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2017年10月17日 (火)

喜寿の吹き習い

時々、臆面もなく(図々しく・恥ずかしげもなく)、下手尺八をアップしていますが…
もし、アップを止めたら、ら…
波平ドンは、自分の尺八を本気で聴いてみることが無くなる、と、思う、

録音したのを自分ひとりで聴きなおし、ひとりで下手さを実感し、稽古に励めば、それでエエやないか、
とは、思いますが、音楽ってのは、そういうものでもないのですよねぇ~~~、

音楽は心の動き、感情・情緒が、ある種の形になって、外へ出てきたものだと思う、
出た途端(演奏された途端)に、そ奴は、演奏した者とは別人になっとる、
録音された演奏は、それ自体で命をもって生きる、
尺八吹いたジイチャンとは、もう別人になっとる、

シッカリと、別人にしてしまいたいのですわ、

内緒にコソッと聴きなおしたりするのは、録音された音楽に失礼だ、命のことを軽んじた所業だ、と、思う、

わたし、変なことを言うていますか???

あたるを幸い、アレコレの曲を尺八譜に直し採り、試し吹いてアップし、遊んどるわけですが…
上手にナンゾなりませんわ、
自分の下手さを、才能貧弱を、実感・実感するバッカシで、試し吹きアップは止めようか、と、思い始めていましてね、今、迷いの中に居るです、

どうしましょうかねぇ~~~
“四十の手習い”って、のはある、
“喜寿の祝い”って、のはある、
“喜寿の吹き習い”コレは、聞いたことない、

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コメント

音楽を如何位置付け、どのように付き合うかは、個人個人の勝手でしょう。

吹ける内は、自由に吹けばよいと思います。

「音が苦」に感じるようになったら、それが終点でしょう。

吹きたくても吹けない者から見れば、贅沢な悩みですよ。

投稿: 河童爺 | 2017年10月17日 (火) 16時53分

そうですよねぇ~~~

ホンネを言うと、イロイロな曲を吹いてみたくて、みたくて…って、ことなのですわ、

が、吹てみる都度、自分の能力不足が哀しくなる、
若かったころの勉強不足が悔しくてならん、
老いたなぁ~の実感だけが、大きくなる、
もう、あわててもどうにもならん、
どうしましょうかねぇ~~~

投稿: 隠居波平 | 2017年10月17日 (火) 18時18分

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