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2016年12月16日 (金)

28・29

28
今日は某所で福祉関連集会があり、コレへ出かけ、尺八吹奏のボラン活動をする、
A)以前は、
この種のボラン活動は、天から与えられた仕事だ、と、の、気持ちで自分を励まし、臨んでいた、
B)今現在は、
体力的にも気力的にも老いてしまって…
突っ張る気持ちは失せてしまい、遊び感覚で受けるボラン活動になった、
自分を偽らない生き方の方へ“逃げた”ってことかな、

29
日ロ首脳会談、
会談の“焦点を北方領土に当て得ている”こと自体、大きな成果と言うべきであろうと思う、
日ロ交渉のそもそもは、
1804年、ロシア戦艦・ナジェダ号(船長・クルーゼン・シュテルン)が、対日交渉全権大使・レザーノフの指揮のもと、レーニングラード近在のロシア軍港を発し太平洋を超え、ケープホルンを経て、太平洋へ入り、いったんカムチャッカで日本訪問の最終準備を整えた後、日本列島を太平洋側から南下し長崎へ入ったのが最初であった、
日本側の全権交渉は目付・遠山金四郎(桜吹雪の入れ墨で名高い遠山の金さんのおじいさん)だった、
交渉は決裂した、
日本側は「交渉は望まない、早々に引き取られよ」と伝えただけであった、
この時の様子は、
全権大使・レザーノフが、詳細を書き残している、
搭乗した戦艦・ナジェダ号の船長・クルーゼン・シュテルンは、詳細な航海記を書き残している、
いずれも和訳され、読むことが可能だ、
航海記は「世界周航記」の名で1813年ペテルブルグで出版されたが、出版直後、幕府の知るところとなり、天文方の手で和訳され「奉仕日本紀行」の名で幕府要人らの目にするところとなった、
わたし、これらを、少しだけだが興味本位で読んでいたのだった、で、200年も以前に、ロシア軍艦が日本列島を表裏(太平洋側・日本海側)を測量しながら完全に1周し終えていたことに、俄然興味がわいた、
よっしゃ!!!
退職後は、わしゃ、日本列島を単独で完全にひと回りしてみよう、と、思ったのだった、
外洋航行可能な中古ボートを退職金はたいて購入し、修理補修を加え、小型船舶1級免許を取り、無線・レーダーなどの資格や装備、必要な準備を整え、計画を練り、実行した、
残念だったのは、ついでに、択捉島の単冠湾(ひとかっぷわん)へも就航してみたかったことだ、ここは真珠湾奇襲攻撃の際、連合艦隊が集結した港、が、今はロシア領だ、
わたし・波平の「日本列島周航記」は、当ブログの右サイドバーに掲出している、
ご興味あるお方は、お目通しいただけると嬉しい、
北方領土周辺をめぐるロシアと日本の歴史は、興味本位の目でしか接していないが、実にオモロイ、ワクワク、ドキドキの話が多い、
この度の日ロ交渉だが、
プーチン氏が胸襟を開いた分、すべてを、わが国は呑み込む方がエエと思う、


「曲名」???

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