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2007年9月

2007年9月30日 (日)

「美しき天然」はパァになったけど、

今日はまだ9月だけれど、朝から降っている雨は時雨(しぐれ)って呼んでいいのかな?

降ったり止んだりで、降るときはサッと降る感じが欲しいが、今降っている雨は霧のようで、むせぶような感じですわ。

もうセミの声はしませんねぇ~、

今年は蛙(カエル)の合奏聴いたような気がしないが、どうなっとるのや?

海の釣りでも、盆過ぎには釣れ盛るハマチが居らんかった。

日が短くなりましたなぁ~、

たそがれてゆく感じはアチコチにあって、全体バランスが取れている。代表は自民党かな?

イヤ! タイガースだ!!

隠居の気分もまたタソガレですわ。

地元の商店街のアクティブストリートの催しに、チョットしたステージ場があるらしくて、一部から尺八でニギヤカシをとの要請があって、チンドン屋を真似て「美しき天然」を吹いてやろうと思っていたが、これ今日9月30日のことなのだけれど、出番を待つ者らが目白押しだったみたいで、ナヌ?有料なの?知らんかったなぁ。で、わたしの出番がなくなっちゃった。せっかく「美しき天然」を稽古したのに残念だ。

でもね、かみさんは頑張っとるよ。地元の新聞に出た。写真の絵がそれですわ。後ろ向きが彼女です。

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2007年9月29日 (土)

ライフセット

幾本もの管につながれて入院中の母を見ていて思うのだが、

これから先の人間は、ゴク少数の豊かな人たちを除き、皆、管につながれた生活をするのではなかろうか。

“ライフセット”を週に1度支給される。

セットは二つから成っており、液体が入ったA袋と、空のB袋。

液体の袋は、腹のチャックを開けて、昔は胃があった位置にはめこむ。もうひとつの空袋は、膀胱の位置にはめ込む。

A袋の栄養液は完璧に出来ていて、ウンコなんか出ないようになっている。オシッコも身体を循環する水分は還元しつつ再利用するから、B袋には、ほんの少々しか老廃物は出ない。

ライフセットを週に1度取り替えるだけで、充分に生きられる。

だが、ゴク少数の豊かな人たちは、今までどおり、うまいものを食って、ウンコして、オシッコする。

ライフセット派の人たちの最大の楽しみは、年に数回、入院し、ライフセットを外し、実際に自分の口でなんぞ食い、ウンコし、オシッコすることだが、入院費がすっごく高いから、贅沢はできない。「生まれてから、わたし、一度もウンコし、オシッコしたことない」なんていう人が多い。

今朝の日経朝刊第一面に“燃料電池”のことが出ていて、これ読んで、上のようなことを思った。

あぁ、母が今年3月半ば以後、ここでいう“ライフセット派”やっとりますわ。

でもまだ研究途中ですから、セットはたびたび取替えなアカンみたい。

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2007年9月28日 (金)

ゴタク

幾つもカメラを持っている。それぞれに愛着があり捨て得ない。

デジカメも3台ある。一番最近のは名刺大の大きさだ。小さなレンズだ。これでビックリするような精緻な写真が撮れる。パソコンに取り込んで拡大しても乱れはない。

写真を撮りたいという気持ちと、記録したい、他の人にも見せたいという気持ちとは、必ずしも同じではない。

わたしの場合は、わたし自身がしっかり見たいと言う気持ちが写真を撮らせるようだ。

で、撮ってしまうと、その後、画像を見直すことはほとんどない。

時に、文章中に写真を貼り付け、状況説明の一助に使うことがあるが、文章と写真の間の隙間が気になってしかたがない。出来れば写真は使いたくない。現在、「ボート倶楽部」って月刊雑誌に毎月短文を連載しているが、文中に写真をあわせ使わぬよう編集者にお願いした。どうしても絵柄が欲しいとのことだったので、カット絵にしてもらった。

文章を書く際の気持ちと、写真を撮る際の気持ちとは同じだ。

何事か思いついたら、もうすこし突っ込んで整理したくなる。その考えに顛末を付けたくなる。で、書きながら考える。整理する。書き終えるとそれでお終いだ。ブログやミクシィに載せたりするが、もう自分で読み返すこともない。直後に、フト、誤字脱字に思い当たることがあると、再度確かめみたりはするが…、

あぁ、パソコンにアップするのは緊張感のなかに居たいからだ。だれぞが読むかもわからんとの思いが、自己研磨の砥石になっている。

アッハッハ(自嘲的笑い)、

あれこれゴタクを並べるまでもない。要するに、写真も、何か書き付けるのも、ボケ防止以外の何者でもない。

尺八?

これは暇つぶし以外の何者でもない。

尺八をピィポー・ピィポー吹いていると、しだいに頭がボヤ~としてくる。尺八の音色ってのは眠気を誘うように思う。で、眠たくなったら昼寝をする。暇つぶしに輪がかかる。

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2007年9月27日 (木)

疲れ

“疲れた”という感覚ってわかりますか?

色々な種類の疲れがある。

仕事に疲れたとか、受験勉強に疲れたとか、人生に疲れたとか、総理大臣やっとるのに疲れたとか、

わたし、最近、時に、この“疲れた”って症状(?)に落ち込むことがある。

ナニに疲れたのか自分でもよう判らんが、限りなく空虚な気分になる。

ゆっくりするようでもあり、天地がひっくり返るような心地でもあり、澄み切った心地でもあり、なんじゃこれ?

疲れたという言葉が適当ではないかもわからんが…、

このところ日が短くなったなぁ~と思いながら、尺八を吹いておる。

今日はよい稽古が出来た。突然昔を思い出した。

「火吹き」のアンバランスな律が、少し修正できて、ずいぶん吹きやすくなった。

もう、力まず、腹の力を抜いて吹いても大丈夫だ。そこそこに鳴る。律もなんとか我慢できる。

嬉しい!

わたし、知らず知らずの間に、カッたりメッたり、力んだりしながら吹いていたみたい。吹いた後は、アゴに竹を押し付けた跡が残るようになっていた。何とかしたいと思う気持ちが勝って、そうしなければ鳴らんようになっていた。

が、今日は、ふんわり歌口をあごに当てるだけ。もう竹をアゴに押しつたりしない。口も絞らず、むしろ口先をかすかに前に出すような心地で、フッとごく軽く息を出す。

この吹き方は、昔、「美仙」を吹いていたときのものだ。このことを突然思い出した。

そして、瞬間、限りない疲れを覚えた。

あぁ、またこの疲れが出た。竹を放り出した。

なんと言いましょうか、なにやってんだか…、わしゃもうシンドイよ!

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間違いないこと

わたし、細々たる年金生活はシンドイけれど、なんとか三食は食っているし、見た目贅沢げな(その実はゼンゼン逆)生活でもある。

正直言って、わたしのようなエエ加減なズズイがノホホンと暮らせる日本って国は、スンバラスイ国だと思う。

が、背水の陣だという。

格差が拡大し、不公平な社会になっとるという。

このままでは日本はつぶれるだろうという。

年金問題は老後の生活を破壊し、今や弱者が生きて行けない社会になったという。

そのとおり! …と、思ったり、ホンマかいな? …と、思ったりする。

ダレかが、やたら騒ぎ立て、なんぞよからぬことをくわだてているようにも思うし、

ホントにオオカミが、やって来たような気がしたりする。

ひとつ間違いないことがある。

マスコミに翻弄されている。

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2007年9月26日 (水)

今日という隠居日

昨夜中秋の名月を観た。

今朝5時前にあの月を探しに外へ出た。

日の出がずいぶん遅くなった。まだ夜のとばりの中であった。

きゃつは居なかった。

今、5時20分。今一度外へ出て空を仰いだ。

少し空に朝の気配。明けの明星が鮮やかだ。晴天。秋空だ。

急に秋らしくなった。

タイガースも、秋の気配の中、その存在価値を全うしつつある。

こうでなくてはこの球団の価値は無い。

あのまま突っ走ってゴールを迎えたのでは、多くのファンは付いてゆけない。

“あぁ~俺のごたる、やっぱりアカンか”との想いこそが、この球団の真価。

すべての勝負は、負けの惨敗感のなかにこそその真価がある。

スッテンテンに金を使い切って、帰りの電車賃すら残ってなくて、トボトボ歩いて帰る、このわびしさこそがバクチの心。

認証式が翌日の今日にずれ込んで、そのあおりで、安倍氏は今もなお首相の席にあるそうな。氏もまた、徹底的に、男の意地の終末を味わいつつあるのかもしれない。

わたしは若い頃から、からきしイクジ(意気地)のない男であった。意気地ってのは、生来のもので、それ以上小さくも大きくもならんような気がする。わたしは未だにからきし意気地が無い。

が、しかし、自分には意気地が無いってことを、もうイヤというほど知ってしまったからは、意気地が必要な場からは、ただ、ひたすた隠れ逃げる。

タイガースだって負けるのだ、と、思いながら…、

あぁ、今、5時45分、夜が明けたようだ。

今日という隠居日、何して遊ぼうか…、

まず、母の様子を観てからのこと…、

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2007年9月25日 (火)

お偉い方々はナットラン 2

ふやけた顔でお詫びの記者会見する安倍氏を見てイヤ~な気分になってもたから、得意の愚痴・ボヤキを書き込んだが、誤解があるといけないから、言葉を補足しておこうと思う。

お偉い方々に2種あると思う。

ナットラン派

と、

ナットル派

l         ナットラン派に共通するのは、いつも世のため、人のため、国のために、全力を尽くしてまい進する覚悟であります、…と、平気で言うこと。

l         ナットル派に共通は、部下らに働かせて、自分はのんきに遊びほうけていること。

アッハッハ(大笑い)

「そうだ!そうだ!まったくそのとおり!!」

って、よろこぶ顔があちこちにあるような気がする。

ナットル派は、

今日も、ゴルフ場や、マリーナや、で、遊びほうけているような気がする。

そう、“おぬし”のことですがな!!

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お偉い方々はナットらん

安倍氏は議員を続けるのですね、次期も皆様の理解を得て出たいとか、そういうものでしょうかねぇ。身の処し方をまたぞろ間違えているのではないかな?

辞意表明だが、これって敵前逃亡と同じでしょう。申し訳なかったってことじゃないと思う。超重大な背任行為だ。まさに罪に値すると思うが、これをあからさまに言う人は無いようですね。

彼を罰せずぬるま湯に遊ばせておくことは、他国からどう評価されるのでしょうね。

日本はそういう国だってことになるのでは?

お詫びの記者会見をする…、それですべて許される国柄だってこと?

少なくとも、彼の、次期の被選挙権は剥奪するべきじゃないの?

国会は問責決議案を採択し、彼を追い出すべきだと思う。

次期総裁の選挙に彼も1票を投じたらしいですね。アキレタ!

なぜ責任放棄の罪を問い、告発する者が出ないの?

そういう法律の仕組みにはなっていないから?

少なくとも公務員の倫理規定には反していますよね。

こんなオッサンが社保庁や霞ヶ関にぎょうさんたむろしているってことですよね。

政府の乱れは、順送りに、やがて国民生活全般の乱れを呼ぶでしょうね。

治安が維持できなくなり、右翼左翼が先鋭化し、オカルトが跋扈し、報道が利益追求に走り、離婚が常態化し、家庭崩壊は常のことで、身の危険が銃の拡販を生み、気付くと治安維持を名目に国連平和維持軍が各府県に軍隊を展開しているって構図かな。

この流れの端緒が、安倍氏だったってことになりゃせんか?

下々からみると、お偉い方々はナットランこと甚だしいですな。

わしゃ、まったくけしからんと思っとるわい。

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2007年9月24日 (月)

イカ飯

また夢を見た。体調に異変が生じたせいだったらイヤだから、かかり付けの開業医で診てもらったが「しばらくお会いしませんでしたが、また海へ出ていたの?」って聞かれた。

「はぁ、この日焼け(*^_^*)ですわ、海には出とるけど、遠くへは行きません」

診断結果は「まぁこんなもんじゃないの…」ってことだった。夢見が頻繁な原因は身体的には見つからなかった。

今朝方のというか、昨晩のというか…、夢ってのは寝ている間に見るのだけれど、寝ている時間帯のどのあたりで見たのかわかりませんが…、

その夢見の原因は、昨日の夕食に食った“イカ飯”だと思う。

イカが安かったとかで、かみさんがイカを4ハイ(イカは数える際、1ッパイ2ハイと数える)買ってきて、イカ飯を造った。これ、わたしの大好物。

田舎(故郷・兵庫県の日本海側の柴山港)のおばさんが、彼女もう亡くなって久しいが…、この料理が大得意だった。で、イカ飯を食うごとに田舎のおばさんを想い出す。これが昨晩の夢になって、おばさんに出会うことができた。

わたしは夢を見るのはイヤじゃない。見る分世界が広がって楽しい。

わたしって、性分が、すぐになにかに感化されるようで、ゴク簡単に気分を左右されるいわば安っぽいズズイなのだと思う。でも、一向にかまわない。昨晩は現(うつつ)にも、夢にもイカ飯が食えて幸せだった。

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2007年9月23日 (日)

ずっとそうだった

とある講演を受講して、そのまま宿に泊まることになり、配られたデジメを再度取り出し、ページを繰って、理解できなかった箇所を見直すが、やはり何のことかわからなかった。

一緒に受講していた友人と宿泊部屋が同じで、友人が囲碁を誘い、誘われるままに碁盤に向かった。

友人は二つ半ほどの腕だという。わたしは初段以下の2級ほどの腕だ。彼が2級半となら、わたしが白石かと思ったら、なんと彼は2段と3段との中ほどの腕だということだった。

わたしが黒石。彼が白。わたしは碁盤にセイモク(5つ黒石を先に置く)を並べた。

わたしの作戦は彼がどのように打とうと委細かまわず、ただひたすら、自分の陣地を構築することだった。打ち進み、作戦は図に当たり、大成功だった。終盤になってフッと気づくとアレレッ!相手側の方の陣地の方が大きかった。

真剣に打った。負けて後、再度石を並べなおすことができた。打った石のひとつひとつのことを覚えていた。

珍しい夢をみたものだ。

並べなおせるほど鮮明に覚えている。一曲をこれほどシッカリ夢みたことは生まれてはじめてのことだった。

目覚めて、早速、物置奥にしまいこんだ碁盤を取り出し、並べなおしてみようと思った。

胸がドンドンした。こんなことが起こるとはどうしたことか。

しだいに夢から覚め、そして、碁盤から石が消えた。

でも、

いまだに、打ち進んだときの気持ちは頭にある。

いまだに、並べなおしたら、並べなおせるような気がしないでもない。

夢が、ひつこく頭の隅に引っかかっている。

引っかかっている分、ボケが進んでいるような気がする。

やがて年老いて寝た切りになったら、わたしは、充実した毎日を送ることになるだろうと思う。碁を打ったり、魚釣りに出たり、酒を呑んだり、カラオケ歌ったり…、

夢の中でか?

否!

それをダレが夢の中だって決めるのや?俺が本気なら、それが本気やないか!デッタイ夢でなんぞあるもんか!!

母の容態が変わり、また身体につなぐ配管(点滴や酸素吸入などの管)の数が増えた。

今日明日は病院の医師の勤務体制が連休体制になって弱まる、と、昨日、母を見舞った際、看護婦長さんが言った。

わたしは、先日から、母の枕辺に、むかし彼女が好きだった謡曲本「卒塔婆小町」を置いている。

<余談>

高かった熱は平常に戻りつつある。

きっと母は持ち直す。これまでも、ずっとそうだった。

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2007年9月22日 (土)

不出来な隠居

持論をまたぞろ広げ散らかしてみようと思う。

ふんまんやるかたない気持ちがある。

仕事には二種類ある。

I.                生活費を稼ぐための仕事。

II.             自分の稼ぎにはならんが世の中の役にたつ仕事。

隣家のオッサン(隠居)は。毎朝決められたチョッキを着て、街角に立ち子供等の登校を見守る。

わたしは、早朝飼い犬らを連れて散歩するが、出会う方々誰かまわず「おはようございます」と声掛けする。

隣のオッサンの“子供等見守り”も、わたしの早朝の“声掛け”も、稼ぎにはならん。

が、これらは、隠居の仕事であろうかと思っている。

“仕事のやりがい”ってことが言われる。

新聞配達で生活費を稼ぐ者が、配達先で「ご苦労様」と声掛けされて、“仕事のやりがい”を感じたってことなどがそれだ。

でも、な、

俺が稼ぐってことが肝心だワイ、あとはどうなろうと知ったことか!

となると、談合だ、収賄だ、買占めだ、企業買収だ、横領だ…となる。

要するに利が太い商売だ、ダマシだ…、と、なるってことじゃぁ~、あぁ~りませんか?

最近は…、若い衆らには…こんな傾向が強いようなことを聞きますがどうなのでしょうね。

ギスギスしますよねぇ。

で、稼ぎにはならん仕事の出番だ。

隠居がその聖なる存在価値を示す好機だ。

と、思うのに…、

近々定年退職を控えた某オッサンが、とある特許に夢を託し、柄にも無く定年後の大儲けをたくらみだした。

某オッサンってのは、哀しいかな、わたしのごく身近の縁戚者ですわ。

特許申請が受理されて、鼻息が荒い荒い。巨大利益が目の前にぶら下がって見えるってわけだ。

で、定年を期して、ベンチャービジネスってわけだ。

これ、一番悪い夢ですよ。少なくとも隠居身ではデッタイに見たらアカン夢です。

わたし、彼は、結果つぶれると思う。

第一そんな特許が売れたりするものか。

第二に、よしんば売れても、弁理士事務所を利するだけだろうよ。特許保持にかかる訴訟経費倒れになって、とてもじゃないが利を生み出すところまでは行かんと思う。

その特許ってのは、発明者が、申請から保持にいたる一連経費を耐え難いものとして投げ出したものですわ。それを彼が買い取ったってわけだ。なんちゅうこっちゃ!

このごろのエセ隠居は性質が悪い。

なっとらんこと、頭が硬い分、最近の若い衆らの比ではない!

世の中の迷惑以外の何者でもない!!

出来損ないの青臭い定年退職者らは、今一度鍛えなおす必要がありますな。

その点、わたしなんぞは、

毎朝「おはようさん」を撒き散らして散歩し、日中は明暗尺八にうつつを抜かす毎日ですから、ホンノコツ見上げたもんですわ。たまには魚釣りに出ますけど、雑魚らに餌を掠め取られて、魚魚らにもむしろ感謝されとるよ。

でもねぇ~、

年金生活って息絶え絶えでシンドイよ、どこかにドカッと儲かることがあったら、わたしもたちまち青臭くなりたいよ!!!

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2007年9月21日 (金)

ブリ釣り

Natu_001 ドジョウだって、ア~タ、そういつまでもヤナギの木の下にジッチしては居ないだろう!

ブリは、ドジョウよりデッカイし、動きが早いですよ。

先おととい(一昨々日)明石海峡大橋の下で、小魚を食い漁っていたわけよ。

一昨日も、ひょっとしたら、まだ居たかもわからん。

だが、昨日は居なかった。

今日明石海峡大橋の下でうかぬ顔した小型プレジャーボートに問いかけたら、「昨日はアッチの方で釣れた」と言ってアッチの方を指差したですよ。

で、ひょっとして、アッチに行けば何匹かはまだ居るかも、と、アッチそしてコッチを、魚探をかけて探し回ったがブリどころか、ブリの餌になるベイト(イワシなど小魚の群れ)がぜんぜん居らんかった。魚探が真っ白ケで、メザシ1匹写らんかった。

明石海峡大橋~須磨の沖まで、探索しまくって、

アゴ出して、フッとなにげに沖を見たら、アジポイントに艇が集まり始めていたですよ。大きなのは遊漁船だね。

シャ~ナイ、ブリはこの時点であきらめました。アジ釣りに転向。

写真は、アジ釣りに集まった船々だよ。場所は大阪湾須磨はるか沖合。向こうの方に明石海峡大橋。島は淡路島。

ナヌ?アジの釣果?

ほんなもん、写真に写すような大したもんじゃない。

あぁ~シンド!

でも、

ひょっとしたら、今日は、またブリが戻ってきているかも…、と、思うのだよなぁ~!

今日も凪ですわ。

けんど…、今日は、わたしは、聖なる仕事に就いとるけん、ブリ釣りには行かれへん。

アッハッハ(泣き笑い)かぁちゃんが朝からお出かけです。

わたし、

すぐにひっくり返るダイ(飼い犬)を見守るお留守番の大役に任ぜられております。

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2007年9月20日 (木)

明石海峡で手を振ります

わたし今日明石海峡大橋の真下~東側2・3キロのあたりでブリ釣りをするつもりです。現地に7時過ぎには着くつもり。

ライブカメラに映ります。手を振ってニッコリしてみますから「こっち向いてください!」って言ってください。

パソコンにそう言ってもらったら、わたし第6感で受信して、手を振りますから。

皆が“ブリが釣れる、ブリが釣れる、”ってぇ言うから、ホナ行ってみようってわけですが、ホンマに釣れるかどうかはわからん。試し釣りのつもりです。

もし、釣れるのがホントだったら、二郎ちゃんにもまたお出まし願おうと思う。

二郎ちゃん!双眼鏡で見ていてくださいね。携帯電話してくださいな。手を振りますから。

あぁ、“手を振る”ですけど、

両手を広げて大きく手を振るのは、海では「助けて~!!」の合図です。SOSの信号だってことに決められている。だから、面白がって両手で合図するのは、緊急時以外はゼッタイにしたらアカン。常の合図はかならず片手でいたします。

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2007年9月19日 (水)

ライブその2

ありゃぁ~、底引き網漁船が、今、ブリをかラッサらっているのかな?3隻が操業中のあたりがブリのポイントですぜ!

明石海峡大橋付近のライブ状況

この記事は19日7時55分に書きました。ライブ状況は刻々変化しますので念のため、

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せめて写真だけでも

昨日マリーナへ艇の整備に出掛けたら、ちょうど沖から帰ってきた艇があって、釣果を問うと「ブリが橋(明石海峡大橋)の下で入れ食いでした」と言った。

メタルジグのジギング釣りだそうな。

投入すると、下に落ちる間もなく表層付近でガツン!らしい。

遊漁船が幾隻も出ていて、客等の竿がみな海に突き刺さっていたとか。

ベイトが表層から海底まで真っ赤で、デカイ魚の魚影が、水面までウヨウヨだとか。

おのおの方!

墓参りや、彼岸法会はしばらく国会休会して、まんず沖へ出た方がエエのとちゃうか?

ワタスは、しがない隠居身だから、今日はご先祖様のご機嫌取りに、お墓参りしますけどね。

あぁ~、

二郎ちゃんのお家はこの釣り場が見下ろせる塩屋の高台にあるよ。

二郎ちゃんは、先日、高性能の双眼鏡とデジカメ買ったよ。

どうでしょう?お家から、沖の様子見えますか?

釣り場の様子を写真に撮ってメール添付で送ってくれませんか?

メール添付の要領、ご存知だったかな??

あぁそうだ、ライブカメラってのあったはずだ!!!

あった!ここです!!!

あれっ?あまり釣り船が出ていませんね。

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2007年9月18日 (火)

言い過ぎたかな?

日経朝刊読んでいますが、

安倍首相は、新聞もテレビもあまり見ないで、病室で書類の決裁などしているそうですね。今日の閣議も欠席に決まったと書いてある。

周辺は不測の事態(スイサイド?)が起きないようピリピリじゃないか?スイスのディグニタスってのを思わずにはいられませんね。

安倍氏の気持ちからすると、“周囲のイジメにあった”ってことなのかなぁ~、

トップの孤独って話はよく聞きますが、氏は、二番手なら大活躍したかもネ。三番手なら更に大大活躍し、4番手なら更に更に超大大活躍?

首相やめたら、政界を引退なさるのでしょうか?ほんと隠居した方がエエかも。

隠居して、明暗尺八稽古して、たまには魚釣りしたりして、気力が戻ったら、ブログで、あれこれ愚痴ったりボヤイたりしたらエエじゃないか。きっと流行るよ。

そんなアホナ!ってですか?

そりゃあんまりだ!波平どんに失礼だ!波平どんの日々をボウトクする言い草だ!

ドルゴススレン・ダグワドルジ氏ってダレのことだか知っていますか?

朝青龍氏です。

相撲の「品格」ですけれど、相撲って元々野蛮な殺し合いだったのだよね。競技の多くがそうであったように…。相撲の元祖は野見宿禰(のみのすくね)っていう出雲系のおっさんだけれど、相手をケ殺す名人だった。奈良県桜井市に「穴師坐兵主神社(あなせにいますひょうずじんじゃ)」ってのがあって、全国に分社がありますが、ここが相撲の本家ですわ。相撲神社です。わたしカッパ(河童)に興味があって、カッパもこの神社に関係が深いものだから、興味本位でこの神社を訪ねたことがあります。境内の一角に、ここで野見宿禰が當麻蹶速(たいまのけはや)と初めて天覧相撲を行った場所がある。ここで宿禰は蹶速を蹴殺した。天覧したの景行天皇です。日本武尊命(ヤマトタケルのミコト)のとっつぁんだ。

わたし、朝青龍の相撲を見る都度、この野見宿禰の蹴殺しあう相撲のことを想います。

先日、古代ローマ時代を描いた「スパルタカス」を観たけれど、剣闘士(奴隷)らが競技場へ連れ出されて、貴族らが観劇するなかで実際に殺しあう場面があった。奴隷らが互いに殺しあうのを見物するわけだ。優劣が付いて勝った方が客席を見上げる。…と、貴賓席で見物していた貴族の女が腕を前に突き出し、こぶしを固め、親指を下へ向ける。“殺してしまえ、止めを刺せ”って合図なんだよね。

相撲の中心は、この真剣な倒しあいなのですよね。殺しあう一歩手前のやっつけあいでしょう。観客等は親指を下へ向けないけれど、真剣な倒しあいをみて胸がスカッとするわけだ。朝青龍はそういう場をつくったのだよね。ダラダラした相撲に活を入れたわけだ。

相撲は日本の国技だってのは忘れた方が良くないか?

モンゴル場所を創ったらエエ。以前からわたしはなんでハワイ場所を創らんのか?と、思っておった。関取以上か、三役以上の外人力士ができたら、その国で本場所をやったらエエ。相撲協会ってのは談合協会以外の何者でもないやないか。わたしこんな協会が公認されているっては不思議でかなわんよ。問責すべきはあのふてぶてしい顔したノーテン・パーの親方等でしょうが。

アッハッハ(苦笑い)今日はチョット言い過ぎたかな?? 

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2007年9月17日 (月)

あわてない

二郎ちゃんは、最近、スイスまで出かけてディグニタス(合法的自殺ほう助制度)を研究していて、その研究成果を近々某所で一席ぶつそうだが、その際に使うのだという発表原稿を読ませてもらった。二郎ちゃんのパソコンプリンターが壊れて、わたしにメール添付で原稿が送付され、それをわたしのプリンターでプリントアウトした。お前も読んでおけということだった。

で、読んでみて“あぁ~そうか、なるほど”と、思った。

そらそうだわな、人間だれでも100㌫寿命が尽きたら死ぬのだもの。「死」がまるきしわからんでは隠居やっとる値打ちが無い。

あぁそうかと思いはしたが、だからといってディグニタスの世話になりにスイスへ行くかってェと、わしゃイヤだ。

でも、最近、各国からスイスへの自殺ツアーが流行りつつあるらしい。

人の持つ最大の権利は“自由に死ぬ権利”だそうな。

神様、仏様でさえ、この権利を侵せない。

特にキリスト教では、自殺を禁じていると聞くが、聖書にはモーゼの十戒のなかに「殺してはならない」とあるだけだ。これを「自分も殺してはいけない」と読むと自殺禁止になる。だが、同じモーゼの十戒のなかに“死に値する罪”も列挙されていて、「(かくかくの場合は)…あなたは彼をわたしの祭壇のもとからでも連れ出して処刑することができる」などとある。死は必要に応じて許諾されているげに思われる(わたしの誤解偏見ですよ)。

長期療養型病院で寝たきり状態の母を抜きにしては、この課題、思いをめぐらすべくもない。常に死が身近にあってこれと徒然の今がある。死も生も秋の彼岸の中。あわてない。ただそう思う。

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2007年9月16日 (日)

美しき天然

緑ヶ丘商店街のアクティブストリートの催しに、チンドン屋代わりに、わたし尺八吹こうかとおもう。で、たしかチンドン屋さんは「美しき天然」を昔やとったと思い出して、パソコンのMIDIから採譜して吹いてみた。

これを吹いてニギヤカシの助っ人したろうかしらと思っとる。歌詞を読み直したら結構胸騒ぐ名文句ですなぁ~、

♪♪空(そら)にさえずる鳥(とり)の声(こえ)
  峰(みね)より落(お)つる滝(たき)の音(おと)
  大波(なみ)小波とうとうと
  響(ひび)き絶(た)えせぬ海(うみ)の音
  聞(き)けや人々面白(おもしろ)き
  この天然(てんねん)の音楽(おんがく)を
  調(しら)べ自在(じざい)に弾(ひ)きたもう
  神(かみ)の御手(おんて)の尊(とうと)しや♪♪

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スパルタカス

昨晩は、NHKの衛星放送で「スパルタカス」を見ていて柄にもなく深夜まで起きていた。

NHKはコマーシャルが入らないから、オシッコ時間が取れなくてシンドイですなぁ~。

映画は面白かったです。

古代ローマ時代の奴隷制度の世界で、奴隷らが反乱を起こし、軍隊にやっつけられる話だった。話の筋が単純だから、ボケかけたわたしの頭でもヨォ~ク解った。

この“解った”ってことですけど、今までの自分の人生の中で、似たような経験があって、「あぁ~あれに、あのころの自分に、似ているなぁ~」と、ある種照らし合わせて、ホイデ解ったような気になるのじゃないかな?

奴隷の立場はシンドイでしょうね。わたし、サラリーマンのシタッパを長いことやっていたから、この意味で解ります。したくも無いことをイヤイヤやらされていた。死んだ気持ちで退勤時間が来るまでガマン・辛抱した。アホな上司のもとでハイハイ言うて月給もらっておった。

仕事ホッポリ出した安倍さんですけれど…、彼は「スパルタカス」観たって面白くないでしょうな。奴隷の反乱をけしからんことだって立場から観るのだろうね。奴隷の立場なんぞわからんのじゃないか?拉致被害者の家族の気持ちわかるのかな?わたし、彼はあんがい解っていそうに思っていたけれど、アレレと思うこの頃ですわ。

「スパルタカス」。

観る者の立場によって、様々な観方がされたと思うなぁ。

わたしは、かつての、サラリーマン時代のことが頭から離れんだった。

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2007年9月15日 (土)

明石海峡

今日も明日も、そして来週いっぱいは、そこそこに波があって沖へ出辛いですね。

特に今日・明日は、東シナ海を低気圧が北上中です。ヤバイ。

先日、マリーナで、艇名5963というヤンマー製の新艇(30Ft?)が沖から帰ってきたのに出会わせた。艇長が「明石海峡を東へ抜けたら大阪湾は波が高かった」と言っていた。明石海峡を越えるのがこわかったらしい。

「明石海峡は北側・南側のどちらを通った方が安全ですか?」

と、問われた。

「わたしは南側を通るよ」と答えたが、本当は、風向きや潮の流れの方向によって、選択すべきだ。

以下、わたしの読みを少し書き出してみる。

あぁ、艇名の読み方ですけれど、「ご苦労さん」と読むらしい。定年を迎え退職したが、だぁ~れも、ご苦労さんと言ってくれん。で、自艇に5963と名付けて乗っとるということだった。

さて、

まず、風向と、潮流の、呼び方が逆だってことを言っておこう。

西風と言うときは、風は、西→東へ吹く。

西流というときは、潮は、西←東へ流れる。

矢印に注意して欲しい。

海峡に波が立つのは、風向きと潮の流れが、衝突するときだ。

西風と、西流が、衝突するときが、なかでも一番ヤバイ。

ここでもうひとつ知っておこう。

明石海峡では、

満ち潮は、西←東、の流れだ。

引き潮は、西→東。

すなわち、満ち潮の際、西風が吹いていたらヤバイってことだ。

おっそろしいまくれあがった三角波が立つ。

一番三角波が立ちやすいのは、明石港の西側の林崎漁港の少し沖合い辺りだ。

付近を航行していて、三角波に危険を感じ、一番近くの林崎漁港へ緊急避難を試みる…。

実は、これがヤバイわけだ。林崎漁港の沖が一番危険だってことを知っておいた方が良い。

こういうときにはむしろ沖合いへ向かった方が安全。海峡の中央部へ向かうような感じになるが、波は高くなっても三角波は治まる。

三角波は、西流が東流に変わる直前に発生することが多い。満ち潮から引き潮へ変わる潮止まり直前に、西風があると、三角波が立つ。潮代わりの線に沿って、三角波の海域は西から東へ移動する。

要するに、明石海峡を通り抜ける際は、場合によっては三角波が立ちやすい海峡の北側を避けて、南側を通った方が無難かも、と、わたしは考えているってこと。

が、しかし、潮の流れ自体は、南側より、北側岸よりの方が緩やかだ。

が、魚釣りポイントは、南側に偏している。

たとえば今日なら、

10時半頃まで引き潮(潮は西→東)で風は西←東。潮と風は衝突。

10時半以降は、満ち潮で潮は、西←東。風は西←東。潮と風は同方向。

典型的な三角波の立つ海況じゃないと思うが、さりとて、魚釣りが楽しめる状況じゃないと思うなぁ、

土曜日だ、朝早くから勇んで出漁した艇らは、垂水~塩屋沖辺りで、潮波にもまれておるに違いないよ。少なくとも、ズズイの出番じゃなさそうですわ。

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2007年9月14日 (金)

“割を食う”

わたしほど世渡りの下手なやつは居ないだろうと思っている。友人等が皆そう言っているし、もちろんかみさんもそう思っている。「パパは、ダメなんだからもう…」と言っている。

67年間の過ぎ方を反省するに、“割を食う”立場ばかりに馴染んできた人生である。ホント、得をしたことなんか1度もない。

だが、先の日本列島1周航海の際は、なぜか意外とスムーズな世渡りが出来て、行く先々で皆さんから良くしてもらった。どうせ割を食うことになるだろうと思っていたから、この逆はとてもうれしかった。

そう、わたしは、いつも割を食うだろうというショゲタ顔をしていたのかもしれない。

いや、そうに違いない。

御前崎で艇の緊急修理をしたが、その際しばらく滞在することになって、ここでも皆さんに大変お世話になったが、そのときネプチューン氏にも色々世話になったが、「波平さんをみていると、頼りなげで、ほっとけない気がする…」とか言っていた。

要するに、“いつでも蹴飛ばし、沈めることのデケル相手だ”と、判定し得たとき、人はやさしくなるのではないか?

わたし、最近そう思う。

今まで、お世話になった方々の善意を決して疑うものではないから誤解のないように聞いて欲しい。わたし感謝感謝の気持ちで書いている。だって、蹴飛ばし、沈め得るのに、良くしてくれたのだから、

もし、わたしが、あのとき、突出してやる気満々ぶりを発揮し、大きな顔して、周航していたら、きっとダァ~レも相手にしてくれなかっただろうと思う。むしろ反感をかったのではないか。

日本列島を自艇で完全踏破してやろうと思って出掛けたのではあったが、基底には、持ち前の“割を食う”かもの気持ちがあった。

わたしは、腹満腹まで徹底的に“割を食ってやろう”と思っていた。どこへ行っても徹底的に“郷に入れば郷に従う”の腹つもりであった。

わたしは“尻尾”にはなっても、“頭”にはならぬ覚悟であった。

が、安倍首相は、頭になってしまった。

彼は、割を食ったことがなかったのではないか。食ってみれば意外と良い味がするものを…。

“いつでも蹴飛ばし、沈めることのデケル相手だ”と、悪徳政治家らに見透かされていたのではないか。

彼は、知らぬ間に割を食わされていたのではないか。

参院選の劣勢が見え見えになってきたとき、彼はどうしてよいかわからなかった。

横から「こんなときには機先を制して続投の意思を鮮明にしたほうが得策」とささやかれたのではないか。辞任を封じられ、情勢判断に迷い、どうにもならなくなって、やっとわれに返った。「もうアカン」となった。

彼は、今、やや落ち着いてその割を食ってみて、そのしみじみとした味わいのなかで、自分を取り戻しつつあるのではないか。

彼は“割を食った”政治家になった。その味を知る政治家になった。

そして、彼が首相になったとき“割を食った”福田氏が、浮かびあがりつつある。

アッハッハ(にが笑い)、

わたし、ヨォ~ク“割り”の味を知っとるけんど、いつまでたっても浮かぶことあらへん、

FR32EX浮かばせてみたい、

※ 割を食う→不利な立場になる、損をする、

  FR32EX → 新発売のヤマハ・プレジャーボート

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2007年9月13日 (木)

時の流れ

艇の整備もだいぶ出来ました。常に必要な物以外はすべて降ろそうとしているけれど、降ろした後の収納先が無いので積んだままのもある。思い切って捨てようかな。とにかく、一応降ろすべきは降ろし終えたわけだ。

と、久しぶりにユリタロウどんがやってきて、艇のアチコチを点検し、

「艇尾のスッテプの止め具がサビ朽ちて脱落寸前ですよ」って言った。

なるほど、やばい状態だった。

「亜鉛のジンクはもう限界ですよ」とも言った。

ほうかぁ~、もうアカンか。

キャビンを外から覗き見て、

「何か虫が住んでいませんか?」って言った。クモの巣があるのを見つけらしい。

キャビンに入ってきて、その辺りを確かめる目が、アチコチの汚れをなぞるような感じだ。わたし、その目について行く間に、「あぁ~なんて汚れた艇だこと」と思った。

で、今日もまた、マリーナへ行ってアチコチ雑巾かけしようかと思う。

艇尾のステップの補強もしておきたいし。

ジンクは、もうしばらくは大丈夫だろう。

ユリタロウは、ふやけた白い顔だった。

彼、夏が来ていたのを部屋内で勉強(税理士免許)バッカしていて、知らんかったみたい。

「たまには海に出ておいで」と言うと、

「ハイ、5年後には、まずお礼参りに四国巡礼に出て、それから釣りに戻ります」

って言った。

帰宅したら、テレビに安倍氏が映っていて、

「オラァ首相辞めたっ!あとはしらねぇ~」って言った。

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2007年9月12日 (水)

金銭感覚

艇からアウトリガー(トローリング・ロット)を降ろそうと思う。当然カツオ・ケンケン仕掛けやサワラ・ハマチ・メジなど用の曳き綱具も降ろす。

アンカーをバウ(船首)に2本、スターンにダンホース型アンカーを1本積んでいるが、ダンホースを降ろそう。バウのは船首が揚がりすぎるので、抑える意味で積んでおく。

キャビンのテーブルを取っ払った。テーブルの支え脚が鉄で随分重かった。

ビシ(オモリ)だが、200号や100号など重たいのもドッサリ積んでいた。木箱に入れて船底に積んでいたが重くて持ち上がらなかった。まだ残っているから、今日も出掛けて整理する。

日本一周の旅の余熱が残っていた。未だ艇内泊が可能だった。毛布やマクラや鍋や食器など等を、思い切って降ろそうと思う。もう余熱は冷めた。

予備エンジンオイルや、油圧専用オイルや、あれやこれやも降ろそうと思う。

わが艇「はまちどり」の側に、例の32Ftの5千万円クラス豪華艇が、先日から上架されている。どんなオッサンが乗り込むのだろう。未だ出会わない。キット見知った方だと思う。艇の乗換えだと聞いた。

別の32Ft艇で、この豪華艇の約半値で、魚釣りにも列島周航にも使えるのがまた新発売された。

「完全に整備し尽くしても2500万円ほどでしょう。お安くなりましたよ」と、

営業マンは言う。ボート業界の営業マンの金銭感覚は世間通常人のそれと比べるとゼロが二つ違っている。二桁感覚が上ずっている。

わたしも「ほ~かぁ~、たったの2500万か、安いなぁ~」と言っておいた。

営業マンが疑り深そうな、人をバカにしたような目で、「よう買わんくせに…」と言いかけて言葉を呑みこんだ。

あぁ~貧乏は辛い!

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2007年9月11日 (火)

体術研究

甲野善紀という武道家が居て色々な本を書いている。

なんとなく面白そうで読んでいる。

狙いはふたつ。

l         母はもう完全寝たきりで身体も縮んで軽ぁ~るくなっているが、これをベッドから車椅子に移したり、その逆をやったりすることが難儀だった。ベッドで着替えさせるのも難儀だった。武道の体術でやると難なく出来ると書いてある。これを学びたい。(母は、今は、入院中ですべて完全介護だし、もはや車椅子への移動も不可能だが、あの難儀だったことは骨身にしみている)

l         今ひとつは、尺八を吹く際の構えや息遣いになにかヒントを得たいから。

甲野善紀氏の主張は、ナンバ歩きと、不安定な体位の活用に集約されるようである。

<ナンバ歩き>

歩行する際、右足を出すときは左手を前に出す。左足が前だと右手が前。普通はこうなのだが、ナンバ歩きはそうじゃなくて右足が前なら右手を前に出す。キリンがこの歩き方だよね。これが不安定のようであってそうではないのだという。昔の日本人はそうやって歩いていたらしい。

たとえば、能や神楽や日本舞踊などはこの歩き方だ。階段を上がる際や登山の際などは、このナンバ歩きが明らかに楽だという。

忍者が覆面かぶって身体をやや斜めに構え、ナンバではや歩きすると、身体を斜めにした分左右の歩幅が違ってくる。やたら早く歩けるようである。

⇒今朝ゴミ出しに出た際、実践してみた。身体を前に倒し、倒れ掛かる際に倒れぬよう右足を前に出し、その際右手も前へ振り出す。次は左足と左手。なるほどオモロイ。身体を前に倒すとこけそうになって勝手に足が前に出る。出る方の足の側の手を前へ出す。やたら早く歩ける。

<不安定な体位の応用>

寝たきり老人の“上体を起こしたり”“添え立ち”したりする術が図入りで解説されている。

かみさんを寝かせて、わたしが術者になって、試みてみた。

術が未熟なためか、かみさんが重すぎるのか、彼女は起きなかった。立たなかった。

<尺八の構え、息遣い>

彼の武術の応用だが、これにはキット合い通じるものがあるのだろうと思う。

フルート奏者がこの武術から“構え”と“息遣い”にヒントを得たと、解説中にあった。

が、しかし、悲しいかなフルートは横笛である。尺八は縦笛。構えがまるで違う。両者とも吹奏楽器だが、歌口の形状が違う。でも“息遣い”には共通項がありそうだ。

息は吹出すのじゃなく、「…むしろ自分の身体の中に送るようにしなさい」とある。ナンジャこれ!

こんな解説文句に行き当たると、まやかしやと思ったりもする。

両足を宙に浮かせどちらの足の裏にも重心をかけずに立つと真に自在な動きがデケルなどとあるが、言葉ってのは変なことでも平気で通用するのですね。わたしの理解不足ってことでしょうが、まやかし的に思えてしかたがごらんよ。

でもね、

アッハッハ(にが笑い)、尺八持って試してみたですよ、

「…むしろ自分の身体の中に送るようにしなさい」をね、

尺八咥えてみたものの、息を出してよいのか悪いのかわからんかった。

往生しまっせ!!

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taijyutu

甲野善紀という武道家が居て色々な本を書いている。

なんとなく面白そうで読んでいる。

狙いはふたつ。

l         母はもう完全寝たきりで身体も縮んで軽ぁ~るくなっているが、これをベッドから車椅子に移したり、その逆をやったりすることが難儀だった。ベッドで着替えさせるのも難儀だった。武道の体術でやると難なく出来ると書いてある。これを学びたい。(母は、今は、入院中ですべて完全介護だし、もはや車椅子への移動も不可能だが、あの難儀だったことは骨身にしみている)

l         今ひとつは、尺八を吹く際の構えや息遣いになにかヒントを得たいから。

甲野善紀氏の主張は、ナンバ歩きと、不安定な体位の活用に集約されるようである。

<ナンバ歩き>

歩行する際、右足を出すときは左手を前に出す。左足が前だと右手が前。普通はこうなのだが、ナンバ歩きはそうじゃなくて右足が前なら右手を前に出す。キリンがこの歩き方だよね。これが不安定のようであってそうではないのだという。昔の日本人はそうやって歩いていたらしい。

たとえば、能や神楽や日本舞踊などはこの歩き方だ。階段を上がる際や登山の際などは、このナンバ歩きが明らかに楽だという。

忍者が覆面かぶって身体をやや斜めに構え、ナンバではや歩きすると、身体を斜めにした分左右の歩幅が違ってくる。やたら早く歩けるようである。

⇒今朝ゴミ出しに出た際、実践してみた。身体を前に倒し、倒れ掛かる際に倒れぬよう右足を前に出し、その際右手も前へ振り出す。次は左足と左手。なるほどオモロイ。身体を前に倒すとこけそうになって勝手に足が前に出る。出る方の足の側の手を前へ出す。やたら早く歩ける。

<不安定な体位の応用>

寝たきり老人の“上体を起こしたり”“添え立ち”したりする術が図入りで解説されている。

かみさんを寝かせて、わたしが術者になって、試みてみた。

術が未熟なためか、かみさんが重すぎるのか、彼女は起きなかった。立たなかった。

<尺八の構え、息遣い>

彼の武術の応用だが、これにはキット合い通じるものがあるのだろうと思う。

フルート奏者がこの武術から“構え”と“息遣い”にヒントを得たと、解説中にあった。

が、しかし、悲しいかなフルートは横笛である。尺八は縦笛。構えがまるで違う。両者とも吹奏楽器だが、歌口の形状が違う。でも“息遣い”には共通項がありそうだ。

息は吹出すのじゃなく、「…むしろ自分の身体の中に送るようにしなさい」とある。ナンジャこれ!

こんな解説文句に行き当たると、まやかしやと思ったりもする。

両足を宙に浮かせどちらの足の裏にも重心をかけずに立つと真に自在な動きがデケルなどとあるが、言葉ってのは変なことでも平気で通用するのですね。わたしの理解不足ってことでしょうが。まやかし的に思えてしかたがごらんよ。

でもね、

アッハッハ(にが笑い)、尺八持って試してみたですよ、

「…むしろ自分の身体の中に送るようにしなさい」をね、

尺八咥えてみたものの、息を出してよいのか悪いのかわからんかった。

往生しまっせ!!

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2007年9月10日 (月)

釣り師の矜持

艇の強制循環式イケスが故障していたこともあって、炎天下の釣りを避けて、しばらく自宅謹慎していたが、修理も終え、もうそろそろ良かろうかと沖へでた。

ほんのしばらく釣りから離れていただけなのに、身体が鈍っていたようで、激しく疲れてしまった。

この疲れというやつは、働き過ぎとか気の使い過ぎとかの、絶対的というか消耗的というかの結果とは別の要因によっても生じるようですね。それ、収穫物のあり様です。一生懸命努力したのに、なんらの成果が得られないとき、人は本当の意味で激しく疲れるみたい。

狙い魚のサワラはまったく気配さえも見せませんでした。ハマチと思ったけれど、ご不在のようだったし、太刀魚氏も留守だったし、かろうじてアジがほんの少し釣れましたが、燃料軽油150㍑噴射しつつ走りまわった結果としては疲れを生む以外の何物でもなかった。

自宅へ帰り着くまでは、さほど疲れを感じなかった。

が、帰宅し、ほんの少し焼酎を舐め飲んだら、ドドドッと疲れが出た。

あのネ、酒も、呑んだら元気が出る場合と、疲れが出る場合とがあるネ。

さぁ、やったるぜ!と、目標を前に置いて呑む酒は元気が出る。

あぁ、あかんかった!と、貧果を嘆いて呑む酒は疲れを倍加させる。

悪酔いしたってわけじゃないがドカッと疲れを覚えて、帰宅するまで腹ペコだったのに、食欲も萎え消え果て、シャワーする元気もなくなって、汗だくのまま着替えもせず、ソファ~にバタンと横になったですわ。

今、新聞配達の単車音を聴いて目が覚めたら、腹が減っていた。腹が減っていたのを思い出しています。これから茶漬を食って、シャワーしょうかと思う。

夜が明けて、元気が戻ったら、また沖へ出てやろうと思っとる。

なんのこれしき…、ここでへたったまるか!釣り師の矜持てものが許さんわい!

アレッ!雨の音がするぞ!負けるもんか!!

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2007年9月 8日 (土)

三日月

三日月がまだ暗い夜空に浮かんでいて、バタバタと新聞配達の単車がせわしげに走っている。飼い犬ダイは、昨夜はかみさんが付き添って寝たが、4時前にわたしに代わった。

ダイを抱いて表へ連れ出す。道路へおろすと、ダイはそのまま道に腹ばいになって動かない。朝の空気をあててやろうと連れ出している。

ダイの側に突っ立って細いシャープな月を見上げる。少し雲がある。北斗星は見えない。東西南北の見当はついている。はぁ、あっちが東だ。

身体がどちらを向いていても東西の方位は変わらない。だが、左右は、身体がどちらを向いているかによって変わる。東側になったり西側になったり、あるいは北に南になる。

私はこの理屈がわからず子供の頃ながいあいだ悩んだ経験がある。月を見上げてこれを懐かしく思い出した。わたしが、左右と、東西南北との違いを心底納得できたのは、中学生になってからである。なぜ、このような決まりがあって、これに承服せねばならないかがわからなかった。やっとわかって、くだらんことだと思った。わたしは所持万端このような迷いの中にあった。いまだにこの傾向から抜け出せないでいる

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2007年9月 7日 (金)

外洋航行

ヤマハから32Ftの新しい視点をもりこんだプレジャーボートが発売された。スッポンポンの裸定価で3千8百万円。これに必要最低限度の艤装を施すと、4千5百万円ほどになるのではないか。さらに夢を載せれば5千万円だろうな。見事に出来上がったスンバラスイ艇である。

カタログを一冊もらってきて、胸をわくわくさせながらページを繰っていると。かみさんが、目玉を落っことしそうに飛び出させて、「パッパ、なに考えてるの!!」と叫んだ。

バッカじゃないか!

こんな超高価艇が買えるわけじゃないじゃないか。なにを慌ててびっくりするのだ。

と、「わが家だって、何がどうなって、億万長者になるかもわからんやないの」いう。

「だから、そんなカタログみるのでしょう」という。

そらそうだ、ひょっとしたら、ジャンボクジが当たらんともかぎらん。…が、最近は、クジは買っていない…。

わが国でも、とうとうこのような艇が造られるようになった、という感慨がある。

この艇の仕様なら、外洋航海が可能である。

従来、わが国で造られてきたプレジャーボートは、ごく岸沿いを、見かけかっこよくぶっ飛ばす式の艇ばかりだった。脆弱で、荒い航海には耐え難いボートだった。

わたし、ボートでの単独日本一周を試み、昨年なし終えたが、使用した艇は国産艇ではない。アメリカの東海岸で造られた28Ft艇(アルビン28)だった。中古艇の中古艇を3番目のオーナーとして買い受けたのだったが、各所が傷んでいたが、それでもなお国産艇にない頑健さがある艇だった。

今回発売の艇は32Ft艇だ。国産では、28Ft艇で外洋航海に耐え得る艇は未だ製造されていない。

今回の32Ft艇も、ごたぶんにもれず、マルチ仕様になっている。魚釣りとクルージングの両睨みコンセプトであって、わたしはいまいち感心しきれない。外洋クルージングに特化した艇が製造されてよかろうと思う。

なにしろ5千万円の贅沢艇だ。どのような人が買うのだろう?そのコンセプトのひとつに、“独りで操船可能”ってことが言われている。

きっとダレかが買って、カタログ上じゃなく、本当に実物に乗って独り遊ぶのだと思う。

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2007年9月 6日 (木)

ラーガ

今朝の日経朝刊最終面・文化欄に「和歌・和楽器にインドの音」というT・Mホッフマン氏の話が掲載されている。副題に、“日印音楽に調和「音文化」の共同開発進める”とある。

インドの伝統的旋律“ラーガ”についての話である。

“ラーガ”ってなにや?

どんな音楽や?

パソコン検索で、ラーガの音楽をいくつか試聴してみた。

そのひとつはhttp://sarasoju2santoor.hp.infoseek.co.jp/rising.html

あれこれ聴いてみて、なるほど、尺八的だと思った。

T・Mホッフマン氏は、

日本は「眼の文化」、インドは「耳の文化」だという。

なんとなく納得できる。

眼は、概して見える物に囚われやすい。耳は、とらわれる前に、音の意味をさぐる癖がある。

すべての思考は言葉の理解から始まる。音の意味は、考えることなしには理解し得ない。

日本は、インドの深遠な思考に肩を並べるべくもない。

ラーガの理解を、尺八演奏家(T・Mホッフマン氏)が、精力的に行っているというのが面白い。氏はアメリカ人だそうな。山口五郎師の弟子だそうな。

若手の尺八演奏家たちのなかに、この方面に理解を持つ者らが続出し、日本の古典音楽を懐古のなかから解き放ち、進化させて欲しいものだと思う。

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2007年9月 5日 (水)

東海の空あけて

甥がこの秋結婚するが、オジサンは1曲なにか吹け、ってことになっとる。

彼は次男で、長男は今春結婚式を挙げたが、その際も1曲所望されて吹いた。

これが、やたら好評で、その場で次男の彼から「おじさん俺のときも頼む!」と予約が入った。

長男のときは、メル友・単管○どんや、その他の方々から色々教えてもらって、「アメージンググレース」や民謡「刈干し切り唄」やジョンウエインの「駅馬車」などをやった。

「刈干し切り唄」が一番好評だった。尺八にはやはりこれが似合いってことか。

で、今秋の次男の結婚式にナニを吹くかだが、

明暗の「吾妻獅子」を吹こうかと思う。

が、しかし、わたし的にはこの曲なのだが、これが若者の結婚式披露宴にふさわしい曲かどうかがわからない。わたしの友人らは、年寄り側へシフトしていて、30代のものは皆無。昔、勤め人だった頃はそうでもなかったが、最近では20代の人と話ししたこともない。

結婚式は10月末。

軍艦マーチや愛国行進曲でも吹いて、ドギモ引っこ抜いてやろうかしらん。

♪♪見よ東海の空あけて 旭日高く輝けば 

天地の正気溌溂と 希望は躍る大八州…♪♪

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2007年9月 4日 (火)

封じる

わたしは三曲が好きだ。が、それは、自分が色々な形で演奏に加わって吹いたり聴いたりするのが好きだということで、客席に居て、舞台の演奏を聴くだけなのはあまり好きじゃない。単に聴くだけではおもしろくない。退屈で眠たくなる。シンドイ。…なんて下手な演奏だろうと思ってしまったりする。

高ぶるわけじゃない。俗に言う“岡目八目”のせいだ。自分の下手は横に置いて、他人の上手下手は分かるような気がする。いやみな自分が居る。

あれはわたしが26・7の頃だったと思う。三曲合奏に通っていた山崎美也先生に松竹梅の地だけを弾いてもらい、先生の唄で、尺八を吹いたことがある。

先生が言い出したのか、わたしが請うたのか忘れた。

「途中で『チンチリ・チンチリ・…』にならないように弾くのは難しいのよ」と言われたのを覚えている。地は、チリチン・チリチンだ。チンチリ・チンチリじゃない。

あれは楽しかった。

なんて贅沢な遊びだったのだろう。

夢だ!夢だ!

わたしは、今は、三曲は止めて、明暗本曲をやっているが、

これは客席からでも聴きたい。

なんでやろ?

以前は、積極的に尺八演奏ボランティアに出掛けた。今後も、要請があれば出掛けたいが、自分からは働きかけたりしない。

たまたま今日その要請があった。迷いがあったがこのたびはご辞退した。以前平気で吹き飛ばしていた童謡唱歌だが、明暗本曲稽古のなかで見直せば改めてわが音に不足が多すぎるのを感じる。今年中は、ボランティア演奏は封じようと思う。

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2007年9月 3日 (月)

因 果

ペットだけど、猫系と犬系があるようで、わが家は犬系だ。

いつも犬がまわりに居て、代替わりしながら家族の一員である。

以前は、1頭だけ飼っていたが、最近は2頭ずつ飼っている。犬は寿命が短い。長くても十数年だ。犬を飼うってことは、犬を看取るってことでもあって、これが辛くてかなわん。で、変な話だが、つなぎの意味もあって2頭ずづ飼う。

今、ダイ(大地)とショウ(省太)の二人(?)いる。

先日、ダイが左眼を怪我し眼球をつぶしてしまった。左眼まぶたを縫い合わせ、完全に閉じてしまう手術をした。

実は今日が、その抜糸の日だったのだが、土曜日の夕方フイに縫い目が解けてパクッと左まぶたが開いてしまった。汚れたビードロのような眼球がこぼれ出そうになった。急きょ獣医に駆け込むべきではあったが、たまたまわたし1人だけしか居なくて、夕食後であったからもう酔っ払っていて、車に乗れなかった。

以後、昨日は日曜日で休診だし、しかたなく様子を診ているわけだが、昨晩はダンダン様子がおかしくなり、たびたび失神し、そのつど叩き起こして、やっと今朝を迎えた。

庭へ出て空を仰ぐと秋空に雲が浮かんでいる。動いている。すこし冷気を含んだ空気が身体に心地よい。生きている、と、思う。ダイもまだ生きている。行きつけの電信柱まで抱いて行き、下へおろすとヨタリながら片足を上げた。

犬でも人でも、いよいよ最後を迎えるときは、天地が鳴動するそうである。するような気がするってことだろうが、昨夜は今にも鳴動しそうだったが、幸い、あさの気配が勝ってその気配は薄れたかに思われる。そこらにあった効きそうな抗生物質やなにやかやを与えている。

何代も何代も代替わりがあった。

何代替わっても、なぜか皆同じ目つきをした犬になる。

生まれ変わってまたわが家へ来たって感じがあって、因果はめぐって果てることが無い。

が、愛犬の死は哀しい。いましばらく生かしたい。

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2007年9月 2日 (日)

秋の夕暮れ

母が入院したのは今年3月20日、わたしが、明暗導主白龍師匠に入門し、初めて手ほどきを受けたのは同月22日。あれか5ケ月が過ぎた。

わたしは、この間、母を見舞いながら、魚釣りし、明暗尺八を吹いている。

3月24日の自分のブログをみると、「もうブログのページ更改はやめようと思う」などと言っている。が、その後もダラダラと今まで続けている。

5ケ月間を反省すると、今ひとつ顕著なことがある。

かみさんから叱責を受けることが増えたことだ。

また忘れたのでしょう!とか、パパは不注意なんだからもう!とか、テレビの音をも少し小さくしてよ!とか、なんの役にも立たないのネ!とか、お酒ばかり飲んでいないでワンと散歩でもしたらどう!とか、なにもしないのになんでそんなにお腹が空くの!とか、

今も、母を見舞ってきたのだけれど、大正元年9月生まれだから、今月の誕生日で95歳になるはずだ。いつまでもちますかねぇ~、

はぁ~、気力が満ちてこないと、尺八稽古もデケン。

かみさんにグチグチ言われるのは嫌だけれど、こうしてパソコン前でぼやぁ~としています。

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どんな性格?

台風9号が接近中ですね。

この熱低は台風に育つかな?って、注意していたら、めでたく(?)台風になった。

頑張って只今西北西に進行中。

大きな被害をもたらす台風を、待ち焦がれるのはいかがかと思うが、退屈ばかりの隠居にとっては、友人の来宅を待つような心地がするわけですよ。

近くへ来ることがあったら。俺のところへ立ち寄れよ!

いっしょに1パイ呑もうや!

彼、6日(木)にはやって来るかもな。

友あり、遠方より来る、又、楽しからずや!

わたしって、穏やかじゃない性格かな?

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2007年9月 1日 (土)

緊張感のなか

今日は9月1日。昨年の今日はケンチャンちのご主人の葬儀があった。ケンチャンってのは飼っておられたオームの名前。ご主人は昔巨大タンカーの船長だった方。お子さんが無く、ご夫婦お二人だけの静かな生活だった。先日、わたし、お供え物をお届けした。

1年てのはこんなにも短かったのだろうか。

8月なんて、在ったのか無かったのかさえ判然としないことである。

昨年8月1日に、わたしは長年の夢であった「日本列島魚釣り周航記」起筆の旅を終えて帰ってきたのだった。

で、以後の1年間は、周航記を書いたり、書き終えた後は、常に月日をなぞり追って、

“あぁ~昨年の・一昨年の今頃は、どこそこでアレを、コレを、やっとった”などと思い出していた。

8月1日以後は、憑き物が落ちたようになって、バイオリズムがドッスン落ち込んだ。

沖へ魚釣りに出ても釣果も無く、最近はずっと自宅にこもりきりである。8月があったような気がしないわけである。

今日は、かみさんがお出かけしている。東京さへ行っている。

昨日は、愛犬ダイは1度だけだったが激しくひっくり返った。なかなかこの世へ戻りたがらず、もうアカンかと思った。服薬させている術後の薬が強すぎるせいかもと薬の量を調整しているが、まだ薬がきつすぎるのかもしれない。今朝はもう服薬させていない。

今日はかみさん不在。

ダイがひっくりかえったら大変だ。わしゃ酒飲んで昼寝なんぞしておれんぞ!

シッカリ気を引き締めて緊張感のなか、隠居は只今留守番中である。

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