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2016年6月13日 (月)

邦楽:洋楽

午前1時15分です、もう起床しています、起きだしている、
生活リズムが崩れているのは承知です、が、今のわたしには、このリズムが最適だ、
でも、なんか変ですよねぇ~

さて、今日は、ナニをダラダラ書きしましょうか…
邦楽:洋楽、に、ついての想いを、すこし話してみますね、

まず結論から、
邦楽:洋楽、の違いは⇒“文化の違い”だと思います、

少し横道へ入りますよ、

母は“謡曲”が趣味で、いつも小声で謡っていました、
父は学校の先生だった、“公民(教科)”の先生だった、

“公民”は社会科とか道徳とか、の、分野ですが、本当は、父の専門は“陽明学”でした、
コレ、儒教の一種で朱子学の類ですわ、
父は明治40年の生まれでしてね、山陰の小さな漁村のセガレでした、が、船酔い性だったので漁師が継げなかった、で、単身村を出て学問の道へ進んだようだ、
で、当時の最も斬新な学問(?)分野のひとつ“日本人”としての精神探求の道へ進んだのだった、
西欧文化に対応して、武士道を見直そう、の、学問です、

武士道を解いた「本」に「葉隠」と言うのがありましてね、陽明学は、コレとは少し違いますが、ほぼこの類に並ぶ“心学”です、
明治以降、日本国・国民の精神の在り方を探求しよう、の、考えが、当時の日本には強くあったようですな、
で、陽明学は、当時の日本国の根っこの学問でもあったわけだ、
父は、コレを学び学校の教師になったってこと、
が、今、思えば、ずいぶん偏った、ある種狂気の学問(?)だったのですよねぇ~、
で、わたしは、この、父・母の長男ですわ、
で、で、なんと趣味が古典尺八だ、ヤッパなんか変だよなぁ~~
わたしの頭の中には、ずいぶん偏った時代遅れの遺物が住んでいるのかも、かも…です、

わが家にはまともな家財はナァ~ンもなかったが、父の書物だけは随分たくさんありました、
わたし、高校生時代に、これらをほんの少し読みましたが、バカバカしくなって以後は全く読んでいません、
父も、まったく過去のこととして振り返らなかった、書物は既にすべて廃棄しています、1冊も残っていません、
父は、敗戦直後の教壇に立って、生徒らの前でボロボロ涙を出して泣いたそうです、
実はその時・生徒だったお方が、わたしが初めて勤務に就いた時の職場に居られましてね、なんと、勤務の机が向き合っていたのでした、わたしが、あの時の先公の息子らしいと、すぐにわかったらしい、父のことを語ってくれました、

さて、本題に戻ります、
邦楽、と、洋楽、に、ついての話です、
と、言うたものの…
わたし・波平は、上述から推測すると、ある種偏った話にならざるを得ないと思うのですよね、
もう、話すのはやめようかな、と、思ったり…
あぁ~、急に筆が重くなっちゃった、今日は、もう筆を置きますわ、

父は、生徒さんらに、天皇陛下の為に死んで来いとでも言うたのかなぁ~、

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コメント

父は、今思えば、終生ある種のトラウマを背負っていたような印象がある、
父の友人に刑事で尺八趣味のお方が居られた、終戦後の神戸の街を天蓋かぶって虚無僧行化(行脚)されていた、
わたしの尺八はこのお方の影響によるものでしてね、
因縁と言いましょうか、前世からの定めとでも言いましょうか…
ナニゴトも、避けがたくつながっとるのですよねぇ~、

最近、阿波踊りの先生とお話しする機会がありました、なんと、そのお方、わが家近くにお住まいだった、
すでにお亡くなりになったが先生のお父上が某デイサービスを利用なさっとったようだ、
デイサービスから帰宅され「今日は尺八を聴いてきた」とかの話が在ったりしたそうな、
ソレッテ、間違いなく、わたし・波平の尺八ですわ、
老人の心に、帰宅後家族に話されるほどに、わたしの尺八が聴こえていた、の、ですよね、
わたし、先生から、その話を聞いて、胸が熱くなりました、因縁ですなぁ~~、

投稿: 波平 | 2016年6月13日 (月) 03時57分

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