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2008年5月

2008年5月31日 (土)

雑念の「瀧落し」

感化され易い性質なので、エエ加減にしとかんと、ドッボンはまり込んで戻れなくなる。ここ数日、神如道譜を手がかりに、琴古本曲「一二三、鉢返」をなぞってみたが、ここらで一旦終えて、深入りを避けて、明暗へ後戻りしようと思う、

昨日から、神如道譜の瀧源寺所傳古典本曲・「瀧落」を研究中だ、
如道譜「瀧落」と、京都明暗寺対山譜「瀧落し」とはほぼ同じです。
印象では、80%は一緒だ。
では、どこが違うか?

瀧源寺の「瀧落」をA、京都明暗寺対山譜「瀧落し」をBとする、
記譜などに以下の違いがある(おもなことだけ抜粋)、
 「ツ」の扱いが、A・瀧源寺は低く、B・京都明暗寺は高い、
 「ウ」の扱いが、Aは低く細やか、Bは高くそっけない、
 「ナエシ」扱いが、Aにあって、Bには無い、
 押し手の表示だが、Aにあって、Bには無い、
の、他に、

終盤に、ひと節だが、手付け譜の違う箇所がある、
A「ツレーレーーツ―」
B「レレレ ツロロ ツレロロー。ツレ」
明暗寺譜を吹いていますとね、この箇所に来た際、妙な違和感があるのですよ、
はぁ~これだな!!って思ったなぁ~、
で、試しにこの部分をA・瀧源寺で吹くと気持ちがピッタシですわ、
(ただし、以下にアップの音源は明暗寺譜)、

上記●のことですが、
音楽的には、瀧源寺に軍配があがるのじゃないかな、理に適っていると思う、
が、しかし、
スッポンポンの地無し竹では、瀧源寺は吹き辛いですわ、芸が細かいからなぁ、
A・如道譜の瀧源寺所傳古典本曲・「瀧落」には、
ニ三開けの「ウ」、三の「ウ」、ニ四五の「ハ」、四五の「ア」、メリカリの多用など等があって、地無し竹にはシンドイ。

ひとつ発見です、
譜には顕れない息遣いのことです、明暗の基本はクサビに吹くってこと、
対山譜の根っこにはクサビがある、
鐘楼に大きな鐘が吊り下げてある、突き棒がある、突き棒を揺らし鐘をドツキ撞く、
撞いた瞬間の音+暫時後に広がる音+消え行く音=これがクサビの音…、かも、
寺に住まって、毎日この鐘の音を聴きながら尺八吹いたら、だんだんクサビ吹きになったのだと思う、わたしはそう想う、
クサビで吹きたい、あらためてそう想う、

あぁ、譜の末尾に如道師の言葉が添えられている、
「…瀧の音律と女瀧か男瀧かを注意して善処する必要がある…」とある。
わかったような、わからんような…、どこがどうなのでしょうね???
でも、
細かい吹き分けは、クサビ吹きでは、難しいよなぁ~、
乱暴かもわからんが、
瀧でも、水道じゃ口音でも、浜の波音でも、どっちだってなんだってかまわん、
「瀧落」はすべてから超越した名曲だと思う。この曲は自分でしっかり生きている、そう思う。

雑念駆け回るなか、たった今吹いたもの、気持ちが上ずっている、

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2008年5月30日 (金)

人それぞれ

尺八遊びには、(おいおい、も少し真剣に取り組んだらどうや、の、声)、
できるだけ上等が欲しいですね、
鳴らし易くて、律もしっかりした、尺八が欲しい、
なんぼ稽古しても、鳴り難く、律不揃いの尺八では、上達も難しく、楽しみも得難い、

楽器はすべからく、最高品質のものを選ぶべきでしょうね、
楽器演奏はまずここがスタートだと思う、
尺八って楽器は、難儀ですネェ~、
自然の竹で作るから、1本1本手作りだから→出来不出来に大きな差があって、出来の良い尺八は値段が高いですわ、

手作りなのですよね、
で、なるべく自然のままで、手をほとんど加えないままで、たまたま出来上がった尺八、これが“地無し竹”と呼ばれて珍重されます、
シッカリ手を加え、鳴り易く、律の調整の完璧を目指した尺八は、“地塗り竹”と呼ばれて、これが通常の尺八です、完璧度に応じて値が付けられる、

“地無し竹”は、☆ 音色が、その竹だけの澄んだ音で音味が云々と評価される、
★ が、鳴らし辛く、調律が不完全、
“地塗り竹”は、★ 音色が、少しくぐもり、一般的で個性が少ない、
☆ が、鳴り易く、調律が出来ている、

わたしが持っている尺八は、皆、“地無し竹”です。正確に言うと、“地無し”のレベルに差があって、
A・ほとんど自然そのままの状態の物と、
B・少しだけ手が加えてあるのと、
C・だいぶ手が加えてあるが未だ地無しの範疇のとがある。

Aが、「火吹き」…火吹き竹みたいな延べ菅、無銘、
Bが、「美仙」……“美”は山崎美也先生の1字、“仙”は典雅な音色の意、竹隠銘、
Cが、「錆落し」…5節延べ菅、地塗り一歩手前の菅、虚霧洞銘、
あぁ、名は皆わたしが勝手に付けたのです、

使い分けですか?
A、「火吹き」は、明暗流で使います、
B、「美仙」は、地歌吹きに使う、
C、「錆落し」は、童謡唱歌・演歌用、そして琴古流本曲に使う、


<やっと、本題です>

琴古本曲は、音の扱いが大変微妙繊細で、
「火吹き」では対応不可能、
「美仙」でも難儀、甲音「ウ」がとても出し辛い、ピッチが低すぎる、
「錆落し」で、なんとか対応できる、音色が浅いが我慢かな、

明暗・対山譜ですが、
「火吹き」のようなホボ完璧な“地無し竹”で吹こうとすると、対山譜レベルの曲譜の簡素化が必要だと思う。やっと、このことに気が付きました。
琴古流のあの“繊細華麗な音色”を、明暗流の簡素な吹き方で“枯淡の味”で出す、
琴古は拍子と律で吹く、明暗は音味で吹く、
だんだん判ってきたぞ!!!
では、
明暗を地塗り竹で吹くのはいかがか?
人それぞれだよな、わしゃ、関係ない!!!

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2008年5月29日 (木)

「錆落し」で

何事でも、習うってのは早い話が真似ですよね。
わたしは、琴古流名人のCDやMD聴いて、真似吹きを試みているが、これがなかなか巧くいかん、
聴き洩らしが実に、実に、多い、そのことが聴き込めば聴きこむほどわかってくる。

聴く耳が幼いのだ、こんな耳では役に立たん、我流はアカンねぇ~、

でも、もうすこしだけやってみよう、
琴古の呼吸がもう少しわかったら、あとは無理せず、明暗に閉じこもるつもりです、

今回は青木鈴慕を真似てみましょうかねぇ~、
加えて、自分なりに、少し押し手を加減している、ナエシに変化を考えている、
スタート位置はこれですわ、

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「美仙」では、「ウ」の1・3半開けの甲音が極端に出にくい。割れてしまう。
で、今回は「錆落し」で吹いている。
律的にはこのほうがむしろシッカリしていて、ピッチもほぼ442だと思うがどうだろう。
惜しむらくは、音味が浅い。
この竹は、ふだんは遊びの時しか触らない。

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2008年5月28日 (水)

三色(人)娘の気分で

午前10時~午後1時は、吹いていなかった、珍しく用があって出かけていた。
帰宅し、大急ぎで昼食摂りつつ、午後1時からのNHK衛星第二「大当たり三色娘」を観た。美空ひばり・江利ちえみ・雪村いづみの映画。スバラシイ!!感動した!!!
この感動のさめやらぬ間にまた尺八を吹く。

今回は、気分に任せて吹いてみた。テンポが少し速まったと思う。
今後は、曲趣を主に稽古をしてみようと思う。

本日午後4時の出来はこの程度、

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葛藤(かっとう=あぁでもない、こうでもないの意)

不思議でかなわんよ!
毎日、自分では、意外と巧く吹けるようになったなぁ~、と、思うけれど…、
これって突き当たり(錯覚)でしかないみたい、

翌朝、又、稽古を始めた途端に、前日の不出来箇所が明々白々自覚できる、
アリャなんだこれは!!って、わかる、

で、また、吹き続けると、またまた、ヨッシャ、だいぶわかってきた、…と、思う、
きっと、数時間後には不出来具合が自覚できているだろう、…が、今は、わからん、

たった今吹いたのをアップしますね。
途中の不出来箇所と、最後近くの手の間違いはもうわかっとる。
が、全体的には配慮が足りてきたように、今は、思っている。
が、これが、曲者ですわ。
実は数時間後には、、もう恥ずかしくて穴に入りたくなっているに違いないよ、

と、まぁ、このカットウも聴いてもらいましょうかねぇ~、


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☆@♂♀◎%√♪♪♪

お金持ちと貧乏人とは、住む世界が違うと思います、
世間の広さが違う、
前者は広く、後者は狭い、

博識な人と単細胞の人とでは、住む世界が違うと思います。
時空の広さ深さが違う、
前者は広く深い、後者はうすっぺらだ、

金持ちでかつ博識な人 VS 貧乏でかつ単細胞の人
これは、もう、
ゼンゼン勝負にならんと思います、

が、しかし、
どちらが人間らしいか? どちらが幸せか?
これは、間違いなく後者であろうと、ワシャ思う、
ヤッカミかも知れんが、デッタイに間違いない、…と、思う、

ワシャ幸せ、
それにしても……、☆@♂♀◎%√♪♪♪


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2008年5月27日 (火)

土へ

「欲」を捨てれば「苦」は無くなる、

魚釣りに出掛けて、ぎょうさん釣りたいと思うからシンドイのであって、ボーズでもかまわんと思えばシンドクない、
が、デンデン、おもろくない、

エエ音で尺八吹こうとするからシンドイのであって、きたなくへしゃげた音でもかまわんと思えばシンドクない、
デンデン、まったく、おもろくない、

「欲」を捨てれば→「おもろくない」、
「苦」は無くなる、が、→「おもろくない」
???
「おもろくない」ってのは、「苦」そのものではあるまいか?

「発心(ほっしん)」…このうえなき“正しい目覚め(さとり)”に向かう心を起こすこと、
???
この「発心」だけは、「欲」とは言わないようである。

神にも仏にも、得手勝手はある。
アーメンと言わなければ、ナム~と唱えなければ、神も仏も振り向かない、

父母没後もそのままになっていた遺物の整理をしようと思う。
昨日は、写真を焼却処分した。
仏壇前にアルバムなど積み上げて、明暗本曲「三谷」を献笛、
極少数を残し、全部焼却。すべてを土に還したい、
もちろん、アーメンも言ったし、ナム~も唱えた、

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2008年5月26日 (月)

…の、つもり吹き、

琴古本曲「一二三、鉢返曲」のつもり吹きです、
曲名名乗るのは、まだまだおこがましいのはわかっとる、
が、一応曲名を言うておかな、聴く人にわからんかもと思うから、この際標榜させてもらう。

音がよろしくありません。
手に気取られていて、本当を言えば未だ曲が吹ける段階じゃない。
なにせ、琴古の手を真似て吹きはじめて、まだ1週間ほど経っただけだからなぁ~、

単管丸どんが、前回アップのを聴いて、音が琴古とは別の物だって言った、
で、今回は、その点に注意して律などの扱いを工夫した、明暗に吹くとダメですね、
押し手がわざとらしいですねぇ~、
吹きながら
“アレッ!ここはどうするのだったかな?”
などと、迷いながら吹いていますですよ、

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わからんことだらけ

平成元年頃から、わたしは魚釣りエッセイを書き始めたようである。
その頃、JRや私鉄の駅売店で「釣り場速報」というタブロイド版の週刊魚釣り新聞が売られていた。時々買って読んでいたが、フト思いついて発行元に原稿を1本送った。
「こんな原稿でよかったら、わたし書きますが?」と…、
以来、11年間強、毎週1本原稿を送り、掲載された。原稿料は貴重な釣り餌購入資金になった。

久しく書き続けて、編集者が交代し、原稿に入る朱が気に入らず、原稿を送らなくなった。
この間の原稿の内、最初の2年半分だけをかろうじて「本」にし得た。「遊々波平釣り日誌」(1997年・新風書房)である。市販した。もう手元に記録用の数冊を残すのみだ。
残り7年半分はワープロフロッピーに入れたまま放置。ワープロ本体はもう手元に無い。ワード変換すればパソコンでも開けるはずだが、それすらしていない。

初の自費出版本「遊々波平釣り日誌」が日経新聞の目にとまった。
日経新聞水曜日夕刊に平成10年春から毎週魚釣りエッセイを連載した。
しばらくの間は、日経と釣り新聞の二つを書いていた。

平成13年に市役所を定年退職した。
日経連載が終了し寂しさが募った。エッセイ書きはもう生活習慣になっていた。
で、自分でパソコン上にホームページを立ち上げた。
定年退職直後の2年間のエッセイをまとめて自費出版した。「波平波枕」である。
ホームページに掲載の「メダカ釣り」が一人歩きし始めた。ひところ報道各社から頻繁に取材を受けアチコチに出演した、掲載された。けっこうおもしろかった。
一昨昨年、愛艇「はまちどり」で、西日本列島周航の単独行をし「海の凪ぐ日」を自費出版した。
一昨年、東日本列島周航の旅をし「岬波」を出版した。
が、残念無念!!「岬波」はパソコン上の公開出版である。このブログの右サイドバーに掲げてあるのがそれだ。経費の都合でこうなった。

今朝、ボヤァ~と全体像を概観してみたのである。
いったい何千編書いたのだろう、
いつまで、こんなことを続けるのだろう、
自分のことながら、サッパリわからん、

とりあえず、今日もまた、尺八を吹こうと思う、
少し吹いては、譜に朱を入れる、アレコレ書き込む、
だいぶ譜面が汚れてきた、「一二三、鉢返曲」である。
いつまでこれやっとるのだろう…、これも、わからん、

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地歌と都山流尺八

たとえば「赤とんぼ」や「夕焼け小焼け」や「故郷」など等は、歌詞が大きな力を持っている。童謡・唱歌の類は歌詞が命かも。演歌だってそうかも。
が、「軍艦マーチ」は、歌詞がどうであれ、あの勇ましい曲には歌詞を超えた力がある。

たとえばバッハ、ベートーベン、シューベルト…、曲名をことさらに言は言わず単に番号で呼ぶのが一般的な曲がある。曲名を付すことで、音楽を言葉の世界に押し込めることになるのを嫌ったのだろうか?
音楽と、言葉は、曲構成の上でどういう関係にあるのだろう?

実は、地歌の唄について考えている。
地歌は、昔は、演歌の類だったと聞かされているが、ほんとうだろうか?
本当なら、歌詞にこそ意味があって、言葉の力が曲趣を背負っていたのかも、

昔は昔、今は今、
今の地歌の場合、三弦奏者にとっての唄と、尺八奏者にとっての唄とは、意味合いがだいぶ違うように思う。
三弦奏者にとっても、歌詞は、今や、曲趣の添え物でしかなく、もはや曲趣の中心(曲趣リードの力)ではないのじゃないか?
尺八奏者と歌詞の関係は、琴古流と、都山流とでは、地歌の手付け(譜付け)に大きな差がありすぎて、ひとくくりでは語れないですね。

結局ナニが言いたいのか?
胸の内にモヤモヤしたものがありましてね、言葉に出して書けそうな気もしないでもないけれど、難儀ですなぁ~、とても難しいですわ。
でも、もう少し語ってみましょう。

三弦を弾きながら唄うとき、唄の節は三弦とは付かず離れずに別の節で唄うのですよね。立体的に演奏しているわけだ。この呼吸というか間の創設にはスゴイものがありますな。
が、ここに、尺八がネジリ入りますとね、この立体性をぶち壊してしまう。ことに都山流は壊し方がエゲツナイ。
都山流の譜付けは、譜の中に、腹話術的に唄の節を取り入れている。取り入れようとしている。これはあたかも地歌がかつて演歌の位置にあった頃の庶民の楽しみ方じゃないでしょうか?エッチな情景、想い深い恋心、を、思い描きながらつぶやき唄うあの独り唄いの心じゃなかろうか?
わたし、都山流尺八は、地歌に関しては、三曲で合奏するのは良くないと思います。
都山流の地歌譜は、尺八だけの独り吹き用の譜付けだと思う。
で、どうしても三曲で吹きたければ、譜の中の唄の節の部分、要するに腹話術的に取り込んだ唄の部分は、思い切ってカットして吹くように心がけるべきかと思う。
とは言うものの、どこがその腹話術部分かが半可通には判然としないですなぁ~、これが難儀ですわ。
わたしの頭は、もはや洗脳された頭になっていて、分別不可能になっとるからなぁ~、
要するに、地歌が分からんまま、ブーブー吹いているわけよ、無茶苦茶だね、
でも、いつも、なんか変だなぁ~って思いつつ吹いているってことですよ、

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2008年5月25日 (日)

アホか!

どの世界でも外から観ると狭く思えても、中に入ると意外と広く奥深く感じるものらしい。
どうやらこれは趣味の世界でも同じみたい。

たとえば、わたしは、ゴルフはぜんぜんやったことが無い。
あれは芝生の穴に堅い小玉を転がし入れるゲームだと思っている。そんなことでナニを大仰なことを言うのだろうと思う。が、ゴルフ愛好家からすれば、わたしの狭い偏見は笑止千万に違いない。

この狭い偏見の類は、実は、わたしの尺八の世界でも常にアップツーデイトであって、わたしは常に自分の狭い偏見を自己反省し続ける業のなかにあり、カルチャーショックの鞭で打ちのめされ続けている。

あぁ~難儀だ!
研究が進む(?)と、稽古を積むと、その分反作用が育ってきて、自分の足らずが見えてくる。自覚としては、自分の下手さが判ってくる。
あぁ、なんと“月とスッポン”であることか!!
長年尺八に親しんでいて、琴古の「キ」の字も知らんかったのだ!!!

…が、しかし、なぜだろう???
差が、下手さが、わかったとき、自覚できたとき、ジンワリ・ジンワリ深いところから温かい何かがこみ上げる。ふんわりと柔かい嬉しさみたいなものに身が包まれる。
わしゃ、この感触がたまらない!!!

下手な尺八音源をアップしている。
「あいつはアホか!」
アホですわ、ほんと、ほんと…、
わたし、どこかおかしいですか?


琴古流に入り込む気は毛頭ない、
が、
琴古味にシッポを掴まれてしまった。
今は、
なんか変な落ち着かない気持ちですわ、もう少し向き合ってみましょうかねぇ~、

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2008年5月24日 (土)

15点?

尺八古典本曲「一二三、鉢返曲」に向かい合っている。
神如道譜と琴古譜と明暗譜とを見ている。
神如道、山口五郎、青木鈴慕、川瀬順輔を聴いている。
明暗譜はわたし既習の曲で、白龍師匠の音が頭にある。

このたびは、とりあえず琴古譜を真似吹こうとしている。

いきなり琴古譜を見ても吹奏は無理。
譜には記されていない約束事が多すぎて他流派の者にはさっぱり解読できん。
が、神如道譜には、この約束事解説が少し書き込んである。
が、が、まだ不足。譜を見ただけでは判読不可能。CDを聴き込んでもダメ。
たとえば、
音出し前の阿吽の呼吸が書き込まれていない。
音終いの気合が書かれていない。
無韻の韻はすべて闇の中。

竹友が頼りだ。いろいろ不躾な質問を浴びせた。
で、すこし、闇から見えはじめたものがある。
吹いてみよう!!

頭ではかすかにわかり始めたのだったが…、
なんと、持ち竹の愛管「火吹き」が、わが思いのままに鳴ろうとしない。

明暗譜で、これ(注・明暗流では「一二三」「鉢返曲」の2曲に分割されている)を吹く際は、気にならなかった「火吹き」の調律が、琴古本曲の「一二三、鉢返曲」を吹こうとすると、その不調法をさらけだしたのだ。まったく様にならない。
絶えかねて愛管「火吹き」を小林一城製菅師の元へ持ち込んだ。
「なんとかしてほしい」と、
特に乙「ロ」が低かった。菅尻をコジ広げる大手術になるそうだ。
「菅尻がラッパみたいになるけど、よろしいか?」と、一城師、
で、今、愛管「火吹き」は一城製菅師のもとに入院中。

今ここにアップのものは「美仙」で吹いたばかりのホカホカ熱々、
曲名は言わない、
ナニかに似ていると思う人があるかもしれない、出来は15点ほどか?
研究すればするほど、自分の足らずが見えるのが情けなくもあり、また、楽しくもある。


ひとこと、言わずもがなのことを付記したい。
なにやら意味ありげな、奥深そうなことに出会って、謙虚な気持ちなるのは必要なことである。が、これが禅味かと思って、安易にその前に頭を垂れるのはワシャ嫌だ。
分解して、刻んで、醤油を垂らし食ってみて味を確かめたい。
琴古流の古典本曲「一二三、鉢返曲」はオツな味がする。

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2008年5月22日 (木)

ヌヌツ!

今、琴古・本曲「一二三、鉢返乃曲」に向き合っています。
他の事を考える気がしない、
もうしばらく向き合います、

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2008年5月21日 (水)

“あぁ寂しい 2

昨日“あぁ寂しい”ってボヤイたら、コメントを3通ももらった。こそば痒いことだ。
そもそも、“ボヤキ・愚痴る”ってのは、
→ストレス解消の特効薬でもあろうかと思っている。

“あぁ在りたい、こうありたい”と、思いはするが、思うようにはならんのが世間。

が、しかし、
“ボヤキ・愚痴る”からは、そのあって欲しい状況を一度は思い描いたわけである。

たとえば、宝くじを買って、3億円の大当たりを思い浮かべる→が、スカだった、
で、「なんでワイはこうもくじ運が悪いのか」と、愚痴りボヤクなど、

小説家は、ボヤキのなかに筆で架空の自分を泳がせたのである、
音楽家は、ボヤキを音にしたのだった、
画家は、ボヤキを絵に描き、彫刻家は好みの女性を裸にして彫り上げた、
実業家は、なんでワイはこうも貧乏なんや!と“ボヤキ愚痴り”つつ、チョット才覚を働かせたのである。

原初に、“ボヤキと愚痴”があった、
才能が、才覚が、あれば、キットなんとかなったであろうものが…、
気が付けばもうズズイになっていて、未だに原初の段階にウロウロするばかりなのはなんでや? 

尺八を毎日ピーポーピーポー飽きもせず吹いていますがね…、
澄んだおおらかな音で吹きたいのですがね…、
なんぼ稽古しても、ショボクレ音しか出ないですわ、どうしましょう、


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2008年5月20日 (火)

あぁ寂しい

わたしは寂しい人間だ、常に孤独でかつ孤高で鼻持ちならぬ男だ、と、思う、
だぁ~れも、本気でわたしの話を聞いてくれない…、
だったら、自分で好き勝手なことをつぶやいて、自分で聞き、返事し、騒ぎ、ふざけようじゃないか、聞き手側に自分が回ればエエやんか!

と、なって、こんなこと(ブログなど)を始めたのだった、
(当初は、IBMのホームページビルダーで「波平釣り日誌」「めだか釣り」を、そして今はこのブログとミク)

それがいつのまにか誰かが見てくれるようになって、ブログアクセスが26万件を超えた。当初のHP分を加えると30数万件を超えるのじゃあるまいか、

が、未だに、わたしは、寂しい人間であり、孤独でかつ孤高で鼻持ちならぬ男であり、だぁ~れも、本気でわたしの話を聞いてくれない…、と、思っている、
しゃ~ないから、自分で好き勝手なことをつぶやき、自分で聞き、返事し、騒ぎ、ふざけとるわけである、

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2008年5月19日 (月)

少し解説

このブログは、魚釣りと、尺八趣味の、爺さんブログですからね、
そして、スタンスは、愚痴とボヤキと無責任です。
でも、
閲覧の皆様方は別だ。おもしろがってご覧いただければそれで充分です。

なかには、尺八のことがさっぱりわからん方もあると思う。
せっかくだから、以下、少し解説しておきますね。
簡単に解説するつもりだけれど、最後まで読めるかな?

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<写真をクリックし、ついで本画面を半分に縮小し、パソコン画面に写真と、本画面の二つを並べ映して閲覧いただくと判りやすいです>

写真は、京都明暗寺の「調子」という名の名曲の譜面(神如道譜)です。
(注・ただし一般には対山譜を用います。わたしは余技で神如道譜を研究します。写真の譜は真法流のものを如道師が採譜したものです)
尺八古典本曲は、ナニ流によらず、
オタマジャクシじゃなく、このように縦書きの音符(?)です。
ド・レ・ミ・ハが、カタカナで書いてある、
尺八は穴が5つ、全部塞いで吹くと「ロ」、一番下の穴だけ開けて吹けば「ツ」、一番下とその継ぎの2番目の穴の二つを同時に開けて吹くと「レ」、
と、このいう具合に、穴の塞ぎ方で、ロ・ツ・レ・チ・ハ・ヒ・ウ・ア、などがある(流派によって多少は違う、以下同じ)、

そして、このカタカナに、吹く際の要領が記号化されて添えてある。
太い縦線が長く引いてあるのはその音を長く吹くってこと、“ヽ”は一拍子、“ヽヽ”は2拍の意、ヒラカナの横にこのヽヽがあって縦棒がずっと下に引いてあれば、その音を2拍子延ばし吹けってことですわ。
“~”は音を揺らせる印し、

出だしの「ツレーゝ―」ですが、
重ねて書いてある最初の帽子の音、たとえば「ツレ」の「ツ」は拍子外に短く吹く、
「レ」はレ(ヽ)だから1拍子吹いて、続く「ゝ(~)―(ヽヽ)」は同じく「レ」をもう一度2拍子吹けってこと、「堂々と」を「堂ゝと」と書いたりするじゃないですか、あれですわ、
「ゝ」の横に~がある。「レ」を吹く際、吹き頭を瞬間揺らせます、「レウエ」という感じに吹きます。
ちなみに、~が太い縦線の尻に付されていたら吹き尻を揺らせます、

ずっと太い縦線が引いてあって先っぽが少しネジッテありますね、吹き尻をこんな感じにせよってことなのだが、このあたりなると吹奏技術が細かくなるよ。
明暗流では吹く際、音を楔(クサビ)の型に吹くのが基本です。
クサビ(楔)ってご存知ですよね、▽の形をした縦長のカナ釘。クサビを打ち込むっていうじゃないですか、あのクサビの型に音を吹くのが基本です。
が、譜面をずっと見てもらうと、縦線が完全なクサビに書いてあるところと、書き尻が左にひねってあるのと、冒頭のこの箇所のように“つ”に似たヒネリのとがある。太く長い縦線と短いのや細いのが様々だ。これらはすべて音符です。書き分けてあるわけだ。

慣れますとね、譜を観ただけで視覚的にも曲趣がある程度はわかるようになっとるってことですよ。ある種、優れた音符ですよね。
なにせ、手書きの譜には、書いた人の気持ちが筆使いに微妙に込められていますからね、
ただし、その微妙さの解明がなんぎですな。詳細は口伝でヒザつき合わせて、師匠の個性を知り、阿吽の呼吸ってやつを学ばないとわからん。

この譜を書いた人は神如道という名の尺八の神様みたいなお方です。もうお亡くなりになって久しい。消え行く尺八本曲を全国行脚で採録された巨大な偉人です。
わたしは、この譜を見て、その昔、如道師が採録された古いレコード音源を再収録したCDを聴いて、間接的に真似学ぼうとしているわけですわ。
師はこういう安易な学び方を諌めらたそうです。口伝じゃなくてはダメだ、譜を観ただけで、録音聴いただけで、わかったりするものかとされた。が、しゃ~ないよね、今となってはこの学び方しかデケンじゃないか、

師の直弟子がまだおられます。孫弟子も多い。その方たちに学ぶ方法もあるが、わたし・隠居には金とヒマが間に合わない。
あぁ、わたしだって神如道師の弟子の端くれですよ。ナニ流によらず、今、尺八を趣味にする人たちは、知らず知らずの間に神如道師の影響下にありますわ。だからレコード聴けば、なんとなく阿吽の呼吸がわかるような気がしますわ、

神如道師の音源をアップしたいのですが、CD発売業者の著作権に触れるのでしょうか?
で、怖いから、申し訳ないが、アップのは今わたしが参考までに吹いたものですわ。たどたどしくてゴメンネ、そのうちに上手になるつもりですわ、
譜面もそのままアップじゃ叱られるかも、これは思い切って載せましたがね、アカンのかな?


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2008年5月18日 (日)

ヤバイ報道

社会保険庁から年金確認の手紙が届いたが、残念ながら計算は正しかった。
わたしは大きな顔して年金受け取るのが恥ずかしいような勤めしかしてこなかったから、微々たる額だが分に過ぎていると思っている。…もっと仰山ほしいけれど…

ヒマだから、朝起きれば朝刊を読む。読めばナンゾカンゾ思うところはある。
日経新聞34面に、
「中国側の意思統一が図れず作業の効率に影響が出ている」
との、日本側関係者の声を報じている。

ホレホレ、こういうことをデマの類というのじゃないか?
これを安易に報じることが報道の自由ってことか?
そのうち、イヤなら帰ってくれって言われるよ、

ヤバイと思うなぁ~、年金隠居が心配することでもないとは思うが、

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2008年5月16日 (金)

“逆・A)”

A) 「情けは人の為ならず」ということわざがある。
他人に情けをかけておくと、それがいつか自分のためになるとの意。
が、
B) 「…為ならず」を→「為にならない」と曲解して、
情けをかけると、困難にある人の自立心を壊してしまうから、ほっとけ!!
と、解する者が増えてきた。

ミャンマー政府は、
各国からの救援申し出を、A)の類だとして拒否し、
救援を待つ被災民らには、B)で対応しようとしているみたい、

中国の大地震ですけど、
当初は各国の救援を断わったそうですね、道路事情が悪く受け入れが難しいとか言って、
A)を、うがったのでしょうか?
B)で、なんとかなるだろうと思ったのかな?
C)が、しかし、昨日今日ですけど、 “逆・A)”を狙ったのでは、との見方だね。

今ここで、各国に情けを請うようなそぶりを見せることで、“各国に、恩義を中国に与えてやったとの自己満足”を与えることになりそうだ!
中国は、実は、開放された社会だったとの印象を得るにつながるのでは、
…と、判断したのじゃないか? 新聞・テレビがそう言ってますね、ホンマかいな?

仮に、“逆・A)”だとしたら、救援に出張る各国としては、
今後は、中国政府から正規のA)正規のB)の感情の立ち返られないように、救援レベルを抑えなアカンね。デッタイに急場だけの救援に止めなアカン。サッさと引き上げることが肝要でしょうよ。
でもね、日本はキットでしゃばり過ぎて、あげくは追い出されますよ。わしゃ知らんよ、

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団結せよ!!

軍隊ってのは、その性格上、自分の国土・国民を犠牲にしてでも、まず、おのれ(軍隊自身)の保身を計るものだそうですね。
そらそうでしょう、国民から強制的に絞りたてた血税を軍備に費やすってことが、もはや国民の犠牲(?)の上にあるわけだもの。

実際に戦争になったら、
敵の前面に己の国の民を並べて盾にしたり、
敵国に自国領土の一部を割いて差し出し、トカゲの尻尾切りで降参したり、
戦いの最中は、自国民を外部世界から遮断し、外の豊かさを隠し、貧窮生活を強要する、

軍隊を時の権力者と読み替えると、各種組織、たとえば企業の経営者の行動原理もまた軍隊に似ると判るよなぁ、リストラしたり、月給減らしたりするじゃないか、

上述は、
サイクロンの被災国、大地震の被災国の、外部からの救援要請への対応を思いつつ書いたのですがね、
実は、わが国も基本的にはまったく同じですよね。
少なくとも第二次世界大戦当時の日本の軍隊はその傾向が強かった。ホントかウソか、沖縄では住民に自決を促したっていうじゃないですか。
正しい世界情勢を、戦況を、国民に伝えなかった。

今、現在だって、状況はあまり変わっていませんよね。
我々は知らぬ間に情報管理の中に閉じ込められていて、結果、多くの一般市民らは“平和だ、幸せだ”って思っている。
そう思って暮らせているのだから、それはそれでほっといたらエエようなもんだけれど、
ひょっとしたら、某国の被洗脳国民らも、“平和だ、幸せだ”って思っているのじゃないだろうか?

高齢社会になって、今後ますます高齢化するとわかっているのに、高齢者の医療費が足らんとわかっていながら、道路整備に血税を使う。
ゼネコン業界が日本の政界を牛耳っているのだよね。道路族って名の国会議員が居るそうだ。議員は各種業界の利益代表でしょう?違ったかな?

全国の隠居よ団結せよ!!隠居族議員を国会へ送れ!!
イザ隠居党を創ろう!!!
迫力がないなぁ~、

年寄りはでしゃばるな! 
捨ててしまうぞ!
だまって、尺八でも吹いとれ!!!

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2008年5月15日 (木)

明暗「滝落し」を練る

久しぶりに呑みに出ようかと思っていたが、万難を排して(なんじゃそれ!)朝からずっと尺八三昧である。
少し休憩しようと思う。
その前に、ここらまで来たってことで、「滝落し」を入れてみる。

音源削除200705

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慨嘆

狭い世界に生きていると思う。ヒマを持て余す都度そう思う。
なにせ尺八を吹くか、魚釣りをするかしか、なすべきことが思い浮かばない。
が、
それならこの際もう少し真剣に尺八を稽古してみようとやってみて、だんだんしんどくなってきた。
今更、シンドイ思いをするつもりはさらさらない、もう尺八から逃げ出そうか?

外から観て狭い世間に思えた尺八も、事情がわかり始めるにつれ、少しずつ稽古が進むにつれ、ある種怖さを感じるわけである、なんと広大な世界ではある。

竹友から神如道に関するCDを含む一連の資料を借り受けた、
神如道は尺八界では神様の位置に座すお方。
迷っている、
尺八から逃げ出そうか…、留まろうか…、

神如道の言葉に、
「一般に尺八が三弦や箏の音とぶつかったり、大切な間を埋めてしまうことが多いが、自分はそうでない尺八の手を吹きたい」というのがある。
わたし、二十歳代に尺八を稽古していて、この壁にぶちあたり、頓挫したのだった。
還暦を境に、暇つぶし用に、ぼつぼつ再開した尺八である、
で、また、この壁の前で行く路に迷いモゾモゾしている、
隠居の暇つぶしには荷が重過ぎる、…と、嘆じつつ、

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2008年5月14日 (水)

地歌「ゆき」の吹きなおし

ヒマですなぁ~、
「ゆき」を吹きなおしました、
正規テンポで試みた、
やはり少し間違った箇所があります、

音源削除200705

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責任者?

アジアのヒマラヤ、ヨーロッパのアルプス、これらは地球のシワなのですよね。
ヒマラヤを押し上げる地球規模の岩盤は年に4センチずつ動いているって言うじゃありませんか。知らんかったなぁ~、あのインド大陸が毎年4センチずつ北に動いているなんて、
中国の歴史では被害者100万人規模の地震はめずらしくないそうですね。
呆れた!!
その地域で壊れ易いレンガ創りの家に住んでいる。
と、いうか、そういう家に住まざるを得ない、と、いうか、

もうしばらくしたら、
実は、大地震発生の前兆と見られる変事がすでに確認されていた…とか、
だれそれが、すでにこのことあるを予言していた…とか、
奇跡的に助かった話や、残酷な話や、あれこれの枝葉末節が語られ始めるのでしょうね。
で、やがて忘れられてゆく、
で、で、またいつの日か大地震が起こり数百万人が…、

これって、核爆発で死ぬのとはだいぶ違うように思うが…、
いや一緒かな?
地球温暖化…、 
ジワ~と効いてきて、結果、人類が滅ぶのだったよね、
鳥インルフの人への感染、毒入り食物、高齢者医療の切捨て、政争の末の国土荒廃、
みな一緒?
人はみな年々歳とって、やがてあの世へ旅たちます。

責任者出て来い!!!

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2008年5月13日 (火)

音と性格

毎日閲覧している尺八愛好家のブログ「不動産屋の日記」の今朝はおもしろかった。以下の記事だ。

ある人は、「尺八の音にはその人の性格が如実に現れます、性格の悪い人には美しい音は出せません」と断言します。しかし、私は自分の性格が変わったとは認識できません、多分全く変わっていないと思います。では、音色が良くなった理由はなんなんだ。

この思いは、わたしも基本的には同じです。で、読んだ途端にニャリと笑えた。
が、再度読み返して、それってほんとうだろうか?と、思う、

尺八の上手な人で、性格の悪い人を知っているからなぁ~、その人は実に、エエ音出すよ!
その人に限っては、尺八の音と、吹く人の性格は、リンクしていないよなぁ~、

でも、ヨワヨワしい音しか出さない人が、強い豪傑かというと、そうじゃないと思う。
多少は音と性格はつながりがあると思う。

でも、自分が臆病で、イジケた男だと、願望として、豪傑でハッスルでありたいとの気持ちがあって、尺八にカクカクでありたい気持ちが映って、結果、剛毅な音になるかも、
でも、でも、よォ~く聴けば、やはり臆病でイジケの音だったりして…、
自分はしょせん隠しきれないと思うなぁ~、
自己反省しとるのですわ、わたし、どうしても頼りないヨワヨワしい音になる、

ロングトーンの練習をしますがね、
その都度都度に、このテーマと闘っていますですよ、

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2008年5月12日 (月)

地歌「ゆき」

時々音がひっくり返ります。もっと力を抜いて吹かなアカンが、調子に乗るとこうして吹きすぎて音がひっくり返る。
素吹きはどうしてもテンポが速くなりすぎますね。途中緩むところも駆け出してしまう。正規に比し40秒ほども速すぎると思うがどうでしようね。
二箇所間違っている。調子付いて一拍子を半拍子に吹いたところが2箇所ある。

昔は、この曲、しんきくさくて好きじゃなかった。で、あまり気をいれて稽古していない。
譜面の、当時の書き込みをみて、昔を思い出そうとするのですがダメだね、思い出せません。
で、このたびは、曲趣に浸れないまま吹きました。変な感じがあればそのためでしょうね。

都山譜を吹いています。曲中十数か所、わたしなりに手を変えている。譜面では半音を全音に吹いたりした箇所もある。
一番最初の吹き出しには一工夫加えてみましたが、もうひとつ上手くいかんかったですな。
「ツリツーレー」の箇所の「リ」を、上品に音ユリしたい。試みていますが判るかな?

竹は地無しの「美仙」。竹隠銘の1尺8寸・愛用菅です。
なぁ~んもすることが無いから、また尺八吹いとるわけですわ、


昼飯食ったら、腹ごなしに、少しジャガロウと思っています、

音源削除200705

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矜持?(キョウジ・自負誇りの意)

いつだったか、わたしより数年歳下のモーさんが、
「船長(わたしのアダナ)、ブログになさけないことばっかし書くのは止めなはれ」
と、言ったことがある。
以来、ずっとこれが気になっていて、後ろ向き思考になった際、わたしを立ち止まらせる。

父は、退職後毎日独り碁を打って過ごした。
地元紙・神戸新聞に掲載される囲碁譜を毎日碁盤に移しひがな眺めていた。合間合間に大きな字引を持ち出して眺めたりもしていた。
ボケが進みテレビしか観なくなり、毎朝、新聞のテレビ欄に赤鉛筆で観る番組を囲う。時代劇ばっかしだった。それがしだいに昼寝だけになり、そのままあの世へ行った。
残った母も似たような生涯だった。
そして、今、わたしがそうなりつつある。ときどき、モーさんの言葉に叱咤されながら、

一昨日、友人のRAを自宅に訪ね少し雑談した。
彼は市役所退職後、ひたすら自宅(大規模)農業に従事している。兵庫県稲美町に住まう昔からの大百姓だ。百姓仕事の合間を縫って地区の各種役職をこなし、有機農業の研究に、地域の歴史研究に、毎日おっそろしく忙しい日々をすごしている。自宅真ん前は広い麦畑。麦茶用の麦だとか。今は田植え前のちょっとした隙間。
彼と話して、またまた自己反省、オレはアカン、毎日ボヤァ~としすぎている!!
魚釣りしていても、尺八吹いていても、ジャガー(自転車・マウンテンバイク)で走っていても、なんか空漠々たる想いのなかにあって、隙間風がスースーする。

“自分は世間様のお役に立っていない。単なる邪魔なズズイでしかない”
との想いが、わたしを責める。
世間に邪魔になる度合いを、できるだけ小さくして生きる、これが隠居の矜持(?)。
わかってはいるが、これだけでは、寂しくてしょうがない。

今日はナニして過ごそうかしら…、
モーさん、ジャンにでも誘ってくれんだろうか…、
だれか、立ち飲み屋にでも誘ってくれんだろうか…、

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2008年5月11日 (日)

明暗「飛鳥鈴慕」「三谷」

右欄にアップの「飛鳥鈴慕」と「三谷」を、今日新たに吹き替えました。
頭のなかは、もう少し進んでいるが、思うように吹けなくてもどかしい。
引き続いて稽古に励みまた、吹き替え直すのだ、今はこれで精一杯。

「飛鳥鈴慕」「三谷曲」 音源削除200705

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「もし」「たら」

昨日、文芸春秋6月号を買いに行って、パソコンの本も買ってしまった。これ読んで、最近パソコン作動が遅くなり往生していたのを改善したい。で、まずパソコン本に取り組んで作動が少し改善した。
明暗師匠の元へ稽古に行く日でもあった。
文芸春秋6月号を開いたのはようやく今朝になってからである。今、ようやく大半を読み終えた。

 阿川弘之~塩野七生のコラム
 麻生太郎・与謝野馨両氏の「救国宣言・日本よ『大きな政治』にかえれ」
 「後期高齢者は死ねというのか」
 「年金消失・社保庁の支配者は誰だ」
 「道路国家より教育立国を」
 「世界同時貧困」
 「零戦と戦艦大和」
 「私は見た、中国の『洗脳・密告・公開処刑』」
 「『KY』が日本語なんて」

歴史(過去)の「もし」「たら」 VS 向後は同じ過ちを起こさないでおこう、
記事は、すべてこの流れの中で書き綴られている。

以前、
NHKテレビ番組に、「歴史はそのとき作られた」という番組があった。
歴史の曲がり角を見てみようって番組だった。…まだこのシリーズは続いているのかな?
曲がり角に立った人物は、そのとき、右にも、左にも行けたはずだったが、たまたま右の道を選んだ、“で、そのとき歴史が動いた!”っといった扱いだった。
が、そうだろうか?
そのとき、彼に左右の選択肢はあったのだろうか?
そうせざるを得なかったのではないか?
歴史に「もし」「たら」を禁句とするゆえんは、ここにあるのでは?

記事の内容をとやかく言うつもりはない。
が、しかし、
過去の認識が浅い(?)分、向後のこともまた浅くならざるを得ないのでは?
…と、うすら寒い想いを抱いた。

わたしは自分の非力を知っている。
わたしが「もし」、今一度若かった頃にタイムスリップし、人生をやりなおし得たとし「たら」、わたしは、貧乏じゃなく金持ち隠居になり得るだろうか?
ダメじゃないか?
今と同じ境遇でしかあり得ないと思うがなぁ~、
やはり四六時中魚釣りに出るでしょうな、おおむねナァ~ンも釣れんと思う、
潮が動いて、お日さん西々で、やがて夕暮れが近づいて、竿をしまって帰るでしょうよ、
今一度タイムスリップして若返ったとしても、これってキット同じだよ、

バカは死ななきゃ治らない、生まれ変わったら元の木阿弥、


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2008年5月10日 (土)

6月号

まだ読んでいませんから本当のことはわからんけれど、今日発売の6月号文芸春秋はおもしろそうですな。本屋が開いたら買いに行きます。
で、読んでから、また、なんぞかんぞここにボログって遊ぼうと思います。
では、しばらくサヨウナラ (*^_^*)

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2008年5月 9日 (金)

地歌「黒髪」

久しぶりに音源アップ。
地歌「黒髪」。
これって、本当はエッチな歌なのだが、多くの人たちはやたら真面目腐って演奏する。
わたしはエッチ気分を失わず、シットリ吹きたい。
歌詞ですか?

♪♪♪黒髪の結ぼほれたる思ひをば、とけて寝た夜の枕こそ、独り寝る夜の仇枕、袖は片敷く夫(つま)ぢゃと言うて、愚痴な女の心を知らで、しんと更けたる鐘の声、昨夜の夢の今朝覚めて、ゆかし懐かし遣る瀬なや、積もると知らで、積もる白雪♪♪♪、

各々方は、この女の気持ちはわからんだろうな、修行が足らんからなぁ~、
冒頭の黒髪の黒、最後の白雪の白、
古歌が随所に盛り込んであるよ、
ここの男ってはダレだと思いますか?
芝居の上では、なんと源頼朝でっせ、
でも、別の色男の方を、イヤネ、自分自身を当ててその気になって吹きますよ。
いい気なもんだ!!


音源削除200705

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独り言

ロシアの新大統領はロシアを法治国家にしたいらしい。
そして、プーチン氏を首相に据えた。

プーチン氏は大統領を続けたかったが、3戦禁止の憲法があって続けられなかった。
メドベーチェフ新大統領は、法の抜け道をプーチン氏に通らせた。

二人乗り自転車、双頭ロシア、2頭体制、長期院政へ、
いずれ破綻が訪れるかも、
ソ連崩壊から→ロシア崩壊へ、

先の世界大戦でわが国は世界中からドツキ倒された。原爆で張り倒された。
もう、気力も何もなくなってイジケている。
だが、日本は法治国家だと国民は思っている。
 戦争は悪だって思っている。
 話し合えば理解しあえると思っている。

サッカー、野球、相撲、ボクシング、ゴルフ、水泳、フィギュアースケート、競輪、競馬、競艇…、
近々オリンピックが開催される。競技種目は全て戦いである。相手を倒す試合である。
商品開発・販売、相手企業との関係…、赤裸々に言えば戦いである。
話し合えば談合ってことになる。八百長だって言われる。
血みどろになって戦うのが善とされる。
常に戦うからいわゆる平和が保持できる、との認識、これが資本主義。

国家ってなんだ?
ヤクザと同じじゃないか!
各国はそれぞれ領土と言う縄張りを保持し、それぞれの国民から税金と言う上納金を取り立てる。
「行ってこい!」といわれると、兵士という国民は鉄砲玉になって敵国に突っ込む。

わが国・日本では戦争の心配は無い、
だまってイジケておれば嵐は過ぎる。…と、思っている、

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2008年5月 8日 (木)

船頭

“船頭多くして船山へ登る”という。
ロシアで新たな大統領が決まったようだ。が、ルーチン氏は降りる気が無いらしい。
ロシアは今後院政に移ると新聞解説にある。
ルーチン氏は今後も隠然たる存在感を発揮するだろうとのことである。2頭政治になって、ロシアは山へ登るのだろうか?

わが国は、今、山へ登ること8合目9合目あたりじゃないかと思う。
法律は二転三転し、朝令暮改の有様だし、民心定まらず、日々の暮らしに汲々としている。2大政党の足の引っ張り合いがぶざまである。

考えてみれば、民主主義ってのは国民一人一人が主人公である。
国民は等しく船頭である…、はず、である。

わが国は戦争の無い期間がこのところ続いていて、皆がボンヤリしている。
平和ってのが、独自の形態として在り得ると思っている。
が、しかし、平和とは、戦争と戦争との間の怠惰な隙間にしかすぎない、というのが歴史的認識としては正しいのではないか、と、思う。
受け売りだ、昔、小林秀雄がそう言っている。
わが国は怠惰に慣れてしまっていて、
わが国こそが、“船頭多くして船山へ登る”の最たるものだってことに気がつかない。

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2008年5月 7日 (水)

見出しの「に・へ・も・か」

元日経新聞論説主幹であった水木楊氏の言葉によると、
新聞記事に付ける見出しの最後の一言には、意味があるらしい。
最後のひらかな一文字で“記事の性質を印象つけする”よう仕込まれているってこと、

たとえば、
「ホンダ1500億円の申告漏れも」の「も」がそれ、
仮にこれが、
「ホンダ1500億円の申告漏れか」と「か」で終わっていたら、これから起きるかもしれない事態予測の印象度がだいぶ違う。
「も」も「か」も無しで「ホンダ1500億円の申告漏れ」とした新聞もあった。
 「も」は読売新聞、
 「か」は朝日、
 「も・か」無しは日経、
さる4月26日朝刊の記事ですわ、

読者は、無意識のうちに「に・へ・も・か」の言葉技に嵌められているってことですよね、
ちなみに、「に」「へ」は刷込み度が「も」「か」の上位だそうな、
で、「にへもか」の順となる。
「に」とあると、その記事内容は真実だと思ってしまう、
「へ」は8割方確実だと思う、
「も」は7~6割かなって思わせる、
「か」は4割以下の信憑性で、或いはウソかなって思わせる、
見出しにはそういう隠れ技が仕掛けてある、
ただし新聞社側はワナなんて認識じゃない。読者が見出しだけを見ても記事内容が把握できるようにサービスしたつもりですよ。水木楊氏もこの視点から「にへもか」を論じておられる。

わたしは、見出しには「に・へ・も・か」は付けて欲しくないですなぁ、
洗脳されたくないからなぁ~、

日々書き込んでいる自分のブログの見出しを点検しました、
3年前の4月20日から今日まで、この書き込みを入れて総計1731記事書いている。
この中で、「にへもか」で締めくくった見出しを数えた。
13あった。「も」が3つ、「か」が10だった。
ただし、位置の後へ付けた行く先を示す「へ」は省いた。

注・水木楊氏論説の出典は以下のサイト。上述は、これを波平流にネジリ読んだものです。
  http://allatanys.jp/B001/UGC020002420080428COK00049.html


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2008年5月 6日 (火)

住む世界

魚釣りは、魚の世界にわれわれがお邪魔するってことだ、
そこは人間世界とは別の世界、
宇宙には色々な世界があるのだよね、

釣れるかどうかは、釣り師のウデの上手下手によるわけだが…、
それって魚魚の側の都合や気分を推し量る技だ、
ナマコが針に引っ掛かって釣れる(?)ことがあるが、釣り針の上に寝転んだりするから引っ掛かるのだ、やはり“釣れた”の範疇だろう。ただし、これは釣り師の技云々じゃない。釣り針の上にゴロゴロするナマコが一方的に悪い。刻んで食ってしまう。

わたしは沖へ出てのボート釣りと、自宅での「メダカ釣り」しかしない。
「メダカ釣り」はこの頃は怠けていて久しくやっていない。
ズズイ度が進行し、寝たきり状態に近づいて、沖へ出ることができんようになった際の遊びに用意したことであるから、未だ沖へ出る元気があれば強いてメダカと遊ぶこともない。

で、ボート釣りだが、今年はすでに、
フグ・カレイ・メバル・ガシラ・ナマコ・タコ・キス・セイゴ・グチ・ダボハゼ・保安官・ポン・鯛・カツオなどなどを釣った、
保安官はヒトデのこと、保安官が胸に付けるバッチに似る、
ポンはアイナメの大きいのを言う。姿がビール瓶に似る、

変わった釣りとしては、
釣った魚をご近所へ差し上げたりするわけだが、そのお返しに時々頂き物が舞い込んだりする、これも釣果のうち、
このところ、近所の竹やぶからタケノコがたびたびやって来た。穫れ穫れのタケノコ。竹やぶから掘り出したばかりの新鮮タケノコはぜんぜんイガくなくて、甘い。そのままスライスして酒の肴になる。イチゴもやってきたし、野菜も色々来る。たいしたものは来ないが結構物々交換的な面白みがある。

昨日はシューマイがやってきた。夕飯にはそれだけ食って、米の飯は食わんかった。
あぁ、今の季節は、柿の若葉のテンプラが最高に美味しい。
正確に言うと、昨日の夕飯は、
柿の若葉のテンプラと、シュウマイと、先日釣ったカレイの中骨の唐揚げだった。
先日カレイを3枚に開きサシミ食って、残った中骨がまだ冷蔵庫に取ってあったのを唐揚にして食ったってこと。ボリボリ食うのが又美味いよなぁ~。
焼酎?
「伊佐美」ですわ。頂き物!
これ、買ったらキット超高いだろうなぁ~って思うと、又一段と美味いですな、わしゃ、幸せ!!!


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2008年5月 5日 (月)

稽古

どこかで尺八を吹く機会があれば、その際に吹く曲を中心に稽古するわけだ。
だが、そういう機会が無い場合は、気分に応じて吹きたい曲を吹くことになる。
わたしは師匠について修行中の身であるから、次回師匠のもとで吹くだろう曲が中心になる。マンズこの曲の稽古から始め、あとはダラダラと吹きたい曲を吹いて遊ぶ。

師匠の稽古は月2度。譜面はほぼ全曲揃えていて、自分勝手に先走って稽古する。先走り稽古をしすぎるようだ。師匠にいよいよ習う際には、すでに自分勝手なクセ手が入ってしまっている。
で、最近は、師匠に習うまでは、先走っての独習はなるべくしないように心がけている。

と、なると、
普段自宅で独り稽古の際は、今まで習った曲の中から、その時々の気分に馴染む曲を選んで吹くことになるが、これが難儀だ。吹きたいって気持ちにどんぴしゃりの曲が無い。
実は、今日も今まで吹いていたのだが…、
どうも、気分が乗らない、
なんでや?
どの曲も緩急がありすぎて、曲趣がというか、感興がと言おうか、音の上下が激しすぎて、ゆっくり静かに吹きたいという隠居の気持ちにそぐわない。
わたしは、「一二三」を間延びさせたような感じの曲が吹きたい。
高音の厳しい曲、鋭い曲は、吹くのがシンドイ。
隠居の気持ちは、歳相応にゆっくりしていて、できれば茶でも飲みながら、休み休みしながら静かにボォ~と吹きたいわけだ。

わたし、長寸菅は持っていない。もし手元に自分の息に合った2尺超えの地無し管があれば、キットここへ逃げ込むだろうと思ったりする。
でも、そうなったら、わたしの明暗修行は、そこで終わりになるだろう。
そんな予感がする、
逃げ込んだらアカン、と、思う。

淡々と、「瀧落し」が吹けたらと思う。
激しく吹きすぎる。まだまだ未熟。なっとらん!!
「三谷」を吹いてみる、これもある種激しい曲だ!
結局、再々「調子」を、「一二三」を、吹くことになる。
この2曲は実に良い曲だ。ここが原点。迷えばこれを吹く。

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2曲のこころ

一昨日(5月3日)、行きつけの飲み屋の十周年記念パーティーがポイーアイの某ホテルであって、かみさんを連れて参加した。
出掛ける際、背負いバックに尺八と譜面を突っ込んでいると、かみさんが、
「尺八なんか持っていって何するの?」
って言う、
「そんなもの持って行かんといて」
と言う。
わたしが、また、所かまわず尺八を吹くのではないかと恐れている、

実は、
宴の余興にわたしの尺八はエントリーしていて、その準備であったが、かみさんはそのことを知らなかった。
で、宴たけなわに差し掛かる頃、うながされて舞台に上がり2曲吹いた。
明暗本曲「飛鳥鈴慕」「吾妻獅子」、

選曲にはだいぶ迷った。
最初は一休禅師作の「紫鈴慕」を考えていた。
「紫鈴慕」は、おおらかでゆったりとした上品な曲だ、これが良かろうと思っていた。この曲はわたし大好きだ。
が、竹友の大二郎どんが、素人受けにはテンポが速く派手な曲がエエという。「飛鳥鈴慕」なんかがエエのとちゃうか、と、言う。
で、この選曲になった。

 自分の好きな曲を選ぶ、
 場受けする曲を選ぶ、
 場に邪魔にならぬ曲を選ぶ、
の、3つの選択方法があると思っていた。

最後の、“邪魔にならぬ曲を選ぶ”は、
どうせ素人芸であって、自己満足の域を出ないある種の押し売り演奏であるからは、せっかくの宴の雰囲気を壊さぬことが一番肝要であるって意味だ。この度の、わたしの尺八演奏も、わたしの方から“吹かせろ”って言ったのだ。ママさんは「5分あげる、長いのはダメよ!」って言った。「飛鳥鈴慕」「吾妻獅子」の2曲なら5分でOKだ。ヅヅイになると思慮深くなるねぇ~、結局、穏当な“邪魔にならぬ”を採用したってわけだ。


以下、少し哲学しますね、
<芸術ってなんだ?>
音楽・絵画、陶芸、彫刻、演芸、小説…、
演者が居る、作者が居る、そして、⇔ 聴衆が、鑑賞する人が居る、楽しみ使う人が居る、

たとえば、絵画の場合、
鑑賞する立場からは、その絵にナニか共感を感じ、その想いを膨らませ⇒感動する!
たとえば、音楽の場合、
聴いて、自分の心に共振すると抑えがたく嬉しくなったり哀しくなったり晴れ晴れしたり、勇壮な気分になったりする、
要するに、なんでもかでも、
自分の内に作品から受ける印象を取り込んで既成の自己体験と重ね合わせ、結果、それがさらに膨らんで勝手に動き育ち→更に新たな自己体験になって行く、…ように思う、

わたし、飲み屋の十周年記念パーティーで「飛鳥鈴慕」「吾妻獅子」を吹いたわけだけれど、
舞台で吹きながら、客席のざわつきが、雑談が、わたしにはずっと聴こえていて、
『あぁ~、皆さんにはこの曲は聴こえていないのだなぁ~』って思った、
この曲に含まれる曲想に似た自己体験が皆さんらには無いのかなぁ~、って思った、
宴席には大二郎どんも来ていて、舞台から下りたわたしを慰めた、
「良かったよ、(会場の)後ろ半分はザワザワしとったけど、エエ感じで吹けていたよ!」って言った。
少なくとも、会場の後ろ側半分に居た方々に対しては、わたしの尺八は“邪魔”にはならんかったってことかも、
演奏は、成功だったような気がしないでもない、

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2008年5月 4日 (日)

凪ぎみたいだ

① 海へ、沖へ、出たいのです、
② そして魚釣りしたい、
① が主か?②が主か?

以前は、凪いだ日は、朝、勢い込んで起きだして、脱兎のごとく海へ向かった。
ボートに飛び乗って、フルスピードで沖の釣りポイントを目指した。

最近は、…今朝もってことですが、
目覚めましたが、できればこのまま寝床でグズグズしていたい、
気分的には、①でも、②でもないです、グズグズ希望です、
そんなことではアカンから、これから、
ぼつぼつ魚釣り支度して出かけますが、こんな気持ちでオトトが釣れるわけが無い、

変なコジツケですが、
①“始めに予算ありき”のなかでガソリン税は再可決されたのですよね、
対するに、
②“始めに赤字節減ありき”で大阪府政はある種の混乱の中にある。
わたし、
①でも、②でもない、本当のナニかが底流にあるって思うなぁ~、
どちらも、成功するわけがない、

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2008年5月 3日 (土)

詭弁走る

ガソリンが、ボカァ~と値上げになったのに皆さん平気な顔をしている、
米が近々値上げになりそうなこともどこかに書いてあった、
なんでや?

昨日、空のバックを背負って、歩いて30分ほどの農協の販売所へ米を買いに行きました。玄米3キロで970円だった。バックに背負って帰ります。こいつをチビチビ食います。
食パンが見た目にも、明らかに小さくなりました。
納豆の分量が減って1パック食っても物足りなくてイヤァ~な感じ。これだいぶ前からこうなったのけれど、未だに昔のタップリ分量が懐かしい。

そのうち食品スーパーが打ち壊しに遭いますよね、レジ台の防御大丈夫ですか?
ガソリンスタンドが暴漢に襲われ、火をつけられるかもよ、
高速道路の料金所がヤバイなぁ~、
医療費負担額が高齢者を直に苦しめていますです。
わたし朝・昼・晩の服薬を→朝・晩の2回に節約にしたら体調が狂って困っとる。
責任者出て来い!

今日は朝4時半に起き出しましたが、もう外は明るいです。
世間は明るくなった?
イイヤ、そんなこたぁ~言ったつもりはござらん、世間は真っ暗闇ですだ!
沖へ出てもなぁ~んも釣れんし、わしゃオモロナイ!!!

ガソリン値下げしたら皆が車を乗り回し→地球温暖化に悪影響が出ます …某総理談
ガソリン税で道路整備し、車が走ると→地球温暖化に…あれ!この場合はどうなの?

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2008年5月 2日 (金)

21㌫に思う、

天下百年の計?イイヤ朝令暮改、
支持率21㌫だって!
ホイデ、なんで政変が起こらんの?
クーデターないの?
鉄砲の撃ち合いは!

なんと平穏で平和なこと、
そうかなぁ~?
パニックに弱い国柄だと思うがなぁ~、
自立心の薄い者らばっかりだと思うがなぁ~、

うがった見方だとは思うけれど、
皇室が健在なのが、ひとつの大きな力になっていると思う。
わが国には中心がある。その皇室が日々平穏にお暮らしだ…ってことが、国状安定の源じゃないかな?

でもねぇ~、見方によれば砂上の楼閣、単なる影でしかないとも言えなくもない。
“神は人の敬うによりて威を増す”ですからね、
今は高齢社会、年寄りらは概ね皇室びいきです。これが国状安定の底力になっとる。
が、しかし、
この年寄りらが、いろいろな形で邪魔者扱いされ始めた。
そして、年々代替わりし、皇室びいきでない世代が高齢化し、皇室を敬う気持ちがなくなるだろうと思う。と、砂上の楼閣は自然に崩れる。
わたし、近未来、キットこのシナリオになると思う。

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オークション

Jitennsya

オークションです、
商品説明します、
本日より、入札受け付けます、

<商品詳細>
ションベン垂れです、部屋内であれ、庭であれ、ところかまわずションベン引っ掛けます、
ベジタリアンです、肉類食うとゲェーします、
極度の内弁慶です、 自宅を出て外へ出ると途端に固まります、…これわたし波平にそっくりです、
四六時中ワンワン言います、 部屋内からガラス越しに路を通る人に吠え掛かかる、…誰かに似ています、
すぐに泥んこになります、 まるで汚れモップみたいです、…?!?
日に数度、「もう捨ててしまうのやからね!!」と、愛想付かされながら育ってきました、…ちなみに彼はもう熟年の域であります、
で、とうとうオークションに出されちゃった、
落札希望価格は800.001円です、

希望ですが、もうひとつ、
落札の後は、ショウタと呼んでやってください、正しくは省太であります。

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2008年5月 1日 (木)

こん比べ

自転車屋の店主(じいさん)が毎朝わが家の前の路を、クラッシック音楽聴きならがジョギングしておられますわ。
毎朝6時過ぎに我が家の前を通過、
本人はジョギングしているつもりでしょうね。でも、ヘタリ歩きです。マラソン選手がふらふらになってゴールに倒れこむその寸前のスタイルですわ。
イヤホン無しで、携帯ラジオだと思うけど、手に音の出るそれを握って走っている。じいさんがわが家前に差し掛かると、愛犬ショウタが“怪しいヤツが来た!”と、ワンワン吼える。だからすぐ分かる。


わたし?
今日は三木のジャスコ横の釣具屋フイシュオンまでジャガーで走ったけれど、往復3時間でした。
とにかくできるだけ自動車を使わないよう頑張っていますがね、いつまで続くかなぁ~、
そこらじゅう走り回るから、自宅付近の路の段差やデコボコ状態は覚えてしまった。
又、ガソリンが高くなりましたね。
こん比べです。買ってやらないのだ!!

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