« 散歩の秋 | トップページ | 秋晴れ »

2007年10月21日 (日)

馬鹿な考え休むに似たり

いろいろな生き方があると思う。

どの生き方を選ぶかは自由であるようで、実はそうではない。

運命論ってわけでもないが、振り返ってみれば、そう在るべくしてそうなったと思わざるを得ないのではないか。わたしの場合はこう思うが…、

イイヤそうじゃない!選択の余地があったと思う人もあるかも。

が、すでに、事は終わっており、過去は固まって今更どう動かすすべもない。

問題は、今現在のこと、

さて、どう生きようか。

自分には選ぶことが許されているのだろうか?可能なのだろうか?

と、思いつつ、明日になってみれば、はたまた運命論じゃないが、自由は無かった、そうあるべくしてそのような昨日であったと思わざるを得ないことである。

と、いうような、隠居生活の日々を続けている。

この日々、

沖が凪いでいたら愛艇を駆って魚釣りに、シケ模様とみたら自宅で明暗尺八の稽古、と、いうと如何にも悠々自適の隠居生活に思えるが、

上述したように、わたしにはこの生き方しかできないという葛藤があって、胸中は常に波立ち穏やかではない。余事に関心が無いわけじゃない。なしようもなく、結果、かようにくすぶっているような気がしなくもない。なんじゃそれ?

畏友にOMってのが居るが、察するに、OMもまたその胸中は常に波立ち穏やかではないのではなかろうか。

実に恐るべき男である。

わたしと同年だから定年退職以来すでに7年経っているが、ほぼ定年直後から“日々1冊読破の行”を、未だに継続して止む気配がない。

ナニを求めて、彼はこのような生き方をするのだろう?

これほどまでしても彼の関心事を満足させない何者かが彼の心内にうごめいていて、これが彼の読書欲の根源か?OMの胸中は常に波立ち穏やかではなかろうと思う所以である。

さて、

昨日は、沖はシケ模様であった。

今日はさほどでもなさそうだが、潮マンが不満だ。若潮である。明後日23日がベタナギで潮もよさそう。この日ならメジロが釣れるかも。

沖へ、メジロ狙いで出てみようか、イヤ出てもまたぞろボーズかも、

わたしには、出るか出ないかの選択余地がある、と、思う。

が、しかし、

翌24日になって振り返れば、そうなるべくしてなった結果が見えるだろうと思う。

年のせいだろうか、ダンダン動くのが面倒になっている。

今日一日は、TVの前に寝転んだり、尺八吹いたりして過ごすのだろうと思う。…が、明日になってみなければ分からない。

|
|

« 散歩の秋 | トップページ | 秋晴れ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 散歩の秋 | トップページ | 秋晴れ »