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2016年7月24日 (日)

元気モリモリか、シンミリか、

最近は、複数人で、福祉関連施設へ演奏ボランティアのことが在りましてね、
で、その際に使用する曲群選択に、苦労するのですよね、

わたしは、かつて、自分だけの単独で、尺八吹奏ボランティアをやっとったのですが、
この時は、場に臨んで、とっさの判断で、随時、場に合わせた選曲をしていました、
もちろん、事前準備はそれなりにしていて、このうちの一部を、臨機応変に場に合わす意味ですけどね、
楽譜を持参のパソコン画面に映し出しての吹奏でした、
パソコンには優に千曲を超える尺八譜を収めていましてね、突然のリクエストがあっても即座に対応が可能でした、

が、複数人での演奏(合奏)形式だと、事前に打ち合わせた曲以外のとっさの選曲は困難です、不可能だ、
って、ことは、
事前の選曲打ち合わせが大切だ、ここが一番ムツカシイ、

大きく分けて、二つの方向があります、
A) 楽しく、元気がでるような曲群
B) 静かで、シンミリした曲群

わたし単独で尺八吹奏ボランの際は、上述B)のスタンスでした、
が、
複数人で福祉施設訪問の際は、上述A)の構えであることが多い、

もう人生残り少なくなって、片足棺桶突っ込んだ老人らの前で、死者を悼む歌とか、別れがテーマの曲とかを演奏するのは、避けたほうがエエ、…の、考えがある、
こう考える者らの方が断然多い、コレがA),

が、わたしは、この選曲方向には疑問を持っとる、で、B),
わたしは、
老人らの、今の、心の置き所に沿った選曲が好ましかろうと思っとる、
近づきつつある死への想いは人それぞれ、様々だ、
が、悟りきった者なんぞ、ひょっとしたら居るかもだが、まんず、迷い迷いの者らばっかしだと思う、わたしなんぞは、キリキリ舞の迷い迷いのンド真ん中でスダ!!!

逃げ場はひとつ、死は避けられないことだってこと、
死は、オッソロシイが、仕方がないことで、受け入れざるを得ないってこと、
コノ思いを、自分の周辺の方々と、同じくすることが、
⇒気持ちの和らぎにつながるように思われてナラン、
と、これが、わたしのスタンスです、

必然的に、別れの曲とか、静かな気持ちの和らぐ曲を選ぶことになる、
まちがっても、はしゃぎ騒ぐような曲、元気がモリモリ沸くような曲は選んだりしません、

が、が、
仲間らと、複数人でボラン訪問の際は、選曲方向が
⇒元気がモリモリの方向へ向くのですよね、

わたしは、反対だが、仲間に同調せざるを得ない、
が、だからと言って、わたし、さほどコレも間違った方向だとは思わない、
だって、合奏仲間らは、未だ、生きる気力モリモリなのだ、このことを喜ばないでどうしましょう、
わたしだって、もうシバラクは、元気で居たい、と、思う気持ちの方が強い、

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コメント

人間は、自分の事しか見えていない場合が多くて、自分の考えが正しいと思いたいものですから、なにが正解かは、本当は自分には解からないと思えますが、


施設のブログ記事などを見ていて解かる事は、墓場が近い老人達は、あまり人生の終わりを意識することは無くて、
其の場の楽しみを求めて居られるようにも見えます。

だから、子犬を連れたグループや、放棄園児たちの訪問などには、ものすごく喜んでいる様だし、賑やかな踊りのグループなども歓迎されている様です。

一方で、尺八の単独ボランティアの様に、静かに昔を懐かしむようなのも、それはそれで期待されるものが有る様な。

自分が一番嫌いなのは、ド素人のオバチャン集団が、舞台度胸を付けると言う目的で、ボランティアに名を借りて、下手な唄や踊りを、無理やり披露しに訪問するやり方でした。

投稿: 河童爺 | 2016年7月24日 (日) 11時46分

貴兄のお話はよくわかります、
そのとおりだと思います、

わたし、ターミナルケァ~のことを、いつも、意識の根っこに置いていたので、偏りすぎた対応になってしまったかもです、
すこし、反省したりしています、

投稿: 波平 | 2016年7月24日 (日) 16時26分

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