか?」とか、「お風邪でも召されましたか?」とか、様々なお問い合わせがある。

エエッ!

本気で観てくれているお人があるんや!

と、嬉しくもあり、不安でもある。

なんでや?

だって、わたし、思いつつまま深い考えもなく書き飛ばすだけで、これってわたしのストレス発散の手段としか考えてなくて、意識の中に閲覧諸氏への配慮のことなど普段はすっかり忘れておりますからなぁ~。

書いたことに責任取れって言わないでね(*^_^*

実は、ここしばらく「日本列島魚釣り周航記」の編纂作業に没頭していました。

先の100日間の“日本一周”を「本」にしたいと思ってのこと。

「本」にしますとね、これはもう書いたことに責任取らんなんて言ってられない。

で、間違いがないようにいろいろ検証し、誤字脱字を修正し、編集校正などなどに努力せなならん。

一生懸命がんばって、ようやくある程度の体裁が整った。ここ3日間ほどは、昨夜も含めてほとんど徹夜だった。

原稿自体は、2月前にすでに書き終えていました。

が、原稿を書くのと、編集校正など「本」造りに必要な一連の作業とはまったく別物です。めっちゃシンドかった。

どこがどうシンドイのかって?

ふたつの要因がある。

1.日本語は難しい。…ゲ~国語はもっと難しい…、

2.自分で書いた原稿だからシンドイ。…他人が書いたのはなおわからん…、

1.日本語は難しい。

原稿はパソコンで作成しました。10.5ポ、明朝、40字・36行の横書きで造ります。

これを、

10ポ、明朝、2段、各段20字、同21行の縦書きに編集します。A5版210ページ。

       算数字やロウマ字が、縦横変換でひっくりかえってしまう。これを読み易くする工夫が必要。手間作業です。段落・改行・句読点・各種禁則処理等などが超めんどくさい。

       だれにでも読めるものにするには、ブログに書いた勝手気ままな書き飛ばしでは具合が悪い。適度に加筆説明の必要が生じる。この必要程度判断に四六時中苦しむことになる。

       専門用語は必要最小限に止める方がよさそう。たいした専門性もないのだけれど、あれこれのことが気になる。使う言葉が古すぎないか…とか、魚釣り用語や海にかかわる専門知識(?)も結構あるような気がする。わたし、もう年だからなぁ~。

2.自分で書いた原稿だからシンドイ。

     誤字脱字だけれど、書いた本人には思い込みがあって、読み返してみても思い込みの中で読んでしまって、誤字脱字の存在に気がつきにくい。

     論旨のことだけど、ここには誤字脱字に勝る“思い込み”の汚染がある。自分では何を言いたいのかヨ~クわかっている。だが、第三者には何のことだかさっぱりわからんってことがある。わからんだけじゃない、論旨とはまったく別の理解を生んでしまうってことが生じ得る。

     思い込みから一旦抜け出して後に、再度別の頭で読み返すって作業が必要である。

     時間を置いた後、気分を変えて読み返す。

     パソコン画面がら、いったんプリントアウトして、それを読み返す。

     酔っ払ったり、素面であったり、の体調自体を故意に操作して読み返す。

作用としては以上のようなものだが、

ここに、最初で最後で最大の、困難事がある。

“目的”だ。

「本」制作の目的。

おまえはその本でいったい何を言わんとしているのか?

そのことは、お前にとって多少意味があったにしても、第三者から見て、はたして価値があるだろうか?

…言い換えれば、コンセプトのこと。

「本」全体をズドーンと通し貫く“趣旨・主張”のこと。

第1ページを開いた途端に、

読者が読み続けてみようと思うような内容かどうかってこと。文章の上手下手じゃなく、内容の価値のこと。

今、わたし、酔っ払っている。

だんだん考えがまとまらなくなりつつある。

あのね、

以上のことは、どっちでもエエのよ。

なんぼ頑張っても、わが暮らし楽にならざるなり…、じっと手を見るってやつ、

そう、

自費出版経費の出処がござらん。

ない袖は振れん!

要するに、やるだけやったら、あとは酔っ払うしかすることがござらん!

| | コメント (1)
|

2006年11月 4日 (土)

毒サバフグ?

昨日ボヤキつつゆりたろうとゆりの艇で沖へ出たが狙いのトラは釣れなかった。200611031253 変なフグが釣れた。南方性のフグだ。めったに見られないフグ。わたし、これって毒サバフグじゃないかと思う。サバフグは無毒なのだがこやつには猛烈な毒がある。腹にブツブツの棘があった。これからフグ釣りの季節に入る。犠牲者が出なければ良いが。

イイダコと太刀魚が釣れた。ハマチポイントで運よければハマチが釣れるかもとジグジグやっていたら、すぐ近くの艇で1本上げた。で、またすぐに次のを掛けている。だがこんどはエソらしかった。

今、メールを開くと、わたしのブログにコメントが入っているようである。開くとピカチュウ氏からのもの。なんと、昨日のハマチ氏は彼だったらしい。

詳細は氏のブログ⇒ http://blog.so-net.ne.jp/hetanoturisuki/

| | コメント (3)
|

2006年11月 3日 (金)

粗雑な脳,迷う

石原慎太郎著「弟」を読んだ。裕次郎と兄・慎太郎の話。裕次郎の闘病生活に焦点が当たっている。

ダニエル・カラハン著岡村二郎(二郎ちゃん)訳「自分らしく死ぬ」を読んだ。“延命治療がゆがめるもの”の副題がついている。

昨日・某病院に癌闘病中の友人を見舞った。彼は今緩和病棟に入っている。

そして、今朝、千葉県・盤州干潟(東京湾)のアサクサノリ復活に挑む金萬氏(キンノリどん)らの活躍の様子をNHKテレビ「小さな旅」で観た。

わたし、これからユリタロウと二人、播磨灘・鹿ノ瀬へトラフグ釣りに出る。

思うこと激しく粗雑な脳中を迷い騒ぐ。

釣れそうにも釣れなさそうにも思う。

| | コメント (1)
|

2006年11月 2日 (木)

関係者?

燃え尽き症候群ってのがあって、責任感が強い人は要注意らしい。

特に、能力もないのに責任感だけがあって、分不相応な仕事にストレス・ストレスってのはヤバいみたい。

なかには充分過ぎる能力があって、似つかわしい責任感もあって、フル回転で実力発揮してきたのに、ハッと気付くと、それなりの処遇が得られていないことに不満が生じ、突然「オラ、ヤ~メタ」って投げ出したりする、これも燃え尽きの一種と説明書にある。

わたし自身のことを思うに、

わたし、責任感はないことないけど、そうあるようにも思えないし、なんでもかでもほったらかしていて平気平気だし。諸事、結局は、なるようにしかならんと思っているから今さら頑張ろうって気持ちもない。

が、わたし、燃え尽き症候群とまったく無関係かと言うと、案外そうでもないような気がする。

よ~く考えれば、わたしの今の生活態度は、いったん燃え尽き症候群に罹患したあとの、良い意味での治癒後の状況じゃないかと思う。

で、それなら、お前は、以前燃え尽きるほど仕事をしたことがあるのか?

っと、問われれば、ほんなこと一度もありゃ~せん。おおむね頑張らん生活しておった。

よ~く考えれば、わたしは先見の明があったのではなかったろうか。

すなわち、

一生懸命やったってどうせ思うようにはならんだろうと、早々と見切ってしまって、一生懸命にならんかったってことだけであって、言い換えれば、気持の上では、擬似的にではあったが一応一生懸命やりとげて後に、その後の展開を鋭く見通してしまったってことではなかったろうかと思う。…ハッハッハ(笑い)言い方もあるもんだねぇ~…

とにもかくにも、わたしだって、一応は関係者でありたいわけだ。

まわりを見れば、仲間らは、ほとんどが60過ぎのジジイである。

ボヤ~としたのと、イライラしたのとの、2種のジジイに分けることができるように思う。

そして、ボヤ~も、イライラも、タイプは違うが等しく“燃え尽き症候群”患者のように思える。

それなら、わたしはどちらのタイプの患者(関係者)だろう?どちら側へ登録したらよかろうか?

「お前は関係ない、あっちへ行け!」って、追い返されそうな気がしないでもないが…、

| | コメント (0)
|

2006年11月 1日 (水)

収穫の秋

艇の修理がまだ終わらなくて、業を煮やして百姓しております。

2006aki_001 今日はイモ掘り。

イモも美味いけど、茎をもぎって昔の味に料理するってかみさんが言っておる。

わが屋は貧乏なのだから、しばらくはこのイモと茎食って余命をつなぐつもり。

ヨシ○が「トラが釣れた」とメールを寄こしたが、

彼は、今夜あたりトラ食って、ヤバイことになるかも。

「トラ持ってきたら、イモをおすそ分けしたぁ~げる」って言っても、ヨシ○はやってこんだろう。

少しシャクな気もするが、イモがあるから我慢する。

| | コメント (0)
|

« 2006年10月 | トップページ | 2006年12月 »