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2008年11月11日 (火)

ヒマ考 2

「あんたヒマだねぇ~」ってことになるかも…、

前稿で“ヒマ”についてフト思ったことを書き綴ったが、ナニやらいまいち判然しないものがある、なんだろうこれは…、整理してみようかと思う、
で、以下は、馬鹿馬鹿しいヒマ~なグウタラ話であるから、お目をお通しにならん方がよいと思う、

わたし、ヒマに付き合ってみて、…サラリーマン定年退職後既に8年間…、
“ヒマに付き合うほど忙しいことは他には無い”と思うこの頃である、
ヒマな時間ほど、純粋な時間は無い、これが絶えずあるわけだから、これに正面から向き合うとなると気の抜ける間が無く、忙しいことこの上ない、
並行してお金があればヒマはつぶれるかも、が、無い分、ヒマの純度は高く、忙しさはあやふやじゃない、

前稿でも語ったが、ヒマな時間はナニにでも充当することが可能な時間だが、実は、ヒマ時間の価値はそこには無くて、ナニにも束縛されないで、ナニもしないで、ひたすらボヤ~とできるってことにあり、ヒマをヒマで過ごすことがヒマの正しい使い方であるような気がするわけである、

突き詰めれば、死んでしまえば、以後はずっとヒマなのであり、ナ~ンもせずに居られる、
ひょっとしたら、自殺はこの願望への跳躍ではないのだろうか、
また、
若い者と、爺さんとでは、ヒマのとらえ方が違うだろうと思う、
ヒマはヒマとして、ヒマ~な使い方、要するにナ~ンもしないで過ごすのがヒマの最良の使いかただって言っても、色々な欲望満々の若い衆らには理解の外であろう、
ヒマをヒマとしてボヤ~と過ごすことが、如何に良く以後の時間を生かすことにつながるかを説いても、ダァ~レも聞いてはくれんだろう、
わたし、自分の人生を振り返り、なぜヒマをヒマで過ごせなかったのだろうと残念である、あの頃は脳中にモヤモヤがいつも漂っていた、もしスキットしたヒマを持つことできていたら、わたしは違った人生を歩んでいたかも、よきにつけ悪しきにつけ…、

ナニもせず、ひたすらボヤ~で過ごすには、ダルマさんになるしかあるまいと思う、山中に閉じこもりひたすら座り続けましょうか、そうだ、座禅を組み、しばし頭をカラッポにしてみるのもおもしろそうだ、
が、わたしには、そのような素養は無い、座禅の真似しても雑念ばっかり湧いてきて、かえって頭はこんがらがるだけだと思う、

なら、このヒマをまっとうするにはどうしましょうか、
以前から、魚釣りしていると時間を忘れることに気付いている、
若い頃は鬱憤をストレスをここに捨てていた、が、隠居になった最近ではかつての邪念は無い、ただ純粋に時間を忘れるだけである、
コジツケではあるが忘れられた時間はある種止まった時間でもある、空虚な時間、隙間の時間、お休みの時間、雑念のナァ~ンも無い時間、
最近では、尺八を吹いていると魚釣り同様ついつい時間を忘れます、
曲を吹くわけじゃない、おおむね “これだっ!”って音を得ようと夢中になっているだけだ、そうやっているとついつい時間が経つのがわからんようになる。この間に朝が昼になりそして夜になる、時間がこうして流れる、まるでウソのように朝が夜になる、時間は止まっており、隙間ばっかりであり、気に入りの音には出会えず空虚な気がする、が、それはひょっとしたらヒマそのもののヒマな使い方であったのかも、

要するに、ヒマに付き合うほど忙しいことはないってこと、
だってヒマがありすぎる、
隠居は、常に忙しい、


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