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2007年12月

2007年12月31日 (月)

昨年今年態勢へ

午前中に母の49日を済ませ、昼食に年越しソバを食い、格安量販店に焼酎と発泡酒を買いに行き、今帰ってきたところです。

いわゆる忌明けの49日法要は35日法要の際に執り行ったから、今日は通常の逮夜法要の簡易なものにした。

和尚直々のお参りをいただいた。

「大晦日にお参りいただいて恐縮でした。ありがとうございます。お帰りになったら色々お忙しいのでしょう」とわたし。

「アッハッハ、除夜の鐘があるからなぁ、若い者らは色々忙しい。わたしはご馳走食べてお酒ですわ」と和尚。

早く寺に帰ったら、あれこれ面倒だと思われたのだろうか、さんざ雑談を楽しまれてお戻りになった。

今から、昨夜録画した「武士のなんとか」の藤沢周平作テレビドラマを観ようと思う。昨夜午後9時からの放映だったが、起きて居られなくて9時前に寝てしまった。

録画はコマーシャルを飛ばし縮めて観ることができるから、この方がおもしろく観られる。

奄美の黒糖焼酎を2本買ってある。

たった今からは、昨年今年(こぞことし)の態勢に入る。

飽きることなく、このブログ閲覧いただいた方々へ、お礼のご挨拶。

ありがとうございました <m(__)m> 来年もどうぞよろしく。

皆様、良いお年をお迎えください。

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2007年12月30日 (日)

乖離現象強まる

正月が来たらひとつ歳を取る、これを数え年という。

誕生日が来たら歳を取る、これは満年齢という。

正月が来ても、誕生日を迎えても増えない歳がある。精神年齢という。

あいつは歳に似合わずデケタやつや!

と、いわれる時は、実年齢(数え年・満年齢)に比し、精神年齢の方が高いようである。

あいつはナァ~ンもわかっとらん、と、言う時には、

精神年齢が低い(幼い)のである。

実年齢にそぐわしい精神年齢である場合には、酸いも甘いも噛み分けたオッサンだ!って評価になる。…と、思う。

あと二日で、数え年的にはひとつ歳が増える。

が、しかし、

精神年齢の方は、わたしの場合は随分昔から、デンデン増えているように思われん。

ましてや、二日後に増えるとも思われん。

減るだろうか?

減るようにも思われん。

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2007年12月29日 (土)

沖の河豚

日本海北部の大きな低気圧ですが等高線の輪が混でますね。徐々にオホーツク海に移動すようだが動きが遅い。年末年始は、沖はずっと時化模様でしょうね。艇はいつでも出撃可能な態勢をとっていますが沖へ出られそうにない。自宅で静かにボヤァ~とするしかない。海外脱出組がうらやましいなぁ~。

 シケの海 ぼや~とすごせ 沖の河豚  波平

今朝は新聞のテレビ欄にたくさん赤鉛筆で印を付けました。オモロそうな番組はひしめいている。ありがたいですなぁ~。

あぁ~昨晩はフィギュアスケートフを観ていました。

すごい競技ですねぇ、こんな競技に耐えるなんてどんな心臓だろうと思う。精神力って言うのですよね。こんなハードな環境に立ち向かう彼女たちだが、なんて可愛らしいのだろう?こんな感覚って変ですか?

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2007年12月28日 (金)

ありがたいことだ

概して平穏な1年だった。

現状維持で特に健康を損ねることも無く過ごし得た。ありがたいことだ。

昨年、長年の夢の“愛艇で日本一周”をやり遂げて、ポカァ~と穴が空き、なにげに古典明暗尺八をはじめたのが3月半ば。以来、気持ち的にはこれが中心の日々である。

そのなかで、

7月半ばからミクシィを始めた。この月に誕生日を迎え67歳。

先立つホームページは7年前から、ブログは2年前から始めている。

ブログはアスセス23万件を数えた。ビックリだ。

釣りバカが、尺八と、パソコンをいじくる構図かと思う。

10月に愛犬・大地が亡くなり、

11月に母が亡くなった。父の13回忌を済ませたばかりで父と3日違いであった。

11月末からは、かみさんの絵の個展だった。

以後一月間にわたり個展会場のある神戸の繁華街に断続的に通った。行ってイスに座るだけ。かみさんの都合に合わせての留守番役だった。

あれやこれやで、あっという間の年の暮れだ。

わたしには、来年もあるのだろうか?

それは、はたして平穏な日々だろうか?

ジャンボを30枚買い込んでいる。

大晦日がちょうど母の49日。

先日来、坂口安吾全集の読破に取り組んでいる。

40台後半に買い込んだものだ。当時わたしは体調を壊しひどく落ち込んで、すっかり人生を投げ出してしまっていた。アチコチを乱暴に飛ばし読みした形跡がある。ケッタイな箇所に鉛筆線がある。漠然と、いつかわたしには、もし余命があれば、この全集に再度取り組む日が来るような気がしていた。67の年の暮れになって、その日が来たようだ。

投げ出したはずの人生である。不思議な心地のすることだ。

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フグ釣り文化

正月休みは播磨灘・鹿ノ瀬の海苔網のブイに持ち船をくくりつけ、ナゴヤ(ショウサイフグ)釣りをするというのが、昔から、播磨灘漁師のシャイな生き方みたいだった。

正月休みに沖へ出ると、

ドデカイ網船を海苔網にくくりつけ、船尾に七輪を据え、仲間らとテッチリ鍋で酒を飲んでいる漁船があるよ。この世の天国だよなぁ~。

でも、わたしはシャイではないから、そげなことはしない。したかったが、しなかった。でも、やってみたい気持ちはある。だんだんその気落ちが強まってきた。来春あたり思い切って実行してみようかしら、だれぞ誘って、

昨日わたしフグ釣したが、釣り場は上島南の9番ブイ周辺だ。

フグ釣の本場は、ここ播磨灘東部では鹿ノ瀬の海苔網周辺だとされていて、わたしもそう思っているが、位置的に遠いし瀬の上で潮の流れがきつく7090号のオモリが必要なことが再々だ。が、9番ブイ周辺は潮行きも穏やかで昨日は40号で充分間に合った。数は釣れないが大型揃いだった。竿で直接抜き揚げて取り込むのは難しい。竿が折れそう。で、手で道糸を掴んで取り込む。艇内で頭・尻尾を取り捨て、完全に身だけのスッポンポンにして持ち帰るが、切り取った身だけで20㌢はある大物だ。それが4匹居た。全部で10匹。みな大きい。薄皮まできれいに取り去り百%安全なようにさばいた。…つもりだ。

<余談>

先日、某釣り関係の雑誌から依頼があって、フグ釣の話を書き送ったらボツにされた。

読者が不用意に真似するとヤバイと考えたのだろうか?

ボツの理由は「これは困ります扱えません」ということだった。

日本の社会は萎縮している。

わたしは、なんだか哀しくなった。

で、あえて自分のブログに書き綴った。ありのままに書きたいのを我慢しながら、抑えに抑えて、

フグ文化はもう瀕死の状況だと思う。

やはり寂しい。

河豚食わぬ奴には見せな不二の山  一茶

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2007年12月27日 (木)

腹がザラザラ

今日は瀬戸内海・播磨灘の家島諸島最東端上島の南約2マイルの9番ブイの河豚(フグ)ポイントへショウサイフグ釣に出たが、ザラメ(コモンフグ?)が混じって釣れたので、注意喚起の意を込めて以下語っておきたい。

通称ナゴヤと呼ばれるショウサイフグは、きわめて毒性が強いフグであって、食えば命の終わりでっせ!」の意で、尾張(終わり)名古屋のナゴヤをもじってナゴヤって言うわけだ。きゃつの腹は白くツルツルしている。

身にも微毒があるが、完全に身だけを食うなら死ぬこともなかろうと、わたしら釣り人は、この時期はソレッ!ってんでフグ釣りし、テッサ・テッチリでご機嫌である。

と、いうことで、わたし今日はナゴヤ釣りに出てデッカイのを釣りましたです。

ところがなかに、

“ヌヌツ!ナゴヤとちゃうぞ!”

見掛けはナゴヤだが、腹がザラザラしている。ナゴヤの腹はツルツルなのに…。

釣ったフグは、わたしは、沖でサバキ完全に身だけにして、肝や白子や卵巣や皮・目玉などなどはすべてカモメに投げ与えて、身だけを持ち帰ります。

フグをサバイていて、ヌヌッ!ですわ、

これ、通称ザラメ(播磨灘)呼ぶフグです。コモンフグだと思う。

学術的な裏づけはナァ~ンも無いですからそのつもりで聞いてくださいね。

土地の人たちは、「ナゴヤは中皮(トウトウミ)も食えるけど、ザラメはアカン」と、言うています。

皮と身との間に薄い中皮がありますが、

ザラメ(コモンフグだと思うが)はこの薄皮も完全に取り去って身だけを食え。

でも、この薄皮を完全に取り除くのは、なかなか難儀でッせ。

実は、今日は、これが2匹混じっていました。大きい方をサバイてほぼ完全に薄皮を取り除きました。もう1匹はリリースした。薄皮と取り去るのがめんどくさくてたまらんかった。

“ツルツルは食えるがザラザラはヤバイ”

本当かウソかようわからんけれど、土地の人はそう言うよ。試すのも面倒だからわたしはそううことにしておこうと思っとる。

もうご存知でしょうが、

念のために再度申し上げますが、ナゴヤは身にも微毒がありますですよ。

薄皮にはシッカリと毒がある。“名古屋は中皮まで食えるけど…”とは言うものの、これって極めてヤバイですよ。なかんずくザラメはヤバイってことですよ。

わたし、そう言いながらヤバイことやっとるけれど…、

あぁ~、ジャン友のモーさんが、こちら方面の専門家でしてね、

「波平さん、死ぬのはマージャンだけにしときなはれ!」って言うよ。

ヨシ○君よ、気をつけなあかんよ。最近貴君は薄皮はがずに食っとるのじゃなかったか?

腹がザラザラのは特に用心した方がエエよ。

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2007年12月26日 (水)

宴会道 3

酒は好きだが、宴席は苦手である。

わたしは自分で話下手だと思っていて、とくに雑談ってやつについて行けないもどかしさは常に感じている。わたしは雑談が怖く、それは脅迫感を伴ってわたしをさいなむ。

相手がナニを言おうとしているのか分からない。

要するに頭の回転が遅い。これが底流にあってイジケ気分にならざるを得ないわけだ。

必然的に蚊帳(カヤ)の外がわたしの定位置になってまうからなぁ~、

これを気遣ってか、時に場の話題がわたしに振り向けられ話ネタに揚げられることがあるが、これが又苦痛ですわ。カヤの外へ早く逃げ出したい。

なんとか、あの楽しげな雑談の輪に自然な形で入りたい…、

で、聞くことがあやふやで、ナニがその場の話題かもわからんままに、自分も声を出してナニかしゃべるわけだが、しゃべり始めてすぐに収支がつかなくなる。ナニを言おうとしているのか途中で迷ってしまって話の顛末をつけることができん。

また、わたし、いつの頃からか、

無理してしゃべると舌がもつれるのを自覚している。脳ミソのどの部位かがプッツンしているのだと思う。話の上手な人がうらやましい。なんでもないことを堂々たる声で語ることができる人はすごいと思う。

結果、わたしは宴席では無口がちになり、雑談の輪からはみ出てしまう。

独り輪の外で飲む酒が美味かろうはずがない。料理も美味しいと思ったことは無い。

ノロケを言うようだが、

家で飲む酒、家で食うかみさん手料理がなんといっても一番である。かみさん一人が勝手にシャベクルが、わたしはフンフンとええかげんな返事をするだけ。それでもわれながら判然とした気分であるし、かみさんもわたしの返事を期待してしゃべるわけでもないわけで、それで済んでいる。…ように思う。

年末年始は忘年会に新年会。もう暫くの間、わたしはイジケ気分で過ごすことになる。

忘年会はなんとかクリアー。

が、来春のことを思うと難儀やなぁ~、早く桜の頃にならんかなぁ~、

花見酒?

ハイ、ゴッソー(ご馳走)になりましょう!

宴席…、趣味を同じくする同好の者らでのワイワイ酒、

アッハッハ(大笑い)、わたしの声が一番大きかったりして、

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2007年12月25日 (火)

ボンヤリ顔…宴会道2…

酒を酌み交わし、ほどほどに理性を麻痺させながら、

“互いに匂いを嗅ぎ合おう”

“互いに腹を見せ合おう”

…のタテマエのなかで、かろうじてカラオケ曲の選定に反骨心を忍ばせる。

酒の上での話は、軽くもあり重くもある。

こういう忘年会を長年やってきたのだった。

が、それはずっと昔のまだ現役だった頃のこと。

最近はその手の忘年会は関係無くなった。

ごく少数回いつもの仲間らで飲む場があるが、忘年会というほどのものでもない。

娑婆社会に場を保持する必要があった現役時代と異なり、自分ひとりポツンと生きることにダンダン慣れてきた年金生活者にとって、忘年会はそう必要じゃない。むしろ煩わしい。

昔の職場の仲間らと集うのは好きじゃない。学校の同窓会も好きじゃない。案内をもらってもほぼ欠席する。ホボじゃない。今まで形式だったその種の集まりには1度も出席したことはない。ただ、先々月だったか、関学の邦楽クラブの定期演奏会を覗いたが卒業以後初めてのことで実に45年ぶりだった。わたしは大学時代にその邦楽クラブに入っていた。

実は今日昔の職場の仲間ら数名と集う機会がある。

煩わしいことだ。めんどくさいな~と思う。が、頑張って参加してみよう。

まとめ役を買って出てくれたアヤツもきっと同じような気持ちの中で生きておるのだ。ABC氏もボンヤリ顔でやってくるかも。アヤツらの顔を見に行こう。職場を離れて後もナニやカヤで行き来がある者らたち。このところしばらく出会っていない。

互いにまだ独身だった頃からの仲間。全員60台。今更匂いを嗅ぎあう必要があるわけじゃない。今更腹を見せ合う必要もない。だからカラオケを歌うこともない。

そうだ!尺八を忘れずに持ってゆこう。嫌がってもかまうもんか、吹いてやろう!

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2007年12月24日 (月)

宴会道

宴会道ってのがあるそうだ。

「宴会する共-身体」の一部になり切ることだそうな。

ナ~ルホド、なんとなくわかるような気がする。

自分だけがエエ気分ではしゃぐのはよくない。隅にひとり白けて居るのもよくない。

おもしろくなくても、おもしろそうにすべきだし、喧嘩したくても我慢して、いやしくもカラオケ曲の取り合いなどしたらアカン。

わたし、自分のことを反省するに、宴会道何段ほどやろか?

初段ってことはないだろう。二段か三段くらいかな?

昔まだ若かったころは酔いつぶれて吐いたりしたが、ここ数十年そのようなことはなくなった。これで初段格は間違いあるまい。

白けたり、喧嘩したりもなくなった。これで2段免状授与されるかな?

楽しい場作りに貢献しているか?

アッハッハ(笑い)、わたし自身は大概楽しくやっとるが、周りがどうかまでは酒飲むほどにわからんようになる。まだ3段にはなれんよなぁ~。

最近は、他の人の迷惑になっとるような気がしないでもないよ。

わたし、尺八を隠し持って行って、他の人が嫌がろうが、ウルサがろうが知ったことか、突然尺八取り出して、唱歌「はまちどり」を吹いたり、演歌吹いたりするからなぁ~。

受ける時はメッチャ受けますよ。だけど、まったく無視されて哀しい思いをする時の方が多いのだよなぁ~、世の中のバカどもは、この妙なる妙音がわからんのか!って思う。感激し、涙を出さんのが不思議でならん。

ナヌ!減点しますってですか?

初段へ?じゃなくて、段外へ?

よわったな!!

実は、今日も尺八持って行くつもりなのだけれど…、

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2007年12月23日 (日)

新調タックル

Nec_0094 新調タックルの正体です。

ちなみに、

こんな上等の完成したタックルを手にするのは、生まれてこのかた67年5ケ月の間。このたびが始めてのこと。空前絶後・天変地変の類かと思われます。

竿…リーディングXA732051・ダイワ精工製

  2.05㍍の並継ぎ船竿・先調子

リール…CONQUEST300TypeJM

糸………PE2号6本縒り・2百㍍

価格……総計7万円でした。

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フグを釣ると思う

信じてもらうと困るが、わたしの診立てでは年末年始の瀬戸内海はおおむね時化(シケ)模様で、沖へ出てのんびり魚釣りってのはダメだと思う。

が、しかし、27~28日頃、どちらか1日は、或いは沖へ出られるかも。凪ぐかも。

そのとき、ソレッ!てんで、フグだ!フグだ!!

注文発注していた超高級釣り竿が、店に着きました、と、フィッシュオン三木店から連絡があった。

で、本日駆けつけてご面会におよぼうと思う。

2000円以上お買い上げの1500名さまに魚乗帽子をプレゼントしますと宣伝チラシに書いてある。

このたびわたしは上述の超高級釣り竿と、超上等の両軸リールと、超上等のPE2号糸をまとめ買いするが、2000円で割ると、魚乗帽子を50近くかぶらなあかん計算になる。

帽子バッカそんなにカブリまくるわけにはいかんじゃないか!そんなことしたら、頭が蒸せて気持ちが悪いと思う。

で、その光り輝く超すげぇ~タックルで、フグを釣る。

釣られるフグも幸せだろうと思う。

こんなタックルは今後一生涯デッタイに買うことはなかろうから、使わずに床の間に飾り置いた方がエエかもわからんと…、それを今悩んでおる。

やはり、フグを釣ることになると思う。

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2007年12月21日 (金)

馬鹿馬鹿しい施設

今日、神戸海洋博物館を入場料5百円払って見学しましたが、スカみたいな展示ですわ。損した気分です。“海洋博物館”だなんて誇大広告だよ。やめてもらいたいですよ。入場料5百円は詐欺じゃないか?

ミニチュアの商船・客船の模型ばっかしが陳列してある。オモチャの展示場って感じだね。

軍艦模型はまったく無い。あぁ~在るにはある。帆船ビクトリア号の模型があった。

軍艦展示は戦争賛美につながるって考えているのかな。軽薄な、おもねった考えがスケスケだね。巡視船の模型も無かったなあ~。漁船模型もヨットもボートも無い。世界各国の海との関わり?そんなこたぁ~関係ないようだ。海の生態につながる展示は何も無い。どこが海洋なんや?日本は海洋国家だよ。神戸は港で持っているのだ。海洋をどう展示しようと考えたのだろう?な~んもコンセプトらしいものが窺えなかった。

瀬戸内海は閉鎖海域。神戸は大阪と並び大阪湾の奥深くにある臨海都市。大阪湾は典型的な閉鎖海域。海の自然保護につながる研究展示はない。神戸沖空港の完成で大阪湾の恒流に影響が出ているはずだが潮汐流も海流も、そんなことにはナ~ンもふれていない。いつも赤潮の発生におびえているがまったく触れていない。くらげの異常発生問題?ぜんぜん触れていない。テロ防止法はインド洋の安全確保?マラッカ海峡?そんな話は海洋博物館には関係ないみたい。

この施設でナニを学びナニを考えたらよかろうか?海洋博物館は子供らにナニを語ろうとするのか?施設の半分は川重(株)の展示スペース。オートバイやヘリコプターなど川重商品が展示されている。なんでや?なんで海洋博物館にオートバイなんや?

この館は何のために創ったのや?

あぁ~馬鹿馬鹿しい施設じゃこと!

ワシャ呆れた!!!

社団法人神戸港振興協会が運営する施設らしい。余程予算に余裕がないのだろうと思った。

こんな低レベルの展示内容でしか在り得ないなら、名称を変更し、商業施設として転売した方がよろしいのではないか?

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モツレ

意図的に糸をもつらせることを結ぶという。元に復するのをホドクという。

収納を“巻く”と言い、この逆を“伸ばす”と言う。

巻いたり伸ばしたりをくり返すとヨジレが生じる。卓上の黒電話のコードが捩れ(ヨジレ)、時々受話器をコードでぶら下げ、ヨジレを取ったりしたが、最近の携帯電話は捩れない。あったりまえだ、コードが付いていない。

ボート釣りは、糸(釣り糸)とロープの世界。長年親しんでいる間に、結んだり解いたり、モツレやヨジレに苦労した。最近だいぶ熟練してきたようで、わたし、釣り糸のモツレ解きのベテランである。複雑怪奇なモツレもわたしの手にかかったら、さほど時間を要することなくサラリと解けるから不思議。

人生の様々なモツレ・ヨジレ・結び・解き、にもこの熟練技術を使いたいが、そりゃ贅沢ってもんだ。それが出来るようなら漁師は全員が総理大臣になれる。

が、しかし、なんとなく応用は出来そうに思われる。

結婚を結びに例えるなら離婚は解き(ほどき)であろうし、会議会議の調整はヨジレ戻しの手法でもあろう。

さて、釣り糸のモツレに限って少し検証を進めてみよう。

A)       1本の糸がモツレる場合と、複数本の糸がモツレる(お祭り)場合に分けよう。

B)       糸の両端はそのままで糸の途中がこんがらがってモツレている場合と、糸の端がそのモツレにまぎれ込んでいる場合に分けよう。

わたしの経験からは、モツレは立体的に、すなわち3次元的に生じるが、ホドキは2次元的に行うのが良いようである。

まず堅くなったモツレ瘤を柔くする。これが最初になすべきこと。

ついで、モツレ瘤から多数出ているウサギの耳状の環の内、どれが解き易いかを見定める。環のひとつを注意深く引っ張って様子を見るのだが、この時、耳の片方中ほどを少し引っ張り、対極側に出ているどの糸が動くかを見極める。これが出来れば既に半分解き得たも同然である。

そのまま糸を引っ張って対極側の環がスポッとこちら側の環に移ればモツレの一部分は解けたってことだ。

が、往々にしてこれがまったく万対で、モツレを強化する方向である場合がある。

この時は、実は対極側の動いた糸を引っ張るべきであったってことだ。そしたらスポッと抜けることまず間違いない。

モツレには2次元的に対応する。

動かし引っ張りきるのは相対する糸のどちらかだけが正解である。

わかってもらえたかな?

ナ~ンヤしょうもない!ッて思う人、ア~タにはホドケない。

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モトキよ!

中国で1羽のチョウがナニゲに羽ばたけば、その影響が回りまわって、米国カリホルニァで大嵐が吹くかも。これを称してバタフライ効果という。

駿河湾の御前崎沖で近日中に禁煙宣言中のネプどんが誘惑に負けてタバコを吸うが、ほんなもん誰が知ったことか!

世間のダァ~レもそんなことに気遣うものは居らん。

チョウチョもアブラムシも眉ひとつ動かすこたぁ~ない。

ネプどんよ~、あまり無理をしない方がエエよ。吸いたければ吸うたらエエ。

世界は貴兄中心に回っているわけじゃない。

昨日遅く、ネプどんから携帯電話があって、酔っ払い声で、

「ムニャムニムニャムニャ…」とネプどん。

「ナニを言うとるのか判りませんが…」とわたし。

どうやら、富士山がどうだこうだと言っている感じ、ついで、止めろとか、登るとか、わけが判らん、

あぁ~そうか!

わたし、彼に「もし貴兄の禁煙が成功するなら、富士山を逆立ちして登ったる!」と言ったのだった。

今朝起きて、ナニゲに携帯電話を開いてみたら、2時28分に、又、ネプどんからの着信履歴がある。察するにあのまま酒を飲み続けて前後の見境がなくなり、とうとう気が付いたらタバコを吸っていたってことの告白だと思う。

やせ我慢で吸わなかったにしても、念頭にはタバコ・タバコが煙を吐いていて、脳みそはニコチンのススでかちんカチンの燻製になっとる。ニコチン漬けになっとる。

残念ですなぁ~わたし、富士山の逆立ち登山したかったのに…、マジデ、

あぁ、モトキよ!

おぬしゃ~タバコやっとらんだろうな!かみさんの腹の赤子に良くないそうだよ!!

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2007年12月20日 (木)

コックリさん

12月20日・若潮。晴天・凪ぎ。

早朝飼い犬ショウタと散歩、キンキンした寒気。

虚無的になったり、ほんわか心地になったりして過ごし来た1年である。

先日17日に母の35日法要を執り行いこれでもって忌明け(満中陰)としたが、本当の49日は12月31日である。大晦日に49日の法要を行うのはいかにも不適切のように思われて、35日を忌明けとしたのであった。だってやって来る親戚縁者らはたまらんだろう。

お坊さんも31日の法要はかなわんと思うに違いないと考えていたが、これが案外考えすぎだったようだ。「お参りさせていただきますよ」と普通の顔であった。で、31日の49日法要も行うことになる。お経も耳になれてきた。

わたしは自分のことを極めて虚無的な男だと思っている。が、この反面、芯が無いというか、ふらついているというか、ウラナイやマジナイにも気を引かれ、どうにかするとこちらの方の性質かもって思ったりする。

いろいろ思うが、因果ってことがあるから、あれこれがあるわけだ。

自分が今あるのは、単なる偶然に過ぎないのか、あるいは巡りめぐってのことか、二つの相反するこの思いは常に交差し反駁し尽きることが無い。…が、やはり因果のなかでのことじゃあるまいかと自己誘導し次の展開に備える。虚無に徹しては人生はやっとれん。

ウラナイやマジナイに、よく生年月日や名前の字画が使われたりする。星になぞらえたり、トランプの出札に託したり、昔の定番はこれがゼンチク占いだった。八卦占いだ。竹箸の長いのをザラッザラッと大仰にさばき並べたりした。で、出た卦をおもむろに説き聞かせるわけだが、あの快感ってのはいちどやったら病み付きになるのじゃなかろうか。人を説得するのは快感である。好き放題快感を味わって、それでゼニが稼げるならなおさらだ。最近それをTV放映し皆がはやし立てておもしろがるってのが流行っているが、人生の深遠をもてあそぶ様でわたしは好かん。

あぁ~、その昔、“コックリさん”という占い手法があったが、最近トント聞かないですねぇ~。あれはすっごくオモロクかつ哀しかった。わたし、あれで占って聴かされた卦から未だに逃げ出せないでいますよ。

…おまえはデンデン出世しない。金ウンもあかん…

まったくドンピシャリです。正解としか言いようが無い。この事実は今となっては信じる他ない、

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2007年12月18日 (火)

時は永遠

今日は沖へ魚釣りに出ようと思っていたが、なぜか気が抜けてしまって、いまいち気力が上向かん。釣り行きはヤンペにする。

体調が悪いってわけでもないが、良いってわけでもない。イヤ、ヤッパ悪い方だろうと思う。血圧降下剤を処方されていて、自分で体調異変を察知したら服用するよう言われており、最近はほとんど常時服用している。ド寒いなか、独りで沖へ出たりするからは、それなりの用心があってよかろうかと思う。

ド寒いなか、沖出しするのもヤバイが、ド熱い風呂へ入るのもヤバイようである。

風呂の湯温を44度に設定しているが、これでもまだ寒く感じる。更に高温へと注し湯する。浴室に温風が出るようしてあるから、かんかんに浴室を暖めておいて、素っ裸になるや否やヤッ!とばかりに浴室へ入る。大丈夫かいな?と恐る恐る湯に浸る。入ると手足が青白くなるのはなぜだろう? 暫時我慢しているとダンダン湯だって赤くなる。

若かった頃は、いったん魚釣りに出ようと思ったら、諸事万端一直線に沖へ向かって突っ走る感じだった。ブレーキが利かなかった。

これが、最近はグズグズした気分を叱咤激励し、やっこらさと出かけるようになっている。…が、今日はとうとう中止のはめになった。じっとしていたい。

若かった頃は、ヌル湯好きであった。父が、今思えば…、今わたしが入る程度の高温の風呂に入っていたように思う。湯温の高低をいつも父と言い争っていた。

実に変に思うが、当時わたしはとても寒がりであった。常に分厚い靴下を履き、外出時は手袋首巻が離せなかった。沖へ出る際は防寒靴を履き、耳までカバーする防寒帽子を被った。

これに反し、父はあつがりで、冬でも素足だった。父が手袋したのを見た覚えがない。

が、しかし、

最近わたしは、熱い湯に入るようになり、いつの間にか父の体質に変化していて、わたしは今素足であり、沖へでる際も夏用のデッキシューズで、防寒帽子なんぞ蒸れて気持ちが悪い。

昨日母の忌明け法要を済ませた。

やってきた親戚のものが、わたしを見て父にそっくりだと言った。

そういえば、父がわたしの歳の頃は、

父は、テレビ前にゴロ~と寝そべって水戸黄門などチャンバラドラマばかり観ていた。

今日、

わたしは、テレビ前にゴロ~と寝そべって刑事物ドラマを観るだろう。

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2007年12月17日 (月)

ふぐ肝

養殖フグには毒がないそうですね。肝も大丈夫らしい。

…ってことが一般にも知れ渡ってきて、ふぐ料理屋がフグ出荷業者に肝の出荷を要請するケースがあり問題になっているようですね。

それみたことか!!

だれだってこんなことは想定範囲内でしょう?

ほんなこと想定していなかった、知らんかった、ってですか?

そら、あ~たはお人好しがすぎる。

わっしゃ、とうからそんなことになっとると思っとる。

問題は、そんなところにあるのじゃなくて、ふぐ料理屋が安いもぐりの天然フグ肝を養殖フグの無毒肝と偽って客に食わせるかもってところにある。

デッタイニ、こういうケースはある。に、違いないと思う。

だって、今、瀬戸内海・播磨灘ではショウサイフグ釣が最盛期で、仰山釣り船が出ていて、大方は自分で食う連中だが、なかには達者なのが居て仰山釣ってふぐ料理屋へ持ち込んでゼニにするって話を聞いている。時にトラフグの立派なのが釣れるが、これはすごい値で引き取ってくれるそうだ。ふぐ料理屋はこれを自家消費するのか?そんなこたぁ~なかろう、客に出すのだ。

「この肝は天然物でっせ、すっげぇ美味いぜよ!」って出しますか?

そりゃないだろう。手が後ろへ回るもの。

「この肝は養殖物の無毒肝ですわ、けっこう美味いですよ」って出すか?

出します、出します、出すだろうと想像に難くない。

わたし、ショウサイフグ釣りして、自分でさばいて食いますが、肝は食わん。

だから、未だに生きとる。

かみさんは、身だけだからデッタイに大丈夫だといくらわたしが言っても、イヤだといって身も食わん。

だから、きゃつも未だに生きとる。

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2007年12月16日 (日)

竿忠から安吾へ

古本屋で買ってきた「竿忠の寝言」を少しずつ読んでいる。

釣り竿作りの名人初代竿忠のことなどを三代目がまとめ上梓したのが昭和6年。当時たった400部の限定出版だった。

わたしが買ったのはこの復刻版で、4代目竿忠・中根喜三郎氏が付録・寝言以後を書き加え、昭和51年に出したもの。

竿忠は、江戸~明治~大正~昭和~平成にわたり、連綿として続く釣竿作りで知られた古い家名。

それぞれの時代に生きた初代竿忠~四代竿忠ら粋な職人たちの生き様が赤裸々に語られている。

初版を上梓した三代目竿忠は文筆にも才があったようだ。そしてこれを復刻上梓した4代目も優れた方だ。とてもわたしらごときが真似できる筆勢ではない。

日常茶飯事のあれこれや思い出を雑多に書き出し、さらけ出したものだ。随筆集とはまた別のジャンルだろう。話が俳句の切り口に似て艶やかである。

一気読みする書物じゃない。少しずつ読んだ。が、ついつい読み進みすぎて、あぁ~もったいない、読みきってしまった。

わたしは、魚釣り関係の本の収集癖があり、小遣いの範囲内であれこれ買っていたがこの本はまだ持っていなかった。以前どこかから借り受けて気になる箇所だけを少し読んだが、その時はあまり強い印象を得なかった。わたしは上っ面だけをサッと読み飛ばしたようだ。こういう上っ面だけの錯覚のなかにわたしは生きてきたのだなぁとの思いが走る。

自己反省がまったく無かったわけじゃない、読み飛ばしはデケンなぁ~と思い、いつかはシッカリ読みたいと思って買いこんだ本もある。坂口安吾だ。全集を買い込んでいる。内いくつかは読んでいるわけだが、まだ1割にも足らないと思う。この際、第1巻から通しで読もうと思う。ずいぶんな量だ。来年の夏まではかかりそうだ。尺八修行も平行してのこと。以後は竹音に安吾の味が混ざり込むことになる。

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2007年12月14日 (金)

酒の肴

Gannenn 青木正児(あおきまさる・1964没)という中国文学碩学の著書に「酒中趣」という古典的名著がある。酒にまつわる話を書いた本で古今の名著。酒を語ってこの本の右に出るものは無い。

このなかに塩の話がある。“夫レ鹽ハ食肴之將”という言葉があり、酒の肴として塩こそが大将だってことらしい。

で、その塩だが岩塩のことだ。

中国大陸西方の蕃地(四川省?チベット?ネパール?)産の水晶のような岩塩が最上とされ、コレを舐めながら酒を飲むってのがオツだってことらしい。

水晶塩で盃を作り云々ともあるが、その岩塩製の酒盃で酒を飲んだかどうかまでは書かれていない。盃のなかに食物を入れておくと美味しくなるってある。

写真の岩塩は今日わたしが神戸元町の中華街で買ったものだ。拳ほどの大きさで、かすかにピンク色。250円だった。塩の石(塊り)だ。塩の結晶が美しい。ネパール・カトマンズ産岩塩である。(※当初記入の南米産とは誤りでした。調べなおして修正しました)

さわともかく、早速これを舐めながら焼酎を飲んだ。

実に豪儀だ!酒中の趣(おもむき)これに過ぎるはない。

塩辛くは無い。石を舐めるのだ。舌に冷たい感触がおもしろい。おもむき深く、なるほど酒の肴にピッタリである。

美味しいものは甘く感ずる。この岩塩も例に漏れず甘いような気がする。

これを舐め尽くすに、どれほどの酒を飲むことになるのだろう?

しばらく酒を飲む都度に舐めてみようと思う。

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無視の文化  … ヒマの哲学その3…

A)       面と向かって話し合う、

B)       電話で意見交換する、

C)       手紙でやり取りする、

D)      フアァクスやりとり、

E)       電子メール交換、

F)       ブログでのコメントやり取り、

G)      ミクシィでのコメント・メッセージ、

意見交換だが、以上A~Gの間で、

AとBの二つは、

間(ま)が生きている。黙っていたり、間髪を入れず応じたりの呼吸が意味を持つ。話にぬくもりがあり波打っている。声が聞こえる世界。

内、Aは、互いに表情を見ながらの意見交換だ。

C~Gは、

文章の世界。作文の上手下手が思わぬ誤解を生じたりする。たがいに言いたいことを一方的に伝えるすれ違い世界。

そして、まったく“相手を無視”し得る世界でもある。

現代は“相手無視”の文化のなかにあるとわたしは思っている。

迷惑メールが実に多い。

無視して一気に削除する。

見たくも触れたくもない宣伝広告チラシがやたら多い。

みなゴミくずあつかいである。

JR三宮駅。何か配る人がある。

ティッシュペーパー。

わたしは擦り寄って受け取る。

アッハッハ(自嘲)、…ふれあいの世界かと思う。

今日は、昼前から三宮へ出かけるつもりだ。

「ヒマでボヤ~としているなら、あそこへ行ってくれる?」

と、かみさんが言うから、

ティッシュのねぇちゃん居るやろか?

ヒマの哲学その3のつもりである。

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2007年12月13日 (木)

なんの話?

某氏のブログに渋皮の話があった。クリの実の渋皮の話だ。甘いクリの実は渋皮に包まれているって話。

わたし、自分のことを随分偏狭な傾向にあると思っている。

話に偏狭・偏屈なイガイガを着せ、実を渋皮で包みたがる習癖があると思っている。

話したいことがあれば、そのままハダカで出せばよろしいわけだが、なんぼ美人でもいきなりハダカでは食傷気味になるかなぁ~って思い、チラリ見せに色気があると、思ったりする。で、話にイガイガを着せ、渋皮で包むことになる。

今日はこれから、社会保険事務所と区役所に行ってこようと思う。

ほいで、午後からは自宅に篭って尺八をピーポ・ピーポやろうと思う。

ピーポだけれど、飽きもせずにやっとるよ。

不思議でしょうがないのだが、稽古していて“日々新たなり”って自分勝手な思いがある。

稽古を重ねて上手になりつつあるか?というと、そうでもない。

ひょとしたら、聴くに耐えない方向へひん曲がりつつあるのじゃないか?

わたし、ダンダン世間一般の拍子から離れてきたような気がしてならん。もし誰かがわたしの吹奏を聴いて手拍子打とうとしても、どこで手を打てばよいか解らんと思う。

吹いていてエエ感じの音が出たら、譜面上では1拍子の箇所でも、そのまま気の済むまで2拍でも3拍でも吹き続けたりするからな~。

どうです?このヒマの使い方?

アッハッハ(笑い)、

今日は、“ヒマの哲学その2”のつもりで書いたのですよ。

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2007年12月12日 (水)

ヒマの哲学

世の中に“隠居業”ほど聖なる仕事はあるまいと思う。

聖なる仕事といえば神様仏様がおられるが、彼ら(言い方が変かな?)はある種の惑わかしを言ったりする。

彼らは利己的であって、

「わたしを信じる者は救われる…」とか、「南無観世音菩薩と唱えればたちどころに顕れ出救ってやろう…」とか言う。信じない者らは救わない。名を唱えなければ助けてやらない、ってセコクないか?

が、隠居業はひたすら“ヒマつぶしだけ”を生業としており、世間様のご迷惑にならないで、ひっそり暮らすことがその本体である。

いつもいつも世間様のありようをよ~く観ていて、迷惑にならぬように身を処することに徹する。これがどれほど聖なる仕事であるかを諸兄らはキットご存じないに違いない。で、以下順々と解いてお聞かせしようと思う。

さて、まず貴兄らは、

“年寄りはそこに居るだけで邪魔なのだ”

と、いう隠居の持つトラウマに注目せねばならん。

それは実に“若気の至り”の対極にあって、貴兄らのそのトラウマと釣りあっていることを知らねばならん。

若いってことは未熟と同じ意だってことを、未熟であるがゆえに貴兄らは知らんのだ。

あぁ~、

このあたりの消息を解きだすと切がない。ここをジャンプして話を前へ進めよう。

“隠居業はヒマつぶしを生業とする”云々だが、

ヒマが現にあってこそコレをつぶす、と、いう仕事が生ずるのである。

年寄りらは常にそのヒマを持っているのだろうか?

実は、ほとんどの者らが、そのつぶすべきヒマを持ち合わせていないのが現状である。

実に、実に、隠居業の仕事の大半は、“ヒマであるという状態を如何に創り維持するか”ってところにあることを知るべきかと思われる。

多くの年寄りらはこれを知らず、いつまでも稼ぎ仕事に未練を残し、若い衆らのお目付け役だなどと言って目の上のタンコブになっとる。会長だとか、顧問だとか、相談役だとか、なんだかんだの肩書きが欲しいヤカラがやたら多い。アホカ!こんなジジイらは世間様の邪魔者以外の何者ではない。

“ヒマ”ってなんだろう?

ナ~ンもすることが無いってことだろうか?

わたしはそうは思わない。ヒマは四六時中努力して創りだし続けるものである。この世知辛い悪意に満ち満ちた娑婆世界に生きて、ヒマを得るのは至難の技であるゾ。

話は変わるが、釣友にbどんってのが居る。

彼は未だ若く、現役バリバリの実業家だが、実にヒマをたくさん持っているげに見える。彼はヒマをとてつもない努力の中で創り出し続けている…、と、見える。

結果、彼は、四六時中魚釣りに遊び呆けている。

彼はヒマを通して娑婆社会を別角度から眺めることができている。世の隠居らは、わたしも含めてだが、彼に弟子入りしてヒマの意味を学ぶべきかと思われる。

偉大というか、遊び好きというか、けったいなというか、財力のなせるところというか…、

そうだなぁ~、やはり財力かなぁ~、

アッハッハ(笑い)、もうひとつ隠居業にあるべき必要用件ってのがあった。貧乏であるってことだ。金持ち隠居は、これは、わたしの仲間には入れないのだ。

bどんを褒めすぎては、話の本筋が狂うから、軌道修正して本稿をいったん終えよう。

ヒマと余暇とは、違うということを言っておこう。

上述のbどんのヒマは実はヒマなのじゃなくて余暇である。魚釣りをするのに忙しくて玉ランってのは、これはヒマの本質を逸脱している。ヒマは決して忙しいものであってはなならん。ヒマはヒマ以外の何者でもあってはならん。

そのようなヒマを創り続けることの意義を貴兄らは知るや?

明暗尺八の稽古は、実にヒマの体現そのものであるってことを貴兄らは知るや?

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2007年12月10日 (月)

仏法僧

古来、仏・法・僧は最も敬うべきものだということになっとる。

ナニが何でも、どう転んでも仏・法・僧はとにかくアリガタイのであって、心底から感謝感謝で、ご無理ごもっともで、もし不平不満を言おうものなら、たちどころに仁王門から赤鬼青鬼が湯気上げて走り出ておぬしの性根を蹴飛ばすぞ!地獄へ突き落とすぞ!

ところで、今日は母の4週目の逮夜日。朝方からずっとお坊さんの来訪を待ちかねているが、未だお見えにならんが和尚さんはどこで油を売っているのだろう?

坊さん稼業ってのは非常に忙しいものらしく、タクシーを終日借り切ったり、自家用車を自分で運転したり、大型スクーターに墨衣をなびかせて駆け出したりなさっておられるが、それでもまだ手も足も足りないみたいだ。加えて、途中の道が混んでいたり事故車があったりすると、予定が狂って大変である。

今日はナニがあったのだろう。

ジィ~と待っているのはシンドイから、尺八でも稽古していようと、ピーポーピーポーやり始めると、玄関がピンポ~ンとなって、坊さんの来訪ってのがいつもの状態である。

坊さんが我が家に近づくと、どうも、わたしは尺八を吹きたくなるような気がするようだ。

で、来訪を待ちかねると、わざと尺八を吹いて、来訪を促したりする。今日もそうだった、尺八を吹くと、坊さんが玄関に顕れ、ピンポ~ンだった。イヤァ~、実に不思議ですなぁ~、

尺八を吹くには吹くが、まさかカラオケ曲の稽古ってわけにもいかんから、このときは三谷を稽古している。三谷には亡者を招き、坊さんを招く効能がある。

いつだったか、一生懸命吹これを吹いていて、坊さん来訪のピンポ~ンに気付かず。いきなり部屋に和尚さんが入ってきて、和尚に「エエ音がしてますな」と肩越しに声を掛けられたことがある。

あぁ、

次回の逮夜では、白木の位牌から→正規の位牌へ、亡者をご案内する段取りである。

父と母の戒名をひとつ位牌に並べたのを特注した。すでに白木位牌に並べ置いてある。

眺めているが、なんとなく父・母が落ち着いたような、極楽に安着したような感じがある。

逮夜を重ね、だんだんシミジミした気分になってきた。

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2007年12月 9日 (日)

観るだけ

だんだん脚の痛みがうすれてもうほとんど以前と変わらずスタスタ歩けるが、ステッキが気になって、また大丸百貨店の7階介護用品売り場へ行き、狙いを付けていたステッキを手にポーズをつけたりして試した。

と、店員が側に来て、「お客さんにはそれは短すぎますね」と言う。

専門家の目からは、わたしには約7センチも短いらしかった。わたしの背丈に合う寸法のステッキはなかった。

で、また、6階の紳士用品売り場のスッテキコーナーの方へ移り、長いのを見つけて試すと、これがピッタリである。15,750円、イングランド製・自然木のブランド品。

買わなかった。財布オーバー、

脚が痛く、歩行補助具として杖が欲しかったのである。

が、脚の痛みが癒えると杖のあり方が違って見える。

杖(ステッキ)の世界ブランドはイタリアだそうだ。握り部分の凝ったものがよろしい。金とか銀とか象牙とか水牛とかの細工物が良い。棒部分も黒檀などがよろしい。軽いだけのアルミ棒などはサマにならん。要するに今のわたしの小遣いでは間に合わん。

帰路、三宮センター街を通る際、高級時計店があったから、用がありそうな顔を取り繕って店の最奥まで入り、一番上等らしき腕時計を覗き見た。3百万円を超えたローレックス。もちろん今のわたしの小遣いでは間に合わん。

ステッキも、腕時計も、観ただけで幕引きしようと思う。

今、神戸三宮~元町界隈はルミナリエ開催中だ。陽が落ちると電飾が点り多くの見物客がぞろぞろ歩きを楽しんでいる。これもまた観るだけの錯覚的楽しみである。

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2007年12月 8日 (土)

理路整然

     アナゴの両脇を万力で締め付けて後ろへしごけば、丸長い体形は平たくなって太刀魚になる。太刀魚にぎょうさん餌を食わせてメタボにすればアナゴになる。

     エビの尻尾をぐっと頭側に縮めるとカニになり、カニの胴体を前後に引き伸ばせはエビになる。

     オットセイを大きくすればクジラになり、クジラを縮めればナメクジになる。

     テロ防止給油法を拡大すれば戦争になり、戦争を縮小すればヤクザの喧嘩でいり。

     愛の最大は神様仏様、最小はマスタベーション。ちょっとこの考察はマズイかな?

     大酒食らうと酔っ払い、飲酒運転で捕まると覚める。

少し視点を変えて、

     東の反対は西。西へ西へと進んだら東からコロンブスが帰ってきた。

     座布団は畳の側が裏で、天井側が表。畳に垂直に立てれば表裏は判然しない。

     盃(さかずき)は大きく開いたほうが上で小さいほうが裏。ピラミッドはこの逆。

     たくさん食うと満腹し、しばらく食わないと腹が減る。便秘はこの中間。

     平和は、戦争と戦争との合間のことをいう。戦争準備の期間が平和だ。

     誰でも死ぬとあの世へ行き、後、またこの世に生まれ出るが、カエルやヘビや魚や虫であったりする。一昨日釣った太刀魚はオトッツァン・オッカサンの生まれ変わりだったかも。あぁ因果は巡る~、

昨夜は雑多な夢をみた。昨日神戸ルミナリエの雑踏を歩いたせいかも、あぁ~都会の雑踏はイヤだ!

また今日も雑踏の中へ分け入らねばならん。播磨灘・広畑沖のオトッツァン・オッカサンに会いたい。線香あげに行きたい!!(当所で太刀魚が釣れ盛っている)、

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2007年12月 7日 (金)

近況3題

数日前左脚の筋を違えて以来未だ痛みが残っていて難儀だ。ステッキが欲しいが値が高くて購入を我慢している。やがてもう数日も経てば痛みは消えると思う。それまでの我慢だと思う。…が、しかし、現に痛みがあるからは、ステッキへの恋情はあるわけで、数日後に仮に痛みが消えたとて、またぞろすぐに次なる筋違いが生じ得ぬとはかぎらんわけで…、そうなると即刻その際に左右どちらかの脚に生じるであろう痛み保養のため、ステッキが必要になるのではなかろうか…と、今、アレコレ思案中である。

大二郎どんと出会って、

「先日頂戴したヤキトリは、我が家の裏庭のキューイ樹の根元に葬ったよ。丁重に白菊の花を添えてね。ご馳走様」

って、お礼を言った。

ついでに、ヤキトリの姿焼きに、かみさんが悲鳴をあげて卒倒した旨伝え、「こんなものを平気で食べるような人に、あたしの絵が解るはずがない!」って叫んだって言い添えた。

「エッ!あれは名物ですよ!美味しいよ。スズメとウズラ。奥さんはダメでも波平さんは食べたでしょう?」と大二郎どん。

「食べません、かみさんの前でアレ食べたら、ぶっ殺されてキュウイの根元に埋められる」とわたし。

「残念だったなぁ~、あれは頭のミソが美味いのだよ!」と大二郎。

わたし、実は、かみさんに隠れて食ってみたかったのだけれど、大二郎どんのこの頭食いの話を聴いて、なんだか胸が悪くなった。船酔い気分ってのはこんなのだろうか?

あぁ~、昨日ですけど、

大二郎どんを太刀魚釣りに連れ出して、釣った太刀魚の〆方を教えた。

太刀魚の首をつかんで逆さにへし折ります。グシャ!ッて首の骨が折れる音がする。と、太刀魚がヘナとなって往生する。ヤキトリ食いのあの大二郎が観ていて…、

「わたし、そんな残酷なことようやらん!!」って言った。

飼い犬のショウスケは体重5キロほどのシーズー犬だが、雑種がすこし混ざっているようで、四六時中脱兎のごとく走り回っている。

散歩に連れ出すと電信柱や塀などに擦り寄ってションをひっかける。

土手の急な斜面も塀の一種に感ずるようで、今朝、パッと威勢良く斜面の上側の脚を上げてバランスを崩し、耐えかねて下へころがり落ちた。尿意がきつかったのだと思う。

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2007年12月 6日 (木)

今日という日が始まった

天の網の目は広大で粗いがこの網から逃れることは不可能。

これを「天網恢々(てんもうかいかい)疎にして漏らさず」という。

要するに、悪いことはできないってこと。バレルってこと。

だが、悪いことをするヤツは浜の真砂ですね。だから安心。

なんぼでもドラマネタはあるわけだ。うれしいことだ。

なんの話??

刑事物ドラマの話です。

ウイークデーの午前9時55分からは、6チャンネル(ABC朝日テレビ)で、藤田まことの「はぐれ刑事純情派」をやっている。わたし必ずこれを観る。ナミダ涙で観る。

隠居が板に付いてきて、だんだんとテレビ前にヘタリ座ることが多くなっている。難しいドラマや、絶叫調の歌は苦手で、勧善懲悪の刑事物ドラマが大好きだ。安心して観ていられる。

で、悪者らを色々観て楽しむが、悪とみえた者が実は心温かい善者であって、エエモン面した見かけ善者が実は悪だってオチが通常の筋。この間のあぁ~だこうだのもつれがオモロイわけだ。

悪者と善者の間に、刑事がからんでドラマは進行するが…、

あぁ、この刑事の位置が色々なのだよね。科学捜査管だったり、検察官だったり、医者だったり、看護婦だったり、弁護士だったりする。みなおもしろい。

今日は凪だ。沖へ太刀魚釣りに出ようと思う。

と、「はぐれ刑事純情派」が観られない。でも、我が家はハイテク仕様になっていてテープ録画装置がある。後から楽しみ観ることが出来る。録画の場合はコマーシャル部分を早送りできるのでむしろ観やすいように思う。

AM9時55分~10時53分 「はぐれ刑事純情派」

PM1時55分~ 3時46分 「京都殺人案内・みちのく母恋吹雪」

PM8時00分~ 8時54分 「京都地検の女・刑務所に入りたがる女

     桔梗の花が暴く殺意」

PM10時00分~10時54分「ジョシデカ(女子刑事)・悲劇的な結末」

同時刻に複数局で同類の刑事物放映がある場合は、当然ながら面白そうな方を観る。

これからボチボチ太刀魚釣りに出かける。

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2007年12月 5日 (水)

もうしばらく明暗に没頭

三曲における尺八の位置は、

→カラオケの歌い手。竹は気持ちよく歌えばよろしい。

尺八古典本曲における尺八の位置は、

→フギュアースケートにおける単独演技、野球9回裏に3・4番を迎えたピッチャー。

今日は、キヨちゃん宅へ「残月」引っさげて行った。

気持ちよく歌わせてもらった。

「残月」を吹くのは、実に40年ぶりだった。

数回自宅で素吹きして、昔を思い出し、とても懐かしかった。

で、そのままの気持ちで吹いた。竹調べ無しのいきなり本番だ。都山譜で吹くが、前歌・あと歌・そして途中にも随所に波平手が入っていて、いわば波平譜とでも言った方がエエかも。

キヨちゃんに、

「わたし、譜面をだいぶいじっていますよ。昔、このようにして吹いていたってことだけれど、このまま吹いても構わんかな?」

と、断りを言った。

合奏し終わって、キヨちゃんが、

「こんなこと申し上げて…たいへん失礼だとは思いますが…」と、口ごもる、

やっぱダメだったか…、と、ガックリし、

「なんでしょう?」と、わたし、

「どういったらよろしいのでしょう、なにかこう大きなものが…」と、彼女、

「はぁ~、おかしな感じだったでしょう、ダメだね…」と、わたし、

「大きく、太くなられたというか、どう言いましょうか…、以前は線が細かったけど…」と、彼女、

褒め言葉でした。ゆとりがあって、大きくて、太くて、…と、言葉を探る彼女、

わたし、カァ~と熱くなった、メッチャ嬉しい!!

この春先まで、ときおり彼女と合奏を楽しんでいたが、小さい曲ばかりだった。それをこねくりまわして吹いていた。

いきなりの「残月」で彼女は不安に思っていたようだ。

一方、わたしは、

吹きながら、彼女はこんなにも上手だったのかと今更ながら呆れていた。

揺らぎのない鍛えた彼女の歌声にドップリ甘え込んで吹いた。

甘えすぎたかなと心配だった。

彼女から、このような感想を聞かせてもらえるとは思ってもいなかった。

今まで幾度も彼女と合わせているけれど、彼女からこのような感想を聞いたのは初めてである。

「もうしばらく三曲を離れ、明暗に没頭するつもりです」と、わたしは言った。

わたしは、今日の自分の不出来箇所はわかっている。これが彼女に分からぬ筈がない。

彼女は何も言わなかった。

「六寸を調べるのでしたね」と彼女。

「そうそう」とわたし、

「春の海」を、またいきなり合わせた。なんとか最後まで吹き終えた。

6寸管は調律がいまいちである。メリ・カリを効かせながら吹いた。

概ね合格。

「ハ」の乙がかすかに低いのが気になると彼女は言った。琴古の「リ」にすると、その音でよいという。竹隠銘の琴古作りの竹である。小林一城氏の手でピッチ上げしてもらった竹だ。その際、律バランスも可能な限り整えてもらったがやはり限界がある。気をつけて吹いたがなかなか難しい。

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ルミナリエは白骨

ここ数日来、神戸三宮へ出ているが、センター街を元町へ向かうが、なんであれほどバック・カバンの店が多いのでしょうね。靴の店も多いなぁ。

いつもは店の様子などは関係なくスタスタ通り過ぎるのだが、3日前から左脚の付け根アタリが痛くて歩き辛いのですよね。片足を多少引きずるような感じで歩いている。

みっともなくていけないので、いっそのこと、ステッキを買って格好よく歩きたいと思い、ステッキを売っていそうな店は無いかいな?と、店内の様子をうかがいながら歩いているわけですよ。無いですなぁ~、

スポーツ用具店があったので“そうだ!登山用のピッケルで使えそうなのがあったら格好よい”と、店に入ってみたが、気に入ったのがなかった。

で、大丸百貨店に入った。あった。値段を見てひっくり返った。数字のコンマの位置が変だと思って確かめたら、10万円を超えるステッキだった。エッ!と気を取り直して、値札を次々たしかめるが、2万円以下のは無かった。女子店員がわたしの気配を感じてか、「7回の介護用品コーナーにもお安いのがありますが」と、言った。わたしは紳士用品売り場の階に居たのだった。

で、7階へ移った。気に入ったのがあった。1万円を超えている。サイフを逆さに振れば出てくるだろう。

が、しかし…、

これをサイフ逆さで買い込むほど、今、ワイの左脚は痛いのだろうか?…と、自問した。

それほど痛いとは思えなかった。

また、左足を引きずりながら、街へ出た、

あぁ~、サムザムとした街だこと、ルミナリエの形骸が白骨に見えました。

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2007年12月 4日 (火)

「残月」

明日5日は、神戸のキヨちゃんに遊んでもらおうと思っておる。

大二郎どんからキヨちゃんへの贈り物(本2冊)をわたし預かっていて、それをお届けしがてら1曲合奏の相手をしてもらうつもり。すでに彼女にそう伝えてある。

三曲合奏は久しぶりだ。無難な曲を選ぼうかと思ってあれこれ下稽古してみたが、明暗尺八の気持ちが吹っ切れないせいか、箏曲は気持ちが乗りにくい。「梶枕」にしようかと思ったが、いまいちである。そうだ「残月」にしようと思いつき、吹いてみると、気分的には楽に吹ける。明暗気分に近いように思った。明日は「残月」を合わしたいとキヨちゃんにお願いした。

わたしは免状は持っていないが明暗の前は都山流をやっていたから、「残月」も都山譜で吹く。

が、前歌・あと歌の都山の譜付けは嫌いである。適当に省略し、琴古譜から一部借用し、いわば波平譜に置き換えて吹く。そのように譜に朱を入れている。いつ入れたのだったか忘れたが40数年前に、若気の一途な想いで書き込んだのだ。

思い出している、

その当時の都山仲間らはわたしのような浮気をしなかった。

で、皆、順師範免許を得て、上へ進み、今や都山幹部会の重鎮になったりしている。わたしは、浮気浮気で常の吹料も琴古竹だし、譜はイジリまくりだし、とうとう都山流の試験はナァ~ンも受けなかった。

思えば変な尺八人生である。

久しぶりに、あれこれのことを思い出しながら「残月」の下稽古をした。

緩急の要領が自然と思い出されて懐かしい。ふと往時の三弦師匠・山崎美也先生の糸が蘇ったりする箇所がある。糸が聴こえるわけじゃない。が、先生の糸の勢いを肌に感じる。その勢いにつられて吹く。当時は毎日竹を吹いた。以来断絶40年近くを経て、今、わたしは毎日竹を手にしている。今年3月以来毎日だ。最近になって、ますます昔を思い出だすことが増えている。竹音が昔のそれに戻ってきたのではないかと思っている。力みが減ってきた。竹が鳴るようになってきた。昔の気分が蘇ったかも。

この「残月」を、キヨちゃんと合わせたい。

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2007年12月 3日 (月)

焼き鳥

どこかで聞いたが、

米国から来た友人に鯛の荒煮をご馳走して、その食べ方をお教えするに、目玉をえぐり食ってみせたら、米国の友人が真っ青になって、大喧嘩になったらしいよ、

でも、米国人はクリスマスに、七面鳥の丸裸をテーブルに載せて、生唾飲むのだよね。

野外にテーブル出して、子豚を串刺にしたのを焚き火にかざし火あぶりにするって聞くよ。

わたし、魚は平気で食うけれど、生け造りの刺身がピクピク動くのはいやだなぁ~、よう食わん。

昨日、某竹友が、お土産だといって焼き鳥をくれた。

夕食時に、かみさんがその包みを開けてビックリ仰天、天地逆転、卒倒した。

「ギャア~!!」

椅子ごと後ろへデングリ返った…、顔が引きつり、真っ青になった、

本物の鳥が、姿形まっとうなまま、残酷にも串刺しにされていた。

頭も足も羽先もキチンと付いていた。

スズメだと思うけれど…、鳩だろうか、少し大きな鳥の串もあった。

いずれも串に貫かれて焼かれていた。

今朝、われわれ夫婦二人は、涙ナミダで痛々しい串を抜き取り、線香を上げ、経を念じつつ、丁重に葬った。

♪♪ チ~ン、ナァーム~、♪♪…

裏庭のキュウイの根元に葬った、花を供えた。

☆◎どん、ご馳走様!!

太刀魚が釣れ盛っているようだ。

太刀魚釣りは、太刀魚が餌を食いに来たところを引っ掛け釣るのである。

釣ったら、

きゃつらの胴体をブツブツ刻み切って、煮たり焼いたりサシミにしたりして食うが、コレが美味いのなんの。今、4本指、5本指が近場で釣れているらしいよ。

コツがあって、

釣り上げると、首の根っこを逆さまにネジ上げて、ボキって首の骨をへし折ります。コレが鮮度保持に役立つみたい。刺身は一日置いた翌日が食いごろだね。バター焼きがウマイよなぁ~。

この場合、決して、線香をあげたり、でんぐり返ったりはいたしません。

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2007年12月 2日 (日)

個展ご案内

昨日、フグ釣用の餌を明石の「魚の店」商店街へ買出しに行きました。

生きの良いピチピチ跳ねる小エビが500円単位で売られていた。

「これ4つまとめて買うと幾ら負けるか?」

って問いかけた。

「なんぼまとめてもこれ以上は負けられん!」

と、そっけない返事。

ほんなら二つにしようかな、と、グズグズ思案しはじめると、店のオッサンはわたしの顔色を読んで、「4つやな、よっしゃ入れるでぇ~」と言うが早くパツパツと袋へ入れてしまった。

量的にはひとつ500円は充分安いと思っているが、フグを釣る前に、魚屋のオッサンに釣られてしまった、シテヤラレタ!っテ感じがあるなぁ~。

で、今日は、この餌を持ってフグ釣りに出ようと思っていたのだが、

アカン!かみさんの絵の個展(柳本富子日本画展)が先月末から始まっていて、今日は初めての日曜日だ、わたしも会場へ手伝いに行った方が良さそうである。

アッハッハ(笑い)、かわいい個展でね。ほんに小さなコーナーに、少しだけ並べ展示していて、ゆっくり座る場所もないですよ。ボサ~と背の高いわたしが突っ立っていたら、邪魔以外の何者でもなくて、でも、近くに居ないわけにもいかなくて往生しまっせ、

神戸元町の大丸百貨店のすぐ裏側の、(株)ノーリツのショールームの隅っこに展示しています。今月25日まで。水曜日は休館です。お近くへ起こしの際はチョット覗いてやってください。茶菓子もナァ~ンも出ないけれど…、

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2007年12月 1日 (土)

年末チラシ

今朝の朝刊は分厚いですなぁ~、台所に置いている調理用の秤で目方を計りました。新聞本体が350グラム、広告チラシが450グラム、合計800グラムでした。これ以上分厚くなると、玄関の郵便受けには入らんよ。

どんなチラシが入っているか点検します。

以前は、チラシなんぞ調べたことないが、最近はヒマだから、こんなこともやっとる。

チラシを調べるのは、もうひとつ理由があって、実は釣具の安売り広告を探しとる。

先日、ヨシ○とフグ釣に出た際、ヨシ○はわたしよりだいぶ上手にたくさん釣った。

ヨシ○のタックル(釣竿・リール)とわたしのそれとを比べると、格段にヨシ○のそれは上等品のようだった。これが原因だと思う。

「やっぱ980円の竿やとアタリも鈍いなぁ~、ヨシ○君の竿はよう釣れるやないか!」と、わたし。

「エッ!その竿たったの980円ですか!そういえば途中のガイドも変ですね、足りませんね!」と、ヨシ○。

ヨシ○の竿は非常に鋭敏で、フグが側に寄ってきただけで竿先は微妙に震えた。

餌に向かって口を開けたら、竿先が「ヤヤッ!食うぞ食うぞ!」って叫んだ。

餌にフグが食いつくと、とたんにヨシ○は竿をあおる。これで釣れないわけは無い。

リールも上等のようだった。音も無くツルツル道糸を巻き上げた。

一方、わたしの竿は、

3年前に980円で5本買ったのだったが、その後ポキポキ折れて、今は内2本だけ残っていて、それをつかっていた。先端ガイドがスッポ抜け、先端パーツを1ケ買いして補修したり、途中のガイドの少数破損はそのままほったらかしの傷跡なまなましい一物。竿全体がくたびれていて、この日はなんと75号のオモリを付けて釣っていた。さっぱりアタリが取れなかった。竿先に鈴をつけたがそれでもなおアタリが出なかった。

リールだが、

ヨシ○のは上等品らしかった。彼は「やはりこの竿には両軸の方がエエな…」とか言いながら、その値の高そうなスピニングをツルツル巻いていた。

と、釣られたフグが膨れっ面であがってくる。

一方、わたしのリールだが、

3年前に、道糸付きリールと竿のセットを980円で買ったのだったが、さすがにリールはすぐ壊れ、その後買いなおした物である。すでにくたびれ気味であってギシギシ音がする。巻く際それなりの抵抗をしめす。で、ナニか大物が釣れたような気がするが、あがってくるのは餌を食い取られたあとの空針と75号のオモリだった。

動物行動学上の見地からは、どの種の動物も、大人と子供とではご飯の食い方が違うのである。

子供は大人に比してガツガツ食う。激しく餌に食らいつく。

だから、魚釣りの場合、竿先に派手なアタリが出るのは子供フグが食ったときである。さすがにこのときはわたしの竿にもアタリが見えた。が、大きな親フグはおっとり味わいつつ餌を食うから、わたしの竿先にはそのアタリが見えない。

わたしが釣るフグは概して小さく。ヨシ○が釣るフグは大きかった。

わたしは、年末の釣具大売出しの広告チラシが入ったら、清水の舞台から飛び降りようと思う。ヨシ○ばかりに大物を釣らせるわけにいかない。

980円のは止めて、もっと上等の竿とリールを買おうと思う。

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