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2007年1月

2007年1月31日 (水)

うたた寝

明日は如月(きさらぎ)朔日(ついたち・1日)ですよね。気象情報によれば、明日あたりから、ようやく冬らしい寒さになるらしい。“きさらぎ”は、“着、更に着る”に通ずってことかな。木曜日です。わたしエブリデェ~サンデェ~だから、ときどき曜日を間違えることがある。

なにね、

この日の、日経新聞夕刊の「うたた寝」というコラムに、波平さんのことが掲載されるようですよ。どのような内容になっているのかわからないけれど、「出しますよ」とつい先ほど日経から連絡があった。

先日、日経から、わが家へ取材に来られましてね、なにやかや雑談させていただきました。昨年の日本列島周航のことを主にお話ししたけれど、わたし、ボヤイテばかりいたような気がします。でも、コラムは「うたた寝」って題らしいですから、まぁいいか。

どんなことが書いてあるのか、わが事ながら、楽しみですなぁ、

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予定表

今、気がついたが、今年になっても、このブログは一日も休まずに毎日更新が出来ていた。昨年暮れは数日間更新打ち込みが抜けたような気がするが、それがいつだったか忘れた。

ブログサーバーのメンテナンスがあって、物理的に更新不可能だったりしたのがキッカケだったような気がする。

日々更新を負担に思ったことは未だかつて一度もない。逆に、更新しないままだと気持ちが悪い。ブログ更新はストレス解消以外のなにものでもない。

で、書くからには知らず知らずに誰かに話すような気持ちになっている。その誰かにのダレってことだけれど、漠々としていて自分でもよく分からん。

明日も何か書くのだろうか?明後日も書くだろうか?もうなぁ~んも書くことがないが…、

何か書き出してブログにアップした後、いつもこう思う。

予定表を机前に貼り付けている。空欄ばかりが目立つ表である。

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アイドル

厚生労働大臣が、女性は子どもを産む機械と言ったとかで、罷免だ辞任だと騒いでいますね。ちょっとした不適切な言い方を、さも鬼の首をとったように責めるってのは大人気ないないですね、と、言ったら、波平、お前もか!ってことになるのかなぁ、

わが家のかみさんはもう壊れた機械だわさ。わっしゃももう使い物にならん粗大ゴミですわ。あぁ、粗大ゴミって言葉は、もともと壊れた機械らが言い始めたのじゃなかったか!それにしても粗大ゴミって言葉は言いえて妙ですなぁ~、言われてみればまさにそのとおり。わたしなんぞは、なんとかそう言われないように頑張ろうと思って日々生活していますよ。啓発的な良い言葉だと思っていますよ。頑張ると言ったって、ゴミ出し当番とか、ちょっとしたお使いだとか、灯油の買出しとかなど等ですがね。

女性は、いろいろなものにたとえられますねぇ、船は女性、海も女性。フランス語やドイツ語・ロシア語などは、女性名詞・男性名詞ってのがあるそうですね。機械は男性?女性?

話をはぐらすなってですか?

ゴメンチャイ、だけど、少なくとも厚生労働大臣の職にあるものが公の場で女性は子どもを産む機械と言うなんぞは、これはなんぼなんでも言いすぎでしょう。コレをかばうのも、またかばい過ぎでしょうよ。またまた支持率が落ちますよ。

でも、法律は、女性をまだ子供が産める女性と、もう生めない女性を区別しているのは周知の事実ですよね。母子保健法です。これ、子供を生む能力のある女性を保護しようって法律じゃなかったかな。母子手帳などもこの法律の中だったと思う。ちなみに、生殖能力のある成人男性を保護しようって法律があるのは聞きませんなぁ。

少子化問題を語るなかで、純粋に数合わせの話として、機械って言葉を使ったのでしょうね。どうもそうらしい。これが女性を傷つけたってことになった。主に壊れた機械が怒っているみたい。あのね、人間の値打ちはもっと他のところにある。生理が終わったら人間じゃなくなるって本当に思っている人があるのだろうか?

おのおの方、くだらんことで騒ぐの止めようや。だけど、この大臣は、今となってはもう救いがたいかも。論旨を展開するに、機械という言葉を選ぶだけの能力しか持たなかったってことは、厚生労働大臣としては罷免に値する。もそっとやさしい言い方があるやないか「おかぁさん方」って言っておけば、聞く方はそれぞれの年代ごとに、論旨に添って理解してくれただろうに、こともあろうに男性から見て永遠のアイドルたる女性のことを機械だなんて、

あっ!「おかぁさん方」って言い方はダメかも。おかぁさんではない女性から、アタシのことどうしてくれる?って言われたらどないしょ??

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2007年1月30日 (火)

かわいそうだなぁ~

“対話と圧力”は議論の基本でしょうね。強者の側からは、

⇒要するに“アメとムチ”で人は右を向いたり左を向いたりする。

     なにか不都合を指摘されたとき、「そのことについて今後充分議論しようじゃないか」と応じるのが対話の基本。

     と、応じはしたが、ほったらかすのが圧力の基本。

政治家は将来を遠望する能力が必要でしょうね。

⇒だってずっと権力を維持したいから。できればずっと遥か先までも威張っていたいもの。

地震が起きたら困るでしょうね。

⇒都会のビジネスホテル群・高層ビルがブッ倒れ、グシャッとつぶれる。

・周りの建物はどうもないのに、アパだけがつぶれるって状態なら困るわな。

指名競争入札の一番の不審事は予定価格にあるのではないですか?

個々の建材・人件費の、月々の市場価格を網羅掲載した専門誌があって、これを元に設計士らは工事経費を算出する。その算出額を元に、市況を睨みながら発注者側責任者が一定率を乗じて予定価格を決める、と、わたしは承知している。違ったかな?

・が、設計士らは正しく計算しているのだろうか?

・次に、市況を把握する力が発注者側にあるのだろうか?

いっそのことこの予定価格を公にして後に、コンペ方式で受注者公募を行い、みえみえのなかで議論を尽くして受注者を決めれば良いのではないか?

⇒対話と圧力のなかで、決めたらエエ。ダラダラとあるいはゲンコツのなかで…、要するに安くてエエ物ができたかどうかは、市民全員が見て、使って、判断するだろうて。

賞味期限切れはわたしあまり怖くない。が、バイキンが居ることが分かっているのに食う気はしない。

⇒そのまんま氏は、今、バイキンガ居るか居ないかの判断する間もなく、出された鶏肉は食わねばならん。彼、賞味期限の切れた焼き鳥だって、今なら平気な顔して食ってみせるよ。かわいそうだなぁ~、

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2007年1月29日 (月)

仕事の本質

昔、太公望は下手な魚釣りばかりしていて、六に働かないものだから家は貧乏で貧乏で、とうとうかみさんは彼を見限って逃げ出してしまった。

その後、太公望は大出世したが、それを知って逃げ出したかみさんが戻ってきた。

“覆水盆に還らず”

「いったん盆からこぼれ出た水はもう盆には戻らんのだわい」と言って、

太公望はその戻ってきた昔のかみさんを追い出した、…と、いう故事がある。

わたし、太公望って意外と人間がコマイと思う。

…そのまんま東氏が→知事・東国原秀夫、と、大変身した、

彼の場合は、どうも彼の方がかみさんとの復縁を望んでいるようですね。

わたしごときが、どうだこうだと言うのは見当違いですが、盆に還ったって、わたし、驚きません。東国原秀夫氏の目がわたしは好きだ。

“伯牙絶絃(はくがぜつげん)”って故事もある。

やはり大昔の話。

伯牙という名の琴の名手に、聞き上手な鐘子期(しょうしき)という名の友達が居た。

鐘子期は伯牙が、今、どんな気持ちでその曲を弾いているかを言い当てて決して外すことが無かった。

鐘子期が病で亡くなると、伯牙は良き聴き手を失っったことを嘆き、琴の絃を切って、その後二度と琴を弾くことはなかった。

どのジャンルにせよ、凄腕のやり手には、良き理解者が必要みたい。

その理解者は、ただそれを静かに見守るだけでよろしい。聞くだけでよろしい。ことさらには何もしなくてよろしい。単純に凄腕氏を理解さえしていたらよろしい。

わたし、

いつも「稼ぎ仕事だけが仕事なのではない」って言っている。

仕事より、むしろ遊びにこそ価値観を見出したい、ってこともついでに言っている。

で、今日はさらに一歩進めて、

究極の仕事は“理解すること”すなわち“信じること”だろうってことを言いたい。

“理解すること”や、あるいは色々な意味で能力が足らず理解し尽くすことは叶わないが、単純に“信じること”だけなら出来そうだってこともあるのじゃないか。

たとえば、

老人になって、やがて寝たきりの介護度5になったって、ボケた頭ではあるけれど、わたし貴方を、あるいは貴女を“知っています”“信じています”ってことくらいならできると思うけど、どうなのだろう。

わたし、今日もヒマでね、別段なぁ~んも用事らしい用事はありません。

でも、仕事はある。

理解したり、信じたりしたいことは、山ほどある。

で、忙しいような、ヒマなような、宙ぶらりんな気持ちで…、ホイデ、今日の一日を過ごそうと思う。

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2007年1月28日 (日)

三国志

最近自分で買う本は文芸春秋だけで、あとは全部図書館からの借り出しだ。その文芸春秋も今年になってからは図書館で読むからもう買わない。

小説は久しく読んでいない。

魚釣りのデットシーズンで、尺八稽古と飼い犬との散歩以外さしたる用の無い隠居には時間があり余ってどうしようもない。いつもモーさんや、アヤヤッスや、金の字に、それとなくプレッシャーをかけ、仲間マージャンの開帳をけし掛けているが、そう度々は応じてくれない。

で、これからは、読みたくもないけれど、小説にうつつを抜かそうと思う。

宮城谷昌光氏の三国志を読もうと思ったが、漢字が沢山でシンドそうだ。

で、北方謙三氏の三国志から読み始めようと思う。

例によって、無茶苦茶流の多数冊並行読みをするつもり。氏の著書を計6冊借り受けてきた。水滸伝も並行読みのつもり、その他中篇・短編も借り出した。

書斎には三国志を置く、居間のテーブルには中篇を、トイレには短編を、寝床には水滸伝を置く、最近外は寒いからおおむね一日中家の中をウロウロして過ごすが、その時々の居場所にある本を読むわけだ。

時々、飼い犬らが(2匹のシーズー犬)用ありげにやってきてせっつくとそれを合図に散歩へ出る。

今日は、朝から夕方まで、来月行う尺八定期演奏会の稽古に出かける。カバンに三国志を入れるつもりだ。劉備玄徳にしても曹操孟徳にしても天下取りの大望を持った男たちだ。わたし、幼い頃からそのようなこと考えたことがない。本のおもしろさは登場人物のある者に自分のある部分を重ね合わせて、展開を楽しむってことだとすれば、…そういうことだろうとわたしは思っているが…、これってあまりおもしろい話じゃない。

が、そこを少し我慢して読み進めるってのが、あるいは勉強かも。

OM流に1日1冊の速度で1週間たったら、6冊同時に読み終えるって寸方だ。で、また次の6~7冊に食いついてやろうと思っている。

暇がツブレルだろうと思う。

あぁ~良かった! 

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2007年1月27日 (土)

往生しまっせ

昨日は艇の燃料軽油の免税チケットの清算と新規交付申請手続きに行って来た。

車で社町の県財務事務所関税課に出向く。

列島周航に取り掛かるまで免税チケットは半年単位の申請・清算を繰り返していたが、今は1年間単位の申請・清算だ。

窓口へ出向く都度事務担当者は違う人だ。人事異動が頻繁みたい。

恐る恐る伺って、かしこまって辞する。

わたし、6年前までは市役所の職員だったから、そう臆することは無いと思うのだが、どうも臆せねばならんような雰囲気があって、用を終えて前庭の車へ戻るとホッとする。

携帯電話を新機種に買い換えた。

「お間の携帯は壊れとるんやないか?なんぼ掛けても通じんやないか」と友人らが責めるので、ドコモショップで確かめたら、電波が弱くなっていて修理が必要だとのことだった。で、修理をお願いすると、これはもう錆び付いていて修理ができそうにないという。何かの液に浸したことがあるのでは?と、ドコモ嬢は言った。とんでもない、浸したことなんか無い。だが、潮風にさらすこと約3年間だ。

で、新機に換えたが、ムーバー方式機種から→ホーマー方式機種になる。実は、沖ではホーマー機種は通じにくい。わたしは沖で使うことが多い。で、さらに2千百円奮発して、ムーバー機種の子機を買った。沖では子機に切り替えて使用するつもりだ。

図書館へ行き、7冊返却し、1冊新たに借り受けた。

飼い犬との散歩が朝・昼・晩・の三回。就寝前にも散歩をするが、昨日は早くから酔っ払ってしまって7時過ぎには知らぬ間に寝てしまったから、就寝前の部はかみさんが代行したのではないか。

以上が昨日の出来事である。

このほかは、な~んもしていない。テレビを眺めたり、本をパラパラ眺めただけ。あぁ、ブログを打ったりはした。

で、今日はもう3時には起き出しているが、外はまだ真っ暗。朝刊読んでしまったら、あとはもうなぁ~んもすることがない。で、テレビ欄を眺めている。

報道各社は、もっと本気で、年寄りらの暇つぶし用番組を作って欲しい。

高齢社会が云々のことを盛んに言う割には、だぁ~れも我々を見てくれていないような感じがあって、今日もまた身の置き所がなく往生することだ。

  1. 携帯電話新機の取り扱い説明書を精読マスターしようか。
  2. 借り受けた本、なかなかおもしろそう。
  3. かねてより気になっている“あのこと”を調べよう。
  4. 尺八本曲「山の朝」の稽古。地歌「八重衣」稽古。明日は、仲間らとの合同稽古がある。(2月24日JR・地下鉄「新長田駅」下車ピフレホールで神戸市邦楽倶楽部大3回邦楽演奏会)
  5. テレビ番組のなかにおもしろそうなドラマがある。
  6. 飼い犬との散歩。

アハッハ(笑い)、

なんぞかんぞやっとる間に、また一日が暮れるだろうさ。隠居らしくなってきたなぁ~、

追記 1.午前の部

  • 新しく買い換えた携帯電話機の取扱説明書の厚みは14ミリ。A5版506ページ。色々な機能があるが不要なものが多い。Foma・N903!もったいないことをした。もっと安いのにしておくべきだった。
  • 新聞に食品の回収・お詫び記事が色々出ている。ワイン・飲料水・チョコレート・ジャム・菓子。今日は午後から近くの食品スーパーの棚の様子を見に行くつもり。
  • わが家の裏隣が空き家になっていたが、今朝から取り壊しが始まった。アスベスト建材が使用されていそうだ。窓を閉め切って、なるべく息をしないようにしていよう。
  • 教育再生会議第一次報告をパソコン検索した。暇つぶしに読み始めたが途中で止めた。だらだらと美しい国がドウダコウダって書いてある。
  • テレビ観賞

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2007年1月26日 (金)

3世代

今朝は4時に起きて天気図を検証してみました。艇はマリーナ水路に既に待機させてあります。

ダメですねぇ、予想どおりの悪い天気になってきたようだ。出撃中止確定です。

あぁ、釣りノリノリさん、のブログ紹介です。きれいなページですよ。

  http://turinorinori.cocolog-nifty.com/blog/

とても懐かしく拝見しました。

さぁ、今日は何を書こうかな。

真鯛の話は、わたしそれってどんな魚だったか忘れてしまったから書けません。残念。

ヨシ○が越冬キスを沢山釣ったと自慢しておったが、あれは、ウインドミル艇の指導によるものだったらしい。大阪湾の垂水沖平磯灯台付近のポイントで22~3センチのがホイホイ釣れたようだ。でも、この時期、寒い中、シンドイ釣りですなぁ~。ウインドさん、わたしにはコソット大物釣りの方のポイント教えてくださいな。

そうだ、団塊がらみの話をしましょう。

団塊、団塊ジュニアとその子供をまとめた「団塊3世代」ってとらえ方があるようですね。

団塊ジュニアってのは、197174生まれだって。

で、3世代そろってお出かけしたり、買い物へ行ったりするそうな。この3世代は、価値観が似ていて商売上巨大市場とでも言い得るそうです。ホンマかいな??

話は変わりますが、

今年は、わが家は父の13回忌法要をしようと思っています。

そのエンタテイナー・亡父と、不肖の息子・わたしは価値観が似ていただろうか?

デンデン違ったような気がしますなぁ。もう確かめようがないけれど…、

まだ母が健在ですが彼女はもうボケているから、まともな話はデケン。でも価値観が違うってことはわかる。だからなおのこと話が通じない。

「お前は誰とでもそうなんや、自分勝手が強すぎて、お前のせいで話がデケンのや!」

これ、わたしのことですよ。自分でも、ほとんど真実だ!間違いないと思います。

あぁ団塊3世代の価値観共有がうらやましい。

A、「お前、耐震偽装したやろ!」

B、「イイヤ、そんなことした覚えない。故意には、そんなことしたことない」

AとBは価値観が違います。

Bは、自分なりに、ここまでやるのは悪いことだという固有の価値判断基準を持っている。で、これに触れるような悪いことはやっとらん、と、言っている。

ひょっとして、俺の判断基準の方が、厳密に検証すると正しいかもわからん、と、考えている。時代の流れにそって判断したらこうなると思っている。

…ただし、団塊3世代に限っては、このような乖離現象はないってこと…でしょうか?

“話せばわかりあえる”って言うが、どうわかりますか?

俺と、あいつは違うってことがわかるってこと?

あいつの言い分はもっともだって賛同し得たってこと?

あいつの言うことはデンデン解からんってことが分かったってこと?

“判る”のか“解る”のか“分かる”のか、

民主党は自民党との対立軸をしっかり打ちたてたいと思っている。議論は対立軸を明確にするためのものか?これってまるで上述のAとBの話ですよね。

本当は、だぁれも互いに“わかりあえる”ことなんてあり得ないのではないか?

寂しいですなぁ~。

団塊3世代の価値観が似ているってとらえ方は、あるいはそうなのかも知れないけれど、気持ちの悪い考え方ですよ。わたし的に考えますとね、

魚釣りの話がしたいなぁ~、

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2007年1月25日 (木)

そのまんま 2

もやもやした西高東低の冬型気圧配置ですねぇ。空の雲行きを眺めているのですがオモシロクありません。

黄海の奥の、そのまた山東半島奥の渤海あたりに小さな高気圧のくぼみがあるみたい。明日午後くらいからコヤツが出張ってきて低気圧的な働きをしそうでヤァ~な感じ。

沖へ出るなら今日(1月25日)が良いのだけれど、一昨日・昨日とマリーナは休業日だったから艇を下ろせていません。上架したそのまんまです。

今日は営業日、でも、稼動は9時半からでしょう。それから艇を下ろしたのでは小豆島沖の真鯛釣りは無理じゃワイ。

で、今晩艇を下ろしておいて、明日早朝から出撃するかどうかだけれど、冒頭のような読みだもので、どうしようかなぁ~って迷っている。

明朝~昼前はきっとベタ凪でしょうよ。

で、勢い込んで南・坂手(風の子島付近)へ走りますわな。22ノット、約1時間半。

昼頃から西南西の風が出てきて、それが次第に強まって午後2~3時頃には波1メートルを越すのじゃないかな。

魚釣り止めて帰ろうかなぁ~と、竿を仕舞っての帰路だけど、小豆島と家島の間の松島あたりはいつも少し荒れるでしょう。あそこ辺りは1.5メートルの波になるのじゃないか。帰りは2時間半の航程になりますよ。

ヤァ~メタ!

と、言う訳で、今日も明日も、わしゃ家でくすぶっておるぞ~っと。

そのまんま東知事は、今日も明日もキットお忙しいのでしょうね。

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2007年1月24日 (水)

そのまんま

わたし1月22日のブログで、そのまんま東氏の県知事当選のことを、宮崎民は投げやりな気持ちで投票したのじゃないかというようなことを書いた。

これがずっと気になっていて、以来あれこれ情報を漁っているが、どうも先の“投げやり云々”の言葉はお詫びして訂正した方がよさそうだ。

ごめんなさい。<(_ _)>

おもしろがって氏に1票を投じた人はきっと多くあったのだろうとは思う。

が、しかし、大多数の人は、氏のひたむきな真剣さを買ったのじゃないか。

氏は、能力的にみても、りっぱに県知事を務め得る方のようだ。それどころじゃない、すごい大物政治家になりそうだ。宮崎県民はすばらしい知事を得たのじゃないか。

天下取りになるかもね。

“そのまんま東”の芸名はビートたけしが名付けたらしいですね。思いつきで付けたのだと思うが、とてもインパクトのある良い名だと思います。

公務では、この芸名は使わず、本名にするとか、

でも、俺は“そのまんま東”だってことを忘れないで欲しいですね。

子供たちは受験シーズンです。自分は何に向いているのか、どようなことに長けているのか等など、さっぱりわからぬまま、とりあえず進路を決めて進んでゆくわけだけれど、いつになったら“自分”を見つけますかね。

自分はいったい何者なのだ?

自分は何をすべきなのだ?

自分が生きている意義は何なのだ?

自分探しの旅に出ては見たものの、多くの者らは、しょせんコレを見つけ得ずに老いてゆく。わたしもその一人です。で、もう老いちまった。

“そのまんま波平”ってことで、残り人生をあるがままに歩んでゆこうと思い定めたのは、つい最近になってからですよ。大仰なことじゃない。その実は、もうどうしようもなくなって、そのまんまで過ごすしか選ぶ道がなくなって、やっと、ここに思い至ったってのが、今のわたしです。

だが、

“そのまんま東”氏は、社会人になった途端にこの名を得た。

わたし、思うのだけれど、おらぁ~“そのまんま東”だって思う都度、氏は常に自分探しの中にあり得たのじゃないか。そして見つけたのかも。

著書も多いですね、自分を見据えようとした著者ばっかりじゃないですか。

今回は、思い定めて政界へ入ったのでしょう。政治家のボンボン二世じゃない。

男の仕事ですねぇ~、

あぁ、こういう言い方は良くないかな、ジェンダーだってことになるかな、

だが、氏のあの面構えを見ると、おぬしは男だなぁ~って言いたくなる。

早晩手腕を疑われてへタルだろうとの見方が多いようですね。

そうなっても仕方がないかも、だが、氏は氏なりに頑張るのじゃないか。

マニフェスト、なかなかのものですでぇ、ようけいろいろ書いてありますなぁ~。

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あなた何色?

「IBM研究所では、トップの10㌫をグリーンと呼び、ボトム10㌫をオレンジと呼び、オレンジはいかに穏便に追放するかを考える」と、ある。江崎玲於奈氏(ノーベル賞科学者)の履歴書からの抜粋だ。米国IBM研究所での人物評価についての話のなかに出ていました。

リストラは、オレンジ組を集中攻撃でしょうね。穏便??

ストーブリーグも一段落し、年俸が上がった者、契約解除になった者、様々です。

入試の季節。子供らは大人たちの思惑によって能力別に区分けされ、迷いながらそれぞれ道を歩みはじめる。区分け?当たり外れが怖いよ!!

ず~と年齢が進むと、

サラリーマンの場合は、能力に関係なく定年というのがやってくる。グリーンもオレンジも一様に脱色されてしまう。グリーンは時に珍重されたりすることがあるけようだけれど、それでもだいぶ色あせた感じになる。

江崎玲於奈氏のような超優秀人は全く別扱いでしょう。余人が云々する余地はない。

散髪屋に「この商売は定年なんか関係なくてよろしいね」と散髪してもらいながら話しかけたら、

「いくら歳取っても、こうしていつまでもいつまでも休まず働き続けないと食って行けまへん、お客さんのような年金暮らしがうらやましい」

と、言った。

グリーンとオレンジのことだけれど、この中間派は何色と呼ばれるのでしょうね。ホワイトじゃないか。ホワイトカラー族っていうじゃないですか。わたし黄ばんだホワイトカラー族だった。

で、定年後の色だけど、脱色された後何色に染めましょう?レッドがエエでしょうよ。赤いチャンチャンコが似合いです。赤は神社仏閣の基本色。鳥居の色。赤はストップ。コレマデ!って色。

あぁ、真鯛は赤じゃない、黄金色です。

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2007年1月23日 (火)

邯鄲(かんたん)の夢

昔は定年後のサラリーマンはもうゴミみたいなもので、だぁれも彼らがどんな生活しているのか関心を持たなかった。ほったらかしておいても、別段どうってことなかった。彼らは適当な頃合にポクツと死んで、席を次の世代に空け渡した。

だが、最近は、やはりゴミには違わないのだが、やたら沢山のゴミであって、世間に邪魔すること甚大である。めだってしょうがない。加えて、彼らはなかなかくたばらなくなった。

昔は、邪魔にならんかったが、最近はそうも言っとれんわけだ。まとめて老人ホームへ措置入居させてしまえば片付くのだが、これって金がかかってかなわん。それぞれ自分の家にすっこんどれというしかない。

で、老人たるものは、自宅で、静かにして、静かにあの世へ旅立のが礼儀だと思う。

わたし、若い衆らが、マージャンするとき、たまたまメンバーが足らないと、埋め合わせに参加を呼びかけられることがある。わたしごとき者でも若い衆らのお役に立つなら結構なことだと思うから、誘われるままに出かける。実は、今日もでかける。

これってわたしの仕事だと思っている。

先日、ラジオ関西から、“長寿バンザイ”って番組に出演要請があり、承って出演した。

長寿であると烙印を押され、おもしろくなかったが、誰を責めるわけにもいかん、ダラダラ生きてきたのは自分の責任である。申し訳ないことだ、で、要請に応じるのは仕事だろうと思った。

日経新聞から「うたた寝」ってコラム記事に、貴方のことを書きたいと申し出をうけ、昨日取材をお受けした。

最初電話を受けて以後、暫時打ち合わせがあったが、

「…わたしでよろしいのでしょうか?わたしって、まじめに仕事したこともないいわば落ちこぼれの老人ですよ」と言ったら、

「ご心配なく、コラムのタイトルは『うたた寝』です。あくせく仕事しているような話ではいかんのです」

とのことだった、

あぁ~、それならあるいはわたしのことかもと思って、まぁいいか、これも仕事仕事とお受けした。

取材は、わたしが以前から尊敬するM編集委員さん直々だった。東京本社からわざわざわが家へお越しになった。日経の本社編集委員といえば当節本邦きっての知識人である。わたし、とっても緊張した。なんぞかんぞお話ししたが、うわの空だったので何をしゃべったのか覚えていない。うたた寝している間のことだった。あぁ邯鄲(かんたん)の夢。

…近々、夕刊に出るかもしれない。

<参考> 邯鄲の夢

大昔、中国の邯鄲というところで、青年・盧生は栄華が思いのままになるという枕を仙人から借りてうたた寝をした。50年間の栄華をたんのうして夢から覚めると、未だ炊きかけの粟飯は煮えていなかった、という故事。

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熊野誓紙

トラックバック打ち込みソフトをカットしていましたが、カット解除いたしました。

今までカットしていたのは、

“超エッチの裸からみつき出会い系”がやたら押し入ってきて処置に困ったからでした。

で、また迷惑系が押し入ってきたら、できるだけ排除・削除するつもりですが、できれば削除なんかしたくない。まぁ其の時々に楽しみながら悩むことにいたします。

なにせもう年ですからねぇ~、永平寺の坊さんの心境です。

迷惑トラバの少ないことを願っています。

本心です、

わたしだって社会に参加し続けていたいわけです。

どういう形で社会に参加し続けるかですが、自分勝手なことを言いたい放題書き散らすばかりじゃだめですよね。トラックバックの窓も開けておかなくちゃならん…の、じゃないかなぁ~と、思うわけですよ。どうぞよろしくお願いします。

さて、以下は、言いたい放題の書き散らしです、

1.韓国人被爆者の健康管理手当て支給打ち切りは、

もう時効だってことで敗訴になったようですね。おきのどくだ。だって、時効で体調が戻ったわけじゃないでしょう。わたし思うのですが原爆落としたのは米国ですよ。どうしても落とさねばならなかった原爆なら戦争のときだったのだから、まぁしゃ~ないと思ってもよいけれど、もうダウンしているのが見え見えだったのに、一般市民の頭上に原爆を2発も落すなんてひどすぎる。これは明らかに過剰防衛でしょう。犯罪でしょう。捕虜の虐殺以上にひどい犯罪でしょう。

わたし、かねがね、日本政府はなんで被爆者援護を米国に要請しないのか不思議でならん。

2.スーパーゼネコンの談合だけれど、

「談合決別宣言」なんてたわごとは、言う方も、信用した方もアホでっせ。

ゼッタイ確かな丸秘談合の環境造りには、まず最初に、大仰に「談合決別宣言」したことを世間に言いふらすことがデッタイ必要、…と、承知しておくべきでしょう。

大阪のお役人らの隠し金、おもろいですねぇ~、なかなかやるもんだ、大阪商人の根性に立ち向かうのが役目の大阪役人としては、コレくらいの根性は必要でしょう。

スーパーゼネコンにしても、お役人らにしても、このたびは、その宣言の手続きがあやふゃだったから敗れたけれど、次回からは、「もう金輪際談合はいたしません、ほれこのとおり“熊野三山の熊野誓紙”に誓って談合はいたしません」などと、言うべきでしょう。わが国では、古来、熊野誓紙に誓うってことが、一番信用度が高かったのです。

で、戦国武将らは、敵方を欺く際、たびたびこの熊野誓紙を利用しました。

3.納豆ですけれど、

わたしは、納豆のこと信用しています。

かみさんに、「もうそろそろ納豆が安売りされているだろうから買って来い」といってスーパーにやったら、「なんでやろ、納豆売ってなかったよ」だって。

なんじゃこれ??

納豆が悪かったわけじゃない、悪いのは関西テレビでしょう。わたし、“納豆食えない不利益”について関テレに損害賠償請求を言い立てようかしらん!

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2007年1月22日 (月)

オラ知ィ~らねぇ

だれが知事になってもドッコイドッコイ。

すぐに利権に走ってろくなことはせ~へん。

いっそのこと人気バッカ気にするタレントを据えておいたほうがエエのとちゃうか?

ってんで、宮崎県知事が誕生した。そのまんま東氏。

民主主義って確か人気取りの政治手法でしたよね。宮崎県は正しい民主主義の世へ戻ったってことですよね。

でも、なんだか投げやりな感じもあるなぁ~、

ブッシュに任せておけば、米国はますます混迷を深めそうですよね、

で、ヒラリー・クリントン氏が、あたしがやったる!っと出てきた。

夫婦で大統領ってのはすごいですね。

アベチャンのかみさんだって、そのうち総理大臣になりますよ。

昨晩、淡水魚も海水魚も一緒に泳げる水を作ったってテレビ番組があったから、23時~の放映だったけれど、眠いのを我慢して観ておった。

スバラシイ!このやり方だと、陸地のどこででも魚の養殖が可能です。試験的に育てた魚を試食したら、とても美味しかったそうだ。

ヤラセ?

まさか!

でも、ようわからん。わたし、そう簡単にはいかんのじゃないかと思うがなぁ~。

なにか変なことを、ウソげなことも言っておったよ、ホンマかいな??

関西テレビが納豆謝りしていますね。

先ごろはペコちゃんも謝った。NHKも威張って謝った。先の宮崎知事もふてくされて謝った。

形式としては、折りたたみ机に3~4名並んで、だれかの合図で頭を下げて、「まことに申し訳ございませんでした」というのが定番です。このやり方・システムはエエですな。どんなことをしてきたって、これでまず一件落着です。あの人は、本当はエエ人なんとちゃうか?って、あたたかい(?)目で迎えてもらえる。

こんなことバッカやっとれ!!そのうち国がつぶれる!!!

日本人って、最近自分の国が嫌いになっていませんか?

よその国がみなすばらしく思えてきて、旅行へ行くならゲェ~国へ行きたい。国内旅行なんてでんでんオモロナイ。

大規模工場を建設するならインドや中国の方がエエ。

優秀な頭脳は、これはもうだいぶ昔から海外流失が常識。

日本語なんかどうでもエエから英語を子供に仕込みましょう。

年寄りバッカでインケツな国になってますなぁ~、

だれのせいや?

おぬしのせいやないけぇ~!

オラ知ィ~らねぇ、66才、

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2007年1月21日 (日)

センター試験

0401 新聞に大学入試センター試験の問題集が出ていた。

地理の問題に、見たことのある地図があった。八戸港の地図。先の列島周航時は、ここに、濃霧の中、入港したのだった。

「港湾案内・八戸港」のページにこの時の入港経路をプロットしてみた。

沿岸5マイル沖を北から下ってきて

→八戸港の真沖まで来て南西へ直角に転舵、

→真っ直ぐスローで、ウミネコの「蕪島」と「短い1文字外防波堤」の間を目指した、

→GPSプロター画面が10数メートル右側へ狂っていたようで、いきなり目の前に避け得たはずの1文字外防波堤が現れ、衝突寸前にバックを掛けて回避(この距離になるとレーダー画面では判断できない)

→その1文字外防波堤に沿って港入り口へ探り行き、港へ入ろうとするが定置網が一面にあって入れない、

→Uターンして後ろ側の入り口へ周り行き、ここから入ろうと窺うも、まだここにも定置網がありそうで入り得ず、長い外防波堤に沿ってより広い港口へ向かった、

→入り口ど真ん中をスローで入る、

→八戸大橋の正面の内防波堤に沿って鮫漁港の隣の漁協市場前水域へ入ろうと探り進み内堤防をレーダーで確かめつつ八戸港へ入った、

→更に艇速度を落とし、図の位置へ潜り込んだ、

     ★今思ってもこれって神業でっせ!♂♀

港の中は、アチコチに船がドカッと座っていて、レーダー画面が判別し難かった。翌朝霧が晴れたとき、周囲を見回して、天国に居るような気がしましたよ。

わたし、合格でしょう。事故なしに入ったのだから。

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ナットウ

“納豆を食べたら痩せる”ってのは、マヤカシみたいだなと思い始めていた矢先だった。

だって、アレ以来、わたし勢い込んで納豆食っていたがデンデン痩せないからなぁ~。

先日、買占めの品薄高値のなかを12パックも無理して買い込んで、もうそろそろなくなるけれど、ずっとマジメに食っていた。

関西テレビの番組でした。わたし、観ておった。ヨッシャ、食ったる!と思った。

わたしごときをダマスのはメチャ簡単だね、

もし、わたしが納豆嫌いだったら、本当に怒るよ! 

だけど、わたし納豆は好物だから、大きな顔して食うことがデケタここ数日間はとても幸せだった。

あぁ、この“幸せ”だけれど、“仕合せ”と書くのがホントは正しいらしいね。納豆とわたしを“出会わせた”って意味になって、含蓄が増します。

あぁ、あぁ、

余談ですけど、わたし「メダカ釣り」で一昨年以来テレビ各局に出演したけれど、関西テレビだけには未だ出たこと無いですわ。だって「メダカ釣り」はヤラセじゃないもの。

“仕合せ”だけれど、

日中両国は防衛交流を拡大するそうですよ。今朝の新聞にそう書いてある。相互の軍艦を相手国に訪問させ合うのだって。

この“仕合せ”って、一方では日米関係を“仕離す”方向にありますよ。日中がほんとうに仲良くなったら、米国の核の傘の半分は不要になる。そう急に不必要になったとも思えないのだけれどなぁ、アベチャンは何をやっとるのだろう?

小豆島の真鯛釣りが超不調で、ここでのベテラン釣り師(わたしは超下手)らが、なんでやろ?なんでやろ?と、悩んでいるみたい。

要は、イカナゴの生育状況如何なのだと思っているが、コレが海水温のあり方に直結していて、今年は海水温がやたら高いみたい。エルニーニョになっとるみたい。

このことも今朝の日経朝刊特集ページにデカデカ出ていて、世界規模の話に仕立てて報じられている。

問題の根幹は、“温暖化ガス”じゃなかろうかとわたし承知しているが、妙なことにこの記事の中ではあまりその温暖化のことには触れられていない。これが原因だと言い切ったら、また納豆話かと思われるかもと用心したのでしょうかねぇ~、

今日も、ぼんやりした天気ですねぇ~、

植野○さんでも、釣れなかったのだから、と、出漁をあきらめて、わたしボンヤリしています。納豆の朝ごはん食うつもり。よう寝た、もう9時半やないか!呆れた!

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話の規模

話1.

お上がしっかりしないと→下々の者らは無茶苦茶になって→日本沈没になってまうのじゃなかろうか。

…と、思ったりする今日この頃だけれど、

国乱れて忠臣現るのたとえがあって、ここに佐藤優というケッタイナ刑事被告人が居る。

現在、外務省休職中の、ホラ、あの宗男議員の腰ぎんちゃくとか言われた、外務省のお役人ですよ。

わたしこの人が最近書いた本を片端から読んでいるのだが、おもしろいですなぁ。

この人、今、とてもよい仕事をしていると、わたし思います。

1.日本人の単眼思考を→複眼思考に育てつつある。

2.“美しい国”ってどんな国かを考えるのに、とても役立ちます。

3.読むほどに、政治不信がさらにさらに深まるのだけれど、まぁ~しゃ~ないか、

話2.

海洋研究開発機構横浜研究所で地球シミュレータってのをやっている。

これは、上述の話より、ほんの少し大げさなことを研究しているらしい。ページ開いたって何が書いてあるのかさっぱりわからんが、なにかおもしろそうな気がしないでもない。

話3.

1月20日は、瀬戸内海は凪だった。

小豆島の真鯛は、昨年は今頃よく釣れたのだったが、今年はさっぱりダメみたい。

話の規模だけれど、

話1<話2<話3、でしょうね、

要するに、小豆島の真鯛釣りはどうなってしまったのかってこと。

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2007年1月20日 (土)

ウソというホント

“わたしはウソをゼッタイ言いません”

と、剥きになって言う人を信用するかどうかは1つの見識でしょうね。

また、そうとはことさらには言わないけれど、

“俺はウソだけはつかないのだ、いままでそういう人生を送ってきた”

と、自らそう思い込んでいる人を、横から見た場合、そのウソ無しこだわる人のことを、信じられるかどうかも、これまた1つの見識でしょうね。

わたしのことを言っております。

わたし、ウソは言いませんし、今までだってダマシやウソを故意にしたことなどまったく無かった、と思っている。

でも、わたし、これで良かったとは思っていない。実のところは、なんて弱弱しい生き方だったのだろうと反省バッカしておる。こんな弱い男のことを誰が信用したりするものかって思う。最近そういうことがヨ~クわかる。しっかりウソがつける、そう、あるいはウソと承知しながらも、白を黒と思い込める強い自我こそが、人生を大きく広げ人間性を高めるように思うのだが、どうでしょうね。

どなたか、“俺はウソつき人間だ”って自覚できている人いますか?きっとたくさん居るとおもうけれど、それよりなお沢山の方が“俺はウソつきじゃない”って思っているのじゃないかな?

“ウソも方便”って言葉があるよ。“人を見て法を説け”とも言う。これ、お釈迦様の言葉です。彼もダマシやウソは必要だと言っているってこと。

あぁ~“魚釣り”だけれど、

サビキ釣りやジギング釣り、これってダマシ釣りですよね。魚釣りは、餌だとダマシテ釣り針を食わせる遊びじゃなかった?

アハッハ(笑い)

な~んや、わたし、ウソつくこと昔から大好きやった!

わたし、ウソつき人間です。

あぁ~、本当(?)のこと言って、スッキリした。

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2007年1月19日 (金)

ロスビーどん

シャクなことにさっぱり分からん言葉がある。

ロスビー波、ケルビン波、ってなんや?

流体力学にコリオリの力ってのがあるそうな。地球には磁力があり、月や太陽や木星などからの引力が潮汐を生むらしい。これらは、言葉としてはなんとなくわかる。が、ロスビー波、ケルビン波になるとさっぱりわからん。

複雑系の話にバタフライ効果ってのがって、北京でチョウチョが一羽ナニゲに羽ばたけば、その影響が回りまわってアメリカに大洪水をもたらすとか。また、風が吹けば桶屋が儲かるとか。まぁわからんでもない。だがロスビーはわからない。

気象の移動のことが不思議でならない。

意志ありげに動くというのが命ってことの定義なら、台風は間違いなく1つの生命体であるに違いない。南方洋上で生まれて日本へスゴミながらやってくる。

黄砂は中国から飛んでくる。が、これはロスビー波、ケルビン波やバタフライとは少し違うような気がする。これは中国の黄色い砂そのものがやってくるのであって、伝播とか、影響しあうとかとは意味合いが違うように思う。

“北から寒波がやってくる”というが、寒い空気が移動してくるのか、

あるいはそうではなくて、

寒い空気Aが隣の空気Bを冷やし、その隣の冷やされたB空気が、そのまた隣のC空気を冷やすの要領で、次々寒さが伝播し。結果日本が寒くなるのかの、どちらなのだろう?移動なのか伝播なのか??

なぜ、“北から寒エァーがやってくる”と言はずに“寒波”っていうのだろう?

わたし、波平って名前だけれど、“波”ってのが実はよくわからん。“波”がなんで“平ら”なんや?これもわからん。

先日の千島アリュウシャン西方で起きた地震の津波だけれど、「逃げろ逃げろ!」の警報に従った人は少なかったようですね。たったの2・30センチの津波だったそうだけれど、「狼が来た狼が来た!」ってことですよね。

あぁ~bどん!

わたし、気象のことは実はさっぱり解っておりません。コトどんは詳しそうだったけれど、彼は仙台藩だからなぁ~、アズキ(小豆島周辺海域)の味見(凪予想)まではデケンかもネ。

貴兄、ロスビーどんやケルビンどんと、もし付き合いがあったら、紹介してくださらんか?

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2007年1月18日 (木)

納豆味 2

先の東日本海域周航では、免税(軽油)券を1万㍑分用意していた。

1月末がその清算申告期限なので、今一度精査してみた。

旅で使った軽油は総計7834㍑だった。

航程距離をおよそ3千マイルとして計算すると、軽油1㍑で約700メートル走ったことになる。凪いだ日だけ走ったつもりだったが、結果的にはけっこうシケ波の中を走っていたってことだろう。

軽油の値段が沸騰している時期であった。金額になおせは…計算するのを止めましょう、心臓が痛くなるとこまるから。

…納豆だけれど、

某テレビで納豆がダイエットに効果的だとの報道があって、アッという間に街のスーパーから納豆が消えた。

なにね、わたしだって、負けずにダイエットしようと思ったわけですよ。だが、納豆は、どこへ行っても売り切れ表示ばかりでびっくりした。

と、昨日は、サティーで久々に納豆が出ておった。わたし嬉しくて12パック買い占めた。

あぁ~よかった!と、家へ帰り、まとめ買いをかみさんに自慢すると、「値段は一つ幾らだったの?」という。

「○○○円」とわたし。

「ホラ、すっごく高い!」とかみさん。

わたし、三種類の納豆を買った。一番値の安かったのを告げたのだが、1つあたり30円は高いとのことである。実は、一番値の高い納豆は1つが185円だった。これだとかみさんがいつも買う価格の2倍を越えていた。あぁ~恐ろしい、ドツカレそうだから口をつぐんだ。

食ってみて思うのだけれど、つい先ごろと比べて量が少なくなったように思われる。

納豆1粒あたり何円になるか気になってきた。今晩食う際、粒数を数えてみようと思う。

……食事を済ませました。

大粒納豆1パック185円のに68粒入っていました。

割り算です。1粒2円72銭。

わたし最近パチンコしませんがパチンコ玉って1つ幾らでしたっけ?

粒を詳細に観察して思ったのですが、

ひょっとして、大粒表示のパックだったのだけれど、安物の小粒を混ぜているのじゃないか?形も硬さも違う粒が混じっているのだけどなぁ~??

計算しましょう。

軽油1㍑を仮に88円としますと、納豆1粒の2円72銭は、何ccの軽油に相当するか

1000cc:χ=88円:2円72銭

χ=1000×2円72銭÷88円

χ=30.91………2円72銭は軽油約31ccに相当します、

で、納豆1粒でわが愛艇「はまちどり」は何メートル走るか?

計算しましょう、

1㍑:700㍍=31cc:ν

 ν=700×31÷1㍑

 ν=21.7メートル……軽油31ccで艇が約22メートル動きます。1粒で22メートルです。

ところで、わたしこの大粒納豆を68粒食べたから、

21.7×68粒=1475.6メートル

大粒納豆1パックで、艇は約1キロ半走るってことですよ、おどろいたな!!

アッ! ひとつ計算違いがある!

185円の納豆パックには小箱3つが入っていたのだった。その小箱の1つに68粒入っていたってことです。上述の計算数字は1/3にしてください。納豆1粒で約7メートル走る計算になる。

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納豆味

中国大陸奥地に強い高気圧Aが居る。太平洋小笠原南部に弱い高気圧Bが居る。このA・Bがあたかも西高東低の形をなす中間にごく弱い温暖前線が横たわっているみたい。いま、その影響だろうか霧が濃い。肌がシットリする感じ。こういうとき海は凪である。カムチャッカ付近に低気圧があるからきっとオホーツクや釧路・襟裳あたりはシケだろう。だが、瀬戸内海は、ここしばらくは凪ぐのではあるまいか。書斎の窓から外の様子をうかがいながら、想いを海へ飛ばしている。

7時半、東地平線から丸い太陽が顔をだした。濃霧のなかで観る太陽は満月のお月様そっくりだった。今、8時半。太陽は地平線上約12・3度の位置にあってまだ直視することができる。霧は更に濃くなって視界100㍍ほど。ここ三木の山里でこの霧なら海はスッゴイ濃霧であろう。

…刻一刻と太陽の位置が変わり、雲が様々な姿を見せ、風向きが変わり、海面の輝きが変化し、ひと波とて同じ波は無く次から次へと果てしない、ずっと音楽が鳴っている、そこらじゅうに音楽でないものは何もない、艇のエンジンが轟々と響き、艇は身を震わせながら波に切り込む…

又、書斎の壁の日本地図を眺めている。

列島周航から帰って後すぐに周航記を書き始めようとしたが、あの時は、まったく書く言葉が出てこなかった。頭がポカ~ンとして旅の様子を思い出すことができなかった。この状態がほぼ1か月間も続いたのだった。ボツボツ書き始めたのは、写真の整理などをし始めてからである。写真も、何処で撮った写真だったか分からなかったが、落ち着いて幾度も眺めて、個々の写真ごとに、ピンポイント的に突然思い出し→パノラマに展開し、あとはズルズル芋蔓(つる)式だった。

周航記はこのような揺らぎの中で書いた。書き進むほどに往時を思い出し臨場感が蘇った。

書き始めは当然ながら出港当時の様子からだったが、母港帰港のことを書く頃になると、思いの純化が進んでいて、記述する調子が前後で随分違ったものになっているような気がした。で、最初から、今一度書き直した。と、またぞろ、前と後ろでは臨場感が違っていると自覚できた。で、で、また始めから書き直した。実は、いまだにこの作業が続いている。

壁に貼った大きな日本地図は、この作業のなかで貼り出したのであった。

なんぞかんぞ思い出してはまた地図へ目をやる。

旅では、概ね即席ラーメンを食っていた。リンゴと、納豆を、気付け薬のつもりでときおり買って食っていた。仙台のコトちゃんが差し入れてくれたあの納豆は絶品だった。あれは美味かった。納豆も、また、潮味のなかで食うのである。昨日近くのスーパーへ散歩し買ってきてある。これから食おうと思う。この濃霧、気分満点だ。いまだに航海途上にあるような心地がするじゃないか。

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2007年1月17日 (水)

ホッチキス 2

先のラジ関収録(「長寿バンザイ」用の対談収録)で、キャスター氏(女性)から、

「しばらく雑談の後、本番収録させていただきます」と申し出があった。

で、本番になって、終えて、

「とてもお話がおもしろくて、つい時間がオーバーしてしまいました。もう一度お願いします」

と、どうしても今一度やり直しを、と、なった。

わたし、衒いながら(てらい・あたかも何かがあるようなそぶりをしながら)収録やり直しに応じた。ドカッと疲れてしまった。

わたし、若い頃から、

自分は“坊主”と、“役者”と、“政治家”にはなれそうに無いと思っていた。

自分が本気で信じていないことを、あたかもそれが本当のことであるかのように話したり、行ったりすることは、自分には出来ない。

“てらう”それ、自分をあたかも有能な者であるかのように、あるいはあたかも高尚なことを知っていそうにみせることであろう。

これって、“坊主”と、“役者”と、“政治家”の世界である。

サラリーマンをやっていた頃は、月給分は、下手ながら上司にてらったが、今はまったくテラウことなく日々過ごし得る隠居の身。

…が、あの収録時には、久しぶりにホッチキス分てらいながら話をした。

恥ずかしくってしょうがない。もうテライの世界には出たくない。

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わたし万引き犯?

今までテレビでスーパーでの万引き犯罪の実況録画(?)を見ていた。番組はまだやっているが、息苦しくなってスイッチを切った。犯人には50台60台の男性が多いようだった。

わたし、幼い頃は、大きなお屋敷の敷地へ柵の穴から忍び込み、柿を捕ったり蝉を獲ったりしたことがある。スモモとかイチジクなども木によじ登って盗み取ったりした。何度か、お屋敷の人に見つかって、悪仲間らと一緒に蜘蛛を散らして逃げたりした。でも、中学校へ行くようになってからは、それは無かったなぁ~。

と、思いつつテレビを観ていたが…、ドキッ! ひょっとしたら…!!

わたし、ホ―ムセンターが大好きです。散歩コースに組み込んでいる。ホームセンターまでテクテク歩いていって、店に入り、電動工具や種々の工作機やネジ釘や工作箱やアレやコレやを眺めてまわり、気に入ったのを手に取ったりして、時間を過ごすのが大好き。

ゼンゼン買わないわけじゃない、時には買うことがある。980円で防寒靴の気に入ったのがあったから買った。最近はこの靴を履いている。小さなペンチで使い勝手のよさそうなのを見るとついつい買ってしまって。これはもう十幾つも溜まっている。

灯油缶から灯油暖房機へ灯油を移すホースは、電動式や手動式が幾つもある。およそ使うこともなさそうな大型電動ホースも欲しくて欲しくて買ってしまった。幾組もある。アレコレ買うが安物ばかり。

と、

ギクッとなったのは、ひょっとしたら、いつも店にやってきて店内をウロウロするわたしは、万引きの常習犯のブラックリストに載っているのではと、思ったから、

ヤバイのじゃないか!

オットロシイですねぇ~、

わたし、いろいろ手にとって動かしてみたりしますから、そして、何しろ忘れっぽい、うっかり、手にしたまま棚へ戻すのを忘れるってことが生じるやもしれない…、

わたし、散歩コースを再吟味した方が良いのかもね。

わたし、ゼンゼン自分に自信がありません。先日も家の鍵が無くなったとかみさんがいって、わたしのせいだと言うのだけれど、ぜんぜん思い当たらなくて、馬鹿にするのもエエかげんしろ!!と怒ったのだが、突っ込んだスボンのポケットにその鍵が入っていた。

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2007年1月16日 (火)

地球儀は5万円

大きな地図をいつも目に入る位置に貼り付けておくのは、キット良いことに違いない。日本地図は縦長、世界地図は横長の、それぞれ半畳ほどの大きなカラー地図をはりつけている。パソコン前に日本地図。右側壁面に世界地図。

本当は、直径30センチほどの海洋型地球儀が欲しいのだが、神戸三宮の某文具店で値段を確かめるとやはりそれなりの値が付いている。展示中の好みの地球儀を数回そっと回してはその都度断念を新たにする。

外洋をボートで走っていると、地球の丸さが実感できる。10マイルも沖にでると、360度水平線だけになる。地球の丸さが向こう側の陸地を水平線の下へ追いやってしまう。地球って、なんて小さな星なのだろうと思う。

今、貼り付けた大きな地図を眺めているが、

この水平線の感覚はやはり地球儀でないと浮かび出てこない。イラン・イラク、アメリカ・ロシアなどなどは、マルコイ地球のこの位置にあるのかと思ったり、つい先日の千島カムチャッカ海溝で起きた地震の位置を地球って星の感覚の中でとらえてみたい。

4~5万円もあれば好みの地球儀が買える。

で、神戸三宮のジャン荘へ、モーさんらの誘い出しを受けて出かける都度、JR駅構内の宝くじ売り場へ立ち寄り、200円奮発して、コスリ(スクラッチ)籤を1枚買う。前々回500円当たった。好みの地球儀は約5万円である。

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2007年1月15日 (月)

ホッチキス

住まいの近くにレンターカー屋があって、今までに2回ぼど2トン・トラックを借り出したことがある。

わたし運動神経はトロイけれど、これくらいの車はなんてことなく運転できる。

で、レンタカー屋の様子は、少しは分かっている。

先日、このレンタカー屋が事務員(パート)募集の新聞折り込みチラシを撒いた。

時給千円。6時間勤務。

わたし出来る→だが60歳まで→わたし66→出来ない!

興味本位にあちこち調べるが、もうわたしにはどこにも出番が無いみたい。

と、その中で、ラジオ関西から取材の問い合わせが来た。

「長寿バンザイ」って番組に出て欲しいとのこと。

そうかぁ~、わたし長寿って呼ばれる部類に入ったのかぁ~と呆れ、かつビックリした。

「○○日はお手すきですか?」と言うから、「ぼかぁ~いつでもヒマだ」って言ったら、「ありがとうございます」となって、それが今日の取材受けになってしもた。

20分の番組だそうだ。ダラダラ録音して先ほど帰られたが大丈夫だったのだろうか?

キャスターの語り掛けに応じる対談収録だったが、別に決まったセリフがあるじゃなし、思いついたままをテライながら話した。テラわずに話そうとしたのだが、わたし役者じゃない。なかなか上手くいかなかった。

「長寿バンザイ」の番組だ。年寄りでチョット変わったやつを見つけ出して語りかけるって趣向らしかった。わたしが、変なオッサン(ズズイ)に見えるってことでしょうかね。釣友で、最近身近なゆりたろうから見ても、わたしは随分偏狭なズズイに見えるらしいから、チョイ見の方からは結構けったいなズズイってことかもな。

収録対談を終えてのわたしの方の印象ですけれど、

3名が、わが家へお越しになって、収録されたのだけれど…、

お3方とも、ごく一般市民的で、極めて普通人(こんな言い方失礼かな?)であられるような感じがした。

ヨ~ク身の回りを見渡せば、友人知人に普通人が居ないわけじゃない。

が、異常人とは言わんまでも概して変なヤツ(失礼<(_ _)>)が多い。その変なヤツらがほぼ一様に、わたしのことをゆり的にすなわち、偏狭なズズイだって目で見て、しかたなしに付き合ってくれている。

わたし、このしかたなしの、うがった目線に晒されるのにすっかり慣れてしまっていて、今日は、普通人の目線のなか、とてもとても緊張した。

わたしなんぞを取材して、なんぞ放送デケルようなものが取れたのやろか?

取材協力の謝礼だとかで、事務用品のホッチキスセットをひとつ置いて帰られた。

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地 図

♪すねてなったか 性分なのか旅から旅へと渡り鳥♪

「日月は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり、舟の上に生涯をうかべ馬の口とらへて老いをむかふるものは日々旅にして旅をすみかとす」―奥の細道―

一昨年・昨年と、春から初秋までの間は舟旅をしておった。出立は海の機嫌がやわらぎ始める四月下旬からだったが、準備のことがあって、気持ちの上では年明けから既に旅の最中であった。

旅を終えて、今年はゆっくりしている。が、七草も済み、松の内が過ぎようとする今、どうしたわけか変に落ち着かない。書斎の壁に大きな世界地図と日本地図を貼り付けた。

まだまだ気力は残っているように思う。体力もまぁなんとかなりそうだ。今は、なぁ~んも計画は無い。月間雑誌「ボート倶楽部」に毎月エッセイを連載させてもらっているが、毎月ひとつずつ楽しんで書くつもりが、自制が利かなくて一年分をもう書いてしまって、原稿も送ってしまった。で、もう楽しみもなぁ~んもない。

日本地図を眺めたり、世界地図を眺めたりしている。一昨年西日本海域周航の際、鹿児島薩摩半島野間池で出会ったヨット・オオサカベイの林夫妻は、来週から大型クルーズ客船に乗って南太平洋周航の旅へ出るそうだ。そのアタリの海を地図で追って眺めている。

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2007年1月14日 (日)

接客ほどき

八尾どんの、“百貨店での接客にまつわる述懐”を聞いて、フト感ずることがあったから、以下ほどいてみよう。

お客さんに気分良く買い物をしてもらって、その後も引き続き良い客であって欲しい、との思惑が、良い“接客態度”を磨き上げてきたのでしょうね。

昔、三波春夫という演歌歌手がいて、“お客様は神様です”とたびたび言ったが、これがひとつの原点でしょうか?

これって、「たらざれども、臣は臣たれ」に似ていますよね。

白状しますとね、

わたしは、この三波春夫的で「…臣は臣たれ」的な価値観になじんでいます。

親には孝行せなならんし、会社には忠誠をつくさなあかん。

…孝行しても、忠誠を尽くしても報われない苦しさ…、でも、耐えてきた年代です。

突撃!と号令を掛けられれば、バンザイ攻撃で死ぬことも辞せぬ年代ですよ。

八尾どんは、わたしより数歳お若いですよね。ひょっとしたら、団塊世代的な意識をお持ちかもしれない。

本心と、必要悪とを、場合によっては使い分けることができるのかもネ。

団塊を境にして、価値観がだいぶ違っていそうに思うけれど、どうなのでしょうね。

団塊世代が退職した後は、世の中は功利的な方向へ急カーブするのじゃないでしょうか。

たらざれども、臣は臣たれ」なんて聞いたって、アホカ!と一言で蹴飛ばされるのじゃないか?

“お客様は神様です”と諭されたって、「関係ない!」と言われそうだな。

先のわたしの立腹は、実は接客態度に対する怒りじゃなかった。

怒りをぶっつけたけれど、わたしは、こなれた接客態度で態よくあしらわれてしまった。

なんじゃそれ!

で、わたし、わからんようになった。

わたしの価値観が、ひょっとしたら間違っているのかもしれない。

少なくとも、わたしは、若い衆らの価値観を理解しがたくなっていることは間違いなさそう。

介護の仕事はいいですね。

ここは昔から、“自己実現の可能な職場”だとされている。人格と人格が、正面から向き合える職場ですよね。取り繕ったおべっか笑いや、意味も無い言葉だけの「ありがとうございます」はすぐに見破られてしまいます。

わたし、徴兵制の代わりに、二十歳前の若者らに一定期間介護の現場を経験させたらどうかと思う。

今の若い衆らのマニュアル生活(労働)にわたし怒っているってことですよ。

利己心・功利主義は、互いに自制しあわなくては衝突が多すぎてどうにもならん。

だから

“お客様は神様です”と言ったり、「たらざれども、臣は臣たれ」と言ったりして、互いに自制しあった。

が、これらがつぶれてマニュアル社会になった。

意味も無い言葉だけの「ありがとうございます」の言葉が氾濫し、ただ単にマニュアルさせこなせばあとは知らないといった仕事になった。

「少し考えてみろよ!これって変だと思わないのか!」って、わたし怒ってみたが、彼らは、マニュアルとおりのことしかしていないって目でわたしを見る。参った!

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2007年1月13日 (土)

了解!

仏教の考え方の根幹に“因果”ってことがある。

なにごとも循環するって考え方だ。

それ、グルグルまわりってこと。悪いことをしたらバチが当たるぞ!エエことをしたら極楽へ行けるぞ!ってこと。

そのよりもなお深いところに、“無”ってのがあって、

あぁ~“無”があるってのが、そもそも矛盾なのだけれど、要するに“無”としか言いようの無い境地が在る(?)らしいが…、

なんじゃそれ??

エエえかげんなことをわたし言ってますからね、信用しないように頼みますよ…、

因果は、キリスト教などの唯一神信仰とは根底が違っていて、ある種宗教とは言いがたいもので、かといって哲学といってよいかどうかも定かでなくて、要するにある種の常識の根底に、こう考えるのがエエのじゃあるまいかってことがあって、ここからからきた言い訳じゃないか。

それ、良きにつけ悪しきつけ、損得計算は結果的に御破算になるよってことみたい。

それでね、

最近、わたし、御破算しつつあるのかなぁ~と思うことがありますよ。

きっと、御破算し尽くしたら、あの世だよね。

あぁ、あちこち片付けなくちゃ、身の回り周辺はごちゃごちゃゴミだらけだ。

御破算も気骨が折れるわさ。

なにをどう片付けたらよろしかろうか、さっぱりわからんからなぁ~、

困ったな! 

バァサン(母)が、まだ御破算しておらん。難儀でッせ!

命は地球(宇宙)よりも重いって言いますでしょう。

了解了解!

あぁ~宇宙(地球)よりも軽い物ってありましたか?

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ニーチェ

釣りノリノリどんが言うように、わたしは短気の塊かもな。

言い換えれば思慮不足。バカ。辛抱足らず。自分勝手。粗大ゴミ。死なな治らん病気…、

さるところで、やたら腹が立つことがあって、烈火のごとく怒ってしまった。

あぁ~あ、シンドかった。なんかとても損をした感じ…、

わたしがいくら怒ったって、その後も、なぁ~んも変化しないみたい…、むなしいじゃありませんか?

何に怒ったのかって?

馬鹿馬鹿しくて、思い出したくもありません。

アレッ!また腹が立ってきたぞ!

安っぽいのだよなぁ~、ワイの正義感は、アホですわ、まったく、

気分直しをせなならんですね。

穏やかぁ~な気分ってのは、どこへ行ったら安く買うことできますかね?

ところで、

腹が立つって現象は、自分が馬鹿にされた時とか、自尊心を傷つけられたときに、無意識に顕れる自己防衛でしょうね。

先の立腹も、ごまかしてやろうとの魂胆が見え見えにわたしには思われて、…実はここがわたしが短気だってことの顕れなのだけれど…、…それをぬけぬけと無神経につきつけられたと思ってしまって…、ついカッとなってもた。

で、怒ったわけだけれど、哀しいのは、われを忘れて、プッツン切れてしまうってことができんですなぁ~。

計算ずくで怒っておる。

だって、相手は不思議そうな目をしていた。なぜわたしが怒るのか、ぜんぜん分かっておらんみたい。で、なぜ怒るのかを声高く説明するって怒り方になる。

説明ってのは、どうしても順を追って話すって作業が必要ですよね。

「な、ここまでは分かるか?」などと、怒りの起点となった事実を順に追ってゆく。

一定の共通理解・地盤を踏まえて、そこから生じる、わたしAと、相手側Bの思いの違いを、際立たせたうえで、Bの心得違いを責めるって順になる。

だがなぁ~、

なんぼ声高に怒り話しても、理解しようとしてくれなかった。

わたしに読み取れたのは、しばらくわたしの怒り声に耐えていようと、かたまったなってことだった。

あぁむなしい!

あぁくたびれた!

またまたバカバカシイ症候群のなかに落ち込んでしもうた、

この世はゴマカシだらけの真っ暗ヤミ、

「神は死んだ」とニーチェは言った。

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2007年1月12日 (金)

フ グ

気象庁は波50センチと言うのだけれど、

出てみたら魚釣りを楽しむような海じゃなかった。

けっこう波があって釣り辛かった。

播磨灘の高砂沖、家島群島東端の上島遥か南の9番ブイ近く。ここはこの時期だけのフグ釣りポイントです。

ガッポンガッポンの波があって、南西からの風が結構強かった。磯アンカーをぶっこんだが効かなかった。艇がアンカーをズルズル引きずって釣りにならない。

バウのアンカーウインチの作動試験に出てきたのだったが、竿を握れば、魚釣りが先である。こりゃどうしようもないぞ、と、思いながら、フグ釣り仕掛けを出す。30数センチの大きなショウサイフグを釣った。

Photo キモはわたし大好物。だがヤバ過ぎる。キモは食わなかった。

モーさんに、

「フグ釣った、貴兄、今晩マージャンの誘いを掛けないなら、俺、これ食って死んでまうかもよ」と携帯電話。

「あぁ、どうぞどうぞ、船長は最近上手に死ぬようになったから、足引っ張らんでも死ねるのとちゃう」とモーさん。

なんて薄情なやつだ!

わしゃ次回囲んだら(マージャンした時は)、デッタイに、めちゃくちゃやっつけたる!

あぁ、マージャン用語で“死ぬ”ってのは“上手に打ちまわす”って意味ですよ。

あれ~?わたし、何を言い始めていたのだったかな?

そうだ、わたし、ショウサイフグを釣ったってことを言っていたのだった。

持ち帰って、テッサと・テッチリにした。

かみさんは、シラ~とした目でわたしを見ておった。

パッパは、もうそろそろシビレだすのではなかろうか?ってね、興味深々見ておった。

何を馬鹿な!

そうやすやす痺れたりするものか。

わっしゃ、モーさんにフグのさばき方を教わっておる。

だからデッタイ大丈夫。だって、教えたモーさんは未だに生きておる。

エッ? モーさんはフグ食うかって?

彼はね、食わんようですよ。何やかや言うだけ言って、自分だけは蚊帳の外。

かぁ~ちゃんとイチャイチャしておる方が極楽だってこないだ言っておったですよ。

わたし?

まだシビレません。ひょっとしたらこのまま生きていたりして。

すいませんねぇ~、食うだけ食って生きていたりして…、

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バウウインチ

バウのアンカーウインチを自分で修理中だ。

巻上げの輪にアルミ線を巻きつけた修理は、いまいち巧く作動しなかった。

巻き方を工夫して今日もまた沖で試運転してみたい。

輪の幅が狭く、アンカーロープを二重巻きにすることが出来なかった。

1巻きだけで作動させるのだが、それでも輪にロールが食い込んで巧く巻き上げることができない。

ロープが滑るからじゃない。食い込んでしまってロープが団子になる。

とっさに解こうとして危うく指をつぶすところだった。あぁ~こわ!!

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2007年1月11日 (木)

海路

「待てば海路の日和あり」は本当だった。問題は“待つ”ことができるかどうかだった。先の列島周航で、わたしは度々待ちかねて出港し、こりゃダメだと引き返した。

わたし、“待つ”ことには昔から不得手だ。

ダメだと分かっていながらひょっとしたら大丈夫かもとやりかけては、失敗ばかりを重ねてきた。

だが、還暦もすぎ、はやそれも6年も過去のこととなってみれば、あきらめが先にたって、結果、やる気が萎えてグズグズするのが案外辛抱に、我慢に、通じるようにも思われる。

今日の日経朝刊1面最下段「春秋」欄に、安倍総理の奥さんのジイサンにあたる松坂半三郎氏が「…災いと幸福は交互にくるものではなく、災いの後には災いが来るのが普通」と言ったとある。氏は、困難は相次ぐものと受け止め一歩も引かない決意でかかった、と、ある。氏は、森永製菓の俊敏社長であったそうだ。成功者の言葉だ。こんな言葉を吐けるなんてうらやましい限りだ。

力あるものは、災いが来ても一歩も引かない決意でかかって、災いをねじ伏せたってことであるらしい。

だが、

力の無い者らは、災いがきたら一歩も二歩も引いて、「待てば海路の日和あり」でじっと我慢がするがよろしかろう。少なくとも、登山にしろ、海の長期航海にしろ、大自然の猛威に立ち向かうには“じっと我慢”こそが真に“力”と呼ぶにふさわしいと思う。

日経最終面「私の履歴書」は江崎玲於奈氏の“大空襲明けの(東大物理学教室での)講義”であった。先の大戦で東京がB29の大編隊による空襲を受けた際の氏の述懐である。

壊滅的被害を受けた翌朝、東大物理学教室では、某教授はいつもと変わらぬ調子で物理学の講義を行った。江崎氏は必死になってノートを取った。アカデミズムの存在感を学んだ一瞬だった、と、ある。

キラビヤカな経験をされたのだなぁ~、

わたし、66になるけれど、このような経験は未だにしたことがない、

イヤ、

ひょっとしたら、これがそうかも!

わたし、

陸から遥か遠くに離れた沖合いで、シケ波のなか、ひょっとしたらヤバイかも、と思うことがしばしばあった。

頑張るという格別の意識もなく、ただガッポンガッポン波に身を任せて港へたどり着く、この繰り返しであった。

そして、今となっては、自信を持って、

“「待てば海路の日和あり」は本当だった”と、言い切ることができるようになった。

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2007年1月10日 (水)

大変感謝

絶好の釣り日和である。艇はいつでも出撃可能なようにマリーナ・ポンツーンにつないである。が、昨年末の連続ボーズショックが癒えておらず、寝床でグズグズしている間、陽が高くなった。ユリはひょっとして自艇で鯛釣りに出ているかも。

「はまちどり」艇では操船が思うにまかせずイライラするというようなことを言っていたがどうなのだろう。鯛が釣れてイライラが癒されておればよろしいが…、

バウアンカー・ウインチにアルミ線巻き込む修復を施しているが、これでシッカリ作動するだろうか?もしこれで大丈夫なら、播磨マリーナ沖の上島の瀬へ出て、アンカーぶっ込んで、何ぞかんぞの五目掛かり釣りを楽しむのだが…、

仲間らが皆してあれじゃダメだろうというようなことを言うので、これまた出撃意欲の萎えることではありますよ、

なるほどアンカーウインチは、ヤフオクで、新機5~7万円で購入が可能だろうと思う。それはわたし言われなくてもヨ~クわかっている。

が、しかし、これをマリーナで艇に設置すると、その工賃が半端じゃない。工賃が1万円前後ならもうとっくに新しいのに付け換えておるよ。わたしは、ながらく安ァ~スイ給料で使われていた。その給料もすでにゼロとなった今、なんで目もくらむような工賃に付き合うことができたりするものか。

先日エンジンオイルを継ぎ足しておいて欲しいと依頼したら、オイル1㍑1200円。手間代3500円、消費税235円、合計4935円の請求納品書が郵送されてきた。

誤解の無いように申し添えますが。わたし、楽しいマリンライフを皆々様に援助していただいて大変感謝しております。

ホントですよ。

主治医(マリーナの担当Tメカ)はわたしの身体(艇)の隅々まで知っています。

先の列島周航時のことですが、何処で故障しても、Tメカに連絡しさえすれば、Tメカはその地の修理業者に艇の特性を伝え、修理のポイントを、その要領を実に細かく指示することができました。これが再々ありました。どれほどありがたかったことか。この手間代(診療代)ですか?払った覚えないなぁ~。これがあるからなぁ~、文句は言えんのだわさ。

ヤイ!事務計算方、知っとるのか!

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2007年1月 9日 (火)

云々

江戸から明治への文明開化で日本人は自分を発見もし失いもしたが、総合的判断としては得た方・発見した方が多かったと、考えるのが普通じゃないか?

だが、わたしは、少し普通じゃなくて、

必要悪的に西欧文明に順応してしまったが、本当は失ったものの方が多かったと考えている。

太古の昔から、日本は中国や朝鮮の影響下にあって、フラフラしながら出来てきた国であるから、日本固有のものがあるような無いような感じではあるけれど、西欧人の野蛮性丸出しのデカクて強靭な体躯を見ると、日本人は日本人なりの身体の動かし方があって良いのではないかと思う。フィギヤースケート・ダンスの男性が軽々と片手で女性を持ち上げるのを見てそう思った。

フィギヤースケート競技会の華やかさ、あの身ごなしの見事さはスゴイ!すばらしい!

が、この美しさは文明開化以前の日本の美的感覚からは異質なものである。

わたしは、

フィギヤースケートを美しいと思う。そして、能や仕舞や地唄舞を美しいと思う。神楽を見ると敬虔な清清しさを感じる。

が、昨今の若者らは、

フィギヤースケートを美しいと思えても、能や仕舞や地唄舞を美しいとは思えないのではないか?神楽が陳腐に見えるのではないか?

先の阪神淡路大震災の記念日が近づいてきた。

「あの災害の悲惨さを後世まで語りついで…」云々の言葉のもと、今年も様々な行事が行われるのだろうと思う。戦争体験を語り継ぐ云々のこともある。

が、失いつつある文化へ目を向けようと云々する者は少ない。

なかに“美しい国”云々がある。

なんじゃこれ!

あぁ~バカバカシイ!

イスラム圏の国々がその態様は云々ながら、固有の文化を掲げて戦っている。

日本はかつてこのような戦いをしたことが無い。

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夜が明けた

いつの頃からか寝床で目覚めても、雨戸の隙間が少し白むのを待って、それから起き出すようになった。

以前は、目覚めれば2時であろうが3時であろうがサッサと起き出してなんぞかんぞゴソゴソしていたが、そのゴソゴソする“なんぞかんぞ”が種切れになってきて、寝床でグズグズが増えてきた。

と、もうひとつ別のわけがある、

“雨戸の隙間が少し白む”と→部屋内がぼんやり見えて→起き上がり立って→歩いて部屋の襖(ふすま・ドアー)へふらつくことなくたどり着くことができる。

真っ暗闇だと、わたし運動神経が悪いからふら付いて真っ直ぐ立つことが出来ない。ましてやふら付かず歩むことなんかできない。

でも、そうとは言っても、以前は手探りで立って歩いて壁際の電気のスイッチを探り当てることができた。が、最近はこれが面倒になった。ひょっとしたら足腰の弱まりがあるのかもしれない。

時にストレッチまがいに足腰をのばしたり、ラジオ体操の真似をしたり、首をクッキンクッキン前後左右に曲げたりするが、グルッをまわせばすぐ目が回る。わたしは東西南北の感覚にとても弱く、極端な方向オンチである。これらのことが相まって、道順を覚えるのが下手だ。地図をにらんで某所へ行くに、まともにたどり着けたことがない。

昨年、愛艇「はまちどり」で日本列島を単独で巡りあるいたが、かみさんはわたしのこの極端な方向音痴を知っているからとても心配した。

当然ながら、わたし自身も心配した。大丈夫やろか?

でも、結果的には大丈夫だった。…が、目覚めても、真っ暗闇の中ではふらついて立つ事ができんし、無理に立っても、立った途端に部屋内ながら方向感覚を失って、フスマの方向がどちらかわからない。

で、今日も、雨戸の隙間が白け始めるまで、寝床でグズグズしておった。

あぁ、もうすっかり夜が明けた。

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2007年1月 8日 (月)

屁理屈 2 (今の仕事)

前編(屁理屈)での、言葉足らずが気になるから、以下少し言葉を足そうと思う。

めんどくさくなければ、お目通しを願う。

A案の最初の対談コーナーは

〉第二の人生は、“できるだけ早く準備にかかった方が良い”という視点から編集されている。

〉勇気を持って1歩を踏み出せと言っている。

〉「その1歩を踏み出せない夢は、自分にとってそれほどの夢じゃないのよ。だから自分を責める必要はない」と言っている。

これを、わたしは“違うと思う”と言った。

が、なぜ“違うと思う”のかについて、もう少し言葉を足す必要があった。

対談は、サラリーマンを早期に退職して、それぞれの特異な才能を開花させた成功者二人によってなされたものであった。

この二人とっては、勇気を持っての早期退職は正しかった。この意味では二人は間違いを言ってはいない。

が、しかし、

掲載誌は今年退職する団塊君らへ向けたメッセージ誌である。

既に早期退職の機会を失した者ら向けて、かようなことを言っても始まらないのではないか。ここが問題。

早期退職が必要であったのは、特異な才能に恵まれていた者らだけじゃない、サラリーマン生活が不得手であった者らも、また同様に勇気を持っての早期退職が必要であった、…実はわたしはこの部類に属する者だったのだが…、

が、しかし、この者らも、不幸な(?)ことに既に早期退職の機会を失し、ズルズル勤めて今年定年退職を迎えようとしている。

特異な才能があった者、サラリーマン生活が不得意であったもの、そして、この中間に位置する多くの者たちにとって、今必要なアドバイスは何か!

わたしが、前編で述べたのは、

サラリーマン生活が不得意であった者の位置からの発言である。

そして、よ~く考えれば、

特異な才能があった者らも、中間層であった者らも、既に今年定年退職を迎えるに至った今となっては、全員一様に、過去を“是(ぜ)として”気分一新し、以後のささやかな生活のなかにこそ“今の俺の仕事がある”としたいじゃないか!この是認された夢の世界が欲しいじゃないか!

同誌は言っている。

男性は定年退職後20年、女性は30年の余命があると。

わたしは、定年退職後は、速やかに気分一新し、以後どのような位置に身を置くにせよ、まさにその位置において“ここにこそ今の俺の仕事がある”とすべきだろうと考えている。そういう生活をしようじゃないか。そうできる根性は全員持っているはずだ、と、信じている。だって、今まで頑張ってきたじゃないか。

オイオイ!

なにをゴタゴタ言うているのだ! どこが「…釣り日誌」なんや?

いやネ、

魚釣りの好きなズズイが、勝手放題パソコン打って遊んでいるってことですよ。

“これが今のわたしの仕事です”とね。

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2007年1月 7日 (日)

屁理屈

(財)地方公務員等ライフプラン協会というのがあって、ALPSという名の機関紙を出している。年6回の発行らしいが、このたびは“団塊世代の2007年問題”があって増刊号を出した。

わたしは、団塊・団塊と、大げさすぎると思っているが、真剣に考える方々もあって、とくに団塊君らの退職後の見の振り方には不安を覚えるらしい。

過日編集者から、退職後の生活を面白おかしくやっている人を探したら貴方に行き当たったとかで連絡があり、電話取材を受けた。

問われるままにベラベラしゃべったのが「本」に掲載され、その「本」が謝礼とともに送られてきた。A4版64頁のきれいな本だ。団塊世代にまつわる様々なことが盛り込まれているなかに、わたし他3名の退職後の生活が紹介されてる。

本屋に出る「本」じゃない。各地方自治体や政府関係など公的機関に一方的に配布される「本」であるらしい。数万部刷ったようだ。スッゴク金がかかったのじゃなかろうか。これを誰がどう読むのだろう?

わたし念入りに読んでみたが、編集方針が複雑で…、キットこれは会議会議の産物でしょうね。

A案・B案・C案・D案…と、様々な視点が網羅されている。

最初の対談コーナーはA案(A視点)、続く団塊世代が育った世代の分析はB案(B視点)、その世代を写真集で見せる頁はC案(C視点)、「わたしのセカンドステージ」(わたしはここに登場)はD案(D視点)、といった具合。

わたし、問われればありていに答える。逃げも隠れもしない。また、取材の内容を編集者がどのように使おうと、それが悪意からの編集で無い限り平気である。こう扱って欲しいなどのこだわりがあれば、はなから取材には応じない。

取材の申し込みがあったとき、

「わたしのような怠け職員だった者の退職後の遊びを紹介して、それで貴誌の権威が落ちても知らんよ」って言った。

タジタジとするかと思ったら、そうでもなかった。

で、問われるままにありていに答えたのだった。

A案の最初の対談コーナーは、

第二の人生は、“できるだけ早く準備にかかった方が良い”という視点から編集されている。

勇気を持って1歩を踏み出せと言っている。

「その1歩を踏み出せない夢は、自分にとってそれほどの夢じゃないのよ。だから自分を責める必要はない」と言っている。

わたし、これは違うと思う。

わたしはダラダラながら定年まで勤め、更に4年間安い給料で嘱託勤務に甘んじたのだった。

ダラダラ勤務に耐え、安月給にこだわってどこが悪いものか!

こんなにシンドイ勤めがあるのを知らんのか!

かつて国鉄で紛争が激化したとき、朝出勤してから退勤するまで、地面に描かれた円の中に居ることを命ぜられた男たちが居たそうだ。こりゃぁシンドイ勤めでッせ。歯を食いしばって耐えて月給稼いだのだろうな。見上げた者たちじゃないか?

人間を単線で見てはいけない。おっソロしく複線複線が交差するなかで生き得るのが人間である。

たかが月給稼ぎのための雇われ仕事に、単線思考で自分を預けきって、それでよしとするような人生はもったいない。

安月給ではあったが気持ちは終始豊かであった。複線複線交差のなか、読みたい本は読み、呑みたい酒は呑んだのだった。

「仕事を終えたときから、『何かホントの仕事』を始めたような気がする」とわたしは取材の応答を締めくくった。そして、できれば、ここは削除しないで欲しいと言ったのだった。

このくだり、掲載されていた。

わたしは、また、ひとつ仕事をし得たと思っている。

おもしろいなぁ~と思う。

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大シケよ!

北海道のオホーツクは9㍍もの大シケらしい。青森・岩手あたりも8~9㍍もの大波だとか、

沿岸の漁家は身を縮込ませ、耐えているに違いない。

これほどの大シケになると、港の防波堤は崩壊寸前。内に潜む漁船は全船蒼白って感じになる。ヨット・ボートなどで周航中の艇はこの時期あるはず無いと思うが、もしあるなら、無謀な艇だとしか言いようが無い。

全船団子になって港内の安全な場所に身を寄せ合い、互いにロープでつなぎ合って、天候回復を待つわけだが、“身を寄せ合う”というこのことが、ヨット・ボートには出来ない。

ヨットは艇がタマゴ型に作られている。身を寄せ合う際タマゴ型が災いする。ボートは漁船に比べ船殻が極端に薄く作られている。ボートは速度を重視した軽い遊び用の船である。もし、ボートを漁船の中に紛れ込ませ、身を寄せ合うような位置につなぎとめたら、ボートは間違いなく押しつぶされてしまう。グシャッとつぶれる。

大西洋岸のボートは意外と船殻が強く作られているが、それでもこのたびのような大シケ時に漁船の中へ入る事は、ゼッタイに無理。ちなみにわが艇「はまちどり」は米国東海岸で作られた艇(アルビン28)である。おお怖い!わたし、ゼッタイに漁船の輪の中へ入ったりしない。

アルビン艇でもダメなわけだ。日本産のプレジャーボートの場合は船殻が極端に薄く出来ている。ミリ単位の極薄の船殻である。簡単につぶれる。

40Ftを越える大型高性能ボートでシケをかっこよく乗り切ったはいいが、波の衝撃で自艇フライブリッジが船殻を上から押しつぶす形になり、艇が破壊寸前になった例を知っている。災い転じてその後随分船殻を強化したのでもう大丈夫だが、それでも漁船の強靭な船殻にはかなわない。

それでも、大シケ時には、破壊覚悟で漁船群の中に紛れ込まざるを得ない。

頼みは防舷材(フェンダー)である。大小のフェンダーを艇の両舷に下げまくり防御する。下げたフェンダーが衝撃で跳ね上がってしまわないように固定するが、固定しきるとこれまた融通がきかなくてフェンダーそのものが千切れ破損する。

わたしは昨年の列島周航時には大小のフェンダーを合わせて12本積んで出た。あぁオソロシイ!

オォ~雪が降ってきた。

北国の大シケよ! あまり暴れるな!わしゃ気になってしょうがないわさ!

いつも思うのだが、

1年に12か月は多すぎる。1月と2月の寒く厳しい2か月はこの世から削除できないものか。

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2007年1月 6日 (土)

仏法僧を敬い奉る

“仏法僧を謗る(そしる)なかれ”という。

神・仏を怒らせると、とんでもないことになるぞ!

しかし、わが国には信教の自由がある。言論の自由がある。

で、わたし、仏法僧を敬い、神・仏をあがめる男であることを、いったん天地に宣誓した上で申し上げるのだが、

正月気分が抜けかかるこの頃になると、“エベッサン”が出てこられて、賽銭集めをなさる。賽銭をはずめば商売がその分繁盛すると信じる者らが欲得づくで出す金が賽銭じゃないか?

“金でエベッサンを買収するのか”なんて無粋なことをいうと、これが、神を冒涜するような言葉に聞えて、世間様から逆ねじを食らう。エベッサンは商売がお上手だ。なんの保証もないことを吹聴し、わずかな金に汲々とする庶民から金をだまし取る。賽銭をはずんだのに倒産したりしたら、詐欺ってことで賽銭ただ取りの神社を告発したらどうか。誇大広告まかりならんと大声で世間に神の無責任を言いふらしてはどうか。公正取引委員会は職務怠慢ではないか?

エベッサンは、とにもかくにも前向ですよね。ダマシとはいえ商売繁盛させてあげようというわけだから。仮に、もし、思うほどの儲けが得られなくても、エベッサンに頼んでいなければひょっとして倒産していたかもわからんからな。

じゃが、荒神さんの場合は違うぞ。少しタチが悪くは無いか?おれに挨拶しておかないと、今年、おまえに災難をなすりつけるぞ!って、彼は言いませんでしたか?

愛艇「はまちどり」ですけど、幾つも幾つも、航海安全・大漁祈願のお札が祭ってあります。

神様のお札(ふだ)ってものには賞味期限があるそうですね。長くて一年。それも、その年だけの限定品らしい。それはまぁ我慢するとして、問題は、賞味期限が切れた、そう契約期限が切れた古いお札の処置です。いままで、敬い祭っていたのを、いきなりゴミ箱へ捨てるわけにもまいらん。仕舞い込んでも二度と出番が来るわけじゃない。受けた神社へお返しに行き、新たなお札を受けるのが最もポピュラーな処置なのだが面倒だ。てなわけで、艇内には、さぁ幾つ溜まったかな。契約期限切れは承知で、皆一様に祭っておりますです。

再度申しますが、わたしは仏法僧を敬う敬虔な仏教徒です。

毎年この時期になると、お寺の坊様が回ってこられる。我が家では、それを待ち構えていて、謹んでお迎えし、「開運暦」と「お守り札」を拝受し、金一封を差し出す。

あのね、わたし、この風習はとても良いことだと思っている。

昨今の日本が、殺伐とした世情になっとるのは、間違いなく人々が敬虔な気持ちを失ったからじゃないかと思うがどうでしょうね。

バチが当たろうが当たるまいが、ウソッケな神様であろうがなかろうが、なんでもエエから人知を超えた何者かがあって、それはただ信じるしかないものであって、その前にはひれ伏すしかないって感情がなけりゃならんぞ。

わたし、隠居業を始めてはや7年目。ようやくこのアタリの心地が分かるようになってきた。

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恐々VS 興興

昨日5日はジャン友ら3名と初打ちをやったが、

彼らが、「また船長になんぞかんぞ書かれるのではないか…」と“戦々恐々”としているから、事実を赤裸々に書くのは慎もうとおもう。

あぁ“戦々恐々”だけど、これは“戦々競競”と書くのが正しい。“戦々興興”とするともう完全な間違いでこれでは対戦者をオチョクッテいるようで失礼だ。

ゆりが、右のコメント欄に、

「釣れないと分かっているから釣れないんじゃなくて、釣れないと思っているから釣れないんじゃないかなぁ」

と、分かったような、分からんようなことを書き込んでいるが、

分かっている ⇔ 思っている 

の、違いを検証するに、

アヤヤッスは、3ピンがアタリ牌だとは分かっていなかった。

アヤヤッスは、3ピンは安全牌だろうと思っていたわけだ。

で、大車輪が完成した。ヽ(^^)

“戦々恐々”だけど、

半チャン回しで、どんどん場が進んで、

わたし国士無双でテンパイ。イーマン(1満)で完成って局面だった。

完成しなかった。場は流れた。

アヤヤッスが、自分の手を開いて見せた。イーマン(1満)をトイツで抱え込んでいた。

「そうやろ、ワシ読んどったからな、あとの1枚は金の字が振るかどうかや、ワシ分かっとった」と言った。

要するに、

分かっている、は、絶対的な事実を抑えた上での理解である。

思っている、は、ひょっとしたらそうでないかもしれないとの、期待ないし危惧の念をはらんだ形の理解である。

アヤヤッスは、思っていたから、3ピンを出して大車輪を創ってくれた。

が、

アヤヤッスは、わかっていたから、イーマン(1満)を抱え込んで国士無双から免れ得た。

めでたい!

3名は“戦々恐々”、わたし波平は“戦々興興”じゃった!

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2007年1月 5日 (金)

新年随想2

コメント欄に、八尾どんが…、

67歳位の爺さんでいつも楽しくしてる方っているじゃないですか。

〉やっぱり、能天気に若い人と遊んでるかしら、、、、、、、、
〉よろしくお願いします。教えてください。

…と、言われるから、あえて申しますが、

わたし波平は昭和15年生まれの只今66歳です。もし、今年中に死ななければいずれ近いうちに67歳になるだろうと思います。

なお、わたし、極めて能天気な爺さんでもあります。

“若い人と遊ぶ”というのを、“若い女性とナニナニして遊ぶ”と解するとそれはわたしのことではないけれど、若い男衆らと魚釣りして遊ぶという意味なら、またぞろわたしのことであります。

で、“教えろ”とのことなので、

たまたまドン・ズバリのヅヅイでもあるようだから、少し話します。

世は高齢社会になってきました。近々団塊の世代が退職しさらに輪をかける。

3つに分けて考える。

1.非生産者の比率が増えることからくる閉塞感、

2.高齢者自身の生き方、

3.現役者(若者ら)の生き方、

以上の1~3を集約すると、

「あいつらは能天気に遊んでばかりいる」⇔「俺らは安い給料で働くばかりでオモロナイ」

と、なる。

ニート・フリーター・若年離職…の傾向が取りざたされている。次期高齢者らが年金不安に怯え(?)ている。

わたし昨日のブログ「新年随想」でそれこそ能天気なことを言った。

これ読んで頭にきた方が多かったのではないか?

だが、わたしは、ウソは言っていない。極めて正確に今の自分を観察しているつもりだ。知ってもらいたい、“前を向くからこそ後ろが気になる”ってことを、“自責の思い”を、

今の自分を“これで良し”と思うなら、グズグズ言ったりするものか!

わたしは“まだ動くことが出来る”。

稼ぎ仕事にはもう使ってもらえなくなったが、自分勝手な思いのなかで勝手な動きをすることはデケル。

わたしは、同年代の方々はもっともっと動くべきだと思っている。おのおの方!勝手に燃え尽き症候群気取りをするな!って言いたい。

夢の中に生き、夢の中で死んだらエエやないか。その方がメッチャ・オモロイに違いない。

愛艇で日本列島を釣り歩くのがひとつの夢だった。やってみた。すっごくオモロかった。周航後「日本列島魚釣り周航記」を執筆することもまた当初からの夢だった。夢中になって原稿をこしらえた。

このことに夢中になっている間、余事は考えなかった、が、今、出版費用などのことがあって暫時頓挫のこととなってフト自分に立ち返り、思うことがある。

列島周航に関する自分自身の楽しみだけはほぼやり遂げた。

が、しかし、このありようを何らかの形で、仲間らや若い衆らの目の触れ得る場へ出すこと、これもひょっとしてワッシャの仕事ではなかろうかと…。

年甲斐もなく青臭いことを言って恥ずかしい。生意気言って申し訳ない。

実は、この列島周航を続ける途上、突如このような妙な使命感に、気分に、浸されたのだった。この“旅”は今の俺の仕事だってネ。

極めて多くの方々のお世話になった。ヅヅイの一人航海を様々な思いで観て、接して、くれた多くの善意の方々に囲まれて、わたしは始めて波を乗り切り得た。

かっこ悪いがわたし、この年になって初めて、自分の本当の仕事を見つけ得たような気がする。この気持ちのなか、なんとも消えやらぬ漠々とした申し訳なさが、わたしを責める。

知って欲しい、隠居の能天気なぼやきは、“前を向くからこそ後ろが気になる”のだってことを。それ“自責の念”そのものだってことを。

正直言って、

わたしは、もうなぁ~んも出来ないけれど、未だにナンゾヤッタル!と思っている。

この気持ちがあるからこそ、釣れないと分かっていながら、無理して小豆島までも真鯛を狙って釣行する。釣り人であるかぎり、ヤッタル!の心意気は健在ってことだろう…と、これもまた自分勝手な思い込みだろうか。

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2007年1月 4日 (木)

新年随想

隠居で自宅にすっこんでいると、今日って日が何月何日だか分からんようになる。何曜日だったかさっぱりわからん。ましてや大潮日だか小潮日だったかなんぞは関係ないし、寝起きが勝手気ままな分、朝か晩かすらもしだいに不案内になりつつある。

で、お尋ねするが、今日は何月何日だったっけ?

机の前の壁にカレンダーをぶら下げているが、確かめようとして見直すと今日はまだ12月らしい。

アハッハ(笑い)

まだカレンダーを今年のに付け替えていなかった。

あわてて、…なにもあわてることはないのだけれど…、2007年のカレンダーに換えました。

で、1月4日の欄にサインペンでチェックを入れた。

なにか予定を書き入れたかったが、なぁ~んも予定なんかありゃしない。とりあえずチェックを書き込んで今日って日にちを確かめた印にした。

ジャン友・金の字からきた年賀状に「初打ちは5日」としたためてあったから、明日はその用事があるわけで、5日の欄に「金の字」と書き込んだ。

実にやってみてわかったが、

純なる隠居ってのは、メシ食ってクソして寝るだけしか用のない者だった。

わたしは、酒を呑むし、時には魚釣りに出るし、興が乗れば童謡唱歌を竹(尺八)で吹いて遊んだりする。こうしてなんぞかんぞ書き出してブログ造るのも遊びのひとつ。

でも、このようなことは、いついつ何々せねばならんということではないから、予定表は埋まらない。

予定表をにらんで、それでも何か書き込むことはあるはずだと考えた。

来月24日に「神戸市邦楽倶楽部の定期演奏会」がある。わたしはそのメンバーの一人。その他大勢の中に混じって少しだけ吹かせてもらうつもり。その稽古が数回ある。熟慮したがこれ以外はまったく予定は無かった。

これでは生きている値打ちが無い。この世に用が無いのならあの世へ遊びに行こうかなと思ってみたりする。あぁバカバカシイ。わたし、時々、心底この世がバカバカシクなる。

…あぁメデタイ。

アホな、どこがメデタイのや!!

どなたか、ここまで読まれましたか?

バカバカしく無かったですか?

ネッ!バカバカしいでしょう!

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大金投資

200612301602 愛艇「はまちどり」のバウウインチを改修しようとしています。右下の丸い輪(A)が左のウインチのとんがり棒にはまってロープを巻き上げる仕組みです。

改修は、

この輪(A)の上に写真の上側にある大きな縦長の輪(B)を溶接し、巻上げを容易にする工夫です。

わたし、溶接はごく簡単に出来ると思っていた。

しかし、bどんの会社のハイテク技術をもってしてもダメらしい。わたしはAもBもステンレスだと思っていたが、そうじゃなくてAはアルミ合金、Bはステンレス合金だそうな。アルミとステンは溶接不可能らしいですね。わたし知らなかった。あぁbどんの会社はこの種の技術では世界のトップレベルです。それでも、ダメらしい。

接着技術ってのはそれなりに難しいようですね。

パソコン検索すると日本接着学会ってのが出てきた。やたら難しそうだからもう検索したりいたしません。

でもシャクだから少し考えます。

接着ってことは要するにAとBとをくっつけることだ。

→両者の間の距離を縮めること、

→A・Bが一緒に動くこと、

ではどうしましょう、

1.A・Bを、ヒモで縛ってくっつける、

2.ヒモじゃなく穴を開けてボルトで締め上げる、

3.溶接が無理なら、セメダインでくっつける、

4.セメダインが無理なら、なんぞかんぞ様々な糊を試してみる、

あぁ~どれもこれも、アカンみたい。

あきらめました。

_003 くっつけることは止めて、Aの固体改造を試みました。写真のようにAのくぼんだ凹みにアルミの線を巻きつけた。この凹みにロープを噛みこんで全自動式に巻き上げるのが本来の仕組みなのだが、逆にこの凹みが在るがゆえにロープを二巻きして手動で巻き上げようとするとロープがここでもつれてしまうのだった。で、凹みを埋めたってこと。

全自動式ではたびたび不都合が生じて難儀なことになるので、手動式に巻き上げることにしたいわけですよ。うまくゆくかな?

アルミ線買うのに380円もの大金を投資しちまった。

<参考>

あのね、アルミ線を選んだってところがミソ(技術)ですよ。この凹みはなかなかの曲者で、埋める素材探しが難儀だった。普通のヒモではロープが食い込むばかりでグツが悪かった。樹脂で埋めるとなんと15万円ほど掛かるらしい。コンクリートで埋めると負荷が大きいからバラバラ崩れるだろうと思われる。普通の針金だとアッと言う間に錆びる。アルミ線もこの太さだと強度的にも大丈夫じゃないか。これより太すぎても工作が難しい。心配がひとつ。巻きつけたロープがツルツルすべるのではあるまいか?

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2007年1月 3日 (水)

餅屋の餅

餅のことだが、わが家では、

玄米を買ってきて→家庭用自動精米機で米粒を白くし→8時間水に浸け→家庭用餅搗き機に入れて蒸し→同機でコネ造り→餅とり粉をひいた台の上に取り出し→少しずつ千切りとって→丸めて→ハイお餅のできあがり、

わたしがまだ子供の頃は、

年の暮れに→町内に「餅搗き屋集団」がやってきて→各家々から注文を集め→順番に餅米を集めてまわり→餅屋が蒸して→餅屋が杵で搗き→注文に応じて鏡餅を造り→小餅を造り→各家へ配送した。ただ、アンコ餅だけは、家々ごとに好みが違っていたようで、搗きたての餅の塊をそのまま配達してもらって、各家々で造っていたように思う。

で、今、わが家で造る餅は雑煮にすると、すぐ腰が砕けてトロケつぶれてしまうが、

昔、子供の頃食った餅は、しっかりと腰があって、雑煮のなかに、おらぁ~餅だっ!って感じで威張っておった。

「餅は餅屋」ということわざがある。

なにごとでも素人とプロは違うという意味であるが、昔の餅屋が搗いた餅はやはり本物だった。

かたや男衆が臼と杵で搗いた餅、かたや小さな家庭用餅つき機でこねて造った餅、

搗いたのと、コネタのとの違いが、餅の腰に影響しているのであろうと思う。食べ比べるときっと味も違うのではなかろうか。昔の餅は甘みがあったように思うがどうだろう?

搗いた昔の餅が懐かしい。あの杵音も良かった。搗くものと、餅を臼のなかで整える役の者との呼吸がおもしろかった。あの気合の中で餅って生まれるものなんだよな。そのうち家電製品で搗いて造る式の家庭用餅つき機が出てくるような気がするが、この気合の部分はどうにもならんでしょう。

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2007年1月 2日 (火)

アッキー

安倍首相夫人がブログを開設したようですよ。

なんじゃこれ!

ヒラリー・クリントン上院議員の向こうを張ろうってことかな?

なにかを勘違いしていないか。

ヤバイですねぇ~

「将を射んと欲せばまず馬を射よ」ってことわざがある。安倍総理を意のままに操ろうと欲せばアッキーを射よってことになりませんか?

彼女は寝室で、

「あたし○○議員はいい人だと思うわよ」なんて総理の耳元でささやいたりするのかな?

「△△議員はイヤァ~な感じの人ねぇ~」なんてのもあるのじゃないか、

「ねぇ、今度◇◇国へ行ってみたいわ」なんて外国旅行をせがんだりして…、

かなわんなぁ~!

彼女の動向が、安倍総理に影響力を与えるだろうことは、二人は夫婦なのだから避けがたいのだけれど、少々軽すぎるのではないか。

彼女そのうち調子に乗って「あたし今日靖国神社へ代参してきましたよ」なんて言い出しかねないでっせ。

スパイの標的にうってつけだな。

スター気取りではしゃぐのはどうかと思うよ。

だれかお灸をすえる人はおらんのかいな!

ダンナの足を引っ張ることになるのじゃないか。

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2007年1月 1日 (月)

遊び

新聞は読み物として楽しみながら読む。以前は複数紙購読していたが今は日経だけ。

しんきくさい記事は読まない。最終ページから読み始める。ここが最もおもしろい。

が、ここの「私の履歴書」は、昨年はしばらく読まなかった。

渡辺常雄氏の自分史だったからだ。わたしこの種のおっさんは大の苦手。ずいぶんエライ方であるようだが、彼のゴウツク履歴を読もうとは思わない。好き嫌いのことであるからお許しいただきたい。

彼は雑物。芯をとらえた生き方をしたとは思えない。

で、今日からは江崎玲於奈氏が登場だ。

おもしろそうだ。

初回の記事に、知的能力を「分別力」と「創造力」に分けて、加齢に伴う変化を論じるくだりがあった。

わたしに当てはめると、わたしは「分別力」はほぼピークに達しつつある反面「創造力」はほぼゼロになっとる年頃らしい。納得できるようにも思うが文句を言いたくもある。

わたし、今年も当ブログに、何やかや愚にもつかぬことを書き込むだろうと思う。

ひとつ了解しておいて欲しいことがある。

わたし、ウソはゼッタイに書かない。また、自分を隠したりはしない。

だが、書いた内容をそのままには信じないで欲しい。わたしいちいち検証し尽くした上で書いているわけじゃない。遊び心で書き飛ばしている。遊び心で接して欲しい。

気持ちの変化の一瞬を描き出してみたい、…と、わたしかねがね思っている。

どんな些細な事でもよい、フッと気持ちが動いた一瞬を言葉にとらて書き出したい、これが、わたしがグダグダ書き続ける意味。たまたま魚釣りにおけるアタリの一瞬がそれに似る。

このことを、いろいろ話をするが、まっこと不思議なことながらなかなか理解してもらえない。

なんでやろ?

ここが、わたしが、グダグダ書き続ける意味であり、根源・源泉である。

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餅ひとつ

新年おめでとうございます。

皆さん、良いお年をお迎えになられて、キット元気モリモリですよね。

もうお屠蘇(トソ)はお上がりになられましたか?

ウッハ、ここ兵庫県三木の里は日本晴れですよ。

日本列島はドデ~ンと大きな高気圧帯になかに座っているようだ。

駿河湾から見た富士山を思い出すなぁ~、

一昨年、昨年と、2年間で大きく日本列島を周航したのだった。あちこちで、多くの方々のお世話になった。ありがとうございました。

厳密に言うと、九州南西諸島トカラ以南と、伊豆小笠原諸島が周航しきれていませんが、わたしの力で完全に周りきるには、やはり日本は大きすぎる。残念ながら、当初の3年計画は昨年までの2年度周航でいったん完成といたします。

長年の夢であった列島周航に区切りをつけ、いよいよ人生終盤に差し掛かったなぁと、そんな実感の中で新年を迎えました。静かな幸せってとこかな。

餅ひとつ夢に追われて三木の里   波平

アハッハ(笑い)

小さな夢だった、しがない窮屈なサラリーマン人生のかなで、日々クヨクヨ過ごしながら、“もし定年まで生きながらえ得たらこんなことがしてみたい”と思っていたのだった。

そしてやってみて、出版はかなわぬがこれまた念願であった原稿も作り終えて新年を迎え、今、元旦の屠蘇を含み、餅ひとつ食った。

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