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2007年3月

2007年3月30日 (金)

「岬波」

「日本列島魚釣り周航記」です。
自費出版に代えてここにアップ。
でも、「本」でなら読めても、パソコン画面では読み辛いですなぁ。

横書きは画面下まで読んだら順次改行する際に目がチラチラする。
が、19字の縦書きブロックなら、
一気にブロックごと繰り上げれば済む。これなら少しは読みやすいかも。
で、「本」の形式を取り入れ19字縦書きとしました。
組み換えに苦労したっちゃ!
なぁ~に、本格的「本」自費出版の真似事ってこと。無い袖でもパントマイムっで振ってみようってわけですよ。

二つに分けました。
播磨灘の母港・播磨マリーナ~宗谷岬までの前半と、
宗谷岬~母港帰着までの後半と、です。

難儀でッせ!
コレ全部読むのって!
でも読んで欲しいなぁ~、けっこうオモロイよ!!

注・容量が結構多いので、ダウンロードに時間がかかります。
注2・PDFってファイルがあることを知りました。下二つがそれ。Adobeソフトが必要です(注4参照)。
注3・校正ミスが多い。できるだけ修正したがシンドクなった。変なところは飛ばし読みしてほしい。ゴメンネ。
注4・ワードファイルは事故が生じる恐れがあるようだ。削除しました。
   <念のために>アドビ社の公開ソフトは、
    http://www.adobe.com/jp/products/acrobat/readstep2.html
   ここからアクロバットリーダー8をダウンロードすればPDFファイルが開けます。
注5・表紙に御前崎灯台沖の岬波を貼り付けた。アドビソフトって難しいね、難儀したですよ。
注6・ヘッダーに出展元(「隠居波平釣り日誌」)を挿入した。

「adobe_syuukouki_1.pdf」をダウンロード
「adobe_syuukouki_2.pdf」をダウンロード

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白頭ズズイ

Doteyaesakura_2
004_2

左は昨年のわが家の前の土手八重桜の絵、右は今朝の同じくわが家斜め前の土手染井の写真。
八重は開花が少し遅いですからね、今朝はまだ咲いていない。

年々歳々花相似  ねんねんさいさい はなあいにたり
歳々年々人不同  さいさいねんねん ひとおなじからず

岩波文庫に「中国名詩選」上・中・下があって、上述の一句は中の部に出ている。
作者は初唐の劉稀夷(りゅうきい)。白頭翁って題の詩にある一句だった。
今朝、花を眺めていて、
ふと“年々歳々花相似”ってのがあったなぁと思って、手元の岩波文庫を繰ってみたわけですよ。

詩の題は、正しくは、
「白頭を悲しむ翁に代わって」ということで「代悲白頭翁」というらしい。なが~い詩でした。そのなかにこの句が混じりこんでいた。
作者の劉稀夷ってのは琵琶の名手で二十歳過ぎの美男だそうな。
母方の叔父がこの詩を自分の作にしたいから譲れって言ったが断って、で、殺されたらしい。なんとなぁ~!

白頭を悲しむ翁に代わって、ということだが、翁じゃなくて嫗(おうな・ばぁさんの意)に代わって、と、読むのが適当みたいですよ。詩の文句からはそう読まざるを得ません。
詩の出だしは、
洛陽城東桃李花  らくようじょうとう とうりのはな
飛来飛去落誰家  飛び来たり飛び去って たが家にかおつ
洛陽女児惜顔色  洛陽の女児(乙女) 顔色(容色)を惜しみ
行逢落花長嘆息  ゆくゆく落花に逢って 長くたんそくす
…… と、以下延々と続く詩です。で、最後近くに、年々歳々のくだりが出てくる。

唐の都は長安ですよね。でも、この詩が出来たときは隋から唐へなったばかりの時で、隋の都は洛陽だった。世情も大転換のなかだったのだね。やたら世をはかなんだ詩です。
若い頃は容色優れた乙女だったが、今はもう白髪頭で半死の状態です。春が来て花が咲いても、もう寝たきりで動きがつかん。ただ、酸素吸入、点滴、導尿管につながれ生きるのみ…、
なんてこった!実は、母が今この状態です。哀しいかな、“若い頃は容色優れた云々”のところは縁が無かったけれど…、
わたし、毎日、母と向き合う。母は意識があるときはわたしを見て目を瞬(しばたた)きます。
年々歳々花相似  
歳々年々人不同 

冒頭の八重桜は、かみさんの絵ですわ。かみさんも既に白髪頭でっせ、
わたし?
わたしはまだ美青年ですっちゃ!!
でも、なんかシンドイですなぁ~、
まさに哀れむべし半死の白頭ズズイって感じかな、

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2007年3月27日 (火)

煽られて

どこかで携帯電話がピリピリ鳴って、あわてて携帯電話を探した。
…見つけて、手に取る寸前に切れた、
着信履歴を調べるとモーさんからの電話である。で、こちらから改めて掛けなおす。
「船長や、あんなぁ~、ぼかぁ~ボヤ~としとるのやから、電話寄こすのやったらすぐに切るな!ボクが出るまで待っとらなアカンぞ」とわたし、
「ウッワッハッハ(笑い)尺八稽古しとったんとちゃうのか!」と、モーさん。
「なぁ~んも他にすることがないからダラダラ聴いとるが稽古はしとらん」とわたし。
「することあるやないか、ブログ書きなはれ!」とモーさん。

実は他からも、「どないしたのや、大丈夫かいな?」って問われている。
バイオリズムってのがありますよね。わたし、そのリズムに落ち込んでしまったのかな?

モーさんが「船長も、もうシンドイか、歳やなぁ~」って煽るようなことを言った。
七輪の穴じゃない、煽られてすぐに火種が燃え立つわけじゃない。
が、なんぞ書け!書け!って言われるのはうれしい。

え~と、
…で、なんぞ書こうかと思う。
恥ずかしながら、
明日28日から、東京の日本橋三越で「春の院展」がある。
我が愛妻の絵も出品がかなって展示されるらしい。
インドの娘さんが畑仕事の合間に担いだ籠を下ろして一休みって図柄です。

あぁ、モーさんの用事は、「今夜、遊んだるから出て来いや!」でした。

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2007年3月26日 (月)

アカン!2

“稽古が佳境に入ると、新聞が読めなくなり、テレビがうるさくなり、やがてマンガさえ読めなくなるというのはほんとうである。
稽古が心身をピュアにするので、ノイズ耐性が弱まるのである。
合気道は身体情報の送受信感度を最大化すること自体を目的としているので、三日も続くと身体感度がデリケートになってくる…”

これ、神戸女学院大学合気道部の春の合宿に参加された武道家・内田樹教授の今朝のブロブからの抜粋である。

これ、わたし、スッゴクよくわかる。
およそ40年近くも前、わたし、まだ学生だった頃、剣道部に在籍していたことがある。無茶苦茶に稽古して心変形肥大などの障害が出て籍を抜けたのだったが、それでも、内田樹教授の言われんとするところは体験的に分かる。
そして、
つい昨年の日本列島周航時は、これと似たような状態だったのではと思う。
あの時は身体状態が非常に鋭敏になっていて、ピュアになっていたのではなかったか?
空のことが、海のことが、自分と一体だった、…と、今にして思う。
そんな気持ちの中で多くの方々とピュアな出会いがあった。

それが最近また雑っぱなことが気になってきて、毎朝新聞を読み、日がなテレビに時間を費やすようになっている…、こりゃいかん!
しょうもない雑音からは抜け出し、もっと、身体状態を鋭敏にせなアカン。
そう思う。
貴兄らは、どうお思いか?

わしゃ、だから、一所懸命、尺八吹いて虚無僧修行しようと思っとる。
暗譜で吹きたいが生来記憶力が薄い。
サッパリ覚えられん!
どないしょ!


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2007年3月24日 (土)

アカン!

“後期高齢者の医療は定額制にしよう”という動きがあるそうですね。今朝の新聞に書いてあった。世間様のお荷物ってわけだ。75歳以上の人たちのことですよ。
でも大丈夫、未だ66のわたしはまだお薬がもらえそう。前期高齢者予備軍といったところですからね。

まぁとにかく、この際、わたし“心機一転”します。
なにする?
⇒魚釣り楽しみながら、虚無僧修行をしようと思う。
“心機一転”などと大仰すぎたかな?

毎日毎日のブログ更新はもうやめます。
書くことが無くなったわけじゃない。
が、よ~く考えたら、…イヤ、考えるまでもなく…どうしても書かねばならんことが在るわけでもなかった。
で、愚痴やボヤキが、我慢し辛く溜まったら、吐き捨てる意味で書き付けることにする。

なんで気持ちがそうなったの?
⇒決定的な気持ちの転換は、二日酔いがキッカケです。

先日某所で軽く一杯やったが、
酔うはずもないのに、40数年ぶりに意識が吹っ飛んでしまった。翌朝の昼前までの間がさっぱりわからん。
気が付いたときは、なぜだかわからんが、自宅へ戻っていて、
自室の、自分のパソコン前に普段着のまま寝転がっていた。
かみさんが毛布をかぶせてくれていた。

どうやら、無意識のまま、一晩中~翌朝昼前までのほぼ12時間も、パソコンに取り込んだ明暗流の虚無僧尺八曲を聴き続けていたようだ。未だにその残響が頭蓋骨を共鳴させていて、逃れ難く、気持ちが悪くてしょうがない。もう半分廃人ですな。どないしょ!

アカン!
ここはもう、酒も可能な限り控えて、生活態度を改めなアカン…と、思う。

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2007年3月22日 (木)

歩もう

某・明暗導主の門を叩きました。
導主の前で始めて本気で音出しを致しました。
調子・一二三・鉢返曲、を、手ほどきしてもらいました。

自分でCDを聴いて、それなりに稽古していたつもりだけれど、間違っていた所が幾つもありました。

まず音質を明暗に転換することが必要。
楔吹きの呼吸を自分のものにすることが肝要。
運指の中で、修飾音のいわゆる“打ち込み”の呼吸、なえしの呼吸、その他諸々の呼吸、ウ~ン難しい!!

クサビの頭・胴・先端…、渾身の気合、ウ~ン難しい!

♪♪目標♪♪
 来年の春の彼岸(春分の日)までには、街に虚無僧行脚に出る力をつけたい。
 70歳までに導主免許を得たい。
 魚釣りは来月から新たな気持ちで、再開のつもり。
 今年中にアマチュア無線上級試験に挑戦のつもり。今は4級、
 当ブログは、1週間に最低1回は更新のつもり。
 近々、出版経費不如意のため出版頓挫中の「日本列島魚釣り周航記・東日本海域の部」を、このブログ上に展開掲示のつもり。で、現在、市販編集ソフトを使って作成していた原稿を⇒ブログに掲載可能なワードに転換作業中、
 小規模でよいから波平亭を立ち上げたい。…が、無理はしないつもり、実にこれが一番難しい。


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2007年3月20日 (火)

険しい山、深い谷、

わたし、このブログを含めて3つページを持っている。
「波平釣り日誌」
「めだか釣り」
そして、このブログ、
「隠居波平釣り日誌」

雑文書きを楽しむようになったのは、平成元年頃からで、ワープロ打ちの稽古がキッカケだった。思いつくまま書き散らし、一人で楽しんでいた。
そうこうする間、パソコン時代が来て、ホームページを創って遊び始めたってわけだ。
気がつけばもう66歳。4か月後に67だ。

長年の夢であった日本列島一周を既にやり終えた。そして、また春が来た。明日は彼岸の中日である。
一区切り付けようと思う。

楽しんで書き綴ってきた日誌だ。
これ、わたしのストレス解消剤。
やめるつもりはない。
が、スローダウンしようと思う。

険しい山、深い谷、
どうしたらここを越え得ようか?
…と、ストレス・ストレス…、
愚痴を言い、ボヤキ散らして、ここまで来たが、
後ろを見れば、越えたわけでもなく、谷を渡ったわけでもない、
ヤッパ、目の前には、山があり、足下は谷である。
どうしたらここを越え得ようか???

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2007年3月19日 (月)

心の汚れ 2

前稿で言いそびれたことがある。ホリエモンのこと、あの裁判の判決のこと、
あの判決は聞いてビックリしました。
妙に諭すようなエエ加減なことを裁判官が言ったでしょう。子供から来た手紙がドウダコウダって!
裁判官はホリエモンが嫌いだったのだね。好き嫌いで人を裁いてはいけません。
鈴木宗男がらみでとっ捕まった佐藤優って外務省の主席分析官が居ましたね。
彼と、ホリエモンはなんだか似ています。なにが何でもこの際犯罪者に仕立て上げようって力学が働いている。
投資家らがゼニ戻せ!って言っているそうですね。
濡れ手で泡を掴み損ねてシャクなのだね。これ言いすぎですよね。前言撤回します。でも儲けようと思って株を買ったのですよね。
わたしホリエモンって嫌いです。
皆が悪いやつだッて言うから、きっと悪いやつだろう思う。でもなんだかスッキリしない。

言いそびれは、もうひとつ。
ニセドル洗浄の見逃しのことです。見逃しは今後に禍根を残すって感じは確かにある。
が、しかし、鉄砲や爆弾で戦争するよりはましだと思う。わたしこのことを言いそびれた。
やはり時代の流れでしょうね。アメリカの力が落ちつつある。しょうがないよなぁ、
…と、同様に、拉致問題も、鉄砲や爆弾の戦争との比較の中で考えるべきかもネ。
これって、北朝鮮にガンバリ負けしたってことになる。シャクですなぁ、わが国には策士はおらんのかいな!

以下は変な理解ですよ、でもね、ブレているってことでは共通している。
 自民党はホリエモンを見捨てましたよね。検察が動くと見たらズバッと切り捨てた。
 自民党は拉致も見捨て、切捨て、するのじゃないか。

だって、いまだに政府は米国の変節をとがめませんね。
近々、アベちゃんは米国との協調こそがわが国にとって最も重要だとか、各国との協調の中で粘り強く拉致の解決を云々などと言い出すかもね。
で、途端にドスンの支持率が落ちて→内閣崩壊で→選挙で→民主党が伸びなくて→麻生が出てきて…→右傾化が始まって→見かけの景気が更に上向いて→福祉が後退し→イージス艦や潜水艦が増え→プルサーマルが始まり→隠居波平が更に歳食って元気が無くなり→尺八音もあやふやになって→それでおしまい??

生きていたら、何か楽しいことありますかね??


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心の汚れ

最上段のサブタイトル(キャッチフレーズ)に掲げたように、このブログは、
“愚痴とぼやき”だってこと、“責任は持てない”ってこと、
要するに、わたしのツブヤキでしかないってことですよ、

さて、このスタンスの下で、今朝の日経新聞から、
1面
→内閣支持率低下で不支持が支持を上回ったとか。
困ったことですねぇ、庶民的には…、
喜んでいる者が多いようだけれど、政治屋的には…、

2面は
→不支持の解説。なかに小さな囲い記事。防衛大卒業式での首相訓示。「危機に臨んで右と左を足して2で割るような結論が状況に真に適合したものとはならない」と、説いたとか。
開き直りに聴こえるのですがどうなのでしょうね、心に動揺があるのだね。

3面は金融関連の話、
4面は全面広告ページ、
5面は中国の最近の台頭を巨視的見地から評論、
6面は6カ国協議関連の話、
→会議状況が種々分析してあって、最後の方に遠慮気味に“違法性の高い資金の返還を認めれば、国際金融制度が云々”とある。ニセドルのことだよね。少しくらいのニセドルならほっとけ!ってことかな?どうもそのような論調に逆読みしたよ。

最近の新聞は分厚いですね。40ページです。
37面に相撲の話。
横綱朝青龍の圧勝相撲を評して→「品格よりも闘争心」とある。
投げつけて倒した後、どうじゃ参ったか!とばかりに膝で上から押さえつけたらしい。足蹴にしたって感じにわたし読みましたよ。こんな相撲を、なんでNHKは長時間実況放映するの?やめたらどう?…って、なんでそこまで書かないの?
「君が代」も日章旗も反対だって騒ぐ世の中だろう、なんで相撲が国技なの?横綱はモンゴルだろう。足で押さえつけられたのだろう。わたし、最近は相撲なんて興味ありません。観たくもないわい!
でも、朝青龍は強いですなぁ~、相撲ってのは本来こういう闘争心本位の競技なのだよね。勝ったとき相手はすでに蹴殺されているってのが原点でしょう?

40面に、「私の履歴書」、
延々と続く日経新聞の人気看板欄。今月は宮城まり子氏が毎日連載中。
わたし、いつもこの欄を最初に読む。今日は18回目。
これ読むと感極まって涙で顔がクシャクシャになる。2度3度と読み返す。
新聞なんてほんとうは読みたくもない。昨年、愛艇を駆って日本列島を周航した際、百数十日の間、新聞は読まなかった。だが、周航も終え、すっかりヒマになってしまって、時間潰しに今朝も新聞読んでしまった。またまた心が汚れてしまった。
これからまた40面の彼女の連載読み直して汚れを落とそうと思う。
彼女のあの歌声が聴きたいですよ。
パソコンに無いのだなぁ~これが(さわり部分だけなら一部あるが)、


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2007年3月18日 (日)

ハングリーとガラス音

わたし、明暗流尺八修行の道へ入ろうとしているわけですが、
…で、朝早くから、先人達の優れたCDを繰り返し聴いて、真似て、少し吹いたりしているわけですが、わたしの緊張がねぇ~、なっとらんみたい、
繰り返し聴いている間に、つい眠たくなって、
尺八片手にフワァ~と大口開けてアクビしたら、それが台所に居たかみさんに見えたらしい。カバが大口を開けたようだって、さんざ笑われた。

わたし、結構真剣に稽古しようとしていますがね、これですわ。
気合を入れるつもりはあるが、それは、タダつもりだけであって現実には大アクビですよ…、
出てくるのよ、アクビが…、止め難く…、
気合ってのは、入れるつもりさえあれば入るかっていうと、必ずしもそういったものじゃないですな。
で、昼前から、2階へあがって布団にもぐり、2時間ばかり本格的に昼寝しました。

今は眠くありません。
で、尺八を稽古しようと、少し吹くと、
「吹くなら、あちらの部屋で、フスマを締め切って吹いてくれる」
って、かみさんが尖った声で言った。
“ヒーフーイー”の稽古ですよ。これ高い甲音でしょう。聴き様によっては、ある種耐え難い音ですよね。
なかなか修行って思うようにはデケンですなぁ、

要するに、
わたしには、まだまだハングリー精神が足らんわけだ。だから眠くなったりする。
そして、
喜んでいいのか悪いのか、かみさんの音感が正常である。わたしが吹く明暗マガイの竹音は、彼女の耳にはガラスをこするキイキイ音に聴こえるみたい。
彼女、だんだん尺八音が我慢し辛くなってゆくのが、わたし分かります。
どないしょ??


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ダレに?ダレが?

これ、ホボ毎日更新しているが、どんな方々が見てくださっているのだろう?
ニフティーのココログ・ブログだ。アクセス解析機能があって様々なことがわかる。
 毎日閲覧が3.6㌫。2日に一度が7.8㌫。2週間に1度が9.3㌫。1月に一度が6.41㌫…、
 時間帯は8時~17時が多い。土日は少ない。
 ブログ開設は2005年4月20日。
 一日あたりのアクセス約240件。

ほォ~、こういうことだったか!
わたし、今回始めてアクセス解析ソフトを開いた。
解析で知りたかったのは、こういうことじゃない、閲覧者の年齢構成が知りたい。
でも、よく考えたら、パソコンいじるのに年齢登録するわけじゃない。ニフティーさんでも年齢解析は出来ないわな。

で、自分に問うてみる、
「お前はダレに向かって毎日ゴチャゴチャ言うとるのや?」

…ブログ始めた当初は、自分の備忘録のつもりだった。陰気にイジケルのを避けたいと思い、公開ってフイルターに備忘録をかけたつもり。
で、当然、語りかけの相手は自分でした。

でも、色々あって、知らぬ間に誰かに向かって話ししていた…、…ような気がする。
同年齢の方々へ向けてだったり、これから退職する団塊族だったり、もっと若い衆だったり…、
無茶苦茶だね、
でも、そういう形をとったわたしの備忘録だってこと(???)。

だが、
閲覧くださる人が現に居て、現状は冒頭解析のようなことになっとる。
閲覧者の年齢構成が知りたいですなぁ~。ダレが読んでいるのだろう??

再度自問自答。
問、「お前はだれに話しているのや?」
⇒「ハイ、俺と同じようなズズジに話ししとります」
問、「ウヌッ、だいぶ年下のオッサンも読んでいるみたいやど」
⇒「ハァ、なに思って読んでいるのやら、ヒマつぶしちゃうか?」
問、「近所のオバハンや、お前の甥や姪らもひょっとして…?」
⇒「サイナ、それが一番難儀ですわ」

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2007年3月17日 (土)

前途洋々

“悠々自適”って生活がもしあり得るとしたら、わたしそれって願い下げだね。クダラン生活だと思うから。
「さぁ何でもどうぞお好きなようになさい」
って言われたって、ポケ~としてしまって、なぁ~んもデケンと思う。

“悠々自適”って意味の理解が違いましたか?
シッカリと何か目標があって、その目標に向かって、何事にもとらわれずにまい進し得る境遇をこそ“悠々自適”って言うのだって理解しようかな。この意味での“悠々自適”なら、わたし是非仲間に入りたい。

でも、目標があるってことは、目標にこだわっているってことでもあって、窮屈な感じが否めない。
窮屈でも、もし目標がひとつだけならそちらへ向かってがむしゃらに進めばよろしいが、
シャバ社会では目標は大小乱立であちらを立てればこちらが寝ころぶ。
沢山目標がありすぎると、またぞろどうして良いかわからなくなって、ポケ~としてしまって、なぁ~んもデケンと思う。

で、結局何がしたいのや?
ひがなテレビ前に寝ころび、朝から晩までポケ~として、風呂へ入ってメシ食って寝るって生活がしたい。
それで、“満足デケルように自分を改造”したい。
この心がけは大切ですよネ。老人に一番必要なのはこの心構えじゃないか?
いくら健康なように思えても、いずれ近いうちに寝たきりになる。介護を受けな生活デケンようになる。このときに備えて、“朝から晩までポケ~”に慣れておくことが必要じゃないかってことですよ。

で、わたし慌てております。
“朝から晩までポケ~”の修行に入る前にやりたいことをやって、ホイデ、心置きなく“朝から晩までポケ~”に入りたい。
“日本列島魚釣り周航のボート一人旅はもうやっちゃった。周航記を本にしたいけれど、ない袖は振れないからそれはそれでしかたがない。
で、今度は、尺八虚無僧をやりたい。
足腰が立って、歩き回れる間に天蓋かぶって歩き回りたい。
他にも色々やりたいことはあるけれど、バッサリ切り捨てて、できるだけこれに絞ろうと思う。
ボート(「はまちどり」)はわたしの分身だから、これだけは別。

今日の予定?
尺八吹いて、テレビ前に寝込んでポケ~とドラマ観て、ホイデ、風呂へ入ってメシ食って寝まっさ!
前途洋々だね、


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2007年3月16日 (金)

贋作→本物へ

今朝は釣ノリノリどんのコメントでギクッ!
と、ベリベリベリっと電話が鳴って、ハツ!となって、恐る恐る受話器をとったら姪の甘えた声が出てきて「アタシ、3人目の子供が出来そうよ」って言った。

まぁー坊氏の災難のことをアチコチふれ回ったが、これ、もう海の仲間らには周知のことだったみたい。わたし、このところ尺八バッカ吹いていて、知らんかった。

あれこれ思うに、知らんかったことばっかしやないか、世の中は…、
ついうっかりしている間に3月も既に半分が過ぎている。
知らんかったなぁ~、シッカリせにゃならんぞ、

頑張って、サァ、尺八を吹きましょう。

明暗独特の指使いが、運指手法が、硬い頭に身体になかなか入らない。
レでも、ツレーと吹くのと、1・4を開けてツレーと出て4をふさぎ2を開けるのとがありますね。
ハもウハーと吹いたり、2・3開けてのチハーもある。
ロも難しい。2・4・5開けから吹く。
甲音の、ヒーフーイーの呼吸も難儀ですなぁ、
ウのメリ落としとユリ、ツのそれ、これは極めてやっかいです。
指をかぶせてのカリ吹き、全開にしてのメリ吹き、…こんなのは都山には全く無い奏法ですよ。
これらが身に付くまでこれから何ケ月掛かることやら、第一関門通過出来るかしら??

ごまかして吹くのは意外と簡単、わけ無しにできますよ。似た音は勝手に作ってしまうからねぇ。先に入門前の記念に吹いた瀧落曲(3月12日)がそれです。贋作。
でも、正規に構えると難しいですなぁ。

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大変だ!

波平です、
海に関わる友人知人等に貴女のメーデー信号(救難要請)を触れ回っています。

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助けを求めている釣り人のかみさんが居る

釣ノリノリどんから、メーデー発信をしている方がある旨のコメントが入った。
状況はわたし直接にはなにも承知していないが、事実であれば大変なことだ。
とりあえず海に関わる知人友人らにこの救難要請があることを触れ回ることにした。

今朝一番にこの釣ノリノリ氏から届いた情報を見てしまったので、
どうにも、他の事に頭が回らない。
尺八も吹く気になれない。

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2007年3月15日 (木)

下手やなぁ~ダレや?

キヨちゃんが、この録音は絶対使ったらダメって言っているけれど無断で使っちゃう。
キット後で叱られる。で、全曲は載せない。少しだけにする。前半の3分1ほどだけ。
それでもキット叱られる。竹は3箇所ばかり外しています。さてどこでしょう?

琴古のお耳には、手が多すぎて気持ちが悪いかも。
わたしは、普段は手をあちこち省略して吹いているが、今回だけは、譜面とおりに吹いている。ごく一部いつもの省略クセが出ているが…、あぁ、チのカリ音はハの半音で、ロのカリ音はツの半音でごまかしています。

録音機がテープ式の前時代物です。本当はもっと綺麗な音ですよ。ホンマかいな??
エッ!腹でも壊していたのかって?
イイヤ、下痢なんかしてませんでぇ、なんでそんなこと聞くの?

曲名を言うのを忘れていた。一応「磯千鳥」のつもりです、ダメかな???
それにしても、改めて聴いてみると下手ですなぁ~、ダレやこれ?


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晴耕雨読

現代版の晴耕雨読ってどんな生活?
お前のことやってですか?
イイヤ、違う。

晴耕雨読の認定には厳しい前提条件があって…、
1. 隠居前の社会的地位が高いこと、
2. まだ現役で居られるのに惜しまれて隠居していること、
3. お金持ちであること、
4. 健康であること、

アッハッハ(笑い)、
わたし見かけ上は元気です。爆弾抱えているけれど…、
それ以外は全部ハズレ。ザ~ンネンでした。

晴耕雨読の“晴耕”は、昔は畑で蔬菜作りなどを言ったのだろうが、今はゴルフって感じかな。“雨読”はテレビ前でごろ寝?それともレンタルビデオの鑑賞?
今朝、飼い犬2匹連れて散歩していたら、近所のズズイが自宅前にゴルフバック持って立っていた。と、スーと高級車がやってきて、ヤァヤァとかいって、同乗してどこかへ出かけた。打ちっ放しに行ったのやろか?

わたし?
今日は、キヨちゃんちへ尺八稽古へ行くつもり。
わたしの場合は、“晴耕”は魚釣り。“雨読”は尺八だろうね。

ナヌ?マージャン?
そういう下品なあそびはもう卒業しました。…と、言うのに、
アヤッヤッスやモーさんらが、「寿司食わすから出て来いや」って言う。
で、昨日は夕方から寿司食いに行ってきた。
支払った寿司代は元を正せば、わたしが先日召し上げられた負けの精算金ですよ。精算金をアヤヤッスがサイフに入れていたのを、わたし、嫌味を言って寿司代にさせたっけわけ。それにしても全員にぎり寿司食ったのに、そもそもの現金の出所のわたしにはダァ~レもお礼を言わなかった。
今、思い出すと、昨日のニギリ寿司は“上ニギリ”じゃなかったのじゃないか。あまり美味くなかった。“上ニギリ”を食わせろって言ったのに、


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2007年3月14日 (水)

さっぱりわからん

相変わらず明暗尺八をCDで聴いている。譜面と照合したり、譜面を離れ、ただ聴くだけにしてみたりしながら。
多彩な曲趣も譜面を見れば案外簡単な譜である。譜面を離れれば色鮮やかに豊かな曲趣が息づいて聴こえる。この差はなんなのだろう?
曲のことを何も知らない今、タダ単にCDを聴くことの大切さを思う。

きっと浅い聴き方だと思う。本当のところはまったく聴けていないと思う。
だって、聴くたびに少しずつ違って聴こえる。良い曲だと思ったり、なかにはつまらん曲だと思ったりするのがある。

思い切って生意気なことを言うが、
吹く技巧だけに限って言えば、今のわたしにでも即座に真似が出来そうである。
が、その気合は真似ができない。心持が真似できない。吹く際の自分のありようについてはさっぱり見当がつかない。
要するに、真似は出来るが、本物じゃないってこと。贋物だってこと。
贋物なら即座に出来る。ほんの数回も稽古をすればある程度真似が出来る。

さぁ~て、どうしたものか、
何を、どう稽古したらよろしいのか?
とにかく、入門し、門の内側から音を聴いてみるしかなさそうだ。
難儀だ。難儀だが、わからんことが多い分これに向かう楽しみもまた大きい。
ひょっとしたら、この後、随分のめり込むことになるかも。
おもしろい。さっぱりわからんが、おもしろい。

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貧乏だけれど

“あそび”は“遊び”とも書くし、“游び”とも書く。
ボートや魚釣りの場合は“游”。
尺八の場合は“遊”でしょうね。

“あそび”ってのは狭義で言うのと、広義で言うのとでは、だいぶ差がありますよ。
わたしは概ね広義の意味で使います。

広義でいう“あそび”には、その中心に“楽しむ心”を置きます。
仕事だって、学問だって、遊蕩三昧だって、楽しんでやっているなら、それは“あそび”だってことにします。わたし流の解釈ですがね。

今朝の日経新聞朝刊に、
「団塊、学びに定年なし、夏期講座、今年は7大学で」という記事があった。
内容がエエかげんだねぇ~。
讃岐ウドンの経済学、川中島の合戦を語る、信長とまちづくり…。
論じようによっては学問になるってことでしょうが、オイオイ、定年団塊をナメとるのか!

“定年退職となった団塊世代が気楽にキャンパスライフを味わえるようにする”ってことらしいが、このある種怠け助長(言いすぎかな?)の風潮は不健全ですよ。
本気で学問したいなら正規に大学へ入学すればいい。大学は、各学部に編入枠を設ければよい。そうなれば教授連もウカウカでけんぞ!定年団塊らには教授に勝る優れ者がドカツと居るぞ!

研究心・探究心も無いのに、さほど勉強したいわけでもないのに、夏期講座にでも出かけましょうかって…、定年団塊らは思うの?
あぁそう、思いますか、まいったなぁ~、
でも、それで、ホントに楽しいか?
空しいのじゃないの?

定年団塊らをこのように遇しようとする風潮は良くないよ。不健康な社会じゃないか?
なに?わたし?
プレジャーボートも、魚釣りも、けっこう一生懸命やっとるわい。
尺八だって、真剣に、明暗流に取り組むつもりだわい!
で、気持ちがホコホコして楽しいワイ!
貧乏だけれど…、

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2007年3月13日 (火)

隠居技

どうにも忙しくってしょうがない。
朝方からずっと竹を触りながら明暗CDを聴いている。
「調子」から始めて「一二三調」」→「鉢返曲」…と、休み休み聴き始めて、今やっと32曲目を一巡し、聴き終えたところ。

で、また、最初からCD掛けなおして聴いてみようと思う。
この調子だと、日に三回りは聴けそうだが、こんなことやって、何か得るものがあるだろうか? 
何も得られなくてもチットもかまわない、どうせヒマなのだから。これ隠居の隠しワザ。…隠居っておもろい動物だね。

でもね、狙いが無いことは無い。細かいところはどうでも良いから、明暗の呼吸というか気合といったことにごく自然に馴染みたいと思ってやっとる。
聴いているのは、友人から借りたCD.。明暗四十世看首芳村宗心師の「吹禅・如」。

明暗流は歯に沁みますなぁ~、
左の上あご最奥の、治療中の虫歯が竹音に共鳴して振るえるみたい。ぼわ~っと痛くてかなわん。
“心頭滅却すれば火もまた涼し”????
これって絶対ウソでっせ。
シッカリ現実を見据えて、大地に足を据えて、稽古せなアカン。ウソはあかん!
さぁ、CD聴いてみよう…っと!

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ボートは手放せないし

アッハッハ(大笑い)単管丸どんと、釣ノリノリどんからリクエストがきたぞ!

でも、裕次郎ですよ、なんで…? 歌えませんか??
尺八が下手なのか、歌い手がアカンのかのどちからですよね。わたしとしては後者を取りたいが…。

北の旅人?北紀行?
わたし、それよう歌わんが、どんな曲だったかなぁ~?
002_1

あぁ、
尺八に巻尺をあてて計りました。竹が反っていて計り難いが62センチ7ミリでした。
わたし、これ1尺9寸管だと思っていた。が、アレレッ!と思って計りなおすと62センチを越えていた。
曲尺で計るのでしたよね?これだと割り算では2尺1寸になりますが…。
およそ44~5年前に買った安物です。
上管の方に大きなヒビが入っています。

わたし、二十歳前~二十五・六歳頃までの数年間尺八をやっていた。
その後プッツリ止めてしまって、以後ここ5年ほど前までのおよそ40年間、尺八をほったらかしにしていた。
この間に歌口を虫食いにやられたり、すっかり割れてしまったりで、今、使えるまともなのは八寸管1本しかありません。以前のは皆超安物でしたから竹質が悪く割れやすかったのかも。かろうじてこの長管が鳴ったってことですよ。でも、これ以上ヒビが大きくなったらダメでしょう。困ったな。
最近の尺八は、もう年金で買える限度を越えていますよね。
ビンボウは辛いですなぁ~、
ボートは手放したくないし…、


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2007年3月12日 (月)

入門前の記念に

久しぶりに音を入れてみます。笑ってやってください。
演歌・「長崎は今日も雨だった」・「夜霧よ今夜もありがとう」
そして、無謀にも、明暗流「瀧落曲」、

これ、明暗入門前の我流吹きの記念にするつもり。
随分ゴマカシが入っている。
ゴマカシ切れなくてヘタッテしまっている箇所も在る。
ツの連音が難しい。ナエシがわからん。
ウの全音とカブセ音とがなかなか吹き分けられない。
明暗独特の呼吸がわかっていない。我流ではこのアタリが止まりじゃなかろうか。
わからんことだらけである。

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座敷牢へ 2

竹友の単管丸どんの“足枷・座敷牢”の話だが、氏のブログでこの話を読んだ途端、わたしはガツンとショックを感じた。
“アレッ!なんでこれに気がつかなかったのやろ?”と、
以下、わたしなりに解いてみよう。前稿だけでは語り足りないから、

わたし、いったん定年退職後に、4年間だったが、某所で簡単な作業仕事に雇ってもらっていた。仲間らが居た。わたしと同じように定年退職後の方々だった。
某大企業の幹部だった方、研究所の専門研究員だった方、JRの大ベテラン運転手で蒸気機関車から新幹線まで乗りこなしてきた方、銀行員だった方、土木技師だった方、税関幹部だった方などなどだった。わたしは市役所の職員上がりである。職場はたまたま市の外郭だった。で、わたしはこの方々の代表のような立場にあった。

仲間らは、それぞれがその道の達人であった。その道のことにはやたら詳しかったが、互いにほとんど共通項がなかった。JR者は全国の駅名を完全にそらんじていた。実に時間に厳しく秒単位で動かれた。銀行マンは計算が速かった。書類・資料の整理に長けていた。研究者や技師は図面が読めた。
そんな中、わたしは四六時中一人で怒っていた。
なんでこんなことがデケンのや!なんで、皆、自分勝手ばかりするのや!と…、
幾度声を荒げたことか、

仕事は実に簡単な労務作業。種々の掃除機を使いこなすことが必要であった。
が、仲間の半数は、家庭用の掃除機の使い方すら知らなかった。掃除機は、部下や嫁はんや掃除のオバサンらが使うものだと思っていた。掃除機に触ったこともない仲間も居た。掃除機が使えても、掃除機の中のゴミ袋のことまでは知らないのだ。まじめに掃除機をかけて掃除しようとするのだが、ゴミが一杯に詰まってしまって途方にくれる。

で、わたしは、ゴミ袋のことを話ししてゴミ袋の取替え要領を指導するが、A氏は急に顔色を変え、震え声でわたしに怒りをぶっつけた。
「俺をなめとるのか!」
その方は、掃除機すら触ったことがなかったのだ。そこを我慢して掃除をしたが、さらに集めたゴミの後始末までは…、エッ!なんぞい!ゴミ袋の取替えまでこの俺にやらせるのか!!って、とうとう切れてしまったわけだ。

「馬鹿者!俺らの仕事で一番大事なのはゴニ掃除やど!掃除機触るのが嫌なら止めてしまえ!」とわたし。わたし、仲間内では瞬間湯沸かし器ってアダナだった。いったん引っ込むと後がかなわんから、わたしも頑張る。

仲間はわたしを含めて11名だった。我々は日々互いにこのような壊し方をして、自己改造をしたのだった。とっても疲れた。
わたし?わたし自身の改造?
アッハッハ(大笑い)、瞬間湯沸し器でっせ、その都度、皆から袋叩きされた。めちゃめちゃに壊された。だが、定年退職後、そのまま自宅に引っ込んでいたら、きっと嫌味なズズイになっていたろうと思う。なんとか今があり得るのは、あの時手ひどく壊されたおかげじゃなかろうか。

これを、単管丸どんの“足枷・座敷牢”の話で急に思い出した。
“足枷・座敷牢”の覚悟無くて“習い事など”が出来ようはずかなかったのだ、と。

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座敷牢へ

(明暗流の)門の前にたどり着いて、
門を叩こうか、止めようか、と、グズグズ迷っていた。
叩いて、もし門が開けられたら、そのまま中へ吸い込まれそうな気がする。
自分を失ってしまいそうな気がする。大丈夫だろうか?

こんなとき、
先頃から、ネット上の付き合いが始まった竹友の某氏が、ご自身のブログに、自身の尺八演奏のことを“足枷付けての演奏”と、書き込まれた。
自身の演奏には“座敷牢のイメージ”があるようだとのこと。
氏のブログのコメント欄を介しての、わたしとの会話中でのことである。

氏のこの言葉で、
わたしもまた明暗の座敷牢へ入ってみようと覚悟を決めた。
習うってのは自分を改造すること。知識・技量の追加なんかじゃない。壊して組み替えること。
足枷付けて座敷牢へ入り、まず自身を壊すことが肝要かも。
氏とはネット上だけの付き合いだ。実像はまったく知らない。が、友とはこういったものかとの感慨がある。わたしの勝手な思い込みである。が、間違っているとは思わない。

明暗流へ入門しよう。
師とすべき方はすでに見つけている。近日中に訪れ、入門を願ってみるつもり。
足枷をはめ、座敷牢に座る覚悟があれば、ひょっとしてなんとかなるかもわからんと思う。
ビビリの波平も、時には、石橋を渡るのである。

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2007年3月11日 (日)

コーヒー艇

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一昨日、小豆島のマナイタ瀬で出会った50号艇です。乗っていたのは4名の若者(?)。内2名はギャル。
艇を寄せ、ギャルから暖かいコーヒーを手渡されご馳走になった。
写真は幾枚も撮ったが、なぜか真っ白け。1枚だけ偶然に写っていたのがあった。
50号艇の名の由来だが、ひょっとしたら50歳?
ホームページをお持ちである。

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2007年3月10日 (土)

さらに半歩

わたし、もし若い頃から明暗流尺八(虚無僧尺八)を稽古していたら、なぁ~んも理解できないまま変にゆがんでケッタイなことになっていたような気がする。この意味で、今まで都山流(我流)をダラダラやっていたのは、これはこれで正解だったかも。

今、還暦過ぎてヒマ持て余し、
これからでも、本気になれることないかなぁ~って考えて、
“明暗流尺八やってみようか”と、思いつき、
試しに、明暗流の本局をパソコン屈指してあれこれ聴いているが、
⇒わかるところはわかる、分からんところは分からん。
なんじゃそれ!

わかるところは、
⇒音ってのはこれや!って、なんとなく納得できるものがある。
わからんところは、
⇒いわゆる“音楽”の既成概念に合わないから、頭がこんがらがっている。
明暗の本曲は音楽じゃないですよね。単なる音のダラダラ続きじゃないの?

でも、いまいちボンヤリではあるが、なんとなくだが、稽古すれば分かり得るような気がする。

先ごろから既に半歩進めている。
もう半歩さらに進め、門を叩いてみようと思う。

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それ、ワイの鯛!

昨日は小豆島のマナイタ(小豆島北東角)へ真鯛釣りに出てボーズ。プレジャーボートが約70艇近く出ていたが、どの艇も釣れたような感じは無かった。ひょっとしたら全艇丸ボーズだったのかも。

魚探にイカナゴ(?)の魚影がまばらに薄く出るが、真鯛らしき魚影はほとんど無かった。瀬際にピンポイントで真鯛(?)魚影は出るには出る。が、ごく薄い。これではサビキでは釣れないだろう。午前8時過ぎ~午後2時前まで頑張ったが全くアタリすらなかった。(小豆島の真鯛釣りはサビキ釣りです)
地方へ艇を寄せ、メバルの魚影を探したが、これも釣れそうな魚影には行き当たらなかった。

確かに異常な気象ではある。例年に比べ梅も桜も早い。イカナゴ漁もいまいち不漁のようだ。が、この小豆島の真鯛の不調はタダ単に異常気象のためとだけでは説明がつかないのではないか?
憶測でしかないが、漁師が網を入れていると思う。ウイークデーで、海が少し荒気味のとき、船団を組んで根こそぎ獲ってしまったのではないだろうか。わたしはそう思う。
…これ、なんの根拠も無いわたしのボヤキですからね、信じないでネ…

ちなみに、
天然真鯛は、養殖物に比して味が薄く一般受けしないと思いますよ。スーパーなどに出したら、客から文句が来るかもしれませんぜ。ために、網で根こそぎ絡め取っても魚卸市場ではさほど値はつかんのじゃないか。なぜって、網出からめとると魚体が傷むしなぁ~。
もし美味しく鯛の刺身を食おうとするなら、一般には、養殖物の鯛を、サシミを食う時間に合わせて生け〆して、一定の熟成時間を置いた後にサバキ造るのが最高です。ただし、釣り人は、これでは我慢しませんがね。天然真鯛の本当の味を釣り人は知っとるからなぁ。
漁師が、商売として天然真鯛を網でゴッソリ取ったって、…と、いうわけで、あまり利を生むとも思えないがどうなのでしょうね。
スーパーの魚売りコーナーの様子はどうですか?小豆島の真鯛は並んでいませんか?
万一並んでいたら、それ、波平どんが釣るつもりの鯛だったのでっせ!
あ~シャクだ、ワイの鯛戻せ!悔しいワイワイ(涙・涙…)、

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2007年3月 8日 (木)

実桜が咲いた

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サクランボが採れる実桜です。
花弁も色合いも薄く、やや貧相だけれど、今年も咲いて実をつけるつもりらしい。
昔、おもしろがって裏庭にサクランボを埋めたら、いつの間にか育って木になった。

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阿字観

世の中を当たり障り無く泳ぐには、お追従とバランス感覚ってのが必要だ、…と、わたしずいぶん前から知ってはいたが、未だにこの二つは大の苦手です。
お追従と、バランス感覚、これ、わたしに欠けた大きな弱点。

でも、わたしなりには、これら弱点覆いに努力していて…
どんな努力かっていうと、
なるべく“ウソ”なしの生活をしようとすることです。

簡単に言うと、そのまんま、ありのままの姿をさらすってこと。
このブログも当然ながらこの流れの中でっせ。ウソも隠しもおまへん。ほとんど…、
プロフールも、書き付けることも、すべてありのままですわ、ほとんど…、
要するに、
お追従も、バランス感覚も、わたしの手には負えないから、もう投げ出したってことですわ。これ真実、
やけくそでっせ!→ 結果、実に、スカッ!として気持ちがよろしい。

なにが言いたいの?
尺八を吹くのに、妙にもったいぶるのは、ワシャ好かんってことが言いたい。
「阿字観」って曲がある。
「阿字観」の“阿”ってのは、“ア”のことで、ここには随分意味深長な理屈があるそうな。この“阿”には禅の心がある(在る?)って聞くが、たしか“禅”ってのは“無”を悟るってことですよね。“無“が“阿に在る”のを悟るってのは変じゃないか?

わたし「阿字観」って曲は好きだが、“阿”が好きなわけじゃないよ。
この曲のどこが“無”だったり“阿”だったりするものか。ケッタイナ曲でっせ。のた打ち回った曲やないか!
人生の泥のなかに落ち込んでのた打ち回っている自分を感じます。わたしの今の「阿字観」はそういう曲です。

せっかく生きて泥の中へ落ち込んだのだもの、できれば自分で吹いて今一度味わいを深めたいと、そう思うわけですわ。
お追従?バランス感覚?
なんやそれ???

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2007年3月 7日 (水)

明暗寺

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明暗寺へ行ってきた。
JR京都駅から奈良線に乗り換えて1駅目が東福寺駅。
そこから歩いて5分ほどの位置。臨済宗東福寺のなか。

ここから東福寺境内という所に総合案内板が立っていた。
が、その総合案内板には、いくら探しても明暗寺の表示はなかった。アレレ?どうなっているのやろ、と、いぶかりながら百メートル足らず歩くと、すぐそこが明暗寺だった。

帰路、またその案内板と前に来たとき、ギャルが案内板を眺めていた。
で、明暗寺の位置を指差してもらって、1枚写真を撮った。
014_1
明るく応じてくれて、
「おっちゃん、ここにナニがあるの?」とギャル。
「尺八って知っとるか?」とわたし。
「フンフン」
「おう知っとるか、ほいで虚無僧って知っとるか」
小首をかしげるギャル。
天蓋をかぶるかっこうして尺八吹く真似して…、
「時代劇にこんなオッサンが出てくるやろが…明暗寺」とわたし。
「アッ!わかった!!」とギャル。

ギャルと話すのは楽しいですなぁ~。
名前でも聞いておくのだった、勝手に写真アップしましたけれど、これって犯罪ですか?
同年代の女の子ら団体の一員だった。

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ブラ~と参ろう

わたし、自分ではオンチじゃないと思っているけれど、それは自分だけの思いであって、本当はオンチなのかもしれない。音の高低だけじゃなく、音楽一般がわかるかどうかまでを問われれば、わたしはもう完全なオンチとしか言いようが無い。尺八以外の音楽は、童謡唱歌や演歌の数曲がわかる程度で、西洋音楽なんてのはからっきしわからないし、少しはわかるつもりの尺八も、実はスッゴク狭い範囲のことしか知らない。

そんなわたしが言うのはいかがかとは思うが、
尺八や三弦・箏のいわゆる古曲と言われるものはホント奥が深く、味わいが濃い。
どこの国でも民族音楽ってのあるのだろうが、わが国における尺八や三弦・箏は今なお現役楽器であるし、古曲は今なお立派な現代音楽であることを思うと…、アッハッハ(笑い)これもひょっとしてわたしの思い過ごしかな(?)、
まぁいいや、要するに、ごく狭い範囲しか理解し得ていないながら、わたしは、わたしなりに、音楽生活を楽しんでいるってことだわさ。

“発心”したのである。
この後、幾年シャバ世界にお世話になるかわからんけれど、今からでもわたしに出来そうなことは何やろと思いを巡らせて思い当たったのである、
⇒“明暗尺八の稽古をしてみよう”と、

発心はしたが、
中途半端な発心で止めるつもりだ、途中“アカン手に負えん”と思ったら即座に撤退のつもり。これ、波平流。先の日本列島周航はこのやり方だった。もうアカンかなぁ~と思いながらズルズル引っ張ってほぼ完全に周航し切ったのだった。
少ない力・才能を最大限に使うには、この半逃げの手を上手に使うにかぎる。

発心記念に、今日は、これから、京都の明暗寺をブラ~と訪れてみようと思う。
行ってきまぁ~す!

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2007年3月 6日 (火)

波平(我)流

単管丸どんのブログを再々覗き見するが、お忙しいようで、3月3日以来新たな打ち込みが無い。
ペリーさんが採譜した「鳥の歌」を吹いて自分のブログに載せたら、ペリーさんと単管丸どんからコメント打ち込みがあった。講評が良すぎる。で、自分で今一度聴きなおしたら、なんと下手な吹きぶりだこと。これじゃぁマジメに講評なんて出来ないのではなかろうか。

そうかぁ~、ぺりーさんは三節切でしたか。これ古流尺八ですよね。

「調子」「サシ」は少しだけ、わたし真似て吹いてみたりするが、両曲とも吹く人によって拍子や息使いがまちまちですね。どれがより本流なのかさっぱりわからん。どれを真似てよいのか見当がつかん。
とは言いながら、
アッハッハ(大笑い)、一昨昨年だったが、NHKテレビの“もの知り一夜漬け”に、わたし請われて出演したことがある。東京の六義園での収録だった。“メダカ釣り”の実演をやった。
わたし、“メダカ釣り”の名人ということになっとるからなぁ~。
で、その際庭園へ出て、池のほとりで「調子」を吹いた。これ全国放送でっせ!怖いもの知らずって恐ろしいですなぁ。

で、恥ずかしさが、以来ずっと尾を引いていて、あれこれ迷う間、この際、もう少し明暗流を研究してみたくなった。
隠居業にもなにか目標が必要だ。幸い今使っている尺八は地無し竹である。節足らずの稽古竹。六節竹です。
―他には安物の1尺9寸管を持っているが大きなヒビが入っている。6寸も持っているが、これは律が低く吹き辛くて使ったことが無い。まだ割れてはいない―

「阿字観」が吹いてみたい。
あぁ、“吹く”と“鳴らす”とは違うようですね。
わたし、下手でもエエから、吹いてみたい。
これから本格的に習うには気力も資力も足らない。
我流(波平流)でかまわない…、が、気持ちの上では本格的でありたい。

わたしは都山流を40数年前に初歩を少し習った。
以来7~8年前(退職直前)まで全く竹のことを忘れていた。
ひょんなキッカケがあってまた触るようになったが、もうまったくの我流に成り下がって(?)いる。…“下手なりに自分の音になったかな”と思っている…

都山流は中尾都山が起こした流派。流祖都山は自分の尺八を称して我流だと言ったそうだ。が、明暗の手ほどきを受けたようだと聞く。そもそも音楽に流儀なんぞあり得べきじゃない。手ほどき受ければそれで充分。
波平我流、やってみよう!


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2007年3月 5日 (月)

武蔵堆(むさしたい)

(㈱)舵社の月刊雑誌「ボート倶楽部」に、わたし、このところ短いエッセイを毎月連載している。
矢部洋一・服部善郎・寺沢孝穀・梨元勝・久保川勲・大森洋子氏らのなかに紛れ入っての投稿。おっとろしやぁ~。皆さんいずれもその道の大家ばかりやないか。
わたし、氏らのエッセイを読むと、ビビッテ書けなくなりそうだから読むのを避けていた。
が、「マダラが消えた海」の寺沢孝穀氏のエッセイがあって、目を反らせることができなかった。で、これを読み、拍子でずるずると他の方のも皆読んだ。ビビリましたなぁ~、わたしはやはり格落ちです。恥ずかシーイ。

まぁそれはそれとして、
「マダラが消えた海」ですけれど…、
わたし、昨年、本州と北海道を愛艇「はまちどり」を駆って単独周航して、あちこちで釣り竿出して魚釣りし、スケソウダラやホッケはたくさん釣った。だけど、マダラは釣れなかった。不思議だった。で、「マダラが消えた海」という見出しに目がひっついて離れんかった。

宗谷岬のやや西に利尻島と礼文島。この二つの島の南約90キロに焼尻島と天売島。
この島々の西方約100キロの日本海に“武蔵堆”という広大な漁場がある。
Musasitai

エッセイ者(寺沢孝穀氏)は、天売島に住み着く著名な写真家。北海道の自然と暮らしに明るい方。その氏が言うには、
今年の冬はこの天然の漁場・武蔵堆でマダラがぜんぜん捕れないそうだ。漁師らとこんな冬は今までに経験が無いと話しているとか。何かが変わり始めているようだとのこと。おそろしいことではある。

わたし、北海道を周航の際、焼尻と利尻に上陸し数日を過ごした。武蔵堆のことは知っていた。行ってみたかった。が、単独航海である。自重した。あそこへ行けば何だって釣れると思いながら、ヨダレヨダレだった。あのときのことが氏のエッセイを読んで脳中に蘇り、想いが掛け巡る。

ヨッシャ!この波平どんがやっつけたる!!
武蔵堆のマダラ釣りかぁ~、デケルやろか?
一応やり終えた“日本列島魚釣り周航の旅”ではある、…が、火種はまだ落とし切ってはいない。店じまいはしていない。
先立つものに不足はある。が、体力が無くなったわけではない。先日の徹夜マージャンの疲れは未だ取れない。が、それとこれとは別である。

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知音の友 2

琴古のペリーさんが贈ってくれた採譜をもとに試し吹きしました。
「小鳥の歌」です。
有名な曲の一部だそうな。それをペリーさんが採譜したのを、都山の手にやり変えて吹いてみたものです。だいぶ曲趣が違うかもわからん。

琴古譜はやはり門外漢には難しいです。レの音ですが、最初これを読み間違っていました。で、変な曲だなぁ~と思っていた。レとレを混同していた。全音と半音の違いです。
また、リの音と、ハの音は琴古では第1穴を開けたり閉めたりするようですね。これで音質が微妙に違ってくる。
試し吹きでは、このあたりのことはゴマカシで吹きました。

ナエシや呼吸は真似が難しいなぁ~、お手上げです。

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2007年3月 4日 (日)

彼 岸

一昨日~昨日の、徹夜マージャンに参加して、身体にしびれたような疲れが残っている。
かったるくて、ぼや~として、熱っぽくって、鼻水が出て…、
アレッ、カゼをひいたかな?
と、昨夜はカゼ薬を服用して寝たのだったが、カゼじゃない、マージャンの疲れである。
もうそろそろこのような遊びからは卒業した方がよいのかも。

だって、
どの牌を捨ててよいかわからず迷った末、突如、“アッ、あがっているやないか!”と、気付くのはまだ良い方で、あがっているのに気付かず、いつまでも牌を捨て続けることがシバシバである。
なのに、マージャンに参加するのは、
マージャンしながらの酒が美味いからだ。肴は、めぐり来るツモ牌であり、捨て牌である。時に気付いてあがることもある。

でも、こういつまでも疲れが残るようではヤバイ。やはり卒業した方が良いかもしれない。
一昨日からの徹夜マージャンは、
その前日から摂生に努め、充分休養を取った後に参加したのだった。血圧や不整脈やその他ここには記しがたい常備薬の数々持参の参加である。
皆で楽しく遊んでいるときに、ひっくり返るようなことのないよう、わたしなりに気遣ったのであった。

会は、ガンちゃんの退職記念会というのが本来の題目であった。
その主賓のガンちゃんが、夜明け前の3時・4時頃のわたしを見て、
「船長の目はもう死んどるやないか、船長大丈夫か?」って言っていた。

思えば、幼い頃、最初に覚えたのは将棋だった。
駒ごとに動き方が決まっており、敵陣に切り込めば成金になるし、分捕った敵駒はわが駒として寝返って敵側へ切り込ませることが可能。これって、人生勉強のハシリだったのかも。わたしは将棋は苦手でいつも負けていた。その後の人生もまた同様である。

父は囲碁がすきだった。4段だった。わたしに囲碁を教えた。
父はわたしに黒石を持たせ、幾つもの黒石を先に盤上に置かせ、自分と対戦させた。常に父が勝ち上機嫌であった。
最晩年、もうほとんど寝たきりになってしまっていたが、わたしが碁盤をベット横に持ち出すと、父は半身を起こして盤に向かった。やはり父が勝った。
最々晩年、父はやはり碁盤に向かって半身を起こしはしたが、もう考えるのがイヤになったようだった。わたしは、そんな父に気合を入れようと思った。シバシバわたしは父を打ち負かした。
父が亡くなって後、あるとき、かみさんがわたしの妹に、
「お父さんはね、あたしに、碁を覚えて〇〇(わたしの名)をやっつけてほしい」って言うのよ、と、言っていたのを知った。

あの父にして、このわたしがある。
マージャンからは、そうそろそろ卒業した方が良さそうに思う。
春の彼岸が近づいている。

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2007年3月 3日 (土)

おごりはワイやど!

昨日昼過ぎから有馬温泉でガンちゃんの退職記念マージャン会があり、わたしにも誘いがかかって参加した。泊りがけのマージャンだ。夜っぴいて卓を囲む。一泊二食の会費を払うが、もし宴会で騒ぎすぎて予算がオーバーしたりしたら、足らずはマージャンに負けたものが負け金で補填するってルール。でも、最初に集めた会費でまかなえたので、結局掛け金無しの健全マージャンだった。

昨日の昼1時過ぎから打ち始めて、途中2時間ほど夕食で騒ぎ呑んだ後、また打ち始めて~今朝の4時前まで卓を囲んだ。わたしが最年長。フジモトが一番若くて53歳。総員9名で2卓を囲んだ。昔の職場仲間らだが、わたしは退職してからすでに丸6年も経っている。わたしのことを思い出して誘い出してくれるのが無性にうれしい。わたしもまた昔に戻ってバカ騒ぎした。

大声でヤンヤヤンヤ言うわりには、皆ごくマジメな者たちばかりだ。ポロリポロリ泣き言、繰言が出る。最近の職場は、どうも以前とは様子が違うようだ。総じて窮屈になったみたい。
退職金も年々減額され、年金も以前より少なくなった。
誰それは2馬立て(夫婦共稼ぎ)だからエエなぁ~とか、お前は嫁も娘も息子も働いとるのやろとか、ワイは1馬立てやからキツイなどとぼやいたりする。

互いにお互いの家庭環境のあらかたは承知している。職場結婚の者も居て、家庭の内情もスケスケであったりする。
マージャンだから金のやり取りがある。わたしは昨年の盆に確か1万円負け金を召し上げられた。以後ぜんぜん清算していなかったが、金の字が「船長、負けが1万2千円になっとるど」と言う。で、内金の1万円を召し上げられた。船長はわたしのあだ名だ。

暗黙のルールがあって、負け金の清算がなされた際は、その精算金で卓を囲むもの等すべてに寿司の「上握り」がふるまわれる決まりである。
で、勝っていた者が寿司をおごったのか、はたまた、負けたものが寿司をおごったことになるのかについて、いつも見解が分かれる。
わたしは常に“負けたものが金を出しておごるのだ”と言い張る側である。
今回は保養所での清算だったから、寿司のふるまいは行われなかった。が、しかし、わたしは間違いなく寿司代として1万円支払った。あの金は、金の字の手を経て、アヤヤッスのサイフに居を移したのを確かにこの目で現認した。次回卓を囲む際、デッタイに「上握り」を食うつもりだ。

金の字が、
「ワシらいつも船長の面倒見とるのや、なッ!船長、これくらいの金で面倒みてもらえたらエエやないか!」って言った。
「なにぬかすか!おぬしの革靴も背広も自転車も、ワイが買ってやったやないか!」と、わたし。
「なんぼなんでもそれはないやろ!」と彼。
既に、25年来の付き合いである。
「寿司のおごりはワイやど!」と、高らかにわめきながら、出来るだけ値の張る寿司を食い、元を取り戻したいと思っている。

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2007年3月 2日 (金)

知音の友

“伯牙絶絃(はくがぜつげん)”の故事に、いつだったかこのブログでも触れたことがあったが、何の話の中だったか思い出せない。
中国・春秋時代に伯牙という名の琴の名手が居て、聴き上手な友人が無くなった後は、琴の弦を切って二度と琴を弾かなかったという話。この故事は“知音の友”ともいわれ、演者と真に心をかよわす友人との関係を指し、転じて親友の意に用いたりする。

「駅馬車」のテーマソングのことを言おうとしている。
ジョンウエインの「駅馬車」をテレビで観て、テーマソングを尺八譜に採譜し、それを自分で吹いたのを先日アップしたが、採譜に多少誤りがあったことと、尺八の演奏可能音域では出し難い音域がありゴマカシて吹いていたのが気になってしかたがない。
で、あれこれ工夫して採譜の誤りを正し、出し難い音域の音(ロの大メリ)にも挑戦し、あれ以来再々吹きなおしている。

吹く際(演奏する際)、上記の“伯牙絶絃”の故事を想い、脳裏に荒涼としたアメリカ西部開拓時代の原野を描き、ジョンウエインになった気持ちで、馬を駆りながら尺八を吹く(アホナ、そんなことデケルかいな)。
これを録音し聴き直す⇒気に入らない、
で、また音符に工夫を凝らし(少し編曲し)吹いてみる⇒やはり気に入らない、

映画を観て以来、ずっとこの作業をやっているが、だんだんと曲趣がアメリカ西部の原野から離れてゆくようである。
昨日、たまたま、古くからの親友(45年間)がわが家の近くに来たついでだといってやってきたので、さっそくこれを吹いて聴かせた。
「どうや?『駅馬車』に聴こえるか?」とわたし。
「あぁ」と気のない返事。
彼、 “知音の友”なのだが…、

日経新聞の「私の履歴書」に昨日から宮城まり子氏が登場した。
彼女の「ガード下の靴みがき」の歌を今一度聴いてみたい、
が、パソコンを屈指しても彼女の歌はどこにも出ていない。彼女の迫力に満ちたあの歌声が無性に懐かしい。

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2007年3月 1日 (木)

ヤセ我慢

昨日アヤヤッスと話をしていて、彼は、
「船長、ブログに政治がらみのことを書いたら、何か反響があるか?」
と、問うてきた。
「ほんなもん、な~んもない、たいしたことはよう書かんしなぁ」と、わたし。

今朝も新聞読んでいるけれど…、
安倍政権の求心力低下のことが大仰に書かれているなかで、
ロシアとの関係、北朝鮮がああだこうだ、総務相がNHKの担当課長を更迭したとか、浅野氏が都知事選挙に出るらしいとか、名古屋地下鉄の談合が云々などなど、かまびすしい(やかましい)ことだ。

わたし、隠居遊びに、インターネット・サーフィンするわけだが、
政治評論ってのはおもしろいですねぇ、
勝手なことを、あぁだこうだって好き放題書き散らしてある。

総じて思うに、
日本人ってのは、政治は正しくなければイカンと思っているのですよね。
その政治の中心の親玉は徳の高い人格者であるべきだと思っている。
この思いって、間違ってはいませんか?
政治家ってのはゴロツキ人間じゃないの?
…ごく少数の例外は除いて…
下世話的にいうと、ろくでもないヤカラですよ。
政府?⇒それ、マフィア集団、巨大広域暴力団。老人の年金を平気で掠めとる。善良(?)な市民から税金と称して金を巻き上げ、気に入らないと牢屋へぶち込んだり好き放題する。

政府は、無茶苦茶に悪い政府でなかったら、まぁ良しとしましょうって感じじゃないか。
利権に群がる政治家らだけれど、よ~く考えれば、
⇒ある程度、悪どいオッサンでなければ、この世の中は捌けないよなぁ。
人を教え諭す際、“ウソも方便”って言いますよね。
“人をみて法を説け”とも言う。アメとムチとも言う。
民・百姓らは皆“朝三暮四”ですよ。目先のうまみに惑います。お猿さんらと大して変わらん。

人はだれでも、金をぎょうさん稼いでエエ目をしたいと思って“ごそごそ動き回る”のでしょう。この欲得ずくの“動き回り”のことを仕事といい、仕事に精出すのは、マジメとされ、良いことだとされる。

時代劇でヌスットらが“おつとめ(仕事)”と称して押し込みの相談をする。皆マジメな顔で…。
欠陥商品の販売であれ、不衛生な食品の生産・拡販であれ、詐欺であれ、強盗であれ、それで金を稼ぐってことは皆引っ括って“仕事”と言われる。それぞれこの“仕事”で月給や配分を得ると免罪符を手にしたような気持ちになる。必殺仕事人らが、依頼人からの金を分け取りしている。これが免罪符。さぁ頑張って働きましょう。

政治評論はおもしろいけれど性善説からなされたものが大半ですね。
性悪説から堂々と解くものがあってもよろしいのじゃないか。これくらいの利権はあたえてもよろしいのではないかなど等を言う者があっても良いのではないか?小沢氏の事務者経費の開陳はみっとないですなぁ。平然と構えていたらなおのこと性根の座った政治家に見えたものを残念だ。大阪市の隠し金騒動などはやり過ぎでしょうね。

選挙のとき、だれでも自分が得をする結果になりそうな、…と…、早い話がおこぼれを頂戴できそうな候補者を選んでいるじゃないですか。業界代表を選んだり、邪魔にならないだろうと思えるオッサンを選んだり、はたまた誰それを議会へ送り込もうなんて謀議を凝らしているのじゃないですか。
選ぶ際は性悪説だのに、その後は性善説でこき下ろすわけだ。辻つまが合いませんなぁ。

でも、程度ってのがあって、
くだらんオッサンが議会や政府に居座って大きな顔しているのは、オモロナイですなぁ~。
わたし、たてまえは性善説。本音は性悪説です。
性善説へたどりついたあたりで、あの世へ行きたいが、この修行は道が遠い。難儀ですなぁ。

今日から3月。明日・明後日あたりは、瀬戸内海は凪。絶好の魚釣り日和。
プレジャーボート族らの目つきが変わってきた。小豆島の真鯛釣り本番です。潮マンも最高。きっと数百隻が釣り場に群がる。ポイントは意外と小さい。ピンポイントです。ひしめき合って事故が起こらねばよろしいが。
わたしは出かけません。シンドイ。目の色変えて、群がり釣るのはシンドイ。本音は行きたい。が、このような混雑のなかの釣りは、いわゆる釣り人の矜持ってものにひっかかる。
あぁヤセ我慢!


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