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2007年6月

2007年6月30日 (土)

夏、始まる!

Turiba

沖へ魚釣りに出ていました。

赤い点が三つありますね。

上の方の、高砂市沖の赤点が「伊保30番」の釣りポイント。

一番下・淡路島淡路市の左赤が「鹿ノ瀬5番」、中ほどの明石市南が「カンタマ」、

高砂市の砂の上に黒点がある。そこが播磨マリーナ。

今日は、

播磨マリーナ→「鹿ノ瀬5番」→「カンタマ」→「伊保30番」→播磨マリーナ

と走り回った。

いつもはこんな走りはしませんが、今日は周辺状況調査。

「鹿ノ瀬5番」はウネリと波で釣りにならんかった。

「カンタマ」で大きなサバを1本。

「伊保30番」でアンカーを入れ、ガシラ20匹、大きなアナゴ1本。キスを5匹。2.5号ハリスを2度ぶち切られた。大物の気配があった。

あぁ淡路島の東側は大阪湾、西側は播磨灘と言います。

わたしの住まいは三木市。なんと山の中でしょう。

周辺状況調査結果⇒夏の釣りが始まりました。アジ・サバの気配。追ってハマチ。

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2007年6月29日 (金)

養生に

グズグズした1日を過ごした。天候のせいで魚釣りを断念したとは言い訳で、実は体調が悪くシンドイわけだ。

身体がふやけ膨らんでいるような気がする。顔が腫れているのが実感できる。両手で顔を撫ぜるとふっくらした顔だ。ホオ骨が尖ってギスギス・ゴツゴツの時が好調。

午前中に1時間半、午後にも1時間半の、朝寝・昼寝。

合間、合間に尺八。

ペリー譜で「笛吹童子」。そして「霧海箎(ムカイジ)」の真似吹き。対山譜を手に入れる事がデケタから、

「霧海箎」は、明暗対山流では秘曲扱いなのですよね。知らんかった。

そんなことも知らんかったのか?

ハイ、知らんかった。他にも知らんことバッカですよ。ゴメンネ、

アッハッハ(笑い)、これ、入門したばかりの初心者が吹く曲じゃないようですね。

録音してアップしようかと思ったけれど、止めました。

そんなことをしたら、そこらじゅうからヒンシュクかって、総スカンされかねない。波紋(破門)だっ!って、追い出されるかも。

だから、こそっと隠れて吹きます。けっこうオモロイ。

エッ!これもいけませんか?

「笛吹童子」ですが、思っていたような吹き方が出来ません。軽く華やかに、少し哀愁を帯びた感じで…、とはならんです。どうしても重たい感じの笛吹きズズイって音になる。福田蘭童の音はやはり蘭童音ですよね。波平音じゃない。

わたしがコレ吹くと、聴いているお年寄り等(老人病棟入院患者)から、アレはこんな感じじゃなかったって、ブーイングがきますよ。やめた方がよさそう。

今、午後8時45分。

今日はもう休みます。

明朝起きた時、体調が戻っていて、顔撫ぜて、ホオ骨が尖ってギスギス・ゴツゴツの感じがあったら、沖へ出ようと思う。養生に出る。あぁ、“養生”じゃなかった、“洋上”です。

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雲と小枝

5時前、庭へ出て空を仰ぐ。雲2層。高い雲は動かない。
低い雲は南西→北東へ、ゆっくりだがシッカリ流れる。
曇天。雲の隙間からかすかに青空が見える。寒冷前線形成中か?
経験的に、こういう雲行きの時は、釣り行きは中止した方が無難。
わたしは、明日も明後日もエブリデー・サンデーだ。

だれかと一緒に釣り行きの約束があると、朝起きて後、出立寸前の中止ってことは難しい。が、こういうこともあろうかと思い、だれも誘っていなかったから、自分の気ままを丸出しする。すなわち気がいまいち乗らないから本日の魚釣りは中止。

だが、なんとなく心残りで、
…そう、いったん釣りに行こうと思ってしまった気持ちは、そう簡単には転換できなくて、再度再度庭へ出ては空を仰ぎ、木々の小枝の揺れを観察する。
小枝の葉っぱは動かないようでもあり、ジット見つめると怪しげな動きでもあったりする。
見つめるわたしの気持ちも小枝の葉っぱ。
ヤバイ!ヤッパ波があるかも、と、思ったり、まぁ一応は凪だろうけれど…、と、思ったり、
で、結局、グズグズして出漁時間を逸して、やっとあきらめがつくのが、いつもの例だと10時頃。今日もこのコースになりそう。

右サイドバー・コメントに、ペリーどんが自分で採譜した対山譜を送ってくれた。さっそく吹いてみたいが、まだ音出しするには時間が早すぎる。

明日は、今日より釣り日和かも。
…でも、土日は、現役族らが目の色変えて出張ってくるから、いまいちゆっくりした釣りは楽しめない。いつのまにか競争の魚釣りなってしまう。
さぁ、どうしようかなぁ~、

フラ~リフラリコ フラ~リフラレロ
オトト釣ろうか、尺八吹こか
フラ~リフラリコ フラ~リフラレロ
今日は凪いだか 明日も凪ぐか
フラ~リフラリコ フラ~リフラレロ
タンタンタン タンタンタンタン
雲観て 枝観る

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2007年6月28日 (木)

ナヌッ!

生来の“釣り好き”“船好き”が高じてその種の「本」がだいぶたまった。
何冊あるのかわからないが、二階には危なくて置けない量だ。阪神淡路大震災の際はヤバかった。先年、この時ゆがんだ自宅をリホームしたが、その際1階居間の片隅の床と壁面を特別補強し、ここへ書棚を造り付け、魚釣り関係の本を移した。

なかに、琴古流尺八の大家・福田蘭童の著書が数冊在る。
「珍道中膝栗毛上下」「「うわばみ行脚」「竿をかついで世界漫遊」「釣った魚はこうして料理」などだ。

ちなみに、わたしの尺八好きは、福田蘭童の「笛吹童子」が原因だ。
子供の頃ラジオでこれを聴いて育った。あのとき聴いた尺八の音は未だに覚えている。懐かしく想い、ネットで音源アップを捜すが見つからない。尺八譜が欲しいが、どなたか持っておられたらコピーをいただけないだろうか。
来月7月6日(金曜日)に、わたし、近隣の三木山陽病院(老人病棟で)の七夕会に、尺八独奏のボランティアをするが、できればコレも吹いてみたいわけだ。

ところで、つらつら、わが人生に影響を与えたものは何だったかを思うに…、
福田蘭童から受けた影響の、とてつもなく大きかったことを今更ながら実感する。
ヨ~ク考えれば、彼の真似をいつの間にかしていたのに気付かざるを得ない。

魚釣りが好きで、尺八を吹いて、尺八携えて行脚(愛艇「はまちどり」で列島周航)して、あげくは波平亭を構えて、終の棲家とする段取りである。

彼は蘭童亭を構えていた。その名は三漁洞。三漁の三は、海釣り・川釣り・陸釣り。
陸釣りとは、いわゆるナンパのことで女性釣りの意。彼はとてもモテタそうだ。アッハッハ(笑い)、ここだけがわたしとは違う。
だが、わたしと同年の頃の彼の写真をみると、面長なヌーボーとした顔はまるでわたしである。
蘭童は初めて虚無僧行脚に出た際、虚空鈴慕(こくうれいぼ)や、霧海箎鈴慕(むかいじれいぼ)などを自由自在に吹いている。
似ているようでも違うのだよなぁ~、マンズ人物の出来が違う。次いで技量が月とスッポンだ。
スッポンが、お月さんをアグ~と仰いでいる図があったとしたら、まさにそのスッポンってことですな。 
あぁ、
霧海箎鈴慕ですけれど、yatouさんのブログ「尺八本曲練習帳」に対山譜で稽古しているとの記事がある。わたしまだその譜は持っていない。どのような曲なのだろう?次回師匠に尋ねてみようと思う。もしかしてヤバイかな??

「先生、霧海箎鈴慕教えてチョ!」
「ナヌッ!まだオヌシには早すぎる!!」


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浜千鳥泣く

マリンピア神戸の敷地が一部レジャー施設へ売却されるようだ。

思えば、
絶好の漁場であり、魚の産卵場でもあった瀬戸内海・神戸市垂水沖18.5ヘクタールが
人と海と魚のふれあいの場” 
漁業・文化・コミュニティの交流拠点づくり
の、名の下に埋め立てられ、完成を見たのは平成9年のことである。

ここには、
埋め立て経費約190億円のほか、想像を絶する漁業補償金が公金支出されている。(明石海峡大橋、関空一期、マリンピア神戸埋め立てなどで神戸市漁協への支払いは800億円ほどにもなるようだ)

議会制民主主義の世の中である。
海を埋め立てること、そのための漁業補償費支出のこと、など等は議員先生方や、お役人等が喧々諤々議論し、最善策を講じたってことになっとる。

が、しかし、ワシャ釈然とせんのだわい!
★ 埋め立てたことは間違っておる。
★ 埋め立て後の土地利用が気に食わん。
★ また、ここに非日常型レジャー施設を造るとか、これもイヤだ。

当初(冒頭太字)の目的は間違ってはおらん。
が、この目的のためには、埋め立てたらアカンかったのだ。
公共工事すること、漁業補償を支払うこと自体が目的だったとなら、ワシャ納得する。
…と、いうことで、釈然とせんが納得納得。
今更、尺八吹きに何がデケルか!
あぁ「はまちどり」が鳴(泣)いておる!

ここにもフィッシャリーナがある。が、艇の出入りが難しく(施設設計が良くない)、利用にオープン性が欠ける(料金算定が一部公平でない)。
<フィッシャリーナとは、漁港区域内の遊漁船等(プレジャーボート)を漁船と分離して収容するための施設とその利用者のためのサービス、安全施設などを兼ね備えた漁港区域内の施設の総称(フィッシュ[魚]とアリーナ[劇場]を組合わせた造語)・社団法人フィッシャリーナ協会ホームページから転載>

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2007年6月27日 (水)

ウゲェ~

シュワルツェネッガーのスーパー活劇とか、ニューヨーク市警ジョン・マクレーンのダイハードとか、茶の間テレビの刑事物や必殺物や水戸黄門を観る度に、天は、悪いやつらを、決して許したりはしないのだと思う。
「エェーイ、静まれい!この紋所が目に入らぬか!」

コムスン・ミートホープ・年金・談合・など等々、なんとウマイことやっていたヤツがいたんだなぁ~、ワイも人生終えるまでには、機をみてなんぞデカイことヤッタル!
甘い汁を吸わな損だ!
…と、思ったり、

民主主義は、損・得の社会。
損=悪 得=善
何が悪で、何が善かは、次回の参院選挙で決めましょう。
と、思ったりするが、

それにしても、
悪に加担した方が、楽に優雅に太く長く生き得るのは見え見えでっせ。
これ、常識です!
割を食って挙げられるヤツはバカです!
わたしなんぞは、大バカ。天然記念物的バカかもネ。挙げられたってことじゃないよ、な~んもエエ目したこと無いってことですよ。あぁバカバカシイ!

単管〇どんが、わたしの尺八稽古を「修行僧のような尺八修行」だと言った。
わけがわからんが、褒められたようで嬉しいや!
調子にのって、ずっと今まで尺八吹いとった。
アァ~シンド!

飼い犬のショウ(小)介が、尺八の音に当たって吐き気が起きたらしく、ウゲェ~ウゲェ~食った物をもどしている。可哀想だから、今日はもう稽古を止めようと思う。

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あぁ損した!

昨日は朝早くから海へ出て魚釣りし、帰宅したのは午後6時過ぎだった。
シャワ~し、ビールし、ご飯食べたらもう眠くなってそのまま寝てしまった。
で、尺八稽古は出来なかった。
3月初旬に明暗流稽古を志して以後、丸1日稽古を休んだのは昨日が始めてである。
なんだか忘れ物をしたようで、気持ちが悪い。

この気持ち悪さは、今日これから稽古をすると治るかどうかだが、ダメだと思う。
稽古は午前9時以後にならんと始めないつもりだが、
仮に、9時以後、昨日の分まで稽古に励んだとて、昨日の稽古休みの事実は無くなるわけじゃない。なんだかとっても損をしたような気がする、

わたしは、
身体を明暗流尺八音に共鳴させたいと思っている。
かみさんなどは、この尺八音に苦痛を覚えるようだが、わたしは、いくら吹いていても気分が悪くなったりすることはない。あったりまえだ!!
だが、吹いていて気持ちが良くなるかというと、そういうわけでもない。
わたしの身体に合った、気持ちのいい音には、未だ出会わない。
自分の身体に心地よく共鳴する音を得たい、と、思う。

ソレを探っているのに、なんとなくソレが判りかけてきたような心地が在るような無いような、感じがあるような無いような…、アレッ? 何を言っているのか判らんようになったぞ…、
とにかく、何かが途切れたのではないかと思う。

グツグツ言っても始まらないや!
やってみなければ判らんことだ。
9時になったら、パフパフ・ピーポー・ピーポーの稽古を始めようと思う。

娑婆社会だけれど、不快な音や不協和音バッカで難儀ですね。
新聞を読むなんぞはやめたほうがエエ。身体に悪い。

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2007年6月26日 (火)

ビールする

沖へ出ていました。
またガシラ釣り。
ガシラ・カレイ・アイナメ・キス・タコがゴチャゴチャ釣れました。

Otama_001_1
タコを塩焼きにした。
これからそれらでビールする。

左上は、アイナメの刺身とタコの刺身
右上は、タコの塩焼き(塩は御前崎の天然塩)
左下のビワはわが家産。
右下は、ズッキーニ(イアリア料理)を真似ました。


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2007年6月25日 (月)

梅雨最中

Otama_001
田植えが終わって、水田に苗がみずみずしい。すでに20センチほどに成長している。
この辺りは、日本晴れという品種である。

Otama_009
カエルの声がしない。ツボカビとかが猛威を振るっているとか。
気になってしかたがない。
で、母を見舞いがてらの散歩途中、アゼを歩き、水田を覗き込んだ。
大丈夫、オタマジャクシいっぱい居ます。

でも、例年はこの時期、カエルの声がうるさいのに、オタマジャクシの親らは何をしているのだろう。黙っていては判らない。体調不振ではあるまいか。
足もとから水田へドボンと飛び込んだヤツが居た。探すが浮かび上がらない。オタマは確かに見たが、カエルはまだ見ていない。やはり気になる。

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老人文化

「魚釣り」や「尺八」は“老人文化”だろうか?
違うよな、若い衆らもやるからなぁ~、
「メダカ釣り」、コレは若い衆にはやって欲しくない。こんな遊びに若者がうつつを抜かすようでは、国がつぶれる。

囲碁・家庭菜園・盆栽・温泉や神社仏閣巡り・孫らの子守・留守番、
…果ては老人ホームなど老人施設の客、

ボケて、完全に寝たきり状態になったらどうしますか?
わたし、それからが、本当の意味で“老人文化発信”の好期だと思う。
母は病院で寝たきりだが、実に強烈に“老人文化”を発信する。見舞う度々にわたしを打ちのめして止まない。

母は4人部屋に入っている。ほかの皆さんも同じように寝たきりだ。
それぞれに見舞い客がある。先日、ご主人と思える爺さんが、ぼんやり某ばぁさんのベッド脇に座っていた。見舞い客が女性の場合、嫁か実の娘かは瞬時に判る。男性の場合は百㌫息子であろうが、未だ出会わない。

病院はわが家から歩いて片道30分にある。
往復して1時間。隠居のわたしには丁度良い散歩コース。
散歩コースだから見舞うのである。コース外れだったら…、いや、それは言うまい。
義兄が先日「おぬしは母親を老人病院へ放りこんだ…」と言った。義兄は母親と同居中だ。温厚な男(わたしより1歳上)だが、すでに介護疲れの中。親子揃って老人文化の体現者と言うべきか。

七夕祭りが近づいている。
尺八演奏のボランティアを依頼されている。
病棟詰め所横の待合スペースが会場だ。ここへ車椅子やベッドを集めるらしい。
キヨちゃんに箏伴奏をお願いし、箏と尺八で童謡唱歌をやろうかと思ったが、大仰過ぎてもいけない。このたびはわたしだけで童謡唱歌を吹こうと思う。

「春の小川」・「めだかの学校」・「おぼろ月夜」・「花かげ」・「夕焼け小焼け」・を、
皆さんに歌詞を配り、一緒に歌ってもらおうと思う。
時間があれば「北国の春」をやろう。この曲ならだれでも知っている。
最後は、余裕があれば「民謡・刈干切唄」で締めくくりたい。
尺八は、いきなりでは鳴りにくい。これが最大の難関。最初に「調子」を吹こうか吹かまいか目下悩んでいる。本番は7月6日午後だ。


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2007年6月24日 (日)

パチッ!

“孑孒”と書いて、“ぼうふら”と読むそうですね。
孑孒のふらふら沈む力かな
って、句があるそうな。

社保庁の年金問題だけれど、金が絡む事件を、入力ミスや、手続きミスや、錯覚錯覚などでごまかすのって良くないですなぁ~、名寄せしたら終わりですか?違うでしょう?職員の誰かがドロボウしているのじゃないか?

と、思っていたら、
今朝の日経新聞・“識者に聞く”の欄に「さわやか福祉財団理事長」の○○力氏の言葉が載っていた。(この方は社会保険庁最高顧問を務めていた人)
記者に、「未統合の年金記録は把握していたか」と問われて、
○○力氏、「知っているどころか想像も出来なかった…」
アッハッハ(笑い)、ましてや職員等がよってたかって金を横領していたなんて、知らんかったって言うのでしょうね。
“想像も出来なかった…”なんて、抜け抜けとよくもまぁ言えたものだ。
許せんなぁ~、そやつが、今は、さわやか福祉財団理事長だとか、なんとなぁ~、

わたし、このブログで社会問題を取り上げるつもりはありません。
が、わたし、もうダァ~レも雇ってくれない年金生活者ですから切実なことに思えるわけですよ。以前、社保庁△△事務所へ行った際の、職員らの、あの傲慢な応対を思い出すと腹が立ってかなわんわけよ。
あの時は、
「なんでワイの年金はこんなに少ないの?」って問うたのですよ。
そしたら、
「オヌシは過去に、カクカクシカジカの悪行を重ねてきたから、たったコレダケしか貰えんのだ。お上の情けをありがたく思え!」って叱り飛ばされた。
…ウソですよ、なんぼなんでもそうは言わんかった、
カクカクシカジカで、支給年金額は間違ってはいませんと説明してくれたのだが、それがわたしにはまことに苦々しかったわけよ。
わたしがカッテにイジケていただけだったのだろうが、説明してもらう間、終始ペコペコしながらおせぇ~てもらったわけですよ。
説明を受けるには丸1日掛かりました。
朝早くから順番取りして、渡された順番札を握って昼過ぎ2時頃まで呼び出しを待った。で、説明を受け、シブシブ納得して△△事務所の玄関を出た途端にムチャクチャ腹が立った。
で、以来、ずっと社保庁にはウラミを持っておる。
ワシャ、あそこの職員等は上から下まで揃ってドロボウまがいの悪党じゃないかと思う。ウソですよ、訂正します。大多数は普通の人でしょうよ。

ぼうふら(孑孒)だけど、
きゃつらは頼りなげで一見可愛ゆくもあるけれど、全員、変身して蚊になって悪さをする。蚊取り線香を二巻き焚き、煙くすぶるなかでパソコン打った。
今日は雨天。ドシャドシャ雨だ。これも腹が立つ。

ヤイ!ワイの血を断りも無く勝手に吸うな!
パチッ!
あぁ、また逃げられた…、

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2007年6月23日 (土)

聴いている

今日は朝早くからさんざ「三谷曲」を稽古し、ブログにも再アップし、このあたりまでしかデケンというとことまで行って、昼2時から師匠白龍宅へ稽古に出かけた。
一緒に「調子」を吹いて、では、やって御覧なさいということで、「三谷曲」を吹いた。
力いっぱい吹いた。

ブログ用に録音の際もけっこう緊張します。
が、師匠の前で吹くのは、この何倍も緊張する。
コレこそが稽古なのでしょうね。師匠は実にシッカリ聴いてくれます。微細なわたしの気持ちまで洗いざらし聴き取るみたい。
何箇所も直される。自分でも吹いて聴かせてくれる。
師匠の竹音を真似しようと思うが、その冴えた音はわたしとは次元が違って真似し難い。
が、真似てみる。

早吹きする箇所がある。が、師匠が吹くと実にゆったりした感じがある。わたしのはゆっくり吹いてもせからしい。
稽古の都度、カルチャーショックを受けて帰宅する。
二週間に一度の、だから月に2度の稽古。

単管〇どんの利休百首。かしこみ、カシコミ、謹んでお受けする。
「こころざし深き人にはいくたびもあわれみ深く奥ぞ教える」
「はじをすて人に物とい習うべしこれぞ上手の基なりける」
「点前には弱みをすててただ強くされど風俗いやしさを去れ」

良い師匠、良い竹友等、そして「火吹き」…、幾多の縁に感謝感謝。

今、テレビで美空ひばり特集をやっている。
竹に通ずるものがある。
聴いている。

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もう一度吹いてみた。

「三谷曲」の吹きなおしです。
ピッチを極少々下げました。
少し気合を入れて吹きました。ここが微妙ですよね。正しくは単に気張っただけ。気合を入れた振りをしただけと言った方が正しいかも。気合?、実はそれがいまいちよくわかりません。
ただ、正直言って、この吹き方では、数回吹けばくたびれます。最後の方になると息が切れた。

「ヒーフ…」の辺りは、自分では大きな音が出ているつもりでも、録音を聞きなおすと小さい音だ。
これは、ひょっとしたら録音機の性能の偏りかもしれない。

曲は、三つの部分から成っていますね。だから三谷と言うのかな。
とにかく三つの趣がある。これって、在るのは判るが、どう吹き分けましょうかね。
ヒントが欲しいです。

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さらけ出しの人生

尺八の話です。

今日は白龍師を訪ねる尺八稽古日。教わりたいことが山ほど海ほどあって、頭の中がこんがらがっている。
稽古日を待ちかね、とにかく音源アップし、先達らの声を聴こうと「三谷曲」を吹いたのだった。
大成功、大成功、皆さんありがとう。
ネットの利点は、面と向かって言い難いことも、ここでは書ききることがデケル。
教わる方からすると、その言われんとする内容がわかりやすい。大変重宝する(こんな言い方失礼ですよね)。

単管〇どんの指摘を読んだとたん、ズドーンとわたしの内面を見通されたような気がした。
まさにおっしゃるとおり。自分で聴いても同じように思ったからなぁ。
ただ、、“音をつくりすぎていて”とあるが、これは違う。そのように聴こえたってことだろうが、わたしはまったく“つくって”はいない。むしろ、つくらずに吹くことに、汲々とした結果がこれ。
“当たりが弱く”“思いっきりが無い”おもな原因は、自然体を維持したいとの見せ掛け不作為にある、と、自分では思っている。

“一音一音が繋がりすぎていて、息を使い切っていないように感じました”とは、
意味深い指摘。感謝感謝。
この言葉を聞いて、ハッとしました。
明暗を上手に吹く人を称して(わたしは決してその列には並べないが…)、
“あやつは音楽を吹く”
などと言ったりするそうですね。

決死の覚悟で吹くなどというと、いささかオーバーすぎるけれど、曲中に入り込んで吹くってことは最低必要でしょう。
が、わたし、曲中に入らずに、外から曲趣を窺いながら恐る恐る吹いている。
わたし、単管〇どんのこの指摘を読んで後、すぐ聴きなおしてみた。まったく聴くに耐えん不埒な根性が見え見えだ。

アッハッハ(笑い)
最後の“私のレベル以上なので…”だが、
単管○どん、それはないでしょう!!
貴兄の音源アップはわたし聴いていますよ。わたしは吹くのは下手でも、貴兄がどれほどの吹き手かがわからんほど聴き下手じゃないよ。
「磯千鳥」のとき、貴兄は確実に一段上がられましたね。あの時、アマからプロへの溝を渡られたようにわたしは聴きましたよ。

「火吹き」ですが、この管は、少し反っていて、カリ吹きには適さないようです。
カリ吹きでは管が悲鳴をあげる。やはりペリーどんが常に言われるように、その管に適したピッチで吹かねばあかんみたい。と、いうことは、無理なカリ吹きはアカンってこと。普通か、むしろ極少々メリ加減がエエみたい。下唇を下へ引っ張るのはこれ効果的かも、やってみます。

今回音源アップの総まとめです。
楽器は、特に尺八という吹奏楽器は息遣いがそのまま音になる。
“息遣い”は吹き手そのもの。吹き手の根性はもう隠しようがござらん。
わしゃ恥ずかしゅうてかなわん。
が、しかし、己は己。さらけ出しの人生を歩みましょう。

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2007年6月22日 (金)

三谷さまよって遭難中

「三谷曲」。
稽古途上の経過記録の意味を込めての録音だ。

ペリーどんの、顎を閉じ気味にして息を鋭く効果的に吹くこと、ただし喉を大きく開け、腹筋を緩めて…、の課題に挑戦中だが、
今ひとつ、和田真月氏のエッセイ中に、
“竹は出来るだけカッて楔に吹く、それあたかも打楽器に向かう気持ちで”
とあるのを読んで、
この二つの矛盾の狭間で迷いながら吹いたのである。聴いてみると甲音に如実にその迷いが出ている。

わたしの真意は、カッてクサビに吹きたい。
が、ソレはペリー式でありたい。

数か月後の、稽古の成果を、自分で聴き比べてみたいわけだ。
この「三谷曲」は「瀧落し」に比すと、ゼンゼン稽古回数が少ない。
未熟丸出しで恥ずかしいが先達らのご指導を仰ぎたい。竹は八寸「火吹き」だ。


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かわいそうな魚々

某大新聞から又々「メダカ釣り」の問い合わせを受けた。
「今回は波平さんとは別の人にメダカを釣ってもらおうと思っている。ついてはカクカクシカジカ…、で、ご協力いただけませんか?」

前段の、“波平さん以外の人に云々”のくだりは、その後の「メダカ釣り」普及を報じたいからとのこと。
残念ながら、わたしは、その後この普及にはあまり力を入れていない。未だワイルドな魚釣りに血道をあげている最中だ。
人選を頼まれたが実態をお話ししご辞退した。

昨日、再再度の連絡があり、
町興しの手段に「メダカ釣り」イベントに力を入れているところが四国にあり、ここを取材なさる由。イベントの内容はわたし承知していない。が、健全な「メダカ釣り」であって欲しいと思う。“メダカと一緒に遊ぶ”そういう釣りであって欲しい。
と、そう願って、わたしの「メダカ釣り」に対する気持ちを今一度伝えたいと思い、
「お忙しいだろうけど、わたしのページに目を通しておいて欲しい」と、過去にアップのページを二つ紹介した。
コレアレである。

“メダカと一緒に遊ぶ”とかなんとか言いながら、
わたし、海の魚々殺傷(魚釣り)が趣味。沖が凪げば気もそぞろに釣り竿振り回す日々である。
一昨日尺八の友人らと釣りに出て、艇をそのままほったらかしにしていたので、昨日は艇の後始末に昼過ぎマリーナへ出向いた。
と、神戸海洋気象台の天気予報では波が出るようなことだったが海はベタ凪。たまたま一昨日の釣り餌が残っていて、チョクラ釣ってみるかと沖へ出て、カレイ1枚・アイナメポン1本・キス10匹・がしら30尾ほどをアッという間に釣っちゃった。

自宅へ帰ってきて、
「アァ~シンド、もうガシラ釣りは止めよう、キリがない」とわたし。
「そうそう、お魚殺すの止めてくれる、可哀想よ」と、かみさん。

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2007年6月21日 (木)

予約日

昨日、タニノと、大二郎どんと、わたしの3人で、魚釣りした後、
帰宅途中二人ともわが家に立ち寄り、尺八の吹き合わせをした(タニノも昔・学生だった頃下手な尺八を吹いた)。
今朝もその時の大二郎どんの竹音が耳に残っていて、嬉しい気分に浸っている。
彼は、雅趣ゆたかな静かな尺八を吹いた。見かけは多少ガラッパチだのに(大二郎どん怒らないでね)、

琴古の手で「瀧落し」の一節を吹いたのを聴かせてもらったのだが、
★ このような趣も秘めた曲だったか、と、ビックリした、
★ 琴古の音色の微細な追及にも改めて感ずるところがあった、
★ 今ひとつ、これは、彼の愛用竹のことだが、ビビ割れ竹を藤で巻き巻きした古管だったが、実に晴れ晴れと滑らかに音を出す竹だった。わたし、少し息を入れさせてもらったが、入れたすべての息が外へまったくコボレルことなく音になってビックリした。こんな竹があるなんて知らなかった。

釣果は残念ながら少なかった。大物はなぁ~んも釣れなかった。
タニノは一晩明けた今朝は床から離れられないのではないか。
だいぶ船酔いで辛かったようだから。
彼もどうせ隠居身だ、二・三日ゴロゴロ寝そべって休養するがよろしかろう。普段怠けてボォ~としているから身体が鈍っているのだと思う。娑婆社会でエエ目(出世的人生)を経験したズズイには、よくありがちなことだ。

釣果が貧弱で残念に思ったわたしのかみさんが、畑からタマネギを数個引っこ抜いて釣果に添えたのだったが、大二郎どんからの話によると、釣果は難儀がられ(ちっちゃなガシラは処置に困る)、タマネギが喜ばれたとか。
タマネギのウロコは薄皮1枚でツルッと剥けるし、少し涙を出してキザメば、そしてなんぞ好みの汁でも掛ければそのままサシミ(サラダ)で食える。対するに、ガシラ等は怖い顔をして恨みがましい目だ。タマネギ等には敵わんよなぁ~、

今日は朝一番に歯医者を訪ねる歯科予約日。
延々と歯医者の世話になっているが、そのうち口中全部の歯々を歯医者に削り採られるのではなかろうか。虫歯も痛いが、サイフも痛い。治療台で大口あけ、その直後、受付でサイフをパカァ~と開ける。

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2007年6月20日 (水)

釣果など

大二郎どんと、タニノと、わたしの3人で沖へ出ていた。
タニノは昨年のわたしの列島周航時に、焼津から母港まで同船するつもりだったのだが、艇の故障やあれやこれやで、果たせなかった。彼は、時に船酔いする性質だ。今日も酔って辛かったようだ。

大二郎どんは平気な顔で、艇の揺れを楽しみながら昼飯を食っていた。
伊保30番。今日は大物は釣れなかった。
ガシラ・キス・アイナメ・カレイ・アナゴ。
外道は、お星さん・手手噛み・極小タコ・アカクラゲ。

あぁ、お星さんとは保安官のこと、別名ヒトデともいう。
アカクラゲは脚の長い毒々しいクラゲで気持ち悪いこと甚だしい。コヤツを乾燥し→粉末状にして→タマゴの殻に詰めて→敵陣へ投げつけると→中の粉末が飛び散ってそこらじゅう激しいクシャミの嵐になるそうだ。忍者が使う術で「ハナフイの術」という。カムイ伝の作者白土三平氏のエッセイにこの話がある。
3人そろってクシャミ・クシャミで、ふとこの話を思い出し、二人に話して聞かせたが、二人はまた例のダボラ話かと思ったようだった。

追補・
大二郎どんは琴古流尺八のベテランで、わたしに「火吹き」をくれた人。
実は、わたしの学校の後輩でもある。
釣りから帰って、我が家で少し吹き合わせをした。
琴古の「瀧落し」と、明暗の「瀧落し」との吹き合わせ。
合うはずないよなぁ~!交互に吹くだけ。
けれど、おもしろかった。


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2007年6月19日 (火)

また負けた

一昨日の日経新聞だったと思うが、母を慕った歌や詩は多いが、父を題材にしたソレは少ないなどと書かれた記事があった。さもありなんと思う。

わたしの父はいわゆる頭の良い男だった。
息子のわたしから見ても確かに父はわたしより数等優れて頭が良かった。父はいつもわたしをバカにしていたし、わたし自身も確かに自分は頭が悪いと思い、納得してきた。
父はまだ幼かったわたしに囲碁や将棋を教え、たびたび相手をさせたが、勝つのはいつも父だった。父はわたしのことを他人に話す際、「このバカ息子が…」とか、「このキチガイ息子が…」などと言うのが常だった。ときおり母がとがめて「キチガイだなんで言うのは良くない…」と言ったりしたが、父の言いクセは治らなかった。

わたしの、自分は劣っているのだとのこの思いは長ずるほどに確かさを増し、70に近くなった今は、もう信念みたいなようなものになっている。で、“俺はバカだ”とのこの思いは、逆にわたしには宝物だ。この思いはわたしを支えてきた。だって、どのような不遇を受けても、さほど悔しいと思ったことは無いし、これからもキットわたしを支え続けるだろうと思う。

父は、最晩年にはニュースにも天気予報にも歌謡番組にも興味を失っていた。囲碁番組は好きなようだった。新聞の囲碁欄をいつも切り抜いて、ひがな独りで碁盤に向かい独り碁を打っていた。毎朝、父は新聞テレビ欄を点検し、その日に観るつもりの番組を赤鉛筆で囲んだ。家人の興味などは無関係。自分本位の印。概ね「将軍吉宗」とか「水戸黄門」とか「遠山の金さん」などチャンバラ時代劇だった。

土日が終わるとホッとする。
昨日・月曜日は魚釣りでヒマをつぶした。で、今日は火曜日、
月曜日~金曜日の間は、朝・昼・晩と絶え間なく面白いテレビがある。なぜか土日は少ない。日曜日の「笑点」くらいのものではないか。
わたしは、亡くなった父への反発が…、これは根強くあって、新聞テレビ欄への書き込み(観たい番組へのシルシ付け)だけは、意地になって行わない主義である。
が、しかし、最近になって、再度再度テレビ欄を見直すのが苦痛になった。
また、父に負けようかと思う。
今日初めてシルシを付けた。
父が存命ならキット付けたであろう番組が浮かび上がった。


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2007年6月18日 (月)

梅雨の朝

早出して2潮釣ろうと思っていたけれど、雨勢が強く魚釣りに出る気が萎えて、また床へ戻ってしまった。今、7時、まだ雨は降っている。ほとんど無風。
今日の潮は月齢5.5日の中潮。マイポイントの伊保30番瀬の潮汐表を睨んで、時合は午後1~2時半と、同4時半~6時と判断。下り潮だ。
で、自宅を9時半に出て、瀬にアンカーを12時半過ぎにブッ込もうと思う。
雨勢だが、わたしの勝手判断では、12時半過ぎ頃には降り止んで、一部青空かも、ナ~ンチャッテ!

日没は午後7時過ぎですよ。7時半までは充分に明るいからなぁ~、のんびりやりましょう。
今日は午後からの横着釣りですわ。
キス・ガシラ・カレイが狙い目。ハネも狙う。
土日は現役族らが出張るからポイントに入り辛い。
が、今日はきっとポイント一人占めですよ。

出発まであと2時間半。
尺八稽古で騒音を立てるにはまだ時間が早すぎるし、新聞は読んでしまったし、
アツ、そうだ!
和田亮介著「船場からくさ」を読みましょう。
この著者は明暗人ですよ。本名は真月、娑婆名が亮介、スケールの大きい巨人でいらっしゃる。
文が生きていてスルスル読める。だが、一気に読むのはもったいないから、少しだけ読む。

竹の音もしばし遠慮の梅雨の朝 波平

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2007年6月17日 (日)

木幡吹月著「尺八古今集」(復刻版)

尺八の話です。

少し吹いては休み、また、少し吹いては休む、の繰り返しです。
少し吹くと、自分の下手さ加減に、音色に、イヤになる。
で、吹くのを止めて、尺八を両手でなすりさすって気持ちを整え直し、また吹く、
…と、またまた、自分の下手さに、音色に、イヤになって吹き止める。

我慢してそのまま吹き続け、技巧を凝らして、見せ掛け持ち直そうとする、まさにその姑息な気分こそが、我がことながら我慢ならんわけだ。
下手は下手で承知の上だからいっこうに構わない。
が、なぜこうも思うところが吹けんのだろう?なぜこうも頼りなげな音になるのだろう?せめて、この頼りなげな音色だけは、素直な音色になおしたい、改めたいと思う。

せっかくの名管“火吹き”が可哀想である。
で、たびたび、吹き止めて、撫ぜさするわけである。
撫ぜさすった後は、瞬時素直な音色になっているような気がする。
が、しばらく吹き進むと、またへたり込んだような音色に戻る。
で、ハタッと吹き止め、管を撫ぜさする。

“火吹き”をくれた竹友・大二郎どんが、木幡吹月著「尺八古今集」の復刻版(吹月師ご子息・和田真月師が一部手を加え復刻した)を送ってくれた。
わたし、書斎の机のまん前に“久松風陽「独言」”を拡大し、貼り付けている。
木幡吹月著「尺八古今集」は一気に読んだ。そして、又、再読。
“久松風陽「独言」”と並ぶ名著だと深く感動した。
あぁ~、カルシャーショック!

文中の一節に、
久松風陽作の「一心外無魔」と名づけられた名管は、一見、火吹き竹のごときものであったという。その朗々の竹韻は四隣を圧するものがある、と、ある。
わたしが愛用の尺八も見かけは“火吹き竹”である。
大二郎どんが、「火吹き竹のような尺八だが“ポン太”よりもエエかも、これをあげるから吹いてご覧」と進呈してくれたのだった。
息を入れてビックリした。名管だった。即座に“火吹き”と名付けたのだった。

まことに申し訳ないことだ、“火吹き”を撫ぜさするばかりの稽古である。
我が性根が頼りないから、頼りなげな息しか出ないのであろうと思う。
“火吹き”を撫ぜさするのである。
撫ぜさするも稽古。この気持ちこそが師とはいわんかな!
単管〇どんの、利休百首、
「その道に入らんとする心こそ我身ながらの師匠なりけれ」
を思う。

お詫び(17日21時50分)・
当初の打ち込みには一部打ち間違いがあった、以上は修正したものである。
あぁ、今夜の肴は毛蟹。姪からの贈り物。もうすっかり酔っ払っているから、また打ち間違いがあるかも。
大二郎どん、世話かけるなぁ~、ゴメンネ!

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父の日

今日は父の日だそうな。かみさんがわたしをパッパと呼ぶが、子の無い夫婦だ、わたしは父の日とは縁が無い。結婚後間もない頃からいつも犬が居て、犬から見て、わたしはパッパと言う位置づけ、ただそれだけのこと。

犬らはだいたい十年前後の寿命のようだ。代々“○○介”と最後に“介”(スケ)の字を当てている。育つほどにどの犬も同じような目つきになるのが不思議と言えば不思議である。

最初に飼った茂介はスピッツの雑種だった。かみさんの実家の隣家で生まれた子犬。
屋外で飼っていたが、当時、夫婦で二泊三日の旅行をするにつき、直線距離で約40キロ離れた義兄宅へ茂介を預けたことがある。茂介は二日目の朝、義兄宅を飛び出し行方不明になった。10日目だったと思うが、やせ衰えフラフラになって、我が家へ戻ってきた。
わたしら夫婦は大変感動し、以来、茂介は屋内外・素足出入り勝手となった。この特典は、以後代々の飼犬たちに引き継がれている。

犬らは父の日のあることを知らない。
わたしは、犬等から、父の日の贈り物は貰ったこと無い。
が、
義弟の力どんに娘が二人あって、彼女等からは、母の日や父の日には贈り物が届く。
彼女らは既に子等があって、子等にわたし達夫婦をグラン・マとかグラン・パとか呼ばせている。今年もキット何か贈ってくれると思う。焼酎4合ビンだとうれしい…。彼女等がまだ幼かった頃は、クレヨンの絵だったり、少し長じて、小遣いで買ったスリッパ1足だったりしたが、最近はすこし様変わりしてきた。

わたしの妹にも子があるが、なぁ~んもくれない。
義兄や、もう一人居る義弟にも子が在るがなぁ~んも貰ったことはない。
もっぱらオトシ玉やなにやかやの折々に祝いを出すばかりである。

ひるがえって、平成7年に89で無くなった父へ、わたし何か贈ったことがあったかどうかを思い出すに、な~んも贈ったことは無い。母はまだこの世に居るが、やはりなぁ~んも贈ったことが無い。いくどか何泊かの旅行に連れ出たことはあったが、わたしら夫婦旅行のお邪魔虫で連れ出しただけである。

今朝の日経朝刊最終面文化欄に「書斎の机」という津村節子氏のエッセイが載っていた。
彼女は作家・吉村昭氏の奥さんであり著名な作家でもある。すばらしい文章だった。
彼女は昨年亡くなった夫・吉村昭氏の遺骨を、仏壇から書斎の机の上へ移したそうだ。
氏は生前「…死んだ折には机の上に骨壷を納骨時まで乗せておいてほしい」と言っていたらしい。
あるエッセイ中にそのことが書かれてあるのを、長男が見つけ、節子氏に告げたわけだ。節子氏はそれを忘れていたがビックリし、急きょ骨壷を仏壇から書斎の机へ移したとある。彼女の夫君への贈り物だ。こんな贈り物があったとは…、

わたし、飼い犬等から、贈り物を貰っていたかも!
代々の犬等の信じ切った目を想う。

追補・
わたし、吉村昭氏の大ファンである。

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2007年6月16日 (土)

今日の潮

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今日(6月16日)の瀬戸内海・高砂の潮汐グラフである(第五管区海上保安本部HPから借用)。
なお、今日は、ベタ凪で絶好の釣り日和。
だが、残念ながら、わたし的には、いまいち釣りに適した日ではない。
なんでや?

⇒潮汐表からは、
夜明けから~10時頃までは潮がほとんど動かない → 魚の食いが悪い、
11時半~12時半が時合だが潮が早すぎる → オモリ40号でも棚取りが難しい、
午後3時~同4時が、最高の時合だが潮が低すぎる → マリーナへ午後4時頃にはもう戻りたい。が、戻るにしても、潮が低すぎて(水位マイナス15センチ)、艇底座礁の危険がある。

現役の頃は、土日しか釣行できなかったが、隠居の今はエブリデーサンデー。
わたしは、二日後18日(月曜日)の中潮の潮汐表をにらんでいる。
今、イライラしながら英気を養っているがところだが、それにしても今日はエエ釣り日和だこと。

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師の影

尺八の話です。

わたし、ヒマがあり余っているのだし、おもしろくもあるから、四六時中尺八吹いて遊んでいるわけだが、その分実は緊張感が欠けているわけで、ここで、もしペリーどんの目というか耳というかを意識しなかったら、わたし、デンデン尺八は上達しないでしょうね。

“ウソも方便”という言葉がある、
“人を観て法を説け”とも言う、
“馬に念仏”というのもある、

その人にわかるように“その人のレベルに合わせて教えてあげなさい”との意味を込めた言葉とだ承知しているが、ペリーどんは、わたしのレベルに合った話をしてくれる。

最後の乙「ロ」が高いのは承知です。なんでか最後に吹き上げてしまった。妙にここで吹き上げたくなったみたい。
この吹き上げピッチがおもしろいってですか?
実は、未だ、この「火吹き」本来のピッチを探っている最中ですわ。これを聴きわけるなんてペリーどんの耳はどうなっているの!

さっそく顎を引いて息の幅を狭くする工夫を始めました。
それはそうと、ベルカント唱法が根っこにあるのかな?
ぺりーどん、声楽をやりましたか?

アッハッハ(笑い)、わざとらしさは厭らしいってこと、これわたしもそう思います。
加えて、おれは上手だって思いで吹くのは、聴くに耐えんからなぁ~。
わたし、幸い、自分は下手だ下手だって、心底そう思っている。

ペリーどんは…、もし、間違っていたらごめんなさい、
未だ一度もお目にかかったことはないし、どんな方かサッパリ知らんのだけれど、
男性ですよね。ひょっとしたら40台なかば過ぎ?
と、なれば、わたしより20数歳年若なわけだ。
まさか、わたし(1940年生まれ)より年長ってことじゃないよね、間違っていたらごめんなさいね。

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2007年6月15日 (金)

成るか、“波平亭”

隠居業はどうしても運動不足になりがちなので散歩を心がけている。約1時間半スタスタ歩く。概ね民家の少ないあたりを選んで歩き回るが、いったん住宅地を抜け出なければならん。マンションは無い。戸建ばかり。郊外山間部に開けた新興(?)住宅地だ。未だに周辺は田んぼである。

最近、建て替え工事中の家が目立つ。我が家は一部リホームで済ませている。安普請だし、先の阪神淡路大震災で家にひずみが出来ていた。
建て替え・リホーム・廃屋・潰して駐車場に転換、と、静かな変化が読み取れる。
休日や、放課後時間帯でも子供に出会うことは無い。

散歩途中で別のわたし(?)に出会ったりする。同年輩者の散歩。

隠居業だが、未だ健康な隠居は、3つの態様に分け得るように思う。
★ 自宅閉じこもり型、
★ 散歩出歩き型、
★ イタズラ型、

わたしは、一応“散歩出歩き型”としておこう。
“自宅閉じこもり型”は、ジイサンの場合はバァサンに、バァサンの場合は嫁に、嫌われるかも。粗大ゴミ。
問題は“イタズラ型”です。

わが家の小さな蔬菜園に夜間除草剤を少し撒いた人が居る。先月、畝に鳥(ニワトリ?)の死骸が埋められていて、耕していたかみさんが悲鳴をあげた。玉ネギを数個引っこ抜かれた。アレレッ!って感じ。持って帰ってサラダにでもして食ったのかな?
飼い犬を畝に入れて遊ばせようとするジイサンが居て、これは気付いて追い出した。
イタズラってオモロイと思う。犯罪手前で止まっているところが見て取れる。遊んでいるのだと思う。これを“イタズラ型”隠居と呼ぼうと思う。

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実は、この蔬菜園の片隅に、“波平亭”を創りたいわけだ。
腰掛とテーブル台を置いただけの粗野な休息場。
散歩中の隠居らを誰彼なしに呼び止めて、一緒に軽く一杯やりたいわけだ。たがいに無聊を囲っているのだ、慰め合おうじゃないか。
肴はわたしが釣ってくる。魚釣りした日に限り店開き。
早朝、魚釣りに自宅を出る際、ここへ「本日肴アリ」の木札をぶら下げておく。
釣りから帰り夕方になったら“波平亭”の赤提灯をつるし、散歩隠居を待ち受ける。
肴と茶は無料。七輪に炭を起こしておこう。金網に小魚を並べ、各自が勝手に焼いて食えばいい。酒は各自持参。頭にあるのは御前崎の“潮溜まりの会”。
だが、
この“イタズラ型”隠居(?)バッコのなか、ある種の恐怖があって、“波平亭”の店開きに、かみさんが血相変えて反対する。
残念だ!


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2007年6月14日 (木)

「火吹き」推参

尺八の話です。

今日は朝から雨が降っていて、歯科医院へ虫歯治療に出かけた以外は用が無くて、飼い犬と遊んだり、尺八吹いたりしている。

一挙に、「瀧落し」「三谷曲」をアップしようかと思ったけれど、実際音を採ってみたけれど、まだまだおこがましい気がして消してしまった。
でも、
曲の出来不出来じゃなく、「火吹き」を聞いてもらいたい気持ちが押さえ難い。
「調子」をアップしてみようと思う。
作法に則り、いつもこれをやってから、稽古に入る。

二段節跨ぎ愛竹「火吹き」はこういう音を出す。

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ニーチェをやっつけろ!

先日在る人と一杯呑んでいて、酔っ払った雑談のなかで、話の流れは忘れたが…、あぁそうだ、彼も隠居でズット自宅に居ついているのだが、宗教の訪問勧誘が度々あって往生するって話の中で、
先日かんしゃく玉がハジケてしまって、
「放っといてくれ、ワシにはワシの神様がある、あんたの神様とドッコイドッコイヤ」と言って追い返したらしい。そして、
「だいたいが、今時本気で“神”が天に居るなんて信じているやつが居るのやろか?ワシャ不思議でならん」という。

典型的な日本人ですな。
いやまったく、これでは宗教がらみの国際紛争などは理解すべくもないわな。
でも、彼も、春・秋の彼岸や盆には墓参りしますよ。彼の家には仏壇があって毎月檀家寺の住職さんがお経を上げに来ることをわたし知っとる。彼は、その都度大枚な布施を神妙な顔で差し出す。宗教心がカラッポってわけじゃない。
「キリスト教はキリストさん、仏教はおシャカさん、同じようなもんや」と彼は言う。
キリストさん、や、おシャカさんが、昔実際に居たことは知っているし、信じている。
が、しかし、いわゆる空バクバクたる“神”が天に居て、人間どもを常に差配しているって構図には納得できんわけだ。

で、わたしだが、
わたしも似たり寄ったりで、“神”ってのが、天に居て、人間どもを差配しているって構図には納得できん。
が、しかし、わたしの場合は、
★ <“神”ってのが、天に居て、人間どもを差配しているって構図>を本気で信じている人等が現に居るってことは信じて疑わない。
★ 人の力ではどうしようも無いことがあって、その状況があたかも誰かの意思の下にあるかのごとく動くってことを、これは現実問題として知っている。
★ その状況変化が、自分に不利な方向で動くとき、最後に泣きつく先というか、当り散らす相手は、結局のところ“神”ってことになるかも、と、思う。いわば急場しのぎの“即席神”ってことかな。苦しいときの神頼りだ。頼ったからってどうなるものでもないことを知っていながら頼るじゃないですか。経験ないですか?
★ なら、その困った状況に出くわさぬ前に、“神”らしきものに、お愛想し、ベンチャラしておくのも手ではないかと思う。まぁいわば保険みたいな感じかな。
★ 色々考えて、結局、わたしは、“神”ってのが、天に居るってことを信じても構わんと思い始めている。その方が気楽なような気がする。
★ が、今一歩本気で信じこむことがデケン。
★ “無”ってのが“在る”ってのは、矛盾も矛盾であるけれど、いわゆる“無”としか言いようのないナニかを感得できたらなぁ~と思う。だが、マンズ無理だろう。
★ で、わたしは、“マンズ無理”だという、まさにそのことをもって、“神”とか“無”とかの代用に据えている。これはホンキで。
★ このことを、口を酸っぱくして、彼に話したが、ゼンゼン通じなかった。話してダメだったが、かくは箇条書きすると多少はわかりやすくなるかと思って試しに書いてみたのである。
★ わたしは無神論者だろうか?それとも“神の存在”を信ずる者だろうか?ちなみに私自身は後者だと思っている。仏教徒だけれど…、明暗寺に入門したからなぁ~、


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白状します

<自費出版だが>

ごく稀に、自費出版本のことで、問い合わせをいただくことがある。
今までに、
「遊々波平釣り日誌」「波平波枕」「海の凪ぐ日」「岬波」の4冊を出している。
前3冊は、いわゆる自費出版。最後の「岬波」は、このブログのサイドバーにPDFファイルで公開の形を採っている。
「海の凪ぐ日」は余部があるが、「遊々波平釣り日誌」「波平波枕」は残余が無くなった。
「岬波」はブログ上に公開だから、PDFソフトをダウンロードしさえすればいつでもご自由に閲覧いただくことができる。
いっそのこと、すべてをPDFファイルに打ち換えてブログ公開する手もあるわけだが、「岬波」の経験では、スッゴク手間がかかってもうその気力がない。
再版の予定は無い。無い袖は振れない。ダァレも企画出版してやろうとは言ってくれない。

<メール拝受について>

毎日200通を超える迷惑メールに往生している。
この内の約1~2パーセントが、必要なメールだ。
必要メールを、迷惑メールと間違えて削除する危険が非常に大きい。この事故(?)が頻発している。申し訳ないことだ。
★ 送信者の欄に、“お名前”がはっきり書かれていないもの、
★ 件名欄に、“要約した用件”が書かれていないもの、
は、瞬間的に、削除してしまう。
なお、送信者欄の名前のことだが、
女性の名前は、H迷惑と勘違いして削除する危険が非常に高い。
で、件名欄に、
単なる挨拶、例えば「はじめまして」とか、「先日は失礼しました」とか、などアヤフヤなのは止めて、是非“要約した用件”を直裁に書き込んで欲しい。まことに失礼なお願いではあるがなにとぞよろしく<(_ _)>、

<ブログ・HPの意味について>
世間様に物言おう魂胆は無い。
ブログ冒頭サブタイトル欄に明記のとおり“内容に責任もてません”。
三つの意味がある。
★ ストレス解消
★ ボケ防止
★ 日記帳
〈ストレス解消〉
わたし、会話がとても下手だ。頭の回転が遅く、そこを急ぎまとめて声を出そうとすると舌がもつれる。若い頃からこの傾向が強く、尊大なヤツだなどと誤解を受けることが再々だった。酒が入ると舌は回転するがシラフは苦手だ。で、いつも言い足らない恨みがあり、ストレスが溜まる。このストレスゴミをここで吐き出す。
〈ボケ防止〉
いつも同じことをクドクドと繰り返し考えているような気がする。ぜんぜん進歩がないというか、ボケが進んだというか、の、不安が拭いきれない。書き出しておけば、後で想いの重なり具合がわかるかも。以前、人前で毎朝5分間ほど朝礼時に挨拶(話し)することがあり、この時、話の重なりを避ける手段として想いを記録しはじめたのが、HPやブログに手を染めたそもそもの素因(キッカケ)だった。
日々書き綴っていて思うのだが、書くからは多少考えたりするわけで、ボケ防止にはエエような気がする。
以前数日間記事更新しなかったことがある。…と、パソコンの打ち方(リンクや貼り付け要領)が判らなくなった。ボケ進行は止めきれないようでもある…、
〈日記帳〉
ごく私的なことを書き込むことが再々だ。日記帳のつもりがあるからだ。
昨年の列島周航時には、携帯電話を使って、時々刻々周航状況をブログアップしたが、後日これを参考に周航記を書き起こそうとの魂胆だった。だが、そうこうする間に時々刻々アップをおもしろがる方たちが、追っかけ閲覧なさったせいか閲覧件数がうなぎのぼりに増えて、母港帰港日には約2千件の閲覧があった。これ、後で知って、わたしキモをつぶした。今も、その余韻が残っているようで、日に2百件前後の閲覧がある。日記帳だとばかりは言い切れなくなってシンドイ。難儀だなぁ~と思っている。
アッハッハ(笑い)、最近は悪乗りして、ダレソレさんへの簡易連絡にも使ったりするけどね、

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2007年6月13日 (水)

セロ弾きのゴーシュ

尺八を吹いている。同じ吹くなら徹底的に吹いてやろうとムキになって吹いている…と、部屋を締め切った襖(フスマ)の向こう側から飼い犬の(シーズ犬)ダイ介がフスマをガリガリ引っかく。放っておくとフスマが破れる。しかたなしにフスマを開けると、部屋うちへ入ってきて譜面の上に寝そべる。
あぁ、明暗流の譜面は畳の上にベタッと置きます。その上にダイ介が寝そべる。
これでは譜面が読めんやないか!

で、きつい音でダイ介をビックリさせて追い出そうと、ピーポー、ピーポー吹くが、ダイは平気で譜面の上で寝そべっていて動かない。
わたし調子にのってピーポー、ピーポーと、とうとう「瀧落し」を吹いてしまった。
レレッ! 吹けたやないけぇ~!!
ダイ介の寝そべる隙間から譜面をうかがい見ながらではあったが、ほとんど暗譜に近い状態だった。ふわ~と、嬉しくなった。

突然、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」を思い出した。
尺八をホッポリ出して、パソコン検索したら、いきなり「セロ弾きのゴーシュ」が出た。
終いまで読んで涙が出そうになった。

「瀧落し」の曲だが、よく調べると、同じ節回しが幾度も出てくる単調な曲である。ほとんど同じ節回しの順送り。こんな簡単なのが覚えられなくてどうする。
が、わたしは、じゃじゃ馬ポン太に手を取られて、音出しに苦労バッカしていて、節回しを吹き切れていなかった。暗譜する気持ちなんかゼンゼン起きなかった。
火吹きに出会って、最近ようやく節回しが出来るようになったところだ。
思えば、
3月半ば頃から、「瀧落し」を吹いている。毎日欠かさず、日に最低でも5回は吹いてきたように思う。以来約3ケ月が過ぎている。
約100日×最低5回=500回
最低でも既に500回吹いたってこと。
「ツレーエエエ」バッカやった日や「ハウーウ」バッカの日もあったりしたように思うが、それでも日に何回かは通しで吹いている。ひょっとしたら既に千回近くになっているかも。

セロ弾きのゴーシュには、まだまだ敵わない。
吹く都度、ダメダ!ダメダ!と思いながら吹いている。
変な音だと思う。
が、ダイ介は平気で譜面の上に寝そべる。

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今日の予定

自分の視野の狭さを感じますなぁ~、完全に時代の流れから外れとる。

日本経済新聞社がドバイに支局を開設し、その記念シンボジュームをドバイで開いたそうで、今朝の日経朝刊にその特集記事が出ている。
ドバイなんぞへ行ってみたいとも思わないが、この記念シンボジュームはスッゴク興味がある。で、全部読んで
→ついでにドバイの近況についてインターネト・サーフィンして
→ペルシャ湾は別の意味で興味津々のところだから、地図広げて眺めなおして
→塩野七生の「本」のあれこれを思い出しながらグルグル回りして
→今やっと正気にもどったところ、

昨日はモーさんらに手ひどくやっつけられた。
もうあの3人とは遊んでやらないつもり。にくさも憎しジャン敵!あぁ~シャクだ!
で、
今日は神妙におとなしく過ごそうと思う、
まず、朝飯食ってから
→ 藤田まことの「はぐれ刑事・純情派」観て、
→「午後のサスペンス」観て、
→ その間に別番組の「女医○○の事件カルテ」を録画しておいて、それを観て、
→「警視庁捜査1課9係」観て、
→ 合間合間を尺八稽古と飼い犬との散歩でつないで、
→ 母の入院先病院へ半月ごとの支払いに行く、
と、まぁこのようなスケジュールかな、

これでは時代遅れになってもしかたがないか、


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2007年6月12日 (火)

♪ズンジャカ♪

竹友(わたしが勝手にそう思っている、ゴメンネ)の単管〇どんの今朝のブログに、「利休百首」のことがあった。
なんじゃそれ??
茶人の心得を百の歌にまとめたものらしい。
その第一番目に、単管〇どんブログの副題に採られた歌がある。
“その道に入らんと思ふ心こそ我身ながらの師匠なりけれ”

“その道に入りたい”と思うのは、スッゴク簡単ですよね。
アレをやりたい、コレもやりたいと思う。が、すぐにあきらめる。すぐにコリャダメダ難しすぎる、と、思う。で、止めてしまう。
“その道に入らんと思ふ心はあるけれど無能なわれは度し難し”

“初心忘るべからず”ですか?
だが…アレ・コレの初心を全部忘れずにいたら金も時間も足らん。やっとれん!
で、初心を適当に間引かなアカン。
わたし、“…無能なわれは度し難し”と、初心を間引きに間引いて、
“何か死ぬ気になって修行することないかいな”と、探す間に、ズルズル年食ってズズイになっちゃった!アッハッハ(大笑い)。

♪ズンジャカ♪ズンジャカ♪ズンジャカ♪
モーさんからの携帯電話、
「船長!今、沖でっか?」
「イイヤ、家に居る」
「若い衆らが遊んでくれ言うてまっせ!」
「アカン、マジメに仕事セナあかん。朝っぱらから怠け遊ぶことバッカ考えたらアカン」
「アッハッハ、ほんと困ったもんや、昼からの段取りしまっせ!、デケタラまた連絡します、ガチャン」
携帯電話だ“ガチャン”の音はしませんわ、
嫌がるわたしを闇雲に拉致する気らしい。
こういう環境のなかにあっては、なかなか“何か死ぬ気で修行すること探す”なんて至難の業でっせ。

すぐに又携帯が掛かってきて、トーン(ピッチ)が上がった声で、
「デケタ、3時から始めまっせ、ガチャン!」

あぁ~大変だ!
すぐに尺八稽古せなアカン、時間がもったいない!!


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2007年6月11日 (月)

岡山のマル顔さん?

朝から沖へ釣りに出ていました。
伊保30番のマイポイント。
カレイ・キス・ガシラ・アナゴ・ハネの五目釣り。けっこう釣れましたよ。なにせウデがエエからなぁ~、

ところで、
昨日(6月10日・日曜日)、播磨マリーナへ、岡山の方がお越しになったようだ。
「波平さんをお訪ねでしたよ」
と、マリーナの従業員さんらが言うのだけれど、どなたが、どのような用件だったのか、サッパリわからん。
「お名前は聞いといてくれたか?」
「エッ!波平さんわかりませんの?お知り合いとちゃいますの?」
「わからんなぁ~、どんな感じの方だった?」
「まるこい顔の人やった。ご夫婦で来られとったです」

と、いうわけで、
岡山のまる顔の人で、ヒョッとしてワイのことかも、と、心当たりの方、居られませんか?
わたし、ウマズラや、三角四角は知っとるが、マル顔はわからん。
あぁ、ご主人の方がマル顔だそうな。おくさんの形状はわたし聞きそびれた。
どなたでしょうね?ホント失礼しました。

お名前くらいチャントお聞きしとかなアカンやないか!!
って、小声でつぶやいたのだけれど、従業員氏らにはキット聞こえていないと思う。
わたしって、気が小さいからなぁ~。

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2007年6月10日 (日)

最近、“昨年の今日は○○に居たのだったなぁ~”と、思い出すこと再々だ。
昨年の今日は、北海道・宗谷岬手前の富磯漁港に居た。
ここでの日和待ち6日目。艇内自炊。奥歯の(虫歯治療の)詰め物が欠け落ちたのがこの日。以来、物がしっかり食えなくなって往生した。シケがなかなか納まらず難儀だった。
意気萎えて岬根に泣くはまちどり
水無月7日富磯の客  波平
と、こんな歌をメモッている。艇内から港裏山の風力発電風車をひがな眺めていた。

一昨年の6月10日は五島列島の最北端・宇久島に居た。

あれこれのことを思い出す。
そして、しばしボンヤリ時を過ごすこの頃だ。

良い「旅」をしたと思う。
…が、最近、この思いが揺らいだ…
あれは“旅”だったのだろうか?

どこかへ出かけて、そして自宅へ帰ってくる、これって旅と言うのだろうか?
旅ってのは、本来、“行きっ放し”のものではあるまいか?
ひたすらアッチの方へ歩む。止まらない。戻ろうという気持ちはさらさら無い。行き着く先を知らない。これを旅とはいうのではあるまいか?

大仰なことを言ってゴメンネ。
尺八稽古のせいだ、

今更、一生懸命尺八の稽古してみたって、ナニがドウナルわけでもない。
怠惰な老後生活を戒める意味から、“あぁそうだ!尺八の稽古をやり直してみよう”と、ある種ナニゲに始めただけの遊びである。
が、毎日、ピーポーやっていると、何かが変化するわけである。
今日の気持ちはもう昨日のものではないって感じがある。
昨日のピーポーの音色と今朝のピーポーのそれは、決定的に違うような気がする。
きっと、明日のピーポーも今日のそれとは別だと思うし、このことは稽古を続けるかぎりデッタイに間違いないって確信がある。

旅せにゃならん!…と、思う。

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2007年6月 9日 (土)

ピーポー

尺八の話です。

あいも変わらずピーポーピーポーやっているのだが、
おかげで、暇を持て余すとか、無気力に落ち込むとか、いわゆる隠居的生活症候群とは無縁ですわ。
けっこう切羽詰った気持ちで一生懸命ピーポーやるからだよな。

長年の経験からして、何事でも常に努力していれば、少しずつ上達する、
…ってことは無い、と、わたし知っとる。

上達するときは努力無しでも、瞬時に上達する。
要は、ガムシャラかどうかってこと。

努力じゃない。努力ってのは怠けたいのを叱咤激励して励むってこと。
稽古せずには居られないような気持ちがあってガムシャラにピーポーやるのだ。
稽古をしている方が楽なわけだ。これは努力って言わないのではないか。
今のわたしがこの状態。

さしあたりの目標は、“火吹き”を吹きこなすこと。
で、一生懸命ピーポーやっとるが…、
このところ、何かが変化してきたように思う。ケッタイナ感じがある。
ひょっとしたら、ここらが勝負かも。
近々、一段落したら音源アップしてみようと思う。

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懐かしく哀しい

雷声の中に寝て雷声を聴いて起きた。未だ雨は降り続いている。空は薄暗い。
が、どうやら雷は遠ざかったみたい。
Kumonukegara
蜘蛛の子らの様子が気になって急ぎ庭へ出てみたが、ホレもう抜け殻だけでダァ~レも居ない。

Kumonomo_003
ユリの花だ。昨日はまだ1輪だけだったが、ホレ今朝はこのとおり。

蜘蛛の子らは巣立った。ユリも咲いた。
そして、わたしも起き出した。
今日は、尺八師匠宅で稽古の日。

コメント欄で八尾煎餅どんがグヅグヅ文句言っている。どうしたのだろう?
氏は、確か福祉関係の仕事をしていると以前おっしゃっていたように思う。
ひょっとして、体調を崩されたかな?風邪にでもかかったかな?

一般企業では、諸経費節約や人減らしなどの合理化は、生き残りの必須条件ですよね。
だが、福祉現場。コレは厄介だ。
商品が介護サービスだもの。合理化のツケは→介護サービス低下。
コムスンは当初から必要な従業員を雇ってなかったのですって?

わたし、以前福祉現場に勤めたことがあります。
で、現場の空気が少しわかる。
職場全体を明るく、職員のやる気を保つ、これが超難儀だった。毎朝欠かさず5分間ほど全職員を集めて話をした。同じ話は無い。全記録を残している。
入所者の様子もメモッっていた。コレは一部公開した。
これがソレだ。RANDOM誌に掲載のもの。
今朝読み直して、わたし反省反省だ。懐かしくもあり哀しくもある。足らなかった自分を思う。
当時入所されていた方々はもうほとんどが他界されている。
が、まだ居られる方もある。半年ほど前訪ねて互いに肩を抱き合ったりした。

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2007年6月 8日 (金)

団塊たち

「『蜘蛛の子を散らす』ってのをやってみるけど出てこない?」
って、かみさんが庭から誘った。
蜘蛛の子らがダンゴに固まっているのをコツイてみようってわけだ。
「オイオイそんなことしたら、庭中蜘蛛の巣だらけにならへんか?」とわたし。
でも、おもしろそう、やってみた。

Dscf0003_2
ダンゴ状に集まっている蜘蛛の子供たち、

Dscf0005_1
棒の先でコツイたらパッと散って、この状態、慌てた数匹は糸を引いて下界へ逃げた、

蜘蛛は1匹2~3ミリの大きさですよ。これらがそれぞれ意思を持って動いている。
探すと庭のあちこちに同様のかたまり集団があった。
コツイたか?
なんだか可哀想でそのままにしてある。

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まことに申し訳ないが

あの時、あのようなことであったのは、そういうわけであったかと、反省し納得もするが、すでに事は終わっており、今更彼の気配りに感謝すべくもない。
生来の鈍感さは、ますます鈍感度を上げ、どうしてよいかわからんまま、日々が過ぎてゆく。わたし、あちこちへ如何ほど不義理を重ねてきたのだろう…、そして今も…、

昨日は、母入院中の病院のPT(理学療法士)から、母のリハビリ計画について説明を受けた。
急性肺炎で入院し、そのまま完全な寝たきり状態になった母。
意識朦朧の中、耳元で呼びかけると薄目を開けて宙を見る程度の生き方。
時に目の焦点が合うことがあり、わたしを観て少し表情が出たりはするが、

身体には幾本も管が取り付けてある。
鼻の穴には酸素吸入用の管と栄養液を直接胃へ流し込むための2本の管が、
喉にも穴が開けられていて、常はフタがしてあるが、ときどきフタを開けここから管を気管へ通し、タン吸引除去をする。

このような状況下の母にリハビリを施すと聞いてわたしはビックリした。

急性肺炎でもう助からないと思われた母だった。高度医療・延命医療は辞退していた。葬儀の心準備をした。春の彼岸法会に来宅した檀家寺の小坊主さんに、「近々母がお世話になります」と伝えていた。
その母のリハビリだ。完全なる寝たきりのリハビリ。

わたしは、今更リハビリなどで母に苦痛を与えたくない。断ろうと思った。
PT(理学療法士)は言った。
「関節などはこわばっていますが、まだすこし動きます。四肢関節可動域拡大を目指しましょう。せめてゼリーだけでも自分の口から摂れる(食べれる)ようにがんばりましょう」
わたしは、真剣な目で語りかける若い女性PTの話を聞いていて、涙が出そうになった。
「母は、末っ子でした。そのせいか依頼心が強く、すっごくアマエタです。貴女に構ってもらえたらもう少し生きるかも…」
「食べることに人一倍執着心が強いです。自分で食べましょうと呼びかけてもらえたら、これは大きな目標になるかも…」

母はすでに生きる気力を失っているように思われる。
が、しかし、もう少し生きるかもしれない。
高度延命医療を施すなどして世間様にご迷惑をかけることになるのは絶対避けたい。
が、しかし、もう少しの間、ご迷惑をねだりたい。申し訳ないが許されたい。

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2007年6月 7日 (木)

支離滅裂

「お前のその言い方が気に食わん!」
「すまん、言い方が悪かった、実は、シカジカ・カクカクや」
「それなら、判らんでもない、許してやろう」

面と向かい合って話していても、こういうことがよく生じる。
ましてや、ブログ文字だけを読んで、書き手と読み手の間に、隙間が生じるのはアッタリ前田のクラカー。

言葉ってのは、話せば話すほど、書けば書くほど、誤解を積み上げる結果になったりする。もうどうしようもないですな。
意味を伝える手段の「言葉」にしてこれだから、
単なる音の羅列にすぎない尺八(音楽)ピーポーが、演奏側と聴く側とで、思いがバラバラってのは当然だよな。
ましてや下手なのだもの。
演奏の稽古を積めば積むほどに、誤解が深まったり、散らかったりで、そもそもその曲に意味を求めたり感情を重ねたりは止めた方が良いかもな。少なくとも古典本曲の場合は、

ペリーどんヨォー!
例の内田先生の6月6日のブログ(「国語教育について」)読んだかい?
貴兄と似たようなことを言ってますな。
思えば、
わたしが、ブログに駄文を打ち込む際も、往々にして言葉が先ですわ、
ひとこと何でもよろしいから、なんら特別な考えも無く打ち込みます、…と、ズルズル言葉が勝手に連なり出て、それが2ページ分ほどの量になったら、そこで打ち止めにしてアップする。書かれたことは、わたしの想いと似ているようでもあり、まったく関係なかったりもする。でも、ひっくるめて、わたしが打ち込んだ文章であることには相違ない。
まさに、この文章がそうですよ。わたしに責任かぶせないでね。腹筋ダラリの脱力文なんだから。わたしの意志はちょっと横に置いて欲しい。ダラリが勝手に打った文だからね。

少なくとも、この調子で尺八を吹こうとするのだけれど、なんでやろ?
尺八持つと、ダラリがコワバルのだよなぁ~。

それにしても、
こんな支離滅裂を、ここ、最後まで読んだ人ってあるのかな?


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予約あり

色々な意味で自分のことを極めて奥手なオッサンだと思っている。
わたしには“何をしても下手でウスノロだ”という劣等感がぬぐい難くある。
が、
いつの頃からか「バカは死ななきゃ治らない」って本当みたいだ、と、思うようになった。
で、最近では、自分をそのままさらけ出して平気だ。隠したって始まらないとあきらめた。
このブログは、2年前の4月から始めて、アップ記事1303件。すべてスッポンポンのさらけだしだ。

最近明暗尺八に凝っていて、“腹筋ダラリの脱力吹き”をマスターしようとしているが、実は、この構えはスッポンポンの“なんら構えるところが無い”という意味では、既に自家薬籠中(じかやくろうちゅう・自分の得意とするところの意)のものだ。

が、よ~く考えれば、“なんら構えるところが無い”というこの構えも構えの一種であるわけで、これこそが本当は最も難しいわけだ。
あれこれやってもどうにもならんから、いっそのこと全部投げ出して、アキラメ・アキラメの“ケッタクソ構え”は、本物とは言わんわな。
修練を重ねに重ねて極め尽くしたところが、なぁ~んだこれだっかた!というレベルこそが好ましいわけだ。

論語に、“四十にして惑わず”って言葉がありますね。
で、70ではどうかというに、
“七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず”とある。
70歳になったら、もう好き勝手しても大丈夫だよってことみたい。そういうことでなけりゃアカンよってことみたい。わたし、あと3年で70になる。
あと3年もある。3年あれば、“腹筋ダラリの脱力吹き”マスターデケルやろか?

不思議ですなぁ~、
意識して“腹筋ダラリの脱力吹き”を試みるほどに、腹筋がビビッテうまくいかんように思えるわけですよ。
ヤッパ、わたし、“何をしても下手でウスノロ”みたい。難儀でっせ!

これから虫歯治療に歯科医院へ行きます。9時半の予約だ。
大口開けて、
“さぁ~焼くなと煮るなと勝手にしてくれ!”って天井仰ぐと、
覆面(マスク)が被さるように口を覗き込んであれこれ痛い悪さをする。
マスクが邪魔になって、どんな顔のオッサンか、付き合いは長いけれど、まるで正体がわからん。

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2007年6月 6日 (水)

ケーキ

かみさんは所用があって朝から京都へ出かけている。
わたし、自宅でおとなしくしている。
今日は6月6日。

実は、明日、6月7日は恥ずかしながら37年前の結婚記念日である。
今日はその記念日イブ。
わたし、この結婚記念日前後を自宅で迎えるのは5年振りだ。いつもどこか遠くの海へ出かけていた。

どうやら、今年は、かみさんはこの日が近づいたことを忘れているみたい。

彼女何時頃に帰宅するのかサッパリわからん。
わたし、これから、近所の洋菓子屋へ行って、ショートケーキを買ってきてやろうと思う。

ショートケーキを買うのは久しぶりだ。
いつも3つ買う。
かみさんの分、と、ダイとショウ(飼い犬二人?)の分。
わたしはショートケーキなんぞ食わん。正統派辛党です。

追記・
千円持って買いに行った。上等のを買ったがお金が足りなくて二つしか買えなかった。
「二つしかない、ケチだっ」て、文句タラタラだった。

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曲趣to旅

今日のペリーどんのコメント(「曲趣理解ではなくて曲趣付与」)は目からウロコですね。
実にそのとおり!
まさにしかり!
曲趣解釈のこと、瀧をイメージしたければ瀧でよい、モンゴル草原をイメージしたければそれでもよろしい、荒れる海、果てしない大海原、なんだってよろしい。
単に音の変化を、色合いを、息を、楽しむことで満足ならそれでもよろしい。このレベルなら今のわたしでも可能。

「瀧落し」中の節回し「ハハロロツツーレ ハハロロツツーレ」だが、
「虚空」にも似たのがあって、このふたつ、同じようで同じでない。
この節回しを上向きと捉えて、「瀧落し」中のはシブキの舞い上がりとイメージ。
「虚空」中のは輪廻転生って感じかな。
輪廻転生は難しいが、瀧のシブキの舞い上がりなら思い描けるかも。今日はそう思って「瀧落し」を吹いてみよう。

ひょっと思い出したぞ、
日本最大のエッセイスト内田百閒が書いたもののなかに、
「音楽に題名は不要だ、どうしても名を付けたければ番号でも振っておけばよろしかろう」
といったようなくだりがあった。どこに出ていたのだったか忘れたが、
彼は生田流の箏の正統派名手でもあった。音楽の造詣も半端じゃなかった。宮城道夫の作曲にも彼の影響はあると思う。二人は親友だった。「六段」を雲井調子で弾くのが好きだったみたい。「六段」って何をイメージしますかねぇ。


また日経新聞からですけど、

わたし、この1紙しか購読していないもので、
昨日の、“定年後の遊び方教えます”のコラム欄に、今日は、“北海道へ豪華寝台ツアー”が載っている。
 JR東日本の企画です。豪華寝台特急「夢空間・北斗星」、5泊6日の旅。一人あたり25万円~50万円だとか。
なんと、格安な旅だこと、
参加する人等の巨大サイフからすればってことですよ。わたしのサイフじゃないよ。

で、突然思い出した、
 北朝鮮の将軍様がいつだったかロシア・クレムリンを訪問する際、終始特別仕立ての列車に乗ったってことがありましたね。
 昔、満州がまだ日本だったころ、大蔵省の役人が満州へ視察の際、黒竜江だったかの橋の半ばで、特別編成列車を停車させ、列車上から独りゆうゆうと釣り糸たらして魚釣りを楽しんだってことがあったらしい。
 列車じゃないけど、艇友のアキどんが、今年夏、オートバイで北海道を一人旅するつもりらしい。「波平さんが立ち寄った港をオートバイで訪ねてみる」とのこと。
わたし、彼のオートバイの尻座席に乗せてもらおうかな。運転交代も可能だよ。わたし自動二輪の免許も持っているし運転する自信もある。
ナヌッ!1500CCのバイクだって!
玉下駄!!

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2007年6月 5日 (火)

第1穴打ち

前稿の続きです。

「ツレーエエエ…」をやっています。今日は、こればっかやっとる、
なにとはなしに少しコツらしきものが見える、

アッそうだ!
「三谷曲」も出だしが第1穴打ちだった!
「ツール。」です。「ツ」はカリで吹く。

わかりかけてきた第1穴打ちの要領で、「三谷曲」の出だしの「ル」を打ちます。
…と、どうも感じが狂います。

わかりかけてきた第1穴の打ち方は、
打つ瞬間にメルことです。
と、「音」が濁らず、かつ、メルという動作がひとつの拠り所になって、穴の位置の打ち間違いが避けやすくなるってことだった。

が、この瞬間メリは、瞬間の律の低下につながる。
「三谷曲」で、出だしに「ツー」とカリで出て、続く「ル。」でメッって打つとのと、メらずに第1穴を打つのとでは、だいぶ曲想に違いが生じる。わたしは曲想からするとメらずに第1穴を打ちたい。
「ツー」の後、一息ついて「レー」と出るのだが、「ル」の後に音を上げたいという気分は「ル」の出だしからのものでありたい。と、思う。その頭をメルのはいががなものか。

が、しかし、
わたしにとって、第1穴打ちは、先刻からボヤクように、極めて難儀なことであるわけだ。せっかく見つけかけた瞬時メリの手法を有効に使いたい。これなら、第1穴をなんとか完全に制覇出来そうにも思えるわけだ。

と、いうわけで、
「ツレーエエエ…」と、「ツール。」とを、幾度も試し吹いてみるが、だんだん迷路に入ってきたぞ!
だが、オモロイ!
あぁ~、
こういう話って、尺八吹きでなければワカランでしょうね。
なに?
尺八吹きでもワカランですか??
アッハッハ(笑い)そりゃ修行が足りんからだ!
ネッ、ペリーどん、違ったかな?

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「ツレーエエエ…」

数日前だったと思うが、わたしの左手の中指・薬指・小指の3本は、極めて不器用な造りになっていて、個別には動かない。
この3本は、いつでも一塊になって、一緒にしか動けないのですわって、ボヤイたことがある。
加えて中指は、爪の半分から先を電動のこぎり触っていたとき自分で切り取ってしまった。で、感覚が変になっていて、いつもシビレている。
あんなこんなで、尺八を持ち構える際の左右の手は、通常と逆で、右手が上、左手が下。

問題は、第1穴の処遇ですわ。
第1穴は、3本ひとかたまりの中の薬指で開け閉めするわけですが、これがなかなかピタリと穴にはまりにくいわけです。
「ツレーエエエ…」
これ、「瀧落し」の出だしですが、
「ツレー」はデケル。が、次の「エエエ…」の際に薬指が第1穴の穴のある位置を間違える。穴はこのアタリかなと塞ぐが、上半分しか塞げていなかったりする。こりゃイカンと次の「エ」を打つ際、少し下気味に押さえると穴の下側は塞げたが上に隙間が残ったりする。
で、「瀧落し」を吹く際は、常に頭にこのことがあって、大丈夫フサゲルやろか?と、不安で不安で難儀でっせ。
よしんば上手にピシャリとフサギ打てても、力加減が、これがまた思うようにならん。指が動かん、で、尺八がぐらつく→と、エエエの音が濁ってしまう。

今日の稽古は、この「瀧落し」冒頭出だしの不安克服に挑戦。
「ツレーエエエ…」ばっか、繰り返し、繰り返しやっとった。
で、ますます、不安が膨らんだ。
あぁ、やんぬるかな! (-_-;)

ちょっと一休み。
番茶でも飲んで、また「ツレーエエエ…」やってみよう。

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何して遊ぼうかなぁ~

“退職後の「遊び方」教えます”って会社ができたみたい。
団塊の世代が標的か?
今朝の日経新聞朝刊15面に出とる。場所は富士山北ろくのなか。4泊5日の講義だって。オモロそう!受講したいですねぇ~、ヒマだけは充分にある、
…が、ヌヌッ!受講料10万5千円!!
食事・朝夕付き・大部屋宿泊。追加料金払えば個室があてがわれるとある。

随分昔の話になるが、
テレビで「ザ・ガードマン」というドラマがあって観るのが楽しみだった。きっと、この商売は流行るだろうと思った。
藤田まこと主演の「必殺仕掛け人」もおもしろい。これも現実化バッチリだと思った。
…と、今回の“退職後の「遊び方」教えます”にもその匂いがある。教える科目ごとに専門会社が出来そう。
今回のは、
① 魚釣り②畑仕事③木やガラスなどの工芸④ゴルフ、の、4教科だって。

わたし、
②③はパスする。キライだもの。④も性に合わん。①は教わるまでもない。
もっと他のおもしろそうな教科が出来るまで待ちましょう。

…と、以上は、前置きです。

稼ぎ仕事をするだけして、ほいで退職して、さぁ~これからナニして遊びましょうか?
多くの方々(団塊)が、ホントにこのように思っとるの?
ウソですよね、
人生って何ですか?
歳食って残り命が短くなっているのに、安穏と遊び暮らしたいだなんて、どういう根性しとるの?

それって、お前・波平のことやないか!ってですか?
少し、イヤ、大いに違いますよ。
波平どんは安穏と遊び暮らしたいだなんてゼンゼン思っていません!
実は内心とても慌てています。歳食ってボケが近くなってきたのに、わたし、未だに自分のことすらサッパリわかっておらん。どうしたものかなぁ~、どうしたものかなぁ~、って、毎日毎日不安を抱えて生きていますですわ。
せめて、自分の「音」だけでも得たいですわ。尺八ですけどね。

オーベイか!
って、チャカス言葉がありますね。
オーベイ(欧米)に限らず、インドでも中東諸国でも何らかの宗教が人々の心に根付いていて、それなりに心の糧を得ることが出来ている。
が、わが国にはそれがあるようで実はなぁ~んも無い。
日本の仏教界は怠けている。ボウズ(坊主)どもは腐りかけている。日本の宗教界、特に仏教界の堕落は嘆かわしいですよね。有名寺院は参観料頼りの見世物小屋に成り下がってしまっている。境内は有料駐車場だ。街の寺院は葬式屋の相棒でしょう。
もっと広く世間に座禅修行を広める工夫をしたり、街に仏典講釈や研究の輪を広げる工夫がほしい。このような場があれば、団塊らは、傷んだ心を癒すべく、こぞって参加するのではないでしょうか、と、わしゃ思うがなぁ~。
あぁ腹立たしい。団塊世代らをバカにするのもテェ~ゲ~にせなアカンドォ~。
なにが、“退職後の「遊び方」教えます”ですか!
この考え方って、とんでもない誤解・錯覚ですぞ!団塊君らに失礼だ!

わたし、内田樹先生のブログを再々引用しますけれど、
先生はある種の禅坊主ですね。売僧じゃない。真正な禅坊主。先生は現象学の大家だ。レヴィナスの研究家。根っこが大地にしっかり食い込んでいる。この先生も団塊世代。合気道の達人。
団塊をナメルと先生にぶっ飛ばされますぞ。

さぁ~て、わたし、今日は何して遊ぼうかなぁ~、
とりあえず、尺八稽古しましょうかねぇ、
吹禅って言います。
腹筋を緩めて、姿勢を正して正座し、尺八を両手で押し頂いて後、静かに息を吹き込みます。音が出るか、出ないかの以前に、自分が正しい位置に居るかどうかを確かめる。わたし、こうして尺八の稽古に入る。これって、遊びですか?

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2007年6月 4日 (月)

玄人スリッパ

アッハッハ(笑い)、わたし、無事海から帰って参りました。
播磨灘・伊保沖2マイル弱の「伊保30番」という魚釣りポイントで、ガシラやカレイやキスを釣って帰った。
30数センチのカレイ3枚。小ぶりなカレイ1枚。20センチ前後のガシラ約30尾。キス2。手々噛みとテンコチはリリースです。今日はアイナメが釣れなかった。

潮止まりとその前後の時間帯はぜんぜん釣れません。
今日はそれが9時半~12時半。
この時間帯は概ねボートの上でボヤ~としておる。
先日は尺八持っていって艇の上でプープーやったが、時間潰しに吹いているのだっていう気持ちが邪魔して稽古が稽古にならん。止めた方がよろしいと思った。で、それ以後は魚釣りに尺八は持参しない。

今日は、針結びなどをして時間をつぶした。
わたしは自分が使う釣り針は土肥富(釣り針メーカー)に特注しています。
東京袖(針の形の名)11号・12号に、わたし好みの(特注の)赤色をかけてもらっている。各サイズ3千本を一括発注し、一度使い切って、再度発注し、今はそれを小出しに使っている。釣り針を特注するなんぞは大仰過ぎるように思うかも知れんが、実はこの方がすっと安上がりです。釣具屋で買う十分の1ほどの値段だよ。3千本のまとめ買いだけどね。

自宅へ帰ると、クーラーボックスをかみさんに渡す。
それから先は、すべてかみさんが差配する。
煮て食おうが、焼いて食おうが、はたまた捨ててしまったり(それは無いわな)、ご近所へ配達したり、冷凍したりなどなど、
わたしは、シャワー浴びて→ビール呑んで→焼酎呑んで→アッそうだブログに無事自宅へ帰り着いたって書いておこうと思って→それが今ですよ。
酔っ払ってて、ゴメンネ!

もうそろそろかみさん手造りの、“カレイの刺身”がデケルころだよ。
かみさんのサシミ造りの腕はなかかのものでっせ!
玄人ハダシまでは無理でも、玄人スリッパくらいはやりよるよ!!


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帰れるか?

漠々たる不安があって、これが悪夢を誘ったようだ。
夢だったってことは、今は、理解できている。でも、いつか、そう遠くない日に、この認識にも狂いが生じるような気がする…。

わたし、急いで出かけようとしている。時間が迫っている。
250ccのスクーター(ホンダ・ストリート)に乗って行くつもり。が、それが無い。どこに置き忘れたか思い出せない。
で、車で行こうとするが、その車も無い。自宅車庫がいつの間にか物置になっている。
「アレッ!車が無い、どこへ置き忘れてきたのだろう?」

母に問うと、あれこれのことを言いつのてわたしを責める。だからお前はダメなのだと言ったような話。
車は2台持っている。で、もう1台の方で出かけようとするが、それも無い。
どこかへ出かけた際、車で来たことを忘れ、電車かバスで帰宅してしまったのだ。それがどこだったかサッパリ思い出せない。

以下は現実の話、

250ccのスクーターは、十年ほど前に処分したが、“あれが在れば便利だのに”と、未だに思う。

母は、現在、わが家から歩いて30~40分の病院に入院中だ。
車で見舞ったり、私自身の運動もかねて歩いて見舞ったりしている。
先日は車で出かけ、ついうっかり徒歩で来たと勘違いし、途中まで歩いて帰り、突然車を思い出して引き返した。
これも先日のこと、大きな駐車場に車を停めたのはよいが、その場所を忘れてしまって駐車場内を探し回った。車番を覚えていない。同じ型の車があると窓から中を覗き込み自分の車かどうかを調べる。とうとう見つからなくて脂汗が出た。事務所へ「盗難かも…」と申し出た。ビル地下の駐車場、地下3階までの違う階を探していたのだった。一緒に探してくれた事務所の女の子が“ボケ老人をいたわる目で”わたしを見たのが、スッゴク・ショックだった。

夜が明けてきた。
魚釣りに出ようと思う。自宅へ帰ってこれるだろうか?

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2007年6月 3日 (日)

贅沢な若造 その3 “緊迫の日々”

…と、言うようなわけで、自分より二回り(干支)も年代が離れると、もう何を会話して良いかわからなくなってしまうが、これって、いわゆる隠居症候群のひとつでしょうかね。
だって、以前、世間様と付き合って月給を得ていた頃は、そんな勝手なことは言ってられなかった。なんぞかんぞ探り探りでもどの年代とも付き合っていたように思う。が、隠居になって、いつのまにか、自分勝手な世界に閉じこもってしまったみたい。

わたしのような者が、仮に何らかの組織のトップになったりしたら、きっと組織はゴチャゴチャになるでしょうね。二回り(干支)年代が離れると、もう会話が通じないなんて言っていて、組織がついてくるわけがない。

また尺八の話ですけど、
以前、つい先頃まで、三弦師匠のキヨちゃんとの合奏稽古を続けていた頃は、何度かその曲を合奏している間に、以前若かった頃夢中になって稽古していた時の感興というか、その頃得ていた曲の趣を思い出し、その曲趣に身をゆだねて吹くのが心地よかった。
が、三曲を離れ、明暗・本曲1本に絞って稽古を始めたこの頃では、
幾度吹いても、自分なりの曲趣理解が進まない。生まれてこない。「瀧落し」などは、もう数百回は吹いているが、ぜんぜん理解が進まない。せいぜい好ましげな音が出てきて、アァ~音が出るようになった、と、思う程度で止まってしまって、その先がわからない。
これもまた、いわゆる隠居症候群ではないだろうか?

まず、頑なに住む世界を縮めつつある自分があって、自覚は無いが、潜在的な想いに、“明暗はこれだ”というような何かに自縛されていて、その中で稽古するからではないだろうか?
自縛を解けば良いものを…、解こうにもそのヒモの結び目がわからん。
要するに、
柔軟性が決定的に欠けている。新たなものを受け入れることが非常に困難になっている。

同年代の友人Uは、天理大学へ編入学し、二十歳半ばの若者らと机を並べて学生生活を楽しんでいる。今年は4年生になる。このまま更に研究を続けるつもりらしい。先頃、通学時間がもったいないからと、天理市内に下宿するようになった。下宿屋が、てっきり彼の息子か娘か孫かが下宿するものと思い込んでいて、彼が入ってビックリしたらしい。「俺もビックリした」と彼は笑う。もうすっかり若者らの中にとけ込んでいる。
実は彼も尺八を吹く。最近同級生らに尺八を教え始めたようだ。わたしには、彼の真似は、どう転んでも出来ようとは思えない。

思い返せば、わたしにも、“贅沢な若造”であった頃がある。
少ないながらも欲しいほどの小遣いがあり、それなりに生意気な若造であったと思う。あの頃はいろいろな意味で柔軟だった。
明暗尺八をテコに、今一度わが心に柔軟性を喚起したい、取り戻したい、と、思う。
「火吹き」の素直さがたまらない。これに息をゆだねる。この一事のために稽古しよう。明暗本曲は今のわたしには難しすぎるようだ。曲趣理解などはおこがましい。脱落吹きだけを思い、また今日も「火吹き」を吹こうと思う。
あぁ、緊迫の日々!


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2007年6月 2日 (土)

音の話

 ペリーどんの倍音講釈、理解が届かない部分もありますが、概ね合点できます。
 沖縄音階が6じゃなく5だってことは、音楽やっている人なら大概知っていますよね。
 微分音は、旋律が上下する際の律の弾みと言うか揺れを言おうとしたのかな?
 倍音とハーモニーは違うでしょうよ。倍音はハーモニーにまでは至らない音と音との関係でしょう。違ったかな?
 貫徹音は純音に近いだろうとは納得です。ところで山口五郎師の音は音色豊かですねぇ、わたし、すばらしい音だと思います。思いますが、真似をしようとは思わない。わたしの吹きたい音は師の音じゃない。貫徹音が吹きたい。もっとも、五郎師の音は、真似したくてもこりゃ不可能ですわ。

 好きな音色のことを、女の子の舌足らずの言い回しに譬えるとは、言い得て妙ですね。これって大切なことですよね。そういう音ってわたし大好きですよ。

 美仙ですけど、
竹がやたら良く鳴るときがあって、調子に乗って吹いていると、こういうときに限って突然キーンとヒステリー倍音が出ます。これへの対応は、経験的に、息を弱め、腹筋をヘナヘナにして竹をなだめるしかない。このキーンがなかったら美仙は完璧なのですが美人はどこかにクセがあるからなぁ~、あつかいが難しい。
ポン太や火吹きに比べると、美仙は繊細です。竹久夢二の絵みたいな音を出しますよ。
わたし、これが、“ポン太”や“火吹き”を吹くようになって初めてわかった。今まで気付かなかったですわ。美仙に野太い音を求めるのは無理だってことがわかった。竹にはその竹だけの固有の音がありますね。それがやっと最近わかり始めました。ペリーどんの指南のおかげです。

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贅沢な若僧 その2

わたしは、ボートでの沖釣りが趣味なのだけれど、周りを見渡すと、昔、マリーナで出会っていた方々はいつの間にか居なくなって、出会う世代がすっかり代わってしまった。わたし、浦島太郎みたいな変な錯覚のなかに居る。
石田さんや、岡さんや、タイガーさんや、パラダイスさんらは、どこへ行ってしまったのだろう。

わたしが播磨マリーナ(昔は高砂マリーナといった)、に「はまちどり」艇を置くようになったのはおよそ今から25年も前のことである。
その当時、四六時中沖へ出ていた方々は、ほぼ全員姿を消してしまった。

バブルハジケ以前の話だ。バブルで大もうけをして豪華艇を購入した方々が、ハジケて、あっという間に姿を消した。
その後は順じ年老いて次々見かけなくなった。お亡くなりになったり、血管ハジケでヨイヨイになったり、事業に失敗したり、なかには家庭内騒動で家庭破壊ってことも幾度か聞いた。
海にはいつも飲み屋のねぇちゃんとやってくる人があったが、あの人が消えたのは早かったなぁ。自宅がわが家と近所で、わたし本妻さんを知っているのに、わたしの前でも、彼女のことを「家内です」なんて平気で言っていた。

今、マリーナで周りを見渡すと、一番元気なのは団塊世代より更に15歳ほど若い人たちだ。45歳前後のお父さんたちが元気だ。わたし、来月67歳になるが、わたしから20歳ほど若い人たちが一番元気だってこと。
アッハッハ(笑い)、ネプどんがどんズバリその年代です。プレ・ホリエモンの世代ですね。プレ・ミキタニの世代。鋭い事業感覚に恵まれ、ITがらみで稼ぎまくっているつわもの達。ヨシ〇はそれより少し上の年代かな。そろそろ世間の馬鹿馬鹿しさが判って来た年代だよ。

あぁそうだ、わたしの一番弟子のユリタロウがネプ年代です。彼、数年前にヒョコッとわが家を訪ねてきて、いきなり「弟子にしてください」って言った。実にオモロイ兄ちゃんで、それ以来ダラダラ付き合っているが、、“弟子にしてください”はもちろん冗談で、実は彼こそが師匠です。わたし、彼に敵うことはナァ~ンも無い。魚釣りの腕も彼が上。彼、それを承知していて、あれこれわたしに説教します。わたし、耳が痛くてかなわん。
このユリタロウとネプがなんと同い年だったらしい。仲良くなってしまったようで、ネプまでがわたしのことを説教じみた目つきで見ます。

わたし、ホリエモンやムラカミファンドやミキタニラクテンは、性に合わん。ゆっくり話し合えるようには思えない。アナログとデジタルは違う(ホリエモン年代とわたしとは25歳前後離れている)。
ついで、ユリ・ネプ年代(20歳違い)が苦手です。なんとなくオッソロシイ。叱られそうでビビってしまう。ホリエモンらより若いのはもう人間だとは思えない。

その点、回航に同行したアキドンはもう50を超えていて、酸いも甘いもわかる年代です。わたしより干支で言うと一回りとスコシ下かな。確かbどんもこの年代だったと思う。
このあたりになると、なんとなく分かり合えるような“錯覚”の中に住まうことがデケル。
が、それは錯覚です。誤解です。住む世界がやはり違います。
彼らはぜんぜんボケていない。今、脳みそ活性が最高の時期。
が、わたしは、隠居生活が身に沁みてきていて、すでにだいぶボケている。油断だらけのホイサッサ。“ご隠居何をグツグツ言うてまんねん”ってな目つきで彼らはわたしを見ますですな。

若造等になめられてたまるかっ!
って、ガンバルのだけれどアカンね。若い衆らには何やっても太刀打ちデケン。
ナメラレていた方が気楽みたいな気がしますなぁ~、あぁ~やんぬるかな!
なっ! アルバどん、そう思わんか?

尺八ですけど、なんぼ稽古しても、サッパリ上達しませんわ…、
イイヤ!
わしゃ頑張るどぉー!

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贅沢な若造

さて、
ネプチューンⅤ回航時の写真を少しアップします。
ネプどんと、わたしが撮った写真です。良く写っているのは波平が、ピンボケはネプが撮った。
アレッ!反対だったかな?
Nepu_kaikou_138_3
これがネプチューンⅤ。御前崎造船に上架したところ。これから船首船底にバウスラスター(方向転換用の横向きペラ)を新たに取り付けたり、その他諸々の擬装を施す。

Nepu_kaikou_147_2
大阪湾から紀伊水道へ出るところです。友が島水道通過中。ネプ・アキ・波平が乗っている。
伴走艇バグースから撮ったもの。

Bagusu_2
そのバグース艇。

Dscf0011_1
英虞湾沖で迎えてくれた遊凪丸。

Dscf0017_1
英虞湾の檜扇荘。この中央浮き桟橋に繋留し、檜の風呂に入り、ご馳走食った。
Nepu_kaikou_095_2
檜扇荘浮き桟橋で、回航三勇士。真ん中がネプ。右端がアキ。左は波平。わたしの一回り(干支ですよ)ちょっと下がアキ。20歳下がネプ。わたしをネプは波平ズズイと呼ぶがケシカランことだ。わしゃマダマダ若いもんらには負けんつもり。

Nepu_kaikou_125_2
御前崎・潮溜まりの会の面々等(ごく一部)。わたしの横がヤイ・コウノ。彼は今月(H19・06)初旬にヨットで日本一周に出る。反時計回りとか。地元相模湾・遠州灘古老漁師の面構えを見ておくれ。
Nepu_kaikou_127_2
会の紅1点、ケイコちゃんが駆けつけてくれた。ヤニ下がったズズイは誰だ!港々に女ありってのはホントだね。


以下は、参考までに紹介、
42_1
回航時、わたし波平と共に助っ人乗船したアキどんの愛艇「晃」。昨年播磨灘で撮ったもの。
192
わたしの「はまちどり」艇。昨年日本列島周航時に隠岐で撮ったもの。
Nipponnissyuu2_607_1
ネプチューンⅢです。魚釣り装備満載の39Ft艇。昨年7月、相模湾・石花海(せのうみ)ポイントでサバ釣り中のところを、わたしが「はまちどり」艇から撮影。富士山がバックに写っている。なんと、これを今回ネプチューンⅤに乗り換える。ネプって、なんと贅沢な若造だこと!

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2007年6月 1日 (金)

ア レ

沖へ魚釣りに出ようと思うと…、
アッハッハ(笑い)、言い方が少し違うわな、わたし四六時中魚釣りに行きたい行きたいと思っとる、その思いの程度が爆発気味かどうかってことですよ…、

と、何日も前からたびたび天気図を観たり空を仰いだりして、やきもきする。
この習慣がズ~ト長年続いているので、門前の小僧になって少しお経が読めるような気がする。が、ダメですなぁ、天気図読み違いが実にたびたびある。

ここ数日は瀬戸内海・播磨灘は波高50センチの凪だと予報は伝えているがホントだろうか。三木の山里で空を仰ぐ限りでは今日も魚釣りが出来る海況のようには思えない。薄明けた空を仰ぐと雲が走っている。が、しかし、天気図を観る限りでは凪だと読める。
釣りへ出ようか、止めようか、出るか、止めるか、さぁどうする、どうする…、

…と、ずるずる迷っている間に時間が経って、
で、で、時間が経つほどにやけくそになって飛び出したり、止めたりですわ。
今日はどうも後者の日であるらしい。

後者の日にしても良かろうかなぁ~、と、思うのは、やはり尺八のせいでしょうね。
尺八吹いて遊びたいって気持ちが、今、魚釣り心と、丁々発止やっとる。

“火吹き”はすばらしい尺八です。実に素直な竹だ。
長年“美仙”に馴染んできたけれど、彼女はときに機嫌を損じ、キーンとヒステリー倍音を出すクセがあった。少し油断するとこれが出た。
が、火吹きにはこれが無い。安心して吹ける。

一方、ポン太ですけど。気になりますなぁ~。
ヤンチャというか、オテンバというか、クセ竹といいますか…、
でも、個々の音だけを言うなら、現状のままでも、このポン太はすばらしい力を持っている。わたしがそれを使いきれないだけのこと。優れた製管師の手にかかったら、ほんのスコシ触るだけでベラボウな名管に変身するだろうと思う。
これは師匠からの借り物。いずれお返しすることになるのは最初から承知のもの。
でも、気持ちが移ってしまっていて別れが辛いですなぁ~。明後日師匠へ返還のつもりです。これ以上手元に預かると、どうにも気持ちが落ち着かない。

「音」ですけど、
今日の内田先生のブログ(「音楽のよろこび」)に「倍音」のことが書かれてあった。先生は時々“音”そのものについて含蓄深い話をなさる。今日の話も興味津々拝見した。なんて判ったようなことを言ったりして…、実は、先生の今日の話、わたしには良く理解できません。
倍音のことがわたしには理解できていないからなぁ。
オクターブ違いの音が倍音の関係にあるってのは判る。知っとる。基音(低い方の例えばドの音)と、オクターク高い方のドの音とは倍音の関係。尺八であれば乙音と甲音との関係。これはわかる。
が、倍音を含んだ音色豊かな音という時の「音」は、聴こえているのは低いドの音ではあるけれど、ヨ~ク注意すればその中に高い方のドの音も混じっているというような関係のことですか?さらに不完全協和音の関係にあるミやソも含まれてあるげに聴こえるってことなのかな?

で、問題は、貫徹音との関係です。
ペリーどんが先頃から盛んに指南してくれたいわゆる「貫徹音」との関係がわからん。
尺八の“地なし延べ管”(真竹をスッパ切っただけの、細工しない自然そのままの状態に近い尺八)の出す音がこの貫徹音。
ある種空気を切り裂くような音。それでいて広く受け入れたくなるような普遍的な音。柔らかくもあり硬くもある音。この貫徹音と倍音とはどういう関係なのだろう。

いまひとつ、さらにわからないことがある。
内田先生は、誰それがカクカクの歌を歌う際の「i」の音が好きだとか、ニール・ヤングがninety seventy と歌うときのnの音が好きだとが言っている。特定の音ながらそれは前後関係に挟まれた音。これも倍音云々の話に関係がありそうだ。が、わたしにはさっぱりわからない。尺八でいうなら、ナエシやユリ?息継ぎ?言うに言われぬ味わい?音色の色気?
やはり倍音がらみの話のように思えるが前後関係をも含めた倍音のあり方となると、もうわたしの理解を超えている。

あぁ、ダラダラ想いを巡らせていたら出漁すべき時刻を失してしまった。もう今から家を出でマリーナへ向かったのでは魚釣りするには遅すぎる。

ネプどん、アレ、明日着くかもね、
ケイコちゃん、アレ、明日あたり発送できるかもよ、


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